236話 「誰がための」
「今の彼をどう思う? アリシア」
金の剣でザイムードと打ち合うシャウを見ながら、シーザーが訊ねる。
「……」
「笑っちゃうよね。ボクたちが三人でカラーリスの丘を駆け登っていたときはあんなに体力がなかったのに、いつの間にか一人で戦えるようになっちゃって」
アリシアはシーザーの苦笑を見て、目の前の出来事が現実であることを否応なく理解させられた。
「君は、〈魔王〉としてつらい世界を生きなければならなくなったエヴァンスを守るために、サイサリスをここまで大きくしたんだろう」
――そうだ。
彼が常人には立ち向かえないような逆流の中を歩くことはある時点からもうわかりきっていた。
悪徳の魔王を輩出し、多くの恨みを買ったウィンザー家の末裔として生まれるだけでもたいがいであるのに、ムーゼッグによる〈魔王狩り〉の影響で、その他の者たちからも〈魔王〉として追われるようになる。
今の時代に、ある意味で一般的な魔王以上に猛威を振るうであろう力を持った彼は、その術式が戦いに向かないという性質からも、わかりやすく狙い目であった。
それでも彼は、今なおこうして生きている。
昔よりも少し皮肉っぽくはなったが、根は変わらない。
挙句の果てに、助けようと思っていた自分を、助けてくれている。
「わたしは……」
「たぶん、やり方はいろいろあると思うんだ」
シーザーがさえぎるように話し出した。
「君の気持ちは間違っていないと思うよ。それは君をずっと見てきたボクが証明する。――でも、やり方はあまりよくなかったかもしれない」
「じゃあ、ほかにどんな方法があったというんだ……!」
すべてを解決するうまい方法があるのならとっくにそうしている。
――私にはこの忌まわしき力しかなかった。
〈心帝〉の末席として生まれた身の上。
そして皮肉なことに、自分にはこの〈魔王〉として忌避される力以外に世界に抵抗するための力を持っていなかった。
しかしそれでも、彼よりはマシだと思った。
心が読めれば人の求める言葉がわかる。
人は欲しがっている言葉をもらうと、途端に心を許す。
そうして人と――〈魔王〉を集めた。
「すべてを解決するうまい方法があったかどうかはボクにもわからない。それについて答えを持たないことを申し訳なくも思う。でも、君の選んだ方法が、たぶん失敗したということは、ボクでもわかる。そしてこういう状況になるまで君を助けられなかった自分のことを、ボクはなによりも憎んでいる」
『力があれば』という言葉がアリシアの脳裏に浮かび、おそらく同じ言葉をシーザーも思い浮かべたであろうことを彼女は確信していた。
「でも、文句を言ってもはじまらない。ボクも、君も、そして彼も、持っている力の中で、できることをやるしかないんだ。この世界は喜劇のように甘くはないけど、悲劇になると決まっているわけでもない。だからボクたちは、この舞台を喜劇にするべく踊り続けるんだ」
「……相変わらず芝居ぶった言い回しだ」
「性分だからね」
困ったように笑うシーザーの視線は再びシャウへと移る。
シャウの攻勢にたじろいだザイムードが術式の発動準備をしているところだった。
「そろそろかな」
そのザイムードに対し、シャウもまた錬金術式を発動する。
視界に映るすべてが金へと変わっていき、やがてあの清貧の天使像も輝かしい金色に染まった。
「ハハ、趣味が悪いね」
「……まったくだ」
されど、祈る者もおらず、ゆっくりと朽ち果てていくだけだった天使像は、このときばかりは、やけに神々しく感じられた。
◆◆◆
「くそっ……!」
「踊り方がなっていませんね。それでは観衆を満足に楽しませることもできませんよ」
錬金術式を発動してからのシャウは圧倒的だった。
ザイムードが放つ遠距離術式をすべて金の盾で防ぎ、間髪入れずに宙から錬成した金の剣を返していく。
指先一つで無数の金剣を踊らせる姿は、まるでオーケストラの指揮者のようだった。
「ウィンザー家というやつは……‼」
「そう怒らないでくださいよ。私だってあなたに対して怒りがないわけではないんですから」
シャウが操る金剣の一本がザイムードの足の甲を貫いた。
「ぐぁっ!」
「良い悲鳴です。御託を並べるよりもそちらの方がお似合いですよ」
ザイムードはすぐさま金剣を手で引き抜くが、さきほどまでのような機敏さはすでに消えている。
「魔王どもめ! なにをもたもたしているッ!」
ザイムードの悪態は上階に残してきた仲間の魔王たちへのものだった。
〈影王〉オリガを引き付けるべく残された魔王たちは、いまだに姿を現していない。
「三文芝居が板についてきましたね。おかげであなたが予想以上に人心の掌握に手間取っていることがわかりました」
シャウは片眉をあげてザイムードを見つめる。
「この間に別の白装束が来ないところを見ると、あなたに組した魔王もそう多くないと見えます。一部は〈影王〉のようにサイサリス教皇へ変わらぬ忠誠を誓い、そして一部は――まあたぶんムーゼッグに組しているのでしょう」
シャウは顎に手をやって思案げにうめく。そのはざまにさらに二本の金剣がザイムードの足をうがった。
「困りましたね。あのセリアス=ブラッド=ムーゼッグが、奪い、殺すのではなく、生きたまま〈魔王〉たちを使うことを覚えてしまった。当初の彼からは想像できない厄介な進歩です。……メレアに一度負けたのが関係しているのでしょうか」
もはやシャウは目の前のザイムードを見ていない。
すでに勝敗は決したとでも言わんばかりの様相に、ザイムードも声を荒げる。
「勝ち誇ったつもりか! エヴァンス=リィン=ウィンザー! まだ私は死んでいないぞ‼」
「――死ぬまで戦う気概があなたにあるのですか?」
一瞬、シャウの目の中におそろしく鋭い光が宿り、ザイムードを射抜いた。
「っ」
その視線にザイムードはわかりやすく気圧される。
「サイサリス教皇という〈魔王〉を盾にし、裏で金を使うばかりで、自身は矢面にけっして立たない。なんでもかんでも表に出ればいいというものでもありませんが、少なくともあなたに命を賭すということがどんなものであるか、本当に理解できているとは思えません」
「なにを……!」
「あなたの理想は薄っぺらい。この状況がそれを証明している」
シャウがゆったりとした歩調でザイムードへと近づいていく。
「すでに自分の力のみで覆すことができない劣勢。こんなものは愚も愚です。見通しが甘すぎる。この程度で崩れる計画なら、いっそのこと立てない方がよかったのでは? 自分にできるあらゆることをこなし、それでも敵わなかったときに、はじめて命を賭すのです。あなたは命を賭すという行為の門前にすら立っていない」
生きてきた世界の違い。
生まれたときから逆境で、野に放たれてからは一歩間違えれば容易に命を狩られかねない状況だった。
だからシャウは、自分の持てる力を尽くして世界を立ち回った。
「目的は達成するためにある。自己陶酔に浸るためではない」
シャウは右手に持った金剣をザイムードの首に突き付けた。
すでに得物をはじかれ、足を別の金剣にくし刺しにされているザイムードに動く気配はない。
「あなたが本当に私に勝つつもりなら、その足を失くす覚悟で引き抜き、逃げ、再起を図るべきだった」
シャウは淡々と冷たい光の灯った目でザイムードを見据え、そしてついに、金剣を両手で握って力を込める。
「っ、わ、わかった! 私の負けだッ!」
するとザイムードが観念したとばかりに両手をあげて叫んだ。
「もうウィンザーへの復讐はやめる……バルドラ家の負けだ」
「……」
「そ、そうだ、我々の資本をウィンザーへと貸し出そう。サイサリスからウィンザーを買い戻すつもりなのだろう? それには多くの金が掛かる。シャーウッド商会といえど動かせる金には限度があるはずだ。我々はルーツを同じくする。かつてのウィンザーとバルドラのように、再び協力して商人の国家を取り戻そう」
シャウは微動だにしないまま、取り繕うような笑みを浮かべるザイムードを見る。
そしていくばくもしないうちに、答えた。
「あなたは二つほど勘違いをしている」
「か、勘違い?」
ザイムードが不思議そうに首をかしげようとした瞬間、シャウの金剣が一糸乱れぬ動きでザイムードの右腕を斬り飛ばした。
「っ、ぎゃああああ! う、腕が! 私の腕がッ‼」
「一つ、私はあなたの助力など最初から勘定に入れていない。私はすでに、自分と、こんな私を慕ってくれる商会の仲間たちの力で、必要な資本を集め終わっている」
さらに一撃、金剣の切っ先がザイムードの左眼を撫でた。
「ぎゃっ!」
「そしてもう一つ。私があなたに敵意を抱いている理由は、あなたが私に弓を引いたからではない。この程度の害意は〈魔王〉にとっては日常茶飯事で、またうるさい蠅が寄ってきた程度にしか思っていない」
残った手で左目を押さえるザイムードをよそに、シャウはふと視線を横に向けた。
「あなたは私の身内に手を出した。私はそのことに自分でも驚くほど憤っている」
その視線の先にいたのは、アリシアだった。





