234話 「カーテンコールにはまだ早い」
「陛下ッ!」
あと十歩も進めば手が届く。
「近寄るなッ!」
しかし、その前に〈影王〉オリガが二人の間に短剣を抜いたまま立ちはだかった。
「なにをっ……!」
「それ以上陛下に近づくな、ザイムード=エル=バルドラ」
後ろに三人の白装束を引き連れてきたザイムードがオリガの鋭い声に足を止める。
顔にはそれらしく面食らった色合いがあった。
「陛下の身にまだ危険があるかもしれないのだぞッ⁉」
「その危険がお前自身でないという保証はどこにもない」
「わけのわからぬことを――」
「それと、お前たちもだ」
そう言ってオリガはザイムードの後ろに立つ三人の白装束を睨んだ。
「陛下に拾ってもらった恩を忘れるとは――この恥知らずどもめ」
常人であればおじけづきそうなほど鋭いオリガの視線。
しかし後ろの白装束たちはそれにたじろぐ様子はない。
「オリガ……?」
「〈魔王〉です、陛下。私と同じように、あなたに拾ってもらった」
アリシアの不安そうな視線を受けて、オリガは淡々と答えた。
「…………はあ、バレてしまったのであれば仕方がありません」
そしてついに、ザイムードがオリガの問いに答えた。
「あの忌々しいシーザーを引きはがし、教皇騎士団を東の海賊どもで釣りだして、コツコツと準備を整えたというのに……結局あなただけは靡かなかったですね、〈影王〉オリガ」
「私をほかの恩知らずな魔王と一緒にするな」
「むしろあなたのような魔王の方が珍しいのですよ? 陛下の薄っぺらな理想郷思想にまじめに傾倒するほうがどうかしている。……まああなたは陛下の思想に賛同したというより、直接命を救ってもらったという恩義の方を重視していたのでしょうけど。さすがは陰気で俗な密偵出身者。主に身を捧げる忠誠心だけは一端ですね。それが原因で〈魔王〉にされたというのに」
「っ、それ以上私の一族を愚弄するならその首――!」
「あなたごときにそれができるのであれば、いつでもどうぞ」
オリガの足に力が入る。
しかし一歩は踏み出さない。
余裕しゃくしゃくな表情で肩をすくめて見せているザイムードの後ろで、武器を抜いた白装束たちの物言わぬ牽制があった。
「それで、あなたはまた守られるだけですか? 陛下」
そんな中、アリシアはまだ事態を呑み込めずにへたり込んでいる。
ザイムードはアリシアを見て軽蔑と嘲笑が入り混じった顔でため息をついた。
「まったく、幼いころは親に守られ、親が死んだあとは幼馴染に守られ、そして今度は〈魔王〉に守られ。あなた、自分でほかの魔王たちを救っているつもりだったようですが、まったく逆なんですよ。いつだって私はそんなあなたの無知さと傲慢さに笑いをこらえるのが大変だったんですから」
次々にザイムードの口から出てくる侮蔑の言葉。
しかしアリシアにはその意味がまともに耳に入ってこない。
「魔王を守る強い国を作る? そう言いながら賛同しない魔王をはじき出し、あるいは相手の意向を汲まずにさらってきたり。口ではもっともなことを言いますが、やっていることはさしてムーゼッグと変わらない。そしてそのことに自分で気づきもしない。――まったくおめでたい」
「黙れッ! ムーゼッグの犬め!」
そう叫んだのはオリガだった。
「おや、そのあたりのこともお察ししているのですか。さすがは密偵」
ザイムードが不敵な笑みを浮かべる。
「……ムーゼッグの……犬?」
そこでようやくアリシアも口を開いた。
「陛下、教皇騎士団を東に向かわせた理由をお忘れですか。……海賊です。それも、ムーゼッグの息のかかった。……タイミングが良すぎます。十中八九、この男はムーゼッグと通じています」
「ご明察のとおりです」
ザイムードは一歩、アリシアへ近づく。間に入っているオリガが腰を低く構えたがザイムードはそれを気にもせず二歩目を踏んだ。
「お前の目的はなんだ」
オリガが問い詰める。
「簡単なこと」
ザイムードはまた肩をすくめて答えた。
「私は金の力ですべてを手に入れる。サイサリスも、ウィンザーも、そして、ムーゼッグも。これは序章です。一時的にムーゼッグに取り入りますが、サイサリスを得た暁にはムーゼッグも潰します。そのためにこうして何年もかけて準備をしてきた。あなたのようなクソガキに媚びを売りながら」
「夢物語だな。お前ごときにあの〈時代の寵児〉を倒せるものか」
「倒せます。今、この街にはかの時代の魔王たちが降りてきている。〈死神〉とかいう魔王の仕業のようですが、どうやらその死神もなかなかひねくれた主義の持ち主らしくてですね。今、このサイサリスをムーゼッグ勢力とそれら異分子との戦場にしてしまえば、さすがにあのセリアス=ブラッド=ムーゼッグでも疲弊する。現状、取引の上ではサイサリスをムーゼッグに割譲する予定ですが、その取引もまた決裂するでしょう。商売は残酷だ。弱みを見せたほうが悪いのです」
ザイムードがふいに身を屈めた。
オリガを挟んでどうにかアリシアの眼をのぞき込める位置。
彼女の眼を見据え、彼は言った。
「私の一族はこの瞬間のために六代も世代をまたいで計画をしてきた。私たちは読んでいたのです。おそらくこういう日が来るであろうことを。そしてそのときのために、あなた方〈心帝〉の持つ魔眼に対抗する術を身に着けた。……さかのぼれば我がバルドラ家とあなたのエウゼバート家がその血の出所を同じくしているというのもそれが出来た理由の一つですが」
アリシアはザイムードの眼の中に、自分の魔眼とよく似た術式紋様が浮かんでいるのを見る。
「対抗術式です。〈心帝の魔眼〉に対抗するためだけに作られた代物。――はは、笑ってしまいますよね。あなた方の魔眼に対抗するためだけに六代もの一族の命を捧げて、そうしてやっとできた、一度使ったらもうなんの役にも立たないガラクタ。しかし、このガラクタのおかげで私たちは反旗を翻せた。ここまでうまく事が運んだのは、たぶん――」
「っ、言うなッ!」
いつの間にかアリシアの目の端に光るものがあった。オリガがそれに気づいてひときわ鋭い声をあげる。だがザイムードは止まらない。
「あなたが我々の予想以上に『間抜け』だったからでしょうねぇ」
ザイムードの言葉が、鋭利な剣となって、深く、自分の心に突き刺さったのをアリシアは感じた。
――『あなたにそういう役は似合わない』
恋をしていたあの幼馴染にいつか言われた言葉が、アリシアの脳裏によみがえる。
「オリガを抑えなさい、捨て身で影に潜られると面倒です」
その間にスッと冷徹な表情を戻したザイムードが白装束たちに指示を出す。
後ろに控えていた白装束のうち一人が術式を編みはじめ、さらに残りの二人が素早く前進。
術式と接近戦。その二択にほんの一瞬だけ逡巡したオリガの隙を、彼らは見逃さない。
「くっ!」
オリガはアリシアを守るためとっさに手を伸ばす。
しかし一瞬で懐に潜り込んできた白装束によってその手は叩き落とされ、続く回し蹴りで体ごと壁に打ち付けられる。
守る者のいなくなったアリシアの頭上で、ザイムードが短剣を抜く。
「あなたの役目はここで終わりです。あなた程度の役者が呼ばれるかはわかりませんが、魂の揺蕩う天の海でせいぜいカーテンコールの準備でもしていてください」
ザイムードの短剣が振り下ろされる。
しかしそれと同時、部屋の窓ガラスが豪快な音を立てて砕け散った。
舞い散るガラス片の中から現れたのは――
「君もたいがい大根役者だったよ、ザイムード……!」
道化の化粧を顔に施したあの中性的な美女――シーザーだった。





