226話 「剣帝交道」
立ち姿を、祖父から伝え聞いたことがある。
それは歴代エルイーザ家の当主から次期当主へ、脈々と語り継がれてきた口伝の中の姿。
「……ああ」
彼女は必ず、剣を中段に構える。
〈帝式〉と呼ばれる、彼女が〈剣帝〉と呼ばれるようになってから名付けられた複数の型に、最速で移行できるフラットな状態。
足は肩幅、腕には必要以上の力を込めず、脱力に近い状態でとどめながら切っ先は微動だにさせない。
――おじいさまの言うとおりでした。
彼女がその魔剣で支配している間合いが見える。
正面に対峙すれば彼女が尋常でない剣士であることは如実に理解できただろう。
それでいて彼女の背中は女性とは思えないほど大きく感じられて――
「今は、私と共に戦う彼らはいないけど」
きっと彼女は、その背に多くのものを背負って暗黒戦争時代を生き抜いたのだろう。
瞬きの狭間に、彼女の背中を守る〈三八天剣旅団〉の団員たちが見えた気がした。
「イース=エルイーザ」
エルマは自分たちとシン=ムの間に立ったその女性に、声をかけた。
「あなたのおかげで、私は今ここにいる」
「……『あなたのせい』とは言わないのね」
それが聞けただけで十分だとでも言うように、イースは一度ゆっくりと目をつむった。
「じゃあ、今度は私にあなたの可能性を見せて。私が子を為したことが正しかったと、私に教えてちょうだい」
「――無論だ」
サイサリスに来て、やはりいつもと同じように、目まぐるしいまでの時代の暴流の中にいることを実感する。
リンドホルム霊山のときも、ザイナス荒野でムーゼッグとはじめて戦ったときも。
ヴァージリアで死神に出会ったときも、レミューゼで新たな魔王たちを迎え入れたときも。
それでも今日この瞬間は、今まで以上に、自分にとって大きな転換点なのであると、エルマは確信していた。
「シャウ」
「はい、なんでしょう?」
エルマが一歩前に出ながら珍しく素直に彼の名を呼んだ。
「――行ってくれ」
「……」
それがなにを意味するのか、無論シャウにはわかっていた。
シャウは一度視線を斜め上にやって、それからぽりぽりと頬を掻き、最後にため息をつく。
「私、あとでメレアに怒られると思うのですが、そのときうまいこと口裏合わせてくれます?」
「ああ、いいだろう。これは私のわがままだからな」
エルマが魔剣を引き抜きながらうなずく。
「あと、この調子だとたぶんここからいろいろ面倒なのが出てくると思うんですが、さすがに私も全員の面倒は見切れないので」
「早めに追いつこう」
「……はあ。あんなよくわからない化物を前にしてそう言えるあなたはやっぱり戦闘狂ですよ。戦いの腕を売るという意味で傭兵という職業自体は向いていたのでしょうけど、商売人には向いてませんね」
命あっての物種、と付け加えてシャウはげんなりした表情を浮かべる。
「……わかりました。とりあえず私たちはジュリアナ嬢たち後発組との合流を最優先に動きます。それからサイサリスの動きを見つつ、最終的には対ムーゼッグの体制を整えることを優先に」
「細かいことは任せる。サルマーンも回収していけ。あいつが〈魔王の剣〉の長だから、もろもろの判断はお前たちに任せる」
「では、最後に」
シャウはふとまじめな表情を浮かべて言った。
「私、さすがに怒り狂ったメレアは止められないので、頼むから死なないでくださいよ」
「ハハ、無論だ」
エルマはほんの少し背後のシャウたちを振り向いた。
その口元にはかすかに笑みがある。
「クリア=リリス」
「なんでしょう」
「私の仲間たちを頼んだ。あなたにとっては直接関係のない者たちかもしれないが、もしかしたらここにいる誰かがあなたたちの孫を生むかもしれない」
エルマの言葉に、〈土神〉クリア=リリスは少し目を丸くした。
「ああ、ああ、なるほど、その帰結は盲点でしたね。そうなると確かに、あの子を慈しむのと同じように、あなたがたを守る必要性が感じられます。まあ、その考えでいくと、あなたもまた守らねばならない一人なわけですが」
「私は大丈夫だ。私は自分の力でメレアと並び立つと決めた。あのザイナス荒野で、メレアを一人送り出さねばならなかったとき、そう決めたんだ。だから、私は大丈夫だ」
〈土神〉クリアはその言葉を聞いてエルマの背中をじっと見つめる。
そしてどこか嬉しそうに小さく笑って、こう言った。
「あなたみたいな子こそが、あの子にふさわしいのかもしれないと思ってしまうのは、余計な老婆心でしょうか」
そう言ってクリアは術式を展開する。
黒い神土で形成された尾を複数展開し、その場にいたほかの魔王たちをがっしりとつかむ。
「えっ⁉ やっぱりまたですか⁉」とシャウが上ずった声をあげたが、次の瞬間にはクリアが全員を抱えてその場から跳躍した。
「……さて」
その場に残ったのはエルマとイース。
そして傷だらけの剣を携えた〈剣魔〉シン=ム。
「顔、赤いわよ」
「ぬあっ⁉」
剣の頂きに君臨する怪物を前にして、イースが噴き出すように笑った。
「あなた、〈土神〉にあんなこと言うもんだから男女関係に関しては達観してるのかと思ったら、中身は初心な少女だったわけね」
「よ、余計なお世話だ!」
「まだ男を知らない、と」
「誰かの残した魔剣のせいで戦ってばかりいたからなっ!」
「私もそうだったけど、私はちゃんと子を為したわ?」
「ぐ、ぐぬぅ」
「あはは、孫をからかう祖母の気持ちってこんな感じなのかしら」
そこでついに、イースが〈剣魔〉シン=ムとの距離をさらに一歩詰める。
「もういいのか」
シン=ムはそれまで自然体のまま事が過ぎるのを待っていたが、イースが一歩近づいたのを見てわずかに顎を引いた。
「あなたもいつまで経っても不器用ね。まあ、だからこそそういう役回りを選んだんでしょうけど」
「……」
「でも、私が最後に会ったときと比べると、いくぶん大人しくなった気もする」
「……そうか」
「あなたがあの霊山で出会った〈英霊の子〉が原因かしら」
「どうだかな」
シン=ムは一度ゆっくりと目をつむった。
その様子を見てイースは楽しげな笑みを浮かべる。
「私は子を為した。死ぬときに未練がなかったと言ったら嘘になるけど、子がいたからこそ薄れたものもある。だからきっと、あの霊山には引かれなかったんでしょうね」
「……」
「あなたが未練を断ち切って天に昇れた理由はなに? あの霊山で〈英霊の子〉と出会って、どんな未来を見たのかしら? この戦いで私たちが勝ったら、その理由を教えてくれる?」
そしてイースは身を弾く。
〈剣魔〉と〈剣帝〉。
時代に名を遺した二人の〈魔王〉が、再びその地で剣を交えた。





