225話 「剣魔霊道」
サルマーンが勝つ。
至近距離からの魔弓による一撃を防いでみせた時点ですでに趨勢は決した。
そう、エルマは思っていた。
「っ、伏せていなさい」
背筋に悪寒が走ったのと、後ろから〈土神〉クリア=リリスの警告の言葉が聞こえたのは同時だった。
「ぬあっ」
後ろから強引な力で組み伏せられる。
なにごとかと抗議の声を上げようと振り返ろうとして――
「っ、サルマーンッ‼」
その前に遠く見えるサルマーンと弓帝との形勢が逆転していることに気づいた。
拳を振りぬこうとしていたサルマーンの腕が切り離されている。
「……よりによってあなたがそちら側ですか」
すると、またクリアが口を開く。
後ろに視線をやると、そこには今にも擦り切れそうなローブを羽織った一人の男が立っていた。
「――〈剣魔〉シン=ム」
その名を聞いて、エルマの肌が粟立った。
◆◆◆
「いってぇなクソが……‼」
なにが起こったのか把握できない。
〈弓帝〉ヘルガ=ヘイズロードに向けて拳を繰り出そうとしていた手が、手首のあたりで切り離されている。
――落ち着け。
目の前のヘルガも目を見開いて驚いている様子だ。
彼女の仕業ではない。
「ゼスティス!」
切り離された手はあまりにもきれいに斬られたためか、吹き飛ばずまっすぐ地面に落ちようとしている。
サルマーンはそれを足元に落ちる前に逆の手で拾い、すぐさま切断面を切られた手首に押し付けた。
「なに……が……」
ヘルガは混乱している。
その様子を横目に捉えながら、サルマーンはゼスティスが切り落とされた手をきれいにつなぎなおしたのを感じた。
「いよいよ俺もメレアのことをとやかく言えなくなってきたな」
心の中でゼスティスに礼を言いつつ、口で皮肉をこぼす。
その数秒後、今度はまた別の人物がサルマーンの至近に現れた。
「ほう、なかなかどうしてメレアの仲間もずいぶんでたらめな力を持っている」
弾ける白雷。
白皙の面皮。
振り向いたそこに、いつか芸術都市ヴァージリアで一瞬だけ見た『書物の中の英雄』を見る。
「……〈雷神〉セレスター=バルカ」
本格的にこの戦場に混迷がやってきた。
サルマーンはそう思うと同時、その混迷が果たして自分たちに良い顔をしてくれるのかどうか、まだどうにも判断ができなかった。
◆◆◆
「さて、状況は飲み込めたか?」
「笑えねえ冗談だなおい……」
「半分は冗談だが、少なくとも敵意の有無はすぐに見抜けるようになった方が身のためだぞ」
〈雷神〉セレスター=バルカの亡霊が真顔で言う。
サルマーンは苦笑をどうにか浮かべるので精いっぱいだ。
「さて、どうしたものか。まさかシン=ムが出てくるとは思わなかった」
その名も聞き覚えがある。
セレスターとは違って書物には載らない英雄の名前。
大きな戦で功績を挙げたわけでもない。
世界の仕組みを変えるような偉業を成し遂げたわけでもない。
ただ、人知れず『剣の道』の頂きにたどり着いた求道者。
「まずはそれを解け。お前はもう十分戦った。これ以上それを現界させたままだと、レイラスの二の舞になる」
サルマーンの背部に展開された光輪が少しずつ歪んでいっている。
セレンと戦ったときと同じようにゼスティスが『神の修正式』を中和している様子が見て取れるが、徐々にその対抗術式が間に合わなくなっているようだった。
「目の前に敵がいる状態じゃ無理だな……」
「ふむ」
すると、セレスターが数歩先で尻もちをついている〈弓帝〉ヘルガに目を向ける。
「お前ももう休むと良い、現代の弓帝よ」
セレスターが指を鳴らす。
指先から雷電が迸って、バチリ、とヘルガの首筋で弾けた。
「あっ――」
「次に目覚めたとき、しがらみだらけのお前の身が少しでも軽くなっていることを願おう」
ヘルガの意識が一瞬で刈り取られる。
サルマーンがあっけにとられていると、セレスターが再び向こうを見ながら言った。
「気絶させただけだ。私は亡霊。今を生きる人間の命は奪わない」
「ハッ、もうなにを信じたらいいのかわからねえよ、こっちは」
ヘルガの気絶と同時、ついにサルマーンがゼスティスの顕現を止める。
背の光輪がふっと消え失せ、急に襲い掛かってきた疲労に身を任せるようにサルマーンは膝をついた。
「〈雷神〉セレスター=バルカ。あんたは俺たちの味方か?」
「味方でも敵でもない。だが少なくとも、〈死神〉に操られた同志たちの敵ではある。まあ、そうすると自分自身が敵になる可能性もあるわけだが」
サルマーンはその言葉を聞いてまた〈死神〉ネクロアを恨んだ。
この〈雷神〉が敵である状態は望んではいないが、味方にも敵にもなりうるという『判断ができない状況』も、自分たちにこれ以上ない緊張を強いる。
「さて、どうしたものか。フランダーからの指示もないが――」
すると、今度は遠くの方で空に光が舞い上がった。
まるで、かつてシャウが取り寄せてマリーザがしれっと打ち上げた異国の『花火』のような光。
夜空に散った色とりどりの光を見て、ふとセレスターがうなずく。
「やはり一番人を育てることに厳しいのはお前なのかもしれないな、フランダー」
その真意のすべてはわからなかったが、なんとなくサルマーンはかつてメレアが口にしたこんな言葉を思い出していた。
『なんだかんだ一番修業が厳しかったのはフランダーだったよ』
◆◆◆
〈剣帝〉の名を持つエルマは、同じ系統の号を持つその〈魔王〉のことを知っている。
初代剣帝イース=エルイーザの残したわずかな手記の中で、その男は最も剣の道の頂に近いと言われていた。
――イースはもともと一介の剣士だった。
彼女が魔剣クリシューラを作り、剣帝と呼ばれるまでになったのには、〈剣魔〉と呼ばれたその男が関係している。
彼女は、〈剣魔〉シン=ムに出会って、剣士として最強になることを諦めた。
「シン=ム、あなたは今がどんな状況かを把握していますか?」
突然の剣魔の登場に身動き一つ取れずにいたエルマたちを遮り、唯一平静を保っていた〈土神〉クリアが訊ねる。
「……」
シン=ムと呼ばれた男は答えない
クリアの顔に怪訝な表情が灯る。
「まあ、なんとなくは」
一拍を置いて、帰ってきた男の声音はひどく静かだった。
「向こうの〈拳帝〉の末裔の手を斬り落としたのはあなたですね。相変わらずでたらめな剣を振るう」
「見えたから斬っただけのこと。そして斬らねばならぬと体が勝手に動いた」
見えたから斬った。
ここからいったいどれだけサルマーンの場所まで距離があると思っている。
「まさしく斬撃を飛ばすという表現が似合いますが、それが意識的な術式によるものでないことに、いつものことながら私たち術士は頭を抱えざるを得ません」
「斬ろうと思ったものを斬る。ただそれだけのことだろう」
もはやエルマたちには会話の中身が理解できない。
「シン=ム、正直わたしはあなたとは戦いたくないのですが」
ふとエルマはクリアが手の中に術式を編んでいることに気づいた。――臨戦態勢だ。
これまで明確な戦闘姿勢を見せてこなかった彼女が、ここにきて万全を期すような術式編成を行なっているのを見て、エルマの中の警戒心は頂点に達した。
「……そこの女」
と、そんなクリアをよそ目にシン=ムがなにかに気づいたようにエルマに声をかけた。
視線の先にはエルマの腰にぶら下がる魔剣クリシューラ。
「それはイース=エルイーザの剣か」
「っ、私の祖先を知っているのか」
「祖先? ……そうか、あの女に子がいたか。無論、覚えているとも。どこかの戦場で倒れ伏すまで、会うたびに私に挑んできた女のことは、さすがに覚えている」
その言葉でエルマはイース=エルイーザの手記が正しかったことを確信する。
「悪くない腕だった。……特筆して良くもなかったが」
ほとんど人としての限界を超え、剣士として頂に君臨した〈剣魔〉からすれば、そうなのだろう。
そのことを頭では理解しつつ、それでもエルマは自分の腹の底ではなにか熱いものが蠢くのを感じた。
「……お前はどうなのだろうな」
と、シン=ムが剣を持っている右手にわずかに力を入れたのを捉える。
同時、〈土神〉クリア=リリスが目にもとまらぬ速さで術式を発動させ――
「言ってくれるじゃない、シン=ム」
二人の攻防が始まろうとした瞬間、高速で横から乱入してきた何者かが、シン=ムの掲げようとした剣をその手に持った美しい剣で激しく叩いた。
一瞬の攻防の中ではだけたフード。
中から現れたのは艶のある長い黒髪。
その瞳はエルマと同じ濃い紫色をしている。
「こんな機会めったにないから、もう一度あなたに挑戦しようかしら」
エルマたちとシン=ムの間に突如現れたその女剣士は――
「――イース=エルイーザ」
かの魔剣を生み出した初代〈剣帝〉にしてエルマの祖先――イース=エルイーザその人だった。





