221話 「かつて投げかけた言葉を、今再び口にしよう」
「どちらにも簡単に勝って欲しくない〈死神〉、か。……なるほど、それが確かならつじつまが合う」
シャウの説明にその場のほとんどの魔王たちはきょとんとしたが、唯一〈盗王〉クライルートだけは顎に手をやって納得したようにうなずいていた。
「ええ、赤毛泥ぼ――あいや、クライルートさん、あなたのおかげで自分の予想に確信が持てました」
「わざわざ言い直さなくていいよ……ここの魔王たちは本当に意地の悪いのが多いね」
「あなたもそのうち慣れますよ」
軽口もほどほどにシャウが続ける。
「おそらくあの男は、場がめちゃくちゃになることを望んでいる」
すなわちそれは混沌である。
あくまで予想に過ぎないが、シャウには確信に近いものもあった。
「ヴァージリアでの逃走劇の最中も、あの男は隣に〈雷神〉セレスター=バルカらしき英霊を備えておきながら、こちらを無理には追わなかった。……というより、意図的に私たちを逃がしたようにも思える」
あのときメレアはもう一人の英霊の名を叫んだが、その姿は確認していない。
だからシャウはその最も有名で、もし敵になったとしたら最も嫌な相手になる男の名を口にしなかった。
「無論、当初あのネクロアという男はムーゼッグに組していました。しかしあのとき私たちを逃がしたことで、『殿下殿下』とうるさいセリアス=ブラッド=ムーゼッグの腹心らしき人物――ミハイとか言いましたっけ――彼に怒号をあげられるくらいには微妙な関係だったみたいですが」
たしかに、芸術都市ヴァージリアでの逃走劇の最終幕ではあのミハイという男がネクロアに敵意を見せる瞬間があった。
「結局のところ彼らの協同態勢が今になって決裂したのでしょう」
「それはムーゼッグが力を強めたからか? お前の理論でいうと、ムーゼッグが強くなりすぎることで世が平定されることを嫌がった、と」
理解できない、という体でエルマが息を吐く。
「そんなところでしょうね。どこか一つが抜きんでれば、どんな形であれ混乱は起きにくい」
「……ひとまずお前の予想が当たっていることにしよう。だが、それにしたってどうしてこんなにも英霊を降ろす? しかもサルマーンとその祖先を合わせるなど――」
「それこそ簡単なことですよ。今エルマ嬢が自分で言ったじゃないですか」
シャウがいつものように手の中で金貨を弄びながらなにげなく言おうとしたところで、それまで静かに話を聞いていた〈土神〉クリア=リリスがきょとんとした顔で言った。
「それは、あなたたちやこのサイサリスという国が、今なおムーゼッグよりも弱いからではないのですか?」
◆◆◆
クリアが「なにを今さら」というような顔で言った直後、シャウが隣で「あちゃー」と頭を抱えた。
「……」
一同の間に沈黙がよぎる。
「あ、あの、クリア様? 私たちは確かに虐げられたり馬鹿にされたりすることには慣れていますが、一応それなりに気を遣って欲しかったというかなんというか」
シャウが横からフォローするが、クリアはやはりわけがわからないという顔だ。
「メレアの率いるその――〈魔王連合〉でしたっけ――と、このサイサリスという国の力を合わせてなお、ムーゼッグが簡単に勝つと思っているから、〈死神〉は私たちをこうして自由な状態で放しているんではないでしょうか」
メレアの親である英霊たちは、当然メレアの率いる〈魔王連合〉の味方をする。
そしてメレアに関わりがない英霊たちも、もし自分の末裔が滅びの一途にあるのなら、それをなんとかしたいと思うのが正直な心情だろう。
「方法はおのおの異なるでしょうけど、少なくとも自分の末裔を生き残らせるために、英霊たちは手を尽くすでしょう。だから今の時代の〈魔王〉たちが、自分の祖先と出会うように仕組んでいるのではないでしょうか。そうしてあなたたちの力を短期間で鍛え上げ、ムーゼッグと互角に渡り合えるようにする」
「ほら」とクリアはまた合点したように言った。
「やっぱりあなたがたが十分に強くない――つまりは弱いからこうなっているのでは?」
暗黒戦争時代にはおそらく弱い者に気を遣う余裕がなかった。
お世辞を言って空虚な自信を持たせるくらいなら、『弱いものは弱い』と言って鍛え上げたほうが良い。
そういう人の自尊心に関わる『無駄』を、完全にそぎ落としていた者だからこそ出るまっすぐな言葉。
その場にいた魔王たちにも彼女の純粋な表情を見て、それを悟る。
「……ああ、こうしてみると僕たちは意外と恵まれた時代に生きているのかもしれないって逆に安心する」
クライルートが苦笑しながら頭を掻いた。
「……ふむ、まあしかし、あのネクロアがそういう意図でこの状況を仕向けているのであれば、そうなのだろうな。あの男はメレアとの戦いのあとのセリアスがどうなっているかも知っているだろうし、少なくとも協同態勢が決裂するまでに得た情報のうえではそういう力関係なのだろう」
エルマは悔しげにうめく。
しかしその眼の中には決意の光もあった。
「で、あれば」
そのときエルマの眼の中に、一瞬不思議な術式紋様が浮かんだ。
「今、この場で成長するしかない」
しかしそれは一瞬のことで、その場にいたほかの仲間たちが彼女の眼の変化に気づくことはなかった。
ただ一人、同じような紋様をかつてリンドホルム霊山の上で見たことがある〈土神〉クリア=リリスを除いて。
「そう簡単に行けばいいけどね。ともあれまずはサルマーンをどうするか決めないと」
「サルくん、あの中にいるんですよね?」
クライルートの言葉を受けて、シャウが黒い球体へ視線を移す。
「うん。彼の祖先であるセレン=アウナス=フォン=ルーサーの意図はサルマーンを殺すことではないと思うけど」
「ふむ……。クリア様、どう思います?」
「どう、とは?」
そこで、シャウは再びクリアに訊ねた。
「あなたなら、メレアが自分の思ったよりもあまり成長していなかったとき、どうしますか?」
「無論、鍛え直します」
クリアが間髪入れずに答える。
「そのうえで、もし成長の見込みが見えず、このままでは必ず近いうちに殺されるだろうと確信したならば?」
シャウが鋭い眼差しで質問を重ねた。
「……」
今度は少し考える素振りを見せて、クリアはこう答えた。
「わたしはそれでも、出来るだけの教えを説いてあの子を送り出します。先の見える生であっても、未来ではなにが起こるかわからない。どんなにつらい生が待ち受けていても、生き残る可能性がわずかでもあるなら、わたしはそれに懸けるでしょう」
なるほど、メレアの親らしい言葉だ。
そうシャウは思った。
「ですが」
と、そこでクリアが続ける。
「英霊の中には、どうせ近いうちに死ぬことが決まっている人生ならば、自分の手でそれを終わらせようとする者もいるかもしれません。わたしの生きた時代の死生観と、わたしとは別の時代を生きた英雄の死生観は違うこともありますから」
英雄という言葉の意味の違い。
それぞれの時代の英雄の在り方。
それもまた〈魔王〉という言葉と同じように、時代によって異なる。
「セレン=アウナス=フォン=ルーサーという英雄の考えが、はたしてわたしと同じものかどうかまではわかりません」
「――そうですか」
シャウはクリアの言葉を受けて思案気な表情を浮かべた。
「じゃあ、やっぱりあれはなんとかした方がいいかな……」
クリアの言葉に再び頭を悩ませたのはシャウだけではない。
クライルートもまた当初の自分の意見を再考する。
「――いえ、放っておきましょう」
しかし、クライルートと違ってシャウが出した結論は、クリアの言葉を受けた上での『放置』だった。
◆◆◆
――あなたはかつて、私に覚悟を説いた。
芸術都市ヴァージリアのとある喫茶店の中。
――『もしメレアが失敗したら、お前はどうするつもりだった』と。
あのとき自分は「命を懸けている」と答えた。
そこまでストレートな物言いではなかったが、今でもその覚悟は変わっていない。
そして同時に、立ち位置を変えたつもりもない。
――メレアの願う理想の実現を、命を懸けて見てみたいと思う。
そして同時に、自分もまた自分だけの理想を追い求めている。
――あなたには私に覚悟を問うだけの権利があった。
最初のムーゼッグとの戦いのときも、真っ先に命を懸けたのはサルマーンだ。
だからこそ自分もサルマーンの問いには真正面から答えた。
それが一人の人間としての矜持であったし、一応――素直に言葉にはしがたいが――仲間と認識しているからでもある。
――誰よりも先に覚悟に準じる。それがあなたの立ち位置。
仲間たちが命を懸けようとするとメレアは止める。
口では「わかっている」と言っていても、実際にそういう状況が起こったとき、メレアは大局を無視してでも目の前の仲間たちを助けにいく。
それが魔王たちの主として在るメレアの矜持であり、なによりすべての思いの根っこにあるものだ。
――しかし、時にはそれが悪手となることもある。
事実、ヴァージリアではそれが起こった。
メレアが一度だけ選択に迷ったのだ。
だからそうなったとき、誰かが彼の意向を無視してでも、大局的に魔王全体にとって良い結果になるよう身を捧げる必要がある。
それを、自分とサルマーンだけが、おそらく最も早い段階から理解していた。
――綺麗ごとだけではどうにもならないこともある。
ほかの魔王たちよりもちょっとだけ大人で、心の底ではどの魔王よりも卑屈で、だからこそ同じものが見えるから――
――メレアがここにいたら絶対にあなたを放っておかないと思いますが、ここには私とあなたしかいない。
だから、
――あなたは茨の道を行きなさい。
魔王連合の中で、メレアという象徴に命を捧げつつ、彼の道行きを別の立ち位置から支えることができる魔王として。
かつて投げかけた言葉を、今再び口にしよう。
「この程度でつまずいてもらっては困りますよ、サルくん」
◆◆◆
「セレンという男がサルくんを鍛えようとしていることは確かなのでしょう。そうでなければ、あなたたちだけが無事にこの場に残っていることはありえないと思います。そのうえで、今の私たちにはあの空間術式をすぐにどうこうする術がないのも事実です」
シャウはすぐに話題を切り替えた。
「であれば、まずは後からやってくるジュリアナ嬢たちほかの魔王連合の戦力を安全に引き入れる手はずを整えるほうが先決です。――現実的に、今できることからやりましょう」
続けてシャウは淡々と仲間たちに指示を出しはじめた。
「まずはサイサリスの西門まで行って街の中の状況を確認します。そのあと例の海賊都市勢力がやってきそうな東門へ。一応固まって動きますが、道中で別の英霊と出くわす可能性があるので各自よく注意してください」
シャウの言葉にエルマたちがうなずく。
「ジュリアナ嬢たち後発組が到着するまでまだ少し時間があるので、ひとまずサイサリス国内の状況が整理できたら引き入れの方法を再度検討します」
そのあたりでシャウはちらりと双子たちを見た。
ほかの魔王たちは自分の指示にうなずいてくれている。
少なからず自分の声音から伝わるものがあったのだろうと勝手に推測しているが、リィナとミィナに関してはそうもいかないだろう。
彼女たちは特にサルマーンに懐いている。
この場に彼を置いていくことに反対するとすれば、まず彼女たちだ。
「むー……」「むぁー……!」
「あれ?」
そう思って双子を見たシャウは、珍しく目を丸くした。
リィナとミィナは、顔を真っ赤にして今にも爆発しそうな様相ながら、それでもなにかを我慢するように、じっと自分たちのスカートの裾を握って黙っている。
「あなたたちだけは私に対して怒ると思っていたのですが……」
「金のっ!」「もじゃーめ!」
ああ、怒っている。
それは間違っていないらしい。
「でも、サルも頑張ってる!」「だからわたしたちも頑張る!」
その言葉を聞いて、らしくなく自分の眉尻が下がるのをシャウは感じた。
「ほかのみんなの安全を確保するのが先」「きっとサルもそうする」
リィナとミィナは目の端に少し涙を浮かべながら、そう言った。
「なんというか、気づかないうちに育ちましたねぇ……」
「バカにするな! もじゃーめ!」「バカもじゃー!」
再び双子に怒られ、シャウは困ったような笑みを浮かべながら金髪をくしゃりと掻いた。
――これは、抜かりなく事にあたらねば。
シャウは双子の覚悟と決意を知って、襟を正す。
「では、あなたたちも一緒に――」
そう言いかけたときだった。
◆◆◆
「お前に託すのは若干心配だぜ。お前らも嫌だろ? なあ、リィナ、ミィナ」
◆◆◆
それはまさしく――〈拳帝〉サルマーンの声だった。
 





