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百魔の主  作者: 葵大和
第二幕 【時代の奔流】
22/267

22話 「レミューゼの王子」

「父上! お考え直しください! ムーゼッグとの同盟はあまりに危険です!」


 大陸東方。ムーゼッグ王国から三つの国を(へだ)てた場所に、とある小国があった。

 ムーゼッグ王国が周辺国家を取り込み、幾人もの魔王の力を奪い、どんどんと強大化していっているという噂が、三つの国の向こう側から(とどろ)き響いてきていた時分。

 その小国の王は、まるで未来の戦乱に怖気(おじけ)づくようにして、みずから国の主権をムーゼッグ王国に引き渡そうとしていた。

 

 しかし、そんな王を止めようとする一人の若者がいた。

 名を〈ハーシム=クード=レミューゼ〉。

 その小国、〈レミューゼ王国〉の第三王子だった。

 陽光に溶け込むような明るい茶色の髪に、整った眉目(びもく)、そして吸い込まれるようなアクアブルーの瞳が特徴的な、美丈夫である。


「父上っ!」

「黙れハーシム。私は国を思って行動しているのだ」


 違う。

 ハーシムはそれをよく知っていた。

 ハーシムが声を飛ばす先にいるのは、ハーシムの父――現レミューゼ王である。

 ぶくぶくと悪い意味で肥えた身体に、身の丈に合わない長大豪奢なマントを羽織っている。

 さもそれがみずからの身体に見合うかのごとく堂々としているが、マントの尾部は床を(こす)ったせいかわずかに汚れていて、かえって品がなかった。


 ハーシムは、この男が国を思って行動するような王ではないことを確信していた。

 この父は、王たる器ではなかった。

 だが、父の兄二人が死に、奇跡的にレミューゼ王になった。


 ――あなたは私腹を肥やすことしか頭にないお方だ。


 ハーシムは知っている。

 レミューゼ王の敷いた内政が、基本的に自らの私腹を肥やすためのそれであったことを。

 租税の重量化にはじまり、自分にかしずく者たちを撫で、その他を打つ、わかりやすい選民腐敗の手腕を見せつけた。


 とかくレミューゼ王は俗物を極めたような人物であった。

 おかげで内政はボロボロである。

 優秀だった人材は自分にかしずかなかったのを理由に、どんどん理不尽に地位を奪っていった。

 ハーシムはそうして地位を追われた優秀な人材を秘密裏に(かくま)ったが、限界もあった。

 

 ――いつか必ずあなた方に(むく)いようと、私はそういったな。


 そんな彼らにいった言葉を、ハーシムは思い出す。

 だが、まだそれを実現できてはいない。

 そろそろ彼らも我慢の限界だろう。

 そんなときに、またもレミューゼ王が奇怪な動きを見せた。


「ムーゼッグ王国に下ればすべてを喰い尽くされます!! それは愚策なのです、父上! こちらから(こうべ)を垂れたとて、彼らが私たちを丁重に扱う保証がどこにあるのです!」

「バカが、普通かしずかれれば気分がよくなるだろう。ならば先に頭を下げておけば問題はない」


 ――こいつはダメだ。

 

 俗物。

 それ以下だ。

 

 ――腐っている。


 もうどうしようもないほどに。

 ハーシムをして、自分の父でありながら、レミューゼ王はすでに擁護しがたいまでの俗物に成り下がっていた。


 ――せめてあなたが現状維持くらいできる男であれば。


 ムーゼッグ王国が取り込んだ国家は、今のところことごとく潰されている。

 同盟?

 ――否だ。

 やつらは同盟と称して内密に他国を食いつぶしている。

 徐々に、(むしば)むように。


 要人が年ごとに分散されて殺されていることを知らないのか。

 そうやって、敵対すると厄介な人材を殺しておいて、地位ばかりが高く利用しやすい愚図を頂点に据えさせる。

 そうすればいくらでも利用できる。

 ムーゼッグ王はこの戦乱の時代にあって、なかなかの政治的豪腕を振るう政略家であるだろう。


 そしてなによりムーゼッグは、そういう政治的豪腕の後ろ盾になる暴力を持っていた。

 今その象徴となっているのが、『魔王狩り』によって魔王の力を集約したムーゼッグの第一王子だ。


 ――〈セリアス=ブラッド=ムーゼッグ〉。


 ムーゼッグ王国の軍隊を自ら率い、〈ムーゼッグの英雄〉の名を欲しいままにする戦闘の天才であった。

 ムーゼッグがこうして凄まじい勢いで強大化するにも、ちゃんとした理由がある。

 

 とにかく、このままレミューゼをムーゼッグに引き渡してしまえば、ムーゼッグの豪腕に対抗する内政的な力のないレミューゼは、瞬く間に食いつぶされるだろう。

 ハーシムには確信があった。

 そしてハーシムの確信は正しかった。


 だが、ハーシムは第三王子だ。

 こうしてレミューゼ王に奏上(そうじょう)したところで、取り合ってもらえるはずもない。

 ハーシムは、レミューゼ王にとって忌み子である。

 レミューゼ王は自分によく似た第一第二王子のことはよくかわいがったが、ハーシムは幼少時から優秀であったがゆえに、子に対してさえ嫉妬深いレミューゼ王は、とかくハーシムに厳しく接した。


「父上ッ!!」

「黙れハーシム! そんなに私の方針が気に入らぬのなら王にでもなってみろ!!」


 ハーシムは最後の抗議の声をあげたが、レミューゼ王はまともに取り合わなかった。

 豚のように肥えた腹を揺らし、身の丈に見合わぬ大きめのマントを(ひるがえ)し、ハーシムに怒鳴った。

 そのあとに、『どうせ無理だがな』という確信の笑みを浮かべ、ハーシムを嘲笑する。


 その瞬間、ハーシムは決意した。


 『王にでもなってみろ』


 ――わかりました。なら私が王になります。


 ついに、ハーシムの中の天秤が国家の命の側に傾いていた。


 ――あるいは、『おれ』に足りなかったのはそれを切り捨てる覚悟だったのかもしれない。


 ハーシムは一片の敬意すらを含まない低頭を見せて、(きびす)を返した。

 その様子を見てようやくハーシムが諦めたと思ったレミューゼ王は、鼻息荒く自室へと帰っていく。

 レミューゼ王の世話をする美貌揃いの侍女たちが、その豚のような身体を追って行った。


◆◆◆


 ハーシムはその日、レミューゼ王国の片隅にある小さな物置小屋の地下にいた。

 そこはかぎられた者しか知らない秘密の場所。

 

 〈ハーシム=クード=レミューゼ〉を(した)う者たちしか入れない、叛逆者(はんぎゃくしゃ)たちの秘密の集会所。


 ハーシムはそこの小汚い椅子にどっと座りこんで、大きなため息をついていた。


「――だめだった。……すまないな」


 ハーシムが言う。

 ハーシムの座った椅子の対面に、長テーブルを(へだ)てて十人ほどの男と女が座っていた。

 その中の美髯(びぜん)を生やした中年の男が、指でその美髯を撫でながらため息を吐いて、ふと言葉を浮かべた。


「結局最後まで豚でしたか」

「我が父ながら、あれは俗物以下だな。俗物の中でも最底辺だ」

「はは、どうやら今日のハーシム様は特に機嫌が悪いようだ」


 美髯の男は軽く笑った。

 対し、ハーシムは王族というわりに質素な飾り付けのマントを面倒くさそうに座りながら脱ぎ去り、歩み寄って来た一人の侍女に手渡す。

 昔からずっと自分の世話をしてくれている、有能な侍女だった。

 決して特段に相貌が優れているわけではないが、あのレミューゼ王に飼われている美貌だけが取り柄の木偶(でく)よりも、ずっと人間的に有能である。

 ハーシムは彼女を重宝し、同時に寵愛もしていた。


「ありがとう、アイシャ」

「お疲れのようですね、ハーシム様。紅茶をお入れいたしましょうか」

「頼むよ」

「元気が出るように、秘密のおまじないを込めておきますね」

「げろまずい薬草がおまじないか。ずいぶん現実的なおまじないがあったものだ」

「最近可愛げがないですよ、ハーシム様」

「悪かったよ」


 ハーシムは侍女に軽く笑みを入れ、しかしすぐに姿勢を正して椅子に座り直した。


「端的に言おう」


 そう前置いて、ハーシムは長テーブルの向こう側にいる男と女たちに言う。


「――おれが王になる」

「――なんと」


 それは、


「クーデターでも起こすのですか?」

「ああ。もうそれしかないだろう。これまでずっと我慢してきた。どうにか父を説得できないものかと、長年奮闘してきた。――だが何も変えられなかった。おれには口の力がない」

「ハーシム様に弁舌の力がないのではありません。あの豚に言葉を理解する頭がなかったのです。豚は人間の言葉を理解しませんからな」

「そうかもな。長兄と次兄にも根気強く訴えてきたが、彼らも同様だ。レミューゼをムーゼッグに売ることになんら疑問を抱いていない。そもそもその意味を理解していない。ぼうっとして、父が為すことを手放しで賞賛するだけの壊れた人形だ」

「実に的確な表現だと思います」


 ハーシムがぐしゃぐしゃと髪をかき乱した。

 それは普段冷静なハーシムをして、最大限の苛立(いらだ)ちの表れだった。


「おれは血縁を手にかける。死んだあとは地獄行きだろうな」

「いいえ、あなたが王になってレミューゼ王国を救ったのなら、むしろ極楽へお行きになるでしょう。人の命を等価とするならば、失ったよりも多くの命を救うことで、あなたの行為は正当化される」

「目的論は好かん。行為を正当化する目的論は危険だ」

「ですが、今の世はそれくらいの気概(きがい)がなければ精神を病んでしまいます」

「……それもしかりか」


 美髯の男の言葉に、ハーシムは低く(うな)った。


「だが、もう決めたのだ。とかく、おれは父と兄を魂の天界に送るぞ。――あなた方はおれについてきてくれるか?」


 ハーシムの問いに、長テーブルの向こう側にいた者たちは強い頷きを返していた。


「どこまでも、お供いたしましょう。私たちを拾ってくださったのはあなただ、ハーシム様。あなたが頭を下げてまで私たちを引きとめねば、私たちは他国へ逃れていた。この国に未練だけを残して」

「……ああ」

「これでも私たちはレミューゼで生まれ育ち、レミューゼを愛していた」

「本当に、申しわけなく思うよ」

「あなたのせいではありません。とにかく、優しさと、貫きがたい甘さをそれでも貫こうとした歴代のレミューゼ王には、子供ながらに憧れたものです」

「優しさと甘さ……か」


 ハーシムは小さく笑った。


「仕える国に裏切られた魔王を(かくま)おうとして身体を張ったのは、かつてのレミューゼ王国だったな。かつての、気高かったころのレミューゼ」

「今でもまだ、国民にはその血が流れています。しかし、国の動きを決めるのは王だ。王があれでは、私たちは動きようがない。なまじ近い時代まで、レミューゼがバカだと揶揄されるほどに気高かったのが、かえってまた民の反意を削いでしまっていたのかもしれません。――そして、なによりも、ハーシム様がいらっしゃった」

「おれか?」

「そうです。ハーシム様ならばきっと王家の腐敗をどうにかしてくれると、そう思うがゆえに、国民は革命を控えたのでしょう。ハーシム様が王の目を盗んで、どうにかぎりぎりのところ国の行政を保たせていることを、一部の民は知っていました。それが徐々に、ゆっくりとではありますが細部にまで伝わっていき、いまやハーシム様に最後の希望を乗せる者までおるほどです」


 美髯の男がまっすぐにハーシムの目を見据えて言う。


「ともあれ、一度民側から革命が起これば国内の情勢は荒れます。今の王は邪魔だが、王という抑止力が無ければ民にもまともでいられない者がでるだろう。そんな危機感も持っていたのです」

「頭があがらないな、この国の民には」


 ハーシムは自嘲し、次いで力強い光を瞳に()せた。


「おれがクーデターを起こし、王になったとて、状況が悪いことに変わりはない。まだ〈三ツ国〉が間にあるが、手をこまねいていればいずれムーゼッグはそれらを制圧し、こちらにまで魔の手を伸ばしてくるだろう。とてもではないがムーゼッグとまともにやりあったら勝てない。やつらの軍事力はたしかなものだ」

「ならば、いかがいたしますか」


 美髯の男の問いに、ハーシムはあらかじめ答えを用意していたかのように、すぐに答えた。


「今、各国で〈魔王狩り〉が横行しているらしい」

「例の、ですね」

「戦乱が激化したのが原因だろう。ムーゼッグの王子が魔王の力を使いはじめたのも原因の一つか。ともかく、おれたちの物資を全て利用しても、それ以上の早さで大きくなるムーゼッグには敵わん。そこでおれは、かつてのレミューゼの『甘さ』を今再び貫こうと思う」

「――魔王を(まね)き入れますか」

「……ああ」


 ハーシムは頷いた。


「居場所のない魔王たちに、居場所を与える。その代わり、レミューゼを守るために力を貸してもらう。強制はしない。――これは取引だ」

「魔王がすべて公明正大な者であるとはかぎりませんよ。彼らの中にはたしかに『悲劇の英雄』の末裔である者もいますが、たとえそうだからといってその末裔までも英雄的であるとはかぎりません。非常に悪質な魔王である可能性も依然として存在します」

「その判断は、おれの目をして為すしかないな」

「もし判断をあやまれば、レミューゼは内側から食いつぶされます」

「わかっている。だがな、放っておいてもいずれレミューゼは外側から喰われる。ならばいっそ、過激な手を取るのも一つの方策であると、おれは思うのだ」

「それもしかり、ですな」

「おれを信じてくれとしか言えん。だから、今再び頭を下げよう」


 ハーシムは言うや否や、椅子から立ち上がって長テーブルの前で頭を垂れた。

 国の王族が、その国の民に頭を下げたのだ。


「おれに付き合ってくれ。もし失敗したら、ともに死んでくれ。失敗させるつもりはない。だが、それを言わないのは不公平だ。だから、その場合の事実も伝えておく。――おれと死んでくれ、と」


 長テーブルの向こう側の男と女たちは、ハーシムの姿を見て、こう言った。


「喜んで、ともに死にましょう、ハーシム様。あなたとともに死ねるのなら、それも悪くないと、そう思います」


 彼らの言葉を受けてハーシムは前を向く。


「ああ。だが、死なせない。おれもレミューゼを存続させるために命を懸ける。そしておれも生きる。国のために死ぬというのはロマンチズムとしては悪くないが、レミューゼのその後が安泰になるまでは、おれは死なん。意地でも生きてやる」

「それでこそ、世に珍しい叩き上げの王家反逆者でございます」


 美髯の男がそう締めくくった。


 その日、メレアたち魔王一行が逃げ出したリンドホルム霊山から遠く離れたレミューゼ王国で、とある叛逆の一幕があがっていた。

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