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百魔の主  作者: 葵大和
第十五幕 【天に掲げよ、その名の意味を】(第四部)
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214話 「金貨のさざめき」

 ――どうして、人は争うのか。


 それは、自分ではどうしようもできない欲があるからだと少女は思う。

 

 ――欲を満たさなければ、人は健全に生きていけない。


 ただ無為に、なんの欲も満たさずに生きることはできない。

 仮にできたとしても、それは生きているとは言えない。


 ――だから、ここに()()()()()()()()()欲の目的とする教えが生まれた。


 (きよ)いかどうかは実際のところよくわからない。また同時にどうでもいい。

 しかし、貧しさを満たすことで欲の充足とする逆転の発想は、なかなかどうして悪くないのではないかと思う。

 基本的に欲はなにかを得ることを求めるが――


「サイサリスの教えは、欲を捨てることを欲とする。……言葉遊びにしては出来が悪いが」

「どうされました、アリシア様」

「……いや、なんでもない」


 サイサリス教皇〈アリシア=エウゼバート〉は薄い苦笑交じりに答える。


「あまり独り言をおっしゃらないあなた様が、珍しいではありませんか。私、なんでもないことはないと思うのですが」


 隣には無邪気そうに首をかしげる丸眼鏡の男がいた。


「こうしてわたしの内面にずけずけと入り込んでこようとするのはいまやお前だけだ」

「あなた様を孤独にするわけにはまいりませんから」


 くすんだ黄土色の髪。

 見目は悪くないが、特段に良いわけでもない。

 まっしろなサイサリスの神官服を着ていなければ、どこにでもいそうな男だった。

 アリシアは苦笑とため息を返しながら、改めて男の顔を見る。


「お前は年のわりに若いな、ザイムード」

「それは褒め言葉と受け取ってよろしいのでしょうか?」


 そういって再び手元の陶器から淡いピンクの液体をカップにそそぐ丸眼鏡の男。

 名をザイムードといった。


「元は一信徒に過ぎなかったお前が、いまや上級神官とはな」

「これもサイサリス神の(おぼ)し召しでしょう」


 ――本当のサイサリス神は人に物を与えない。


 それは地位という権力に関しても同じだ。

 心の中でつぶやいて、アリシアはふと視線を周りに移す。


「この部屋もずいぶん豪勢になったものだ」


 サイサリス城の最上階の一室。

 いまだに質素な清貧街が存在するこのサイサリス教国の中で、不似合いにもきらびやかに屹立する皇城の、一等贅が尽くされた部屋。

 家具や調度品はもとより、壁や床に使われている石材も北大陸の奥地からわざわざ取り寄せた希少な鉱石だという。

 日の光を溜めこみ、夜に淡く燐光を発するその壁は、寝室に使うには妙な雰囲気が出てうっとうしいので、もっぱら寝るときは別の部屋を使う。


「贅は尽くさなければ。サイサリスを守るためには」

「……」


 この内装はザイムードの提案によるものだ。

 大国の主たるもの、人々に憧れられる存在でなければならない。

 憧れは求心に繋がる、と。


「本当にお前はサイサリスの信徒なのか」

「もちろんです、教皇様」


 わざとらしく肩をすくめてザイムードがカップを差し出す。


「清貧なまま生き永らえるほど、今の時代は優しくありません。ご辛抱を。すべてが終わって平和になった暁には、再び清貧を取り戻しましょう」


 そういってザイムードは向かいの椅子に目くばせをする。

 アリシアは適当にうなずいてザイムードの着席を許した。


「ふう」


 正面に坐したザイムードを見て、改めてアリシアは思う。


 ――なぜわたしはこんな男を傍に置いているのだろうか。


 少し、彼に似ているからだろうか。

 年齢は一回り違う。

 さきほど自分で言ったように見た目は若々しいが、ザイムードはとうに三十を越えた身だ。

 髪は同じ系統の色だがややくすんでいて、磨き抜いた金貨のような澄んだ輝きをしていた彼の金髪とは似て非なるもの。


「お前は目が悪いのか?」

「まあ、そこそこに」


 眼鏡の淵の中には薄くレンズが見える。

 昔、まだ子どもだったころ、『大人っぽく見えるから』という理由だけでレンズの入っていない伊達眼鏡をかけていた彼とはそこも違う。


 ――そんなところが逆に子どもっぽかった。


 祖国を失ってからの彼はあっという間に大人になってしまったけれど、あの戦争の前までは、本当に彼は子どもっぽかった。


「どうしてお前はわたしの傍にいるのだろうな」

「私が望んだからでしょうか」


 そう照れくさそうにいうザイムードもまた、年に似合わず子どもっぽい。

 

「それが本心だとは言わせんぞ」

「本心ですよ? あなた様の(まなこ)ならそれくらいおわかりでしょう」

「……どうだかな」


 心が、見える。


 人の考えが。

 その欲望が。

 おぞましいまでに肥大した自我と、それで覆い隠された臆病な本当の心。

 そう、いつもなら相手の目を見ただけですべてが見える。


 ――それがわたしの受けた呪い。


 サイサリス教皇――〈心帝〉アリシア=エウゼバートの呪い。


「わたしにはお前の心が見えない」

「ご冗談を」


 冗談ではなかった。

 なぜかこのザイムードという男には、〈心帝〉が受け継ぐ生得秘術――〈心帝の魔眼〉が効かない。


「まったく気味が悪いな」

「であれば、どうぞお傍から離していただければ」


 そう言ってのけるザイムードの顔は真面目そのものだ。

 アリシアはそのまっすぐな目を見てバツ悪そうにカップの中の液体を飲む。


「そういうところがまた、気味が悪い」

「はあ……毎度のことながら私にどうしろと……」


 こちらが聞きたい、とアリシアは心の中で思った。

 なぜか自分はこの男を傍から離せない。

 置いたカップが机に当たってカチャリを澄んだ音を鳴らした。


「まずいな」

「おかしいですね。かの流行に厳しい芸術都市ヴァージリアにおいて今流行りの桜草の紅茶なのですが」

「あの国に住まう連中は回り回って趣向をこじらせているからな」


 そんなことを言うといつも隣で『彼女』が頬を膨らませた。


 ――キミは芸術というものをわかってないなぁ。


「……シーザーはどうしてる」


 ふとアリシアがザイムードに訊ねた。


「……アリシア様、まだあの者を気にしていらっしゃるのですか?」


 その名前を出すとザイムードの顔が怪訝そうに歪んだ。

 〈心帝の魔眼〉など使わずともその名前を持つ者を毛嫌いしているとわかる表情だ。


「いかにアリシア様の馴染みの者とはいえ、あの者はサイサリスに対して離反的行為を繰り返しすぎです。しかるべき罰を与えなければ周りの者に示しがつきません」

「それはわかっている」

「あなた様は今やかのムーゼッグと唯一対抗できる大国の主であらせられる。主には主のあるべき姿があるゆえ、辛抱してください」

「……」


 目的のための取捨選択。

 ザイムードの言うこともわかる。

 しかし彼女の姿を思い出すたび、なぜだか胸が引き締められる。


「ムーゼッグと対抗できる唯一の大国……か」


 〈心帝〉アリシア=エウゼバートはおもむろに目を伏せた。

 黒い前髪の隙間で、長いまつげが艶やかに上下した。


◆◆◆


 しばらくすると、部屋の扉が誰かにノックされた。


「誰だ」

「教皇様、来客でございます」

「来客?」


 時刻は夜。

 三度目の鐘が鳴り、敬虔な信徒はそろそろ床についてもおかしくない頃合いだ。


 ――部下というならまだしも、来客とはな。


「アリシア様」


 ふとザイムードが意味深な視線をアリシアに向けた。


「誰だ」


 アリシアはその視線にうなずきを返し、扉の外の部下に訊ねる。


「ウェスティア商会の者と名乗っております」

「ウェスティア商会……」


 たしかにその商会とは近頃交易協定を結んでいる。

 サイサリスの上流区画に拠点を置かせるかわりに、取引益のいくらかを上納させる契約だ。


「先日の協定の件で、至急相談がしたいと」


 ウェスティア商会の頭取は例によって金にはうるさい。

 一定規模を超える商会の頭取ともなれば当然のことだが、かといってわがままを言うだけの男でもなかった。

 

 ――大国との取引の仕方を心得ていると思ったのだがな。


 抜け目のない交渉力。相手が強大であれば強請りじみた交渉もできないし、かといって頭を下げるばかりでは利益を得られない。

 互いに益のある地点を正確に見極め、その範囲内でできるかぎり自分たちに有利な条件をもぎとる。

 アリシアにとっては、〈心帝の魔眼〉をもってしてもなかなかどうして手ごわい相手であった。


「それがいまさら、一度締結した協定に文句でも言いにきたか」


 ふっと苦笑をもらしてアリシアは席を立つ。


「アリシア様、危険です」

「危険? ザイムードはおもしろいことをいう」


 アリシアはザイムードのほうを振り返って告げる。


「今、わたしの周りには何人の魔王がいると思う」


 その脳裏に幾人もの〈魔王〉の姿が映った。


「わたしを大国の主と称したのはお前だぞ、ザイムード」


 大国の主には、取るべき姿勢がある。

 最近少し、それがわかってきた。


「たかだか一商会の使者ごときにひるんだとあっては、今のわたしの地位が揺らぐ」


 特に、同じように魔王を集めている者がいるこの時勢では。


 ――〈白神〉に後れを取るわけにはいかない。


「ではせめて、私の同席をお許しください」

「……まあ、それくらいであればいいだろう」


 しかたなく同席を許すと、ザイムードも襟を正して立ち上がった。


「いずれにせよ、〈弓帝〉がいつものごとく窓の外から矢先を向けている」

「そうですね。あの者であればたとえどれだけ距離が離れていようと、一瞬で敵を仕留められるでしょう」

「はは、まだ敵と決まったわけではないがな」


 またアリシアは苦笑をこぼす。


「まだわたしはこんなところで倒れるわけにはいかない」

「……はい」


 一歩、アリシアがその小さな足で床を踏みしめる。


「滅びかけのレミューゼでは、力不足なのだ」


 二歩、アリシアは静かに拳を握る。


「ムーゼッグを打倒し、〈魔王〉にとっての()()を作るのは、この〈心帝〉アリシア=エウゼバートなのだから」


 ふとそのとき、扉の外で金貨が転がる音が聞こえた気がした。

 ちゃりん、と。

 まるで少女のその決意を、あざ笑うかのように――

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