211話 「魔王の剣」
頭の中に声が響いている。
【――――】
それは人の使う言葉とは少し違っている。
しかしサルマーンにはなにを言っているかが明確にわかった。
――やめろ、そっちの名前で俺を呼ぶんじゃねえ。
【――――】
それでもその悪魔は自分の名前をうれしげに呼んだ。
――……うれしいのか。
たぶん、そうなのだろう。
意識のずっと奥の方。頭の中にたしかに感じられる存在感は、まるで子供のようにはしゃいでいるようにも思えた。
――お前は、なんなんだろうな。
ルーサー一族が生んだ『七帝器のなりそこない』。
人と混じり、独自の自我が芽生え、結果として祖国ルーサーを滅ぼした。
【――――】
――ああ、そうか。
魔拳ゼスティスは、サルマーンの漠然とした問いには答えない。
ただ、呼ばれたことがうれしいとでもいわんばかりに、意識の奥の方で身を跳ねさせている。
――子どもだ。
ふとサルマーンの脳裏にリィナとミィナの姿がよぎった。
――お前、ただの子どもなんだな。
親に褒められて喜ぶ子ども。
嫌なことがあればうちに閉じこもり、誰かを助けたいと思えば後先を考えずに走り出す。
――だから、ルーサーを吹き飛ばしたのか。
祖国の滅亡のきっかけとなったのは第八代〈拳帝〉セレン=アウナス=フォン=ルーサー。
セレンは当時、ルーサーを守るためにいくつもの戦争で前線に出た。
来る日も、来る日も。
どんなに傷を負っても、〈魔拳〉の力で戦場に出て、やがて――
――壊れたんだ。
体ではなく、精神が。
【――――】
だから魔拳ゼスティスは、誰よりも愛する宿主を守るため、ルーサーそのものを消し飛ばした。
戦いの根源になるものを消そうとしたのだ。
――お前がそこまで高度な判断をするとは思えねえから、たぶんセレンの心を読んだんだろう。
セレンとて母国を滅ぼそうとは思わなかったろう。
ただ、あまりに何度も繰り返される戦乱の果てに、疲れきったセレンは「この国がなければ」と思ったかもしれない。
力を持つ者のさだめ。
王子として生まれた者のさだめ。
おそらくセレンは、そこから逃げるような人間ではなかった。
――人間、だもんな。
ルーサーの罪は戦乱の重荷をセレンに背負わせすぎたこと。
【――――】
――お前はただ、宿主を守りたかったんだな。
ふと、サルマーンは気づく。
こうして意識の奥のほうで無邪気に喜んでいる別の意識を認識し、はじめてそれを知った。
【――――】
と、ふいにゼスティスの意識が別の方向へ向いたことを察する。
――どうした?
ゼスティスが人間の形をしていれば、確実に首をぐるりと回していただろう。
その意識の向く先は、サルマーンの自我が存在する方向とは別だった。
【――――】
サルマーンも同じようにしてその方向へ意識を向ける。
直後、ゼスティスからすさまじいまでの悲哀の感情が、伝わってきた。
――なん……だ。
悲しみ、後悔、未練、――絶叫。
無節操に流入してくる感情の暴圧に、サルマーンの精神がきしむ。
――この……感じ……。
ふと、意識の奥の暗闇の中に、それが明確な形を持って現れる。
砂色の髪、紫の眼。
体躯は小さな子どもだが、腕には魔拳の紋様がある。
大粒の涙を流しながらある方向を向いて絶叫する姿は――昔の自分とよく似ていた。
――いや、違う……。
それはむしろ、昔一度だけ見たことがあるセレンの肖像に似ていた。
【――――!!】
ひときわ莫大な感情の波がサルマーンの精神をさらう。
――っ、ま……さか……。
「サル!」
「サルー!」
瞬間、はっきりとした幼い少女の声がサルマーンの精神を貫いた。
◆◆◆
「起きろサル!」「起きろー!!」
視界が開ける。
どこまでも広がっていた闇はどこかへ消えていた。
「俺は……」
「あっ! 起きた―!」「バカサルー!」
「バカサルってお前……安直すぎるだろ。あと変な動物の名前みたいにすんな」
崩れた教会。心配そうな顔でこちらを見ている仲間たち。
リィナとミィナは自分の服を思い切りひっぱりながらうれしげに飛び跳ねている。
――ああ……。
しかし二人の目には、涙が浮かんでいた。
「わりぃな」
サルマーンは自分がどういう状況に陥っていたかをリィナとミィナの様子で察する。
「心配かけた」
「まったくだ!」「まったくー!」
悪い悪いと困り顔で言いながらひととおり双子の頭をなでてやったあと、サルマーンは仲間たちのほうを見る。
「面倒かけた」
「そんなことはない。僕たちは君のおかげで助かったんだから」
盗王クライルートが後ろで三つに編んだ赤髪を揺らして答える。
その顔にはほんの少し苦笑があったが、同時に安堵の色も見えた。
その表情を見て、サルマーンはクライルートが心から自分を心配してくれていたのだと察した。
「――ん、おまえも案外心配性なんだな」
「誰のせいだか」
「はは、まったくだ」
服についた埃を手で払いながらサルマーンは苦笑した。
「で、そのついでなんだが」
「サルマーン?」
「ああ、シラディス、おまえにも心配かけたな」
「あとでおいしい肉料理作ってくれれば許す」
頬をぷくりと膨らませるシラディスにサルマーンは笑って答えた。
「はは、わかったよ」
「で、ついでってなに?」
「行きてぇところがあるんだ」
「……」
「おまえ、なんとなくわかってんだろ」
サルマーンは妙に穏やかな顔でシラディスを見る。
シラディスもサルマーンがなにを言いたいかがわかっていた。
「俺と似た匂い、感じてるんだろ?」
「……」
図星だった。
ほんの少し前からシラディスはサルマーンとよく似た匂いを感じ取っている。
まるで親子のようでありながら、そこに妙な腐臭が混じっている。
「ダメって言ったら?」
「いいやお前は言わないね」
「せめてメレアが来てから……」
「あいつに俺の号が持つ重荷まで背負わせらんねえよ。あいつ、ただでさえ英霊百人分の未練を背負ってるんだから」
そういってサルマーンは歩き出す。
向かう先は上流区の方だ。
「ある意味感謝すべきかな。あの〈死神〉とかいうやつに」
「ちょっと、勝手に納得するのはいいんだけど、僕たちがいるってこと忘れてないだろうね?」
そこでクライルートがサルマーンを追うように歩き出す。
サルマーンはクライルートの少しムスっとした顔を見て、ほどなく笑った。
「もちろんだ。お前らにはお守りを頼むよ」
「断りはしないけど、そのお守りする対象には君も含まれてるんだろ?」
そのクライルートの言葉にサルマーンはきょとんとする。
そして――
「あっはっは! ああ、そうかもな。メレア的にはそうだ」
「おかしくない? 僕たちより彼と長くいる君が、魔王連合の在り方に一瞬でも背くなんて。僕たちは同じ魔王だ。たしかに口では個人の自由を謳うけど、メレア=メアという僕たちの長は、死地に向かおうとする仲間を意地でも救おうとするだろう」
「そうだな」
「しかも勝手に助けるんだ。願われたわけでもないのに、勝手に。僕はその言い分が案外嫌いじゃない。勝手に助ける。――だから僕も、そうさせてもらうよ」
クライルートが自分の手のひらを開き、そこに刻まれた術式刻印を確かめながらサルマーンの隣に並んだ。
「我も同じだ」
すると逆隣りにいつのまにか〈刀王〉ムラサメが並び立ち、同じく腰に佩いた大刀を手でなでる。
「心地よい居場所をもらった。恩は返す。返せなかった未練を晴らすためにも」
「お前も苦労してきてそうだな。……まあ魔王なら当然か。……そうだな、今度聞かせてくれよ」
「なにをだ」
「お前の号の話。あと、前に言っていた『間接的にだがメレアに助けられてる』って話」
「……ああ、構わない。しかし、そんなたいした話ではない。〈刀王〉は遠く極東の一部族にまつわる号だ。お前のように国家の生き死にが掛かったような話ではない」
「でも、大事だろ。関わったものの大小じゃない。魔王って名前にまつわる悲しみや怒りは、たとえ同じ魔王であっても同じ物差しで測れるもんじゃねえ」
「……そうだな」
「でも、受け止めることはできる」
「……ああ」
そう力強く言って歩を早めるサルマーン。
「サル!」「わたしも行く!」
「ん? ああ、でもお前らは――」
「わたしも魔王だもん!」「だもん!」
サルマーンの服をひしっとつかんだ二人の少女。
水色の瞳に固い決意が浮かんでいる。
「……」
無論サルマーンとしては連れて行きたくない。
だが、
「……そうだな。お前らも魔王なら、……そうだな」
子どもだ。
守りたいと思っている。
しかし彼女たちも〈魔王〉だ。
この魔王連合の、対等な仲間だ。
「言うこと守れよ」
「サルこそ無理すんなよ!」「すんなよー!」
姉のリィナがサルマーンの口調を真似して言い、妹のミィナが楽しげにそれを繰り返す。
「はは、わかったよ」
そう言ってサルマーンは前を向いた。
いつものように彼女たちを肩に乗せるわけでもない。
今はただ――対等な仲間として裏に引き連れる。
「ああ、忘れてた。俺って一応〈魔王の剣〉の長だったんだな」
メレアに任された一部隊の長。
その任は戦うこと。
時に守り、時に敵を撃滅する。
この時代に、魔王として最も避けることができない生業を、率先して行う前衛部隊。
このとき仲間たちを裏に引き連れるサルマーンの姿は、かつて仲間たちを率いてムーゼッグと戦ったメレアを彷彿とさせる。
「あいつ、一応年下なんだけどなぁ」
今さらながらにそんなことを思いながら、サルマーンはやがてゼスティスの意識が向かう先へ集中した。
現代の拳帝は小さくつぶやく。
「そこにいるんだろ。――セレン=アウナス=フォン=ルーサー」
今話で全体の文字数が100万文字を超えました!
100・万!!
『百魔の主』ってタイトル的にもなんか記念的なあれですね。
そして今年もありがとうございました。
来年はもっとがんばりたいです……!
2018/12/31 葵大和





