210話 「七帝器のなりそこない」
自分たちが探している人物。
「っ、サイサリスの――」
「だがここまでだ。エヴァンスに会いにきたが、どうやらここにはいないみたいだな」
少女が立ち上がる。
サルマーンはとっさに手を伸ばした。
その瞬間。
「ッ!」
教会の壁にはめこまれていたステンドグラスが音を立てて割れる。
鋭いなにかがサルマーンの伸ばした手の先をかすめた。
「物騒だなおい……!」
勢いそのままに床に突き刺さったそれは弓矢だった。
形態におかしなところはないが、異様なまでの魔力が込められている。
すぐさまサルマーンは矢が飛んできた方向へ視線を向けた。
「――クソが」
そしてサルマーンの目は、割れたステンドグラスのはるか向こうからこちらに向けて二矢目を放とうとしている人影をとらえた。
――なんだ、あの魔力量は。
日は落ち、距離も離れているため輪郭まではたしかめられなかったが、その人物が手につがえているであろう弓矢がこれでもかと派手な魔力光を放っているのが見えた。
「〈魔王連合〉には〈剣帝〉の末裔がいるらしいな。それにおまえはあの〈魔拳〉の保持者だ。〈七帝器〉についてもいくらか知っているだろう」
少女がサルマーンから一歩離れながら告げる。
「七帝器だと?」
〈暗黒戦争時代〉に戦略兵器として使用された七つの武装。
『七帝器のなりそこない』と言われる〈魔拳〉の元となった武装群であり、そのうちのひとつを初代〈剣帝〉の末裔であるエルマが所持している。
「あれもそのひとつだ」
「〈魔王〉か……!」
「そう、かつてその〈魔弓〉で命を救った民族に、〈魔王〉として追われた〈弓帝〉の末裔。人は勝手な生き物だ。力ある者をおそれ、なにが起こらなくともその懸念だけで誰かを虐げられるようにできている」
かつて、あの〈ザイナス戦役〉でムーゼッグの大軍と対峙したとき、エルマの持つ魔剣クリシューラがメレアの桁外れな魔力を吸ってその真価を発揮した。
初代〈剣帝〉の生み出した魔剣クリシューラは、特殊な術式刻印によって事象割断を主とする武装だと思われていたが、その本来的な用途は『光の剣』による戦略兵器だった。
もし、今放たれた弓矢も同じ力を持つとしたら――
「一撃目は牽制だ。次の二撃目は〈魔弓〉の力を使うだろう。バケモノを嫌うおまえに防げるかな?」
少女が赤紫の目を細めて笑う。
そこにはサルマーンを値踏みするような気配があった。
「知ったことか。てめえこそ自分の置かれてる状況わかってんのか」
サルマーンは完全な臨戦態勢を体にしいて答える。
両腕からあふれる紫色の光子はすでに教会の天井を突かんばかりだった。
「わかっているとも。今おまえはわたしを人質に次の一撃を放たせまいとしている」
「じゃあ話がはええな」
瞬間、サルマーンは動いた。
回り込むように少女の背後へ。
「だが、できるかどうかとなれば話は別だ」
その体を拘束しようと伸ばした手が、少女の影からするりと現れたなにかに止められた。
「今度はなんだってんだ!」
「魔王を束ねているのがおまえたちだけだと思うなよ」
少女の影から現れたのは黒いローブを身にまとった女だった。
細身だがサルマーンの腕力に真っ向から対抗できるところを見るとまともではない。
「最後に告げておこう、〈拳帝〉の末裔よ」
ゆっくりと少女がサルマーンの方を振り向き、白いローブのフードを外しながら言った。
「わたしの名前は〈アリシア=エウゼバート〉。このサイサリス教国の王にして、すべてのサイサリス教徒を束ねる教皇だ。――〈錬金王〉シャウ=ジュール=シャーウッドにこう伝えておけ」
その瞬間だけ、少女の目にはむき出しの感情が乗っていた。
「『もうわたしの方が強い。おまえを守れるのはわたしだけだ』と」
同時、割れたステンドグラスの向こう側で魔力の光が散った。
◆◆◆
――こいつらの目的はなんだ。
サイサリス教国は魔王を集めている。
芸術都市で〈魅魔〉ジュリアナをめぐって起こった一連の騒動。
クライルートの話も踏まえれば、サイサリスの魔王に対する接し方はムーゼッグのそれに近い。
――変わらねえが、こっちのがより性質がわりぃ。
良くも悪くも真っ向から魔王に敵対するムーゼッグと違って、『魔王を救うためにこうしている』と言えてしまうサイサリスに、サルマーンはクライルートと同じ嫌悪を抱いた。
「魔王を救うと言いつつ、相容れねえから潰すのか! お前ら、ムーゼッグより性質がわりぃなッ!」
黒ローブの女に連れられて一瞬のうちに影の中へ消えた少女にサルマーンは怒号を放った。
それからすぐに放たれた弓矢の方を向く。
「伏せてろ!」
サルマーンが仲間たちに告げたときには、すでにクライルートとムラサメがそれぞれに双子を抱いて回避行動を取っていた。
――頼りになるぜ。
横目にその様子を見たサルマーンは内心に礼を言い、それから別の相手に向かって心の中で言葉を投げかけた。
――都合が良いっていうかね、お前は。
魔拳が脈動する。
「だが、お互いさまだよな。お前が俺を〈魔王〉にしたんだから」
莫大な魔力を含んだ二撃目の矢が教会の割れた窓を通過する。
「――ゼスティス!!」
サルマーンが明確な意志を持って魔拳に語りかけた瞬間、その拳が嬌声をあげた。
◆◆◆
「爆発……?」
上流区画のレストランから出て、宿へ戻る道を歩いていたエルマの耳に音が届いた。
「今、光、が……」
隣を歩いていたアイズが同じく歩を止め不安げな表情を浮かべる。
定期的に〈天魔の魔眼〉を使って周辺の広域視を行っていたアイズだけが、斜めに大地へ突き刺さった光の軌跡を捉えていた。
「煙……サルマーンたちが向かった方向だな。アイズ、見えるか?」
「うん、ちょっと、待ってて」
アイズが眼に魔眼模様浮かべながら集中する。
「……クライくん、と、ムラサメさんが、いる」
「やはりなにかあったか……! リィナとミィナどうした!?」
「無事、みたい。でも、サルくんが――いない」
「っ、シラディス!」
「うん、先に行く!」
名を呼んだだけでシラディスはエルマの意図を正確に察し、即座に走り出した。
「敵がいるかもしれない! 無茶はするなよ!」
彼女の蹴った地面はその人間離れした脚力によって陥没していた。
瞬く間に視界の奥へと消えたシラディスを見届け、すぐさまエルマも行動を起こす。
「アイズ、私の傍を離れるなよ」
「うん!」
気づけばサイサリスの夜空に真っ黒な雲が出来ていた。
◆◆◆
華美に彩られた家々を踏み越え、やがてシラディスはサルマーンたちのいる教会へと到着した。
「クライルート!」
「シラディスか……」
教会は倒壊していた。
瓦礫の山が出来ている。
シラディスが到着したとき、クライルートとムラサメ、そして双子のリィナとミィナは瓦礫から離れた場所で立ちすくんでいた。
「なにがあったの……?」
「〈教皇〉だ。サイサリスの頂点が、みずからこちらを牽制しに来た」
クライルートは額に汗を浮かべてリィナとミィナの手をつかんでいる。
「サルー!」「うわああああん!」
リィナとミィナはそのクライルートの手をどうにか振りほどこうと暴れ回っていた。
「サルマーンは?」
「……あそこに」
クライルートが指を差したのは崩れた瓦礫の中心。
見ればムラサメがその腰から『刀』を抜いてある人物と対峙している。
「サルマーン……?」
ムラサメが対峙しているのはサルマーンだった。
だが、どうにも様子がおかしい。
「こちらの声に応答しない。彼のおかげでさっきの一撃はどうにか防げたけど、そこから様子がおかしいんだ」
シラディスが目を凝らすと、サルマーンの両腕の術式紋様が紫色に輝いているのが見えた。
「目が……」
そしてその目までも紫色に光っているのを見て、シラディスの体が一瞬すくむ。
「彼、あの〈魔拳〉の保持者だろう? 第八代〈拳帝〉セレン=アウナス=フォン=ルーサーの話は僕も少し知っている」
今は亡きルーサー王国の領土の半分を『悪魔の力』で吹き飛ばし、最終的にその滅亡の誘因となった世界最悪の王子。
「――彼は、どうなんだろうね」
クライルートがきゅっと唇を引き絞り、まるで痛みを我慢するかのような顔で言った。





