206話 「香りたつレストランにて」
「なんというか、同じサイサリス教国内でもいろいろな場所があるものだな」
「さっきよりも、人がいっぱい……」
「だい、じょうぶ? シラ、ちゃん」
サイサリス教国の〈第三教区〉と呼ばれる場所に宿を取った魔王たちは、重かった旅の荷物を置いて再び街へ繰り出した。
情報収集をかねての外出だったので、いくつかの班に分かれての行動である。
宿のある区画の隣、〈上流区画〉とも呼ばれる第四教区へ足を踏み入れたのは、エルマ、アイズ、そしてシラディスの三人だった。
「どうしようアイズ……吐きそう」
独特な柄の民族風衣装に身を包んだ長身の美女――シラディスが真っ青な顔で言った。
彼女は当初こそ視線よけのための兜と鎧を着ていたが、整った身なりの者が多いこの区画にやってくるにあたってさすがにそのままでは目立ち過ぎた。
苦肉の策として五枚にものぼる服の重ね着と、『獣の耳』を隠すターバン様の帽子をかぶり、以降は終始下を向きながら街中を歩いている。
「袋、いる?」
そんな彼女の隣をちょこちょこと歩いていたアイズが、さっと懐から布袋を取り出して言った。
「アイズ、準備が良いのはすばらしいことだが、なんだかこう、その答えはちょっと違う気がするぞ」
そんな二人の様子を見てエルマが言った。
「くっ、なぜだ、サルマーンがいないとうまく言い表せない。いつもはあいつが的確なツッコみを入れてくれていたからか……」
「やつならこういうときまずなんと言う!?」とエルマが頭を抱えて悩みはじめる。
「エルマ、考えすぎは、よくない、よ?」
「あ、ああ、そうだな――」
「おろろろろろろろろ」
「結局吐くのかーッ!」
話の途中でアイズから受け取った袋に嘔吐したシラディスを見て、エルマが大きな身ぶりで抗議する。
「うまく、できた、ね?」
「アイズ、エルマ、ごめぇん……おろろろろろろ」
褐色の獣耳美女はなおも吐き続ける。
そんな彼女の背中をアイズは優しい笑みを浮かべてさすっている。
この区画のど真ん中で盛大に嘔吐するよりはマシだが、はたしてこの状況は本当に正しいのだろうか。
エルマは頭の中でぐるぐると考える。
「うむー……わ、わからん……!」
しかし最後には考えることをやめ、一度大きくうなだれた。
◆◆◆
それからしばらく歩いていると、三人はひときわ多くの人が集まっている場所にたどりついた。
「レストランのようだな。外でたむろっているのは順番待ちの者たちだろうか」
上流区画に関しては、ここまでの街並みを見ているとあまり行列を放置している店はなかった。
どこもかしこも高級感のある店が立ち並んでいるせいか、店の前の景観というものにも一定の気遣いがされているのかもしれない。
しかしこのレストランにかぎっては、そのあまりの繁盛ゆえにそこにまで手が回っていないようだった。
「出してくる料理がよほどうまいのだろうか」
エルマの食に対する勘が冴えはじめる。
「エルマ、最近は、おいしいものに、目がなくなった、ね」
アイズがほんわかとした笑みを浮かべてエルマに言った。
「ああー……、たしかにそうかもしれんな。一人で傭兵をしていたころは口に入ればなんでもよかった。だがみんなでゆっくりと食事をするようになってから、良い料理のうまさというものに意識が向くようになったんだ」
「それは、とっても、良いこと、だよ」
そのアイズの笑みはどこまでも可憐で、そしてなにより心のこもった笑みだった。
料理の味に意識が向くようになる。
それは戦いに明け暮れる荒んだ日々からエルマ自身の心が少し解き放たれたことを表している。
そしてアイズはそのことを、まるで自分のことのように心の底から嬉しがっているようだった。
「お、おお? なんだかアイズの笑顔は見てるこっちが照れるな」
エルマはそのアイズの笑顔から思わず目をそらし、「私は女だぞ。……女だよな?」などとしどろもどろになりながら意味のわからないことを言いはじめる。
「あ」
「ん? ど、どうした?」
そんなエルマをよそにアイズが短く声をあげた。
視線の向く先はいま口元をぬぐったばかりのシラディスだ。
「シラちゃん、吐いちゃったから、また食べる?」
アイズが首をかしげながら言う。
長い彼女の金髪が無邪気そうにさらりと揺れた。
「いやそれはさすがに――」
エルマがそれはキツいだろうとアイズを止めようとするが、当のシラディスはすかさずこう答える。
「あ、うん」
「食うのかーッ!」
「えうっ!?」
けろりとして答えたシラディスは、どうやら多少人の多さに慣れてきたらしい。
すらりと長い体に腕を組むようにして巻き付けてはいるが、終始うつむいていたときと比べると表情も少し軽めだ。
「だ、だって、お腹すいたもん……」
どうやら胃の作りが常人と違うらしい。
エルマとしては自分の胃もなかなかに強靭だと自負していたが、シラディスの胃はそれ以上なのかもしれないとこのとき思った。
「エルマはお肉、食べたくないの……?」
髪と同じ桃色の瞳に疑問の色をにじませ、半分びくびくとして訊ね返したシラディスに、エルマは胸を張って答える。
「いや、食べたい!!」
そして三人は行列の出来ているレストランへ向かう。
日も沈んで、あたりには華美な装飾がされた術式灯の数々がきらびやかな光を灯しはじめていた。
談笑しながら道を行く上流区画の住人たち。
二頭付きの馬車を曳いて次なる商売地へ向かおうとする外部の行商人。
離れたところでひとりの熱心なサイサリス教徒が演説をしていた。
『今の教国の在り方は間違っている!』
『これではかつての二の舞ではないか!』
『物に囚われ欲にまみれ、やがてより多くを求めて他者から奪いはじめる!』
『今こそ本当のサイサリスの教えを思い出すときだ!』
光と色にあふれるこの街中で、彼がまとっていた真っ白な装束はむしろどこか霞んでいる。
そしてそのことを証明するように、このとき上流区画を歩いていた者たちは、誰一人として彼の演説に耳を傾けてはいなかった。
◆◆◆
三人がようやくレストランの席に座ることができたのは、それから四十分ほど経ったあとのことだった。
情報収集としてこれでいいのかと首をかしげたくなる瞬間もあったが、背に腹は代えられない。
それに、人の多い上流区画にただ立っているだけでもいろいろな話が耳に飛び込んできた。
「ああ、ちゃんと仕事はしているぞ、みんな」
「エルマ、お腹の怪物がうるさい」
まるで仲間たちに言い訳するように胸を張るエルマにシラディスが言う。
「でも、行列に立ってるだけでもいろいろわかった」
シラディスは五枚着ていた服のうち、上着の二枚を脱いで椅子の背に掛けながら続ける。
「ここは、〈教国〉っていうほどサイサリス教徒ばかりの国じゃない」
「ああ、そうみたいだな」
シラディスの言葉にエルマもうなずく。
「シャウの言っていたとおりだ。むしろ、昔このあたりにあったという『商国』のほうが似合う」
あの『芸術都市』ヴァージリアにも少し似ていた。
派手な景観の街並み。
表通りには国内の金めぐりの良さを証明する商家の群。
外からやってきたであろう行商人は、商品を卸すだけでなく自身で露店を開いている者もいる。
上流区画は景観重視のためかそれほどでもないが、それでもちらほらと姿が見えたことをかんがみると、ほかの――たとえば中流区画などでは大規模な露店群が展開されているかもしれない。
「あと、上流区画だけかもしれないが、熱心なサイサリス教徒を表すあの『白装束』たちの方が部外者のようだった」
清貧を尊ぶサイサリスの教えは形骸化している。
街行く人々は金や銀、はたまた宝石の付いた装身具を手指や腕につけ、それを隠すことなく談笑していた。
「教会は、あった、ね」
アイズが長い金の髪を耳にかけなおしながら言った。
「ああ。だがその裏手にあったのは『金貸し屋』だ。なんというか……世も末だな」
「どうしてこんなに、栄えているんだろう」
自分たちが命からがらレミューゼへ逃げ落ち、それからもまたいろいろな事件に遭遇している間に、サイサリスも独自の発展を遂げていた。
現在は〈黒国〉ムーゼッグの東大陸制圧に向けての要所として狙われているが、サイサリスもまた裏で〈魔王〉を集めている。
「教皇の手腕か」
あるいはまた別の者の思惑か。
「ともあれ、人の多さはその国の地力を如実に表す。大きな国は単純に強いからな」
エルマが傭兵をやっていたころからその法則に間違いはなかった。
相手が大きな国家のときは毎回苦労をさせられたものだ。
「ムーゼッグも、簡単にはこの国を落とせないかもね」
シラディスが今か今かと料理を待ちながらなんともなく言う。
「まあ、簡単にはいかないだろう。だがムーゼッグは一国家として統率がとれている。『戦う』ということに特化した国とこのサイサリスでは、いざ真正面からぶつかったときに踏ん張りの利きが違う」
サイサリスは大国。
しかしこの分かたれた教区の状態からもわかるとおり、とても国民が同じ方向を向いているとは思えない。
行商人が多いということも不安要素のひとつで、領内に生活する人間の数は多いが必ずしもそれらがすべて土着の民というわけではない。
「早いうちに低流区画も見に行ったほうがよさそうだな」
エルマが「ううむ」とうなりながら言ったあたりで、料理が運ばれてきた。
銀のボールがかぶせられた皿。
ウェイトレスの手によってあけられたその皿の中には、見たこともないような見事な盛り付けの山菜と白身魚のムニエルが乗っていた。
「お、おうう……」
間違いなくうまい。
肉ではなかったことに一抹の残念を覚えたエルマだったが、すぐにその魚から立ち上る香ばしいかおりに意識を持っていかれた。
「くっ! いまさらだがこういう高級店でいつものように食べるのは気が引ける……!」
目の前のテーブルに並べられたぴかぴかの銀食器。
なぜかナイフとフォークが三本ずつ置いてある。
――意味がわからん。
エルマは内心で首をかしげるが、ひとまず置いておく。
かわりに彼女はほかの二人を見た。
「ん、おいしい、ね、シラちゃん」
「うん、うまい」
エルマは最初、少しだけ期待していた。
いわゆる『テーブルマナー』というものに関して、アイズはともかくシラディスはそこまでくわしくないのではないか。
自分はいまいちよくわかっていない。
メレアがマリーザの躾で何度かテーブルマナーを仕込まれているのを見たことがあるが、自分には関係ないと思ってあまりよく観察していなかった。
ところがどうしたことだろう。
――この二人、普通に綺麗に……食べている……だと。
柔らかでありながら無駄のない手さばき。
流麗とはまさにこのことを言う。
「エルマ、食べないの?」
器用にナイフで白身魚の肉を切り分け、フォークで指して口元に持っていったシラディスがエルマに訊ねた。
「い、いや、私はちょっと急にお腹がだな……」
エルマはしどろもどろになって答える。
しっとりとした黒髪にしきりに手櫛を入れて、落ち着かない様子だった。
「もったいない。わたし食べていい?」
シラディスが不思議そうに首をかしげたあと言った。
「いや待て!!」
「えうっ!?」
必死の形相で止めに入ったエルマに、今度はシラディスがびくりと肩をこわばらせる。
「お、お腹が空いたと言おうとしたんだ」
「う、うん。じゃあ食べればいいのに……」
「うむ……」
昔の自分ならなにも気にせず適当にさばいて食べていた、とエルマは思う。
しかし仲間たちと一緒になってから、いわゆる『女らしさ』だとか『気品』だとかに少し興味を持つようになった。
――せめてメレアには嫌われないくらいにならなければ……。
当のメレアもテーブルマナーに関してはひどいものだったが、マリーザの躾もあってだいぶマシになってきているという。
そこでふと、気づいた。
――まさか私、置いてかれているのか……!?
「なんということだぁ……」
「エルマ、次の料理が来るよ」
「うわぁ! ま、待ってくれ! 今食べるからぁ……!」
結局エルマは見よう見まねで料理を食べることにする。
とてもおいしかったが、そのおいしさを次の料理が出てくるまで覚えていられる気はしなかった。
◆◆◆
コース料理となっていたその店での食事も終わりに差しかかり、さすがのエルマも開き直って気兼ねなく食事を楽しむようになっていたころ。
ふと、シラディスが顔をあげた。
おそらくターバンの下では耳がぴくぴくと動いていることだろう。なにかを感じ取ったという顔だった。
「メレアと、似た匂い――」
「メレア?」
シラディスの桃色の目があたりをきょろきょろと見回す。
「この広間じゃ、ない」
三人が食事をしているのは客席の間が簡単な仕切りで区切られた広間だった。
入ってくる途中に見た様子だと、奥の方には個室もあるらしい。
「気になるな」
エルマがふとまじめな顔になった。
「わたしが、見てみる、ね」
するとアイズがおもむろに目をつむる。
次に彼女が目を開けたとき、その銀色の眼に美しい術式紋様が浮かんでいた。
「どこ、だろう」
〈天魔の魔眼〉。
上方からの俯瞰と透視を行える彼女の魔王としての力は、こういうときにおそろしく役に立つ。
むしろ最近では実戦以外で行動を起こすことが多い魔王たちにとって、彼女の力こそなににも代えがたい戦力であった。
「たぶん、アイズから見て右斜め前方」
一方で、『匂い』だけで対象の位置を特定してしまうシラディスも諜報に優れている。
エルマは周囲の状況把握を二人に任せ、自分はいざというときすぐに動けるよう、ゆったりとした外套の下に隠した〈魔剣〉の柄に手を添えた。
「どうだ?」
エルマがアイズに訊ねる。
「ここ、かな……」
アイズが瞬きひとつせずじっとなにかに見入る。
「……あれ?」
その次の瞬間。
「消え、た……?」
アイズが小動物のように小首をかしげた。
「うん、消えた。残り香も途切れてる」
「どういうことだ?」
アイズとシラディス、双方が対象を消えたと認識した。
だが、この一瞬の間に奥まった場所にある個室から存在そのものを消すことができるだろうか。
「……きなくさいな」
エルマは席を立つ。
そのまま個室の方へするすると向かっていき、扉の前でしょんぼりと肩を落としていた一人のウェイターに声をかけた。
【個人ブログ『やあ、葵です』について】
いつも応援してくださるみなさまのおかげで、まがりなりにも10年以上小説を書き続けてこられました。その間に気づいたこと、試してみたこと、いろいろあります。それで、「小説を書きたいな」と思っている人にわたしの持っている情報を少しでも還元できないかと思って、マイペースながら記事を投稿することにしました。
あ、でも基本的には趣味ブログです。あとノリは活動報告とだいたい同じです。
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