204話 「金の亡者の夢」
〈錬金王〉とは、その名のとおり、金を錬成する者、という意味でつかわれる。
「これは、金を稼ぐのがうまいという商いの腕の高さを比喩してもいますし、文字どおり特殊な術式によって金を作り出す者、という意味でも使われます」
シャウはふと、丘にあがってくる途中で拾った石ころをポケットから取り出す。
「このように」
石ころの表面に複雑な術式が走ったかと思うと、ぴか、と一瞬金色に光って、やがてそれはまごうことなき金鉱石に変わった。
「……キミは、昔と比べてその術式をつかうことにあまりためらいがなくなったね」
その様子を見ていたシーザーは、いまさら驚くでもなく、いぶかしがるわけでもなく、なにげなく錬金術式を披露したシャウを見て、まじめな表情で言った。
「……たしかに、言われてみれば」
「昔だったら、たとえ話をうまく進めるための余興であってもキミはそれを簡単にはつかわなかった」
シャウはもともと、この錬金術式が好きではない。
それが自分の『普通の人生』を奪った原因でもあるし、いまでもまだ命を狙われる直接的な理由になっている。
けれど、あのリンドホルム霊山でメレアたちと出会ってから、なにかとつかうことが増えた。
――正確には、つかわざるを得ない状況が増えた、でしょうか。
ぽりぽりとらしくもなくぼんやり頭をかき、やがてシャウは手に握った金鉱石を丘からほうり投げる。
「あっ、もったいない……」
「いいんです。あれはまがいものですから」
きらきらと月光に照らされて光る金鉱石は、夜空を背景に弓なりの軌道で落ちていき、やがて斜面をころがって麓へと消える。
「私の術素が切れればまた普通の石に戻ります。――そう、所詮は錬金術式。ゼロから完全な金を作るものではない」
「ゼロから完全な自然物を作る術士がいたら、それはもう神と同義だよ。〈神土〉を作ったかの英雄〈クリア=リリス〉が〈土神〉と言われたように」
シーザーが苦笑する。
「メレアに聞くところによると、あの神土もけっして完全永久な自然物というわけではないらしいですけどね。ともあれ、もし〈錬金神〉なんてものがいたとしたら、きっとその号を持つ魔王はゼロから金を作るのでしょう」
「そんな人間がいたら世の経済はまたたく間に崩壊するね」
「商売あがったりです」
それでも自分は、まだ商売をしているだろうか。
「――話がそれました」
シャウは深入りしそうだった思考を切って、仕切りなおすように手をたたく。
「シーザー、まずは今の状況の話です」
「ガルド=リム=ウィンザーの話はいいのかい?」
「あまり思い出したいことがらではないので」
それに、とシャウは続けた。
「どうせいずれ出てきます」
なんとなく、そんな予感があった。
◆◆◆
芸術都市ヴァージリアでの出来事が、シャウの脳裏をよぎる。
――メレアが見た、彼の親たち。
かつて英雄と呼ばれ、そして魔王とも呼ばれた英霊たち。
そんな怪物たちを、現世に呼び寄せて使役する死霊術士がいる。
――今はまだ、おとなしくしているようですが。
たぶん、大きな戦いの舞台がこのサイサリスになるのであれば、やつは出てくる。
これはほとんど確信に近い。
そしてそのとき、きっとあの悪名高き〈錬金王〉も出てくるだろう。
〈魂の天海〉をたゆたう英霊は、なにもすべてがメレアと関わったものばかりではない。
――むしろ、メレアの親にならなかった英霊たちのほうがたちの悪いのが多い。
「シーザー、『彼女』は今どうしていますか?」
シャウは脳裏の予想をいったん振り払ってシーザーに訊ねた。
「良くも悪くも、教皇らしくしているよ。最近はボクも近づけなくなってきてる。正直に白状すると――けっこう『参った』ってかんじ」
シーザーは苦笑して肩を落とした。
「彼女に入れ知恵してる人間がいる。たぶん、金の亡者だ」
「ほう」
その形容を聞いてはシャウも無反応ではいられない。
「なお悪いのは、その人間が金を集めるために『暴力』を使うこともいとわないタイプという点」
「なるほど」
「そこはキミとは少し違うね」
「はは、どうでしょうね」
シャウはわざとらしく肩をすくめる。
「『教皇』はこれまで、幾人もの魔王と顔を合わせている。というのも、彼女はあの白国レミューゼよりも先に魔王を自国に匿おうとしていたから」
「ふむ」
「でもあるとき、その金の亡者がやってきて、やり方が変わった。彼女自身、焦っていたんだと思う」
シーザーは衣装の胸ポケットから懐中時計を取り出して、一度時間を確認する。
「ムーゼッグですか」
「そのとおり」
再び懐中時計を胸ポケットにしまったシーザーがうなずく。
「彼女は目的の魔王がムーゼッグに殺されてしまわないか不安に思った。だから力を求め、やがて彼女自身の『秘術』も迷うことなく使うようになった」
「……」
「ボクがヴァージリアから戻ってきたときには、もうそうなっていたんだ。今思うと、ボクをヴァージリアに遠征させたのも彼女を利用したいあの『金の亡者』のたくらみだったのかもしれない」
「……それでも彼女のもとを離れないとは、あなたも損な役回りを買いますね」
「ボクが彼女のもとを去ってしまったら、彼女はひとりぼっちになってしまう。どこかの誰かが彼女の傍を離れて、お金集めに奔走してしまったから」
そのときシーザーがシャウに向けた目には、少し責めるような色があった。
それでいて、少し助けを求めるような――。
「私には私の目的がある。まあ、これでもほんの少しは悪いと思っているんですよ?」
「嘘つけ」
シャウはそんなシーザーの視線を受けてもひるまない。
むしろあっけらかんとしてそう言った。
「私だってちゃんと彼女には『やめろ』と言いました。『あなたには無理だから』とも」
「言い方が悪いんだよ。それで彼女が素直に『うん』って言うと思ったの?」
「さすがの私も、そこまで彼女の内心をおもんばかる度量は持ち合わせていなかったので」
どことなくツンとした表情で言ったシャウに、シーザーがため息を返す。
「……嘘つき」
「嘘じゃないです」
「いいや嘘だね」
「私の国が滅びた要因は、彼女の親にもあるというのをお忘れですか」
シャウはじとりとした視線をシーザーに向ける。
しかしシーザーはまるでひるまなかった。
「キミはそういう因果を、次の世代に結びつけるタイプの人間じゃないだろう」
「いやぁ、こう見えて私、結構根に持つタイプですから」
「ありえないね」
シーザーは強く否定した。
「なぜならキミも、魔王だから」
ぴくり、とシャウの眉が反応する。
「今、それを使うのはズルいとか思ってる?」
「……いいえ」
「キミが感傷的になってつまらない意地を張らなければ、こんなことは言わなかったけどね。――ともあれ、魔王という悪魔の皮を世界からかぶせられているキミが、同じような動機で彼女を嫌うはずがない。もちろんそこになんの感情もないとは言わないけど、キミはそういうものを切り離して個人を見れる人間だ。でなければまともな商売なんかできない」
相手のバックボーンを交渉の思考材料にすることはあっても、それを理由においしい商売を蹴るような意地っ張りでは過酷な商人の世界を生きていけない。
シャーウッド商会という大陸きっての大商会となろうとしている組織の長が、そんな脆弱な精神でここまでやってこられたはずがない。
「素直になれないキミに、ボクが素直になれる魔法の言葉を授けよう」
ふと、シーザーが姿勢を正してシャウの前に直立した。
それはまるで、舞台前の口上を述べる道化師のよう。
けれど――
「――もうわたしでは彼女を救えない」
シーザーは急に、こらえきれないとばかりに前のめりにシャウの胸元へ倒れ込んだ。
「彼女が教皇になってからずっと――ずっと……! 隣で言い聞かせてきた……っ! 『もうやめよう』『これ以上は危険だ』『もっと別の方法で魔王を救おう』って」
「……」
シャウは自分の胸に頭を預けて泣き崩れたシーザーを、ただ静かに見下ろしていた。
「でも彼女は、首を縦には振らなかった! 『わたしがあの人を守ってあげないと』。彼女はいつもそう言うんだっ!」
シーザーはシャウの胸を拳で叩いた。
それはけっして強い力ではなかったけれど、シャウの体にずしりとした重みを感じさせるなにかが込められていた。
「エヴァンス! 君のせいだっ!」
「……」
シャウはシーザーを受け止める。
しかしその体を優しく労わることはない。
いまさらそんなことができるのなら――とっくの昔にそうしていた。
「わかっています」
シャウ=ジュール=シャーウッドには目的がある。
メレア=メアという魔王たちの英雄に出会って、目的とするものは少し増えたけれど、やはり最初の目的は変わらず胸のうちにある。
「たしかに私があなたと同じように彼女の傍らに残り、共に『細々と暮らしていこう』と言い続ければ彼女は教皇にならなかったかもしれない」
「そうに決まってる」
「しかしそうなったら私たち三人は死んでいた」
「っ、そうじゃなかったかもしれないっ……!」
「いいえ」
シャウは首を縦には振らない。
「私は私のやり方で身を守ることにした。彼女は彼女のやり方で私たちを守ろうと決めた。そこに相違があった。それだけの話です」
「なんで二人とももっと協力しようって思わなかったんだ……」
「思いましたよ。言ったじゃないですか。『あなたには無理だからおとなしくしていろ』と彼女に言ったって。でも彼女は待てなかった」
「それにへそを曲げたとでも言うんじゃないだろうね……」
「そこまで子どもじみちゃいませんよ」
シャウは夜空を見上げた。
無数の星がきらきらと光っていた。
「でも、そもそも彼女の考えていたやり方はあのムーゼッグとあまり変わりがない。それでは意味がない」
シャウはメレアに一目を置いている。
それを尊敬と呼ぶのかはわからないが、少なくとも「あんなバカは見たことがない」と衝撃を受けたのを覚えている。
理想を追いかけ、ときに現実に打ちのめされてもなお立ち上がろうとする不屈の怪物。
けっして精神が超然としているわけではない。
一部では妙に達観しているところもあるが、ほかの部分はまだ年相応だ。
感情に振り回されることだってある。
「無理やりにでも力を集め、敵対者に対抗する。これはムーゼッグのやり方です」
「でもそれが、身を守るには一番手っ取り早い方法だ」
それもわかっている。
「一方で、ムーゼッグと違うやり方は、とてもけわしい道だ。いわばきれいごと。しかし我々は、その道を歩くと決めた」
そして――
「昔の私も、ムーゼッグとは違う道を歩くと決めていた」
だから、金が必要だった。
「私は、かの悪徳の魔王、ガルド=リム=ウィンザーが建てた国を再建し、彼女とは――そして彼とも――違うやり方でこの世界を生きていこうと思っていた」
〈魔王〉として。
それが、シャウ=ジュール=シャーウッドの夢。
「キミもたいがい子どもだね……」
「……否定はしません」
それでもずっと、追いかけてきた。
身を守るためには拠点が必要だ。
ウィンザー商国は滅亡したが、それは大地が沈んだわけではない。
いまもまだサイサイス教国の一部として残っているかつての領地を、シャウは『金の力』で買い戻すつもりでいた。
――いったいどれだけの金が必要なのか。
交渉材料としての金もそうだし、国家を新たに運営していくための資金も必要だ。
国家財政を支えるだけの元手を、たったひとりで集められるだろうか。
いや――
――私ならできる。
本気でそう思っていた。――というか今でも思っている。
そう思えるだけの力を、こつこつ、ひたすらこつこつと集めてきた。
「メレアがいなければ、私はいまごろバルドラ武装商人連合と同じようなものを作っていたかもしれませんね」
メレア=メアという怪物。
そして彼のもとに集まった幾人もの魔王。
やがて生まれた魔王連合という組織がなければ、たぶん自分がそういうものを作っていたかもしれない。
「……キミには無理だよ」
「まあ、そこはそうかもしれません」
メレアと同じようにはできなかったと思う。
そう思うから彼に一目置いている。
「しかし、逆にいうと私では越えられなかったであろう関門を、メレアがこじあけてくれた」
目的は変わっていない。
レミューゼという思わぬ副産物を得た。
〈三ツ国〉と広がり、おそらくさらにいくつかの国が加わることだろう。
「これを好機と呼ばずになんと呼ぼうか」
ふと、シャウの言葉遣いがかつてのものに戻る。
「私は、まだ諦めていない」
ウィンザーを取り戻すことも、ムーゼッグやサイサリスと違う方法で〈魔王〉の尊厳を取り戻すことも。
「いつか再び、エヴァンス=リィン=ウィンザーという名をみずから名乗ることがあるのなら、そのときこそ私は反旗を翻そう」
誰かが作り、そして世界が広めた――この〈魔王〉という言葉の意味に。





