200話 「世界が動き出した日」
「僕も、あなたについていく。この、〈魔王〉の名と共に」
「――そうか」
ベナレスがメレアの伸ばした手を取った。
温かい。
なによりも先に、ベナレスはそう思った。
「それなら、俺は力のかぎり助けよう。往きたい道を、お前が歩けるように」
メレアは柔らかい笑みを浮かべて言った。
「はは、大丈夫。僕が歩きたい道は、きっとあなたの歩む道と重なっている」
ベナレスはメレアを見上げ、その姿を目に焼き付けた。
――きっとこの日を忘れないだろう。
今、このときが、自分がこの世界に生まれ直した日だ。
「メレア」
と、ベナレスがメレアの手を離し、目を覚ましたミラに視線を向けようとしたとき、ふいにリリウムがメレアの名を呼んだ。
「先生が……」
メレアがリリウムの方を見ると、リリウムは路地の奥の方を眺めている。
メレアとベナレス、二人がそれにつられるように視線を移すと、そこに一人の老人の姿があった。
「ケイオーンさん?」
ベナレスはその姿に、見覚えがあった。
◆◆◆
取り壊されることが決まっている青薔薇の旧図書館の主。
かつては〈青薔薇の学園〉で教鞭を取っていたこともあるらしいその老人は、灰色の髪と、同じ色の長いひげが特徴的な、偏屈で知られる人物だった。
「ベナレス少年もここにおったか……そうか……やはりそうなったか……」
老人――ケイオーンは息を荒げてその場にやってくると、メレアたちの状況を見て一度にすべてを理解したようだった。
「ケイオーンさん、ここは危険です。早く生徒と一緒に逃げてください。きっとまだシェルターに空きが――」
「老い先短い老人の命じゃ。わしが入る分、まだ逃げ切れていない生徒を一人でも多く入れた方がいい」
ケイオーンはそう言ってベナレスの肩を叩いた。
「それに、わしにはすることがある」
そういってケイオーンはベナレスから視線を切った。
振り向いた先はメレアの方である。
「〈魔王連合〉を束ねる〈白き魔王〉と見受ける」
「――いかにも」
新しい呼び名だ、とメレアは内心で苦笑しつつ、ケイオーンの言葉にうなずいた。
「おぬしに知らせることがある」
ケイオーンはメレアに近づき、その両肩にゆっくりと手をおいてこう言った。
「――〈サイサリス教国〉と〈ムーゼッグ王国〉が、戦争状態に突入した」
メレアの心臓が、再び大きく跳ねた。
◆◆◆
「なお、仲裁に入ろうとした〈レミューゼ王国〉もかなりきわどい状況にある」
「バカな……」
サイサリス教国にはほかの仲間たちが向かっている。
否、とっくに入国して〈魔王〉に関する情報を集めているころだ。
「最初の戦場は南大陸の東端にある海じゃ。〈海賊都市〉の海賊たちが大軍をなしてなだれ込んだ。狙いはサイサリスが本国に連れて行こうとしていた一人の〈魔王〉」
メレアは髪がざわつくのを感じた。
「その〈魔王〉はムーゼッグに奪われた」
「――くそッ!」
メレアは一度天を仰いだあと、周りを憚らぬ大声でそう吐き捨てた。
「さらに〈芸術都市ヴァージリア〉にて、東大陸を大きく迂回する形で黒い船が往くのを見たといううわさが流れた」
「ムーゼッグか……!」
相当な兵力とその兵たちを保つ資源がなければできない芸当。
強国の名に恥じない圧倒的な戦力にものを言わせたごり押しだ。
「マリーザ! 〈竜笛〉でノエルを呼べ! すぐにサイサリスに行く!」
その話を聞いた時点で、すでにメレアはいてもたってもいられなくなっていた。
「待て、〈白き魔王〉よ」
「なんだ!」
こうなったメレアを止めるのは至難である。
誰もがそう思っていたところで、ケイオーンはメレアの道行きを遮るようにそのまえに立った。
「これを持って行け」
そう言ってケイオーンが差しだしたのは一冊の分厚い本だ。
「西大陸のこれまでの〈魔王〉に関する情報がまとめられている」
無理やり手に握らされるように渡された本を、メレアは開く。
そこには〈石王〉に関することも書かれているようだった。
「これから西大陸の情報はわしが貴殿に送る」
「……どうしてそこまでする」
メレアとケイオーンは初対面である。
ベナレスとは違い、この老人がどんな人物なのかを知らない。
「わしは、かつて一人の〈魔王〉を救えなかったことがある。……いや、見捨てたのだ」
そういってケイオーンは一瞬だけリリウムを見た。
「これは、そのせめてもの罪滅ぼし。老い先短いわしにできる、唯一の償い」
「……」
メレアはケイオーンの目をじっと見つめる。
そしてその目の中に燃え盛るような光を見た。
「……わかった。なら、これはありがたくもらっていく」
「そうしてくれるとありがたい。それと、そちらの少女にはこれを」
さらにケイオーンはリリウムへ歩み寄り、細やかな細工入りの銅貨を渡した。
「世界中に散らばる我が同志たちと連絡を取るための道具じゃ。この銅貨を決められた場所で決められた手順で人目に晒せば、必ず同志たちはそれを見つける。くわしい使い方はメモを読みたまえ」
「……」
リリウムは銅貨とメモを沈黙と共に受け取り、それからケイオーンの顔を見上げた。
「ありがとうございます」
「……どうか、健やかに」
それだけ言って、ケイオーンはすぐに踵を返した。
「ベナレス。――ベナレス少年」
「ケイオーンさん……」
最後はミラを抱くベナレスの元へ。
ケイオーンはベナレスの白緑の髪をくしゃくしゃと撫で、言った。
「がんばれ、などと無責任なことは言わん。ただ、己が心の赴くままに生きよ。前にも言ったが、おぬしには『英雄の素質』がある。……否、このアイオースでの騒動で、自分の身を顧みず生徒たちを救おうとしたおぬしは、すでに英雄じゃ」
「先生は、これからどうなさるのですか」
「生きれるところまで生きるとも。償いとは生きてするものじゃからな」
そのときのケイオーンの表情は、偏屈でもなんでもない、一人の優しげな老人の笑みだった。
「では、無事で。わしはおぬしになにを教えられたわけでもないが、あの図書室で一緒に過ごした日々は忘れんよ。あとサリーのことは心配するな。あの金毛の犬っころもわしと一緒で案外しぶとい。――今までこんなわしとの会話に付き合ってくれて、ありがとう」
「僕はっ……」
ベナレスはなにかを言おうとしたが、ケイオーンはそれを手で制した。
そしてその場をゆっくりと離れていく。
「ケイオーン先生!」
しかし一つの声が、その背を繋ぎ止めた。
「――どうか、お元気で」
リリウムの声だった。
「私はあなたの講義が一番好きでした」
「はは……救いの神がいるなら、今ばかりは祈らずにおれんよ」
小さくなっていく老人の背中は、どこか寂しげで――けれどどこか、嬉しげでもあった。
◆◆◆
かくして西大陸は大きな戦火に再び肩を叩かれた。
覇権を争う各〈天塔都市〉、そして城塞国家群が、アイオースでの一件を境に大々的に動き出す。
この満を持した戦争傾向は、裏で〈黒国〉ムーゼッグが糸を引いているのではないかとうわさされたが、真相が世に出るのはずっとあとのことだった。
そしてメレアたち〈魔王連合〉もまた、アイオースでの事件を契機に大きく動き出す。
後の歴史では、この日こそが『あの歴史的事件に繋がる最初の日』と称されることもあった。
世界が大きく動き出した。
あるいはそれは、〈魔王〉という言葉が巻き起こす、史上最大にして最後の――大戦争だったのかもしれない。
―――
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終:【第十四幕】【世界が動き出す日】
始:【第十五幕】【天に掲げよ、その名の意味を】
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