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百魔の主  作者: 葵大和
第十四幕 【世界が動き出す日】
193/267

189話 「覚醒前刻」

 ――解析しろ。


 〈オネイロス大聖堂の鐘〉が鳴った直後、メレアは意識的に〈術神の魔眼〉を発動させて黒風の壁を見上げた。


 ――見ろ。


 常人であれば、流入してくる情報量に脳が破裂しかねないほど負荷。


 ――すべてを。


 その間も周囲数キロに渡ってすべてを圧潰させながら落ちてくる風は止まらない。


「――」


 内包された莫大な量の術式は、いっそ美しさすら感じるほどに整っていた。

 

 ――世界の式は、こんなにも乱雑なのに。


 メレアはこのとき、ヴァンの術式とはまた別に、ある術式を見ていた。


「ああ――」


 このときメレアは、〈反転術式〉を発動しなかった。

 眼を通して流入してくる情報が頭の中で目まぐるしく乱反射する。

 思考が加速し、その思考すら振り切れたとき、メレアの中に『感覚』が生まれた。


「ああああ――」


 言葉にはならない。

 ただメレアは、その術式を『分解』しようとした。

 両手を天に掲げ、まるで黒風の壁を受け止めるように、開く。


 ――直接。ダメだ。その前に、街が壊れる。


 あの術式に直接触れられれば、それを分解できる確信があった。


 ――空間を、通して、力を、あの場所に。


 直接触れようとすればその前に街が壊れてしまうから、遠くからそれに触れようとした。


 ――右の、あれを、動かして。


 世界の式を見ていたら、それができる気がした。


 ――■■、■■■、上。■、■■■。


 言葉が消える。

 すべてが感覚の海に沈んだ。


 ――。


 そして、〈魔神〉はその日、世界の一部を――


◆◆◆


 『金色の涙』がメレアの眼から流れるようになってから、メレアにはある種の予感があった。

 それは自分で確信と認識できるほどの確固たるものではなかったが、日を追うごとにそれは鮮明になっていく。

 最初は〈芸術都市ヴァージリア〉で感じた違和。

 舞台上のジュリアナの身体に水色の光を見たとき。

 今ならわかる。


 あれは術式の光ではなかった。


 たぶん、あれはジュリアナの洗練された動きが生んだ、作用の光だった。

 

 ――人は、知らず知らずのうちに世界の式に干渉している。


 無論、一朝一夕に行えるものではない。

 だが、ジュリアナは魔眼とはまた別に、みずからの研鑽の果てに得た歌と踊りで、『人の式』に干渉していた。

 

 ――すべては式。


 世界も、人間も。

 この世界のすべては、式で表現できる。


 ――なら、その式を自在に操る者が、神なのだろうか。


 いるのかすらわからない超常の存在。

 しかし不思議と、原理を理解してしまえば(かた)くない気がする。


 ――あ。


 メレアはなにげなく、世界の式を動かそうとした。

 子どもが初めて渡された玩具に触れるときのように、悪意なく、不用心に。

 

 ――だめだ。


 しかし、世界の式に触れてそれを動かそうとしたとき、身体の中のなにかがズレる感覚があった。

 このまま触れている式を動かせば、この身体がバラバラになって瓦解する。

 まるで動かしてはならないものを動かしたことに対して、神が罰を与えるかのごとく。

 自分もまた『世界の一部』なのだということを、メレアはこのとき確信した。


 ――じゃあ、どうしよう。


 この世界のモノが、不用心に世界の式を動かしてはならない。

 人の式ならまだしも、より大きな世界の式を動かそうとすると、その反動が同じく世界の一部である自分に返ってくる。


 ――困ったな。


 しばし考えて、ふとメレアは思いついた。


 ――あ。


 『あった』。

 この世界のモノではないものが。


 ――霧絵(キリエ)■■■。


 メレアはかつての自分の名前を復唱する。

 

 ――そうだ、この魂は。


 この魂だけは、この世界のモノではない。


 ――『俺』が、『■■■』として、触れればいい。


 そのための鍵は、自分の中にある。

 開いた門の先。

 魂の奥底。


 メレアはその日、英霊たちからではなく、かつての自分自身から受け継いだものを、解き放った。


◆◆◆

 

「不発……?」


 そんな馬鹿な。

 ヴァンは自分の生み出した黒風の壁が一瞬で霧散したのを見て内心に驚愕を覚えた。


「鐘が――」


 見上げると、〈オネイロス大聖堂の鐘〉そのものが、どこかへ消えてしまっている。


「メレア……?」


 ふと、ヴァンは離れた位置にいるメレアの異変に気づいた。

 その身体から、金色に光る術素があふれ出している。


「あれは――」


 メレアの中には術士であった英霊たちの術素が、その肉体の許容量限界までつぎ込まれている。

 術素の量で言えば、メレアは人類の到達点にいるだろう。

 だが、ヴァンは今のメレアの身体からあふれ出している金色の術素を知らなかった。


「っ!」


 と、ヴァンが状況の把握に努めていると、メレアの目がこちらを向いた。

 目からは金色の涙が流れている。

 次の瞬間、ヴァンはメレアの姿を見失った。


「ヴァン」


 そして次の瞬間、後ろから声が聞こえた。


「お前今、どうやって移動した」

「わからない」


 メレアの声は意外にも落ち着いていた。

 

「俺にも、わからないよ」


 だが、ヴァンはメレアが困惑していることを察する。


「でも、どうやればこうなるのかは、なんとなくわかるんだ」


 振り向く。

 メレアの困ったような笑みがあった。

 そのときヴァンは、自分の身体に掛かっていた死霊術式の束縛が消えていることに気づく。


「……はっ、そういう方向に進化したか」


 ヴァンはメレアの眼を見て、またその身体からあふれる金色の術素を見て、ある確信を得た。


「なにか知ってるの? ヴァン」


 メレアが小さく首をかしげる。


「まあ、少しはな」


 ヴァンは自分の身体から力が抜けていくのを感じながら、ついにどっとその場に座り込んだ。


「フランダーとレイラスのやつが、お前に希望を掛けていた。その本当の意味を、ようやく知った」


 ヴァンは自分の指先が不意に薄くなったのを見る。


「お前、〈世界式〉を動かしただろう」

「……」


 ヴァンは自分の手指を見るのをやめて、メレアを見上げた。


「メレア、お前は自分がレイラスからなにを継いだのか知っているか」


 ヴァンに問われ、メレアはまた首をかしげた。


「この髪?」

「それも一つだ。でもそうじゃない。お前はレイラスからほかにもある物を継いでる」


 ヴァンが消えかけの指でメレアの眼を指差した。


「その眼だ」

「眼?」

「そう、お前は〈白帝〉レイラス=リフ=レミューゼから眼を継いでいる」


 初耳だった。


「覚醒しないのならそれでもよかった。レイラスはそう言っていた。そもそも継がせるかどうかすら悩んでいたからな、あいつは」


 その眼は、持つ者に不幸をもたらすから。

 

「レイラスはその能力があるばかりに、発狂しかけたことがある。同じような能力を持っていた古代の術士――〈パラディオン〉は事実発狂した」


 その能力は、人の絶望をもたらすと言われていた。


「〈白帝の魔眼〉って言うんだ」

「白帝の……魔眼」


 メレアはまぶたの上から自分の眼に触れた。


「〈世界式〉を見る眼だ。加えて、それは〈世界式〉に触れる鍵にもなる。だが、世界式を見過ぎると、どうも人は狂うらしい。式の揺蕩(たゆた)いから、人や世界の行く末を(いや)がおうにも理解させられるってな」


 ヴァンは大きなため息をつく。


「あと、ふとしたことで世界式を動かそうとして、その反動を身体に受けることがある。レイラスはレミューゼの宮殿の中で、自室の椅子をなにげなく浮かせようとして、体中の骨を折ったことがあった。そういえばお前、身体の方は大丈夫なのか?」

「うん。……まあ、すごく痛いけど」

「やっぱまったく反動がないってわけにはいかねえか」


 ヴァンが髪をがしがしと乱した。


「ともかく、世界式を意識的に動かすってのは危険なんだ。〈識者の森〉みてえなもともと世界式が粗雑な場所でならまだ多少の余地はあるが――」


 あの森は世界の構成が乱れている場所。

 メレアはアカシアの話を思い出す。


「まあ、だがレイラスの眼と今のお前の眼は少し違う。理由はわかるか?」


 ヴァンに問われ、メレアは考えた。


「フランダーの眼?」

「そうだ」


 ヴァンがうなずく。


「レイラスは〈世界式〉を精確に見ることができたが、『人の生み出した式』にはさほど親和性を持たなかった。人の生み出した式に対しては、フランダーの小僧がこれでもかと力を発揮した」


 メレアはその眼を継いでいる。


「性質がちげぇんだ。もともとそこにある世界式と、人が生み出した式は、似ているようで違う。だがお前は、今そのどちらをも見ることができる。これがたぶん、あの二人がやりたかったことの一つ」


 もう一つは、と言いかけたところで、ヴァンの手が光の粒になって消えた。


「ヴァン……」

「気にするな、これはお前のせいじゃない。もともと俺にはそんな長い時間の現界が許されていなかった。お前が死霊術式を解いてくれたんだろう?」

「うん……」


 メレアはさきほどヴァンに声を掛けたとき、同時にその肩に触れた。

 そしてヴァンの内部に展開されていた術式の一部を『紐解いた』。

 それが死霊術式の束縛に関わる部分だと、感覚的に理解していた。 


「話の続きだ。フランダーとレイラスがお前に掛けた希望の二つ目。――お前もなんとなく気づいてるんだろ?」


 ヴァンは残った方の手でメレアの身体からあふれている金色の術素を指差した。


「レイラスはこの世界の人間が世界式を動かしたとき、その反動が同じく世界の一部である術者自身にかかることを知っていた。だから、そのルールに対抗する術を考えた。それがお前だ、メレア。『お前』なんだよ」


 ヴァンは少し得意げに笑った。


「レイラスは基本的にあっけらかんとして明るかったが、誰よりも世界の行く先に絶望していた女でもある。レイラスは〈世界式〉を見続けたせいで、この世界がどういう道を辿って、どういう終着点にいたるのか、知っていたんだ。だがそれを認めたくなかった。あくまですべては『可能性』でしかないと、あいつは言い続けた。俺がフランダーを差し置いていうのもなんだがな、あいつはめちゃくちゃ意志の強い女だったぞ」


 ヴァンがからからと楽しげに笑う。


「だがまあ、あいつもそうだと言いながらなにもしないわけにもいかなかった。だからお前に可能性を遺した。あいつの見た絶望の未来を覆すための希望を、お前に託した」

「俺は、なにを願われたんだろうか」


 メレアにはそれがわからない。

 レイラスの見た未来は、メレアにはまだ見えない。

 だからレイラスが自分にどんな願いを託したのか、予想すらできなかった。


「勘違いするな、メレア。別にレイラスはお前をその希望で縛ろうとしてたわけじゃねえ。希望は託したが、その希望を叶えて欲しいとまでは思っていなかった。それがあいつの『母』である所以だ」


 ヴァンの足が消える。


「思うがままに生きろと、あいつはお前に願っていたよ。『どうか健やかに』ともな。だからお前はフランダーや俺たちから、お前が〈白帝の魔眼〉を継いでいることを聞かせられなかった」

「俺は、それで、いいのか……」

「いいんだよ。――いいんだ、メレア」


 優しく、ヴァンは言った。


「あんま時間ねえから、もし気になるならこれ以上はほかのやつに訊けよ。見ろ、もう消えかけだぜ」


 ヴァンは消えゆく自分の身体を見ながら、むしろ楽しげに笑った。


「そうだ、お前、今〈白神〉とか〈魔神〉とか呼ばれてるみてえだな。タイラントのやつが『ついに固有の号を得たか!』って喜んでたぞ」


 ヴァンが背中から地面に寝転がり、空を見上げながら言う。


「まあ、そのうちあいつらにも会うかもな。そんときは俺と同じように空に返してやってくれ。俺たちは時代の部外者だ。本来ここにいるべき存在じゃない」

「……うん」


 それでも、いてほしいとメレアは思った。

 でも、言えなかった。


「死霊術式の鍵は主にその者の『遺物』だ。あと、〈魂の天海〉から魂を降ろすための目安になる『(えにし)』。お前、この術者に触られただろう」


 直接ではないものの、あの翡翠色の骸骨を通して触られた。


「たぶんそのときに『因子』を抜かれてる。だから遺物さえあればこの術者は英霊の魂を降ろせる。とはいえ完全じゃない。遺物の質で、魂を定着していられる時間に制限があるんだ」


 ヴァンは月を見ていた。


「特に『遺骨』には気をつけろ。その者の遺骨は一番魂を降ろす素体として優れている。俺は骨じゃねえからそんな長い時間留まっていられねえが、場合によっちゃもっと強力な状態で降ろされてることもある」

「わかった」

「あと、あのむっつり馬鹿に会ったら伝えておいてくれ」


 セレスターのことだ。


「『俺はちゃんとメレアを成長させたぞ』ってな」


 そしてヴァンの身体はふっと光に包まれた。


「メレア、最後にお前のその力に名前をやる。お前の持つ固有の号にちなんだ名前だ」


 細かな光の粒になって空に昇るヴァンの身体と魂。


「世界のすべてを見通す〈白神の魔眼〉と、神のごとく世界を書き換える〈魔神の神威〉。どうだ? さすが俺、超かっけえだろ」

「ちょっとキザだよ」

「んなこと言うな。男ならかっこよくてなんぼだ。ああそれと、最後の最後に言っておくことがある」


 最後の声は、空から降りてきた。


『お前は俺の誇りだ』


 からん、と。

 ヴァンが寝ていた場所に乾いた音が響いた。

 ヴァンが左耳につけていた耳飾りが落ちている。


「……うん。俺も、ヴァンの息子であることを誇りに思うよ」


 メレアはその耳飾りを拾い上げて、ヴァンと同じように左耳につけた。

 メレアの眼から、透明な涙が、一粒、零れ落ちた。


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