188話 「俺にお前を自慢させてみせろ」
「セレスターとはやり合ったか、メレア!」
「っ!」
初動。
ヴァンが六翼を羽ばたかせ、その余波で周辺の建物をもろごと吹き飛ばしながらメレアに近接した。
「あいつはむっつりだが、近接戦に関しては俺よりも上だからな!」
すさまじい暴圧。
近づかれただけでメレアの身体が浮き上がりそうになる。
当然ヴァンの質問に答える余裕はない。
脇腹目がけて繰り出されたヴァンの拳を、メレアは肘で止めにかかる。
「もしあいつに勝ってたら、俺に対してもその点じゃ勝機があるぜ!」
ヴァンの拳には風が渦巻いていた。
接触と同時にただの拳からは考えられない衝撃が肘を伝う。
メレアは自分の足が浮き上がったのを感じた。
――ヤバい。
肘が軋んでいること以上に、ここでもし身体が浮き上がってしまったらと懸念する。
「〈土神の三尾〉!!」
浮き上がったら最後、自分は彼方まで吹き飛ばされるだろう。
そして自分がこの場から離れてしまうと、ヴァンの攻撃対象がリリウムに移る可能性がある。
メレアはとっさに〈三尾〉を召喚し、それをアンカーのように地面に突き刺した。
「考えたな!」
結果的に身体は浮き上がったが、三尾が楔となることでメレアの身体はその場に留まった。
ヴァンが拳を振り抜くと同時に、高揚した様子で六翼を羽ばたかせる。
猛烈な風がメレアの身体全体に吹きすさび、その暴圧で目を開けていることすらままならない。
――めちゃくちゃだ。
何人たりとも近づくことの叶わぬ、台風そのもの。
ヴァン=エスターを風の神と呼ばずして、誰をそう呼ぼうか。
「ハハッ! 『そのまま』でいいのかよ、メレア!」
ヴァンが高笑いしながら言う。
「言われっ、なくても!」
最初から全力で行かなければこの男は倒せない。
メレアは頭の中でスイッチを切り替えた。
「〈暴神の憤怒〉――〈四門封解〉」
〈神門〉が開かれる。
メレアの髪がみるみるうちに黒色に変わり、その身体から莫大な量の術素が溢れだした。
「〈麗刀時雨〉!!」
びりびりと身体の芯にまで響く風に耐えながら、メレアは天を指差した。
天空に無数に現れる青い刀。
「叩き潰せよ! 〈黒風〉、〈聖ヘテロクロイスの進門〉!」
メレアが腕を振り下ろすと同時、ヴァンが両手を前に出して術式を展開した。
異様な速さで展開された術式は、しかし刹那の展開にそぐわぬ圧倒的な存在感とともに顕現する。
それは黒い壁だった。
黒く、巨大な、風の壁だ。
「死ぬなよ、メレア!」
メレアの視界のすべてを覆ったその黒い壁は、内部で風のようにうねりながらメレアに向かって『前進』する。
メレアが振り下ろした数十本に及ぶ〈麗刀〉をすべて受け止めながら、目の前のメレアを圧殺せんとばかりだ。
――死っ……
メレアの心臓が跳ねた。
断じてこれは『盾』などではない。
これは殺戮兵器だ。
進み行く空間に蚤の命さえ残さぬ大規模攻撃術式。
「リリウム!! 俺の後ろにいろ!!」
叫びながら、メレアは術式を転換していた。
――収束させろ、一点突破だ。
「〈牙風御雷〉!!」
メレアは〈雷神の白雷〉と〈風神の六翼〉を合成し、背に六枚の雷翼を再装填する。
さらにそれを凝縮し、目の前の一点に向けて羽ばたかせた。
雷の風と黒い風が、爆散した。
◆◆◆
爆砕。
焦土。
アイオースはこの日、その地図上に更地を作った。
「よお! 生きてるか、メレア!」
悲鳴すら上がらない。
瓦礫は音を立てない。
すべては粉々に砕け散った。
「馬鹿、げてやがる……!」
唯一耳を打ったのはヴァンの快活な声と、自分の悪態を伴った声。
リリウムは後ろで恐怖と驚愕に顔を歪めたまま固まっていた。
「俺はな、タイマンじゃセレスターに負け越してるが、対多数においてあいつに負けたことはねえ! 〈ワイズ=ナード戦役〉でも戦果は俺の方が上だった!」
まさしく、ヴァンの術式は広範囲の攻撃能力に優れている。
「つまりなにが言いてえかっていうと、タイマンで俺に勝てねえようじゃセレスターには勝てねえってことだ!」
「ああ……セレスターとはまだ、やり合ってないよ」
このときになって、メレアはヴァンの最初の質問に答える。
「なら、ここで俺を倒さねえとお前に未来はねえ」
わかっている。
わかっているが、目の前の壁はあまりに高い。
もっとも苛烈な戦乱の時代を生きた『全盛期の英雄』というものが、自分の想像をはるかに超える存在であることをメレアはこのとき再認識する。
「桁が、違いすぎるわ……」
後ろでリリウムが震えた声をあげていた。
「メレア……」
「でも、やるしかない」
メレアは膝を立て、立ち上がる。
心を折ってはならない。
自分だけは、折るわけにはいかない。
「俺は、この道を行くと決めた」
魔王の英雄としての道は、まだ見えている。
今目の前に、その道を遮る壁がある。
今まで背中を押してくれていた暖かな手は、立ち塞がる手として目の前にあった。
「ヴァン、あなたに、未練はないか」
メレアは言った。
「ああ、ねえよ」
ヴァンは耳飾りを揺らして答えた。
「だが、ここで俺がお前に勝っちまったら、また未練が生まれるかもな」
梟の風切り羽が、黒い風になびく。
「そうか」
「お前はどうだ、メレア」
ふと、ヴァンが柔らかな微笑を浮かべて逆に訊ねた。
「俺には――あるよ」
メレアには未練がある。
「あなたが生きている間に、あなたを超えることができなかったという未練が」
メレアの答えに、ヴァンは一瞬目を丸くしたが、すぐに快活に笑った。
「いいぜ、メレア。それでこそ俺の息子だ。なら、今ここで超えて見せろよ。今の俺はリンドホルム霊山にいたころより圧倒的に強いぜ?」
ヴァンが再び黒い六翼を展開する。
「メレア、自分の武器を思い出せ。自分の持っている武器がいったいどんな形で、どんな性質なのか。そんで、その武器でもって、どうすれば相手を倒せるのかを考えろ」
ヴァンが言う。
「で、もし持っている武器で相手を倒せないと思ったら――」
〈風神〉ヴァン=エスターでなければその答えは出ない。
〈術神〉フランダー=クロウであったら、『逃げろ』と言う。
〈雷神〉セレスター=バルカであったら、『大人しく退け』と言う。
〈戦神〉タイラント=レハールであったら、『一矢報いてから死ね』と言う。
〈炎神〉フラム=ブランドであったら、『そもそもそんな状況はありえない』と言った。
だが、この男はこう言う。
「今、この場で成長しろ」
この男は、〈識者〉と呼ばれた聖人の血を引く、大馬鹿者である。
「お前は俺に似ている。レイラスにも似てるが、俺にもだいぶ似てる。俺の血を引くお前は、同じく〈聖ベルセウス〉の血を引いてるが、そうは思えないくらい馬鹿だ。んで、その馬鹿を貫き通せるくらい、頑固者だ。それに、根性がある」
――根性でどうにかなるものではないよ。
メレアは『笑った』。
「お前は本番に強い。俺は霊山にいたころから、実戦形式でボコった方が成長がはええってほかのやつらに言ってた。フランダーの小僧は優しすぎたからな。ここぞってところじゃお前の身を案じちまう。だけど俺やタイラントは別だ」
「ああ、そうだったね」
メレアは思い出した。
「たぶんな、フランダーの小僧がもし現世にいるんだとしたら、お前よりよっぽどうまく〈反転術式〉を使うぞ」
「だろうね」
あれはそもそもフランダーの術だ。
「ぶっちゃけると、俺も『今』のあいつとやり合ったら、たぶんすべての秘術を相殺されるかもしれねえ」
「そうなんだ」
「この術式は『過去の再現』じゃねえからな。ともあれ、お前がもしこれからフランダーとやり合うことになったら、そのときお前はあいつと同レベルにいるしかあいつに勝つ方法がねえ」
そのとおりだろう。
「そうでもなきゃ、『術式』じゃあいつには勝てねえからだ」
「うん」
「あとは――」
「ヴァン」
そこでメレアはヴァンの言葉を遮った。
「もう、ヒントはいいよ。やるべきことはわかってる」
「――そうか」
メレアはヴァンの両腕が震えていることに気づいた。
まるで、別の意志で動かされようとしている腕を、あらんかぎりの意志の力で押さえているような。
「ヴァン、つらい?」
「……少しな。この〈死霊術式〉の術士はだいぶ策士だ。ついでに憎たらしいほど調節がうめえ。俺がこの術式に逆らおうとすればするほど、縛りを強くしてきやがる」
「そろそろ限界?」
「ああ、たぶんもう喋れなくなる」
「じゃあ――最後に手合わせをお願いするよ」
メレアは一歩前に出た。
「負けても泣かないでよ」
「誰が泣くか、馬鹿野郎」
ヴァンも笑って前に出た。
「止めろよ、メレア」
「うん」
「折れるなよ、メレア」
「うん」
「俺にお前を自慢させてみせろ」
「わかった」
そして〈風神〉は手を天に掲げた。
「すべては夢だった、目覚めの鐘を鳴らせ――〈オネイロス大聖堂の鐘〉」
メレアは遥か高空に現れた巨大な黒い鐘を見上げた。
そして、ほぼ同時に――
自分の中にあるもう一つの『門』を開けた。
それがなにを表す門なのかはわからなかったが、メレアはそれが自分の身体の奥底に通ずる門であることを確信していた。
とある神話の中で、世界の終末を知らせたという黒い鐘が鳴る。
一度。
二度。
三度。
三度目の鐘が鳴ったあと、空が真っ暗になった。
メレアは眼にほのかな熱を感じながら、空の暗闇を見つめる。
そして、メレアの眼から『金色の涙』が流れると同時――
空から終末の風が降りてきた。