185話 「月光の下に肢体は揺れる」
宿に帰りついたメレアたちは、その日会ったさまざまな出来事を反芻しながらそれぞれの部屋で休息を取った。
メレアはもうアイオースの中をもう一回りしてくると仲間たちに伝言を残して街へ繰り出す。
結局メレアが再び宿へと戻ってきたのはみなが夕食を取り終えたあとだった。
「おかえり、メレア」
そんなメレアを迎えたのはリリウムである。
宿の玄関口を抜けたところで、シャワーを浴びたばかりらしいリリウムが髪をタオルで拭きながら階段を昇っていた。
「ただいま、リリウム」
「なにか収穫はあった? 例の〈識者の森〉の話以外で」
どうやらすでにアカシアから聞かされた話は伝わっているらしい。
マリーザあたりが抜かりなく伝言したのだろう。
メレアは肩をすくめて頭を振った。
「なにも。強いて言うなら今日もアイオースの学生たちは元気だった」
「そうね。あんたが言ってた白薔薇の学生による会合も気になるけど、あんたのところにはあれからなんの音沙汰もないんでしょ?」
「うん。もしかしたら彼らに愛想を尽かされたのかもしれない」
「潜入して情報を得るって観点からだと惜しいけど、別にいいんじゃないの。たぶんろくなもんじゃないから」
リリウムは踵を返して階段を下りながら言った。
「大規模な術式が使われたんでしょ?」
「それもあまり質の良い術式じゃない。精神感応系の術式だ」
「きなくさいわね。アイオースに似つかわしくない――って言いたいところだけど、若さと世間知らずさに拍車が掛かってるここの学生なら、ある意味それらしいかも。アイオースは面倒事に蓋をする都市だし、地下でそういうろくでもないことが知らずのうちに行われててもおかしくはないわね」
「その抑圧がどこかで暴発しないといいけど」
メレアの鼻腔をいい匂いがつついた。
リリウムが使った洗髪剤の匂いだろうか。
「そうだ、こっちはあんたの魔眼の変調に有用そうな例の〈パラディオンの狂書〉を取ってこれたから、あとで渡すわね」
「おお、さすがはリリウム」
メレアが褒めると、リリウムはジトっとした目でメレアを見つめる。
「あんた、少しは危機感持ってるの? あんたは自分以外の危機にはびっくりするくらい敏感だけど、案外自分の危機には疎いからね」
リリウムはタオルを片手で持って、空いた手でメレアの胸の中心に人差し指を立てた。
メレアはそんなリリウムの言葉に苦笑して、
「ごめん、ちゃんと意識してはいるよ。でもほかのことがいろいろ気になっちゃって」
「はあ。……まあいいわ、そのためにあたしたちがいるんだし」
「うん、ありがとう」
率直なお礼の言葉に、リリウムがまんざらでもなさそうに少し頬を紅潮させる。
「じゃ、身支度してからあんたの部屋に行くわ」
「わかった、待ってるよ」
そう言ってリリウムは再び階段を上る。
メレアは彼女の背を見送ったあと、同じく階段を上りはじめた。
◆◆◆
メレアが部屋へ戻ってしばらくすると、不意に扉がノックされた。
「いるよー」
適当に返事をする。
すると扉が開いて、外から――
「こんばんはぁ、メレアちゃーん」
〈知王〉ミラが入ってきた。
「あれ? ミラ?」
てっきりリリウムが来たものだと思っていたメレアは少し面食らう。
しかし彼女を外に追いやる理由もなくて、そのまま部屋へ迎え入れた。
「どうしたの?」
ミラもまた髪がしっとりと湿っている。
もしかしたらリリウムのあとに宿に備え付けの浴場にでも入ってきたのかもしれない。
いつにも増して艶やかな彼女が、申し訳程度に隠れている胸元を大きく揺らしながら、メレアの傍に歩み寄った。
「助けて、メレアちゃん」
「ん?」
メレアはミラの言葉にふと襟を正す。
なにごとかあったのだろうかと身構えた。
「部屋に――」
なにか侵入者の痕跡でもあったのだろうか。
「虫が出たの」
「虫……」
「結構大きいの」
「そうか……」
虫ごときに狼狽える女だったろうか。
ふとメレアは彼女と過ごした日々を追憶するが、すぐには答えが出ない。
とはいえ、実際にこうして彼女が助けを求めている手前、行かないわけにもいくまい。
メレアは椅子から立ち上がってミラに笑みを見せた。
「よし、行こう」
「ありがとうー」
そうしてメレアはミラとともに彼女の部屋へと向かった。
◆◆◆
ミラの部屋の扉を開けると、そこは真っ暗だった。
窓から差し込む月明かりでかろうじて視界が確保されている。
「あれ、そういえばミラって一人部屋だっけ?」
マリーザは別の部屋だったろうか。
そんなことを思っていると、不意にメレアは後ろから強く背を押された。
「うわっ」
前につんのめってベッドに倒れ込む。
「あはは、ホントにメレアちゃんって敵がいないところだと無防備ねぇ」
後ろからミラの楽しげな声が響いて、次いでドアがガチャンと音を立てて閉まった。
「ミラ?」
「そのまま、そこにいて」
「む、虫は?」
「そんなのいるわけないじゃない。いても自分でなんとかしてるわ」
やっぱりだ。
ミラは女であっても虫に腰を抜かすような女ではない。
ほかの〈魔王連合〉の女性陣と同じく、自力でどうにかしてしまう精神力を持っている。
と、そんなことを考えているとミラがメレアに近づいてきて、
「じっとしていて」
服を脱ぎはじめたのがわかった。
「えっ?」
「いいから」
なにがいいのかわからない。
メレアが状況を理解できずに固まっていると、ミラがその肌にかろうじて掛かっていた服をするりと脱ぎ去り、下着姿でベッドの上に乗っかった。
メレアを下に、まるで上から襲い掛かるような体勢だ。
「ちょ」
メレアは目のやり場に困った。
ミラの肢体は傍目に見ても女性的な魅力に秀でている。
おそらく〈魔王連合〉の中でも屈指だろう。
〈魅魔〉ジュリアナ=ヴェ=ローナの加入によって勢力図が変わった、とほかの男性魔王たちは言っていたが、なおもミラはトップに近い位置に君臨している。
「メレアちゃんは、わたしの身体嫌い?」
ミラが腕を曲げて、その身体の前面をメレアの胸に押し付けてくる。
彼女の足が自分の足に絡んできて、柔らかな感触が腿の内側に生じた。
撫でるように感触が上に上がってきて、
「ちょ、待って、ミラ」
「ダメ」
メレアは身じろぎをするが、それをミラが左手で押さえつけた。
右手が首から肩を撫で、襟の内側から服の中に侵入してくる。
ミラがメレアの首元に口を近づけ、ちろり、と首筋を舐めた。
「っ」
メレアの背筋をぞくりとする。
それは悪寒ではない。もっと違うなにか。
「ねえ、答えて」
ミラの髪から漂う甘い匂いがメレアの意識を朦朧とさせる。
「嫌いじゃ、ないけど……」
メレアの答えに他意はない。
むしろ、メレアにはそう答える以外に余地などなかった。
ミラが自分の身体を維持するために努力していることは知っていたし、理由もなく彼女のなにかを嫌いだとは言えない。
ミラ自身、そのことをわかっていた。
だからミラはくすくすと楽しそうに笑った。
その姿もまた、妖艶だった。
「メレアちゃんは優しいのね。本当に優しい。でも、男は優しいだけじゃだめよ」
ミラの手が服の内側に入ってきて胸を撫でる。
その美しい指がメレアの身体から力を奪っていった。
「わたし、たぶん一番卑怯ね」
ミラは今度はメレアの頬に口を近づけ、そしてまた舌で撫でた。
次いでメレアの腰の上に馬乗りになったまま、おもむろに下着を脱ぎはじめる。
月光にほのかに照らされた彼女の白い肌が、徐々に露わになった。
「あなたの優しさを利用して、今からあなたを襲おうとしている」
「襲――」
「あなただって子どもじゃないんだから、わかるでしょ?」
下着を脱ぎ去ると同時、ミラは自分の胸を片手で隠しながら扇情的な笑みを浮かべた。
「わから、なくは、ないけど――」
「でも、あなたは抵抗もしない」
というよりできない。
ミラの目には妙な覚悟があった。
今彼女を突き離したら、もしかしたらこのまま一生会えなくなるのではないか。
そう思ってしまうような固い決意。
なぜミラがこんな状態になっているのかメレアにはわからないが、ただ、男としての感情を抜きにして、今この場で彼女を突き放してはいけない気がしていた。
「ねえ、わたしをめちゃくちゃにしていいのよ」
ミラはいつもの甘い声音ではなく、妙に澄んだ口調で言った。
「お願い、めちゃくちゃにして」
「どうしたんだ、ミラ」
「わたしは今、あなたを感じていたいの」
なにを言っても聞かない。
ミラは上の下着のみならず、腰に紐で縛ってあった下着までも脱ごうと動きはじめる。
「今しか、ないの。エルマちゃんやマリーザちゃんやリリウムちゃんには悪いけど、わたしには時間がないから、卑怯で無理やりだけど、あなたを先に独り占めにする」
紐がほどけた。
「ダメだ、ミラ」
「なにもダメなことはないわ、メレア」
ミラが胸を隠していた手を取り去り、またメレアに抱きつく。
腰の下着はかろうじて引っかかっているが、それも時間の問題だ。
ミラの手は次にメレアの服のボタンを器用に外していく。
「なにをしてもいいのよ。わたしはあなたのすべてを受け入れる。乱暴に扱ってもいい。わたしをぶってもいい。気が済むまで好きなようにしてくれていい。わたしはあなたのすべてを受け入れるから、あなたもわたしに愛を頂戴」
ミラの胸の下で、メレアの服のボタンが外れた。
肌と肌が密着し、またメレアの背筋をぞくりとなにかが通る。
「少しでいい。全部とは言わないから、あなたが男として与える愛の一部を頂戴。そうしたらわたしは、どんなことにも負けないで走っていける。――あなたはわたしが認めた最初で最後の人。わたしが身体を許す、最初で最後の男」
ミラがメレアの手を取った。
その手を自分の胸に近づけ――
『メレアー、いないのー?』
外からリリウムの声がした。





