183話 「黄金のリンゴと世界式」
【百魔の主5巻について】
2016年7月9日発売予定です。発売まであと1週間とちょっと!
カドカワBOOKS公式HPで5巻の表紙が見られますので、ぜひ見てみてください。
シーザーもジュリアナもメレアも素晴らしく美麗です。
『改めて名乗ろう。私の名は〈アカシア〉。梟として生まれた時点で私に名前などなかったが、〈聖ベルセウス〉というおせっかいが人の言葉で私に名前をつけた』
梟はメレアの肩から飛びあがり、空中で小さな風の翼を展開させると、そのまま黄金のリンゴの樹まで飛翔してその枝に止まった。
『いわく、『賢者』という意味らしい』
メレアは黄金のリンゴの樹に歩み寄り、片翼の梟――アカシアを見上げて微笑む。
「ふさわしい名前だと思うよ、アカシア」
『そうか』
アカシアは目を伏せて遠い過去に感じ入るように数秒の間動きを止めた。
『メレア、お前はどうしてこの森が〈識者の森〉と呼ばれるか知っているか』
ややあってからアカシアが再びメレアの方へ視線を向け、訊ねる。
「うーん……、アカシアがここにいるから?」
メレアは顎に手をやりながら今までの情報を頭の中の引き出しから取り出す。
アイオースで聞いた〈識者の森〉の情報は、それなりに危険であること、森の中には主と呼ばれる者がいること、そのくらいしかない。
であれば、この、人間の言葉を喋り、侵入者に対して当初排他的であった賢い梟が、森に入るものにとってネックであったからそう呼ばれたのではないかと、至極単純な図式が思い浮かぶ。
『違う。実を言うと私は関係がない。この森は単独でそう呼ばれる。この――『黄金のリンゴ』が大きなヒントだ』
アカシアは枝の近くに生っていた黄金のリンゴを細目で眺める。
『お前は今までの人生で、黄金に輝くリンゴを見たことがあるか?』
言われてみれば、ない。
成熟したリンゴはどれも赤かったし、熟れる前のリンゴは青かった。
腐れば黒や茶色に変色することはあっても、さすがに黄金に輝くリンゴなど生まれてこの方見たことがない。
「ない、な」
『それが普通だ。なぜなら黄金のリンゴというものは普通自然に発生するものではないからだ』
「じゃあ、そのリンゴは誰かの手が加えられているの?」
『いや』
アカシアは首を振った。
『これは自然に発生したものだ』
メレアが首をかしげると、アカシアはそのまま続けた。
『つまり、このリンゴは――』
その日メレアはこの世界の『真理』というものの一端に触れる。
『『構成式』そのものがはじめから歪んでいるのだ』
◆◆◆
『この世界が式によって定義づけられ、この世のあらゆる事象は式によって構成されているという話は知っているか』
「術士が最初に学ぶ基本的な概念だね」
『そう、術式を扱う者――術士はこの基本的な概念を理解し、その法則に則ってさまざまな力を発揮する。――では、人間自体もそういった式によって構成されているという考えを浮かべたことはあるか?』
少し前であれば多少の逡巡を経たかもしれない。
しかしメレアは、芸術都市ヴァージリアから帰ってきてからの魔眼の変調を思い出して、おそらくそれは正しいのだろうと、ほぼ確信のように思っていた。
「……ある」
『ほう』
「というのも俺は――」
メレアは〈盗王〉クライルートとのいざこざのとき、助けに入ってきたリリウムの顔に『見てはならないもの』を見てしまったときのことを思い出した。
「『人間の式』を見たことがある」
『……』
アカシアの顔が一瞬わずかに険しくなったのをメレアは見る。
それは驚きと懸念、さらにいくつかの感情が入り混じった複雑な表情だった。
『メレア、一つ訊く』
するとアカシアがまた口を開いた。
『お前、百の英霊からさまざまな因子を受け継いだと言ったな』
「ああ」
『……〈白帝〉レイラス=リフ=レミューゼからはなにを継いだ』
レイラス。
メレアは彼女の名を聞いてとっさに自分の髪に触れる。
「この白い髪を」
『それだけか』
「……少なくとも、俺が聞いているのは」
『なるほどな』
『あえて言わなかったか』そうアカシアが小さくつぶやいたのをメレアの耳は捉えた。
『だが、それだけではないな。お前の魂が〈異界の魂〉であることもなんらかのきっかけになっているのだろう』
「さっきからなんの話をしているんだ?」
『いや、たいしたことではない。話を戻すぞ』
アカシアは半ば無理やりに話題を元に戻す。
『黄金のリンゴの話だ。この黄金のリンゴは、この世界に存在する普通のリンゴと違って、根本的に『構成術式』が歪んでいる。実を言うとリンゴだけではない。この〈識者の森〉の最奥にあるものは、みなそれぞれどこかに構成術式の歪みを抱えている。色のついた空気、上に降る雨、絶対に砕けぬ石に、透明の花。本来であればありえない事象が、この〈識者の森〉では容易にして起こる』
アカシアがふと斜め上を見上げた。
その視線の先にはやけに低い位置を滞空する雨雲がある。
『あの雲から生まれる雨は、天空に向かって落ちる。理由はわからん。ただそういうものとしてそこにある』
想像すらしづらい。
メレアは生唾を呑んだ。
そして同時に、話を聞いているうちにこの場所が妙におそろしく感じられてくる自分にも気づく。
「どうしてそんな変なことになってるんだ」
『わからん。私も完璧な答えを持っているわけではない。だが、一つ言えることもある。この世界の構成術式は、人間が思っているよりもずっと不安定だということだ。この〈識者の森〉は、世界でもっとも〈世界式〉が粗い場所。神は人間の理想ほど完璧な存在ではなかったし、人間が願うほど慈悲深くもなかった。神はこの世界を作ったあと、みずから手を加えて粗い網目を直そうとも思わなかったらしい』
そのあたりでメレアは少し前にもこんな話を聞いたな、と思い至る。
――〈精霊〉。
そう、カルトの話だ。
その話を思い出した直後、メレアはこの〈識者の森〉にどうしてこんなにも精霊がたくさんいるのかに答えを見出す。
「だから、ここにはこんなにもたくさんの精霊がいるのか。崩れかけている〈世界式〉の一部をみずからの身体を使って直すために」
『なるほど、精霊については多少知恵があるようだな。そこにいる〈精霊の子〉のおかげか』
ふとアカシアがカルトの方を見た。
カルトは二人から少し離れた場所で、あぐらをかきながら楽しげに宙を見上げている。
その顔には優しい笑みがあって、また、カルトの周りには数多くの精霊がふわふわと飛んでいた。
『あの子もまた、この場所の影響を受けているな』
アカシアがカルトを見ながら言う。
メレアはその言葉を聞いてカルトを注視した。――薄紫色の髪が、わずかに発光していた。
「あれは……」
『あの子の精霊の部分がこの地に感応しているのだ。あまり長居はしない方がいい。あの子の命が縮む』
メレアの胸が嫌な跳ね方をする。
「なら、単刀直入に聞きたいことを訊ねてもいいか」
『本来なら許さぬと言いたいところだが、お前はヴァンの子だ。ということはつまり、〈聖ベルセウス〉の末孫ということでもある。不覚にもやつらには返しきれぬ恩があるから、答えられる範囲で教えてやろう。さあ、お前は私になにを聞きたい?』
そしてメレアはアカシアに訊ねるべきことを、いつもよりずっと急いで、頭の中に思い浮かべていった。
◆◆◆
メレアがアカシアに訊ねたのは大きく分けて二つのことだった。
一に、現在の西大陸の情勢について。
それと、西大陸にいる〈魔王〉について。
いわば俗世に関わることである。
『黒国ムーゼッグが西大陸に介入してきてより情勢は荒れた。もともと争いごとの多かった西大陸の都市国家群――〈天塔都市〉、〈城塞都市〉に関しては言わずもがなだが、俗世に対して不干渉理念を掲げていた〈学術都市〉アイオースにまでその争いの空気が紛れ込んでいる。私の旅好きな友人――といっても人間ではなく四枚翼の鷹だが――が言うには、すでにもう一つの天塔都市が滅びる寸前らしい』
「〈第一天塔都市クールーズ〉関連か」
『そうだ。〈石王〉を名乗る魔王が力を貸しているらしい』
アカシアの持つ情報とあの学術都市の遊び人〈エンテ〉が持っていた情報は一致する。
おそらく間違いはないだろう。
『加えて、アイオース内部でも不穏分子の動きがあるとのことだ。これは二又尾の猫の情報だがな』
「そこにムーゼッグが関わっているという情報は?」
『ある。ムーゼッグはすでにアイオースに紛れ込んでいるぞ』
やっぱりか、とメレアは額を手で押さえた。
『ただ、やつらの目的がどこにあるのかは定かではない。というのも、やろうと思えばムーゼッグはいつでもアイオースを潰せる。西大陸全体の情勢がここまで混乱していなければ、西大陸対東大陸という構図でムーゼッグの暴虐を止められたかもしれないが、西大陸自体がすでに内部で激しく争っているところだ。今ムーゼッグがその暴虐の手を伸ばしても、団結してそれを払いのけることはできないだろう』
「それすらを見越したのかもしれないな、やつらは」
『可能性は十分にある』
タイミングが良すぎる。
情報が揃えば揃うほど、すべてがムーゼッグのたぐいまれな戦略手腕によってなされているのではないかという思いが強くなってくる。
『だが、不思議なことにムーゼッグはまだアイオースで大きな事を起こしていない。目的は別のところにあるのかもな』
「アイオースにいる〈魔王〉を手に入れるため、とか」
『……』
メレアの言葉にアカシアは思案気な表情を見せた。
『〈魔王〉であるかはわからぬが、一人、〈白緑の天才〉と呼ばれ囃し立てられている人間がいる。たしか〈青薔薇の学園〉の生徒だ』
白緑の天才。
メレアはその単語だけで、あの『夜会』のときに唯一謎の術式に影響されていなかった青年を思い出した。
彼は珍しい白緑色の長髪を持っていて、少し自分に似ているなと、そう思った記憶がある。
『まるで〈叡智の聖典〉を持っているのかと思うほどの聡明さであるらしい』
「〈知王〉の持つ特殊な能力だよね」
『ほう、知っているのか』
「うちにはその末裔がいるから」
そう言ってメレアは自分の後ろを見た。
今メレアの周りには共にこの場についてきた仲間たちが固まって座っているが、その最も後ろにミラが控えている。
自分の真後ろでぴしりとした体勢で正座をしていたマリーザを飛び越し、そのミラの方へ視線をやると――
「ミラ?」
「ん? あ、なにぃ、メレアちゃん?」
ミラは揃えた足を横に流して、気品と独特の艶めかしさの感じられる体勢で座っていた。
返事をするときに長い艶やかな黒髪がさらりと揺れて、よりいっそう蠱惑的な空気を醸し出す。
「ぼーっとしてたけど、どうかした?」
「難しい話だから頭の中の真面目スイッチを切ってたのよぉ」
「あなたが真面目であったことってあるんですかね、そもそも」
「あっ! マリーザちゃん厳しい! わたし泣いちゃう!」
わざとらしくメレアからミラへの視線を遮るように座る位置を変えたマリーザが、ミラに告げる。
「まあ、ここまで結構遠かったから、疲れちゃったのかもね」
メレアがそんな二人を見ながら苦笑して言った。
「そうねぇ、そうかもしれないわねぇ。――じゃあメレアちゃん帰ったらわたしのことマッサージして? どこ触ってもいいから、というかできれば普段あまり触らないところをがっつり触っちゃっていいからその上でいい感じにエロく――」
ミラが身体をくねらせながら言う。微妙に頬が上気している。
「ならわたくしが代わりに行いましょう。わざわざメレア様の手を煩わせる必要はないので。――ないので」
「かなり顔怖いわ、マリーザちゃん」
結局その場ではミラの違和感に誰も気づかなかった。
「アカシア、今ちょろっと出たけど、その〈叡智の聖典〉についてもなにか知らない? ミラは〈知王〉の末裔でもあるんだけど、自分の〈叡智の聖典〉がどんなものなのか自分でもまだよくわかっていないみたいなんだ」
『そうなのか?』
「……?」
メレアが訊ねると、珍しくアカシアがきょとんとした顔を見せた。思わずメレアも首をかしげてしまう。
『まあ、別に構わんが。――〈叡智の聖典〉も〈世界式〉とやや関連するところがある。お前が訊ねたかったというその〈魔眼〉の変調についても兼ねて、少し説明してやろう』
そしてアカシアは呼吸を整えるように一拍を置いてから話しはじめた。
【余談】
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