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百魔の主  作者: 葵大和
第十四幕 【世界が動き出す日】
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176話 「それは誰の見た悪夢か」

『お父さんが戦争に行って死んだのはお前のせいだ』

『貴様ら一族がいなければこんなに大勢の人間が犠牲になることはなかった!』

『なにが英雄だ! 人々を惑わす魔王め!』


 声が聞こえた。


『違う! 父上はこの進軍に反対していた! それをお前ら民衆が考えもなく押し切ったんだろう!』


 少年が目に涙を浮かべながら叫んでいた。


『なにを言うか! 結局貴様の父は軍を率いたではないか! その結果がこれだ! 塔は死に、多くの民が魂の天海に帰って行ってしまった! もはや我が国に西大陸を生き抜く力はなくなった!』

『自分たちの責任は棚にあげて父上を責めるのか! っ、お前らは勝手だ! 国の中でビクビクと震えていることしかできなかったくせに!!』

『なにを……!』


 殴られた。

 大勢の大人に蹴られた。

 痛い。

 でも――


 ――父上はもっと痛かった。


 肉を斬られ、骨を潰され、挙句の果てに火にかけられた。

 数少ない生き残りの兵士たちを、それでもなお責任を持って生還させたというのに、母国の人間は彼を〈魔王〉だと罵った。

 

 ――便利な言葉。悪魔の残した実体のない獣皮(じゅうひ)


 かつての惨劇が人々の脳裏に刻み付けたのは、実体を失ってもなお悪感だけを呼び起こさせる意味の皮だった。

 口に出せば身体の中でえも言われぬ違和感が身じろぎする。

 なんとなく口に出すのは憚られ、ひとたび音にしてしまえば身体の中に悪い火がついてしまった気になる。

 それほどに〈悪徳の魔王〉たちが人々に刻み付けた〈魔王〉という名の印象は強烈だったのだろう。


 ――ただの称号なのに。


 古い時代の話。音の羅列でしかない名称。

 しかし語り継がれるうちにその音の羅列には見えない力が宿った。

 そしてその力に大衆が影響されているうちは、この空虚さに気づいている少数は押し潰される。


 ――悪いのは〈魔王〉という言葉なのか。それともこの馬鹿げた風習に気づけない大衆なのか。


 いずれにしても『僕』にはこの大きな社会を変える力がない。

 抗う力もない。

 でも――


『……今に、見ていろ』

 

 いずれ復讐してやる。

 なにもわからぬ大衆どもめ。

 気づこうともしない愚衆どもめ。

 自分たちの無知を棚にあげて、勇気ある英雄を恥もなくけなすお前らは、もう一度地獄を見ればいい。

 そして自分たちがいかに馬鹿で無知であったかを思い知ればいい。

 もう後悔しても遅い。

 僕は貴様らの言う〈魔王〉の末裔として、貴様らに宣戦を布告する。


『貴様らはみずからの行いによって滅びるのだ』


◆◆◆


「やめろッ!」


 ベナレス=ファルムードは自分の裏返った声とともに目を覚ました。

 汗で湿って頬にぴったりとついた白緑の髪。

 わずかに開いた瞳孔と、浅く早い呼吸。

 ベナレスは今自分がベッドの上にいることもすぐには理解できないまま、数十秒の間視線を虚空に漂わせた。


「夢……か」


 あまりにも鮮明な夢だった。

 人々に罵倒される夢。

 夢の中で蹴られた腹は今でも熱を持っている気さえする。

 そしてなにより、そんな彼らに対して復讐を誓った自分の決意は、妙に強く生々しかった。


「これは……僕の記憶なのか」


 自分にはアイオースに来る前の記憶がない。

 これまで夢に見ることもなかった。

 だからこそ、今日見た夢が失った自分の記憶の一欠片なのではないだろうかと『不安』になる。


「僕は……」


 さまざまな憶測がベナレスの中に生まれては消え、また生まれては消えていった。

 回りすぎる頭がありえないとすら思える可能性まで拾い上げて、なおも自分を焦燥させる。


「違う……こんなのは……僕の記憶じゃない……」


 ベナレスは両手で顔を覆ってベッドの上でうつむいた。


「くそ……」


 記憶がないことを自覚しているがゆえに、物事にあまり動じることのなかったベナレスは、この日はじめて自分の感情に精神を揺さぶられた。

 いつまた記憶を失うとも知れぬ自分。

 きっと記憶を失ったあとの自分は、これまでの自分ではない。

 だからきっと、自分の選択による責任に押し潰されることもなければ、どうせ失われるそのときの感情の記憶に(さいな)まれることもないだろう。

 そう思っていたがゆえの鋼の精神。


「これは誰かが見せた悪夢だ」


 それこそきっと、魔王の仕業だ。


 ベナレスは知りもしない誰かに責任を押し付けることで、なんとかベッドから抜け出た。


◆◆◆


 身支度を整えて〈青薔薇の学園〉へ向かったベナレスは、教室の窓辺の席に座って空を見上げていた。

 頭の中は今朝の夢のことでいっぱいで、どうにも講義には集中できない。

 どちらにしろ今日の術式講義の内容はすでにすべて頭に入っている。

 聞いたところで有意義にはならないだろう。


「試験の間近だと言うのにずいぶん余裕だな、ベナレス」


 ふと後ろから声をかけられた。

 ベナレスが声につられて振り向くとそこには見慣れた顔がある。

 

「僕との勝負を忘れたわけじゃあるまい」


 ギルバート。

 いつものぴしりと整えられた髪と、黒縁の眼鏡。

 さほど奇抜な外見ではないが、同性から見ても顔は整えっている方だろう。


「もちろんさ」


 ベナレスは力なく笑ってギルバートに答えた。

 

「顔色が悪いな、君。今朝嫌なことでもあったか」


 ギルバートが片眉をあげて珍しく心配げな表情で言った。


「まあ、いろいろとね」


 ギルバートでなければ適当に流しただろう。

 けれど彼は、この学園にいて唯一本音を語れる――あるいは語りたくなる――人物だ。

 夢のことを言いはしなかったが、自分が現状普通の状態ではないことは言葉の端に乗せた。


「しっかりと体調を管理するのも学業の一環だぞ。学ぶことは体力を必要とする。そのための肉体を整えるのも頭を使うことと同じく重要なことだ」

「おもしろい言い回しをするね。でも正鵠を射ているとは思うよ」

「本番で体調が悪かったから負けたなんて言い訳はなしだぞ」

「大丈夫、僕だってそこまで恥知らずじゃないさ」

「ならいい」


 そしてまたギルバートは机上の本に視線を落とした。

 ベナレスもそれを合図に一度だけギルバートに微笑んで前を向く。

 人の意識に干渉する術式の難解さについて、講師が熱弁しているところだった。


 ――そうだ、まずは近くの物事を考えよう。


 今日の夢について、おそらく今のままでは答えを出せないだろう。

 情報が断片的過ぎるし、そもそもが夢だ。

 確固たる証拠もない。


 ――気になったらあとでまた調べればいい。


 ベナレスはその日の講義が終わったあとで、またあのさびれた蔵書室へ向かうことにした。


◆◆◆


「今日はいつになく顔色が悪いな、ベナレス少年」


 すべての講義を終え、あのさびれた蔵書室へ向かったベナレスは、その入り口をくぐってすぐに司書机の奥からケイオーンに声を掛けられた。

 

「今日で二度目です」

「二度しか言われなかったのが不思議なくらいじゃがの」

「ほかのみんなはあまり僕の顔を見ませんから」

「もしくは見たとしても色眼鏡を通して見ておるか、じゃな。わしの若い頃並におぬしは美男子じゃから」


 茶目っ気たっぷりにそう言って、ケイオーンが奥からやってきた。

 灰色の髭にはいくらか埃がついていて、いつになく偏屈そうに見える。


「サリーは?」


 ベナレスがこの蔵書室の二番目の管理人であるあの金色の犬の所在を訊ねると、ケイオーンは蔵書室の窓辺を指差した。

 中庭に面したテラスの席の傍で、サリーは今日も気持ちよさそうに寝そべっている。


「あの老犬もずいぶん年を食った。そろそろ潮時かの」

「サリーはまだ大丈夫ですよ。そうでないと困る」

「おぬし、あの犬に愛着を持ち過ぎじゃ。変わらぬものはない。移ろわぬものもない。命などは特にな」

「……」


 暗にサリーの死期を知らされて、ベナレスは沈んだ気持ちになった。


「今日もちょっとここにいさせてもらいます」

「構わん。どうせおぬし以外に来客などない。新しくできた方の蔵書室は盛況だったか?」

「ええ、みんな講義のあとはあそこに行ってます。参考文献の取り合いが日常茶飯事で」

「はは、熱心な学生が多くてよいことじゃな」


 ベナレスは近場の本棚にあった適当な本を取ってサリーのいるテラス席へ歩み出す。


「ベナレス少年、今日言おうと思っていたことがある」


 すると背中側から、ケイオーンに話しかけられた。


「なんです?」


 ベナレスが半身になって訊ねると、ケイオーンはまっすぐにベナレスのことを見て言った。


「わしも近々この学園を去る」

「え……?」


 最初ベナレスはその言葉を信じられなかった。


「まあ、だいたいこの蔵書室の本も新しい蔵書室へ移動し終えた。そのうちここは取り壊され、別の用途に利用される。そこでわしの役目も終わるということじゃ」

「そんな……」

「わしもあの老犬と同じように年を食った。もう少し若ければここで用務員でもしようかと思ったが、どうも身体が言うことを聞かん。じゃからそろそろ――故郷に帰ろうと思うてな」


 ケイオーンが曲がりはじめた腰をわざとらしく叩きながら言う。


「残念……です」

「そう言うな。おぬしには未来がある。老いぼれに付き合いすぎると生気を抜かれるぞ」


 冗談っぽく言うケイオーンがベナレスにはとても弱々しく見えた。

 偏屈で、頑固で、どこか力強ささえあったあの老人が、ついにその生気を使い切ろうとしているのが、なぜだかベナレスにはわかった。


「まあ、心残りはいろいろとあるがな」


 この老人はよくその話をした。

 昔、救えなかった生徒がいる、と。

 ベナレスは何度かそのことを訊ねたが、ケイオーンは一向にそれを教えてくれなかった。


「じゃあ、故郷に帰るときは言ってください。お見送りします」

「わしなんぞに構うな。おぬしは今やれることをやればよい。どうしてもというなら一応教えんこともないがな」


 たぶんこの老人は教えないだろう。

 いつの間にか、なにも言わずにいなくなるだろう。

 ケイオーンはそういう人間だった。


「あのー」


 と、そのときだった。

 蔵書室の入口の方から女の声があがる。

 どこか気の強そうな少女のもの。

 けれどその声には引き寄せられるような不思議な魅力があった。

 ベナレスとケイオーンが同時に声の方を振り向くと――


「ここ、まだやってますか?」


 そこには長い黒髪と、燃えるような紅い瞳を持った少女が立っていた。

 

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