174話 「天塔の至る道」
「ごめんなさいごめんなさい参りましたもう勘弁してください」
「ねえねえ見て見てサーヴィス、あの人すごい勢いで謝ってる。僕あんなに素早く頭を上下運動させる人はじめて見たよ」
「や、やめろよカルト! お前にはデリカシーがなさすぎる!」
メレアが宿の二階から下りてきて数分。
その身体に白い雷が纏われるやいなや、勝負はあっという間についた。
「僕は、なんでまだ生きているのだろうか……」
顔面蒼白で天を見上げるのはマリーザに絡んだ青年。
遠い目をしながらいくばくかぼうっとしていた彼は、今生きていることに感謝するように祈りを捧げはじめた。
メレアが隣で金髪を掻きながら「やりすぎた」と自省している。
「術式は使わない方が良かったかな……」
少し離れたところでドレス姿のマリーザが恍惚とした表情でメレアを見ていたが、当の本人はそのことに気づかなかった。
「ちょっとこの子に心の整理をさせてあげる時間が必要のようだから、休憩にしましょうー?」
大きく胸元のはだけた衣装を翻して、ミラが提案する。
「そうだな。俺が勝ったら彼から情報を聞き出せるって約束だっけ?」
「そうよぅ。これはわたしの勘だけど、この子これで結構いい情報持ってると思うのよねぇ」
「ハハ、ミラの勘はよく当たるからね」
メレアは少し楽しげに笑ってミラの方を見た。
「じゃあ、ひとまずこっちは置いておいて――」
それからメレアはミラの後ろに隠れるように立っていたマリーザへ視線を移し、ふと嬉しげな笑みを見せる。
「マリーザ、ドレス着たんだ」
「えっ!? あっ、はい」
ハっと我に返ったマリーザは、珍しく恥ずかしそうに目を伏せてまた一歩、ミラの後ろに隠れ直した。
そうやって恥じらう様子は、いじらしい少女のようである。
「よく似合ってるよ。いつものメイド衣装が悪いってわけじゃないけど、やっぱりマリーザはそういうドレスを着てても絵になるね」
「っ!」
メレアが今度は優しく微笑みながら言う。
「これが天然かつ素で言ってるから性質が悪いですよね!」と、サーヴィスが後ろで小さく付け加えていた。
「キリエちゃんキリエちゃん、あんまりやっちゃうとこの子も心の整理をさせてあげる時間を作らなきゃならなくなるから、そのくらいにしてあげてねぇ。ともすると窒息しちゃうから」
「ん?」
メレアはミラの言葉に小首をかしげるばかりだったが、とりあえず「わかった」と答えてその場は収めた。
「さて」
そうしてまたメレアは青年の方を見る。
「なにから聞いたもんかな」
この学術の街に来てまだ数日。
メレアには聞きたいことが山ほどあった。
◆◆◆
「第二天塔都市エルデリオ、序列第七位貴族、通称〈塔の番人〉、ネオン伯爵家の三男、〈エンテメール=グラ=ネオン子爵〉――が君の名前か。なんかものすごく長いな」
「天塔都市は貴族文化が根強くていろいろ肩書がややこしいんです……」
「エンテ、って呼べばいい?」
「近しい人はそう呼びます。ぜひそうしてください」
酒場でマリーザに絡んだ青年――エンテは言った。
「じゃあエンテ。まずは君が知っている現西大陸の情勢を教えてくれ」
ひとまずメレアたちは宿の中へ入って、宿泊者たちの交流の場として解放されていた一階エントランスに椅子を並べていた。
いつまでも「彼」と呼ぶのも悪いと思ったメレアは、まず青年の名を聞く。
本来であればアイオースの風習にしたがって偽名での名乗りを行うべきだったが、祈りを捧げ終えたあとの彼はメレアに対する畏怖でも抱いたのか、むしろ自分から素性を明かした。
「僕が知っている情報は少し古いところもあるかもしれません」
「構わないよ。俺たちも多少は前知識があるけど、基本的に離れた土地、別の大陸で伝え聞いた話だ。たぶんエンテの知っている情報よりさらに鮮度は悪い」
「やはりあなた方は別大陸から来たのですか。どおりで、なんとなく雰囲気が異質な気がしました」
「まあ、異質な理由はそれだけじゃないだろうけどね。とにかく、いろいろあって」
メレアは椅子に浅く座り、片肘をシックな造りの円卓の上に置きながら答えた。
「では、西大陸の基本的な情勢から」
「うん」
そしてエンテは語り出す。
「まず、僕の母国である〈第二天塔都市エルデリオ〉は現在とても空虚な国です。というのも、主権がほぼ別の都市国家にあるからです」
「へえ?」
メレアは興味深そうに目を丸くしながら、その理由をなんとなく予想していた。
「戦争でもあった?」
「ええ、そのとおりです。でも、ごく秘密裏な戦争です」
エンテはわずかに眉をひそめて答える。
「西大陸に独特の〈天塔都市〉というのは、昔からの意地の張り合いで生まれた文化都市という感じで、はるか古代から長い間、『塔の高さ』を競う形で発展してきました」
「塔の高さ……」
「そうです。本当に、基本はそれだけです。でも、その天を貫かんばかりの塔は、さまざまな技術の結集によって発展してきました。建築技術、砕石技術、術式技術に、それぞれの原料や素材を集めるための金を稼ぐ交易技術。塔を発展させるためにそれに付随する多くの文化活動が発展してきたんです」
「なるほど。おもしろい発達の仕方だなぁ」
メレアは例によって子どものように無邪気な笑みを浮かべた。
「しかし、はるか古代から長い間行われてきた塔の建設が、ある時期から急速に停滞しました」
「ほうほう」
「ついに西大陸の鉱物資源が尽きはじめたんです」
エンテは物悲しげに目を伏せる。
「僕はあの塔が高く積み重なっていくさまがとても好きだったので、実は結構残念な気分です」
「同情するわけじゃないけど、俺も同じ立場だったらそういう気持ちになったかもしれない」
メレアがうなずきながら言うと、エンテは少し嬉しそうに頬を緩めた。
「鉱物も、まったくなんでもいいというわけではありません。塔は高くなればなるほど、細かな調整が必要になってきますし、そもそもの素材が適当ではどこかに歪みが生まれます。そういうわけで、さまざまな術式技術が発達する傍ら、鉱物を生み出す創造術式も発達してきました」
「なるほど」
「かの〈石神〉も、そういった西大陸の風土ゆえにこの地で生まれたと言われています」
「ああー、そんなこと言ってたかもな」
「え?」
「いや、こっちの話」
メレアはぼんやりと宙を見ながら言ったあと、首をかしげるエンテに「なんでもない」と手を振った。
「そういうことがあって、鉱物の創造術式も重要視されていたんですが、いくらか前に〈石王〉の名を継ぐ魔王の末裔がやってきて、〈第一天塔都市クールーズ〉の塔を急速に発展させたんです」
その言葉がエンテの口から紡がれた途端、その場にいた〈魔王〉たちは一斉に表情を固くさせた。
エンテは彼らの雰囲気の変化にぎょっとするが、すぐにメレアが「続けて」と促したので、大人しく先を話しはじめる。
「それがきっかけで、まず〈第一天塔都市クールーズ〉と〈第三天塔都市カラザ〉との間で戦争が起きました。あまり公にはならない、秘密裏な戦争です」
「カラザがクールーズの〈石王〉の力を求めた?」
「そんなところです。カラザの資源が一番尽きかけでしたからね。でも僕が思うに、クールーズとカラザが塔の高さで一位を競っていたというのが、戦争にまでなった理由の最たるところだと思います。あと次点として、〈石王〉がカラザ出身の術師だったというのも事態がややこしくなった一因でしょう」
「へえー。なんでその〈石王〉は故郷であるカラザ側につかなかったんだろうね」
「それがわからないんです」
エンテが訝しげな表情で言った。
「ともあれ、そのあたりから各天塔都市間で水面下の戦争が活発化しました。資源が枯渇しはじめていたのはどこも同じですし、技術に関してもそれぞれ発達の仕方に特色がありましたから、自分たちにはない技術を他の都市に求めたんだと思います。昔は塔の建設という同じ目標を掲げて、健全に西大陸全体の文化の発展を担ってきた天塔都市群ですが、今となってはしがらみだらけです」
「悲しいね」
「そうですね」
エンテは弱弱しい笑顔でうなずいた。
「僕はまあ、そういういろんなしがらみが嫌になってこうして学術都市で何年も放蕩している身ですが、最近はちょっと、自暴自棄になっていたかもしれません。まあ、その自棄がもたらす大胆さのおかげでいろいろなつながりは得られましたが」
「顔はいいからな」
「結構言いますね、キリエさん」
ようやくエンテの方もメレアに慣れてきたらしく、今度は少し楽しそうに言った。
「で、それから今度は他都市国家も天塔都市間の戦争に介入してくるようになりました。城塞都市群が良い例です。彼らは同じ西大陸にあって、僕たち天塔都市群とは少しタイプの違う国家でしたが、彼らの場合は物理的な争いを主戦場とするという点で、今のような戦乱の風潮は合っていたんだと思います」
「ふむ」
「それから南大陸外縁の都市国家、北大陸外縁の都市国家と、西大陸に近い他大陸の勢力も加わって、いろいろとごじゃまぜになりました」
「よくある話だ。戦いは戦いを誘発する」
「ええ。そして最近僕が仕入れた一番大きな情報は――」
そしてエンテが言った。
メレアが聞き慣れた国の名前を。
「ついに東大陸の覇者、〈ムーゼッグ王国〉が西大陸に介入してきた、という話です」





