172話 「影神の召使」
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「まだリリウム様たちは戻ってきてないみたいですね」
「そうだなぁ。マリーザとミラもまだみたいだ。……しかたない、俺たちは先に飯でも食ってるか」
メレアとサーヴィスは一足先に青薔薇区画にある宿へ帰っていた。
アイオースの夜はまだはじまったばかりだが、ただでさえ分散して動いている以上、あまり勝手な行動をしすぎるのも問題だ。いざというときに仲間のために動けなくなる。
「たしか途中においしそうな肉料理の店があったな」
メレアは青薔薇区画を歩いている最中に見かけた肉料理店を思い出して、サーヴィスと一緒にそこへ行くことに決めた。
「あの〈パルック幻想料理店〉ですか?」
「そうそれ」
「あそこゲテモノ好きが行く店で有名らしいですよ……」
「えー」
「なんでも普通の人は口にしないようなあぶない生物の肉が数多くあるとか……」
「大丈夫大丈夫、ダイジョウブ」
「メレア様は大丈夫でも俺はダメかもしれないです!!」
こうなったメレアは止められない。
サーヴィスは年下ながらときどき自分以上に幼くなるメレアをよく知っている。
目の中に好奇心が輝きがあるときはもうダメだ。
「きっとおいしい肉もあるよ」
「それおいしくない肉が大半を占めてるのを予想してないと出てこない言葉ですよね」
「リンドホルム霊山の氷肉よりまずい肉はない」
「メレア様は肉のハードルがとてつもなく低い……」
あんまりエルマのことを言えたものではない。
この魔王たちの主は劇毒を複数飲み込んでもけろっとしているような男だ。
鋼鉄の胃を持つと言われる〈魔王の剣〉の残念美人と並び、この主もまた食に関して世界の果てに望まんとする無駄な冒険心の持ち主。
「そ、そうだ、せめてカルトのやつを道連れにしてやろう……」
そう思ってサーヴィスは宿の隣の部屋へ急いだ。
◆◆◆
ノックもせずに扉を開け放って、留守番をしていたかの〈精霊帝〉カルトに声を掛ける。
「カルト! 飯に行くぞ!」
「んー? あ、サーヴィス、帰ってたんだ」
「気づいてなかったのかよ……」
「あはは」
〈精霊帝〉カルトはいつものへらへらとした笑みを浮かべて部屋の窓辺に座り込んでいた。
身体の周りには見慣れた光る珠。
メレアから譲り受けたぼろぼろのローブを羽織って、今日も彼は精霊とじゃれ合っている。
「そんなことより、ほら、飯だ飯」
「えー、今いいとこだったんだけどなぁ」
「なにがだよ……」
「この街、おもしろい精霊がいるんだぁ。さっきそこで出会ってね。ずっと話をしてたんだよー」
カルトは部屋の窓を開け放って、月光に照らされたわずかな雲が浮かぶ空に手を伸ばす。
するとカルトの伸ばした手の先に、見慣れない紫色の光の珠がいくつか近づいてきた。
「この子、すごく成長してるんだ。サーヴィスにも見えるんじゃない?」
「あ、ああ」
言われてみてはじめて違和感に気づく。
今までサーヴィスの周りに常に漂う光の珠以外に、こうして精霊の姿がはっきりと見えたことはなかった。
カルト曰く、『いつも僕の周りに飛んでいるのはとても大きな精霊だから』らしいが、それでもサーヴィスにとってはただの光る珠にしか見えない。
最近メレアは『かろうじて人型に見える』とも言っていたが、それでも大体は同じ感覚だろう。
「たぶん、近くに精霊にとって住みやすい場所があるんだと思う。――なんだっけ、〈識者の森〉だっけ?」
「たしかそういう森があったな」
と、ふいにサーヴィスの後ろからメレアの声が聞こえた。
「あんまり人が踏み込まない森だと言っていた。ついでにその森には『主』がいるとも」
メレアもカルトの手の先にいる紫の光の珠を見て驚いたようだ。
目を丸くしてその球が動くさまを追っている。
「うん、そうみたい。それでたぶん――『彼』は〈魔王〉についてもいろいろ知ってるみたいだよ」
「っ、本当か?」
「精霊は人間みたいに嘘はつかないよ」
思わぬ線から魔王へ繋がった。
さすがのメレアも少し面食らう。
「でも、彼は人間が嫌いだからあんまり会ってくれないみたい」
「その言い方だと識者の森の主は人間ではないのか?」
「うん。翼の生えた生き物だって」
「翼……」
それだけでは生物の種類まで絞りきれない。
「カルト、お前だったら会ってくれそうか?」
「どうだろうなぁ。たしかに僕はいろんな生き物に好かれる方だけど、『彼』に関してもそうだとはかぎらないからなぁ。『彼』は普通の生き物とも精霊ともちょっと違うみたいだから」
「……」
メレアは顎に手をやって考え込む。
「あ、たぶんメレアが行った方がいいと思う」
と、急にカルトが今まさに手元の精霊から聞いたような素振りでメレアに言った。
「メレア、『彼』が好む匂いと似た匂いがするみたいだよ」
「匂いか……」
「昔、『彼』と仲が良かった人間の匂いと同じだって」
ますますわからない。
「そうか。なら、あとで識者の森にも行ってみるとしよう」
結局メレアは自分でかの森へ行くことにする。
やはり得体の知れない場所へカルトを一人で行かせるのは避けたい。
危険が潜んでいる可能性だってある。
「そのときは僕も連れて行ってね」
「ああ、わかったよ」
カルトが人懐っこい笑顔でメレアに言った。
「さ、じゃあひとまずその話は終わりにして、飯に行こう」
そうメレアが言った直後だった。
「『キリエ』ちゃーん!」
宿の外の方から、艶を伴った女の声がやってくる。
一足先に宿屋二階の窓辺から外を見て楽しげな笑みを浮かべたカルトの横に歩み寄り、メレアも外を見た。
「活きの良い子、見つけてきたわよぅ!」
宿の表の路地で、豪奢なドレスで着飾ったミラが手を振っているのが見える。
そしてその隣には見慣れぬ金髪の青年。
最後に彼の後ろでなぜか怒りを押し殺している紫のドレス姿のマリーザが映って――
「なんだろう、ミラとシャウの手法がどことなく似ている気がする……」
あれはシャウとはまた違った方法で過程を短縮する女だ。
ある意味優秀な段取り屋ではあるかもしれない。
ただ、マリーザが後ろで拳をわなわなと震わせているのを見ると、
「相性悪いのかな……」
そう思わずにはいられないメレアであった。
◆◆◆
金髪の青年は妙に決意のこもった表情でこちらを見ている。
ミラになにか吹き込まれたのだろうか。
「どうしたもんかな」
メレアがやれやれと頭をかきながらつぶやく。
「この子、キリエちゃんと決闘したいんだってー!」
表の路地からミラが楽しげに言った。
「決闘ね」
メレアは窓辺に両手をついて、階下をぼんやり眺める。
「わかった。いいよ」
結局メレアはそう答えた。
ミラのことだ。まったく意味のない決闘を組ませたりはしないだろう。
――とはいえ、あの感じだと武芸者っぽくはないな。
メレアは階上から青年のことを眺めて、そんな判断を下す。
決してひ弱なわけではないが、かといって彼からは武芸者や戦闘者独特の威圧感のようなものが感じられなかった。
「……少し試すか」
そしてメレアは、不意にある仕草を見せた。
窓辺で頬杖をつきながら、おもむろに右目を瞑る。
「行け」
直後、メレアの身体から黒い霧のような魔力があふれ出し――
「〈影神の召使〉」
再び眼を開いたメレアが凝視した石床から、影のように真っ黒な人型が現れた。