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百魔の主  作者: 葵大和
第十四幕 【世界が動き出す日】
173/267

169話 「アイオース革命政府」

4巻発売まで残り:【2日】

 やがて白薔薇区画へ踏み入り、招待状の中の地図に書いてあった場所へとたどり着く。

 そこは教会だった。

 たしか名は〈アナスタシア大聖堂〉。

 地下に広大な墳墓のある教会だ。

 

「あまり良い趣味とは言えないな」


 教会で夜会とはロマンチックを超えてどこか悪趣味だ。

 今日のアナスタシア大聖堂の入口には僧侶ではなく妙な仮面をつけた白タキシードの男が立っていて、余計に悪趣味さが際立った。


「招待状を拝見いたします」


 どうやらこの仮面の男が例の夜会の門番らしい。

 ベナレスとギルバートはポケットから招待状を取り出して仮面の男に渡した。


「確認しました。どうぞ中へ。地下三階の広間でオスカー様がお待ちです」


 仮面の男の促しにしたがって、ベナレスたちはアナスタシア大聖堂へ足を踏み入れた。


◆◆◆


「妙な雰囲気だ」


 地下へ下る階段を下りていくと、開けた広間に出た。

 地下にしては天井が高い。

 広間に入ってすぐに目に入ったのは、同じくこの夜会に招待されたであろう多くの学生たち。

 壁に立てつけられた蝋燭の火が揺れるたびに、彼らの顔が妖しく彩られる。


「赤薔薇と黒薔薇の生徒もいるな」

「そうみたいだね」


 ギルバートの言葉に、ベナレスはうなずいて答える。

 彼らの胸元を見ると、たしかに赤と黒の薔薇飾りがちらほらと映った。


「みなさん、お待たせしました!」

 

 すると、ベナレスたちが広間に足を踏み入れて幾秒もしないうちに高らかな声が響いた。


「定刻となりましたので、我ら〈アイオース革命政府〉の栄光の第一歩となる夜会をはじめます!」


 声の出どころ。

 広間の奥の方にあった台座に、あの招待状を持ってきた白薔薇の生徒――オスカー=ラム=ネールセンが立っていた。


 ――やっぱり来るんじゃなかった。


 おそらくこの場にいる何人かは同じ言葉を胸裏(きょうり)に浮かべたことだろう。

 もしそうでないなら、思っている以上にこの街はズレた正義感で腐食されていることになる。

 中立の終焉。仮初の平穏の崩壊。

 あの〈ハーメル喫茶店〉で不気味な二人から聞かされた言葉が、ベナレスの中でけたたましいサイレンのように響き渡っていた。


◆◆◆


 アイオース革命政府。

 オスカーはそう言った。

 その意味するところを、すでにベナレスはよく回る頭で捉えている。


「君たちは不思議に思ったことはないか? こんな戦乱の時代にあって、なぜこのアイオースだけが平和なのか、と」


 オスカーがよく通る声でそう切り出した。


「慣習、暗黙の了解、文化的成長の枢軸であるから。いろいろと理由はあるだろう」


 唐突にして過激にはじまったオスカーの演説は、大仰な身振り手振りを伴って続いていく。


「しかし最たるものはそこではない。単純にアイオースが戦乱的優位性を保持していなかったからだ。この都市国家には明確な主権がない。つまるところ外部に対する国家的主体性というものが存在していない」


 それはそのとおりだ。

 ベナレスは一歩後ろへ下がりながら胸中でうなずく。


「アイオースの主体性は常に内側に向く。学術の振興、その至高たる目的を阻害するものに対する排他的主権。だからアイオースは、外部に対する意志を持たない。それが諸国にとっても周知の事実であったから、アイオースは平和だった。おそらくどこかがアイオースを攻撃すれば、大半の住民は母国へ逃げるだろうということを誰もが理解していたんだ」


 それがアイオースの空虚さ。

 アイオースに世間一般的な国家としての体裁はない。

 まだ芸術都市ヴァージリアの方がマシだろうか。

 あの都市国家にはそこでしか生きられない者たちがいる。

 あるいは命を賭してでもそこにいようとする者たち。

 芸術家というのは良くも悪くも異端者が多い。


「昔はまだマシだったという。主たる学術の振興を邪魔させないために、いくらかの抵抗をしたこともあると。――しかし時と共にアイオースも変わった」


 アイオースにはほとんど土着の民というものが存在しない。

 同じ志を持つ者の『場』としての作用が時と共に強まり、逆にそのほかの要素が削り取られていったからだ。

 この都市国家はもはや国家ではない。

 文化的知識を集積する倉庫のようなもの。

 倉庫に人は、住まない。


「今のアイオースの平和は仮初のものだ。とても危うい平和なんだ。そしてこの平和は――まもなく崩壊する」


 オスカーは顔に悲しげな表情を浮かべて言った。


「他国が攻めてくるという情報を手に入れた。この意味があなた方にわかるだろうか」


 オスカーが言うと、急に学生たちがざわめきはじめた。

 神妙な顔でオスカーの次の言葉を待つ者。「そんな馬鹿な」と唐突な宣告におののく者。


「アイオースの平和はまもなく崩れる。ついに諸国はこの街の『知識』に目をつけた。これまでは人的資源を求めて他国を侵略してきた戦乱の時代の猛者たちが、ようやく次の段階に移ろうとしている」


 これまでもアイオースは絶対的に平和だったわけではない。

 戦乱の時代に台頭しようとしている国家群が、最初に人的資源――つまるところ直接的な兵力や労働力になる人間――を増やそうと動いていたから、目に留まりづらかった。

 さきにも言ったとおり、アイオースは人的資源を得ようとするには不都合な街だ。

 また国家は、その人的資源を継続的に活用するための燃料も求めた。

 人間の燃料――つまるところ食料。

 加えて、その食料を育てる基盤になる肥沃(ひよく)な土地。

 アイオースはその観点からも不適格な場所だ。

 しかし、


「手近で手に入れやすい資源をいったん奪い終えた西大陸の列強たちは、さらなる強大化を図るためにアイオースの知識と技術を得ようとしている。列強同士の戦いになったとき、その戦力の差異がそういう繊細な部分に表れてくることに彼らは気づいた。特に最近は術機産業の成長が目覚ましいし、術式の脅威も依然として衰えていない」


 アイオースには術機の研究機関も存在している。

 理論の最先端は青薔薇の学園に。

 実践の最先端は赤薔薇の学園に。

 新たな方向性の模索は日々黒薔薇の学園で。


「〈第一天塔(てんとう)都市クールーズ〉、〈第四天塔都市カラザ〉、〈湖畔(こはん)城塞都市ネビュラ〉、この三都市国家がすでにアイオースへ密偵を送り込んでいるという情報がある」


 その都市の名前に学生たちのざわめきが大きくなる。

 ベナレスもそれらの名前には聞き覚えがあった。


「かくいう僕は――〈第三天塔都市ムウ〉の貴族だ。たぶん、気づいている人もいるとは思うけど」


 不意にオスカーが神妙な顔で言った。

 

「実を言うと、僕の母国はすでにカラザに取り込まれようとしている。おそらく近いうちにムウの名前は消えるだろう。……だから今回の決起会に、カラザに対する復讐心がまったく含まれていないとは言わない」


 正直な告白。

 はたしてそれが本心からのものなのかはまだ判断できない。

 だがオスカーの表情には真に迫るものがあった。


「でも、僕が今回の決起会を思い立った最たる理由は、アイオースに対する愛国心があったからだ」


 夜会が決起会へ、いつの間にかすり替わる。


「西大陸の戦乱に巻き込まれ、そして母国を失おうとしている僕だからこそ、君たちに呼びかけたい。僕たちはそろそろ、アイオースの民として西大陸の戦乱に立ち向かわねばならないと思うんだ」


 これは扇動だ。それもひどく幼稚な。

 具体的な情報がなにもないまま、オスカーの憶測だけで話が進んでいる。

 夢見がちな少年少女の正義感を煽り、彼らを無謀な戦いへ誘おうとしている。


 ――こんなもの、まかり通るものか。


 ベナレスはそう思った。

 いかにアイオースの学生たちが若いとは言っても、こんな幼稚な扇動に乗るとは思えない。


「西大陸唯一の聖域、そして僕たち若人の数少ない自由の地。アイオースがなくなれば、結果的に僕たちはおぞましい戦乱に巻き込まれる。それは誰も望んでいない」


 しかし、ベナレスの予想は裏切られた。


 オスカーの言葉に「そうだ」、と誰かが答えた。


「ありがとう。僕の意見に賛同してくれる人が一人いただけでも今日の決起会には意味があった」


 オスカーがその言葉に礼を告げる。

 ベナレスは目の前の出来事が信じられなかった。

 嫌な浮遊感が身体を支配する。


「みな、それぞれ内に秘めているものがあるだろう。アイオースはそういう土地だ。すべてのしがらみを忘れ、己の成長のために邁進(まいしん)できる唯一の地。だからこそ世界のしがらみの筆頭である『戦乱』に、この街を明け渡してはならない。この街を戦乱に奪われたら最後、僕たちは再びしがらみに絡みとられる。ゆえに、今こそ僕たちはアイオースの民として世界と戦わねばならない!」


 オスカーが言った直後、今度は歓声が上がった。

 

 ――なんで。


 ベナレスは戸惑う。


「ベナレス。……ベナレス!」


 ふと、自分を現実に引き戻すような声が耳元で鳴った。

 すぐに声の方を振り向くと、神妙な顔をしたギルバートの姿がそこにあった。


「まずいぞ、長居はしない方がいい」

「あ、ああ……」

「戸惑う気持ちはわかる。僕も同じ気持ちだ。でも今はこの熱狂から一刻も早く遠ざかった方がいい。ここなんだか――」


 普通じゃない。

 ギルバートの言葉がベナレスの耳に残る。


「どうしてこんな幼稚な扇動に……」

「わからない。今までくすぶっていた火種が彼の演説によって燃え盛っただけかもしれない。たしかにアイオースはぎりぎりのところで平和を保っていたからな。加えてこの街に来る者たちが抱えているしがらみが実際に〈戦乱の時代〉の台頭によって生まれたものであるなら、彼らがそういうものに辟易して暴挙に出たとしてもまったくおかしな話ではない」


 理性的じゃない。

 少なくともベナレスはそう思う。


「ともかく今はここを出よう」

「う、うん」


 ほかの若者たちが熱狂の渦に身を投げ込む中、ベナレスとギルバートは足音を殺して広間の出口へ向かった。

 そんな折、ベナレスはふとある人物に目を奪われる。

 オスカーの演説に賛同する者たちであふれる中、唯一その熱狂に身を投じず、むしろ現状を冷静に分析するかのような目を向けている金髪の男。

 その男の『赤い眼』はとても印象的だった。


「あれは……」


 広間を出る間際、彼と目が合った気がした。

 彼の目の中には、とても理性的な――それでいて触れがたい苛烈な意志の光が、閃いていた。



次話:3月9日投稿予定。

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