167話 「拳に宿るは神か悪魔か」
書籍版『百魔の主4巻』(カドカワBOOKS)の発売を記念して、発売日である3月10日まで毎日更新をします。応援よろしくお願いします。
サルマーン=ゼウス=フォン=ルーサー。
亡国ルーサーの『最後の王子』。
サルマーンは自分が王子であることを知らされたときの光景をよく覚えている。
『あなたは呪われた血族の子』
とある辺境のボロ小屋で母にそう言われた。
『あなたの中に〈拳帝〉の血が流れているかぎり、あなたはルーサーの民に恨まれる』
それがどういう意味なのか、幼少時のサルマーンにはわからなかった。
意味を知ったのはもう少しあとのことだ。
当時のサルマーンはまだ十歳だった。
物心ついたときから名もない村のボロ小屋で過ごしてきたサルマーンは、ある日暴漢に襲われる。
彼らは言った。
『貴様らのせいでルーサーは滅びた』
意味などわからない。
ただ、彼らの目がひどくおそろしかったのは覚えている。
『その呪われた血と共にこの世から消えされ、〈魔王〉』
十人の筋骨隆々とした男に殴りかかられた。
まだ幼かったサルマーンは恐怖に竦み、心の中で『助けて』と叫ぶ。
結果としてサルマーンは――
――俺はあのとき死んだ方が良かったのか。
『無傷』で生き残った。
まだ完成すらしていない〈魔拳〉がサルマーンを救ったのだ。
――目の前にいたすべての人間の頭をねじ切るという形で。
目をつむっていたサルマーンにはなにが起こったかわからなかった。
再び目を開けたときに広がっていたのは血の海と紫色の光子をほとばしらせる両の拳。
直感的にこの拳がなにかをしたのだろうと確信する。
『魔拳は所有者の思念をくみ取り、事象として具現化させる』
『その実現性に明確な上限はなく、魔拳の所有者は理論上〈神〉をも葬る力を持っている』
のちに自分の祖先、ルーサー王家の歴史を調べて〈魔拳〉の正体を知った。
幼い頃、まだ先々代当主が生きていたころはよくルーサー家の話を聞かされていたが、母はほとんどその話をしなかった。
〈魔拳〉はかの〈七帝器〉と同じく暗黒戦争時代に世界に現れた武器である。
ただし魔拳は『七帝器のなりそこない』と呼ばれることはあっても、決してそこに名を並べることはない。
ルーサー王家が国家に属する術師を総動員して造り上げた〈魔拳〉は、途中までは七帝器と同じような制作過程をたどったが、その途中で異様な変異を遂げた。
――人間の身体に直接術式を刻んだのがそもそもの発端だろう。
無機的な鉱物に術式を刻む既存の七帝器とは違い、ルーサー王家は人間という常に揺れ動くものに術式を刻んだ。
結果、魔拳は所持者との繋がりがひどく密になった。
最初に魔拳を身体に刻んだ初代〈拳帝〉ヴァイス=レイ=フォン=ルーサーは術式処理をなされてから三年で死亡する。
暗黒戦争時代に連戦連勝を重ね、個人で小国の武力に匹敵するとまで言われたヴァイスだったが、最後は発狂死した。
彼の手記にはこう書かれている。
『声が聞こえる。姿の見えない悪魔の声だ』
当初は戦の狂気が彼を壊したのだとルーサーの民は嘆いた。
初代〈拳帝〉はまだ『英雄』だった。
二度目の事件が起きたのはそれからずいぶん時代を下ったあとのこと。
天賦の才を持って生まれた第八代〈拳帝〉セレン=アウナス=フォン=ルーサー。
魔拳の継承は代々行われていたが、彼の場合はやや状況が特殊だった。
継承の儀の途中、術式処理がまだなされているという段階で、〈魔拳〉が勝手に腕に浮かんだのだ。
まるでみずからの意志を持ってルーサーの子に絡みつくように。
代々短命なルーサー王家の子どもの中でも、セレンは特に短命だった。
『悪魔の声が聞こえる。〈ゼスティス〉が毎晩僕に囁くんだ』
彼が付き添いの侍女にそう言った日の晩。
ルーサー王国は王城付近から発した謎の衝撃波によって領土の半分を失った。
――〈魔拳〉。
サルマーンは自分の魔拳のことをそう呼んでいる。
――この拳は意志を持っている。
所有者の感情に反応する拳。
サルマーンは二度目の魔拳の暴走のときそれを確信した。
――とんでもねえもんを残しやがったよ。
紫色の光子を伴って領土の半分を吹き飛ばした衝撃波は、当初敵対していた国家によるものだと声明が出された。
だが、状況に不審な点が多すぎる。
決定的だったのはセレンの魔拳が暴走した瞬間を彼の侍女が目撃していたことだった。
身体の半分に奇妙な焼け跡をつけながら、死ぬ間際に彼女は言った。
『セレン様の腕から、悪魔が出てきたのです』
敵対国家もさすがにそこまでのことはしていないと声明を出す。
戦の理を無視し、無辜の民まで殺しはしない、と。
〈暗黒戦争時代〉ならまだしも、当時の戦争の理の中では無辜の民に手を出すのは禁忌だった。
たとえその場はよくとも、のちのちあらゆる国家に非を咎められる。
戦争が悲惨であることは言うに及ばないが、暗黒戦争時代を経た当時の世界にはかろうじてルールがあった。
その後もルーサー王国は「天変地異だ」などと弁解を図ったが、結局すべて無駄になる。
公式にそう言及されていても、壊された大地に住んでいたルーサーの民たちが黙っていなかった。
それから多くの悲劇的な出来事を経て、ルーサー王国は滅びる。
セレン=アウナス=フォン=ルーサーは母国の民に〈魔王〉と呼ばれるようになった。
母国を滅ぼした世界最悪の王子である、と。
――いつだって大衆は勝手だ。
しかたない。
それもわかる。
サルマーンも同じ立場だったらそうしたかもしれない。
だがサルマーンは〈魔王〉と呼ばれる側に生を受けた。
第十三代〈拳帝〉サルマーン=ゼウス=フォン=ルーサー。
サルマーンもまたセレンと同じく、勝手に〈魔拳〉に目覚めた〈魔王〉だった。
◆◆◆
「勝手に……ですか」
「そうだ。俺の場合はセレンよりもひどかった。俺の母親が早い段階で継承の儀を止めたんだ。まだ線の一本や二本を書いたあたりでな。だが――次の日には俺の腕に魔拳が浮き上がってた。今となっちゃそれも一つのきっかけでしかなかったんだと思う。俺の魔拳は、『継承の儀の前に』すでに暴走してたわけだから」
「あなたの母親は、あなたにセレン=アウナス=フォン=ルーサーと同じ末路を辿らせたくなかったのでしょうね」
「そうかもな」
「それでも、ほかのルーサー家の人間は祖先の遺産を消したくなかった。その、神をも葬る力を秘めた魔拳を」
「ああ。……まあ、どっちの気持ちもわかるよ。〈魔拳〉は栄光の象徴もであり、悪夢の象徴もである」
「ちなみに、あなたの先代たちはどうなのです? 勝手に魔拳の紋様が浮かんだという点に関して」
「セレンのあと、俺の代までそんなことはなかったらしい。だから少し安心してた部分もあるんだろう」
「しかし、あなたの代で再び〈悪魔〉が動いた」
「相性とかもあるのかもな」
シャウはサルマーンの話をじっとして聞いたあと、小さくうなった。
「原理はわからないのですか?」
「わかってたらこんなに苦労してねえよ。身体の内部にまで術式が及んでて、解読できねえんだ。しかも代を重ねるごとに変容してる。継承の儀ってのはただ同じ術式を刻むわけじゃなくてな。どっちかっていうと先代からの『移植』に近いんだ。先代の血を使ったりなんだりで、結構おぞましいんだぜ」
「なるほど」
シャウは再度うなり、それから話題を変える。
「聞いてもいいですか?」
「ん?」
「今のあなたは、その――〈魔拳〉とうまくやれているのでしょうか」
「……」
サルマーンはシャウの問いを受けてから自分の腕を眺めた。
見慣れた術式紋様が今日もそこにある。
「わからねえ。俺には『声』は聞こえねえんだ。ただやっぱり、昔のことがあってな」
サルマーンは自嘲するような笑みを浮かべた。
「単純に、俺は理性を失わないように努めてる。笑っちまうかもしれねえが、読書だってその一貫だ。本を読んでるときは不思議と気分が落ち着くんだ」
サルマーンは生来自分が短気な方であることを自覚している。
ゆえにいくつかの魔拳の暴走を経たあと、さまざまな方法で精神を安定させようと努めた。
「正直に言えば、まだこええんだ。周りに仲間がいると……特にな」
「……」
でしょうね、といつものシャウなら軽口を挟んだかもしれない。
しかし今はその言葉が出てこなかった。
「その話、メレアには?」
「したよ。あいつに〈剣〉の長の話をされたときにな。これを理由にこの役割を辞退するつもりだってあった」
サルマーンは腕を組んでため息をついた。
「それでもあいつはなにも言わなかった。……いや、言ったな」
「なんと?」
「『頑張れ』――だとよ」
「ふはっ」
シャウは思わず噴き出す。
「メレアらしいというかなんというか。メレア、あなたに対しては結構厳しいですよね」
「まあ、『本当にヤバくなったら言ってよ。そのときは俺が責任取るから』とも一応は言ってたがな。――あいつときたま適当なんだよなぁ!」
言いながらも、メレアの言葉が決して投げやりだったり無責任ゆえの言葉ではないことはサルマーンもわかっている。
「あなたなら使いこなせると信じてるんでしょう」
「あいつの信頼は言葉のわりに重いんだよ」
「ああ、それはあるかもしれませんね。サラっととてつもないことを言いますからね」
「ルーサー家が十二代重ねても使いこなせなかったもんを俺一人で使いこなせって言ってるんだからな」
「ちなみに、できそうですか?」
シャウが剽軽さを顔に戻しながらふと訊ねた。
「……やるしかねえだろ。サイサリス遠征に出る前に必死こいて実験を重ねた」
「ほう、初耳ですね」
「言うとお前らが来るからな。一部下卑た笑みを浮かべて。一部目を輝かせて。お前らには恐れってのがねえのかとたまに心配になる」
命がけでも人の失敗を笑いに来る外道が多い、とサルマーンは続けて愚痴った。
「ハハハ、いいじゃないですか。怖いもの知らずはたしかに多いですがね。そのくらいでないとこの集団の一員はやってられませんから」
シャウは楽しそうに笑って言った。
「まあ、そのおかげでずいぶん踏ん切りはついたよ。ザイナス戦役のときでさえ俺はこいつを解放しきれなかったからな」
「あ、もしかして星樹城の中庭にやたら深い穴が空いてたのって――」
「それは俺じゃねえ。リィナとミィナだ」
「あれ」
「さすがにレミューゼの中じゃ実験しねえよ。ルーサーの二の舞になったらどうするんだ」
「それはたしかに。……え、じゃあ、あの穴は双子が自力で掘ったんですか……」
ちょっと洒落にならない深さだったとシャウは記憶している。
「あいつらは悪戯の程度が常識離れしてる。加減がねえ。ちなみにあれ、落とし穴らしいぞ」
「引っかかったら死ぬやつじゃないですか……」
「引っかからねえようにな」
「自陣に即死トラップがあるのは初めての感覚です」
シャウが青ざめた顔で言って、いったん話は終わりを告げた。
馬車の窓から見える景色がようやく変わりはじめる。
渓谷を過ぎ去り、広々とした草原へ。
「そろそろ飯にするか」
ふと、懐から古びた懐中時計を取り出しながらサルマーンが言った。
「そうですね」
シャウも同じく金色の懐中時計を取り出してうなずく。
「……まだ言えませんが、いずれあなたにもお話しますよ」
「ん?」
ふと、御車をしていた〈盗王〉クライルートを呼ぶために窓から顔を出したシャウが、小さな声で言った。
「私の『昔話』のことです」
「ああ。――まあ、気が向いたときにすりゃいい」
サルマーンはそう言って目をつむる。
それから腕を組んだサルマーンは、結局サイサリスに着くまでそれ以上シャウの過去に言及することはなかった。
しかし、後日サルマーンはシャウから聞かされることになる。
過去と、そして今にも関わってくる〈錬金王〉の昔話を。
サイサリス教国は近い。
かつて芸術都市ヴァージリアで出会った〈道化師〉シーザーの姿を思い出しながら、サルマーンはその日の昼食を静かに取った。
次話:3月7日投稿予定。
(4巻発売まで残り4日)