166話 「サルマーン=ゼウス=フォン=ルーサー」
来月3月10日発売予定の『百魔の主4巻』の表紙が公開されました。
カドカワBOOKS公式HPおよび目次ページの下段から見ることができます。
今回は挿絵イラストが今までの中で一番表情豊かで、一見の価値ありです。
書籍2巻並の新規描き下ろしエピソードに加え、特典SS等もございますので、興味のある方はぜひ手に取ってみてください。
「サイサリスに着いたら、少し別行動をさせてもらってもいいでしょうか」
〈エバーゼル渓谷地帯〉。
なだらかな丘陵と、星の地底にまで通ずるのではないかと思われるほどの深い谷が組み合わさった東大陸と南大陸の境界線。
「おめえはいつだって言うこと為すこと急だなぁ。……まあ、今回は一応事前に言うだけマシか」
サイサリス遠征組の魔王たちは、途中に立ち寄った〈交易都市ハリル〉で渓谷用の特殊な馬車を借り、ちょうどそのエバーゼル渓谷地帯を走っているところだった。
「どうせダメだっつっても俺の目をかいくぐってやるんだろ」
「そうかもしれませんね」
「なら止める意味ねえじゃねえか」
「ハハ、そうでもないですよ。あなたに止められたら私も多少は自重するかもしれない」
「おめえの場合、自重させると極端に動きのキレがなくなるからなァ」
計十台。長大な列となって走る馬車の中で、〈拳帝〉サルマーンが困ったふうに頭をかいた。
「おめえは良くも悪くも常識の枠にはめないで置いた方がいい。――これ、メレアが言ってた言葉だ」
そんなサルマーンの向かいの席には〈錬金王〉シャウ=ジュール=シャーウッドが座っている。
膝元には南大陸が拡大された世界地図。
シャウは傍らに置いていたガラス瓶を手に取り、透き通った水色の液体を口に含んだ。
「常識を理解していないわけではないですよ。商売なんてものは常識をいかに利用するかですからね。大衆の常識に対する敏感さをくすぐるのです」
「へえへえ。お前の商売に関する高説はもう耳にタコができるくらい聞いてるよ」
サルマーンははじまりかけたシャウの話を無理やりに切って、話を本題に戻した。
「んで、実際のところどの程度単独行動するんだ?」
シャウは別行動をするとは言ったが単独行動をするとは言っていない。
しかしサルマーンにはすでにシャウが単独行動をすることがわかっていた。
いつだってこの男は一人で事を為す。
為すべきことが大きければ大きいほど。
「なんだか気持ち悪いです」
「あ?」
するとシャウが、珍しく子どものように素直な表情を出してサルマーンを見た。
口角をほんの少しあげて、それでいて眉をしかめ、困惑するような表情。
「あなたは人をよく見ている。正直に言えば私はこれまでの人生で自分を理解されるという経験をあまりされてきませんでした。そして私自身、別に理解されなくてもいいと思っていました。それがここ数か月のうちに妙に理解されてきている。メレアをはじめとして、あなたや――質は異なりますがあの奇天烈なメイドにも」
「ハッ、なにを言うかと思えば。別に意識して理解しようとしてるわけじゃねえよ。おめえは俺たちに自分のことを喋んねえから、こっちからくみ取らなきゃならねえんだ。おかげで知りたくもねえことまでわかるようになってきた」
サルマーンが面倒くさそうに手を振って言い終えたあたりで、シャウが自分の飲んでいた水色の液体入りのガラス瓶を投げ渡す。
「どうぞ。今西大陸で流行っている清涼水です。水にちょっとした術式加工をしてあって、飲み込んだあとも冷たさが長持ちするようになっています。あまりたくさん飲むとお腹を壊しますからほどほどに」
「最近は自然物にまで術式の手が入るようになったのかよ」
「術機の隆盛とも関係があるのかもしれませんね。世界全体が技術的に成長しようとしているのでしょう」
「こっちの気も知らねえで結構なこった」
サルマーンはシャウから受け取ったガラス瓶の蓋をあけて、中の水色の液体をごくりと飲み干した。
「で、さっきの俺の問いに対する答えはどうなんだ」
ガラス瓶にまた蓋をしながら、サルマーンが話を戻す。
「そうですね。……三日あれば」
「三日か。思ったより短ぇな。――ってことはすでにあてがあるんだな」
「ええ」
シャウがうなずく。
「メレアの代わりに訊くぞ」
「どうぞ」
「お前に危険はあるか」
サルマーンの問いを受けて、シャウは真面目な顔で数秒の間考え込んだ。
「まったくないとは言いません。ただ、死ぬことはないでしょう」
「最悪の想定が極端だな。戻って来れなくなるようなことはあるか?」
「おそらくないと思います。戻りが遅くなる可能性はあるにしても」
「ふん」
大きく鼻で息を吐いて、サルマーンが腕を組んだ。
「何人か連れて行くことはできねえのか」
「それはできません」
「理由を訊ねてもいいか」
「……今は、まだ」
シャウはわずかに目を伏せて言った。
「……お前が俺たちと違うのそこだな」
「と、言うと?」
シャウの答えを聞いたサルマーンが貧乏くじを引いたときによくする動作で髪をぼさぼさとかく。
「おめえはいつか、自分は俺たちほど切羽詰まってはいなかったって言ったよな」
そんなことを言った覚えもある。
あれはたしかヴァージリアのカフェでのことだったか。
「おめえは〈魔王〉としての顔と、また別に顔を持ってる。それは商人としての顔かもしれねえし、まったく別の顔かもしれねえ」
「……」
シャウはサルマーンの言葉に聞き入った。
「お前はまだそれを分けていられることができるんだ。生きるか死ぬかの状態にあった俺たちにはそんなことできねえ。メレアに救われた時点で、俺たちはすべてひっくるめて〈魔王連合〉の一員になった。あの霊山でいったんすべてを捨てて、それからすべてを拾い直したからだ。大げさな言い方をすれば――俺たちはあの霊山で一度生まれ変わってる」
死んでもいいと思っていた。
けれどメレアのおかげでまた生きてみようと思った。
だから今までのすべてをまた拾い直して、新しい〈魔王〉としての土台に乗せた。
「こうなった俺たちに顔を使い分けるほどの余裕はねえ。俺たちは〈魔王連合〉の一員であることを前提に物事を考えている。必要とあらば自分の忌々しい過去もすべてあいつのために使おう。そういう状態だ」
シャウはサルマーンの言うことがよくわかった。
彼らと自分は少し違う。
正確に言えば、〈シャウ=ジュール=シャーウッド〉は彼らと同じだ。
けれど、
「最初に名前を名乗ったとき、お前は言ったよな。――『もちろんこの名前も偽名ですけど』と」
「よく昔のことを覚えていますね」
シャウ=ジュール=シャーウッドは〈魔王連合〉の一員としてすべてを考えている。
その点に偽りはない。
しかしシャウにはまた別の名前がある。
「今となってはこちらの名前が本名のようなものです」
「でもお前には別の名前がある」
「はい、あります」
「今回の別行動はその名前に関係することだろう」
いまさら隠し立てはできまい。
この男は周りの人間をよく見ている。
自分で言ったことだ。
その褒め言葉に狂いはなかったとむしろ喜ぶべきだろう。
「そういうことになりますね」
「そうか」
サルマーンはようやく納得したように一息をついた。
「……お前にとっては蛇足かもしれねえが、お前に俺の名前を教えておいてやろう」
と、急にサルマーンが頭の後ろで手を組みながら話題を変えた。
「急にどうされたのです? たしかにあなたの本名をすべて聞いたことはなかったですけど」
「訊かれりゃ答えたんだけどな。どいつもこいつも妙に気が利くせいか今まで訊かれなかった。だが今回こういう話になったから言っておこうと思う」
それからサルマーンは言った。
「俺の名前は〈サルマーン=ゼウス=フォン=ルーサー〉。――ゼウスってのは俺のもう一つの名前。というかこっちが本名だ。サルマーンってのは仮名みたいなもんでな。俺の家系は伝統的に自分で名前をつける風習があるんだ。俺はゼウス=フォン=ルーサーなんていう堅い名前が嫌で、地域も階級もまったく関係ない名前を自分につけた。結構気に入ってる」
シャウはその名前に憶えがあった。
「ルーサー? ルーサーと言えば――」
「ああ、俺はあの〈ルーサー王国〉の王家の生まれだ。今となっちゃ王家もなにも関係ねえけどな」
そう、ルーサー王国の王家であることはもはやこの世界で何の意味もなさない。
「俺の国はもうこの世界に存在しねえんだから」
ルーサー王国は、『とある天変地異』に巻き込まれ――
すでに滅んでしまっていた。