17話 「希望の道を見た」
それはほとんど白い雷光の線だった。
足場の悪い霊山の山頂下。
その狭い空間を、白い雷の化身が人の隙間を縫って駆けている。
「っ――!」
ムーゼッグ術式兵の悲鳴があがっていた。
白い雷の化身たるメレアに打たれているからだ。
高速移動からの単発掌打。
一度打っては、また消える。
たちの悪い、それこそ幽鬼か幽霊のようだった。
ただの掌打が人を飛ばすほどの威力を持っている時点でひどいものだが、その攻撃者の姿がとかく捉えづらい。
速すぎるのだ。
「ぐっ――!」
くぐもった悲鳴がまたあがった。
彼らはメレアの姿を捉えられず、ただ無防備に超速度の掌打を受けていた。
魔王たちが上から呆然とその様子を見ている。
白い光が走って、人が飛ぶ。
ただその繰り返しだった。
◆◆◆
「――術式系の魔王じゃねえのかよ」
白光砲が飛んでくる前にエルマと話していた〈拳帝〉の号を持つ魔王が、唖然としてそれを見ていた。
「いや、あの白雷は術式によるもんだろうが、近接戦の体捌きもやばいな……」
〈拳帝〉という近接戦由来の号を持つ彼の目は、かろうじてメレアの動きを捉えていた。
目が良い自分をして、近くで見ていたら捉えきれなかっただろうとの思いがある。
遠く、上から見下ろしているからこそ、なんとか見えるのだ。
ムーゼッグの術式兵たちも、かろうじてそうできるという感じで、腰に佩いていた剣を鞘から抜いて振り回している。
あてずっぽうだが、あの狭い足場でいくつもの剣が無造作に舞えば、それなりに脅威だろう。
だがそれでも、メレアにはかすりもしなかった。
絶妙な位置で剣の間をするりするりと抜けていく姿を、〈拳帝〉は信じられないものでも見るかのような目で追っていた。
「――ハハッ」
そんな〈拳帝〉の口から、ふと笑いが漏れる。
「マジかよ。俺が魔王ってんなら、『アレ』は一体なんだってんだ。――しくじった、俺今、『希望』を持っちまった」
「気持ちはわからないでもないわ。あたしも似たような感覚、お腹の底に感じたから」
そこへ紅髪の魔王――〈炎帝〉リリウムが現れ、〈拳帝〉に声を掛ける。
かくいうリリウムも右肩に炎の鳥をとめていて、なんだかんだと臨戦態勢のようだった。
「……霊山に登って、抗うか逃げるか以外の別の――『楽な道』が見つかるかとも思ったが、結局見つかったのは『つらい希望の道』だったな」
〈拳帝〉はメレアの勇ましい姿を儚げな視線で追いながら、そう言った。
「あいつの強さは俺たちにとって希望だ。でもそこに恐ろしさも感じる。あいつが見せる希望の道は、ひどく険しい気がするからな」
「……そうね。なら、諦める?」
「……いや、その選択肢はもうねえよ。見ろよ、あいつ、一人で戦線を支えようとしてるんだぜ? 俺たちに決心する時間を与えようとか、思ってるんじゃねえかなぁ」
「剣帝も剣帝で、自分の身を囮にしろだなんて、遠回しにいっていたわね」
「ああ。――だから、やっぱり諦めるって選択肢はねえ。俺は尻尾巻いて逃げてきた『ダセェ魔王』だ。それでも、俺のために命張ってるやつらの思いを裏切るような『ダセェ男』にはなりたくねえな。――死んでもなりたくねえって、今思った」
「――そう」
拳帝の言うどことない男の理論に、リリウムはそっけなく返したが、それでいて彼女も、強い意志の光を瞳に揺蕩わせていた。
二人の瞳が同時に眼下に向く。
ムーゼッグの術式兵たちはメレアの異様な速力に対応すべく、円形の密集陣を取ろうとしていた。
常軌を逸した速力で各個撃破されるのを避けるためだろう。
後背という死角を消せるし、メレアの攻撃の瞬間に密集陣の内側にいる術師が反撃をしやすい。
ムーゼッグはムーゼッグで、やはりなんだかんだと手練れだ。
「――あの墓作り、いい気分転換だったわね」
「ああ。あれのおかげでなんか頭がすっきりしたよ。ごちゃごちゃしてんのを整理するときにゃ、単純作業が有効だな」
そうしてムーゼッグがメレアに対する対応策を実施したあたりで、〈拳帝〉と〈炎帝〉リリウムの心もまた、一つの決断を下していた。
「じゃあ、お礼しないとね」
「作るの手伝ってやったから、お礼される方でもあるがな」
「ふふ、そうね」
「まあ、まずは互いが生き残ってからだ。生きてなきゃ礼もできねえし、礼を受けることもできねえ。――がんばるさ。戦える力があるのに、なにもせず誰かに任せっぱなしにしちまったら、それもまたダセェからな。だから、あいつの背中に見える『つらい希望の道』を、たどってみることにする」
そんなやり取りのあとに、二人は動いていた。
〈拳帝〉は自分の両頬を手で叩いて気合を入れ、霊山を滑り下りていく。
向かう先は眼下のムーゼッグ術式兵たちの密集陣だ。
リリウムは肩にとまっていた炎の鳥に命令を出し、メレアに向かって術式を放とうとしていた術式兵を攻撃する。
二人は戦うことを決めた。
すべての気持ちに区切りをつけられたわけではないが、今この場では、あのメレアという男のあとに続いてできるかぎりのことをしよう。
そしてそんな二人の決心に続くように、
「俺も――行くか」
「くそ、なんだよ、魔王のくせに生き延びる気満々じゃねえか」
「これを見せられちゃしゃーねえよ。希望の道を見せたあのメレアってのが悪い」
「ひでえ言いがかりだな」
「事実だろ」
二人が出て行ってから、さらにほかの魔王たちが各々に苦笑や自嘲、あるいは微笑を浮かべて、霊山を駆け下りはじめる。
メレアの先駆にはじまり、エルマの突撃に続き、拳帝、リリウム、その他の魔王。
そこに抵抗への流れが生まれはじめていた。
◆◆◆
「さて、わたくしどもはどういたしましょうか」
「私は前線に出るの嫌ですよ? これ、金で解決できませんかね?」
「金を払ったら命を助けてくれるような者たちに見えますか? あのムーゼッグの軍人たちは」
「――ふむ」
〈錬金王〉シャウは、隣の〈メイド〉マリーザとともに眼下を見据えていた。
ムーゼッグ王国の術式兵と、ほかの魔王たちが交戦を開始している。
「たぶん、金を払ったあとに殺されるでしょうね」
「わかっているなら訊かないでください」
「ツれないですねぇ」
もちろん、わかってはいた。
必要なものを奪ったら、そのあとに魔王を殺すだろう。
ムーゼッグ王国はそういうことをしてきた国家だ。
決して好きではないが、戦乱の渦に呑まれはじめた時代情勢を考えると、逆襲を防ぐためにある意味それも正しいのかもしれない。
ともあれ、金で解決できないことをわかっていながら、会話の潤滑油のつもりで軽口を叩いたのだ。――まったくうまくいかなかったが。
「ここは金を払うより、ほかの魔王の力に便乗しておいた方がいいのでは?」
「あなた、メイドのくせになんだか強かですね」
〈錬金王〉シャウのヒき気味な笑みに対して、マリーザは淡々と言葉を返している。
「わたくしが目指すメイドは完璧なメイドでございます。戦場でも主人を守れるくらいには強かでなければ」
「あなた、誰を主人にしているのですか?」
「あのメレア様でございます」
「いつの間にそうなったんですか……!」
「誰よりも先に身体を張ったからでございます。ああいう『危なっかしい』お方を主人として守るのが、完璧なメイドとしての能力向上につながると思います。なんでもできる主人に用はありません」
「謎の理論ですね……。でもでも、『アレ』に護衛とか必要なんでしょうか。なんでもできるかはわかりませんが、少なくとも今のところは危なげないようですよ?」
シャウが指差す先に、白い雷をまとって戦場を高速で跳び回る男が一人。
素人目に見ても、あきらかにあの一人だけ戦闘力が飛び抜けていることがわかる。
マリーザの視線も的確にその男を追っていた。
「――そうですね。強いことは良いことだと思います。わたくしより強くなければ、わたくしの主人は務まりませんし」
「あなた、さっきから言ってることがかなり支離滅裂ですよ……?」
「そうですか? ――つまり、戦闘時はわたくしより強く、それでいてどこか危なっかしくて、戦闘時以外はわりと木偶の坊。これが最適でございます」
「ずいぶん主人に対して注文の多いメイドがいたものですねッ!!」
「わたくしも一応『魔王』ですから。いろいろと、考慮すべきことがあるのです。本当に不便な血の下に生まれついてしまいました」
「はあ……」
シャウは重いため息を吐いて、一旦言葉を切った。
そのあとに、再び視線を眼下に向ける。
戦況を眺めるシャウの顔は、さきほどまでと比べていくぶん真面目なものに変化していた。
どうやら冷静に状況を分析しているようだった。
対するマリーザは、シャウの嘆息を淡々といなしつつ、別の方向に視線を移す。
真横。
そこに、祈るように手を組みながら、「みんな、無事で、怪我、しないで」と呟いている〈天魔〉アイズの姿があった。
その小さな聖女のごとき姿は、表情の変化の少ないマリーザをして、大きく目を見開かせるほどの儚さと透明感をまとっていた。
時が止まったかのように一瞬硬直したマリーザが、直後に口を開く。
「――あと、ほかにも主人を見繕うことでメイドスキル鍛練のバランスを取ることにしました」
「えっ?」
マリーザがまじまじとアイズを見ながら、そんな言葉を紡いでいた。