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百魔の主  作者: 葵大和
第十三幕 【青い薔薇の学び舎より】
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160話 「西の大地より告ぐ」

 〈城塞(じょうさい)都市〉、および〈天塔(てんとう)都市〉と呼ばれる都市国家群がひしめく〈西大陸〉。

 その南東部の、〈識者の森〉と呼ばれる多層森林の近くに、一風変わった文化を持つ都市があった。

 名を〈学術都市アイオース〉。

 読んで字のごとく、学術の発展と、そこにいる者たちの知的好奇心を充足させることを至上の目的とした街である。


「そしてこの街は、世俗から隔離されていると、もっぱらの噂でもある」


 世界中の『知』を収集するその都市には、さまざまな人種が集まる。

 中でも多いのが、貴族や高名な術師たち。

 前者は子の英才教育のために。

 後者は己の術式技術の探究のために。

 世俗の『しがらみ』から逃れてただ己の知的欲求を満たすため、名を変え風貌を変え、彼らはこの街に潜んでいた。


「ゆえに、アイオースは政治的に中立である」

 

 外部から、知的探求の害悪となりうる政治的要因を持ち込んではならない。

 だから、アイオースは世俗の(くさび)から解き放たれている。


「――はずだった」


 アイオースに点在する学術機関のうちの一つに、〈青薔薇の学園(ミース=アイオース)〉と呼ばれる学園があった。

 青い薔薇で優美に飾られたその学園は、アイオースの中でも特に優秀とされる学徒たちがこぞって集まる学園である。


「努めて見ないようにしてきたものが、大きくなりすぎたんだ。もう、視界の隅で(うごめ)くそれを、見ないではおけない。僕も――彼らも」


 かつて、まだ幼さの残っていた〈戦乱の寵児〉と、とある白国の〈革命児〉が座った椅子の上に、今一人の若者が座っていた。


◆◆◆


「サリー、天才とはどういう人物を指すと思う?」


 その若者は、透き通った白緑(びゃくろく)の長い髪を持っていた。

 女と見まがうような美しい顔立ち。

 縁の無い眼鏡。

 ほっそりとした身体はあきらかに戦う者のそれではないが、背そのものはひょろりと高い。


「〈術神〉フランダー=クロウ=ムーゼッグ、あるいは、〈雷神〉セレスター=バルカ。〈風神〉ヴァン=エスターや〈土神〉クリア=リリスもまた、若いときからすでに術師としてたぐいまれな能力を誇っていたという」


 若者は目にかかっていたさらさらとした白緑の髪を指でどかしながら、膝元に開いた本に視線を落とした。

 彼の座る椅子の横には、一匹の大きな犬が寝そべっている。薄い金色の長毛を持った、大型の犬だ。


「この中だったら、やっぱり〈術神〉が頭一つ抜きんでているだろうか」


 若者の(あで)やかな切れ長の目は、隣で寝ている犬の方に優しく向けられる。


「サリー、僕の話ちゃんと聞いてる?」


 若者の言葉に、サリーと呼ばれた犬は耳をぱたぱたさせて答えた。


「君は本当に日向ぼっこが好きだなぁ。まあいいや、そこにいてくれるだけで少し安心するから」 

 

 そういって彼は視線を膝元の本のページに戻した。


「ともあれ、実際にお目にかかれなかったのが悔やまれるよ。かつての英雄たちは、今の時代の天才と比べたときどういう位置に収まるのか。せめて一度でいいから、〈魂の天海〉からこの地に降りてきてくれないものか」


 「それは無理だ」とでも言うように、サリーが小さく鳴いた。


「君はそういうときだけ答えるんだねぇ」


 そこは〈青薔薇の学園〉の蔵書室。

 一見すると教会のような造りをしているが、整然と並んだ本棚はまさしく蔵書室らしい。

 しかし本棚には多くの隙間があって、どことないさびしさも感じられた。


「――まあ、少なくとも僕のような『まがい物の天才』とは比べるべくもなかっただろう」


 若者は落ち着きはらった仕草で、眼鏡の位置を直した。


◆◆◆


 若者はそれからしばらく蔵書室で読書に耽った。

 それからいくらかして、自分が取っている講義の時間が迫ってきたことに気づく。


「そろそろ時間だ。僕は行かなきゃ。またね、サリー」


 若者が立ちあがると、サリーが再び耳をぱたぱたさせた。

 若者は読んでいた本を返却用の棚に乗せて、蔵書室の出入り口へと向かう。

 すると、


「おぬし、また小難しいことで悩んでおったみたいじゃな」


 蔵書室の出入り口近くにある受付机から、不意に声をかけられた。

 しわがれた声は老人のそれ。

 しかし不思議と、耳にすうっと入ってくる声だった。


「――あ、ケイオーンさん。いたんですか?」

「わしはここの司書じゃぞ。いないでは話にならんじゃろ。おぬしこそこんな時間に『さびれた方の』蔵書室に来るとはな。ほかの生徒はみな新しい蔵書室に入り浸っているというのに」


 受付机の奥の方で、本の表紙を磨いている老人がいた。

 布で表紙を磨くたびに、豊かな(ひげ)が揺れている。

 どことなくその老人は偏屈そうだった。


「僕はこっちの方が性に合ってるんです。新しい蔵書室は、本の数こそ充実しているけど、どうにも落ち着かない。まあ、もう少しこっちの蔵書室にも本を残しておいてくれればよかったのに――とは思いますけど」

「変わった趣向じゃな、〈ベナレス〉少年」


 若者――〈ベナレス=ファルムード〉は受付机に身を乗り出して、奥にいる老人に興味深そうな視線を向ける。


「よく言われます。――それ、やたらに古そうな本ですね。誰の著書です?」

「〈パラディオン〉と、かろうじて読める文字で書いておるな」

「ああ、あの」

「誰も読まんからこっちの蔵書室に取り残されたんじゃ。古びた英雄譚と一緒で、今の生徒たちには必要のないものなんじゃろう」

「まあ、実用的ではないですからね」

「読むか?」


 老人――ケイオーンはくるりとベナレスの方を振り向いて本を差し出した。


「もう何回か読みましたよ」

「ほう、さすがじゃな」

「いや、読んだ、というと語弊がありますね。何度目を通してもまるで解読できていないですから」

「じゃろうな」


 ケイオーンはため息をつきながらそう言って、再び本を磨きはじめた。


「まあ、また今度試してみます。とりあえず今は講義に遅れないようにしないと」

「そうか。では急ぐといい。おぬしは頭こそいいが、身体の方がてんでダメだ。必死で走ってもたいした速度が出ん。風に打たれただけで砕けそうな身体をしおって」

「苦手なんです、身体を動かすの」

「昔の英雄は頭と身体の双方を鍛えておったものじゃ」

「僕は英雄じゃないですよ」

「素質はある」


 唐突に真顔で言われて、ベナレスはきょとんとした。


「〈白緑(マラカイト)の天才〉と呼ばれるおぬしにはな」

「僕は天才なんかじゃありません」

「『自分の知識は自分で得たものではない』からか? おぬしはいつもそうやってわけのわからぬことを言い分にする」

「それが事実ですから」


 ベナレスの返答に、ケイオーンは困ったように眉をしかめた。


「僕は決して天才ではない。たしかに人より知識はあるかもしれないけれど、それを活かす身体もなければ、活かそうとする意志さえもない。挙句の果てにその知識も借り物だ。本当の天才は、世に台頭してはじめて認知される。世に台頭するには何かをなさなければならなくて、そのためにはただ頭が良いというだけでは不足する。つまるところ僕の不本意な呼び名は、このアイオースという鳥かごの中だけのものなんだ」

「ずいぶん自分を卑下するな、おぬし」

「そういうケイオーンさんこそ、昔は天才と呼ばれていたらしいですね」


 ベナレスが言うと、ケイオーンはバツの悪そうにこめかみを掻いた。


「おぬしよりずっと程度は下がる」

「あなたの講義は、昔から人気だったと聞きます。どうして術式の講師をやめてしまったんですか?」


 ケイオーンは小さくため息をついて、近場の窓へ目を向けた。

 青薔薇の学園の隅にある小さな水の庭園で、何羽かの鳥たちが遊んでいる姿が見える。


「わしに講師の資格がなくなった。……否、もともとわしは講師ではなく教師になりたかった」


 そのニュアンスの違いに、ベナレスもなんとなく気づいていた。


「あなたは良い教師でもあったと思います」

「そうではないのだ、ベナレス少年。わしは教師ではなかった。たった一人の不幸な少女すら、わしは救えなかったのだから」


 ケイオーンはそう言って、再び視線をベナレスに戻した。


「さあ、行った行った。本当に講義に遅れるぞ」

「……わかりました。じゃあ、今日はこのへんで」

「うむ」

「また話の続きを聞きに来ます」

「おぬしが今日の話を覚えてないことを祈ろう」


 ベナレスが手を振って蔵書室から出て行く。

 その姿を見送ったケイオーンは、磨いていた本をいったん机の上に置いて、椅子に深く腰掛けた。


「――安心せよ、ベナレス少年。いつかズルをしてでも追いつきたいと思う何者かがおぬしの前に現れる。そういう心焦がれる相手が目の前に現れたとき、おぬしのその引け目もずいぶん薄れるだろうよ。今はまだその知識でもって判断をつけられる相手しか見たことがないから、競争心が芽生えないのじゃ。いつかおぬしの想像を越える怪物が目の前に現れたとき、おぬしの心は震えるじゃろう」


 ケイオーンは蔵書室の天井を見上げる。

 そこには紅い炎を優しく抱き込む天使の姿が描かれていた。


「あの()は今もどこかで生きているじゃろうか」


 自分が救えなかった、一人の少女。


「死ぬ前にあの美しい紅の髪をもう一度見たいと思うのは、わしの身勝手なわがままじゃろうな……」


 ケイオーンはかつて自分をよく慕ってくれた少女の姿を思い出す。

 彼女はベナレスと同じくらい頭が良かった。

 そしてベナレスよりもずっと――不幸だった。


「東の白国に〈魔王〉が集まっているという」


 そんな魔王たちをまとめる一人の怪物が、その国の王を助けたという噂も最近耳に入れた。

 願わくは、その怪物に彼女も救われていればといいと思う。


「たしか今の白国の王は〈ハーシム=クード=レミューゼ〉というのだったな」


 クード。

 その名にもケイオーンは聞き覚えがあった。


「あれもなかなかの天才じゃった。いや、奇才というべきか。――はたしてその奇才を助けたという怪物は、どれほどの人間なのじゃろうか」


 あるいはその人間こそ、今のベナレスに必要な人材なのかもしれない。

  

「まあいい。わしにはもう世俗に関与する力もない。だからといってそちらからアイオースに来てくれなどという望みも口にはすまい。だが、もしそちらからこの街に近づくことがあったのなら忠告をしておこう」


 誰にでもなくケイオーンは言った。


「気をつけよ。今のアイオースは決して一枚岩な場所ではない。むしろ狭い世界ゆえに、世俗以上に内部は混沌としておる」


 さきほどまでベナレスの傍らで寝そべっていたサリーが、いつの間にかケイオーンの隣にやってきていた。

 ケイオーンはサリーの頭を撫でてやりながら、小さくつぶやく。


「そろそろこの街にも新しい風が必要なのかもしれんな……」


 彼のつぶやきは、蔵書室の冷たい空気の中にふっと消えていった。

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