159話 「忘れないでほしい」
シャウの部屋からの帰り際、メレアは人知れず星樹城の廊下で――
「…………くそ、またか」
例の『発作』を起こしていた。
――節操のない。
視界がぶれたかと思った次の瞬間には、星樹城の白壁に術式が見えていた。
壁にかけられた絵画、窓の硝子、火の灯っていない枝付き燭台にも壁の石とは趣の違う術式が浮かんでいる。
メレアは片手を壁についてふらつく自分の身体を支えながら、発作が治まるのを待った。
――きっかけを経ると急に騒がしくなるもんだな。
金色の涙があふれたときから、定期的に『魔眼の発作』が来る。
あの涙が零れた地点をきっかけにして、この眼が別の何かに変わろうとしているのかもしれない。
「……そう長い間これに振り回されるわけにはいかない」
発作が治らないにしても、慣れなければならない。
まだ頭が術式情報の流入に慣れていないから、ふらつくのだ。
――慣れろ。お前に立ち止まっている暇はない。
メレアは自分に言い聞かせて、顔をあげた。
莫大な量の術式が視界に飛び込んで、脳が悲鳴をあげる。
それでもメレアは、一歩、また一歩と前へ歩きはじめた。
「これが必要な変化であるのなら、俺はそれを受け入れよう」
自分の身体は自分の行動によって最適化されていく。
メレアはそのことを経験則として理解している。
だが、
その変化が自分の想像をはるかに超えるものになろうとしていることには、メレアもまだ気づいていない。
もし、この世のどこかに世界を創造した『神』などというものがいるとするのなら。
そしてもし、その神がメレアに起こっている変化に気づいていたのなら。
きっと神は――メレアを殺そうとしただろう。
「――」
そのとき、メレアがふらついた身体を支えようとして手をついた壁の術式が――
奇妙に『歪んで』いた。
◆◆◆
次の日。
魔王たちはそれぞれの出発を前に星樹城の大広間――あえてメレアを王とするのであれば『玉座の間』――に集まっていた。
玉座を中心にして右側に、シャウ、サルマーン、エルマ、アイズ、シラディス、ジュリアナ、ザラス、アルター、さらにあの〈盗王〉クライルートに、物静かな刀士風の男〈刀王〉ムラサメ。
腰に白い鈴をつけた〈白鈴旅団〉の団員たちも、全員ではないがそこには控えている。改めて見るとここ数日でずいぶん数が増えた。
玉座の左側には、リリウム、マリーザ、〈術王〉サーヴィス、〈陽神〉ララ、〈精霊帝〉カルト、〈知王〉ミラがいる。
こちらは右側と比べると数は少なかった。
「うおお、改めて見るとすっげえ数増えたなぁ。俺、なんか知らないけど感動してきた」
ちらほらと雑談が聞こえてくる中に、サーヴィスの声が混じった。
「なにいまさらなこと言ってんのよ。メレア様がそれだけ頑張ってくださってるってことじゃない」
「いやいや、そんなことはわかってるんだよ。でもこう、みんなが一斉に集まることって意外となかったじゃん。晩餐会のときとかは結構集まるけどさ。それでもこれだけの人数が集まることってあんまりないし」
「まあ、なんだかんだいつも外に出てる人がいるからね。今は――」
ララがオレンジ色の髪を揺らしながら左右を見渡す。
「〈ガリオン〉さんたちがいないかしら」
「あれ、まだガリオンさん帰ってきてないのか」
ララの言葉にハっとしたように、サーヴィスが同じように辺りを見渡す。
「なんか、『どうしても今のうちにやっておかなければならないことがある』って言ってメレア様に許可をもらいに行ったところまでは聞いたんだけど」
「へー」
ララの説明にサーヴィスは鼻を鳴らした。
「まあ、それがどんなことだかはわからないけど、ガリオンさんなら大丈夫だろ。そのうちけろっと戻って来るさ」
「そうね。――って、なんかあたしが弱気に心配してるみたいになってるけど、あたしだって全然心配してないんだから。勝手にガリオンさんを信じてないみたいにしないでよ」
「細けぇなぁ。別にいいじゃん」
と、サーヴィスが面倒くさそうに頭をぽりぽりと掻いたところで、玉座の間の大きな扉が開いた。
その奥から――
「あれ、みんな揃ってる? 遅くなってごめん。……ん? ていうか俺時間どおりに来たよね!? あれっ!?」
魔王たちの主、メレア=メアが現れた。
メレアは微妙に寝癖がついたままの髪を片手で必死にとかしながら、玉座の間の中央絨毯の上を小走りにやってくる。
「あっれー?」
これはおかしいと首をかしげるメレアに、ふとシャウが声をかけた。その顔は楽しげだ。
「ああ、あなたにはわざと少し遅い時間を知らせました。その方がいろいろと都合が良いので」
シャウは後ろで三つ編みにした金色の髪を楽しげに揺らして悪戯っぽく笑った。
「そっちの方が威厳が出るでしょう?」
「だったら最初からそうだと言えよっ! というかそれをここで口で言っちゃったらいろいろ台無しじゃない!?」
メレアの返答に魔王たちがどっと笑った。
「ほらみろ」と言わんばかりにメレアがげんなりして玉座の階段をあがる。
「はあ、まあいいや。――マリーザ、これで全員?」
すると今度はメレアがマリーザに訊ねる。
「はい、今回遠征に出る面々はこれで全員でございます」
マリーザはほかの魔王たちと同じようにさきほどのやり取りでわずかに表情をほころばせていたが、メレアからの問いがあるとすぐにいつもの整然とした様相を取り戻して答えた。
「そっか。よし」
メレアは階段をあがり切ると玉座に座る前にみなの方を振り返って全体を見渡した。
「ちなみに、あなた様から見て右側が『アイオース遠征組』、左側が『サイサリス遠征組』となっております」
「やっぱりサイサリス組は数が多いなぁ」
壮観だ、と小さくこぼしてメレアは頭を掻いた。
「まあ、これでも足りないくらいか」
本当ならもっと数が欲しかった。
サイサリスは今一番緊張度が高い。
ムーゼッグの侵攻をはじめとして、レミューゼとの兼ね合いもある。つい昨日シャウが持ってきた情報によると、そのほか南大陸の諸都市国家や、西大陸の勢力も少しずつ関わってきているらしい。
動乱の火種が、一カ所に集まりつつある。
「本当なら〈ガリオン〉たちも招集したいところだったけど――」
メレアは〈魔王連合〉に所属しながら、現在別行動を取っているとある魔王たちを思った。
「ガリオン様からの連絡はありましたか?」
マリーザがその名を聞いて訊ね返す。
「うん、たまに風鳥が来るよ。旅は順調みたいだ」
「それはなによりですね」
マリーザがわずかに口角をあげてうなずいた。
「うん。〈薬王の薬指〉がガリオンにも使えたのなら、それが一番手っ取り早かったんだけど」
「ガリオン様の弱り具合を考えますと、メレア様の血には耐えられなかったでしょう。それに、あの弱り方は普通の病によるものではありません」
「そうだね。あれは特殊な術式によるものだ。セリアスの使っていた〈封印術〉に似てる」
メレアはそこまで言って、すぐに話題を戻した。
「話がずれたな。ガリオンたちはガリオンたちで精一杯やってる。だから俺たちもやれることをやろう」
メレアは玉座に座らず、そのままみなに向かって言った。
「みんな、わかってると思うけど、俺たちは依然としてぎりぎりのところを歩いてる」
メレアの声が、雑談をするときとは打って変わって力強くなる。
「――最初は二十二人だった。それが徐々に増えて、今ではこれだけの人数が集まった」
美しい歌声のような、それでいて戦場で戦士たちを鼓舞する威声のような。
〈楽王の声帯〉から発せられる〈白神〉の声に、誰もが耳を傾けた。
「〈魔王〉という言葉を取り巻く世の情勢を考えると、こうしてここに魔王たちが集まったということはそれだけ逃れられないレッテルに絶望している者が多いということだから、本当は喜んじゃいけないのかもしれない」
けれど、と繋いでメレアは一拍を置いた。
魔王たちは瞬き一つせずにメレアを見ていた。
「俺はこうしてみんなに会えたことを、素直に嬉しく思う。これは本当の気持ちだ」
誰かが「俺もだ」とつぶやいた。
「だから、俺はみんなを集めた当事者として、みんなの期待に応えたい」
それは、メレア個人の夢でもある。
「まだ、世の中を大きく変えることはできていない。でも俺は、ザイナス戦役で放った自分の言葉を裏切るつもりはない」
『俺が、魔王という言葉の意味を変えてやる』
「あの言葉を現実に叶えるために、これから俺たちは二つの班に分かれる。でも、忘れないでくれ」
メレアは、たとえ一時の別れであってもそれを軽くは扱わない。
自分たちは魔王である。
まだ世の中には魔王に対する偏見があって、ときにはそのことが命に関わる重大な危機をもたらすかもしれない。
だから、メレアは常にそれを言う。
あとで言っておけば良かったと、後悔しないように。
「俺たちは『仲間』だ。出会いの場所も、付き合いの長短も関係ない。〈魔王連合〉に所属する者は、みな同じ仲間だ。そのことを忘れないでほしい」
ときにはその魔王という名前ゆえにつらい思いをするかもしれない。
普通の人間ならば、決してそうはならないであろう理不尽な境遇に追い込まれるかもしれない。
世の中は間違っていると嘆きたくなるだろう。
そしてその嘆きすら誰にも届かないことを知ったとき――人は往々にして絶望する。
「独りじゃないということを常に心に置いておいてくれ。そしてつらくなったら周りの仲間を頼ってくれ。もしそのとき周りに誰もいなかったら――」
メレアは言った。
「俺の名を呼んでくれ」
必ず行く。
メレアはひときわ力強い声で、たしかにそう言った。
メレアは外に手を伸ばす。
まだ自分の手が届いていない魔王に、触れるために。
されど自分の懐にいる魔王たちも、決してないがしろにしてはならない。
触れて終わりではないのだ。
――こぼしてなるものか。
メレアは目をつむる。
自分の両腕の中に、すべての魔王がいることを確認する。
自分が彼らを守っているとは言わない。
けれど、たとえ傲慢と言われようとも、
――守れるのなら、すべて守る。
それくらいの気持ちが、メレアの中にはあった。
まだ、メレアの信念はぐらついていない。
むしろより強固になって、心の支柱になっている。
「――行こう。笑顔でこの城に戻って来れるように」
そして〈魔王〉たちの雄叫びがあがった。
東大陸の一角であがった彼らの雄叫びは、いずれ世界に轟くことになる。
この〈魔王連合〉のアイオースとサイサリスへの遠征は、時代の変革のまた一つの契機となろうとしていた。
彼らの雄叫びは、人間のみならず、『とある生物』たちの耳にも――届こうとしていた。





