157話 「少女の秘密と妖女の叡智」
〈リリウム=アウスバルト=クレール=ミュウ=レ=ラルーザ〉。
なおも短縮名。
「我ながら長すぎるわね……」
リリウムは星樹城にある自室で、膝元の羊皮紙に書かれた自分の名前を見ながらため息をついた。
「むぅん」
普段、どうしても名を名乗らなければならないときは、さらに短縮させた名前を使う。
しかし、いざ記録に名を残そうと思ったとき、せっかくだからと正式名を使いたくなった。
「本のタイトルが潰れる……」
リリウムには秘密がある。
それはあの〈金の亡者〉シャウ=ジュール=シャーウッドが抱えているような大仰なものではない。
そのほかの〈魔王〉たちが抱えているような、悲しい秘密でもない。
リリウムの抱えている秘密は、もっと小さなもの。
けれど少女としては、軽く扱われるべきではないもの。
「本を作るって、結構難しいものね」
リリウムはみんなには内緒で本を書いていた。
小説、あるいは物語、あるいは伝記であり、ときには学術的な内容。
それと心に決めたジャンルがあるわけではないが、自分の気の向くままに、自分にしか書けないものを書こうと、一人空いた時間に筆をとっていた。
「バレたら絶対ネタにされる」
ここにいる仲間たちは存外身内に厳しい。
これというネタを貪欲に探し、一度見つければこれでもかといじってくる。
まったくもって性質が悪い。
「そもそもタイトルどうしよう……。うーん。……ああもう! やめやめ、今の状態じゃ良い答えなんて見つかりそうにないわ」
学術都市アイオースへの出発が明日に迫っていた。
メレアたちの調整も終わり、さまざまな防衛策を準備したうえで、ようやくである。
とはいえ時間的には三日しか経っていない。
メレア曰く、ハーシムはこういう状況をすでに把握していたらしい。
そのため話がスムーズに進んだ、と。
メレアは、
『またあいつに全部見透かされた』
と悔しそうに、それでいて楽しそうにぼやいていた。
「帰ってきてからまた考えよう」
リリウムは膝の羊皮紙を丸めて机の引き出しの中に押し込む。
そしてその机の上に置いてあった書きかけの本をぱたりと閉じて、部屋の隅にある大きな書棚の片隅に差しこんだ。
さらに上から布をかけて、書棚全体を隠す。
今のところこれでバレていない。
まあ、そもそも誰かが許可もなく自分の部屋に入ってくることもないわけだが。
「さて、そろそろメレアのところへ行こうかしら」
たぶんメレアは今ごろ自室で旅支度に悪戦苦闘しているころだろう。
ヴァージリアへの遠征が決まったときのことを思い出す。
メレアはこういう当たり前な些事が意外と苦手だ。
本当に、手のかかる子どものようだ。
「……」
ふと、そこでリリウムは自分の胸元に手をやった。
白いブラウスの真ん中で、深い緑色の宝石ペンダントが輝いている。
〈翠玉の首飾り〉。
これはメレアからの『プレゼント』だった。
「誰の入れ知恵かしらね」
ヴァージリアへ行っている間、星樹城を守ってくれた礼だという。
『いつも大変な仕事ばかり任せてごめんね。ありがとう』という言葉とともに、このペンダントを渡された。
――もう、変なところで気を利かせるんだから。
さっきも言ったとおり、たぶん誰かの入れ知恵だろう。
けれど、メレアの気持ちは本物だ。
少し恥ずかしそうにこれを渡してきたときのメレアの顔が思い浮かぶ。
――〈金の亡者〉と〈双子の保護者〉はぶっ飛ばす。
プレゼントを渡されたのは自分の部屋だが、そのとき外に気配があった。
自分の本能が告げている。
あの二人だ。
というか、ひそひそ声が聞こえた。
どうやらそのときの自分は、きょとんとして、なおかつそのあとに顔を赤くしてしまっていたらしい。
『見てください! あの少女らしい顔! いつも私の横腹をつねる鬼女とは思えない!』
『声がでけえ。おめえあとでぶっ殺されるぞ……』
心配しなくていい。確実に殺る。
ともあれそんなことがあって、せっかくもらったものだから、普段から身に着けるようにした。
別に、他意はない。
本当に、せっかくだからだ。
「まあ、今回は一緒に出るわけだし」
これをつけていると、メレアは嬉しそうな顔をする。
その顔を見るのは、存外悪い気分ではない。
「いやいや、と、とにかく様子を見に行くべきね」
リリウムは変な気分になってきたので、さっさと身支度を整えてメレアの部屋へ向かうことにした。
今日も星樹の国は快晴である。
明日もきっと、晴れだろう。
旅路のはじまりには、悪くない陽気だ。
◆◆◆
リリウムはメレアの部屋へ向かい、案の定持ち物の選定に四苦八苦しているメレアを助けたあと、今度は蔵書室へ向かった。
この三日の間に外に出ていた〈知識〉所属の魔王が何人か帰ってきて、今は全員が揃っている。
三日前、メレアから正式に〈魔王の知識〉の長をやってくれないかと言われた。
その自分が早速城を空けるのだから、今のうちにある程度の段取りを決めておかねばなるまい。
実を言えばすでにあらかたの指示は出してあるのだが、出発が明日に迫っている現状、いまさらどこへ行くこともないので、やはり慣れ親しんだ本の部屋で過ごすことにした。
「あ、リリウムちゃーん! どうしたのぉ? 早速わたしが恋しくて来ちゃったのぉ?」
「うわぁ、一番面倒なのが最初に来た……」
そんなリリウムが蔵書室へ一歩足を踏み入れて最初に聞いたのは、妙に甘ったるい女の声だった。
「ちゃんとお肌のケアしてるぅー? わたしが外に行ってる間、しっかりメレアちゃんにアピールしておいたぁ?」
「何もアピールすることなんてないし、そもそもあんたに報告するようなことでもないわよ」
蔵書棚の並ぶ二階のフロアから大きく身を乗り出して手を振っている女がいる。
その女はかろうじて胸元がぎりぎり隠れるような、かなりきわどい衣装を揺らして、広大な蔵書室の壁沿いに張り巡らされた螺旋階段を下りてきた。
「んー、やっぱりリリウムちゃんはかわいいわねぇ。その学生っぽいスカート、とっても似合ってるわ」
「あんたは相変わらずルーズな格好してるわね」
手が完全に隠れるほどの長い袖と、ゆらゆらと舞う長い裾が特徴的な着物。
下地は黒だが、模様として刺繍された美しい花弁の数々が派手さを演出している。
その衣装は、女としての官能性をこれでもかと強調していた。
「ルーズな格好してもわたしは似合っちゃうからねぇー」
「例によってうざいわ……」
「貧相なリリウムちゃんかわいそうー!」
「ぶん殴りたいわ」
大きくはだけさせた胸元を両の腕で強調しながら、その女は言った。
それから女はリリウムの後ろに回り込み、艶めかしい手つきでリリウムに抱きつく。
「ああ、手入れはバッチリみたいねぇ。リリウムちゃんの紅い髪は本当に綺麗だわぁ」
「そりゃあどうも」
後ろから抱きつかれ、髪に頬ずりをされているリリウムは、面倒くさそうな表情のままため息をつく。
「てかいい加減に放しなさいよ、〈ミラ〉」
「ええー、やだやだー」
「早く仕事に戻りなさい」
「わたしの仕事ってなんだっけぇ?」
「本当にわかってないわけ?」
「うーん」
〈ミラ〉と呼ばれた妖艶な美女は、しっとりとした黒の長髪を揺らしながら思案気にうなる。
「あ」
「思い出した?」
「街で男を引っ掛けて貢がせるぅ!」
「ド低能な答えで安心したわ」
「それで貢がせたお金をシャーウッド商会に収め――」
「あとであの金の亡者に問いただすわ」
「えー」
「あいつそんな金の集め方までしてたのね……!」
両腕を広げて高らかに笑うシャウの姿がリリウムの脳裏に映った。
「――あんたの仕事は、その頭の中にある『知』を思い出すことよ」
「ああー、そうだったわねぇ」
ミラは眉尻を下げてほがらかな笑みを見せる。
「まったく……」
リリウムは後ろからいまだに抱きつかれた体勢のまま、腰に手をやってやれやれと首を振る。
「〈知王〉の血を継ぐあんたの頭の中には、この蔵書室の本をすべて合わせても届かないくらいの莫大な知識が眠っているはずなのよ。それこそ、『全知』とも呼べるほどの」
「そうねぇ」
「ただ、あんたはそれを自在に『引き出す』ことができない」
「うんー」
「だからせめて、日常的に知に触れて、あんたの頭の中の〈叡智の聖典〉を刺激することに努めなさい。そのためについ昨日までも外に出させていたのよ。護衛までつけて」
「んー」
「帰ってきたからってあんたの仕事がなくなったわけじゃないの。中にいるときだって本でもなんでも読んで――」
「えー、本読むのなんて疲れるわよぅ。もっと身体を動かしてハッスルしないとぉ。――できれば殿方と一緒にぃ」
「そんなだから〈痴王〉なんて呼ばれるのよ……」
リリウムはまた盛大なため息をついて、ミラの腕を首から引っぺがした。
それからミラの方を振り返って、じとっとした視線を向ける。
「というか、あんた、ホントに街で男引っ掛けてんの?」
「あはは、まっさかー。初心な子をからかったりはするけど、わたしはそこまで安い女じゃないわよぅ」
「はあ……。でもあんたの部屋っていつの間にか貢物できらっきらになってるわよね」
「そうねぇ。物をくれるって殿方が多いからねぇ。別にいらないんだけどねぇ」
「そうなの? 意外ね。贈り物とか、結構喜ぶ方だと思ってたんだけど」
リリウムは少し目を丸くする。
「贈り物は嬉しいわよぉ? でも、わたしをときめかせるような贈り物はなかなかないわねぇ」
「へえ」
リリウムは興味深そうに眉をあげた。長い紅髪の毛先を指先でくるくると巻き取りながらミラの話に聞き入るさまは、どこか恋愛事に興味津々な少女のようでもある。
「なにより、贈り物をするときに一番大事なのは気持ちよぉ。気持ちがこもってないと、ただの物だわぁ」
「あんたがまともなこと言うと複雑な気分になるわ……。じゃあ、ちなみに、最近で一番うれしかった贈り物は?」
「うーん、そうねぇ」
ミラは顎に人差し指を当てて、色っぽく考え込む。
しばらくして、閃いたように言った。
「やっぱりあれねぇ。――メレアちゃんのキ・ス」
「あんた冗談でもそれ言ってるとマリーザに殺されるわよ。あとはエルマあたりが真に受けてふさぎ込むわ」
「あはは、エルマちゃんはともかく、マリーザちゃんは怖いわねぇ」
ミラはうんうんとうなってリリウムの言葉に同意した。
「でもでもぉ、似たようなものよぅ? メレアちゃんのわたしたちに対する思いに勝るものはまだないわぁ」
「なんだかんだ、あんたも大概よね。痴王とか言われて痴女っぷりが目立ってるけど、その実一番一途だったり」
「でもわたしぃ、かわいい女の子も好きだからねぇ」
「ああ、なんかいろいろ複雑ね……」
「うふふ」
ミラは美貌に嬉しそうな笑みを乗せて、ゆらゆらと身体を左右に振った。
「まあいいわ、ひとまず与太話はこれでおしまい。あんたにも話があったからちょうどよかった」
「えー? なになにー?」
胸についた女の武器をこれでもかと揺らすミラから目を逸らしながら、リリウムが続ける。
「あんた、明日からアイオースね」
「あいおーす?」
「そう。昨日帰ってきたあんたはまだそんなに今の状況を把握してないかもしれないけど、いろいろあってね。明日からあたしたち〈魔王連合〉は二つの班に分かれて行動する」
「それってまた外に出るってことぉ?」
「そのとおりよ」
「帰ってきたばっかりなのにぃ!」とミラが嘆くように言った。「なんだなんだ」と同じく蔵書室にいたほかの〈知識〉の面々が、それぞれの階層から首を出す。
「むぅ、まだ新しくやってきたお仲間ちゃんたちとも話せてないのに」
「むしろその方が好都合ね。あんたとジュリアナなんかを会わせたら収集がつかなくなりそう」
「例の魅惑の女王ちゃん?」
「そう」
「あの娘にならあったわよぅ」
「えっ?」
いつの間に。
リリウムは眉をあげて驚いた。
「とってもいい娘だったわ。結構息が合って、今度一緒に街に男を引っ掛けに――じゃなかった、お買い物に行こうってことになったのぉ」
「マジ?」
「マジよぉ。ジュリアナちゃん、『どうしたらメレアさんを振り向かせられますかっ!』って必死だったわぁ。わたしの男オとしのテクニックを教えてほしいって」
「お、おお……」
そういえばそうであった。
ジュリアナはジュリアナで結構抜けているところがある。
エルマとはまた少し違うが、変に固定的な価値観にとらわれないという点では同じだ。
加えて言えば意外にストレートに物を言うし、あんな清楚ななりで向上心が強い。貪欲とも言う。
彼女ならこのふしだらな女の見た目にさして驚かず、その良いところを見つけて、そこを学びにいくことさえするかもしれない。
――おそるべしジュリアナ。
リリウムは若干畏怖を抱いた。
「そっかぁ、また外かぁ。……さびしいわねぇ、わたしもみんなと一緒にいろいろやりたいのにぃ」
「安心なさい。今度はもっと多めで動くことになるから。それに――」
リリウムは少し言いたくないという気持ちを胸に抱きながら、ミラに言った。
「メレアとも一緒よ」
そう伝えた直後のミラの表情を見て、リリウムは「やっぱり言わなければよかった」と思った。
そしてそう思ってしまう自分が、妙に腹立たしかった。
ミラはとても嬉しそうな顔で、笑っていた。
けっして普段は見せないような、少女のような笑み。
たぶん、自分もメレアからプレゼントをもらったときは、こんな顔をしていたのかもしれない。
自分の見られたくない一面をミラを鏡にして見せつけられたようで、心がかゆくなった。
「やったー!」
「でも、遊びじゃないからね」
「わかってるわかってるぅ!」
「じゃ、さっさと準備してきなさい。わたしはここで少し仕事を進めておくから」
ミラはリリウムの言葉にうなずいて、スキップするように歩き出した。
リリウムは彼女の背を見送りながら、ため息をつく。
「まあ、あんたが素直に喜ぶ姿を見るのも悪くないわね」
最初はほんの少し躊躇したが、彼女が本当にうれしそうに笑っているのを見て、リリウムは満足した。
――ていうかなんであたしがヤキモチ焼いてるみたいになってるのよ。
「いかんいかん」
リリウムは首を振ってから頬を手で叩く。
「さて、あたしも準備準備」
紅い髪を撫でつけてから、リリウムは蔵書室の二階へとあがっていった。





