154話 「魔神の器、錬金王の戯れ」
「くわしいことは訳あって言えません。ただ、これからそういう方向に事が動いていくかもしれない」
「ホント、どっから情報を仕入れて来るのよ」
「金の力は偉大ですからね」
通常であれば答えになっていないが、この男が言うと思わず納得してしまいそうになる。
この男は今までもそうやってたしかな情報を掴んできた。
「それ、メレアは知ってるわけ?」
「一度自室に戻っているのであれば知っているでしょう。部屋の扉の隙間に手紙を挟んでおきました」
「抜かりないわね」
リリウムが大きなため息を吐く。
紅の髪が疲れたように揺れた。
「メレアは信じるかしら」
「そればかりは、私にはなんとも」
いや、信じるだろう。
リリウムは自分で言いながら、そんな確信を抱いていた。
メレアはシャウを信頼している。
それは盲目的な信頼ではない。
「不思議なもので、ここぞというときのメレアの人を見る目は結構あてになるのよね」
「かもしれません。ときどき私はメレアの目がおそろしくなります。日常ではあんな甘くて隙だらけな目をしているのに、本気で何かを聞こうとしたとき、あの目は異様に深くなる。深く、静かで、純粋なものに。あの目の前で嘘をつくのは、並の詐欺師では不可能でしょう」
「メレアはあんたをただの仲の良い友人とは思っていない。あんたのその飄々とつかみどころのない性格や、内側に隠した何かも含めて、あんたを見ている」
「メレアは私が――言ってしまえば『裏切り者』になる可能性を含めて、それを許容しているでしょうね」
「ずいぶん危険なことを言うわね」
「ハハ、よくある冗談です。それに、あなたが先に言ったんですよ?」
シャウは狐目を細めて微笑んだ。
「……そうね。はっきりとは言ってないけど、今の言い方はあたしの方に非があったわ」
「別に謝る必要はありません、私がそういう不穏な要素を身の内にため込んでいるのは事実ですから」
シャウは指の上で転がしていた金貨を親指で宙に弾いて言った。
ちゃりん、という小気味いい音が部屋の中に反響する。
「話を戻しましょう。――レミューゼと三ツ国、それにムーゼッグとサイサリス、この四勢力がよくない塩梅で絡まりあったとき、レミューゼと三ツ国がサイサリスを潰す方向に動くかもしれない」
「それは否応なく起こることなのかしら」
「あるいは。ただし、ハーシム陛下は実際にそういう状態に陥ったならば、迷うことなくサイサリスを潰すでしょう。それがレミューゼの民のためになると判断したら、即時決断できるのがあの男の持つ一種狂気的なまでの決断力です」
「サイサリスに救うべき魔王がいた場合は?」
「リリウム嬢はその場合、どう動くと考えます?」
「……」
質問に質問で返されて少しムっとしたリリウムだったが、自分がシャウに聞いてばかりいることにも気づいて、大人しくシャウの問いに答えることにした。
「……〈クード〉であれば、魔王よりレミューゼを取るわね。……というか、取るべきなのよ。お互いがお互いの大切なもののために最善を尽くすという約束でもって、あたしたちとレミューゼ王国との同盟は成り立っているわけだから」
「そうです。仮にハーシム陛下が魔王を取ったとき、そもそもレミューゼ王国は瓦解します。馬鹿げたことをしようとしている者にとって建前というのはとても大切なものですが、その建前が建前であることを決定づけている本音の方がないがしろにされてしまえば、結果何も残らなくなる。何のために建前を掲げていたのかさえわからなくなり、信じていたすべての信念は無に帰す。だから、かぎりなく本音に近い個人としての建前と、立場と信念ゆえに優先しなければならない本音が最悪の天秤にかけられたとき、その真ん中に立たせられた懸命な者は、後者を取らねばならない」
「難しい言い回しをするわね。芸術都市にいた影響かしら?」
リリウムはわざとらしく肩をすくめて言った。
「かもしれません」
シャウはその言葉と仕草に同じ動作を返す。
「ともあれ、ゆえに陛下は、たとえサイサリス側に多少の魔王がついたとしても、レミューゼが存続するためにどうしても必要であれば、もろともサイサリスを潰す選択をするでしょう」
「そもそもそういう天秤の上にクードが立たせられないことを祈るべきだけど――」
リリウムはそう前置いて、今度は窺うようにシャウの目を覗き込んだ。
「――あんたの中ではすでに何かしらの根拠があって、だから『レミューゼはサイサリスを潰すかもしれない』とまで言ったのよね」
「まあ、そうですね」
「ふーん」
リリウムはさらにシャウから情報を引き出そうとする。言葉、仕草、さまざまなものから。
しかし、シャウの狐目の中にまるで揺れがないことを確認して、結局は諦めざるを得なかった。
この男も肝心なところで隙がない。そういうところはメレアとも似ている。
「おそらく私が情報を与えなくとも、メレアもこういう可能性には気づいているのではないでしょうかね。一番陛下と対話をしているのはメレアですし、今の魔王とレミューゼの協力体制のことを誰よりも深く考えているのもメレアですから」
「……そうかもね」
「だから、私の予想が正しければ、メレアはサイサリス側にも手を伸ばすべく、同時に事を進めるでしょう。そのために、今ごろサルくんのところに行って〈魔王の剣〉の長を担ってくれとでも頼み込んでいるところではないでしょうか」
「ああー……、だからあたしとあんたとサルマーンを呼び止めたのね。……ああ、ああ、わかってきた」
「たぶん、もう少しもしないうちにここにも――」
と、シャウが言った直後。
「リリウム、入っていい?」
リリウムの部屋の外からメレアの声がした。
リリウムはシャウと目を合わせる。
シャウは「ほら」とでも言わんばかりに大げさに肩をすくめて見せた。
「いいわよ。ちなみに訊くけど、正式にあたしに〈知識〉の長をやれって話かしら?」
「あれっ? なんで知ってるの?」
「やっぱりか……」リリウムは片手で額を押さえて、小さくため息をついた。
「まあいいわ。とにかく入りなさい」
「うん」
メレアが扉を開けてから二人を見て驚く姿まで、リリウムには容易に想像ができた。
◆◆◆
それからメレアによって、リリウムとシャウにも正式に〈知識〉と〈財布〉の長をやってくれという話がなされた。
リリウムはまだ完全には納得していないというふうであったが、結局はそれを受け入れる。
アイオースとサイサリスへの遠征を同時に行うにあたって必要なことだと説明されると、断るに断れなかった。
「でも、本当にいいの?」
「なにが?」
あらかたメレアの話が終わったところで、リリウムが改めて訊ねた。
「同時に遠征するのはわかったけど、その分ここの防御も手薄になるわよね」
「うん。だから期間の定めを作る。アイオースにもサイサリスにも、長居は無用だ」
メレアはリリウムの指摘ももっともだ、と身振りを加えながら言う。
「それと、これからハーシムのところへ行って調整をしてくる。ハーシムはムーゼッグの海岸沿い侵攻を妨害するために遠征するみたいだけど、たぶん優先する目的は別のところにあると思うから、あまり多くの戦力は引き連れないだろう。レミューゼの防御が手薄になることに関して、俺たち以上に心配しているのはハーシムだしね」
「その優先する目的って?」
リリウムがまた訊ねる。
「ハーシムは東の海岸線に向かう途中にある諸国家を取り込むつもりだ。だからあえて自分で遠征を行う。誠意を見せるためでもあるし、確実に同盟を結ぶためでもある。ハーシムは王だが優秀な外交官でもあるからね」
やつは駆け引きがうまい、とメレアが言った。
「なるほど」
「もちろん、ムーゼッグへの妨害もできるかぎりはすると思う。ただ、ハーシムはそれがうまくいかなかった場合の次の手もすでに考えている」
「ほう」と今度はシャウが興味深そうに息を吐いた。
その顔はどこか楽しそうだ。
「ハーシムにとっては、サイサリスがムーゼッグに落とされ、東大陸制圧のための拠点にされるのが最悪のケースだ。だからハーシムは、サイサリスがムーゼッグに落とされる前に、自分でサイサリスを潰しにかかるかもしれない。ムーゼッグを潰すよりは、サイサリスを潰す方がまだ可能性があるから」
シャウが言っていたことと同じだ。
しかしリリウムは、驚くよりも先にこの二人がおそろしくなった。
――金の亡者はともかく、メレアもこういうときは情に流されないのね。
メレアとシャウの予想は、ハーシムに対する敵対心さえ含んでいる。
サイサリスに魔王がいたとしても、場合によってはハーシムがそれを無視するだろうという可能性を、しっかりと捉えている。
人がどう動くのかを、情に流されずに合理的に捉えようとする。
それは思いのほか、精神的な強さを必要とする処理だ。
その対象が親しい友人などである場合は、特に。
「まあ、あくまで最悪の場合の予想だ。あんまり考えすぎても意味はない。だから、そうなる前にこちらでもできるかぎりの手は打とうと思う」
「それがサイサリスへの遠征なのね」
「そう。ムーゼッグとレミューゼと、あとは三ツ国とも、競争だ」
「ちなみに訊くけど、あんたがそういう結論に至ったのにはこの金の亡者のメモ書きが影響しているのかしら」
「メモ?」
リリウムはふと、シャウがさきほど自分の持つ情報をメレアの自室の扉に挟んできたという言葉を思い出した。
メレアの考えがシャウと同じものになっているのには、もしかしたらこの男の影響もあるのかもしれない。
しかし、直後に返ってきたメレアの返事を聞いて、リリウムはそうではないことを知った。
「シャウからのメモなんてなかったけど……」
リリウムはあらんかぎりの速さでシャウの方を振り返った。
シャウは心底楽しそうに声を押し殺して笑っている。
仕草、微笑み。
そのときのシャウの顔には、息を呑むような妖艶ささえ見て取れた。
「あんた、騙したわね……」
「いえいえ、話が円滑に進むように小細工をしたまでですよ。結果的にリリウム嬢もメレアの話を理解しやすくなったでしょう?」
騙した以上に『試した』。
それも、リリウムではなくメレアの方を。
おそらくシャウは、今回レミューゼ周りがどういう展開に陥っていくかを自分なりに解釈して、そうして導き出した自分の考えを最も確度の高いものであると断定した。
シャウが判断するにあたっては、いわゆる金の力によって得たさまざまな情報を基にしたのだろう。
その上でシャウは、メレアがその展開に気づくかどうかを試していた。
まるでメレアの戦況を読む力を値踏みするかのように。
「素晴らしい。改めて試すまでもなかった。やはりメレアは私の想像以上のことをしてくれる」
シャウはメレアを見て手放しの賞賛をする。
対するメレアは、その賞賛に照れるでも訝しげな表情を浮かべるでもなく、さも事情をすべて知っているかのような平坦さで、答えた。
「何をどう試したのかはわからないけど、シャウはよく俺を試そうとしてくるからね。今回もその期待に応えられたのなら幸いだ」
「あんた、怒らないの?」
「なんで?」
リリウムが思わず口を挟むが、メレアはきょとんとして首をかしげた。
「シャウはこういう男だよ。それを含めて俺はシャウを気に入っている。だから、怒るなんてとんでもない」
リリウムは自分がメレアのことをまだまだわかっていないことを痛感する。
今まで色々なことを共にしてきて、もうずいぶんとメレアのことを理解した気になっていた。
けれど、メレアもまたシャウと同じく底がつかめない男だ。
そしてなにより、この二人の関係性は特殊である。
もしかしたらそれは、女である自分には理解しづらい関係性なのかもしれない。
「ともかく、今回の遠征にあたってはかなり人選を考える。ハーシムとの調整も含めてね」
「え、ええ」
「たぶん今回はハーシムとの『駆け引き』が必要になるな。――シャウ、手伝ってくれる?」
メレアは軽い調子でシャウに訊ねる。
「ええ、喜んで」
シャウは嬉しげな笑みでそれに答えた。
そのときのシャウの笑みは、今までの含みのある笑みではなく、心底楽しそうなものに変わっていた。
「ハーシム陛下との駆け引きはかなり体力を使いますからね。前回は結局勝ちとも負けとも言えない微妙な結果に終わりました」
「今回は前と違ってお互いの目的がすれ違う可能性が高いから、もっと注意深くいかないと」
この二人が実は自分の知らないところでおそろしく高度な戦いをしていることをその日リリウムは知った。
終:【第十二幕】【動き出す者たち】
始:【第十三幕】【青い薔薇の学び舎より】
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