152話 「貧乏くじの行先」
「少し考える。サイサリスの方もあまり時間がありそうじゃない。追って伝えるから、ひとまずみんな休んでくれ」
メレアはそう言って玉座の上から横に手を振った。
魔王たちはそのメレアの指示にしたがっておもむろに動き出すが、うち何人かはしばらくの間メレアのことをじっと見つめていた。
まるでその表情や仕草の中に、メレアの疲れを確認しようとするかのようでもあった。
「あ、シャウ、リリウム、あと――サルマーン」
と、ちょうどシャウが踵を返して大広間をあとにしようとしたところで、メレアが思い出したように言う。
「あとで話がある。俺が部屋に行くから、何時間か休んだら部屋にはいるようにしてくれ」
「――わかりました」
シャウが軽い笑みを浮かべて答える。
それからリリウムもその場に残りたがる〈三人組〉を連れて去り、最後に大広間にはサルマーンとエルマ、さらにアイズとマリーザが残った。
「……さて、俺も行くかね」
その中でサルマーンが最初に声をあげる。
「俺は部屋で本でも読んで待ってる。適当に来いよ」
「ああ。帰ってきて早々、あんまり休む時間もなくて悪いね」
「今さらなに気ぃ使ってんだ」
サルマーンはふとわざとらしく鼻で笑って、後ろ手に手を振りながら大広間の出口をまたいでいく。
メレアはその背中に彼なりの優しさと頼もしさを見た。
「私も行くか」
次にエルマが声をあげる。
「アイズ、お前はどうする?」
「ん、えっと……」
アイズはエルマに訊ねられて、返事を迷った。
「アイズもまずは休むといい。俺は大丈夫だから」
メレアは優しげな笑みでそういって、アイズを促す。
アイズはその言葉にこくりとうなずくものの、その意識はメレアではなく別の方向を向いているようだった。
アイズは大広間の大支柱に寄り掛かるように立っているマリーザを見ていた。
普段であれば絶対に見せない、もたれかかるような立ち方。
魔王たちが見て見ぬふりをしていた、冷女の脆い一面。
「……じゃ、じゃあ、先に、行くね」
しかしアイズはマリーザに声をかけなかった。
同じくマリーザの様子に気づいていたエルマの促しに答えるように、ゆっくりと踵を返す。
「では私も先に行くぞ、メレア」
「うん。エルマもお疲れ様」
「あの〈刀王〉の件はあとでくわしく話す。ひとまず私の方で適当に案内をしておくが、それでいいか?」
「構わないよ。もし一人で不安だったらほかにも何人かつけるといい」
「大丈夫だ。これは私が実際に相対したゆえの直感でしかないが、あのムラサメとかいう男は義に篤い男だ。なんでも、間接的にだが、あの男は一度メレアに『助けられている』らしい。くわしいことは話さないが、そういう理由でもともとお前の下で動きたいという意志があったようだ」
「へえ」
メレアは興味深そうに目を丸くする。
「〈盗王〉の方も何人かで見ておく。あの様子だと、特に何をしようという感じはなさそうだがな」
そういってエルマはアイズを連れだって大広間を去った。
最後に広間に残ったのはメレアと柱にもたれかかる〈暴帝〉マリーザである。
メレアは彼女の耳元に渡したばかりのイヤリングが飾られているのを見て、優しく微笑んだ。
「――心配かけてごめんね、マリーザ」
「……っ」
大広間からほかの魔王たちがいなくなって、ついにマリーザが床に崩れ落ちる。
彼女のもとへ歩み寄る決心をするのに、メレアには一瞬すらも必要なかった。
◆◆◆
メレアはしばらくの間マリーザが泣くのに付き合って、彼女がようやく立ち直ったのを見届けてから、自室へ戻ることにした。
「たしかに予想してなかった変化だけど、なにも悪いものと決まったわけじゃない。むしろ、これからこの眼がさらに術式というものを鮮明に映してくれるというのなら、それは俺の力にもなる」
「わかっております……。ただ、えてして大きな力には、反動が伴うものです。わたくしたちは、そのことをよく知っているはずです。〈暴の術式〉を使う、わたくしたちは」
マリーザはその出自柄、力の反動には敏感だ。
そこへ、メレアの身を常に自分の身以上に案じるという忠実な侍女として性質が相まって、彼女に悪い想像力を働かせた。
一度働き出した想像力は、彼女の冷静な思考力さえも食い潰して、何も考えられなくする。
メレアの存在は、彼女の生の原動力であると同時に、それゆえに、彼女の決定的な弱点でもあった。
「大丈夫。今のところどこも悪いところはないよ」
「でも、気持ちが悪くなったのでしょう」
「いきなりのことで少しびっくりしただけだ」
「本当に?」
マリーザはメレアの胸元に寄り掛かりながら、無垢な少女のごとき様相でその赤い瞳を見上げた。
いつもと違うマリーザの雰囲気に、メレアは少し面食らうが、すぐに笑みを浮かべて答える。
「本当に」
「……」
マリーザはじっとメレアの眼を見ていた。
「……わかりました。今はその言葉を信じます」
「信頼してくれて嬉しいかぎりだ」
マリーザがメレアの胸元から離れる。
次の瞬間にはいつもの涼やかな表情が戻っていた。
「それでも、少しでも悪い異変が見て取れた場合には、わたくしは強引にでもあなたを休ませます。監禁されるくらいは、覚悟しておいてください」
「はは、監禁は怖いな」
メレアはわざとらしく身震いしてうなずいた。
「では、わたくしも城の掃除に戻ります。また何かありましたら、いつでもお呼びください」
「わかった。……というかマリーザは休まなくていいの? もうメイドの仕事やってるの?」
「三十分休憩を頂きましたので充分です。それよりも、わたくしがいない間に積もった埃を早急に片づけなければ。メレア様のお身体に障ってからでは遅いので」
そう言ってマリーザは優雅な一礼を見せたあと大広間から去っていった。きびきびとして歩くさまはいつもの彼女の姿である。
そんな彼女の後姿を見て、メレアはぽかんと口を開けた。
「気合入ってるなぁ」
結果的に彼女が元気になったのでよしとしよう。
メレアは一つ胸のつっかえが取れた気がして、さっきまでよりもいくぶん晴れやかな気持ちで、自室への階段を昇って行くことができた。
◆◆◆
メレアは自室に着いてから三十分ほどを椅子に座って物憂げに過ごし、そのあとでサルマーンの部屋へと向かった。
一階層下にあるサルマーンの部屋の前にたどり着いたメレアは、扉を三度、軽くノックする。
中から「入っていいぞ」と気軽な答えが返ってきて、メレアは扉の取っ手に手をかけた。
「お待たせ、サルマーン」
「おう」
扉の中へ入ると、椅子に座って片手で本を読んでいるサルマーンの姿があった。
銀縁の眼鏡を顔にかけ、そうやって本を読む姿はどことなく学者然としている。
普段はいかにも戦闘者というふうな身なりのわりに、眼鏡一つで雰囲気が変わるものだとメレアは少し感心した。
「相変わらず似合うね、眼鏡」
「世辞はやめろ。似合う似合わないでつけてるわけでもねえ」
といっても、実際のところ絵になる。
サルマーンには粗暴に見える一面と、それとはまったく逆に、時としてやたらに高貴さを感じさせるときがあった。それは一方で教養の深さ、と言いかえることができるものかもしれない。
「リィナとミィナは?」
「部屋で寝てる。おかげでゆっくり読書に耽ってられるぜ」
サルマーンは片手で開いていた本をぱたりと閉じて、白石の机の上においた。
それからメレアに対面の椅子に座るよう顎で促し、眼鏡を外す。
「話があるんだったな」
「うん」
メレアはサルマーンの促しにしたがって、歩を進めながら答えた。
「ほかの二人にはもう言ったか?」
サルマーンと同じく、去り際にメレアに呼び止められた二人。
「いや、シャウとリリウムにはまだ。サルマーンが最初だよ。先にサルマーンに言わないと進まない話だからね」
「……」
その言葉にサルマーンは片眉をひそめた。
それから軽くため息を吐いて、げんなりとした表情を浮かべる。
「お前、また俺に貧乏くじを引かせようとしてるな?」
「さすが、察しがいい」
「やっぱりか」
サルマーンはわざとらしく二度目のため息を吐いて、頬杖をつく。
その頃にはメレアが対面の椅子に座って、どことなく楽しげな笑みを浮かべていた。
「はあ。……まあ、かといって俺には断る権利もねえわけだが」
「そもそも断るつもりがない、の間違いじゃなくて?」
「おい、意地がわりぃな」
「信頼の裏返しさ」
メレアがまた楽しそうに笑う。
「で、単刀直入に言おう」
「……おう」
サルマーンの部屋の窓辺から吹いた風が、メレアの雪白髪をたなびかせる。
白色は一瞬メレアの赤い目元を覆い隠して、そのすぐあとに、強い意志のこもった赤い瞳を露わにさせた。
「サルマーン、正式に〈魔王の剣〉の長をやってくれ」
サルマーンはそのメレアの言葉を聞いた瞬間、これからメレアがどういう方針を取ろうとしているのかに一人合点していた。





