150話 「二人のトウオウと、二国の導火線」
メレアたちは〈盗王〉クライルートを連れて、いったん星樹城へと戻った。
道中、メレアはしきりに自分の目元を気にしていたが、星樹城の前でぎゃあぎゃあと言い合いをしているサーヴィスたちを見つけて、不安げだった表情がふと失せる。
「サーヴィス」
「あっ、メレア様! お帰りなさい!」
サーヴィスはクリーム色の髪を揺らして、メレアに走り寄った。
「よかったー。ララが渋るせいですっげえ時間使っちゃったんです。さすがにもう東門は抜けちゃったと思って、城の方まで戻ってきてたんだけど――」
「は? あんたが賭けに負けたくせに駄々っ子みたいにごねたからでしょ?」
それから一歩遅れてオレンジ色の髪の〈陽神〉ララがやってくる。
彼女はムスっとした表情でサーヴィスの耳を引っ張ったあと、ふとメレアの隣にリリウムがいることに気づいて目を丸くした。
「あれ? リリウム様も一緒だったんですか?」
「いろいろあってね。あ、それと、あんたらもあとで説教ね」
「えっ!?」
不意にリリウムが機嫌が悪そうに言った。
ララとサーヴィスはその表情と言葉に「ひぃ」と怯えながら、『あれ? あんたらも? ……ほかにも犠牲者がいるのかな……』としゅんとした顔で見合う。
「メレア、お帰り」
すると最後に〈精霊帝〉カルトがやってきて、身体の周りにふわふわと光る珠を浮かばせながらメレアに言った。
「元気にしてたか、カルト」
「うん。僕は元気だよ。ここのところは精霊たちもとても元気だ。レミューゼに活気が満ちてきたからだと思う」
「そうか」
カルトの周りを漂っていた黄緑色の光る珠は、ふわふわと軽い挙動でメレアの傍に飛び、メレアの形をたしかめるようにその周りを舞った。
「みんな喜んでる。精霊たちはメレアの匂いが好きなんだ」
「はは、俺には精霊の声は聞こえないけど、なんとなく、彼らがどんな感情を抱いているのかはわかる気がするよ」
メレアはシャウに肩を借りながら、慈しむように光の珠たちに手を伸ばした。
「それにしても、何かあったの? なんだか疲れてそうだけど」
「ちょっとな。前よりはっきり精霊が見えるようになったことと関連があるかもしれない」
メレアの言葉にカルトは首をかしげた。
「ともかく、いったん中に入ろう。椅子に座りたい気分だ」
そう言ってメレアが星樹城の城門を指差す。
魔王たちは足並みをそろえて我が家へと入っていった。
◆◆◆
メレアが一階の大広間――玉座のある部屋に入り、シャウの肩を借りながらその椅子にどっと座りこんだ。
大きく息を吸い、呼吸を整える。
それからいくばくもしないうちに、再び大広間の扉が開いた。
「メレア、〈魔王〉を連れてきたぞ!」
メレアたちに遅れてその場へやってきたのは、腕や足に小さな切り傷をつけた〈剣帝〉エルマだった。
エルマの隣には背丈の高い男が一人。
長い髪を頭頂で結って、目元を前髪で隠しきった剣士様の男だ。
「あ」
その男を見て、玉座下の階段に座っていたクライルートが声をあげた。
「〈ムラサメ〉――」
「知り合いか?」
「僕と一緒にレミューゼへ来た、もう一人の〈魔王〉さ」
男はゆったりとした着物のような服を着ていたが、その胸元はぱっくりと切り開かれていた。
その奥には横に走る切り傷。
この様子だと、おそらくエルマと一戦交えてその傷をつけられたのだろう。
「〈刀王〉の末裔らしい。私に一騎打ちの真剣勝負を仕掛けてきた。口数が少ないからたしかなことはわからないが、〈魔王連合〉のうわさを聞きつけてやってきたのは間違いなさそうだ」
エルマがやれやれと肩をすくめながら言った。
「良い腕だった。私が勝ったが」
エルマは「えっへん」とでも言いそうな面構えで、自慢げに言った。
メレアはそれを見て、少し苦笑する。
「――まあ、もしかしたら手を抜いていたのかもな。この男の斬撃からは殺気が感じられなかった。端から力を見るための手合わせだったのかもしれん」
真剣勝負ではあったものの、そこに徹底した命のやり取りはなかった。
エルマが少し物足りなそうに言うが、メレアとしては彼女が無事でなによりだと思う。
すると、エルマの隣で物静かに立っていた大柄な男が、一歩前に出て片膝をついた。
前髪の隙間から同じく静かに漂う眼光をのぞかせ、メレアを見上げる。
「……〈魔王連合〉の力、しかと見せてもらった」
男は左腰に差した二本の刀をかちゃりと揺らし、深く頭を垂れた。
「無礼を許して欲しい。我はこういう物の計り方しかできないのだ」
大まかな事情は、エルマの様相を見て察していた。
メレアは玉座に座ったまま真っ直ぐに男を見て、それから声を掛けた。
「頭をあげてくれ」
メレアの声にしたがって、男がゆっくりと頭をあげる。
黒い前髪の間からのぞく瞳を、メレアの赤い瞳が数秒の間射抜いた。
言葉のいらぬ会話が、その数秒の間にあった。
「一つ訊く」
メレアが瞬きをしないまま、訊ねる。
「〈魔王〉であることに、誇りを持てるか」
「……」
男は黙った。
答えはその沈黙ののちにやってきた。
「〈魔王連合〉の、魔王としてなら」
「――そうか」
メレアはほんの少し眉をあげて、それからうなずいた。
「それでもいい。――そうだ、あと一つ訊こう」
メレアはそこで、今度は嬉しそうに笑った。
「うちの〈剣帝〉は強かったろう」
その言葉に、男はわかりやすくきょとんとして固まった。
幾秒かして、男は口元にわずかな笑みを浮かべる。
「ああ、強かった。同じ剣士として、尊敬する」
男の答えを聞いて、メレアはよりいっそう嬉しそうに笑った。
エルマが横で、恥ずかしそうに口を尖らせていた。
「なら、話を聞こう。どういう経緯で、ここまでやってきたのか。それから、これからお前たちが、どうしたいのか」
〈白神〉は言った。
「俺にはお前たちを受け入れる準備がある」
あるいはそれは、早計と揶揄される言葉だったかもしれない。
マリーザあたりは、力量を計るためであっても、一度でもメレアたちに刃を向けた彼らを許さなかったかもしれない。
けれど、メレアがそれを許したとき、マリーザは何も言わなくなる。
こういう状況が起こりえることは、たぶん同じ〈魔王〉である彼らが一番よく知っていた。
この時代の魔王と呼ばれる者たちは、容易に人を信じ得ない境遇にある。
だからこそ、寄り添う者にさえ、きっと疑いの目を向けずにはいられない。
それでもメレアは、たとえ刃を向けられたとて、なおもぎりぎりまで寄り添うことをやめない。
傷だらけになりながらも、まずは彼らの心に触れなければならない。
そういう道を歩むことを、とっくの昔に決めていた。
メレアは笑う。
すべての悲しみをせめて少しでも和らげられるように。
すでに傍にいる仲間たちには不安を抱かせるかもしれない。
――それでも俺は、手を伸ばそう。
〈白神〉の意志は腕の一本や二本切り落とされたとて、萎えるものではなかった。
◆◆◆
「それで、二人はどこから来たんだ?」
メレアはサーヴィスとカルトに城内にいる魔王を呼びに行かせたあと、二人に訊ねた。
「僕は南大陸から。その前に一度北大陸へも立ち寄った」
〈盗王〉クライルートが答える。
クライルートは〈三人組〉――通称〈三馬鹿〉――の中で唯一その場に残った〈陽神〉ララに手首の応急手当てをしてもらいながら、用意された椅子に座っていた。
「南か。そういえばさっきもサイサリスについて悪態をついていたな」
メレアはクライルートと拳を交える前に聞いた彼の言葉を思い出す。
ずいぶんサイサリスを嫌っているようだった。
「うん。サイサリスで僕は『勧誘』された。行き場所がないならここに来い、と。――サイサリスは最近、魔王を集めている。君たちと同じだ」
「ほう」
メレアはクライルートの情報に興味深そうに眉をあげた。
「で、ちょっと胡散臭かったんだけど、僕は一度その勧誘に応じてサイサリスの〈教皇〉と面会した」
クライルートの放った言葉に、今度はシャウが反応する。
しかしその反応はごく微細で、しかも余韻が残らなかった。
唯一メレアだけが、シャウの眼が薄く細められたのを捉えていた。
「まあ、面会って言っても顔は合わせられなかったんだけどね」
「どういうことだ?」
メレアが訊ねると、クライルートが無事な方の手で目元を覆う仕草を見せる。
「仕切りがあったんだ。顔の上半分に。その仕切り越しの面会だったから、どういった顔だか正確には判明しなかった」
「なるほど」
「でも、若い女の子みたいだったよ」
クライルートが肩をすくめる。
そのあたりで折れた手首の応急手当てが終わって、クライルートがララに「ありがとう」と礼を言った。
「それから教皇と話をして、僕は彼女たちに見切りをつけた」
「どうしてだ?」
「彼女が夢物語を語ったからさ」
クライルートの表情が、わずかにくもる。
「いや、ただの夢物語だったらまだ良かった。君たちも世間一般的な視点で見れば、同じような目標を掲げているわけだから。でも、彼女の語った夢物語は、あまりにもこう――綺麗過ぎた」
あのときもそんなことを言っていたな、とメレアが言う。
「サイサリス教皇の語った夢物語には、それを達成するためのあらゆる努力や対価、現実的な障害に対する意志がぽっかりと欠けていた。そこが君たちとの違いだ」
障害に対する意志。
メレアたちは、魔王を救うということに関して、それを目標として掲げつつも、現実的な視点で客観視することを忘れない。
特にメレアは、魔王という言葉の意味を変えるということに対し、常に現実的な視点から道を模索している。
芸術都市ヴァージリアで、ジュリアナを救うときに迷った。
あれもまた、メレアが〈光魔〉ザラスたちの立場と境遇を同じ立場に立って真剣に考えたからこそ起きたことだった。
「なんでもかんでもその場で救うことがすべてじゃない。もちろん、魔王の大半は現時点で助けを求めてるだろう。でも、中にはやむにやまれぬ事情があって、そこに留まらなければならない者もいる」
クライルートは真面目な顔で言った。
「たぶんサイサリスは、そういう事情をすべて無視するだろう。彼らは、『彼らの都合で』、魔王を助けられればいい。彼らの救済心は、とても独善的で幼稚なものだ」
「俺も似たようなものだけどな」
メレアはクライルートの言葉にうなずきながらも、苦笑して答えた。
「君は違う。君は仮に自分の都合で魔王を助けようとしても、その前段階にやむにやまれぬ事情を考慮する。そのうえで恨まれる覚悟をもって、魔王を助ける。だから君は僕が自分を魔王だと宣言したときも、すぐには助けるなんて言わなかった」
もちろん、僕の得体が知れなかったのも理由の一つだろうけど――クライルートはそう付け加えて、すぐに続ける。
「でも、君は僕が何も言わずにその場を去ろうとしたとき、『答えが与えられるかわからないけど、話を聞こう』と言った。この言葉がすべてだ。君は僕たちの事情を考慮しようとしている。おかしな話だけど、サイサリスにはこれがない。何も聞かず、盲目的に。あるいは盲信的に、ただ魔王である僕を『助けてやろう』と言うんだ。――気味が悪い」
最後の方は吐き捨てるように。
クライルートは赤髪を揺らしながら言った。
「僕はほかのギリギリのところで生きている魔王と比べたら、まだ少し、余裕があるほうだ。昔はそうでもなかったけれど、魔王として生きる過程でなんとか生き抜く術を身につけた。昔の僕なら教皇の手を取ったかもしれない。藁にでもすがりたかったから。でもあのときの僕は、教皇の手を跳ね除けた。彼女の手を取ったら最後、何か大事なものを失う気がした。具体的には――ここまで生き抜いてきたからこそ身についた、考える力だとか、抗おうとする意志だとか、そういうものを」
ちょっとくさいかな、とクライルートは恥ずかしそうに言う。
「サイサリスか……」
「君はヴァージリアで彼らと遭遇したんだろう」
「そこまで知っているのか?」
「何もヴァージリアから流れてきたうわさは『動く芸術』のうわさだけじゃない。〈海賊都市〉の海賊たちがなだれ込んできたこと。海賊たちの襲撃のあと、ムーゼッグがあらかじめ用意していたかのごとく、中規模な兵力を投入したこと。そして逃げ惑う貴族たちにまぎれて、サイサリスの白装束が夜の闇を縫ったこと。あの街はうわさ好きがよく集まる。そして結果的にヴァージリアはまだ独立している。意外としぶといんだ」
芸術都市ヴァージリアは、海賊とムーゼッグに攻め入られたあとも特にその属領に下ることもなく、また以前の活気を取り戻そうとしていた。
ムーゼッグがヴァージリアをさほど熱心に属領にしようとしなかったのも要因の一つだろう。
「あそこは蓋を開けてみれば『空虚な都市』だ。都市国家とは言われているものの、あそこは厳密には国ではない。周辺の貴族たちの遊び場だ。都市を管理しているのは金持ちに雇われた人間。あるいはそういう仕事を生業にしている外部の人間。つまるところ、血を吐いてでも国家を守ろうという者がヴァージリアにはいない」
ゆえに、属領としたときそこにはあまり物が残らない。
貴族たちは容易にあの街を捨てて別の遊び場を作るだろう。
都市内に残る芸術品や、機能している流通網を支配することによって、最初の方はさまざまな金目の物を接収できるかもしれないが、都市内の貴族たちが捌け、ヴァージリアが遊び場にふさわしくないと世界の貴族たちに喧伝されたあとは、一気に価値が下がる。
継続的に利益を得られない。
「であれば、文化をそのままに保全して、裏で一定の利益をせしめ続ける方が将来性がある。ムーゼッグはたぶんそういう方法を取った。ある程度の利権は当然得ているのだろうけど、ヴァージリアの存続には積極的に関わらない算段なんだろう」
「なるほどな」
メレアはクライルートの話を、可能性の一つとして十分あり得ると判断する。
「ともあれ、サイサリスはいったんヴァージリアから手を引いた。ムーゼッグとの衝突は彼らとしても時期尚早だと思ったんだろう」
「だが、これで二国の間に導火線が引かれた。どちらかが火をつければ、それはたちまち導火線を渡ってもう一方に火をつける」
「だろうね。近頃サイサリスが大人しいのは、もしかしたら対ムーゼッグ戦を想定しているからかもしれない」
クライルートの情報を受けて、メレアは玉座に肘を立てながら考え込んだ。
「……一度サイサリス教国の状況もじかに見ておきたいな」
サイサリスが魔王を集めているというのはもはや疑いようがない。
メレアもヴァージリアでそれを見たし、クライルートの話にもあえて疑う余地はあまりない。
であれば、サイサリスにはまだ〈光魔〉ザラスたちのような魔王が何人もいる可能性がある。
「また少し、遠出してみるか……」
メレアがぽつりと言った。
すると、
「だめよ」
すかさずとある魔王の鋭い声によって、メレアの案が切り落とされる。
「――リリウム」
「あんたには、先にやるべきことがある」
〈炎帝〉リリウム。
彼女は少し怒ったような表情でメレアを見上げていた。
「……違うわね。正確には――」
次の瞬間のリリウムの表情には、メレアを心配するような色が、わずかに混ざっていた。
「やるべきことが、できたのよ」
リリウムはメレアの『眼』に異変があったことを、忘れてはいなかった。