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百魔の主  作者: 葵大和
第十二幕 【動き出す者たち】(第三部)
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149話 「摂理に触れる者」

 メレアは自分の身に起こった変化に、いまだに理解が追いつかないでいた。

 しかし、それでもメレアは、数瞬のあとに意識を切り替える。

 メレアは金色の涙を流したまま、クライルートを見た。


「なんだい、それは。術式か何か?」


 メレアの瞳に睨まれたクライルートが、畏怖のこもった笑みでメレアに言う。


「さあな」


 メレアは不敵な笑みでそれに答えた。


「……」


 すると、クライルートが再び手を握る動作を見せる。

 〈盗王〉の秘術式。


「っ」


 メレアはさきほどとは逆の方向に首を振った。


「やっぱり見えてる。僕でさえこれに実体があるのかどうかわからないのに」


 まるで、術式の(ことわり)を見透かしているかのようだ。クライルートが額から汗を浮かばせながらつぶやいた。

 

「いずれにせよ、こうなったらこれ抜きでやるしかないみたいだね」


 言いつつも、クライルートはそれがいかに無謀なことであるかを自覚していた。

 対するメレアは、ぽたりぽたりと地面に落ちる金色の涙を無視して、再度手を叩く。

 〈雷神の白雷〉を身体に再装填し、戦闘態勢を取った。

 メレアの次の異変は、そこで身体に現れた。


「っ――」


 息があがる。

 いつもどおりの術式展開。

 だのに、やたらと身体が重かった。


 ――なんだ。


 眼のあたりの熱が増す。

 そして次の瞬間、


 ――見え……


 過ぎる。

 メレアは『本来見えないもの』をその視界にとらえた。


 メレアは近場にあった何の変哲もない石壁の中に、〈術式〉を見た。

 

 ――気持ち、悪、い。


 一度それに気づくと、視界に入るさまざまな物体に術式が見えはじめる。

 壁、木、噴水の水。クライルートの衣服に、地面に投げ捨てたナイフ。

 一度にすさまじい量の術式が脳に吸収されていく。

 頭に強烈な痛みが走って、思わずメレアは目を瞑った。


「この状況で目を瞑るなんて、やっぱり君は危険中毒者(スリルジャンキー)だ」


 その一瞬を、クライルートは狙った。

 腰のベルトから別のナイフを抜き、メレアの懐へ潜りこむ。

 

「少し……っ、黙ってろ」


 しかしメレアは、頭の痛みに耐えながらもその接近に感応した。

 眼を瞑っていても、クライルートが斜め前から突っ込んで来るのがわかった。


「ッ」


 手刀。

 手加減のない一撃が、クライルートの手首を捉える。

 バキ、と何かが折れる音が手の中を伝ってきた。

 

「ぐあっ……!」


 さらにクライルートの腕を取って、メレアはそのまま彼の身体を背負い投げた。

 背に強烈な衝撃を受けたクライルートが仰向けに倒れたまま大きく咳き込む。

 それでもメレアの動きは止まらない。

 ふと目を開けたときにクライルートの顔にまた〈術式〉が見えて、メレアに得も言われぬ恐怖を呼び起こした。


 これは、見てはならないものだ。


 なぜそう思ったのかはわからない。

 だがメレアは直感的に感じ取る。

 そして衝動的に、『それ』を壊そうと思った。


「メレアッ!!」


 だがそこへ、聞き慣れた声が響いて来る。

 リリウムの焦燥を伴った声。

 メレアはそこで、ようやく我に返った。


「く、そ……!」


 また目を閉じる。

 開けたらまたあれが見える。

 見てはいけない。

 あれはきっと――


「落ち着きなさい! 眼を閉じたままでいいから!」


 声が近づいてきた。リリウムが駆け寄ってきたのだろう。


「リリウム。ダメだ、眼を開けられない」

「なら閉じてなさい!」


 リリウムが自分の手を取って、ぎゅっと握り込んだのがわかった。

 もう一方の手で、自分の背を撫でてくれている。


「俺は、見てはならないものを見た」

「何が見えたっていうのよ……」

「たぶん――」


 メレアはそれがありえないことだと理性で判断を下しながら、本能的な部分では否定できずにいた。


 『世の事象のすべては、式で表現できる』


 かつてフランダーが語った言葉が、メレアの脳裏に蘇っていた。


◆◆◆


「俺は、〈人間〉の式を見た」


◆◆◆


 メレア=メアはその日、かの〈術神(フランダー=クロウ)〉ですら届き得なかった次元に、その手をかけた。


 ―――

 ――

 ―


◆◆◆


 それからしばらくして、メレアはようやく呼吸を整えた。


「大丈夫?」

「たぶん……」


 強烈な倦怠感がある。

 さきほどの息切れはこの眼のせいなのかもしれない。


「眼、開けられる?」

「……まだちょっと怖い」


 金色の涙はいつの間にか止まっていた。

 しかしメレアはまだ目を開けられない。

 もし目を開けたとき、傍にいるリリウムの顔に再び式が見えてしまうのではないかと、恐怖した。

 

「ゆっくり、少しでいいから開けてみなさい。このままずっと眼を瞑ってるわけにはいかないでしょ」

「……うん」


 メレアは意を決して、細く目を開ける。

 リリウムは自分の左側にいた。

 だから顔を右に向けて、彼女の顔が視界に収まらないようにする。


「大……丈夫そうだ」


 眼を開けたとき、そこに式は映っていなかった。

 さきほどのように、視界に入ったあらゆるモノに式が見えたりもしていない。

 それからおそるおそるリリウムの方を見て、彼女の心配そうな顔が普通に見えたことに心底安堵した。


「よかった……」

「何が起こったの」

「俺にもわからないよ」


 力なく微笑む。自分でも理解の追いつかない変化に、笑うしかなかった。


「眼、変になってない?」


 メレアはリリウムに問いかけた。

 対するリリウムは、真剣な表情を浮かべてじっとメレアの眼を見つめる。


「術式紋様は浮かんでるけど……」


 (はた)から見るだけでは特に変化は見受けられない。

 しかし少ししてから、リリウムは勘付いたように眉をあげた。


「待って。……少し、術式が変わってるかも」


 リリウムはメレアの身体に宿る術式を共に解読するために、メレアに術式を書写させたことがある。

 そのとき一応、〈術神の魔眼〉の術式も紙に書きなおした。

 本来魔眼は、発現と同時にほぼ完成しているものである。

 特に〈術神の魔眼〉のように、人間の力が極まったせいで突発的に発現したものは、その傾向が強い。

 それは人の理性と意志が生み出す一般的な〈術式〉とは少し趣が違うのだ。


「帰ってあんたが書写したものと見比べてみないとわからないけど、前より文字が増えてるかもしれないわね」

「〈竜神(カレル=ヌーサ)の進因〉のせいかな……」

「それもくわしくはわからないわ。とにかく、あんたはいったん休みなさい」


 リリウムが言う。

 しかしメレアは首を縦に振らなかった。


「ダメだ。サーヴィスたちが気になる」


 すると、そのあたりでクライルートが声をあげた。

 クライルートはまだ地面に仰向けに倒れたまま、空を見上げていた。


「さっきのクリーム色の髪の少年のことかな」


 リリウムは声をあげたクライルートをきっと睨みつけ、片手に〈真紅の命炎〉を灯しながら身構えた。


「心配いらないよ。僕は彼らに手を出していないからね」


 クライルートは小さく「参ったな、悪戯が裏目に出た」とこぼしながら続けた。


「彼らの姿はレミューゼの東門の近くで見たよ。オレンジ色の髪の女の子とぼろぼろのローブを羽織った男の子? ――も一緒かな。いまいちあの子は男か女かわかりづらかった。……ともかく彼らは、『誰が一番にメレア様と顔を合わせるか』ということでケンカをしていたみたいだ」


 クライルートが再び大きく咳き込んで、顔に笑みを浮かべた。

 そこでついに、メレアは息を吐いた。


「ならなんで、最初からそうと言わなかった。そう言っておけば、こんなになることもなかっただろうに」


 メレアはクライルートの折れた手を見ながら、ばつの悪そうに言う。


「さっきも言っただろう。僕には僕の判断の基準がある。――でもまあ、ちょっとやりすぎたかな。僕の悪い癖だ」


 そう言いながら、クライルートが身体を起こした。

 折れた手をかばいながら、ときおり苦悶の声を漏らしつつ立ち上がる。


「今さら謝って許されることじゃないけど、ちゃんと謝っておくよ。――悪かった」


 すでに赤髪の魔王からは敵意が失せていた。

 生来そうであるかのような、どこか飄々とした空気を纏いながらも、謝る彼からは誠意が感じられる。


「なんだかうまくいかないな。これじゃあ僕は悪者だ。自分で自分のひねくれ加減に腹が立つ」


 クライルートはそう言って、無事な方の手で地面に落ちたナイフを広い、鞘にしまい込む。

 それからもう一度メレアの方を見て、申し訳なさそうに言った。


「本当に、悪かったよ。できればこのまま見逃して欲しいな」

「別にそれは構わないが……」

「恩に着るよ」


 そう言って、クライルートは踵を返そうとした。


「……」


 その姿をじっと見ていたメレアは、ふと――


「帰るのか?」


 クライルートを引き留める。


「君に危害を加えようとした僕には、もう君と対話する資格はない」

「――それは違う」


 メレアはきょとんとするクライルートに言った。

 リリウムに肩を借りたまま、されどその姿にはどことない余裕が見て取れる。


「資格があるかどうかを決めるのは俺だ。特に、勝負に勝った者にはだいたい何らかの権利が与えられる」


 クライルートはさらにぽかんとしてメレアを見た。


「つまり、俺に危害を加えようとして負けたお前には、俺の提案に従う義務がある」

「すごい理論だ。まあ――あながち的外れではないんだけど」


 クライルートはそう言いながら、その白髪の男に底の見えない器を幻視していた。


「あと、俺に危害を加えただけで資格が無くなるというのなら、およそ〈魔王連合〉に属する何人かの魔王は同じく資格がなくなることになる」


◆◆◆


「へぇっくし!!」

「うるせえぞアルター! せめてくしゃみするときは手で覆えよ!」

「ごめん姉ちゃん! 予期せぬくしゃみだったもので!」

「風邪か!? しかたねえな、さっきあのメイドが風邪薬調達してたからもらってきやるよ」

「ホント!? 今日はいつになく優しいね姉ちゃん! たぶん明日は雪だね!」

「お前たまにあたしよりひどいことさらっと言うよな……」


◆◆◆


 メレアはクライルートに近寄って、その肩を優しく叩いた。


「ともあれ、まずは話を聞かせろ。俺はあんまり頭が良くないから、今のお前に答えになるようなものを与えられるとはかぎらないけど、話を聞くくらいはできる」


 その話を聞くという第一歩こそが、この世界で〈魔王〉と呼ばれる者たちにとってもっとも求められていることであることを、クライルートは知っていた。


「本当に――いいのかい」


 クライルートはたしかめるようにメレアに訊ねた。

 メレアはそれに、笑顔でもって応える。

 クライルートは胸のうちにじわりと熱いものが滲んだことに気づいた。


「君は器が広いんだね」


 たぶん、今まで会った誰よりも。


「そんなことはない。俺の器はいつもいっぱいいっぱいだよ。――でも、こぼれた水を拾ってくれる仲間がいるから、いっぱいいっぱいな状態だけど、また落ちてくる水滴を気兼ねなく拾いにいけるんだ」


 メレアは恥ずかしそうに頭をかきながら、そう言った。


 すると、そのあたりで、遠くから別の声がやってくる。

 

「やあやあ、お待たせしました。良い感じにやってますか?」


 三人のもとへ飄々とした笑みを浮かべてやってきたのは、金髪を宿した狐顔の青年だった。

 その声が届いた瞬間、少し離れたところにいたリリウムが露骨に顔をしかめる。


「いやぁ、お待たせしました。ちょっと途中でおもしろい商品を見つけてしまいまして。――あ、終わったみたいですね?」

「俺にぶん投げたな、シャウ」

「え? なんのことです?」


 シャウ=ジュール=シャーウッド、その人である。

 シャウはメレアとクライルートの傍にまで歩み寄ると、うきうきした様子で二人を交互に見た。


「やっぱりあなた〈魔王〉だったんですね。あそこで出くわしたとき実は私結構ドキドキしてたんですよ? 私脆弱ですからまともにやり合ったらボッコボコなのでっ!」


 〈錬金王〉は大きな身振り手振りで言った。


「シャウ、俺にぶん投げたな」

「あれ? 今回は意外としつこいですね? メレア」


 再度同じ言葉を投げたメレアに、シャウはあっけらかんとして答える。


「はあ……」

「まあまあ、結果うまくいったみたいですし、いいじゃな――あいたっ!! ちょっと、リリウム嬢! 私の横腹の肉がちぎれます! んあっ! この感覚なんだかんだ久々ですねッ!」


 いつの間にかリリウムがシャウの裏に回り込んで、その服の上からシャウの横腹をつねっていた。

 彼女の額には青筋が立っていて、そのつり上がった眉はいつも以上に角度を増している。


「あんた、あとで説教ね」

「えー……」


 有無を言わせぬ迫力で放たれたリリウムの言葉に、シャウはげんなりとしてうめいた。


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