144話 「彼にだけ使える魔法」
「さて、タルトの交易品も搬入できましたし、そろそろ私も陛下のところへ参りましょうか」
〈錬金王〉シャウ=ジュール=シャーウッドは、レミューゼへ持ち込んだ製菓都市産の交易品を商会支部の部下に託したあと、足早に再び外へ出た。
あらかじめ風鳥を使って交易品のさばき先を部下に知らせておいたので、手筈は整っている。取り急ぎ自分がすることはもうない。
シャウは星樹城傍のシャーウッド商会支部を出て、大星樹の周りをぐるりと回るように歩きはじめた。
大星樹を挟んで反対側にあるレミューゼ王城へ向かうには、大星樹の膝元をまっすぐ突き進むか、こうして環状に作られたレミューゼの街路を大きく回り込むように歩いて行くしかない。
――私は一部の野生児たちと違って、あの大星樹の膝元を軽々飛び越えていくことはできませんからね。
まったく彼らはどうかしている。
大星樹の根っこが隆起している場所などは、進む者を阻む城壁のように、自分の身長五つ分ほどの高さでそそり立っているというのに、彼らはそれを悠々と越えていく。
――越える術がないわけではないのですがね。
やりようはあるが、そういう『術』を使ってまでショートカットをするべきかといわれると、首をかしげたくなる距離でもある。
「ああ、今私、とてつもなく下らないことを考えている気がします。……いけませんね、少しは昔のことを思い出して気を引き締めねば」
シャウは意味深に手のひらを眺めてから、再び前を向いて歩きはじめた。
大星樹に一番近い環状街路は、今日も人で賑わしい。
◆◆◆
「おや」
「……」
「なんです、その苦々しい顔は。まあいつもどおりと言えばそのとおりですけど、さきほどと比べても一段と苦々しい気がします」
「最高な気分だったところに、最悪な顔を見せつけられたので、そうなったのでしょう」
「ホントにあなた、私に対して遠慮がないですよね」
しばらく歩いたあと、シャウは仲間たちに出会った。――先頭を歩いていたメイドをのぞけば、おおむねそう表現しても構わないはずだ。
「しかし、最高な気分とは、あなたらしくもなくハッキリ明言しましたね。よほど良い出来事があったと見える」
〈暴帝〉マリーザ=カタストロフ。
シャウがある意味で、最も言葉を交わしている相手だった。ただしその中身の大半は、意味を持たない皮肉ばかりである。
「――ああ、なるほど」
「その察しの良さがまたムカつきます」
「ハッハッハ」
前方から歩いてきたマリーザは、シャウの目の前でぴしりと足を止めると、自分よりやや背の高いシャウを下から睨みつけるように見上げた。
対するシャウは、その様子を楽しげな笑みを浮かべたまま見下す。
その最中、シャウの視線がほんの一瞬マリーザの耳元に移動した。
「メレアにプレゼントでも貰いましたか」
「……ちっ」
「最近舌打ちに迫力が増して来ましたね、あなた。――まあ、私は今あなたの弱みを握ったばかりなのでなんとも思いませんがねっ!!」
シャウはついに我慢しきれないとばかりに叫んだ。
眉尻を下げつつも、大きく口を開いた笑みを浮かべ、首を後ろに反りながら、大げさにマリーザを見下す。
口から漏れだすのは、これでもかと楽しげな笑い声。――わざとらしさを超越した嘲笑である。
「フハッ! やはり人の弱みを握っているというの最高な気分ですね!」
「くっ……!」
マリーザの後ろについていたほかの魔王たちは、高笑いをあげるシャウを見てヒきながら声をあげる。「ゲスだ、ゲスがいるぞ」「シャウ、くん……たまに、歯止めが、利かなくなる、よね」「姉ちゃん! 俺、はじめてあんなにゲスい人見たよ!」
「なんですかぁ? そんなに顔を赤くしてぇ」
「こ、殺す……」
「あっ、物理攻撃はナシですよッ! いつも言ってるじゃないですか! 暴力反対ッ!」
「あいつ本当にあたしと同い年なのかよ……言ってることが餓鬼じゃねえか…」ザラスがため息交じりに放った言葉に、魔王たちは悩ましげに頭を抱えた。「あれでも私たちの中では年長の方だ……」
「はー、楽しかった。久々に一方的に皮肉を吐けたので満足です」
しばらくすると、シャウが満足げに息を吐いて言った。
「あなた、メレアに何かされて乙女に戻ってる間は、本当にかわいらしいものですからね」
こういう『何か』がなければ、おそらくマリーザは今までの皮肉にもまるで動じなかっただろう。
淡々と短剣を抜いて、その刃を冷たい表情のまま振るい、シャウの首筋のすれすれを二往復させて、何事もなかったかのように元に戻る。――あるいはたまに服の端っこが綺麗に切断されている。そんなものだ。
しかし今のマリーザは、シャウの皮肉に顔を赤くして、頬を小さく膨らませるばかり。怒りながらも恥ずかしがる、少女のようである。
これはある意味『魔法』だ。
シャウはそう思っていた。
――術式だとかの、理屈だったものに依拠しない、何か。
普通になれない〈魔王〉が、普通に戻れる、魔法。
たぶんこの娘に関しては、メレアにしか掛けられない、魔法。
「……」
たぶんメレアは、こういう魔法をいくつも持っている。
エルマに対しても、アイズに対しても、リリウムに対しても。
あるいは、サルマーンや、
――私に対しても……か。
いや、自分は彼女らとは少し違うかもしれない。
自分にはまだ明かしていないものがたくさんある。
もし、自分が打算という言葉を忘れて、そういうもののすべてをメレアに話してしまうときが来たら、それは自分が魔法に掛けられた証拠になるだろう。
「――さて、少々悪戯が過ぎました。別に私はあなたのその耳飾りをどうこうしようなんて思ってませんから、安心なさい」
「そんなこと、そもそも心配していません」
「あれ? そうだったんですか? ――じゃあなんで私に言われるがままだったんです?」
「罰です。あなたごときに対して、感情的な弱みを握らせてしまった自分に対する」
「ストイックすぎるでしょう……」
シャウはげんなりするように肩を落として、それから苦笑した。
「しかし、私に対して一定の信頼を抱いているというのは、意外でした。そもそも耳飾りをオモチャにされる心配をしていないとは」
「あなたは金の亡者ですが、同時に気味の悪い美学に傾倒している亡者でもありますからね。どこがどうとも言えませんし、どういう線引きで行われているのかもうまくは言えませんが、厳密に、『金のためなら何でもする』、という人種ではないと思っています」
「そうですか? 私、金のためならなんでもしますよ?」
シャウは首をかしげて不思議そうな顔で言った。
マリーザはそれでもなお、うなずかない。
「少なくとも今は、そうではありません」
マリーザの断言に、シャウは一瞬、気圧された。
犬猿の仲である相手に、そうまで自分の正しさのようなものを断定されると、むしろ面食らう。
「では、わたくしたちは先に星樹城に戻りますので」
すると、マリーザがようやく顔に冷然とした表情を取り戻し、歩き出した。
魔王たちがシャウにそれぞれ楽しげな挨拶をかけて、横を通り抜けていく。
シャウは去っていった魔王たちの後姿を一度だけ振り返り、再びレミューゼ王城の方へと歩み出しながらつぶやいた。
「――少なくとも今は、ですか」
ぽつりと、言葉がこぼれる。
「私の過去を見てきたような口ぶりですね」
シャウは嬉しそうに、それでいて少し悔しそうに、笑っていた。
「今、そう思われているのなら――」
〈錬金王〉は空を見上げる。
白い雲が気持ちよさそうに空を泳いでいた。
「過去の私も、少しは救われているのかもしれませんね」
そうこぼしたシャウの前に『不穏な客人』が現れたのは、それからまもなくのことである。
最初にレミューゼ王国内に紛れ込んだただならぬ気配に気づいたのは――メレアではなくシャウだった。





