141話 「凱旋」
「と、良い感じにまとまったところですみません。――やあやあ、はじめまして、黒鈴旅団のみなさん」
脱力して空を見上げているアーカムの元へ、飄々とした笑みを浮かべた男がやってきたのは、それから十秒も経たないうちだった。
アーカムが起きあがり、声の方に顔を向けると、金貨のような光沢のある髪を持った男が一人、手をあげてこちらに歩いてきている。
「いろいろと災難でしたね」
その男は悠然と目の前まで歩いてくると、にっこりとした笑みを浮かべて屈みこんだ。
「私、シャウ=ジュール=シャーウッドと申します。どこにでもいる、しがない商人です」
アーカムはその名に聞き覚えがあった。
商人や賊に限らず、金目のものを扱う人種は、〈シャーウッド商会〉という名前に耳慣れしている。
特に最近は、一時期の静けさはなんだったのかと思うほど活発に動いているため、いっそう記憶に新しい。
「シャーウッド商会の……」
「ええ、その頭取です。――さて、自己紹介が済んだところで、あなたにお話があるのですが」
ふと、今までの商人然とした笑みが、妖艶な笑みに変わった。
それはただ美しいばかりではなく、えも言われぬ威圧感のようなものもたたえていて、アーカムにさきほどの己の状態を思い起こさせる。
為すすべもなく、ただ食われる立場にあった、さきほどの状態を。
「――今死ぬのと、あとで死ぬのと、どちらが良いですか?」
その商人は満面の笑みでそんなことを言った。
◆◆◆
メレアたちはアーカムを始めとした黒鈴旅団の人員を捕縛し、ついにレミューゼ王国へと舞い戻った。
レミューゼの東国門にたどり着くと、すでにハーシムの方にも連絡が入っていたらしく、以前よりずいぶんとたくましい顔つきになったレミューゼの軍人たちが、綺麗に整列してメレアたちを待っていた。
「お疲れさまでした、みなさま」
そのうちの一人、ほかの軍人たちよりもやや手の込んだ鎧を身に着けた男が、国門にてメレアたちに頭を下げながら言った。
「旅路の疲れもあるとは思いますが、王城にて陛下がお待ちです」
「そうか。わかった、すぐに向かうよ」
「お願いいたします。この黒鈴旅団の賊どもは私どもでお預かりいたします」
「ああ、頼む。あ、でも団長だけは連れて行くんだっけか。――シャウ」
ふと、メレアがシャウの方を振り向いて訊ねた。
シャウはレミューゼの軍人たちをそっちのけで、国門の税関と交渉を繰り広げている。
「ここは間を取って一割でどうです? いやいや、これは食物ではなくただの粉ですから。厳密にはまだ食用じゃありません。なのでその細目には当てはまらないと思うんですよ」
「――シャウ」
「ええ、そう、そうです。ほら、砂糖だなんて言っても、よくよく考えると所詮はただの粉。努めて考えると案外鉱物の方に入るんじゃないかなぁ、なんて私は思うんですけどね? たしか鉱物の方が税率低いですよね?」
大げさな身振り手振りを伴わせて、すらすらとでっちあげを喋りまくるシャウは、まだメレアの声に気づいていないようだった。
そんなシャウを見て、サルマーンが、「あいつの言い訳、たまに苦しいとかいうレベルじゃねえよな」とうなだれる。
すると、その様子を尻目に、今度はマリーザが一歩前に出た。
シャウとの間に人がいないことを確認したマリーザは、おもむろに腰の短剣を抜き放って、
「いっそここで果てなさい」
シャウに向かって投擲する。
「はっ! 奇天烈な殺気っ……!」
シャウは突如として反転し、右手に持っていた三枚の金貨をぐにゃりと錬金術式で変形させて、小さな盾を作った。
マリーザの投擲した短剣は、カーン、という音とともに金の盾に弾かれて地に落ちる。
「仲間の背中に容赦なく短剣投げるメイドとか物騒飛び越えて狂気じみてるんですけど……!」
「メレア様の問いに早く答えなさい」
「問い?」
シャウは目を金色に染めたまま、メレアの方を向く。
「あのアーカムっていう黒鈴旅団の団長は、ハーシムのところまで連れて行くんだよね?」
「ああ、そうです、そうです。さきほど話したとおり、彼にはまだ使いようがありますからね。ちなみにもう手は回してあるので、あとはハーシム陛下のところに行くだけでなんとかなるでしょう」
そう言ってシャウは再び税関の方に顔を戻す。交渉を再開したようだ。
「と、いうわけだ」
メレアはシャウの熱っぽい後姿に大げさなため息をついてから、苦笑を浮かべてレミューゼの軍人に言った。
「はあ。……ですが、危険ではありませんか?」
軍人は困ったように頭を掻いて、心配げにぼやく。
「大丈夫だよ。ちゃんと縛っていくし。近くに俺もいる」
「そう……ですね。メレア様たちが近くにいるのであれば、万が一もありえませんか」
「君らには心労を掛けちゃうけど」
「いえ、お気になさらずに。それではどうぞ、レミューゼ城の城門までお進みください」
「うん、ありがとう」
メレアはレミューゼ軍人の肩をぽんと軽く叩いて、それから仲間たちの方を振り返った。
「じゃあ、行こうか」
税関でやり合っているシャウを置いたまま、魔王たちが歩を進める。
◆◆◆
「それにしても、シャウがアーカムに言ったあの台詞、完全に悪役だったんだけどどうにかならなかったのかな……」
「『今死ぬのと、あとで死ぬのと、どちらが良いですか?』という台詞のことですか? ――わたくしもそう思いますが、交渉にはハッタリも必要なのでしょう」
「交渉っていうより脅迫じゃない……?」
「わたくしとしましては、脅迫すら生ぬるいと思います。メレア様とアイズ様に武器の矛先を向けた罪は、万死に値します。――思い出したら腹が立ってまいりました。やはり今から殺りましょうか」
「まあ待て落ち着こうマリーザ。それだと俺が必死こいて黒龍の軌道を変えた意味がなくなる」
メレアは〈聖ベルセウスの黒龍〉を放った直後、あえてその軌道を逸らした。
そもそも最初から『黒龍』を直撃させるつもりはなかったのだ。
メレアにとって今回の術式の発動は――体の良い実験でもあった。
「実際のところ、俺が手を出さなくても、みんながうまいことやっただろう」
メレアはその点に確信を抱いている。
「しかし、シャウも大胆なことを考えたものだね。黒鈴旅団をまるごと手駒にしようだなんて」
「あの金の亡者は、使えるものは使っていくというスタンスですからね。実際、この賊どもはわりに腕が良いらしいですから」
「仮にハーシムからの許しが出たとして、誰が統括するの?」
「特に立候補者がいなければ、あの金の亡者がそのまま手足として使うのではないでしょうか?」
「シャウのやることが増えるな」
レミューゼの街並みを眺めながら、メレアが苦笑する。
「そうですね……。あの金の亡者はそつなくこなす方だとは思いますが、ときどき妙な意地と美学を主張するので、あまり大きな集団を動かすのには向いていないかもしれません」
「へえ?」
マリーザの冷静な分析に、メレアは珍しいものを見るように目を丸くする。
「ゆえに、あの〈シャーウッド商会〉なる組織も、少数精鋭の体裁を取っているのではないでしょうか」
「マリーザ、結構シャウのことよく観察してるよね」
「いつ金に目がくらんで裏切らないとも限りませんからね。監視の意図せぬ副産物です」
毒を吐きながらわざとらしく眉間を摘まむマリーザを、メレアは楽しげな様子で眺めた。
「あとは、そつなくこなしすぎるのも良くないのかもしれません。上が優秀すぎると、部下に野心が生まれませんから。野心は成長への促進剤でもあります」
「はあ、なんか難しそうだね。……あれ? ちなみに俺ってそういう視点で見るとどうなの?」
「メレア様は戦場から離れれば基本的にアレですので大丈夫です問題ないです」
「アレってなんだアレって……!」
「しかしそんなところもまたメレア様の素晴らしい点ですので大丈夫です問題ないです。――ああ、いけません、メレア様の素晴らしいところを数えはじめたら興奮してまいりました」
「最近これ馬鹿にされてるんじゃないかと思えてきた」
そんなふうにメレアが抗議しようとすると、ちょうど視界の奥にレミューゼの王城が見えた。
「まあいいや、そのあたりの雑談も含めて、ハーシムと少し話をしようかな」
メレアは大星樹を背景に大きくそびえたつレミューゼ王城を見上げ、つぶやいた。
「――あ、サルマーン。リィナたちを連れて先に帰ってていいよ」
と、メレアが思い出したように後ろを振り向いて言う。
メレアの後ろにはヴァージリアからずっと共に歩いてきた仲間たちが明るい表情で待機していた。
「いいのかよ? まあ、たしかに俺たちが一緒にいてもさほど意味はねえだろうが」
「リィナとミィナも疲れてるだろうから」
青銀髪の双子の少女たちは、サルマーンの両足にくっついてうつらうつらとしていた。
サルマーンの服のすそをつかみ、なんとかぎりぎり立っているという感じだ。
メレアはその様子を愛おしげに見る。
「あと、ジュリアナとザラスたちも、いったんハーシムに顔合わせをしたらすぐに外していいからね。そのときはエルマやシラディスと一緒に帰ると良い」
それからメレアは芸術都市で出会った新たな魔王たちに言った。
「魔王城――じゃない、星樹城に行って、ほかの魔王たちと早めに顔合わせをした方が良いだろうから。初めにリリウムと顔合わせをすると、そのあとがスムーズに行くかもね。ぶつくさ言いながらもやっぱり面倒見が良い」
「お前より良いのかよ?」
「俺なんかよりよっぽどね」
ザラスが首をかしげて訊ねると、メレアが笑って答えた。
「俺もそう遅くならないうちに戻るよ」
「わかった」
最後にエルマが答えて、一行はレミューゼ王城の城門へと足を踏み入れる。
中で待ち構えていた白鎧姿のレミューゼ軍人たちが、魔王たちの凱旋に気づいて、大げさに頭を垂れた。