139話 「戦場の魔王」
「サーヴィス、悪意が紛れ込んでる」
「は? いきなりなんだよ」
「メレアたちに向かう悪意だ」
〈精霊帝〉カルトの言葉を信じ、メレアの帰還を迎えるためレミューゼの東国門へと向かっていたサーヴィス、ララ、カルトの三人は、そのカルトが再び上げた不穏な声に足を止めた。
「冗談で言ってんのか」
「まさか。僕は精霊の警告には誰よりも素直だ。彼らの警告をこういうときの冗談には使わない」
「また精霊か……」
カルトがぼろぼろのローブをはためかせながら言った言葉に、サーヴィスはクリーム色の髪をがしがしと掻きながら答える。
「……くそ、根拠を見出しにくいくせにいつも当たるから無視もできねえ」
「信じるも信じないも君次第だ」
カルトは決して、サーヴィスに無理やり意見の正しさを押し付けようとはしない。
そこに〈魔王〉らしさが見え隠れすることを、サーヴィスとララはいつも感じている。
あるいは、こういう予言じみた言葉を発してきたがゆえに、何かしらの怨嗟に巻き込まれたことがあるのかもしれない。
「……」
しかし、だからと言ってサーヴィスは、カルトの言葉を無条件に信じるわけではなかった。
無条件に無視もしない。無条件に肯定もしない。
怨嗟も、『憐み』も、そこには必要ない。
今、必要なのは、
「俺とお前は対等だ」
「――うん」
「だから、俺も俺の判断で、お前の言葉を信じるかどうか決める」
「うん」
カルトのうなずきを見てから、サーヴィスが大きく息を吸った。
そして言う。
「――行くぞ、カルト。案内しろ。メレア様たちに悪意が向かうってんなら、その悪意の素を事前に狩るのも俺たち〈剣〉の仕事だ」
「……ありがとう、サーヴィス」
「礼を言われるほどのことはしてない。ほかに情報もないから、今はお前の言う可能性を信じた方が得だと思っただけだ」
「ハハ、君の言葉も精霊と同じくらい素直で僕は好きだよ」
そう言って走り出すサーヴィスとカルトの後姿を、〈陽神〉ララが腕を組んでため息交じりに見ていた。
「はあ、なんだかんだ言って仲良いわよね、あの二人」
肩を並べて走る二人を、ララもまた軽い足取りで追った。
◆◆◆
メレアたちはレミューゼ南東の林道を抜けて、ついにレミューゼ王国の領内へと足を踏み入れていた。
「さて、こっからまた忙しくなりそうだな」
「そうだね」
遠くにレミューゼの東国門が小さく見える。
本拠地とも言えるその国の門を視界に収めながら、サルマーンが言った。
「お前がヴァージリアで派手な演出をしたおかげで、俺たちの名は良くも悪くも広まっただろう」
「うん」
サルマーンの問いに答えるのはメレアだ。
メレアはサルマーンの言う『良くも悪くも』の意味をしっかりと理解していた。
「最初に来るのは『どっち』だろうか」
ただ廃れ、あるいは国家に利用され、個人で何も為しえないと思われていた今の時代の〈魔王〉が、東の大陸の一角で結託し、一大勢力を為そうとしている。
それも、ただ身を守るために集まっているのではなく、何か大きなことをしようと、積極的に動いている。
気の早い者なら、これを時代の転換のきっかけと見なすかもしれない。
レミューゼと三ツ国のムーゼッグ反抗を重ねて考えれば、よりそういう見方は強まる。
「俺は『面倒な方』だと思うな。他人を利用することばかり考えてるやつは、得てして餌の匂いに敏感だ」
サルマーンが言った。
「俺もそう思う。――でも、俺たちがほかの魔王たちにとっての希望になりえているなら、良い方に転がる可能性も十分ある。藁をもつかむ思いでいる魔王たちにとって、俺たちが藁くらいになれているなら」
メレアが苦笑して答えた。
それからしばらくして、レミューゼの国門がはっきりと見えるくらいの距離にまで魔王たちが近づく。
国内にノエルをそのまま連れて行くと、騒ぎになる可能性がある。すでにメレアたちが地竜とともに行動をしていることは、レミューゼの民たちにもちらほらと知られているが、まったく許容されているわけではない。
レミューゼの民たちにいらぬ心労を与えないようにと、そのへんでメレアたちはノエルから荷物を下ろした。
自分たちは馬から下り、その分馬の背や横腹に荷物を載せていく。
さらに自分たちでも荷物を背負って、馬の手綱を引きながら、徒歩でレミューゼの国門まで向かうことになった。
そんなメレアたちの前に、歓迎されない来訪者が訪れたのは、レミューゼの国門まであと十数分という距離に迫ってからだった。
◆◆◆
最初に歓迎されない来訪者に気づいたのはアイズだった。
「っ、メレア、くん」
その一声と同時、メレアもそれに気づく。
メレアは雪白の髪を揺らしながら、右方を振り向いた。
「ああ、気づいたよ、アイズ。――サルマーンの予想が当たったな」
メレアは赤い瞳で遠くを見定める。
黒馬に乗った百人ほどの集団が、『武器』を片手にこちらに向かってきていた。
――周りには俺たち以外誰もいない、か。
集団はレミューゼの国門に向かうでもなく、一心不乱にこちらへと迫ってきている。
一応周りにほかの誰かがいないか確かめたが、このあたりには大きな荷物を運んでいる、野盗垂涎の行商人の姿などもなかった。
「ノエル、もうお前は家に帰っていいよ。疲れただろう」
「ぎゃ?」
ふと、メレアがノエルに微笑を向けた。
対するノエルは、「本当にいいの?」とでも言わんばかりに首をかしげている。
「大丈夫だ。お前がいると、かえってやつらがビビる」
「メレア、悪い顔をしているぞ」
すると、横からエルマがやってきてため息交じりに言った。
「お前、何かたくらんでいるな?」
「少しね」
メレアはエルマの方を振り向いてまた微笑を浮かべる。
「あの黒馬の集団には見覚えがある。――ハーシムから周辺の要注意武装集団としてもらった情報の中に、たしか〈黒鈴旅団〉とかいう野盗集団があった」
「――ああ、黒鈴旅団。……そういえば私も聞いたことがあるな。逃げ足の速い集団だと聞いている」
「ハーシムの密偵団が撮ってきた記録術式の写真とも相違ない」
「だが、どうするんだ?」
エルマが率直に聞いた。
「ハーシムに恩を売るついでだ」
メレアがそう前置く。
すると、
「決まってるじゃないですか!! あの黒馬を全部頂くんですよッ!! ですよねっ、メレア!!」
後ろからシャウの叫び声がやってくる。
シャウは興奮した様子で遠くの黒鈴旅団を見ていた。金色に染まった目があらんかぎりに輝いている。
「奪っているんです、奪われる覚悟もあるでしょう! 黒鈴旅団は数こそ少ないですが、彼らが乗り回すあの黒馬はとても良質なんです。一気に接近して、一気に荷物を強奪し、颯爽と去る。その素早い強奪を支えているのがあの良質な黒馬たちなんです。――だからそれを頂きましょう!」
「お前もう考え方が賊と変わらねえじゃねえか」
サルマーンが横からげんなりとした様子でツッコんだ。
「シャウの言い分はアレだけど、まあ、方針としてはそんなところだよ。レミューゼの資源も少なからずやつらに奪われてる。レミューゼにこれからやってくる行商人たちの心労を和らげるためにも――」
メレアが一拍をおいて再び黒馬の集団を見、そして言った。
「少し手を打っておこう」
つかの間の休息があった。
ヴァージリアからレミューゼに戻って来るまで、闘争なき日常を享受できた。
されど、まだ自分たちは大きな戦場の真ん中を歩いている。
「俺たちは聖人じゃない」
魔王たちは軽々しく平和を謳わない。
節操なく世界平和を謳えるほど、温い現実を生きてこなかった。
そういう平和への意志をいつだって捨ててはいけないけれど、
「やられっぱなしで黙っているほど、俺たちは優しい集団じゃないからな」
魔王たちの瞳に、再び炎が宿る。
その様相は、百人の野党に襲われる不運な旅人たちなどではなく――
懐に飛び込んできた獲物を狩ろうとする、一個の大きな怪物のようだった。