135話 「とある蔵書室の日常」
【第三部】
「俺、思うんだ」
「何よ」
「俺もサルマーンさんと同じ術式紋様を腕に刻めば、あれくらい格好良くなれるんじゃないかって」
「前はメレア様を目指すって言ってたわよね」
「メレア様は目指そうと思ってどうにかなるものじゃなかった」
「はっ、いまさら気づいたの? 遅すぎるわ」
「なにあれ、なにをどうすればあんな速度で術式展開させられるの?」
星樹城、蔵書室。
〈魔王の知識〉に所属する魔王たちの本拠地とも言えるその場所の一角から、若々しい声が二つあがっていた。
「俺だって〈術王〉って呼ばれた術師の末裔だ。そりゃあメレア様や、〈術神〉と呼ばれたフランダー様に比べたら見劣りするけど、俺だって『術』の号をもらった魔王の一族なんだ。――って思ってたけど、やっぱりメレア様はレベルが違い過ぎた……」
「そもそもあんたの場合、せっかく先祖が残してくれた特質をうまく使えてないじゃない。自分の号を自慢するのはその能力を使いこなしてからにしなさいよ。あんたは今のところ、良くて『便利屋』、でなければ『器用貧乏』が良いところよ」
「俺だって最近は反転術式みたいなことができるようになったぞ!」
「ただし反転術式を編み上げるころには敵の術式で灰になっている」
「相手の術式を見てから反転術式を編み切るってどれだけ常軌を逸した術式展開速度かわかってんのかお前!?」
少年の声が蔵書室に反響する。
声は少し震えていて、今にも泣きだしそうだ。
「わかってますー。わかってて言ってますー」
「くそっ! 『たとえるなら面倒見の悪いリリウム』って呼ばれてるくせに! さっきからなんだ! 俺の心を折るつもりかっ! 本当のリリウム様なら俺のことを叱りつつもちゃんと最後には励ましてくれるんだぞっ!」
「はっ? あんたにリリウム様の何がわかるわけ? ていうか何? あんたあたしに黙ってリリウム様にご指導願ったの?」
すると、今度は少女の声が甲高く蔵書室の天井に舞いあがった。
口調は多少リリウムに似ているものの、声音にはまだどことなく幼さが残る。
「わ、悪いかよっ! メレア様がいればメレア様に反転術式のコツを教えてもらおうと思ったけど、メレア様はヴァージリアに行っちゃっただろ!」
「は? なんでヴァージリアに行く前に訊かなかったわけ?」
「……恥ずかしかった」
「きもっ」
「うるせー!」
と、ついに蔵書室の一角で動きが起こる。
「だから帰ってきたら絶対訊くんだよっ!」
螺旋階段を上がった二階、古びた本が整然と立ち並ぶ書架の傍で、椅子に座っていた一人の少年が勢いよく立ちあがった。
「それで、俺だっていつかメレア様の隣に立って戦うんだよッ!」
「足手まといにならないようにね」
「こっ、この女……!」
少年の、一房だけぴょこりと外跳ねしたクリーム色の毛が、怒ったように左右へ揺れる。
「あたしは着実にリリウム様の右腕として地位を上げているから、いずれあんたなんか顎で使ってあげるわ」
すると、机を隔てて少年の向かいに座っていた少女が、そう言いながら同じく立ち上がった。
「『面倒見の悪いリリウム』、『冷静さを欠いたリリウム』、『ちょっと頭の悪いリリウム』、『リリウム(オレンジ)』とか呼ばれてるお前がエラそうにすんなっ!」
少女の髪は、もっとも綺麗な状態の夕焼け空を閉じ込めたような、美しいオレンジ色を宿していた。
「は? 『常識の範囲内のメレア』『器用貧乏から脱しきれないメレア』『見てて安心するメレア』『メレア(クリーム)』とか言われてるあんたに言われたくないわよ!」
「ていうかうるさいわよ、あんたたち」
と、少年と少女が互いの不名誉なあだ名を言い合ったところで、今度はその場に凛とした声が響いた。
「仲が良いのか悪いのか、ホントわかりづらいわね」
〈炎帝〉リリウムの声である。
リリウムは蔵書室の一階でいつものように長机脇の椅子に座りながら、本を読んでいた。頬杖をついて机上の本へ目を通す彼女の様子は、かなり気だるげだ。
「そろそろメレアたちが帰ってきてまた星樹城が騒がしくなるんだから、今くらいは大人しくしてなさい。あたしも今のうちに静かな余暇を過ごしておきたいのよ。ただでさえ昨日は徹夜だったし、あんたらの声は頭に響くわ……」
リリウムは目の下にくまを浮かばせながら言った。
「はーい!」
「リリウム様! すみませんでした!」
リリウムに仲裁された少年と少女が、それぞれ真逆の位置にある螺旋階段を使って蔵書室の一階へと降りてくる。
やがて一階へたどり着いた二人は、互いに距離を取りながらリリウムの左右に陣取った。
「今日は術式についての講義をしてくださってありがとうございました! おかげで父様たちが残してくれた〈術王〉の力について理解が深まりました!」
「ああ、あたしも一般論しか答えられなかったけどね。それであんたの参考になったのなら良かったわ」
メレアよりもやや低い身長。
強い好奇心の宿った桃色の眼。
わずかに巻き毛掛かったクリーム色の髪は、頭頂の一房がぴょんと跳ねている。
その少年はどこかメレアに似ていた。
「今日、部屋に戻ったら復習します!」
「そうね、それがいいと思うわ。――あんたはメレアほど規格外じゃないけど、その分メレアよりマメだし、素直よ。だから、その良いところを活かして、着実に基礎作りをしていきなさい。そういうやり方でもあんたなら良いところまでいけると思う。あとは、メレアを目標にするのもいいけど、男ならメレアを超えるくらいの気概でやりなさい、〈サーヴィス〉」
リリウムは少年――サーヴィスへ視線をやりながら言った。
「あ、ありがとうございます!」
リリウムに励まされたサーヴィスは、パァっと顔を明るくさせて大きく頭を下げる。
「あ、あの、リリウム様……」
「ん?」
すると、サーヴィスとは反対側に立っていた少女が、もじもじとしながらリリウムに声を掛けた。
「わ、わたしは、その……」
「あんたは今までどおりで大丈夫よ。よくやってる。〈陽神〉の術式は体系がとにかく広範だから、ゆっくり一つずつ覚えて行きなさい。メレアみたいに最初から銘のある術式を扱おうなんて思わなくていいのよ」
「は、はい」
「てことで、まずは昨日教えた熱系統の術式からね。今教えてる術式は秘術でもなんでもないけど、〈陽神〉の秘術の根底に通ずる術式系だから、いずれ秘術を扱おうってなったときに必ず役に立ってくるわ。だからサボっちゃダメよ、〈ララ〉」
リリウムは少女――ララの頭に手を伸ばして、優しくオレンジ色の髪を撫でながら言った。
「は、はいっ!」
ララはリリウムに励まされ、頬を赤く染めながら笑みを見せる。
「じゃ、お昼を食べたあとにでもまた練習なさい。今日あたりにメレアたちも帰ってくるって言ってたし、外で練習してればほかのみんなより早くメレアの到着に立ち会えるかもしれないわよ」
「そうします!」
ララはリリウムの言葉に目を輝かせて、大きく一礼してから蔵書室を出て行く。
「あっ! 動くの早っ! ――俺も失礼します! リリウム様!」
「ええ、いってらっしゃい」
クリーム色の跳ね毛を揺らしながら、サーヴィスが走り出す。
騒がしい二人が出て行くと、瞬く間に蔵書室はシンとなった。
「……はあ」
そんな蔵書室に一人取り残されたリリウムは、やはり目の下にくまを浮かばせながらため息をつく。
「若いわね……。あたしが十三、四のときもあんな感じだったかしら」
リリウムは紅髪を指先でクルクルと巻き取りながら、蔵書室の天井を見上げて言った。
「ここにメレアたちが加わると、まただいぶ騒がしくなるわね。……荷が重いわ」
術式のことを聞きに自分のもとへやってくる子どもがもう一人増えることに、リリウムは内心で少しうんざりとした。
第三部開始記念に、キャラクター人気投票所に続いて、術式(能力)人気投票所を作りました。
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