256年前 「白金の雷神、緑銀の風神」【前編】
【前編】
「よお、二年ぶりだな、〈雷神〉」
「貴様は相変わらず軽薄そうな面をしているな、〈風神〉」
西大陸の隅に、深い森があった。
広大な面積を緑で覆われたその森には、豊かな植生と多様な動物が暮らしている。
とある二人の英雄は、奇しくもその森で二年ぶりの再会を経ていた。
「どこがだよ! オレの面にケチつけるとこなんかないだろ!?」
薄く緑色の混ざった銀髪を揺らすのは、整った顔立ちの若い男だ。年のころは十代後半だろうか。
「私の言葉に対して間髪入れずに鼻を高くできるあたりに、軽薄さがにじみ出ている」
対するもう一方の男は、緑銀髪の男よりはもう少し年上のように見えた。
切れ長の目は怜悧さを醸し、白金色の髪はゆったりとした落ち着きを表すように優しく靡いている。
「それオレの面そのものは関係なくねえ? どっちかっていうとオレの性格が問題じゃねえ?」
「自分でわかっているではないか。人の内面は顔に出るのだ。つまり貴様の面はやはり軽薄なのだ」
「うおお……、なんかごり押しで丸め込まれてる気がするけど反論できねえ……」
緑銀髪の青年は頭を両手で抱えて、悔しげにうめいた。
「で、なぜ貴様が〈豊穣の森〉にいる、ヴァン」
すると、白金髪の青年が切れ長の目をやや見開いて言った。瞳の中に刻まれた稲妻型の術式紋様が、わずかに明滅する。
「ん? 特にこの森に用はねえよ? ただここを通った方が〈リンドホルム霊山〉まで近道なんだ。だからここにいる。――カッコよく言うと旅路の途中だ」
緑銀髪の男――ヴァンは明るい笑みを浮かべて言った。
「そうか。貴様がそう言うのなら、そうなのだろうな」
「なんか知らんけど、オレってやたらに信用されるよな」
「なぜか知っているか?」
すると白金髪の青年が口角を片方だけあげて、わざとらしく皮肉を滲ませながら言った。
「貴様が馬鹿だからだ。貴様には嘘をつく器用さも能力もないと誰もが知っているから、貴様は信用されるのだ」
「えっ!? ……あれっ!? これって喜んでいいやつ!?」
「ああ、大丈夫だ、馬鹿。勝手に喜べ、馬鹿。今日は良い天気だな、馬鹿」
「やっぱ馬鹿にしてるだろっ、セレスター!!」
ヴァンは地団太を踏んで、白金髪の男――セレスターに抗議する。
「うるさい、黙れ馬鹿。……はあ、これから一仕事というときに、まさかこんな超絶的な馬鹿と出会うとは。我ながら運がないな。本当に疲れる」
「勝手にオレのこといじって疲れてんのお前じゃねえ? オレのせいじゃなくねえ?」
肩をすくめてやれやれとため息をつくセレスターに、ヴァンは眉根を寄せながらビシりと指を差した。
「くっそお……、お前の毒舌にエンジンが掛かる前に逃げれば良かった」
悔しげに言ったあと、ヴァンは一息をついて話題を変えた。
「ていうか、お前こそここでなんかやるのか? 一仕事って言ってたよな」
「そうだ。〈豊穣の森〉に〈雷魔〉が逃げ込んだ。目的は森を西に抜けることだろうが、鉢会わないという確証もないからな」
「――〈雷魔〉? なんだそれ」
「〈魔王〉だ」
「おいおい」
ヴァンが驚いたように目を丸くする。
「聞いたことねえな。それに〈魔号〉かよ? いまどきそんな魔王がいるのか」
「少し特殊なのだ、雷魔は。やつは――」
そこで不意に、セレスターは言葉を濁した。
視線をちらとヴァンの顔に移して、そこに疑問符を頭に浮かばせた子どものような表情を確認したあと、また口を開く。
「お前にならいいか。どうせさほど頭も回らん」
「なんだよ。含んだ言い方だな。……まあいいや。それでその雷魔ってのはなんなんだ?」
「私の弟子だ」
セレスターが言った途端、ヴァンの顔が険しくなった。
「どういうことだ、セレスター」
感情がすぐに顔に出る。ヴァンのその直情性がセレスターにとっては心地よかった。
「だから、私の弟子だよ、雷魔は。名を〈オーランド〉という。姓はない。私と同じだ」
セレスターはふっと小さく笑って言う。
「お前には〈バルカ〉があるだろ」
「あれはただの称号だ。私は捨て子だからな。親の顔も姓も知らん」
「……」
ヴァンの顔に納得しがたいというような表情が浮き出るが、それでもヴァンは文句までは言わなかった。
「……それで、そのオーランドってのは本当にお前の弟子なのか」
「そうだ。南大陸で拾った」
「南――、〈ワイズ=ナード戦役〉の戦争孤児か」
「そういう情報だけは知っているんだな」
「茶化すな、セレスター」
ヴァンはやや怒ったふうに言う。
「怒るな、ヴァン。野垂れ死ぬ間際の幼子を、情で拾った私が間違っていたのだ。オーランドは初めから私の力を悪用するために私に取り入った」
「おい、セレスター。二度と『間違っていた』と言うな」
すると、ヴァンはセレスターの言葉にさらに怒ったように顔を険しくした。
「お前は一人の人間の命を救った。その点に間違いなんてない。いいか、それは間違いじゃない。オレが言うから、間違いない」
「……ハハ、相変わらず貴様は馬鹿正直に言葉を紡ぐ。基本的に貴様の馬鹿正直さは鬱陶しいが――」
セレスターは力なく笑った。
いつの間にかその顔には、わずかな弱々しさがにじみ出ていた。
「たまにそれに救われるよ」
セレスターはその言葉を最後に顔をあげた。
一瞬のうちに弱弱しさを消えていた。
「だが、私にも責任がある。〈雷魔〉は豊穣の森を抜けて西方の都市国家を焼き払うつもりだ。私の白い雷で」
「狙いは……ワイズ皇国か」
「だろうな。だから私は、雷魔を討たねばならない。ワイズを傷つけさせるわけにはいかないのだ」
「……」
ヴァンはセレスターの言い分の正しさを知っていた。
ワイズ皇国がセレスターにとってどういう国なのか、よく知っていたのだ。
「――よし、ならオレも西に戻る」
「なに? どういう意味だ」
「言葉のままの意味だ。オレが言葉の中に別の意味を含ませるなんて芸当、できるわけないだろ」
「それはわかっているが――」
「いいから、オレも戻るんだよ。オレが決めた。だからお前に何を言われても、オレは西に戻る」
「まさか、貴様――」
セレスターはそこでハっとした。
思わず右手が伸びて、ヴァンの腕をつかもうとした。
だがヴァンはその右手を、するりと軽い身のこなしで躱した。
「セレスター。お前は嫌味なやつだが、オレはお前のことが嫌いじゃない。だからお前が背負わなくて良いものを背負って苦しむ姿は、見たくない。あいにくオレは馬鹿だから、深く物事を考えられない。この際それは都合が良いと思う。それに――」
二歩、ヴァンはセレスターから離れた。
その顔には優しげな笑みがあった。
「オレの手はもう十分汚れている。オレは『あの一件』があってから、自分の身を友のために捧げると決めた。これはオレの我が儘だ。だからお前は責任なんて感じなくていい」
「やめろ、これは私の責務だ」
「違う、セレスター。これは『オレたちの責務』だ。そのオーランドってやつが、〈ワイズ=ナード戦役〉が原因で生まれた〈魔王〉なら、これはオレたちの責務なんだよ」
三歩、さらにヴァンが後ずさった。
セレスターは大きく二歩前へ進んで、ヴァンを追った。
瞬間――
「空を打て、〈六翼〉」
ヴァンの背部に、巨大な六枚の翼が羽ばたいた。
透き通った輝き。内部にきらめくのは魔力術素の光。風の翼。
それはとても荒々しいのに、されどやたらに――美しかった。
「――〈風神の六翼〉」
セレスターはその六枚の翼を見てぽつりと言葉をこぼす。その六枚の風の翼がどれほど美しい式によって構成されているか、セレスターはよく知っていた。
「お前がどうしてもオレを行かせたくないというなら、その手でオレを止めてみろ、〈雷神〉」
「何を――」
「お前も速いが、オレも速いぞ」
そんなこと言われなくてもわかっている。
風の神と謳われたこの英雄が、その能天気な性格とは裏腹に、風を操ることと戦うことに関してどれほど機敏でたぐいまれであるか、セレスターは思い知っている。
「久々に駆けっこ勝負だ、セレスター」
そしてヴァンは踵を返した。
その足が大地を踏みしめる。
彼の背中で六枚の風の翼が羽ばたいた。
〈豊穣の森〉が、風神の風に揺れた。