129話 「死帝の大鎌」
そして再び、メレアは黒国ムーゼッグと相対する。
白髪と金髪が海風に揺れた。
「結局はこうなるのか。いつもいつも、貴様は殿下の前に立ちはだかる」
「それはこっちの台詞だ。いつもいつも、お前らは魔王の前に立ちはだかる」
芸術都市ヴァージリアの一角で、二人の男が対峙していた。
片や白髪赤眼。片や金髪碧眼。間に一つ屋根を挟んで対峙する二色と二色は、互いに反発するようにその色を都市の光で輝かせる。
「〈光魔〉と〈魅魔〉を渡せ」
すると、先にミハイがメレアに言った。
「断る」
メレアは一つ建物を飛ばした向こうにいるミハイの言葉に対し、大きく頭を振る。
「お前たちムーゼッグにだけは絶対に渡さない」
続いて放たれたメレアの言葉に、ミハイは苛立たしげな反応を見せる。
「貴様らには過ぎたものだ。特に〈光魔〉はこれからの戦を左右する。うまく利用できれば戦乱の時代も早くに終わりを告げるかもしれないんだぞ」
「それだ。お前たちが魔王に対して自然と『利用する』と言ってしまえるかぎり、俺はお前たちに同調するつもりはない」
ミハイの言い分を聞いても、メレアは揺れなかった。
「わからず屋め。貴様が追っているのはいわば理想だ。歩むことが無理な道だ。その道は途中で途切れている」
ミハイがメレアの顔を指差して告げた。
「何かを捨てられない者に何かを救うことはできない。貴様はすべての魔王に手を伸ばそうとしているのかもしれないが、それは最も多くの矛盾をはらむ道のりだ」
「……」
そんなこと、言われなくてもわかっていた。
メレアはすでに、今回の芸術都市での出来事でそのことを重々自覚させられている。
――俺は助けると言いながら、それ以上に周りのみんなに助けられている。
この道は、自分の覚悟以上に周りの仲間たちにも覚悟を要求する道だった。
「無駄だ、メレア=メア。その道は失敗することが決まっている道なんだよ」
しかし、それでもなお、彼らはまだ自分を支えてくれている。
もしかしたら自分が歩みを止めるのは、自分が諦めた時ではなく、そんな周りの者たちが自分に希望を乗せることをやめた時なのかもしれない。メレアはそうも思いはじめていた。
だからこそ――
「たった一人でも誰かが願いを掛けてくれるかぎり、俺は何度崖の下に落ちても、もう一度その道を目指す」
メレアが放った言葉に、ミハイはため息を吐いて視線を落とした。
「……やはり貴様は殿下の邪魔だ。貴様のその容姿も、人格も、考え方まで、なにもかもが、殿下にとって目障りなものになる。だから貴様は――ここで死ね」
そしてミハイは、ついに動いた。
ふと、顔をメレアから背けて下を見る。
「――ネクロア!! やれ!」
次いで鋭い声があがって、メレアはとっさにミハイが視線を向けている先を見た。
すると眼下、数多くの『観客』たちが集まる芸術都市の西側広場に、
――あいつ……
一人だけ、異様な雰囲気をまとった人影を見つける。
驚くほど細身で、背の高い男だ。
腰辺りにまで伸びた銀色の長髪は不気味なほどになめらかで、それが顔をも覆っている。
と、メレアがその男の異様な風体を窺っていると、わずかに切れ目のある前髪の隙間から濃い紫の瞳が覗いた。
その、次の瞬間。
――っ。
メレアの心臓が、どくりと跳ねる。
その紫の瞳は、ぞっとするほどに冷たい光を湛えていた。
「相変わらず不気味なやつだ。死神と言われても疑問は抱かないだろう」
ミハイがぼやいた言葉に、メレアはとっさにうなずきそうになる。
「さて、頃合いだ。幕引きと行こうか、〈魔神〉」
ミハイは再び視線をメレアに戻し、皮肉っぽい笑みを浮かべて言った。
「貴様はきっと、悪夢を見る。やつの術式はこの世でもっとも悪辣としたものだからな」
そんな言葉をメレアの耳が捉えた瞬間、眼下で動きが起こった。
あの銀髪の不気味な男が、ゆったりとした動作で術式を展開していた。
◆◆◆
同時、メレアの赤い瞳の中に術式紋様が浮かび上がる。
反射的な〈術神の魔眼〉の作動。
一瞬の後に、メレアは嫌な予感の的中を確信した。
――秘術だ。
しかも今までで一番得体の知れない術式系である。
かつてセリアスの土の巨槌を見たときのように、ある程度の作用傾向を特定できるようなものではなかった。
ただ一つ、かろうじてわかるのは、
――かなり古いな。
その理論がかなり前時代的なものだということだけである。
「〈雷神の白雷〉」
メレアは眼下であの死神のような男が展開させた術式を観察しながら、掌を打った。
装填された白雷がすぐさまメレアの全身を覆い、瞬く間に身体が戦闘態勢へ移行する。
その直後、
「っ!」
メレアは自分の足元に、薄い翡翠色の物体が現れたことに気づいた。
右足のあたり。とっさに後ずさってそれを避ける。
するとすぐに別の翡翠色の物体が周りを取り囲むようにぽこぽこと浮かび上がってきて、
――霊体?
メレアはそんな感想を胸に抱いた。
かつてリンドホルム霊山で見た霊たちと、非常によく似た質感。
「まさか――」
また嫌な予感がして、メレアはすぐにその場を離れようとした。
ちらと映った眼下の観客たちが、悲鳴混じりに空を指差している。
つられるように彼らの指の先を見上げると――
すさまじい量の『霊体骸骨』が、覆いかぶさるように落ちてきていた。
◆◆◆
気配がなかった。
常人離れした五感を持つメレアをして反応が遅れたのは、それがまったく生気というものを発していなかったからだった。
「――」
メレアは突如として空から降ってきた膨大な数の霊体骸骨に覆いかぶさられる。
翡翠色に輝く半透明の骸骨たちは、手に武器こそ持っていないものの、続々とメレアの身体に角ばった指を突き立てていた。
その光景は、甘い蜜にたかる蟻のようでもある。
「こうして見ると、やはり物量というのは端的に強力な力だな」
メレアの身体に最初に覆いかぶさった何体かの霊体骸骨は、〈雷神の白雷〉に触れて破壊された。
だが、そんなものお構いなしとばかりに次々と空から霊体骸骨が現れて、またメレアに覆いかぶさっていく。
数秒も経てば、そこに不気味に蠢く翡翠色の球体が出来上がった。
「気味が悪い」
ミハイは二件先の屋根の上からそれを眺めて、顔をしかめた。
「いかに貴様の速力が桁外れだとは言っても、初動が起こせなければ意味はあるまい」
ミハイはそう言いながら、しかしまだ状況を注意深く観察している。
――手も足も動かせないところから、ほかの術式が発動させられるか。
あの状態では声も出せないだろう。霊体骸骨からの断続的な物理攻撃も受けている。
こんなおぞましく痛々しい状態から精神を集中させて、術式を発動することなどできるものだろうか。
――ただ一つ気になるのは、あの黒い髪の状態だな。
あれだけには注意しなければならない。
セリアスにも散々言われたことであるし、ミハイ自身もその恐ろしさは知っている。
――……杞憂か。
しかし、まだ動きは起こっていなかった。
〈暴神〉の家系に伝わるというあの精神術も、それなりの準備を必要とするのかもしれない。
覆いかぶさっていく霊体骸骨を見ながら、ついにミハイはわずかに安堵を浮かべた。
それがミハイにとっての、最大の油断だった。
「っ」
不意に、ミハイは霊体骸骨の球体の中から何かが突き出てきたのを見る。
幾重にも折り重なった骸骨の層を軽々とぶち破って現れたのは――
異様な形状をした、真っ黒な『刃物』だった。
巨大で、独特の反りのある、黒光りした刃。
まるで『大鎌』のようだ。
そして付け加えるなら、むしろそれこそ、
「〈死帝の大鎌〉」
ミハイがその大鎌に死そのものを重ね見た瞬間、大鎌が刃の先から黒い光をほとばしらせ、すべてを薙ぎ払うように真横に振るわれた。