127話 「約束を果たしに来た」
ジュリアナは一足先に西門の近場にまでたどり着いていた。
周囲にはいくつもの人影がある。都市門の間近はいつも通りの盛況さだ。
――待ち合わせはたしかこのあたりで……。
シーザーを通して、こういう状況になったときの動き方は聞いてある。
〈魔王連合〉という組織に属する彼らが、自分のために立てておいてくれた逃避策。
ここで彼らと合流し、そのあとは彼らの足手まといにならないように必死についていくだけだ。
――どこでしょう……。
しかしこれだけの人がいると、意中の人物は探しづらい。
ジュリアナはあたりをきょろきょろと見まわしながら、向こうが自分を見つけてくれることを半分に祈りつつ、メレアたちの姿を探していた。
すると、
「やあ、御嬢さん。お迎えにあがりました」
不意にジュリアナは肩をつかまれる。
叩かれる、ではなく――つかまれる。
その肩に掛かった手には不穏な力が込められていて、ジュリアナは急いで振り向きながら嫌な胸の鼓動を感じていた。
「こんな毛むくじゃらで申し訳ないが、こちらも仕事なんでな」
そこには船服に身を包んだ、いかにも荒っぽそうな中年の男が立っていた。
◆◆◆
ジュリアナはハっとして我に返りながら、自分の肩をつかんでいる男の船服に剣と碇が重なった紋章が刺繍されているのを見つける。
すぐにジュリアナの頭はとある答えをはじき出していた。
「――〈海賊都市〉の」
「お、やっぱりここは港町だけあって俺たちの名前も伝わってんだな。そうだ、俺たちは海賊都市の海賊さんだ。最近ムーゼッグと手を組んでな。まあ、今回は話し合い兼初仕事って感じだ」
その話の最中に、周囲の人垣からさらに幾人かの大柄な男たちが歩み出てくる。
一様にニヤニヤとした笑みを浮かべ、みながみな身体に武器を携帯していた。
――っ、魔眼で……
ジュリアナは最初、彼らの身なりや背格好に威圧されたものの、すぐに強い意志を取り戻して〈魅魔の魔眼〉による催眠を掛けようとした。
しかし、
「おっとあぶねえ。たしか魔眼を使うんだったな」
間髪入れずにジュリアナの目元に布が被せられる。
「っ!」
「暴れたって無駄さ。魔眼さえなければあんたはただのか弱い女だ」
ジュリアナはとっさに手を振り払ってそこから逃げ出そうとしたが、両手を別の男につかまれ、さらに肩まで押さえられてまるで動けなくなった。
その頃になって、自分がどれだけ思いきり力を込めても微動だにしない彼らの腕が、とてもおそろしく感じられてくる。
ジュリアナの胸中に意志では拭いきれない恐怖が蔓延した。
「たすけ――」
「口もダメだ。あんたの声はよく通るからな」
大声をあげようとしたところへ、今度は布を噛まされる。
「よし、んじゃあとはミハイの旦那が来るのを待つか。……ったく、いきなり魔王の捕獲を手伝えってのにゃ驚いたが、金を積んでくれるなら問題はねえ。――おい、お前ら、適当に壁作れ。軟弱な芸術都市の連中はいちいち邪魔なんてしてこねえとは思うが、騒がれても面倒だ」
ジュリアナの真ん前にいた男の声が響き、周りからいくつもの返事が返ってくる。
――シーザー。
ジュリアナは為されるがままに歩きはじめた。
立ち止まろうとしても、強引に背を押された。
――メレアさん。
心の中で自分を助けてくれた彼らの名を紡ぐ。
布を被されて目も見えない。
声も上げられない。
周囲のがやがやとした喧騒ばかりが耳を打つ。
――……。
しかしその頃になって、ジュリアナは内心に『これでよかったのかもしれない』と思いはじめていた。
冷静になって、相手があの強国ムーゼッグであることと、そのムーゼッグが最近うわさに聞く〈海賊都市〉勢力とまで連携していることを知って、
――彼らまで……こんな危険な状況に巻き込むわけにはいきませんね。
そんなことを心の中に浮かべはじめていた。
ここで自分を助けるために、彼らがまた大きな危険にその身をさらすことになるのは、自分としても不本意だ。
――もう、十分です。
夢は見させてもらった。
彼らが本気で自分を救おうとしているのはよくわかった。
それだけで救われた気分だ。
だがもういい。
悲劇のヒロインを気取るつもりはさらさらないが、あれだけ自分を思ってくれた彼らを危険にさらすことになるのは、やはり嫌なのだ。
まだ、自分は彼らの仲間にはなれていないのかもしれないけれど、
――せめて、最後くらいは。
彼らのために自分も何かをしたい。
そう思ったとき、ジュリアナの胸に決意が浮かんだ。
「お? 急に大人しくなったな」
ふと後ろから驚きを含んだ声が飛んでくる。
「それどころか姿勢まで整っちまってる。どういう心境の変化かね。個人的には暴れてもらった方が略奪してるって感じがしていいんだが」
「……」
海賊の声にジュリアナは答えない。布を噛まされても声をあげるくらいなら可能であったが、それでもジュリアナは一声すらあげなかった。
ただまっすぐに立ち、悠然と前へ歩きはじめる。
後ろの方からひときわ騒がしい喧騒が聞こえてくるが、それに耳を傾けるのもやめた。
「あ?」
しかし、不意にさきほどの海賊が短い声をあげて、一瞬ジュリアナの意識が持っていかれそうになる。
その声の聴こえ方には動きが伴っていて、それが振り向きながら発せられたものであることにジュリアナは気づいた。
そして直後に聞こえてきた別の声を聞いて、やはりジュリアナは――
「待たせてごめんね、ジュリアナ」
自分が、思ったよりもずっと強がっていたのだということを、自覚した。
「っ……!」
その声を聞いた途端、さっきまでの自分の気丈さはどこかへ吹き飛んでしまっていた。
◆◆◆
「ッ――!!」
ジュリアナはとっさに声をあげていた。
布を噛まされているせいで、言葉にはならない。
けれども心の中では――
『助けて』と、叫んでいた。
約束を守って、ここまで来てくれた彼を前にして、いまさら『あなたたちのために私を助けないで』とは言えない。その謙虚は、かえって彼に悪い。
それに自分だって、助かるなら助かりたい。
自分は、この世界に散らばるほかの虐げられし魔王と比べたら、幸福だ。
それを自覚しているから、あえて言う。
――『助けて』。
「大丈夫。すぐに助けるからね」
そしてその言葉を、彼はすくい上げてくれた。
布を目元に巻かれ、なにも見えない。
けれどもすぐそこに、自分を安心させようと柔らかな微笑を浮かべている彼の顔があることを、確信していた。
「なんだぁ、てめえ」
「彼女の知り合いだ。すぐに手を離せ」
「あ? ダメに決まってんだろ」
「知ってる。一応訊いただけだ」
同時、ジュリアナの耳を鈍い音が打つ。
そしてジュリアナは次の瞬間に、自分の肩を押さえていた男の手から不意に力が失せたのを感じた。
次にやってきた感触は、とても優しげな温もりだった。
「今目隠しを取るよ」
口元に噛まされていた布が外れ、すかさず視界を奪っていた布も取り払われる。
「本当に、怖い思いをさせちゃってごめんね」
視界が開けた先。
「っ……!」
ジュリアナはあの白髪の青年の顔を見た。――メレア。時計塔の上で、名も知らないときに、いろいろな話を聞いてくれた、彼。
彼は眉尻を下げて、申し訳なさそうな表情を浮かべながら、やっぱり自分を安心させるように――少しだけ笑っていた。
「……、し、仕方ありませんね。今回だけは、許して……あげます……」
ジュリアナは最初、メレアに向かって気丈に声を投げかけようとした。けれど、メレアの顔を見たら急に胸のうちに安堵があふれてきて、そのせいで緊張の糸まで切れてしまう。さきほどまで抑え込んでいた恐怖がいまさら蘇ってきて、最後の方は声が震えた。
「っ……」
心配をさせまいと、涙を我慢するつもりだったのに、結局目尻からは涙が零れて、膝が崩れそうになった。
「本当に、ごめんね」
メレアはそんなジュリアナの頬に流れた涙を指ですくって、また謝った。
「……本当は、怖かった……です……」
「うん」
「でも、ちゃんと来てくれたから……許して、あげます」
「ありがとう」
「私を、助けてくれますか?」
「ああ、必ずや、君を助けよう」
最後にジュリアナがメレアの顔を見上げて言うと、メレアは力強いうなずきを返した。
だからもう、ジュリアナは心配することをやめた。
「私も、あなたの言葉を信じます」
彼を慕う、ほかの魔王たちと同じように――。
ジュリアナはその日、〈魔王〉であることをみずからで決めた。
その名を背負うことに、もはや躊躇いはない。
こんな力を残した先祖に恨みがないと言えば嘘になるけれど――
――でも、どうせ残ったものなら、私はこの力を同じ境遇の誰かを救うことに使います。
歌と踊り。そしてこの魔眼。
できることが一つ、増えたと思えばいい。
「だから私は、あなたの隣で、〈魅魔〉であることを誇りに思える道を目指すことにしました」
はっきりと告げた言葉にまたメレアからのうなずきが返ってきて、ジュリアナは笑みを浮かべた。
純真で無垢な、少女のような笑みだった。
「だから、勝手にいなくなってはダメですよ。私は『あなたの隣で』、と言ったんですからね」
「ああ、わかったよ。ちゃんと覚えておく」
ジュリアナが念を押すように言うと、メレアが困ったように笑った。
――きっと深い意味まで察していないのでしょうね。あなたはとても……ロマンスに疎い方ですから。
そこが彼らしいとも思うが、こちらは結構勇気を出してストレートに言ったので、少しもドキリとした様子がないとちょっと残念に思う。
自惚れているわけではないけれど、これでも〈魅惑の女王〉と呼ばれるくらいには女としての魅力を磨いてきたつもりだ。
――こうなると、いっそのこと〈魅神〉と呼ばれるくらいにならなければダメかもしれませんね。
この朴念仁を振り向かせるには、まだまだ努力する必要があるらしい。
「まあ、いいです。今は気づかなくても、いずれ気づかせてみせます」
ジュリアナは最後に大きなため息をついて、それからまた笑った。
その笑みは役者としての笑みではなく、ジュリアナ=ヴェ=ローナ個人としての――会心の笑みだった。