126話 「星の綺麗な今宵は」
本日5/20、書籍版『百魔の主』が発売いたしました。
発売記念ということで、少し早めの投稿です。
――ジュリアナは行ったか。
シーザーはエルマの助けがあって、やや遅れてジュリアナのことを追うことができたが、すでに彼女の姿は人にまぎれて見えなくなっていた。
――大丈夫。サイサリスはさっきので分散させたし、ムーゼッグらしき追手もあの様子だと先にはいないだろう。
もう西門方向には彼女の道行きを妨げる者はいない。
今彼女の障害となるのは、むしろ後ろから彼女を追う者たちだ。
――行かせない。
シーザーはふともう一度後ろを見やった。
ヴァージリア西門へ続く中央通りは、歌劇のはじまるこの時間帯になってもやはり盛況だ。
商人、旅人、歌劇以外の芸術に没頭しようとあたりを物色する身なりの良い者たち。慌てた様子で歌劇通りの方へ駆けていく黒い衣装の紳士淑女もちらほらと見える。
と、シーザーはそんな人の群の向こう側に、
――っ。
あの金髪を見つけた。
追ってきた。まだだいぶ距離はあるが、どうやらエルマの妨害を突っ切って来たらしい。
しかしあの金髪の男がさきほどまで腰に差していた剣が消えているのを見つけて、シーザーは内心にほくそ笑んだ。
――十分だよ、エルマ。これだけ時間も稼いでくれたし、武器まで奪ってくれた。
申し分ない成果だ。
シーザーは掛け値なしにそう判断する。
――それに。
それからシーザーは、視界の端にある光を捉えた。
煌々と輝く白い光。それは芸術都市の建物の上をおそろしく身軽な動きで跳躍している。
「やっぱりキミに任せて良かった」
紛うことなく、白雷を纏ったメレアだった。
そしてシーザーは、メレアがあの金髪の男のことなど目もくれず、ただ一直線にジュリアナの逃げた方向へ駆けて行くのを見て、嬉しげに言葉をこぼした。
「それでこそ魔王たちの救世主だ。キミがただの戦い好きな〈魔神〉ではなく、何かを救おうともがく〈白神〉であることを、ボクは友人として誇りに思うよ。――あの金髪の男はボクができるだけ足止めする。彼女は任せた」
そのときシーザーは、次に自分がどういう行動を取るべきか、すでに心の中で答えを見出していた。
◆◆◆
シーザーは遠くにミハイの姿を確認したあと、すぐに近場の商家の建物の中へ駆けこんだ。
店内できらきらと綺麗に輝くガラス細工を売っている店だ。店主とは一応顔見知りである。
「お、久しぶりだな、シーザー」
「やあやあ、お久しぶりです。それでですね、ちょっと急ぎなんですが、三階まで失礼させていただきますね」
「えっ? あっ、おい!」
手短に挨拶をして、店主の了承を得る前に、シーザーは建物の二階への階段を駆け上がって行く。
後ろから「気をつけろよっ、あんまり揺らすと品物が落ちて割れちまう!」という店主の悲鳴が聞こえたが、
「あはは、申しわけありません。こちらも結構急ぎなんです」
シーザーは笑いながらそう断りを入れて、そのまま三階まで駆け昇って行った。
やがて三階にたどり着くと、動物を模した色つきのガラス細工が整然と並んでシーザーを迎える。
シーザーは極力それらを揺らさないように、しかし十分に急いで窓際に駆け寄り、そこから一気に身を乗り出した。
軽業師のような身のこなしで窓枠から飛びだしたシーザーは、窓枠を足場にしてさらに上へ昇って行く。
たどり着いたのはガラス細工商家の屋根上だった。
「やっぱりここは良い景色だ。通りに面する舞台のようだね」
その商家の屋根上は中央通りに面していて、そこに立つシーザーの姿は通りからもよく見えた。
シーザーの言葉どおり、そこは野外劇場の舞台のようでもある。
シーザーがその屋根上に立つと、通りを歩く種々さまざまな人々が不思議そうな表情を浮かべて上を見上げはじめた。
――さて。
シーザーは彼らの視線が集まったのをしっかりと捉える。
そして彼らの興味がほかへ逃げる前に、絶妙なタイミングで声をあげていた。
「さあみなさん! ご注目あれ! 星の綺麗な今宵は絶好の歌劇日和! ――実は本日、秘密裏に野外で歌劇が行われます! あの〈魅惑の女王〉が主演の歌劇ですよ!」
それは意図されない歌劇の幕開け。
手練れた道化の舞台挨拶がはじまっていた。
◆◆◆
「なんだこの人だかりはッ!!」
ミハイ=ランジェリークはヴァージリア西門へ続く中央通りを駆けている途中、唐突に道に発生したすさまじい人だかりに悪態をついていた。
たしかにこの通りは人が多いが、今ミハイの目の前にある人だかりは明らかに常軌を逸している。
するとミハイは斜め上の方から声が飛んできていることに気づいて、急ぐ動きでその方向を見上げた。
「あいつは……!」
一人の道化が、背の高い商家の上で踊っていた。――否、よく見るとそれは道化というより、ひとりの歌劇役者だった。
――美しい。
不覚にもミハイは、それを見た瞬間に思った。
中性的な美貌を持ったその役者は、華美な衣装の腰のあたりを破り開いて、急場のドレスのように着こなしていた。
そのスカートの隙間からのぞく細長い足は、真白く、なめらかで、驚くほど流麗に宙を舞う。
しなやかに伸びた身体は時に優雅に、時に力強く躍動し、手は思わず撫でられたいと願うほど優しげに宙を泳いでいた。
それはまさしく動く芸術だった。
やがて、その一連の踊りがふっと終わり、直後、
「――!!」
観客たちの声が通りに木霊する。空と地を震わせんばかりの、強烈な歓声だった。
「お見苦しいものをお見せしました。あまり前例のない野外での歌劇でして、少し役者が遅れてしまっているのです。今しばらく、お待ちください。それまでは恐れ入りますが、この道化めが皆さまの前で拙い歌と踊りを披露させていただきます」
次いで、再びミハイの耳を口上が穿つ。
屋根上の舞台に立つ道化は、楽しげに笑っていた。
と、その道化が、不意にミハイの方を見る。
「――ああ、今ひとりの役者が到着いたしました」
そしてその道化は、ミハイのことを指差してそんなことを言った。
瞬間、通りに集まっていた観客たちの視線が、一斉にミハイへ突き刺さる。
通りには続々と騒ぎを聞きつけたほかの者たちも集まってきていて、どんどんと数が増えていた。
「なっ!」
唐突に無数の視線にさらされたミハイは、思わず一歩後ろに下がってのけぞる。
『おお! 役者が一人到着したぞ!』
『これは何という劇なんだ!?』
『役は!? 初公演か!?』
さらに、集まったヴァージリアの遊行者たちが口々に声をあげる。
ひとたびに熱気が通りを支配した。
「静粛に、静粛に。お楽しみはこれからです。実は彼がこの場に到着した時点ですでに劇ははじまっておりまして、今に別の役者も揃うところなのです」
すると、再び屋根上の道化が言う。
大きな身振りで一礼をしつつ、その右手で遠くに映るヴァージリアの西門の方を指差していた。
「今、ひとりの女役者が向こうへと逃げております。――そう、皆さまのご想像のとおり、かの〈魅惑の女王〉です。今回の彼女は、そこにいる悪漢から逃避する一人のか弱い少女、という役回りです。白く儚げなドレスを着て駆けている女性を見かけましたら、決して引きとめはせず、逃避劇に参加する一観客として、歓声のひとつでも掛けてやってください」
『観客も劇に参加できるのか!?』
『今から追えば間に合うだろうか!』
『近くで〈魅惑の女王〉を見れるのか!』
「そうです、今回の劇は皆さまとの距離がとても近い劇です。この機会に、ぜひとも彼女の真に迫る表情、その美しい音色の声、思わず慈しみたくような美貌を間近でご覧あれ。さあさあ、そこにいる悪漢から全員で彼女を守りながら、かの少女を見に行きましょう。喜劇となるか、悲劇となるかは皆さまのご尽力に掛かっています」
道化が言い終えると、彼が率先して屋根から屋根へ飛び移った。向かう先は西門の方だ。
『おお! なんだかこういうのも楽しいな!』
『守りきれば喜劇になるのか!?』
さらに今度は、その下でがやがやと声をあげていた観客たちが、道化の動きにつられるように通りを西に移動していく。
「こ、これは……」
ミハイはその光景を愕然として見ていた。
最初は横道を使って回り込もうと思っていたが、すでにその横道にまで観客がぎゅうぎゅうに詰まっている。
彼らが一斉に西へ移動しはじめたため、余計に回り込みづらくなった。
「くそッ!」
こうなるともはや自分も屋根上を行くしかない。
ミハイは即時の決断で近場の建物へ入り、その屋根上へ昇りはじめた。
前書きにも書かせて頂きましたが、本日5/20に書籍版『百魔の主』が発売となりました。
こうして無事一巻を出せたのも、WEB版を応援してくださった読者のみなさまのおかげです。
本当に、ありがとうございました。
書籍版の方は、新シーンの書き下ろしに加え、大幅な加筆・修正がされているので、WEB版をお読みくださった方でも楽しめる内容となっております。
また、イラストレーターさんの本当に美麗なイラストもございますので、本屋等で見かけたときはぜひ手に取って見てください。
長くなりましたが、これからも『百魔の主』をよろしくお願いします。





