125話 「白雷、空を翔ける」
実際のところ、ミハイの言うとおり、初代〈剣帝〉、〈イース=エルイーザ〉は特別に剣の腕が優れていたわけではなかった。
『剣』の冠と、その帝号席を与えられた最たる理由も、たしかに剣の腕によるものではない。
程度の問題でもある。
常人と比べればイース=エルイーザも達人と呼ばれるくらいには腕があったが、言うなれば――時代が悪かった。
イース=エルイーザは、自分が剣術という点で一番になれないことを自身で知っていた。
同じ時代に、とても剣の腕では比較にならない『怪物』がいたのだ。
〈剣魔〉シン=ム。
イース=エルイーザの目から見ても、かの男の剣の腕は、もはや同じ次元の人間とは思えぬほどのものだった。
〈剣魔〉は木の棒で鉄を斬る。
鉄の剣を使えば金を真っ二つにし、さらに金の剣を使えば川を割る。
さすがに『川が割れた』や、『山が割れた』などという逸話は吟遊詩人の大げさなホラだったのだろうが、しかしイース=エルイーザはシン=ムの技が到底自分には届かぬ次元にあることを知っていた。
だからイースは、剣を作ることにした。
あそこまで怪物じみた剣技を身につけることはできない。だから剣士の半身である剣の方を、あらんかぎりの誠意をつぎ込んで作ることにした。
それが〈魔剣クリシューラ〉を作るきっかけだった。
イースには、剣鍛冶としての才能があった。
結果的に魔剣クリシューラは、イース=エルイーザの手によってこの世に誕生する。
のちのちにイースはクリシューラを生み出してしまったことを後悔するが、一方で剣士としての意地がそれを捨てさせなかった。
それから長い時を経て、魔剣クリシューラはイースの末孫たる〈エルマ=エルイーザ〉の手に渡る。
エルマには当初、剣の才能がさほど無いように思われていた。
特に剣帝の名に誇りを持っていた祖父によって、さまざまな鍛練を課せられたが、その量のわりにあまり良い結果が得られない。
それでもエルマには、女だてらに根性だけはあった。
長年に渡って祖父の厳しい鍛練に耐え、結果として何度戦場に出てもどうにか生きて帰ってこれるだけの力を身に着ける。
華やかな剣士というよりも、泥臭く生き延びる戦人という形容の方が似合うようだった。
そんなエルマも、今や名実ともに魔王としてムーゼッグに追われる身。
相変わらず女離れしたタフさで戦場を生き残っているエルマだが、
◆◆◆
今になって、エルマの中の剣の才能が開花しようとしていた。
◆◆◆
きっかけは、メレアの見せた〈剣魔の一閃〉だったのかもしれない。
かつてエルマの先祖たるイース=エルイーザは、本物の〈剣魔の一閃〉を見て、言葉では形容できないさまざまな思いを抱いた。
そしてエルマもまた、時を経て、〈英霊の子〉によって蘇った〈剣魔の一閃〉を見て、多くの思いを抱いた。
その瞬間、
イース=エルイーザの『憧れ』が、その末孫たるエルマ=エルイーザの中で人知れず成就する。
血の中に脈々と受け継がれてきた思いが、エルマの中で何かに導かれたように形を現そうとしていた。
◆◆◆
「馬鹿な」
ミハイは大きくその場から飛びのいて、自分の剣をまじまじと見た。
刀身が、真っ二つに割断されている。
「――ありえない」
たかが上段からの斬撃。
七帝器としての能力を使ったわけでもない。
自分の剣とて、業物と呼ばれる代物であるのに。
「……」
半ば呆然とするミハイの正面で、エルマもまた剣を振り下ろした体勢のまま固まっていた。
しかしその停止は、ミハイのような驚きによる停止ではなく、とある『納得』のために起きた停止であった。
――こういう、ことだったのか。
今の上段からの振り下ろしには、実は名前があった。
そもそも今の『型』は、エルイーザ家に伝わる〈帝型〉と呼ばれる剣術の型のひとつだ。
見た目は普通の斬りおろしなのに、やたらと細かい指示があって、昔から特に謎に思っていたものでもある。
祖父は剣帝の文献を掘り返すほどに代々の剣帝の言い伝えが好きだったので、〈帝型〉を見つけたときは文字通り飛びあがって喜び、そして文献のとおりに一部の狂いもなく型を自分に叩きこんだ。
――あの馬鹿みたいな反復が、今になって……。
当時のエルマは理論などわからなかった。
だから祖父に言われるがまま、ただ機械的に型を繰り返し、反復した。
しかしエルマは、ようやく理解する。
この〈帝型一式〉――〈無想天水〉と呼ばれる型が、なにをモチーフにして生み出されたものなのか。
「――〈剣魔の一閃〉だ」
思わずエルマの口から、言葉が漏れていた。
――あの御業を見たイース=エルイーザは、その再現のためのヒントをこの帝型一式に込めたのだ。
いつか、その子孫の誰かが技の成就をなすことを願って。
「ミハイ様!」
と、不意にエルマの耳を聞き慣れない声が打った。
声につられて視線をあげると、ミハイの後方から数人の男たちが走ってきているのが見える。
手元には術式陣。――増援だ。ムーゼッグ兵だろう。
「っ!」
すると、同じく後方を一瞬見やったミハイが、その男たちの姿を捉えてすぐに動きを見せた。
すばやい動きで後方に下がって、近くにあった横道に入る。
「待てッ!」
まさかの敵前逃亡に、エルマはある意味で意表をつかれた。
――強国とすら呼ばれているくせに。
そう思ってしまう一方で、
――いや、ムーゼッグの目的を考えればここの逃亡は常道か……。
自分の見込みの甘さを叱咤する。
ムーゼッグだからこそ、目的のために的確な取捨をしたのだ。
ミハイ=ランジェリークは、今の一戦を経て、ジュリアナを捕えるためには〈剣帝〉を無視するべきだと判断した。
横道に入っていったミハイを追うべく、エルマは急いで前への一歩を踏む。
が、
「行かせるか!」
増援にやってきたムーゼッグ兵たちが、手元に編んでいた術式陣から炎塊を生み出し、すかさずエルマに対して一斉に放ってきた。
「くっ!」
エルマは神速とも言える剣速でそれらをすべて斬り落とすが、あまりの数に足が止まる。
さらにいくつかの術式炎弾が続いて、エルマは数秒の間その場に釘付けにされた。
――このまま好き勝手やらせるか……!
しかし三度目の一斉掃射のころには、エルマは持ち前の戦場適応力で敵の術式を見切り出し、ついには炎弾をすばやい身のこなしで避けながら前進してムーゼッグ兵を斬り伏せる。
そのままの勢いでミハイの入った路地に向かい、路地の奥へと視線を移した。
しかしそこには、ミハイの姿はなかった。
「くそっ!」
この細い路地を抜けて、すでに大通りに紛れてしまったのだろう。
勝負には勝ったが試合には負けた。
そんな気分だった。
――しっかりしろ。私がここでうな垂れてどうなる。
意味がない。
まだ身体は動く。
前へ進む。
エルマはすぐにミハイを追おうとして、路地へ踏み込んだ。
すると、
「――!」
不意に耳を雷音が打った気がした。
ばちりという炸裂音。
その音が上からやってきたことに気づいて、エルマはとっさに空を見上げる。
直後――
薄暗い路地の空を、白い光が通過したのを見た。
「メレア!」
まさしく閃光である。
おそろしく速かったが、その一瞬に映り込んだ白い光の塊が自分たちの主であることを、エルマはまったく疑わなかった。
ついに〈白神〉が追いついてきた。
一直線に、一心不乱に駆け抜けていったその男の姿には、もう迷いなど見えなかった。





