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百魔の主  作者: 葵大和
第十幕 【踊る者、観る者、そして】
113/267

113話 「はるか高みに立つ者」

 一歩、前へ踏み込む。

 同時、メレアは両掌を合わせ、音を打ち鳴らした。

 それはメレアの戦いざまを知る者からすれば、あきらかな戦闘態勢への移行を知らせる合図でもある。


 だがそのときメレアと相対していた男女は、次の瞬間までメレアの行動の真意を察知できずにいた。

 やがて、メレアが合掌という動作に組み込んだ英霊の術式が、彼らの視界に顕現(けんげん)する。


「〈風神(ヴァン=エスター)の六翼〉」


 メレアが最初に発動させた術式は、かの〈風神〉の術式であった。

 突如としてその場に吹き荒れた風が、かろうじて目に映る半透明の巨翼として、メレアの背に六つの身を形成する。


「――」


 背に六枚の翼を装填したメレアを見て、男女の一方、その姉の方が、口をあんぐりとあけて固まっていた。

 意外にも、メレアの脅威性に対してそれまでは鈍感だった彼女の方が、殊、術式の発動に対してはわかりやすい反応を示していた。


「アルター、気をつけな。あれはちょっと『普通じゃない』」

「言われなくてもわかるけど、なにか見えたの?」

「……見えたなんてもんじゃない」


 彼女は顔の左半分を覆い隠す前髪を手で払って、傷痕の残る左眼付近を露わにしながら、その(まなこ)でメレアのことを見ていた。

 その左眼は、髪と同じこげ茶色の右眼と違って、明るい黄色の虹彩に(いろど)られている。黄金というよりも、檸檬(れもん)のような鮮やかな黄色だ。


「さっきの状態で臨戦状態じゃなかったのか。すでに体内の魔力術素が漏れ出てたから、てっきりすでに戦闘態勢に移行してるもんだと思ってた。……ばかげた術素の量だよ。しかもいくつかの色がごちゃごちゃに混ざってる。――気味が悪い」


 彼女は顔に吐き気を催したような表情を浮かべ、口元を押さえた。

 そんな中、メレアは姉弟のどちらをも入念に観察するように、短い間で何度も視線を移しながら、ゆっくりと歩いていく。

 明確な開戦を焦らすように、また一方で自分から攻撃する意志は抱いていないと言わんばかりの悠然さで、メレアは進む。そのあまりに堂々とした姿は、かえって姉弟に威圧感を与えた。


 そして、ついに。

 〈アルター〉と呼ばれた弟の方が、動いた。


「っ! それ以上姉ちゃんに近づくな!」


 背の六翼を緩く羽ばたかせながら近づいてきたメレアに対し、アルターは手に持っていた二挺の術機銃のトリガーを引いた。

 瞬間、術機銃の中心に組まれた水色の光沢鉱石が明滅し、メレアに向けられていた銃口から青白く輝く弾丸が放たれる。

 それは常人には反応できないであろう速度を保ってメレアへ直進し――

 

 しかし、メレアへ撃ち込まれる前に、何かに阻まれて霧散した。


◆◆◆


「えっ!?」


 弾丸を放ったアルターが、素っ頓狂な声をあげる。

 目の前で起こった弾丸の霧散に、理解が及ばないといったふうだった。


「アルター! あの背中の翼だ! あれがお前の弾丸を握り潰していたぞ!」


 一方で姉の方は、眼前で起こった事態にたしかな理解が及んでいるようだった。

 アルターはその言葉を聞いてもまだはっきりとは事態を把握できなかったが――それでも、『自分の術機銃弾が防がれた』という事実だけはしっかりと認識していて、そのときメレアに対する認識を上書きしていた。


 ――さっきの『動くふり』もすごく怖かったけど、この人の怖さはもっと深い。


 相手の脅威性に対して、怖いか、怖くないか、という原始的な基準を使って判断を下すアルターは、徐々にメレアに対する恐怖を(つの)らせていく。


「でも、まだたったの二発……!」


 そんなアルターだが、たぐいまれな精神力で驚きから復帰すると、すぐに次の動きを見せていた。

 右へ、わざとらしいステップを踏み、すかさず左へ反転。

 ジグザグにフェイントを入れながらの高速移動を見せ、メレアの側面へと回り込む。

 人気の少ない裏路地近辺とはいえ、ちょうどそこがT字路の交差点であったことが、回り込むためのスペースを与えてくれていた。


 対し、メレアはまだ動いていない。

 前へ進めていた歩も止め、立ち止まったままアルターの動きを目で追っていた。

 

 ――振りきれない。


 その赤い瞳は一糸(いっし)の乱れすらなく正確に自分の姿を追っている。アルターはそのことに疑いを持たない。

 回り込みながら、右手に持った術機銃で二発、外部術素で構成された銃弾を放った。

 青白く輝く弾丸は銃口から飛び出すや高速でメレアに向かって飛翔し――


 ――またかっ!


 再び、なにかに阻まれて消失する。

 

 ――……でも、見えた。


 だが、アルターはアルターで、今度ばかりはその消失の原理を捉えていた。

 まさしく、姉の言葉どおりだ。

 六枚の翼のうちの一枚が、寸分たがわず銃弾を受け止め、さらにその風のような流体を動かして銃弾を包み込んでいた。

 さらにそれが、軟体生物が身体ごと獲物を覆って消化するかのようにぐるりと銃弾を抱き、術素ごと『握り潰す』。


 くわしい仕組みはわからない。

 ただ、


 ――あれに触れては、ダメだ。


 そういう嫌な確信だけは、胸に浮かんでいた。


「……くそっ!」


 二発、四発、六発。アルターは両手に握った二挺の術機のトリガーを悪態と共に連続で引く。

 アルターの術機銃の弾丸は、金属で作られた弾丸を装填しているものと違い、なかなか尽きない。撃ちだした銃弾の数が、術機内部の物体的な容量をあきらかに越えているにもかかわらず、まだ銃口からは青白い弾丸がほとばしっていた。


「なるほど、そういう原理か」


 ふと、そのあたりで、再びメレアの声が響いた。すべての弾丸を〈風神の六翼〉で防ぎながら、感心したような声をあげる。

 アルターはそれに構わず、移動しながら銃を連射する。


「燃料としている術素さえ尽きていなければ、内部の刻印術式がトリガーを引くたびに決まった術式的動作で弾を作り出すんだな」


 続くメレアの声を聞いて、


 ――おそろしい。


 アルターは内心に思った。

 これだけ害意と攻撃にさらされているのに、なんの動揺もせずに淡々と状況を分析している。

 そしてその分析がいちいち的確だ。

 あの雪白髪の男にとって、自分の攻撃は十分な脅威になっていないのだ。


 と、アルターが背中に滲んだ冷や汗を感覚したところで、再びメレアの方に動きがあった。


 ――解いた?


 ふいに、あの背中の六翼が消え去った。


 ――なんで……この状況で。……ありえない。


 アルターは思わず浮かべる。

 メレアの行動の真意がまるでつかめなかった。

 しかし、続くメレアの言葉を受けて、アルターは愕然とする。


「慣れた」


 なにに。


「っ!」


 アルターはとっさに問うてしまいそうだった自分を叱咤し、容赦なくメレアへと銃弾を放った。

 もう銃弾を防ぐ風の翼はない。

 当たる。

 そう思った。

 だが、


「――ばかげてる」


 放った銃弾は、メレアのその手に『受け止められていた』。

 寸分たがわずに、銃弾がどういう軌道でどの部分に飛んでくるかを知っていなければ、そんなことはできまい。

 いや、そもそもわかっていたからといって、タイミングの問題もある。

 大方の軌道を予測して避けるならまだしも、術機銃内部で十分に加速されたその弾丸を受け止めるなど、まともな人間には不可能だ。


 アルターは、メレアの手の中にさきほどの風の翼と同じような半透明の流体が蠢いているのを見ながら、思わず足を止めてしまった。


「そういえばこれと似たことをヴァンもやっていたな。なんて言ったっけ……、〈風神掌〉だったか」


 手の中に展開させた風の渦を見ながら、楽しげに言う雪白髪の男が、アルターには怪物にしか見えなかった。


「――よし。とにかく、少しは器用なこともできるようになった。六翼を全部展開させるよりは、こっちの方が魔力の消費も少ない」


 そうして、メレアを見ながら思わず停止してしまっていたアルターを、再び赤い瞳が射抜く。

 アルターが「まずい」と思ったときには、今度はメレアがやたらにすばやい動きで駆け出し、さきほどのアルターのステップによく似た動作で横に回り込もうとしていた。

 しかしアルターは、あのときのメレアとは違って、その動きをまるで捉えられなかった。――動作が同じでも、初速からして速度に雲泥の開きがあったのだ。


「――〈白雷通し〉」

「ぐあっ!」


 直後、アルターは肘のあたりに奇妙な衝撃が走ったのを知覚した。まるで電流が走ったかのような感覚だ。

 肘から来た衝撃がびりびりと指先にまでやってきて、手の力をひとたびに失わせる。

 握っていた術機銃が、重い音を奏でて地面に落ちた。


「こっちもそれなりに調節できるな」


 自分の背後から声が鳴って、アルターはぞっと体中の毛を逆立たせる。

 わざわざ確認しなくとも、振り向いた先にあの怪物がいることはわかっていた。

 それでもどうにか身をひねって、両腕のしびれを我慢しながら、なにが起こったのかを確認する。


「……白い……雷?」


 自分の後ろで両手を開いて悠々と立っていた怪物の手の中に、今度は風ではなく白い電流のようなものが走っていた。

 ばちばちと不穏な音を立てるそれは、小さな(いかずち)のようでもある。


「やっぱり慣らすには実戦にかぎる」


 アルターにはもうなにがなんだかわからなかった。


 ただなんとなく、『自分はこの怪物がさらに高みへ昇るための踏み台にされたのだ』と、そんな感想が胸の中に浮かんでいた。

 怪物の嬉しげな顔を見て、そう思った。



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