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百魔の主  作者: 葵大和
第十幕 【踊る者、観る者、そして】
107/267

107話 「迷夢の魔王人形」【後編】

 そして歌劇の幕があがった。

 それは長い夜のはじまりでもあった。


◆◆◆



 『迷夢の魔王人形』という演目は、今から数百年前が舞台となっていた。


 最初に、かの有名な〈人形王〉ジューダスが出てくる。

 演じているのは背の高い男だった。


 〈人形王〉はまず独白をした。

 

「わたしも、このわたしの作った人形のように、永遠に風化しない傑作のまま生きられたらいいのに――!」


 〈人形王〉はとある国を救って、英雄と讃えられていた。

 彼は自分の生み出した実に精巧な、本物の人間のような人形を従えて、ある悪徳の魔王を討った。

 だがそれからしばらくあと、彼の身体は朽ち、しまいには病に侵される。

 気づけば死ぬ寸前であった。


 人形王はそのことを嘆いた。

 彼は自分も朽ちぬ人形のように、病に侵されぬ人形のようになれればいいのにと、ひとり荒野で嘆いた。


 そこで、舞台の袖からついにジュリアナが現れた。

 白いドレスを着た美しい人間。

 否――それは人形であった。


「この白磁の陶器のような肌、宝石のような髪、一片の乱れすらない完璧な造形! ――いっそのことわたしはお前が憎らしい!」


 人形王は自分の作った人形をいつしか憎むようになっていた。

 そうして、その叫びを最後に、人形王は荒野に倒れる。

 病に殺された瞬間だった。


「ああ――(あるじ)様――」


 残されたジュリアナ(ふん)する人形王の人形は、主の死に嘆き、膝をつく。

 悲嘆にくれる彼女の姿もまた、触れることの叶わない完璧な美の結晶で在り続けた。



 残された人形王の人形は、それから百年以上もの間生き続けた。

 人間のようでありながら、どこか人間として肝心の部分が抜け落ちている人形は、その老いない身体のせいもあり、人々におそれられるようになる。

 人形は人目を避けて暮らすようになった。

 目的もないまま、それこそ人形のように――ただ静かに。


 それからさらに何年かして、人形はとある人間と出会う。

 その人間は、さる国家の王子であった。


「あなたを捜していた! この世でもっとも美しいあなたを!」


 彼は、なによりも美しい人形のうわさを聞いて彼女を追ってきた物好きな王子であった。

 いわく、あなたと婚儀をあげたい、と。

 彼は人形が老いないことを気にしない、少し変わった王子でもあった。

 人形は、自分に意味を与えてくれる王子を次の主人として慕うことにした。


 やがて、ついに人形は王子と結婚する。


 それからしばらくして――


 戦争が起こった。


 王子はその頃には王になり、子こそいなかったが順風に覆われた生活をしていた。

 だが、戦の惨禍はそのすべてを奪っていった。


 最終的に、王子の国は滅びる。


 もともと王子を除けば、歳をとらない人形は人々に気味悪がられていた。

 そうして積み重なったおそれが、ついに人形に対する敵対心に転化される。

 

『お前がこなければ王は死ななかった』

『お前がいなければ国は滅びなかった』


 一説に、他国の王がその人形の美貌に魅せられて王子の国を攻め立てた、という噂もあった。

 それがまた、人形に対する悪感の根源となった。


 人形は最終的に、


◆◆◆


 魔王と呼ばれるようになった。


◆◆◆


 そんな人形を生み出した古の〈人形王〉も、そのとき魔王に落とされた。

 英雄が魔王に、そして英雄の造り出した神器は魔器となる。


 そしてそんな長い時を老いずに過ごしてきた人形には、このときかぎりなく人間に近い感情が芽生えていた。


 人形はひどく悲しんだ。

 自分に意味を与えてくれた王子が死に、民たちにも追い立てられ、行くあてもなくなる。


 人形は深い森の中へ逃げた。

 森の中の透き通るように綺麗な湖に向かい、そこで、ただひたすらに人形は歌を歌った。

 嘆き。哀しみ。ときには絞り出すような喜々を乗せて。

 人形は森の生物や目に見えぬ精霊に囲まれて、ただずっと歌い続けた。


◆◆◆


 ジュリアナ=ヴェ=ローナの扮する人形の歌は、おそろしく耳に残る歌だった。

 耳の中をするりと()()ってきては、脳裏にまでやってきて強烈なゆさぶりを掛けてくる。

 頭の中に手を入れられ、時に激しく、時に優しく愛撫されるかのようだった。


 そしてまた湖の傍で膝をついて歌うさまを演じるジュリアナの身振り手振りも、視覚に心地よさを誘発させる。

 大きな動きではないのに、そのなめらかさに魅入ってしまう。


 メレアはその動きに、淡い水色の輝きを見ていた。

 ジュリアナの動かす手の軌道に、透き通るような水色が、その軌跡を表すように描き出されている気がした。

 美しい。

 ただその光景が美しかった。


 そして――


 ふと、メレアは動作の途中でジュリアナが客席の方を向いたことに気づく。


 メレアが『とある異変』を感じ取ったのは、そのときだった。


「――」


 色。

 水色。

 彼女の動きにまとわりついていた水色が、もっとも濃くその『眼』に表れていた。

 彼女の眼のもともとの色を考慮しても、それは違和感を覚えるほどの濃さだ。


 直後、観客をなぞっていたジュリアナの視線が、メレアの視線と交差した。

 目が、あった。


 メレアは彼女の瞳の中に、あきらかに普通ではない発光と――


 ――っ。


 『術式陣』を見る。


 その瞬間、


 メレアは自分の視界が白く滲んでいくことに気づいた。


 気づくといっても、かろうじて、ぼんやりとそのことを認識できるという程度だ。

 いつの間にかメレアのたぐいまれな精神力をして、その心地よい白色に思わず身を委ねたくなっていた。

 じっとりと何かが精神に入り込んでくる感覚がある。

 気絶する寸前の、あのすべてを投げ出したくなるような嫌に心地のいい感覚が、より病的なまでに増幅されたような感覚だった。


 ――……まずい。


 世界が白く染まる。

 それが危うい状態であることを頭の隅で警笛が知らせている。

 だがその音はひどく小さい。

 その音すらも白色に覆われて――


◆◆◆


 そして――レーヴ=オペラ座は静寂に包まれた。

 

◆◆◆


 まだ歌劇の途中である。

 されど劇場はひどい静寂に包まれていた。


 すべての観客が眠りこけるように、それぞれの席上で頭を垂れている。

 その中でたった二人、まだ動く者がいた。


 一人は舞台上の女王。

 そしてもう一人は上階席にいた道化師。


 女王は目の端から涙を流していた。

 まるで神に贖罪を求めるように、彼女はその美しい声でまだあの歌を歌っていた。

 その歌が止まったとき、彼女の口から漏れ出た言葉は――


「ごめんなさい……!」


 そんな言葉だった。

 そしてその様子を、上階席から道化師が眺めていた。


◆◆◆


「……やっぱり賭けはボクの勝ちだったよ、金の亡者。――悲しいことにね」


◆◆◆


 彼の化粧に彩られた顔には、ひどく悲しげな表情が映っていた。

 道化師はそうして、上階席から姿を消す。

 舞台上に残った女王はまだ、涙に濡れた瞳で観客席を見ていた。


 彼女が見覚えのある姿を見つけるまでに、そう長い時間はかからなかった。



 ジュリアナは涙でぼやける視界の隅に、ある影を見つける。

 演劇中、演じることに集中するあまり、自分は客席の細かな部分にまで意識が向かない。

 そのことを知っていたジュリアナは、いまさらながらにそうしてある影を見つけたことに、納得と悲嘆を覚えていた。


「あの人……は――」


 超俗的な白髪を宿した、青年。

 自分が中央通りを渡りきれずに意地の悪い商人に絡まれていたとき、助けてくれた青年。

 そのあとわがままを聞いてもらって、話まで聞いてくれた青年。


 きっとまた話をしようと、約束をした――


「っ!」


 ジュリアナはとっさに視線を落とした。

 直視できなかった。

 そこに彼がいることを、認めたくなかった。

 彼女は漏れそうになった嗚咽を抑えるように口元を両手で覆う。

 できることなら――大声で泣いてしまいたかった。


◆◆◆


 〈魅魔の魔眼〉。


 人の意識に直接的に干渉する力を持つ魔眼は、強力だがけっして万能ではない。

 今回観客にかけた『催眠』の術式効果も、外部からの衝撃で解ける可能性があった。

 まだ掛けたばかりであることも含めて、大きな泣き声などあげられない。

 もしここで解けてしまったら、計画のすべてが崩れる。


 これからここにいる者たちに、サイサリスの狂信者たちがある暗示をかける算段なのだ。

 彼らは彼らで、教化に向いたいくつかの術式を持っているという。

 サイサリス教国の『教皇』が何らかの能力者なのだろう、とはシーザーの言で、ジュリアナ自身はサイサリスに飼われている身なのでくわしいことは知り得なかった。


 ともかく、それを万全の状態でかけるためには、こうして何らかの方法で意識を奪っておくことが肝要であるらしい。

 それを使わずとも単純な教化はこなせる。実際に今まではそうしてきた。

 自分の劇を慕ってくれたものを、そうやってサイサリスの狂信者たちが取り込んでいくさまは、ジュリアナに『自分に対する吐き気』を(もよお)させた。

 救いがたいことをしているという意識が、ジュリアナの正気を削る。


 だが、生きるためにはそうするしかなかった。

 これが今一番、自分の生存を保証してくれる方法だった。


「ごめんなさい……」


 ジュリアナは劇場の裏の方からサイサリスの狂信者たちがやってきた足音を聞いて、再び謝った。

 

「私には、この大きな流れに抗える力がないのです……」


 死んでしまえれば楽かもしれない。

 しかし、


「それでも私は……生きいたいのです。まだ……歌っていたい。私にはこれしかないけれど、この歌と踊りで、誰かを――」


 楽しませたかった。

 あわよくば、悲しんでいる誰かを――『救いたかった』。


 だがその言葉を、ジュリアナは(つむ)げない。


 今自分が行っていることは、それとは正反対のことである。

 だから、口には出せなかった。

 

 こぼれない言葉の代わりに、再び涙がこぼれる。

 どうしようもない葛藤が、身体の節々を(むしば)んで、震わせた。


 そうして視線を落として待っていると、ついに舞台裏からサイサリスの狂信者たちがやってくる。


「――すばらしい」


 彼らは上ずった声で、まず最初にそう言った。

 その声の上ずりが生々しくて、またジュリアナに吐き気を催させる。


「――惜しい。これが同じ人間に何度も使える力であれば、世界を牛耳ることさえたやすいというのに。……さすがにそれは神が許さぬか。魅魔は魅魔。怪物が世界の上に立つことは許されない」


 ジュリアナは誰かに肩を叩かれた。

 まだ視線を落としているため、誰が叩いたかはわからない。

 もはや、誰でもよかった。


「さて、時間も惜しい。早めに術式を刻もう。ジュリアナ、貴様は近場にいると落ち着かん。舞台裏に下がっていろ。今回のことはしっかりと上に報告する。これで貴様の命はしばらく安泰だ」


 もう、安泰などどうでもいい。

 そのためにやったことなのに、自棄になるあまりそんなことを考えてしまう。


「……わかりました」


 ジュリアナは視線を伏せたまま、立ち上がって踵を返した。

 表舞台に出てくるサイサリス信者たちと入れ替わりに、舞台裏に下がっていく。

 彼女からは悄然(しょうぜん)とした空気こそ漏れはしても、声のひとつもあがることはなかった。



 だが、もしそのときジュリアナが、『たった一度でも視線をあげていれば』、彼女は声をあげてしまっていたかもしれない。



 状況の不可思議さと、その――歓喜に。


 そうなったら、ジュリアナの異変を察知したサイサリスの狂信者たちに、なんらかの追及をされたかもしれない。

 そのときジュリアナが劇場内の異変に気づかなかったのは、ある意味僥倖(ぎょうこう)であった。

 ジュリアナはまだ気づいていなかった。


 さきほどまでそこでほかの客と同じように(こうべ)を垂れていた『白髪の青年』の姿が――



 消えていたことに。



 

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