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百魔の主  作者: 葵大和
第十幕 【踊る者、観る者、そして】
106/267

106話 「迷夢の魔王人形」【前編】

「――」


 メレアは最初、言葉を失った。

 一に、単純な驚きからである。

 あの虹色石(オパール)のような独特の美髪を持った彼女が、まさか〈魅惑の女王〉本人だとは思わなかった。

 知っていたらもっといろいろと聞いたのに、と咄嗟(とっさ)に思ってしまう一方で、


 ――いや、彼女はあのときの距離を大事にしていた。ならきっと……


 自分は踏み込めなかっただろう。

 彼女がどういった思いを胸に秘めているのか、出会ったばかりで、あの状態で、ずけずけと訊けはしなかった。


「――綺麗だな」


 ふいにサルマーンから言葉があがっていた。


「――ああ」


 メレアが言葉を失った理由の二つ目が、まさしくサルマーンの言葉に表れていた。


 ただただ、美しかった。


 それが同じ人間であることを疑いかねないほどに。

 いっそ超俗的なまでの美の結晶が、そこに立っていた。


 豪奢な衣装に身を包み、舞うのみで軌跡を輝きにいろどるあの水色掛かった髪。

 動きのひとつひとつに無駄がないどころか、むしろその無駄な動きさえも求めずにはいられない。

 もっとその身体が動けば、なにか美しいものを見せてくれるのではないか。

 細く長い四肢の揺らめきに、憧憬(どうけい)を抱く。


「ありゃあ、魔性だ」

「ハハッ、サルマーンが言うならよほどだな」


 メレアは笑いながらサルマーンに言った。


「サルマーンはもっと硬派だと思ってたけど」

「言うな言うな。あれは次元がちげえだろ」


 女性に対してわりと硬派であると思っていたサルマーンでさえ、舞台上の女王に見惚れているようだった。

 また後ろの席では、


「綺麗――」

「女ながら惚れかねんな、あれは」


 アイズとエルマがそれぞれ率直な感想を述べていた。

 

 そのあたりで、ついに舞台上の〈魅惑の女王〉が口を開ける。

 耳をとろけさせるような美声が、劇場を震わせた。


「ようこそ、レーヴ=オペラ座へ。わたくし、本日の歌劇を演じさせていただきます、〈ジュリアナ=ヴェ=ローナ〉と申します」


 その言葉のあと、劇場の天井を突き破らんばかりの歓声があがった。

 劇場が揺れる。

 まるで地震のようだった。

 

「ありがとうございます。――さて、もうしばらくお待ちください。もう一分刻ほどで、歌劇がはじまります」


 魅惑の女王――ジュリアナ=ヴェ=ローナは、観客たちの歓声に恥ずかしがるように頬を染めつつ、ほのかな笑みを見せて言う。

 妖艶な美貌を持ちながらも、その清楚な仕草がまた似合った。


「今回の歌劇は、少し趣向を凝らせていただきました。まず、題目は――『迷夢の魔王人形』と言います」


 直後、劇場にどよめきが走る。

 メレアの近場にいた観客たちから次々と声があがった。


『聞いたことのない演目だ』

『新しい劇作家の作品か?』

『いずれにせよ、初めての演目というのも悪くない。なんといっても――』


 観客たちの言葉の先を、今度はジュリアナが続ける。


「そうです。こうして芸術都市におられる造詣の深い方々がご存知のとおり、この題目はここで初めて演じられるものです。記念すべき一回目を演じられることに、わたくし自身、感動を禁じ得ません。そしてみなさまのご予想のとおり、この演劇の結末はまだ『誰も知らない』ということになります」


 芸術に造詣の深い芸術都市の民たちは、当然ながらあらかたの歌劇演目にもくわしかった。

 それは結末がわかっているということにも繋がるが、しかし歌劇のよさは物語に対する不知の高揚感のみにはない。

 同じ演目でも、演じる者や演じる場所、それぞれに違う趣向がある。


 あの歌劇役者はここをこんなふうに表現する。

 あの歌劇場ではこういう演出をする。

 あそこの歌劇作家はあの有名な演目にこういう色をつけた。

 

 結末をあえて反対のものにする、というような過激なものもある一方で、その細部で積み重ねられたさまざまな差異にいわゆる神が宿ることもある。

 とかく、芸術は奥が深い。

 彼らはそれゆえに同じ演目でも何度も眺める。


 しかし今回は、一番わかりやすい高揚があった。


 『まったく知らない』。


 結局のところ、もっともスリルと高揚を味わいやすい、シンプルで強烈な要素。

 それが、結末の不知であった。


「この『迷夢の魔王人形』が喜劇であるのか、悲劇であるのか。それは今日、みなさまがその目で、その耳で、その五感で、判断してくだされば幸いと存じます」


 ジュリアナはそう締めくくった。


「それでは、今しばらくお待ちください」


 そして彼女は再び舞台の袖へ消えていく。

 

 劇場の明かりは暗いまま。

 観客は劇のはじまりまで今か今かと待つ。

 いつ劇がはじまっても大丈夫なように、観客たちの声もひそひそ声へと下り、静かとも言えないが喧騒とも言えない、曖昧な空気がその場に漂った。


 しかしそんな劇場の中で、ある一角だけが、わかりやすく緊張した空気を漂わせていた。


「――『迷夢の魔王人形』」


 メレアたちは、その演目に並々ならぬしがらみを感じずにはいられなかった。


◆◆◆


「ジュリアナ、いけそうかい」

「――はい。全員が私を見てくださるなら、この広さであればどうにかなるでしょう」

「じゃあ、大丈夫だね。この劇場でキミを見ない者はいない。なにより今回の演目は未知の演目だ。きっと一挙手一投足、キミの動きを窺うだろう。彼らは新たな芸術の一番の論評者になるべく、その栄誉のためにキミを血眼になって見つめる」

「……」


 劇場の観客たちが今か今かと舞台のはじまりを待っている裏側で、二つの声が響いていた。


「あなたはどうするのですか、シーザー」

「ボク? ボクは――」


 道化師と魅惑の女王。二人は舞台裏で立ったまま言葉を交わしていた。

 距離は五歩ほど。会話をするには少し遠い。しかし二人はお互いにそれ以上歩み寄らなかった。


「――ボクは、見届ける必要がある」

「なにを」

「キミの行いの結末と、キミの行き着く先と――あと、とある友人たちの行く末を」

「友人?」

「そう、珍しいことに、ボクにも最近友人ができたんだ」


 シーザーは剽軽(ひょうきん)ぶって両手を広げながら言った。


「そんな彼らが、今日この劇場に来ている」

「っ! それではっ!」

「そう、キミに魅了される」

「その方たちはあなたの友人なのでしょう!?」


 それまでのどこか悲しげな様相から一転、ジュリアナは肩を怒らせてシーザーに抗議していた。

 やはり顔にも怒った表情があった。


「……いいんだ。友人ごっこはここでおしまいさ。もともとボクに友人なんて重荷だった」

「でも今あなたは自分から友人と――」

「やめてくれ」


 シーザーはジュリアナの言葉を片手でさえぎった。

 珍しくその顔には心底困ったような表情が乗っている。


「ボクだってよくわかってないんだ、自分のことが。でも、冷静な部分はボクのこの行動をけっして咎めてはいない。いずれにせよ、ボクにはこうすることが必要だった」

「友人を、サイサリスの生贄に捧げることが、ですか?」


 ジュリアナはまだ食い下がった。

 断固とした思いが彼女の声と表情に表れていた。

 そんなジュリアナに対し、シーザーはややカっとなったふうに反応する。


「――まだそうと決まったわけじゃない」


 その言葉は、シーザーにとって最初で最後の――『本音』の漏れであった。

 その一言が、ジュリアナにすべてを悟らせた。


「……あなたもそうやって苦しんでいるのですね。どうすることもできない状況と、それでもどうにかしようとしている己の意志との狭間で」

「そんなに格好の良いものじゃないよ、ボクのは。ボクはただ、意地を張っているだけだ」

「ですが、その意地は誰かのための意地でしょう?」

「……そんなたいそうなものじゃない」

「今言いたくないなら、言わなくても構いません。ですが、どうしようもなくなって壊れてしまうくらいなら、その手前で私に言ってください」


 ジュリアナはいつの間にかシーザーの手を取ってそう言っていた。

 シーザーはジュリアナの視線を受けて――しかしすぐにそのまっすぐな目から視線をそらす。

 手を振りほどいて、踵を返した。


「キミは人の心配をするより自分の心配をしていたほうがいい。今回の劇がどういう結末で終わるのかまだわからないけれど、いずれにせよキミの周りはまた大きく動く。その中でキミは自分の意志が流れに巻き込まれて消えてしまわないように、ちゃんと気を張っておくべきだ。自分のことだけを考えて、自分にとって最善だと思う道を選ぶといい。……最後の可能性の種は、撒いておいた」


 最後の最後に、シーザーは意味深な言葉を残してその場を去った。

 舞台裏の通路から、上階席へ続く階段を昇っていく。

 ジュリアナはただ、シーザーの言葉をかみしめながら、その細い身体が暗闇に消えていくのを見ていた。

 潤んだ瞳で、されど強い意志の光を宿して、最後まで――見ていた。


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