105話 「魅惑の女王の正体」
メレアたちがシーザーと別れてまもなく、劇場にズシン、とでもいうような震動が走った。
「ははっ、きやがった」
サルマーンが口角をあげて言った。
直後、劇場内の通路を伝っていくつもの音が伝わってくる。
いっそのこと戦場の獣声のようにも聞こえる昂ぶった声音。
硬質な床を同じく硬い靴で小気味よく打ち鳴らす足音。
最初に劇場に走った震動は、我先にと良い席を求める娯楽の亡者たちがレーヴ=オペラ座の錠前を突破したがゆえの震動であった。
「変に緊張してくるな、これ」
サルマーンに続いてメレアが苦笑しつつ声をあげた。
さらにメレアは仲間たちの顔をぐるりと見回す。
「ホント、はぐれないようにね……?」
そう気遣うメレアの方が、むしろ慣れないタイプの『戦』に少し悄然としているようだった。
対し、仲間たちは、
「こういうとき、なんだかんだとメレア様が一番にはぐれそうでメイドとして今から胆が冷えます」
マリーザが最初に言った。
「メレア、露店のときも、一番きょろきょろして危なっかしかったし」
さらにシラディスが兜の中から何気なく指摘する。
「メレア迷子?」「迷子?」
駄目押しに双子が首をかしげながらメレアを見上げた。
「ああ……これなら心配ないな……」
むしろほかの魔王たちの方は、メレアよりも余裕のある笑みでもって主の方をこそ心配していた。
メレアは彼女たちの声を受けて、苦笑を深めながらため息をつく。
そうしてしばらくすると、劇場の最奥の扉が大きな音を立てて開いた。
メレアたち一行がいる右端の扉ではなく、舞台から正面に位置するもっとも大きな扉だ。
扉が開くと、すぐにその向こうから紳士風の男たちが姿を現す。
みながみなぴしりとした礼服を着ていかにもという感じだが、息を切らしながらきょろきょろと劇場の良席を探しているさまを見るとあまり高貴さは感じられない。
「さて、ちょっと隠れよう。彼らが中ほどまで駆けてきたらなに食わぬ顔でそのへんに座ろうか」
メレアが身を低くして近場の座席の影に隠れながら言った。
魔王たちはそれにうなずき、同じく身を低くする。
ややあって最初の紳士風の男たちが広間の中ほどまで到達した。
彼らの後ろにはとぎれなく人の列が続いており、すでに劇場の後ろ半分はすさまじい熱気で覆われている。
そのもっとも大きな中央最奥の扉が人でいっぱいになりはじめたころ、今度はメレアたちの近くの扉からも音が聴こえてきた。
――そろそろか。
メレアはその音を誰よりも早く聞きつけ、ついに決心した。
「行こう、もうバレやしない」
これだけ人が劇場に入ってくれば、もう席を確保しに走っても不自然なところはあるまい。
「よっしゃ! 椅子を確保だ! おいてかれんなよ!」
「おー!」「あーっ! おねーちゃん待ってよー!」
メレアの合図を受けて、最初にサルマーンが飛び出した。
それにつられるようにサルマーンの両隣で待機していた双子たちも飛びだす。
――熱気にあてられたかな。
どことなく声音が高いサルマーンを見て、メレアは苦笑とともに内心で思った。
それからメレアは、サルマーンについていった双子を見る。
「みんなはやいよー!」
この切迫した状況にあって、妹のミィナの方が少し遅れていた。
サルマーンと姉のリィナを必死で追いながらも、どこかおろおろとした様子を見せている。また、顔には少し泣きそうな色があった。
「おいで、ミィナ」
メレアはサルマーンに一歩遅れて前に飛びだし、そんなミィナに手を伸ばした。
「メレアーっ! サルもおねーちゃんはやいのー!」
「大丈夫大丈夫」
メレアの伸ばした手にミィナが身体ごと飛びついてくる。
メレアはミィナに優しく声をかけながら、その白く小さな手を取って一気に抱き寄せた。
それから近場の座席の背もたれを足場にして一気に跳躍する。
「あの人、なんだかんだで自分もこういうお祭り雰囲気にノりやすいことをわかっているのでしょうか……」
そのメレアの跳躍は思いのほか高かった。
いっそのこと鳥のように、メレアの身体がミィナを抱えたままふわりと跳びあがる。
メレアが足場にした座席のあたりでマリーザが額を押さえている姿があった。
「苦労の多いメイドの心中を察するよ」
そんなマリーザの肩を、隣にいたエルマが苦笑して叩いていた。
その間にも、メレアの身体は放物線を描いて劇場の空間を舞っていく。
そしてメレアが着地した。ちょうど前列席の中央付近だった。
「お、おまっ、跳ぶのはずりぃぞ!」
少し遅れてその場にサルマーンたちがやってくる。
メレアは振り向きながらにやにやとした笑みを浮かべ、
「そんなルールはありません」
「……そういいながらも心の中で『やべえ、跳びすぎた』とか思ってね?」
「……思ってる」
「はあ……」
言いつつ、二人はまったく同じ動きでリィナとミィナを座席に座らせていた。それから二人を挟み込むようにして自分たちも座る。
メレアが仲間たちの姿を捜すと、彼らもすでに近場にまで駆けてきていた。
「ここか?」
最初にエルマがやってきて、メレアとサルマーンに訊ねる。
「うん。リィナたちを真ん中に。あとアイズも中央寄りで。〈剣〉の面子はできるだけ外側に固まろう」
「了解した」
短くやり取りをして、エルマが動く。
まもなくシラディスとともにやってきたアイズを手招きし、リィナとミィナの後ろの席に座らせた。アイズはエルマの導きに応じ、すばやく椅子に身を沈み込ませる。
さらにその隣にシラディスがでんと座り込み、
「よし」
エルマがそれを見てようやくアイズを挟み込むような位置取りで座った。
「ん? そういえばマリーザはどうした?」
が、いまさらになってマリーザの姿が見えないことに気づいて、エルマはもう一度腰をあげる。
すると、
「わたくしはこちらです」
マリーザはいつの間にかアイズの後ろの席に座っていた。
全員の様子が後ろからうかがえる位置で、なによりアイズの後背を守るような位置取りだ。
なに食わぬ顔で完璧な位置に座っているマリーザを見て、エルマは少し疲れたように言う。
「本当にお前は抜かりがないな……」
「わたくしはメレア様とアイズ様のメイドですから」
「その答えで納得できる私もたぶんどうかしているんだろう……」
最後にそう付け加えて、エルマも座席に身を沈み込ませた。
それから数秒もしないうちにメレアたちの周りに続々とほかの観客が集まってくる。
遅れてやってきた熱気が、瞬く間にその席の上空をも覆い尽くした。
◆◆◆
ミィナとリィナがさきほどのことでぎゃあぎゃあと言い合っている声と、周りの観客のそわそわとした衣擦りの音、そして口々に〈魅惑の女王〉がいかにすばらしいかを語る芸術評論家たちの話を耳に捉えながら、メレアたちは劇がはじまるのを待っていた。
メレアは、姉が自分をおいていったことに対してぶつぶつと文句を言っているミィナの頭を困り顔でなでてやりながら、舞台の方に注視を向けていた。
――本当に良い位置だな。
舞台上が良く見える。
かといって最前列ではないから、高さもちょうどいい。
――ちょっとだけ舞台裏も見えそうだ。
少し首を伸ばせば、ほんの少しだけ舞台の垂れ幕の奥が見通せそうだった。
こういうところへ来ると、表には表れない裏の方にも興味が湧いてくるのは、自分が粋というものを理解していないからだろうか。
自分の身のうちにある好奇心は、その節操のなさゆえに少し無粋でもある。
――いやいや、気になるものはしょうがない。探究心は大事だ。
そうやって無理やりに自分を納得させつつ、メレアは今か今かと舞台のはじまりを待っていた。
そしてついに。
劇場の明かりが落ちた。
高い天井の突き当たりで煌々と輝いていた術式灯が、ふいにその灯火を消す。
うちいくつかだけが、淡い、揺蕩うような光を灯していて、レーヴ=オペラ座という空間を妖しく彩っていた。
そうして劇場内が独特の雰囲気に包まれるや、今度は舞台の幕があがっていく。
劇場の灯火が薄まったのと対照的に、いつの間にか舞台上を照らす灯りが増えていた。
光の移動だけで、一気に『こちら側』と『あちら側』が区切られる。
――へえ。
メレアはその一瞬の照明作用に、見事に誘導されていることを実感していた。
されどその感覚は、けっして悪いものではない。
これから舞台上でなにが起こるのだろうかと、期待させてくれる。
かくて、舞台の幕はあがった。
◆◆◆
しばらくして、幕があがった舞台の上にとある女が現れる。
その女が姿を現した瞬間、劇場の空気が止まり、そして一気に弾けた。
観客たちの反応でメレアは知る。
その女が〈魅惑の女王〉であることを。
そして、その女の容姿をまじまじと見て――
彼女があのとき助けた宝石のような髪を持った美女であることを、知った。
次話:『迷夢の魔王人形』





