2、金色の来訪者たち
2、金色の来訪者たち
コツ、コツ、コツ。
深夜の帰り道だった。
友達と久々に遊んだ後の帰り道。はしゃぎ過ぎてしまったのか、いつもより帰宅が遅くなってしまった独身OLの女性は人が見えない道を一人っきりで歩いていた。
コツ、コツ。
自分のヒールが地面を叩く音しか聞こない暗闇を、壊れているためか普段より薄暗いと感じる電灯が照らすだけの道。
繁華街を離れた人気の少ない住宅地に面したそこを、彼女が迷いなく選んだのはもっとも早く家に到着するという安易な思考が判断した結果だった。酒が頭を巡っていたこともあるだろう。
だから、だろうか。
コツ、コツ、コツ、カツ。
彼女がその道が人気が少ない理由を、忘れていたのは・・・
コツ、カツ、コツ、カツ。
足音が増える。自分とは違う、足の音が
確かに、後ろから聞こえてくる。
コツ、カツ、コツコツ。
彼女の足は衝動的に速度を上げる。
酔っていた思考をはっきりさせたのは、後ろの足音と横目に入った“不審者注意の看板とそこに供えられた多くの花束”。
コツコツ、カツカツカツ。
自分が速度を上げると、後ろの足音も早くなる。これは、そんな、嘘だ。
なぜ、自分が。自分は普通の生活を送ってきた普通の人間だ。そんな自分がテレビやドラマで見る殺人鬼や変質者になど追いかけられるはずがない!
コツコツコツコツ、カツカツカツカツ、カッ、カッ、カッカッ!!
追いかけてくる足音が狂気の笑い声に変わり始めたように思えた。だが、彼女はまだ追いつかれてはいない。
しかし、心は確実に追い詰められていた。
私は何もしてない。普通の日常を生きていただけだ。それなにの、どうしてこんな目に、どうして、それなのに、それなのに、それなのにそれなのにそれなのにそれなのにそれなのにそれなのにそれなのにそれェェェヒャヒャヒャヒャハy
カカカカカカカカカカカッ。
非現実に頭が狂気に囚われる中、それに気が付けたのは奇跡だったのか・・・
足音が私のだけしか聞こえないではないか!
逃げ切れた。そうに違いない。
それともただの妄想か、ただの通行人だったのだ。そう振り返っても誰もいない。
そうに違いない!!
バッ と彼女は振り返る。そこには・・・
誰もいない。ただ薄暗闇が広がるのみ。
そう、そこには誰もいなかった。ホッとして前に向き直
ドスッ
?
ると、彼女の胸にナイフ。
私に見たこともないオジサンに刺し込まれて・・・
その刃を体からすぐに引き抜くと、また差し込み、えぐり、また抜き、突き、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、体中を弄ぶように、まるで痛みを教え込むように執拗に切り裂き続ける。
オジサンは遂に原型をなくした彼女からナイフを抜き取ると、とても残念そうな笑みを浮かべた。
もう致死量の傷と出血量とショックで死んでいるはずの彼女の意識はなぜかあった。
先ほどまで生きることに執着していた彼女は、今や痛みで苦しみそれでも死ねないことから、痛みと恐怖からの解放を、死を望んでいた。
だが、痛みを痛みとも思えない痛みで頭の中がグチャグチャになり、次第に自分の温度が無くなっていく感覚に襲われた彼女は最後に見たものは、ナイフを片手に笑うオジサンの口の動き。
彼は言った。
「あ~あ」
「君も僕の愛が判らないのか!! ……って」
「え~と、それは怖い話です? それとも気持ちの悪いストーカーの話なんでしょうか?」
一方、こちらは雲すら逃げ出したような晴天が空に広がるお昼時の教室。
私、九重 撫子は昨日の豪華極まりない夕食のあまりで構成されたお弁当を食べながら、友達の本当にありそうな怖い話?を聞いている。
最近は、都市伝説といっただろうか。
「え~、なでしこちゃん。反応薄い!」
「ん~、ごめんね。そういう話になれてたりするんです」
(本物の吸血鬼とか、それを倒せるぐらいの魔王みたいな人とかで……。それに今の話怖かったですか?)
非現実を生きすぎたせいで、恐怖に疎くなった自分を嘆くようなやるせない目線を、この蒼く澄み切った空へと向けつつも友達の方へと意識は向いている。
え~、つまんない! と口をすぼめて悔しがる、染めた茶色のソバージュヘアのおしとやかそうな女の子。
彼女の名前は星野 優子。先月、不良に強引なナンパをされていた同級生たちの中にいた一人だ。私が見てもどこかの良いところのお嬢様に見え、なお且つ、美少女といっても過言ではないが本人はいたって普通のご家庭の普通の女子高校生だ。
今は私の友達として、こうしてお昼時のみならず、こうして趣味の噂話や都市伝説の話をしてくれるような仲になっている。
一か月前のあの事件後に、勇気を振り絞って仲良くなることが出来た二人のうちの一人だ。
もう一人は……
「ふん、くだらないからだよ。そんな都市伝説」
私と対面するように目の前にいるポニーテールの女の子、名前は上地 智子。
「と、トモちゃん酷いよ! 都市伝説は人類があらゆる噂や謎を凝縮させた言わば、文化だよ」
「くだらないものは、下らないよ。優子はホント、そういうの好きだよな~。それに何も裏とか、真実とかないとつまんないもんだよ」
優子と対照的に、活発で、男勝りの度胸を持つ女の子だ。こちらはスポーツ万能の美少女で陸上部に所属している。
ガタガタガタタ
「と、智子ちゃん?」
もっと、多くの人と仲良くなりたいが、没落したとはいえ私は元お金持ちのお嬢様であり、昔のあだ名“完璧淑女”が後を引いているのか未だに大半のクラスメイトや学内の人はよそよそしい。
そんなアウェイ空気の学校生活で唯一、親しくしてくれる二人も始めは同じような態度だったが、今は本当に親しい友人になれたと思う。
ガッガガガガガタタタタタ。
「なに、どうしたの? 撫子」
優子ちゃんは“なでしこちゃん”、智子ちゃんは“撫子”と呼んでくれている。始めは“さん”とか“さま”とか接尾語が付いていたが、今は普通に会話できることがホントに嬉しい。
ガツツツツウ、ガガガ!
私たちは現在、昼食をとっている。最近は一つの机にイスを持ち寄り、一緒に団を組みながら食べることが多くなった。
今日は私の机、昼の日差しが差し込む教室の後端に集まっている。
ガガガガガガガ
「あの、ね」
「何? もう私たちは友達なんだ。言いたいことは言い合おうよ」
「う、うーんとね」
ガガガガガ、タタタタタ!
今現在、私の机は局所的な地震に襲われている。震源地は目の前の智子。
彼女の足が小刻みに上下に高速運動し、いわゆる貧乏ゆすりにより私の机は超振動を受けている。
智子はアレなのだ……そう、たぶん。まぁ、人間なのだ。苦手なものくらいある。
触れないで上げようと無視を決め込むことに決めた。触れない方が良い場合もあるはずだ。
「な、なんでもない」
「っぷ、ハハハハ」
私の親切心とは正反対に、優子はもう耐えられないと噴き出してしまった。
「そう!これが見たかった! やーい、トモちゃんの怖がり!! てか、凄い反応でしょ、撫子ちゃん! これを見せてあげたかったんだ~」
「ちっ、違う! こ、これはじ、人体アブトロニックと言ってだな!」
再び、優子が笑いだし、智子がそれに怒りだす。それを見て、聞いてかクラスの中に笑い声が起きる。
明るい喧騒の中で、私は一人、幸せを感じる。
この時だけではない、あれから1カ月は毎日のように身震いするほど幸せだと感じていた。
私にとって学校を問わず、日常自体があの恐ろしい吸血鬼に常に何処からか監視されているかわからない緊張に縛られた世界であり、苦痛と絶望の日々だった。
教室に起る喧騒や笑い声は、私を嘲笑っているかのようだった。
民家から覗く温かい光が、家族を奪われた私の心を悔しさで焼いた。
私を完璧な淑女と呼んで、うらやましいと遠くから噂する声は、誰も私を理解してくれない現実を再度突きつけられているようで悲しくなった。
だが、今は違う。
教室に起る喧騒や笑い声には、私も混ざり、皆で楽しさを共有する感覚が嬉しい。
民家から覗く温かい光を見れば、魔王みたいな男が待つ家に帰りたくなる。
前の様な噂は無くなり、遠くからではなく、皆から声を掛けられるようになり、普通の級友同士の会話をするようになった。
「な、撫子!? 泣くほど笑うなー!」
「ほら! なでしこちゃん。 私が言ったとおり、おもしろかったでしょ!」
二人はそのままドタバタと教室を走りまわり始めた。そんな彼女たちを見てみんなが笑ったり、呆れたりし始める。
そんな中で、私は座りながら俯き、笑ってしまう。
本当に、涙が零れ落ちるほど、笑ってしまった。
2
予算、1万5千円。
「撫子? 着いたよ」
天気、晴天。現在時刻、土曜のPM13時。
「なでしこちゃん?」
気温は五月の半ばの平均気温。ブレザーを着ていても丁度よい気温だ。
私は今、新たな世界に踏み出そうとしている。これは、人類には小さな一歩ではあるが、花も恥じらう女子高校生、九重 撫子には偉大な一歩であることは確かなのである。さあ、いざ行かん!新たな世界へ!
そして、一歩を踏み出――――
そうとしたが、 プシャーという音と共に目の前のドアがピシャッ、と閉まった。
「「待った!マッタ!待ったッ!!! ストップッ、駅員さん!一人ィ! もう一人、降ります!」」
ドアの外側で、優子と智子が駅員に電車のドアの再開閉のお願いを綺麗なユニゾンしながら大声でお願いしてくれた。
「何やってんの!? 撫子!!」
「だっ、だって……」
二人のおかげで無事にホームに降り立つことが叶った。
「えェー。電車からの“駆け下り、下車”はご遠慮くださいィ」
次の場所へと移動する電車の車掌か、駅員さんの抗議気味のアナウンスが鳴り響く。周りの人たちが私を、私たちを見て笑う。……前言を撤回したい。馬鹿にされて笑われる楽しさの共有はしたくない。
「撫子……ホントに電車、初めてなんだね」
「てか、モノレールね。今の」
そうなのだ。今、さっきまで乗っていた電車、もといモノレールというものに私は初乗車だった。
今まで、どこかへ行く際は必ず、専用車で運ばれていた私には道路以外の一般交通機関にお世話になることはなかったのだ。
そんな私の無恥さを今日のお昼に知った二人は、土曜の昼からはオフということなので電車に初電車体験を兼て、三人で遊びに行こうと誘ってくれた。
そうして私は無事?目的地へと着いた。それまでの道のりは苦難の連続だった……
「自動で動くエスカレーターの前で乗るタイミングを計りかねて、後ろに渋滞を作るわ……」
「切符を買わずに、そのまま改札口を通ろうとするわ……」
「「あげく、乗車の瞬間、転んで男性の股間へ顔面ダイブするわ」」
二人はこれまでの冒険の数々を、疲れ切った表情と口調で私に向ってため息をつく。
ショボン……すいません。
「まあ、着いたことだし、良いか。撫子、優子、行こう」
「おうおう! いざ、凱旋の時だよ! なでしこちゃん! かなりおもしろっ……いや、不幸だったことは忘れて! さぁ!」
二人とも!! こんな良い友人を持てて、なんて私は幸せなんでしょう……優子ちゃん、今私の不幸をおもしろいって言いかけませんでしたか?
ぎこちなく改札口を出てから、私たちを迎えたのは周りの喧騒と眩しいぐらいの太陽の光。
「ここが……羽田空港ですか?」
私は実際、空港と名前が付いているので殺伐とした風景を想像していた。だが、目の前には繁華街顔負けのお店などが立ち並び、人の往来が激しく、渋谷や新宿、池袋と見間違えるほどの活気を見せている。
第三次世界大戦で被害を受けたのは、なにも現在のソドムの位置だけではない。東京のみならず全国にも大小あれど被害は出ていた。
交通各線、特に空港や港などの外交関係の施設は酷い有り様を呈していたらしい。
首都圏にほど近い羽田空港は滑走路から周囲の施設をも大破された。今私が乗っていた路線も、戦争前とその後では位置的な違いもあるらしい。
そんな状況から移転も考えられたが、当時の人々は死力と資力をつぎ込み、空港を復興。それどころか周囲の施設なども改装、改造が始まり、技術力も上がった現在では貨物や高速道路は地下へ消えた。戦後の復興で新たな都市機能の中心地にと声が上がるほどのさらなる一“都市”へと進化したのが、現在の羽田空港なのだ。
「さあ、まずは服を見にいこう」
「え~、腹減ったよ」
「……お昼、食べたばかりだよ。トモちゃん」
私は心躍っていた。こんな形で、友達と出かけたことなどなかったのだ。
今日は良い日だ。きっと神様がくれた運が良い日に違いない。二人がこちらを振り返って、笑顔で手招きする。どこから回ろうかの計画を立てるようだ。
今日は楽しもう。そう思い、二人の元へと駆けだす。
そして、知った。一万五千円では繁華街という場所を全力で楽しむことはできないということ。なによりお金の尊さを、一着、数万の値札が付いた洋服と一つ七百円の豚まんで学んだ。……値札、見とけばよかった……。
現在時刻、PM15:00。
私たちは、空港前の道路に備え付けられたベンチに腰掛け、休んでいた。
周りには、斜め前に黒い高級そうな乗用車に背を持たれかけながら、缶コーヒーを飲む黒いスーツとサングラスで正装したオールバックの怖そうな男の人と、私たち以外は誰もいない。
優子によると古いターミナルらしく人が寄り付かない場所らしく休憩にはうってつけの場所らしい。
優子は、お気に入りのブランドの服やらアクセサリーを買いあされたために、とても満足した表情をしている。
智子は、前から食べてみたかった豚まんを食し、その他いろいろな食事ができて、お腹と心が満たされたために、幸福な表情をしている。
私は、二人について行き、自然と軽くなった財布の中身にもう帰りの電車賃しかないことを確認してしまい、二人に見られないように顔を背け、ひどい憂鬱な困った表情で溜息一つ。
「さぁ!次はどこ行く!」
「そうだな~」
(!!)
ビクッと肩震わせ、戦慄する。もう持ち合わせはほとんどない。このまま行って、お金のないことが分かれば、きっと二人は私に気をつかっちゃうかも……
私がそんなことを思いながら、眉根をよせながら困り顔になってしまっていると……
「なーに、困った顔オンリーの百面相なんてやってやがる?」
ハッとなる。どこかで聞いたことがある声!?
声の発生地点は私の視界の斜め前にある高級そうな乗用車で缶コーヒーを飲んでいた怖そうな人が、とてつもなく聞き覚えがある声で、私を“また”馬鹿にしてきた。
優子と智子は、そんな一見堅気じゃない男の乱入についてこれずに放心したかのように困り果てている。
「・・・もしかして、進?」
「もしかしなくても、進・カーネルだよ」
サングラスを片手で取ると、見間違うことはできない進の紅色の瞳が爛爛とそこにあった。
私が進だと人目で判らなかったのは、彼の格好のせいだ。いつもはワイシャツ(いつも私がアイロンをかけてる)に、ジーンズ(この間、水洗い時に水が真っ赤に染り、私が絶叫した)。その上から黒いコート(コートを洗濯機に入れようとして、怒られた)を着るのが進の通常のスタイルなのだ。
今、目の前にいる人は黒い下ろし立てのように綺麗なスーツに身を包み、きっちりした清潔感が溢れている。いつもぼさぼさの、若干癖っ毛のため乱雑な髪の配列も、今や整髪料でオールバックにきっちり整えられている。
これを進だと見抜ける人間はいったいどれほどいることだろうか?
「なに目玉飛び出そうなくらい驚いてやがんだ。それよりも何やってんだ? 撫子」
「え、ええ~と」
言えない。遊んでましたなんて言えない。
昨日の大量出費を出した張本人が、遊んでました、なんて言え
「友達と遊んでんのか」
ニャワーーーー!!
進は連れの二人を見て、そう解釈したようだ。いや、まずここで見つかった時点でもう遅い。
「あ、あの、その・・」
「そんでもって金がないから存分には遊べない、ってとこか」
イニャーーーーー!!!
私の心の中の猫さんが絶叫。バレた、なにより見抜かれた。何で、見抜くの?見抜けるぉぉ! あぁ、どうせこの後、残高が無いことも指摘されるん
「しかたないから、ほら、余分に持ってけ」
ダニャ・・・・にゃ?
スッと懐から現れた三枚の紙。それはこの国では合計三万円と呼ばれる高価な紙だった。
「にゃんで? にゃんなにゃんですか??」
「おい、ポンコツ。さらに壊れんじゃねぇよ」
「にゃ・・くれるんですか?」
そうして手渡されたお金の意味を考えた。考えた末の結論は
(い、いいんだ! 遊んでも良いんだ!)
「ま、夜遊びはほどほどにしろよ」
嬉しさのあまり、その場で飛び跳ねそうになり、顔が熱くなる。
そう言いながら元の位置へと戻ろうとする進。・・・お、お礼ぐらい言わなきゃ!
「進!・・あの」
「ん? なんだ。俺は忙しいんだよ。これから“デート”らしいからな」
デートらしいからな?
ピシッィ、と心中に響き渡る軋轢音。
え? デート?
「お~いィ。旦那ぁ、そろそろ時間ですぜ・・。あらぁらぁ、撫子さん」
進のそばに有った高級国産自動車の中から見知った顔がひょこり現れた。
ソドムで、雑貨屋をやりつつも、主婦たちの噂ばなしから国家規模の情報を商品としてを売る男、ハジさんがひょこり現れる。
彼は進と同じような格好なのだが、あいかわらず野球帽のような帽子を深くかぶっている。
「あれ、これ修羅場? いぃや~、おもしろそうなことになりやす?」
「馬鹿言ってんな、時間だ。そろそろご到着だろ?」
デート。
その言葉の意味を確かめるべく、私が一歩踏み出すと同時に空港へと通じる自動ドアが開き、一人だけが現れた。
ただ、それだけ。それだけのことで私は言葉を失い、息をすることを一瞬忘れた。
「あら? お待たせしました?」
私だけではない。死角にいる友人二人の方からも感嘆の溜息を吐く音がする。視覚にいる進は表情を変えないが、ハジさんは口笛を吹いて“それ”を迎えた。
それは、それがあまりの美しかったから。
その女性が現れたから。
世に“美女”と呼ばれる人物たちは数多いれど、ここまでの存在は見たことがなかった。言うなれば“美術”、いや“芸術”だ。
人と言う存在の枠から外れたかの様なその存在は進たちが待つ車へと向い、歩んでいく。
白色のセーターと青いロングスカートというシンプルな服装の上からでも判ってしまう高名な美術家が造形したかのような調和のとれたモデルのような160センチ半ばほどの体のラインと大理石のごとき白い肌。
調われた顔立ちには緑玉石のような二つの瞳が凛とした意思を秘めていそうな吊り目の穴に収まり、薄桃色の唇から紡ぎだされた声は聞くだけで万人が意識をそちらに向けてしまうだろうと確信できるソプラノ気味の美声。
「いえ、ジャストです」
「あら、その割には車に熱がこもってないようですわね?」
なにより彼女の美しさを体現するのが、彼女の頭髪。
空港に吹きすさぶ風を受け、舞い上がる彼女の腰を乗り越えるほどのウェーブのかかった美しい長髪。
その色は、珍しい輝く白金。
その芸術は、進が甲斐甲斐しく開けた車の後部座席のドアから車内へとスルりと入り込み見えなくなる。
え? “甲斐甲斐しく”?
「私にその様な、気使いは結構ですわ。あなた方はやるべきことをやるだけで結構ですのよ」
「申し訳ありません。以後、無いようにします」
黙々と、“敬語”で反省の意思を伝えたのは、もちろん進。
あの進が“敬語”で誰かの命令を“聞いている”!!?
あの自尊心の塊、生意気な奴の代表格、魔王がいたらこんな奴とか言われるほどプライドが高い彼が!?
ドアを静かに閉じ、助手席へと向う進だったが、急に思いだしたかのようにこちらへと振り返る。
「ま、気を付けてな・・撫子、なんて顔してやがんだ?」
「?」
鏡がないのでよくわからないが、自分は今、相当変な顔をしているらしく。進が顔を歪めて、何か情けないようなものを見る目でこちらを見てくる。
「それとな・・・」
「??」
だが、パッと進の顔が豹変する。いや、ゴッと言った方が正しいか・・・
「今、お前に渡した金はきちんと“借金”の方へ上乗せするからな」
「へっ!?」
口元を皮肉に歪ませ、目は半笑い。まさに悪魔の表情。幸せ気分の後に、苦痛を与えて楽しむ奴の顔だった。
意識呆然とする私に対してそんな言葉を置いて、早々と車は進たちを乗せて彼方へと消えていった・・・
・・・プルプル
「な、なでしこちゃん・・?」
「え~、と。撫子・・」
・・・・プルプルと拳を握り、段々に体の各部へと怒りがみなぎってきた。
「しんの・・・進の・・」
遂に爆発。
「進の馬鹿!! アホォ!!! スカポンタン!!!」
「昨日は確かに私が悪かったですよ・・ですけどぉぉ・・・!! ですけどぉぉぉぉぉ」
「進のっっバカァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
だけど、悲しいかな。私の叫びは、一機の空港に接近してきた旅客機の音にかき消され、誰の耳にも届くいことはなかった。
視点変更
「ブェッ、クショッォォォん!!」
所変わって、車の車内。
「あれぇ? 旦那、風邪ぇ? まぁ、発生原因は男女関係から来るモツれからっすかね?わっっかり易~い」
「黙々と前見て、安全運転に専念しろ」
さすがに依頼人の前で真横で運転する奴に銃を発砲するわけにはいかない。ここは自重すべき所だ。
私事と仕事を分けて行動するのは、社会人として当たり前のことだ。
それがどんなにくだらないと思える仕事でもだ。
「クライアント。では、何処へ向かいますか?」
俺は後の座席で足と腕を組みながら瞑想にふけっている依頼人に尋ねる。
今回の仕事はこのいかにもお金持ちのお嬢様風の女の観光案内役らしい。あの馬鹿のせいで、緊急で仕事を回してもらった仕事だとはいえ・・・いや、止めておこう。そんな感情も顔に出さないのも社会人の常識だ。そんな感情一つでもあれば、顔以外の言葉や仕草にも感情と言うものは出てくるもんだ。
「・・・・」
帰ってきたのは沈黙だったとしても顔には出さない。
「・・・ぷっ」
隣の奴が笑いを堪えられなかったのか小さく吹き出してもだ。・・・依頼人も目を閉じてるから、一発殴っても大丈夫だろうか? いや、やっぱ一発、鉛玉を打ち込もう。
「・・・ここから北に・・いえ、北東へ向かってくださいまし」
「?」
急な返事に、首を回して振り返る。そこに金持ちのお嬢様風の美女はいなかった。
そこに鎮座していたのは・・・
「私は以外にも、多忙なのです。くだらないことをせずに、迅速な送迎をおねがいますわ」
そこに居るのは人の上に立ち、下に命令をすることに迷いない王者の・・いや、女王の風格をその身に秘めた存在だった。
強い意志を秘めた、美しいだけでない碧眼が睨んでくる。
「了解しました。では、随時に行き先を申しつけてください」
「結構ですわ」
短く区切ると、再び目を閉じて瞑想を始める依頼人。・・・なるほど、ただの女ではなかったらしい。だぶん、俺の心の内も少量の殺気で見抜いていたな。
事前に聞いていた情報では撫子と同じ年齢だったはずだが、彼女から漂ってくる雰囲気はそこら辺にいる女性とは一線を画くしている。
その上に立つ者の風格は、凛とした色香のようでもあり、どっかのポンコツよりも女性として意識するが、それも性別を超え、下に付く者に余計な嫌味を感じさせない一般人とは違った指導者の資質、つまり言うところのカリスマ性にも繋がっているため、反感をまるで感じなかった。
なにより年齢に見合わない大人びた印象と人外じみた白金の美しさだけでも十分、人と一線を画しているだろうがな。
そして、俺の“一般人とは違った”紅い瞳は見逃さなかった。依頼人を中心に“何か”が、通常は不可視な何かが広がり始めていることを。
「どうですかぁ? 今回の仕事は」
横からとても楽しげに運転しているハジが訪ねてくる。
「・・・仕事は、仕事だ。きっちりやるさ」
やられた。こいつの単純な仕事を普通の単純と勘違いしてた。とてつもなく嫌な予感がする。
俺は確かに非現実的な奴らと戦えるが、別に戦闘狂でも、それを追い求めるメルヘンな思考も持ち合わせているわけでもない。
なにより一か月前にあんな化物と戦わされたのだ。面倒なことは勘弁願いたかった。
「あら、そういえば・・」
窓の外の青空に今の鬱な気分を近況報告をしようと思っていると、車内の後ろから突然、思い出したかのように、ソプラノ気味の美声が邪魔してきた。
「自己紹介がまだでしたわね」
「いえ、事前に伺っています」
「私の流儀ですので」
生真面目な奴だな。
後部座席の美しき貴女は誇るように大きな胸に手を当て、俺たちをしっかりと見つめて高々と自らの名前を明かす。
自分に本当に自信のある奴の仕草だ。どっかのポンコツに見習わせたいな、まったく。
「私はローザ。ローザ・E・レーリスと申します。以後、よろしくお願いしますわ」
視点回帰?
吾輩はクレープである。あの甘いヤツである。個人名はない、ただ人々は総称でチョコレートバナナクレープなどと呼ぶ。
吾輩は確かに食べられる存在であり、一瞬の存在であるのは覚悟の上であの厚い鉄板の上からやってききている。ただ一言いいだろうか。
今、吾輩を食べようとしているのは女性でしかも人で言うところ美少女という奴であろうことは間違いない。同時期に彼女と同様な美少女のお供たちも吾輩の同朋であるクレープたち(後輩)を買ってくれたことには感謝であり、嬉しい限りだ。
だが、言いたい。
せめて、そんな般若みたいな恐ろしい怒りの表情で、ストレス解消のために頭からかじられたくな
カブッ
“削れゆく”意識の中で、思う。
せめて、おいしそうに食べてほし……かっ――――た。
残された後輩たちは嘆き、叫ぶ。
「「チョコレートバナナクレープせんぱーーーーーーーーーーーーーーい!!!!!!」」
視点回帰
そんな干渉不能な世界の悲劇があったなど露知らずにガブガブガブ。
現在地は空港の新第一ターミナルの中。世界に誇れる空港に相応しく、日本食のみならず各国の特色ある料理をも提供することが出来るレストランやお土産などを取り扱う商店が立ち並ぶ巨大施設だ。
そんな世界から来訪する者、また外へと旅立つ者たちが行き交う国の顔とも言うべき御所でひと際目立つ存在がいた。
たぶん日本に初めて来た外来人はこう勘違いするかもしれない“日本の美少女は、まるで怨敵を見据えるようにクレープにかじり付く”と。
「おいしいな、クレープは。 借金で買ったクレープはとてもおいしいですね!!」
一人、呪うような詩を口ずさむは私、九重 撫子です。それが何か!!
「……とてもうまい物を喰っている様な表情じゃないな」
「借金って……撫子ちゃん」
ここに鏡が無いので自分ではどんな表情かもわからないが相当怖いらしい。今は知ったことではありません!!
(進のバカ、バカバカ、カバ!! なんですか!何なんですか、アレは!!人を幸せ気分に浸しておいてからのあの地獄への突き飛ばしは!! それにデートっ! デートぅて何ですかぁ!)
頭の中枢神経はすでにあのいじわる魔王のことでヒートアップ。自分が完璧淑女なんて言われてたことも忘れて、怒り一色の染まりきり、ここにはいない怨敵へ苛烈な言葉を心の中でぶつける。
そんな中、少し離れるように私を挟んで空港内のベンチに座り、同じようなクレープを食べていた優子と智子がどうにかこの雰囲気を変えようと話かけてくれていた。本当に二人は良い人、あの魔王みたいな奴とは大違いだ!!!
「けど、あの人ってアレだよね。あのとき助けてくれたコートの人だよね?」
「そういえば、そうだった様な・・お礼言っといた方がいいのかな、撫子?」
「お礼!? 要りませんよ、あんなのに! 二人は丑の刻に神社の裏手で、あの男の写真を張り付けたわら人形に釘を打ちつければいいんです!!!」
「「いや、恩人を呪い殺したくないよ」」
「呪いぐらいじゃ死にません!核弾頭を直接叩き込むくらいじゃなければどうにもなりませんよ、アレは! とにかくいいんです! たまにはあの人も社会に貢献した方がいいんです! 当然のことです、よ!」
私は最後まで取っておいたチョコレートバナナクレープの丸々一本分のバナナを口で引き抜き、豪快にへし折るように噛み千切る!
すると何故か、周囲の男性が急に内股気味になった、が!どうでもいい!
「ふ~ん。でも、良いの? なでしこちゃん。 あの人、デートに行っちゃたよ?」
ピクッ。自然と何故か、私の体内時計が緊急停止。
「かなりの美人・・・いや、もう芸術の域だったね、あれ。彼氏も心変わりしちゃうんじゃ……」
緊急解凍!
緊急事態発生!緊急事態発生!
入力された言葉に脳が耐えきれません!!
「か、かかか」
「「???」」
「か、彼、かれ氏!! ち、違います!あれはただ、ただ、ただ! だだの家主といいまするか! ただの・・あの……あの!! そう!そうそうそう!!!ただのご主人さまと言いますか!! 私、ただの肉奴隷!」
“何故か”自然発生した熱に浮かされた頭が出力した回答。すごい適切だと感じた答えを言ったつもりだったので、キリッと! ガッツポーズする私。
握った手にクレープを持っていたことなど忘れており、手と真っ赤になった顔にクリームが散乱。ついでに通行人たちが今度は全員が内股になった。
「な、撫子!? 落ち着けぇぇ! どんどん恐ろしい例えになっていってる!」
「落ち着いてっ、落ち着いて! なでしこちゃん!」
「そ、そそ、それに。関係ないです! 進なんかデートでもして、あの美人さんとホテルでズンズンして童貞無くせばいいんです!! あひゃひゃひゃ、そういえば私も処・・」
「撫子ォォォ! 帰ってこい!! 悪かった! からかって悪かったから!!」
「なでしこちゃんっ!! それ以上はタグに18禁ってつけなくちゃいけなくなぅちゃう!!」
頭がメルトダウンした私は一人パニック状態。もう自分が何を言っているのか判らない状態。さぁ! 張り切っていこう!
「さぁ、二人とも立ち上がろうぞぉ!!今日は祝賀じゃ!! 食べて、食べて、ブクブク行くんじゃー!!」
「「もう誰かわからないよ!撫子!」」
バッと立ち上がると私の目の前の人々が道を開けた。もう私の我道を止める者はいない!!フハハハっ !いざ行かん! まずはスパゲッティです!!と高らかに宣言。ズンズン歩き出した
はずだったが、すぐに壁にぶつかった。
「にゃひんっ!!」
壁の硬さは尋常では無く、ぶつけた顔を抑えてうずくまった。
周囲の心の声が聞こえた気がした。
((この娘……ダメだ。なんとかできそうにない))
今の騒動を見ていて、止まっていた人々がそれぞれの人生に戻っていった。心の底から諦められた気がしたが……気のせいだろう。……アレ、涙が出てきた。
すると、皆が見捨てた私に手が差し出された。
手の主はぶつかった壁。いや、人だ。
「Are you all right?」
流暢な英語で“大丈夫?”としっかりした男性の声が降ってきた。同時に差し出された手を自然と握ってしまったのは、その声質と行動に一切の邪念が無かったからか? それとも
「て、thank you」
彼の笑顔がすごい魅力的だったからか。
助け起こしてくれた人物を一言で代弁するなら“王子様”だった。おとぎ話で出てくる邪を打ち砕き、世界を平和に導く、誰からも好かれる美男子。それが目の前にいた。
調った顔立ちに、サファイアを沸騰とさせる青玉の瞳と優しい赤と金が入り混じったストロベリーブロンドの綺麗に整えられた頭髪。
「you are wellcome」
温厚そうな笑顔もそうだが、彼から“どこかで感じたことのある”優しい人のオーラの様なものを感じた。
私が立ち上がると、手を優しく放してくれるあたりが紳士だった。普通の女性なら夢見心地になるだろうが、今の私は人にぶつかった挙句、助けられた醜態と急速に冷めてゆく頭に去来する今までの暴走の数々でさらなる混乱に陥ろうとしていたりしたのでそんな暇はなかった。
「 ah……アノ」
そんな私を不審に思ったのか声をかけてくる王子様。これ以上の醜態はイケナイと出来るだけ冷静に居ようと自分に言い聞かせながら彼を見上げる。王子様の身長は外国人にしては小さく180センチに届くか届かないかぐらいだった。
彼の手には小さなメモが一枚。何かを思案するよう一拍の間の後、聞いてきた。
「キミ……ah……セックス……までボクとイってくれまセンカ?」
「――――へっ?」
一秒と二秒の間が永遠に感じるほどの静寂が空港内に形成された。まるで時間すら凍る永久凍土が地上に顕現したかのような空白の時間が出来た。
「え? いや、あの? もう一度、プリーズ?」
「ya……ボクとシ……」
「このぉぉ、ド変態っ!!」
そんな時間停止を打ち破ったのは我が友、智子。
智子の拳が、変態? 王子様の鳩尾にアッパーカット気味に突きささった。
「ヌグボォォッ!!?」
くらった相手は息が止められたような苦しみに悶絶すると言われるが、ホントだったらしい。王子様は不意の一撃に苦しむように地に伏した。しかし、鋭い攻撃だった。格闘技もやってたってホントだったんだね智子ちゃん。
すると空から一枚の紙切れがヒラヒラリ。これは確か今は智子のさらなる追撃を受けている王子様に持っていたメモ。内容を見してもらうと空港の見取り図が汚い絵と英文字で書き殴られていた。まぁ、頑張れば読める。何処かへの行き先のようだ。
「なでしこちゃん、大丈夫だった?」
後ろから、優子が心配そうに声をかけてくる。
「うん……私は。ねぇ、優子ちゃん」
「どったの?」
「早く智子ちゃんを止めよう」
「? ぅん?」
メモは汚すぎたが図には“6”と書いてあった。スペルは“SIX”だが、誤字なのか汚いだけか定かでないが、スペルの“I”が“E”になっていた。
たぶん彼の言わんとしていた本当の訳はこうだ。
“僕を6番ゲートに一緒に連れて行ってくれませんか?” だ。
「どーゾ」
「「「・・・ありがとうございます」」」
事態の内容を説明し、智子は青ざめる様に強攻を止め、ボロボロになった王子様に三人一斉に謝った。彼は本当にすまなそうに苦笑すると、“自分にも非があった”となぜかジュースまでおごってくれた。
現在位置は人の出入りが少ない飛行機の歴史などが展示されているフロアに続く、人気が失せた六番ゲート付近のベンチに腰掛け、四人一緒に缶ジュースを飲んでいた。
「自己ショウカがまだでしたネ」
片言でぎこちない日本語を話すのは、世界に誇れるかもしれない激甘コーヒーを飲みながら話す王子様だった。
唐突に話し始めたのではなく、ここに至るまでも彼から積極的に話しかけてくれていた。私の目から見ても本当に彼は話し上手で聞き上手だった。現に初対面の優子や智子、もちろん私も彼への警戒を解いている。その話術の上手さに、なぜか私は彼に宗教で言うところの宣教師のイメージを重ねた。
「ボクの名前はアルバイン。アルバイン・セイク」
「アルバイン……さん」
「敬称なんていらなイヨ。皆から“アル”と呼ばれてル。君たちもそう呼んでくれたら嬉しいヨ」
しっとりとした頬笑み。気障ったらしい感情がない笑みに私も含めて、三人で彼に見惚れた。
「アル……さんは」
「なんだイ?」
彼は何も言わなかったが、それでも私は敬称を付けた。そうするだけの雰囲気と言いしがたい存在感を彼は纏っていた。普通の人とは違う何かが彼にはあったからだ。
「日本には何をしに来たんですか?」
「あぁ、friend……いや、知人に“さがしもの”を頼まれタんダ」
「さがしもの?」
「ヤー。でも困ってルンダ。どうも地図にある行き先の名前が地図に書いてなくテネ」
「名前が、無い?」
なぜか、すごい嫌な予感がした。
視点変更2
そこは胸くそ悪いほど血臭に満ちていた。
「……遅かったようですわ」
ここは東京のとある路地裏。いつもは喧騒と離れた静寂に満ちていたであろうその場所は現在、人であふれかえっていた。三分割するなら二割が野次馬、もう一割が……
「憲兵が来ていては、私たちが入るのは難しそうですわね」
憲兵……古い言い方だ。依頼人――――ローザはそんな喧騒を車の中から覗いて嘆息つきながらぼやいた。 「しかし、犯人もやりますなぁ? 東京にしては人気が少ない地区とはいえ、夕方に人ひとりを“惨殺”するなんてぇ」
ハジの言う惨殺……なぜか車に備え付けられていた警察の無線をひろえる便利な機能のおかげで、事件のあらましは把握していた。
事件の第一発見者は通りがかりの通行人。通行人が犯行現場の路地から悲鳴を聞き付け、覗き込むとそこにはもう血だまりに沈んだ被害者男性が死亡していた。被害者には執拗に何度も鋭利な道具で切り刻まれた形跡があり、警察は被害者男性へ恨みをもつ者へと目星をつけている……そんなところだった。
血臭が離れた車内まで届くあたり相当なイカレタ犯行だったのか判るが、俺たちとそんな事件は興味はない。
因果関係があるとするなら、ローザの示した地点が“犯行現場”となった場所だったことだけだ。
「“魔力”の形跡もない? だとしたら一体誰が?」
「独り言のところ悪いが、ココを離れるぞ」
先ほどから、警官の一人がチラチラこちらを見てきている。面倒事はゴメンだ。それにこの車には住所不定者が二人ほどいるしな。
えぇ、と心ここに有らずのローザからの返事を受けて、車を緩やかに発進させる。
「次の目的地は?」
「待ってくださいな……あぁ、もう!! 最悪っ――――ジャミングされ始めた!! 私よりも“濃い”魔力ですって!? 一体どこの“術者”が!!」
「落ち着いてくれないか、クライアント? あんたが冷静さを失うことにメリットなんてない」
魔力、ジャミング、術者……まぁ段々とこいつの正体が読めてきた。
仕事柄、こんな奴らとは幾度か敵対や共闘したことがあった。
この世界には、科学的な論理に元づく力とは別の“力”を行使する者たちがいる。そいつらは昔から力を英知と称して、使役していた。だが、それは才能ある者の力だ。誰もが好き勝手使えるものではなかった。そして、誰もが使える“科学力”の広がりに比例して、彼らは姿を消していった。
それが、一般常識だ。
だが、英知と言うものは消えることはない。
ただ見えなくなっただけだ。
「わかっていますわ。次は……さらに北かしら」
「北だ」
「あぁい、あいさぁ~」
車はそんなあいまいな回答に沿って動き出す。
まあ、いいさ。それよりも――――
「クライアント」
「何ですの? 私、これでも忙し」
「どっちに向かう」
車の進行方向を掲示する案内標識が行き先が二手に分かれることを教えてくる。
左に向かえば都心方面へ。
右に向かえば・・・。いや、訂正しよう。標識には左への表示しか出ていない。右への行き先は削り取られ、読むことができない。それもそのはず、その方面はもはや“日本ではない”のだ。
「決まってますわ。犯罪者の行く先は、温かい地。自分と似た性質の者たちが集う地。同質の者たちへと吸い寄せられるはずですもの」
右へと向えばそこは無法者の住み家。名前すら失った無法地区がある。
だが、その地には現在、皮肉めいた名前が付けられていた。
かつて神により燃やされた地、多くの人々が心乱れた所とされた場所、神に見捨てられた者たちの巣窟。
人は言う、そこには死体が石ころのように転がっていると。
人は聞く、そこは一日中、銃声が鳴り響いていると。
人は語る、あそこは常識が呆れかえり、どこかに去ってしまった場所だと。
いつしか、人は――――
視点混合
「隔離区“ソドム”へ向かってくださいな」
「隔離区“ソドム”という場所らしイ」
二人の金色の来訪者は知らずに同時刻に同じ地名を口にする。
(やっぱりか)
(やっぱりですか)
契約した完璧だった女と魔王がいたらこんな男は同時刻に同じ溜息をついた。
次話へ
冒頭の怖い話?を書いていて、思いました。怖い話を苦手な人が怖い話を書こうとすると失敗する。
仕事がきつい・・・ああ、大学時代から作るの始めてれば・・
24年 7月31日 誤字、脱字を修正。