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con-tract  作者: 桐識 陽
5:果たされない約束の亡者
36/36

6、桜亡き地で (下)

 



 ――――視点 去来1



 

 「どこに行くんだ、二人とも?」

 戸惑うように、情けないほどか細く弱弱しい声で俺は彼らを引き止めようとした。

 春を迎えたとは言い難い3月のはじめ。のはずだが、道に陽炎がかかるほど蒸し暑かったあの日。

 建物が一つもないまっさらな地面が続く平らな平野。

 3日前まで此処が日本の首都だった。未だ誰もこの異常事態を受け入れきれていない。むろん俺も。

 だが事実、これは現実だと者が物語るように国から派遣された自衛隊の不眠不休の苦労のかいもあり住民はほぼ爆心地から非難させられ、辺りは静まり返っていた。

 空は澄み渡り、夏晴れの様。遠くで聞こえる重機の音は突貫工事で作られているらしい壁の建設音だろう。表向きは外国から飛来した新型兵器の汚染対策らしいが……政府はもっと別の理由で建設を急いでいる気がする。

 そんな不気味なほど見晴らしいの良い道なき道を並ぶように歩いていた二人はピタリと止まって振り返った。

 「なぁぁんつぅ女々しい声出しとんだ、永仕」

 「堕落……」

 「貴方様、女々しいという言葉は男女平等の現代においては不適正な物言いかと」

 ケケケッ、まぁ確かにと笑う男。いつも通りだ。本当に。いつも通りの左端 堕落であった。

 どこかに出かけるなど、いつものことだ。この男がちょっとそこまで散歩といえば一か月は帰ってこないような男だ。

 今日もそんな感じなんだろ? そう思えるほどの普段どおりな堕落なのだ。そのはず。そのはず……なのに―――

 (なのに、なんだ? この嫌な胸騒ぎは?)

 心のどこかで長い別れを予感していた。

 正直言って、今俺は弱っていた。

 東京都の半分が数秒で破壊されたことにも、そして……

 「さっき連絡が入った避難区域外縁のほうでライトフィストの所持品だと思われる遺品が見つかった」

 彼らを呼び止めるように仲間の死を伝えた。音芽組の仲間たちのほぼ全員があの日は本家屋敷に集まっていた。と思っていたが二人だけ行方不明者がでているのだ。

 東条 五右衛門。

 ライトフィスト。

 左端 堕落の、両の右腕。その二人が姿を消したままだったが、今朝ライトフィストの所持品と思われる物品とその周囲に大量の血痕があったことが報告された。

 五右衛門は、遺体などは発見されていないが、彼の部屋に書置きが“右を決めてくる”と記された和紙が見つかっていた。

 あの日、彼らは外にいたのだ。たぶん、誰も望まぬ、右腕を一人にする決闘をするために。

 「葬式をあげる……余裕は正直無いが、ほかの組員たちや、彼らの知人にも知らせなきゃいけない……だから」

 「その必要はないぜ、永仕。アイツらはまた帰ってくるさ」

 「っ?」

 なぜそう言い切れる? さっぱりわからなかった。

 なんでそう笑みを浮かべて言い切れる?

 たしかに遺体は見つかってないが―――

 「永仕……わっちらはこれから行かなきゃならんところがある。こんな馬鹿げたことを止めるためになぁ。だから、あとは頼んだぜ」

 「堕落? お前さんは、何を」

 するつもりだ? そう問いかける前に強い日差しが目を焼いた。

 まるで雲に隠れた太陽が顔を出した瞬間のような現象が俺の言葉を遮った。

 (っ? なんだ? 雲一つないのに……?)

 「そうだなぁ。永仕、“二”つ約束してくれい。もし、アイツらがどんな形であれ相対した時は、手をださんでやってくれないかい?」

 それは俺が堕落と音芽の姿をみた最後の瞬間。

 俺はこのとき一方的な約束をさせられた。

 別に守る必要もない強制力の無いお願いごと。

 あの時、俺は何も言い返せなかったが――――

 『永君? そろそろ、到着するようだよ?』

 




 親友の声に、ゆっくりと瞼を開いていく。まず映るのは乗車中の車内天上。

 「……巌君……」

 「……悪い夢でもみていたのかい?」

 「いや、ただ少し昔の思い出を思い出してただけだよ」

 時間も時間だ。深夜に入り、あと数時間程度で太陽が上りそうな時間帯になっている。車中にて眠気を抑えきれずうたた寝していた俺を、親友がやさしく起こしてくれたようだ。

 「ほう。君の思い出とは、興味があるよ」

 「思い出といっても、つい最近さ。……堕落の奴に押し付けられた約束があってね」

 「それは初耳だ。一体、どんな無理難題を?」

 俺は古き良きコメディアンよろしく肩をヘッと上げ、ため息ついて、二つの約束の内“一つ”を語る。

 「もし両の右腕が、あの二人が生死をかけて戦うようなことがあれば、手を出さないでくれ、だとさ」

 「っ!! それは……」

 それを聞いた瞬間、巌は目をぎょっとして。

 「っ!!? ぶっっハハハハッ!!!? なんだいそりゃぁっ!!! 酷過ぎるよ、ボス!!」

 聞き耳を立てていたのだろう。つねに紳士的な態度を崩さないパトリックが助手席で爆笑した。

 「パド、笑い過ぎだ。だが、まぁ」

 彼の気持ちがわかるのだろう。巌も呆れた顔になる。

 「皆様は仲間想いでいらっしゃるのですね」

 車を運転してくれているパドの部下が朗らかな感じの笑顔をしながらバックミラー越しに主人とその友人を称えてくれた。のだが。

 「いやいや違うぞ、ディンゴ。そんな、二人の身を案じて、間に入って仲裁なんてジャパニーズお涙ちょうだい話なんかじゃないのさ」

 たしかに彼ら、両の右腕を知らない人間が聞けばそう捉えるだろう。

 だが、違うのだ。堕落は何を思ったのかはしらない。ただ堕落よ……約束はできるからこそするものだろう?

 俺はお月様を車窓から見上げてつぶやく。

 狼の牙をもつものとしては甚だ不服であることではあるのだが彼らに俺は

「歯が立たないんだから」

 



   

    6、桜亡き地で (下)





 幽霊と暗技の定義が曖昧になっていく。

 矢継ぎ早の如く繰り出される拳と、疾風迅雷の切り返しで軌跡を描く刃。

 怒涛の拳撃(ラッシュ)剣撃(スラッシュ)

 互いに半身に構えて生み出す絶技の応酬に、この場の誰もが魅入られたように釘づけにされていた。

 「――――ッ」

 「――――っ」

 短く浅く、だけども強い息継ぎが口から洩れ、己の武器を振るい合う。

 途切れることの無い超高速戦闘。

 両の右腕、そう呼ばれた彼ら、東条 五右衛門とライトフィストは感情の起伏がほとんどない能面みたいな顔で睨み合い、己の武器を振るい、殺し合っていた。

 眼前の敵を見据え。

 眼前の敵の思考を捉え。

 眼前の敵の命を捕えるために、途切れない殺人のシナリオを刹那の速度で組み立て。

 眼前の敵がその組み立てを読み、逆に自分に有利な形に変えていく。

 そういった戦闘が起きている―――

 ―――それが、“起きているはず”だが

 (早すぎて、複雑すぎて、全部が見えない、見てられないっ!!!)

 どれだけ、吸血鬼に体を意図的に鍛えられ、幾度となく進たちの戦闘を観戦してきたとはいえ、所詮私は一般人だ。限界は常人のちょっと上くらいである。

 現に、一般人の優子と智子は目で追いきれず、錯覚を起こすほどの殺意ある打ち合いを見すぎたことから疲れ目と吐き気に襲われたように、膝から崩れ落ちてしまいそうだった。

 「大丈夫ですか、二人とも」

 「撫子……」

 「ね、ねぇ、あの二人っていったい何なの? 幽霊なんじゃないの?」

 彼女たちの疑問に私は答えることができない。

 それもそのはず私も同じなんだから。

 幽霊同士の戦い、を想像することも稀だが、あれはその一線を越えている。

 眼前でおこなわれる二人の暗殺者による死の絢爛舞踏。

 互いに、相手の動きを制限するように戦っているようで、立ち位置にほぼ変化がない。

 代わりに構え方や首、足運び、体幹の微細な動きなどを残像を引くほどめ目まぐるしく動かしている、ように見える。

 その中でも特に動作に関係ないものが含まれているのは相手の動きを誘導するための撒き餌なんだろう、と思う。

 それも高度すぎて、たまに立ち位置が変わらないはずなのに消えてしまったように錯覚を起こしてくるほどだ。

 だが、相手は魚ではない。同じレベルの知性体、人間だ。

 その誘導を逆手にとり、さらなる剣舞を。そしてさらに、逆手に取られてたとみせかけ、相手をさらに深い罠におとして拳が突き抜ける。またさらに、またまたさらに深みを増し、徐々に逃げ道を無くしていく……まるで詰将棋だ。己の体と技でおこなう王手へのさし合い。

 将棋には終わりがある。一手一手の積み重ねが増えていくほど決着の形は見えてくるものなのだ。

 だというのに、これの終わりがまるで見えない。一手一手、刺し合うごとに、終わりが先に伸びているようにさえ感じるのは、彼らの技量によるもの。

 さらに驚くべきことに、彼らの武器同士はただの一度も接触していない。それは相手の攻撃をすべて見切り、体裁きのみで躱している意味であり、己の獲物はただ相手を殺すためだけに振るわれているということに他ならない。

 暗殺者同士の、そう暗殺者のはずなのに、その戦いぶりは正々堂々からの勝利をもぎ取る騎士の巧みな戦闘技術や、圧倒的な力で相手をねじ伏せる魔王の戦闘スタイルと比肩……か、それ以上の総合的な奥深い強さがそこにはあった。

 標的の死角から襲い掛かり、命を奪う。そんな先入観を暗殺者に持ちすぎていたのかもしれない。

 狙った相手の命を、暗に殺す者。

 それは失敗を許されない一撃必殺、という意味ではなく。暗闇の中に引きずりこむような虚実を用い、相手を封殺する武闘者。

 前線で戦う戦士たちのみならず、人という種の動きを探究・熟知した殺人特化の凶戦士。そう、思ってしまうのは私の考えすぎか?

 答えを求めて、隣に立つ進を横目で盗み見る。

 (っ! 進のこんな顔はじめて……)

 彼の表情は苦渋に歪んでいた。それはまるで脅迫を受けているかのような、自分の命を脅かす存在を確認した命あるものすべてに共通する危機感をもった時の顔。

 額から汗を流し、紅い目で彼らの動きを追っていた彼に私は声をかけられない。今話しかけたら、危ない気が―――

 「ッ撫子ッ!!」

 「ぇへ?」

 そんな進が急に私へ振り向くと急に肩をつかまれ、引っ張られる。

 「何――――を!?」

 いきなりの事に驚いたが、一秒前にいた場所をゾンビが駆け抜けたことにさらに声が上ずってしまった。

 それを皮切りに、ゾンビたちがいてもたってもいられなくなったように“二人”に向かって突撃し始める。一体なにが……

 「引き寄せられてる……?」

 ゾンビといわれて想像する緩慢な動き、ではなくお預けを受けていた犬猫の類に近い獰猛さでライトフィストと五右衛門に飛びかかっていく。

 まるで、灯りに群がる虫の大群のように四方八方を埋め尽くさんとたかっていくが動く屍たち。

 それに対して、“彼らは”意を介そうとはしなかった。

 「シッ!!」

 鋭い呼気をしたと思えば、初めに突っ込んでいったゾンビの頭部が弾け跳び、五右衛門へと向かっていった。

 『―――』

 五右衛門はその頭部を淡々と兜割り、続けざまに真っ二つに裂けたソレを鞘で打ち付け、両側面から挟み込むように飛びかかってきたゾンビ二体にぶつけ、仰け反る二体の胸ぐらをつかむと、回旋運動を込めてライトフィストへお返しとばかりに投げつけた。

 投げつけられた二体、それに向けて一歩踏み込んだライトフィストは左の一体を不可視の左ショートフックを着弾させ弾き飛ばし、右の方を右手で掴みむとゾンビの喉元を握力のみで握りつぶし、そのまま盾にすうように前に掲げて左腕を構えて、拳を放つ。

 放たれたのは左腕をつかってのジャブ。掴み上げるゾンビの体を沿うように、蛇行の軌道を描くように肘先が消えてみえるような高速ラッシュをゾンビの向こう側にいるはずの五右衛門めがけて連射する。

 客観的に見ている私の視界からなら見えるが、ライトフィストには五右衛門の位置は特定できないはずだった。しかし、彼が放った拳は五右衛門の顔面へと正確に放たれている。彼が避けようと、避けた先へと飛んでいく。

 ライトフィストの拳は盾にしているゾンビに触れてはいない。だが、彼のすさまじい拳圧に削られているのか、徐々に細くなっていき、ついには体幹部分が脊椎のみになると鞭のように扱われ放棄され、数匹のゾンビを巻き込み、五右衛門の足場へと倒れこむ。

 その|リンゴの残りカスみたいなゾンビを五右衛門は別方向に蹴り飛ばす。それに巻き込まれ倒れそうになったゾンビの体制を膝を使ってさらに崩すと、側転するように体を上下逆さまにし、両足でゾンビの体を挟み込み、体幹の捻りと前方への遠心運動のみで、ゾンビの体を横に走るロケットのように打ち返す。

 一連の動作を見るだけで目の疲労感が半端ではない状況の移り変わり。

 (スゴイ……あんな悪条件の状態をまったく気にしてない。むしろ、状況を利用して戦いに組み込むなんて)

 周囲の状況を最大限利用する兵法。しかもイレギュラー中のイレギュラーであるゾンビの群れ。多対乱戦の状況下でも彼らの呼吸は乱れず、目は敵である右腕から離さない。互いの攻撃にだけ集中しているのがわかる。 

 両者拮抗。 

 実力差は、素人目からみてもほぼ無い。両の右腕――――これは二人の実力も同じ、という意味も込められていたのでは?

 しかし、不憫なのはゾンビたちである。完全に手玉に取られ、ほぼ道具扱い。しかも、二人の攻撃を受け殺されたゾンビは塵になって絶命する。“始めから死んでしまっているゾンビたちは、致命傷を受けても“死の上書き”がきかず、殺せない”という法則が働いていたようだが、両の右腕たちによる攻撃はそれを無視するらしい。それは彼ら二人の一撃が単純な死という結果以上の意味が込められている証明でもあるのではないだろうか? これは進にも詳しいことを聞かないとわから―――ない……んですけど

 「あ、あの進っ」

 「ん!? なんだ、今は目が離せねぇんだけど」

 「そ、そのっ、でも、あのぉ」

 「なんだ、はっきりし――ッ!」

 私の煮え切らない声に、ずっとライトフィストたちの戦いを見ていた顔をこちらに戻した進はギョッとした。

 彼の息が当たる。

 なにせ、私はあれからずっと進に抱き寄せられ、彼の胸に体を預けたままなのだから。

 二人の戦いぶりに目を奪われてしまって今まで気が付かなかったことに、私は体温が上がったのを自覚する。

 距離感のせいか、進の顔をまじまじと見つめてしまう。アルバインほどの貴公子顔ではないが整った顔立ちに、男性にしては少し長い睫毛や、薄めな唇まで。

 そして、なぜだろう? 少し、不思議な吸引力でも働いているのか距離を、もっと、近く――に

 「……悪いな」

 「っ、ぁい、いえ……」

 進は落ち着いた様子で私をそっと離す。なんともない、そう雰囲気で語る進。一、二年の差だが年上な彼のその余裕を少しばかり羨む。

 私はまだ胸の動悸を納められそうにないから。

 キン――――

 その瞬間、とかすかな金属の擦過音。やけに異質に響いて聞こえたソレに振り返れば

 『ライトフィスト―――』

 納刀された音、だったソレの発生地帯で体を沈めこませて、抜刀の体勢をとる幽鬼をまとった鬼がそこにいた。

 それは瞬き程度の間しかされなかった予備動作であったが、溜められた力と気合は世界を身震いさせるほどの圧迫感に満ちていた。

 発火―――撃鉄に叩かれた弾丸のように、左脇に刀を構えた五右衛門は、地を這うように、俊足でゾンビを死角にしてライトフィストの間合いに飛び込んだ。

 ゾンビたちを壁に、挟むように立つ彼らの間合い。五右衛門が刀の刃を喰いこませるには距離が足りなく、ゾンビたちの肉が邪魔を――

 『ジィァアッッ!!』

 気合の発露とともに、抜刀。

 まるで刀が伸びたかのような錯覚に襲われ、ゾンビの壁が斜め一閃に“消し飛び”、ライトフィストまで届く。

 「ッ!?」

 驚愕するライトフィスト。

 彼の胸元が、薄く、切り裂かれた。霊体であるためか血は吹き出ることはなかったが、別の血ではない液状の煌めく光子が滲みでている。

 もし、彼が直前で気が付きゾンビたちの体を蹴った反動で後ろへ下がっていなければ、胸を薄く裂かれた程度では済まなかっただろう。

 驚くべき、力。刀は本来、あのような力技には向いていない形態をしているが、持ち主と同じ霊体だからなのか、刀は刃毀れ一つない。

 ライトフィストが驚くのも無理は……いや、

 「…………程度か」

 違う。

 私は思い違いをしているのかもしれない。

 たしかにライトフィストの驚愕は、五右衛門の一撃に対する評価だ。間違いない。だが遅れて彼の顔に浮き上がってきたものは……怒り。

 「その程度に成り下がったか、五右衛門ッッ!! 敵に距離を作る間を与える愚行などッッ!!!」

 本物の怒気を込めた叱咤とともに、ライトフィストは構えを作る。

 空手の正拳突き、のような堂々とした真っ直ぐな構え方のようだが、余りに距離がありすぎる。彼の腕を5倍に伸ばせなければ

 「“音芽式”身振り方、振動系魔術――――」

 右肘を後ろへ引き、拳を“なにか握りしめるように”硬くし、眼前の敵へ、刀を構え直している五右衛門めがけて

 「出力系一点圧縮気功“手砲(てっぽう)”ッッ」

 固めた拳を“開きながら”、空を穿つ。

 放たれたのは、無色透明の“爆発”。それは彼の手から先にある周囲を巻き込み、ゾンビと五右衛門を飲み込み、弾き飛ばした。

 「きゃぁっ!!」

 風圧の余波が距離をとっていたはずの私に届き、体を押されて倒れかかってしまう。

 攻撃の跡地は地が抉れ、粉じんと肉片が交じり合って巻き上がり、立つ影はない。なんて出力だ。これも魔術なのだろうか―――? 私は技を出した人物を凝視する。

 彼は怒っていた。戦いの最中では感情一つみせなかったライトフィストが初めてみせた生々しい想い。

 「……幽霊の身になって、記憶を取り戻して縮地や、コレがだせると直観的に理解した時は真っ先に思ったよ……お前もまた使えるようになっているんだろうな、と。さらに腕をあげているのだろうなんておもっちゃったよ」

 拳を強く握りしめ、怒りの矛先となった目を強く相手へ向ける。失望と一緒に。

 その先にいたのは、膝を屈し、鞘を地に立て、うずくまる幽霊。心なしか青白い陽炎が薄まってきている印象があるほど弱りきった姿にライトフィストは怒りを濃くし

 「ガッカリだ! なんだあの腑抜けた斬撃(こうげき)はっ! 全盛期の半分も、いや、組長と出会う前よりも鈍いじゃないか! そんな弱体化して右腕を決めようなどとよくもぬかせたもんだな、えぇ、五右衛門っっ!!?」

 (あれで、腑抜けた? 鈍い? 弱体化? そんなこと、あるの?)

 となりで歯ぎしりが聞こえた。進が歯を食いしばった音なんだろう。だけど、私にはそれを確かめる勇気はない。たぶん、きっと怖い顔してるから。

 「そして、“ソレ”だ。いつまで、そんなものを背負いながら戦うつもりだ。一人でしか戦えぬ暗殺剣が、死者(ひと)の思いなどをしょい込めるものかよっ! さっさと脱ぎ捨てて―――かかってこいよ!!」

 『ォォォオオオオオオオオッッ!!!!!』

 (ソレ?)

 五右衛門は幽鬼をさらに燃え上がらせ、ノーモーションでライトフィストへ切りかかり、一瞬姿を縮地で消した後、彼の背後から首筋へと刃を叩きこんだ。

 それを見越したように、膝と腰を落として避けたライトフィストが体を捻り、烈震が響きそうなアッパーを突き上げ、再び絶技の応酬へと戻っていく。

 彼がいうソレとはなにか。

 たぶん、それが変わり果てた五右衛門と変わらずのライトフィストとの違いを生み出しているに違いないのだろう。

 私はソレを見極めるために、両の目をフル稼働させた。





 ――視点 変更1 ――





 両の眼を止めることができない。

 (なんて……なんて……なんて)

 ……美しいのだろう。

 苛烈な連撃の中であっても、駆け引きが途切れない思考の行き届いた一太刀

 高度な駆け引きの中にある技の掛け合いにみられがちな、力が伝達が損なわれるといったことも一切ない。

 東条 五右衛門、ライトフィスト。その二人の戦いに僕は、騎士であるアルバイン・セイクは魅入る。

 本来、騎士と暗殺者は相いれないものだ。

 正道を突き詰め勝利する騎士の戦い方と、卑怯卑劣も戦術の内と邪道を選ぶ暗殺者の戦い方は、やはり分かり合うことはできない

 ―――できないはずだった。

 認めてはいけない。だって、僕は騎士なのだから。認めてはいけないのだ。

 だというのにどうして……

 (どうしてこんなにも、相手の死を求める暗殺剣(あれ)がこんなにも、僕の心を震わせルッ!!?)

 まるで求めていたものを見つけたような、この感覚は何だ?

 撫子たちには捉えきれないかもしれないが、あの戦いには相手を貶める小細工が各所に使われているのだ。

 砂利や、唾、または頭髪などを相手の眼球へと放ったり、地面をえぐり小さな凹凸を作ることで足元を崩そうとしたり(あの幽霊たちが地面を踏んでいるかは定かではないが)と、力と技巧の真っ向勝負をもとめる騎士としては眉をひそめる思いの兵法の数々を高度な技術で、隠ぺいするように使用されている。

 しかし、それさえも僕は心のどこかで上手いと感じてしまっている。

 「オイ」

 (ボクは、一体なにヲっ) 

 「聞いてんのか?」

 (クソッ!! これじゃあ、ホーキンスの言う通りじゃないカっ!!)

 「…………」

 (違ウ…違う違う違ウ!! 僕はただ――)

 チャキ、

 金属製の歯車がかみ合うような、小さな音が真横からかすかに聞こえた。

 なんだ? と思い顔をそちらに上げれば




 

 僕の右腕は当然のように進の首筋へ、握る剣をピタリと突きつけていた。





 「ッッッッッ!!!?」

 「……とっとと、物騒なもんを俺から離せよクソ騎士」

 獰猛な肉食野生動物のような進の迫力ある笑顔があった。

 体に電流が走ったような感覚に襲われたのは、自身の行動を認識してから。慌てて彼から体と武器を同時に離した時、自分の横っ腹に進のデザートイーグルが突き付けられていたことに気が付き、さらに血の気が引く。もし、自分がもう少し進んでいたら、僕の胴体が吹き飛んでいたに違いない。コイツは絶対に引き金を引くことを躊躇わなかったはずだ。

 とたんに汗が噴き出て、自分が何をしたのか理解して、さらに――

 「“起きた”か? ……なら働け。逃げるぞ」

 逃げる?

 そう命じられ、辺りを見回せば、ゾンビたちがあの二人に吸い込まれるように突撃していき、包囲網が解けはじめていることに“やっと”気が付く。

 情けなさに、みせる顔がないと下を向くことしかできない。

 「シン……スマナイ……」

 「……謝る暇があるなら動け。あの役立たず(ローザ)は智子たちに任せて、オマエは護衛に回れ。まだゾンビは俺たちも標的にする可能性がある俺は…………フン、まだ生きてたか」

 未だ圧倒的な数が広がるゾンビたちのうごめく霊園の中でなにかを見つけた進は鼻をならした。

 「俺は、ちょっとばかし離れる。なに、すぐ終わって合流するさ」

 「シン? なにを?」

 「別に離れるのは始めから決めてたさ。なにせ、自分の武器をまだ地面にころがしてきたままだからな。さぁ、行くぞ。さすがにお荷物が多すぎる」

 僕は声に背中を押されるように、彼に背をむけ静かにローザたちに歩いていく。

 「どこに行くんですか、進?」 

 その背後から撫子の声が聞こえる。その場を離れようとする進に当然の問だろう。

 「なに、アフターサービスさ。大切だろ? そういうの」

 その邪悪に満たされた言葉が気になり振り返るが、進の姿はすでに消えていた。

 




   ――視点 変更2 ――





 「ひぃ、はぁ、はははは、なんだこりゃ。なんだってんだぅ」

 両の掌で、口から自然と零れ落ちてしまう愚痴を出来る限り聞こえないように必死に閉じながら、地面に

すがりつく様にに隠れ逃げていた。

 (ふざけやがって……なんだって俺がこんな目に。俺は織部だぞ、織部 豪さんなんですよ! 俺はただあのクソ生意気な小僧を殺そうとしていただけなのに……なのになんで、幽霊とか、ゾンビとかでできちゃうのぉっ!! 部下はみんな死んじゃうし! なんでこうなる! 全部、全部、そうだ、全部アイツのせいなんだ!!)

 逃げきってやる―――

 そして、復讐だ―――

 本部に戻れば、兵はいる。理由なんていくらでもでっち上げてやる。俺はいつでもそうしてきた。そうやって出来てきたんだから!

 地に体を擦り付けながら、後方を静かに睨む。あれだけ俺たちに噛みつこうとしていたゾンビ共はいきなり襲ってこなくなった。今がチャンスだ。もう少し……あの藪を超えれば、墓場の外だ。

 (やった! ゴールだ! 俺はやっぱりツイテル! 覚えてろよ、進・カーネル、ゾンビ共……俺はかならず戻ってくる。そして、お前ら全員をぶっ殺してやるんだ!)

 精神は擦り切れ、限界にきていた。だが、俺の名前に泥を塗った奴らへの復讐の光景が頭に描かれるだけで活力はみなぎる。さぁ、こんな地獄から抜け出そう。

 俺は前を見据え、スタートをきるように立ち上がり、一歩を踏み

 ズゥンッッッ!!!

 (? なに今の? 後ろに何かが落っこちてきたような……)

 俺は何が起きたか理解が追いつかなず、立とうとした軸足の方が軽くなったことに疑問をもちながら振り返れば―――





 ――飾り気の少ない、鍔も柄も何から何まで黒い、大きな、大きな、“剣”がそこに突き立っていた。

 

 

 

 

 そして、地面にがっしりと突き刺さった大剣が、俺のふくらはぎをザックリと横半分に割っている。

 それを理解した瞬間

 「……ぅうっ、ギィイイヤヤアアアアアアアアアアアアッッぁああ、あぁうっ!!??」

 痛覚が一気に湧きあがり、切断面から血液がシャワーのように噴き出した。

 「どうだい、依頼人? 俺なりに、色々やってくれたアンタへのアフターサービスだ、気に入ってくれると嬉しいなぁ、クッカッカッカ」

 「し、ん……カァぁあ、ネルッッ!!」

 剣と同じように、空から飛来し器用にも黒い大剣の柄と唾に着地したのは、紅い目の男。

 進・カーネル。俺が犯した罪のすべてをかぶせてやろうとしていたクソガキ。

 雲がかかる月を背に、こちらをニヤケた面で見下すその目には確かな殺意が込められている。

 ダメだ。そんなっ、馬鹿な、殺されるっ、畜生畜生畜生っ!

 「もうすこし……もう少しなのにぃニイイッ!!」

 「もう少し? あぁ、まぁこの墓場からは逃げれたな……だけどよ、織部さん。アンタに帰るところなんて残っちゃいないぜ?」

 なにっ、言ってん

 「アンタは、いや咲那会はもう終わったんだよ。さっき言ったろ?」

 さっき?

 痛みと苦痛に声が出ない中、血の気が引き始めた頭がこいつの言っていた戯言を思い出せた。

 『違う。……オマエは勘違いしている。命乞いなんて、もう遅い。織部さん、アンタ……いや、アンタたちは“終わった”んだよ』

 『……アンタはこのソドムを知らなすぎる。オジキ殿は知っていたのさ。どうしてこの隔離区がこの十数年隔離区でありながら秩序じみた法則ができて、危険な薬も、大衆を巻き込む内戦も無かったその理由を……暗黙のルールの奥にいる奴らの存在を、知っていた。もしくは触れていたんだろうよ』

 そんなの、ただその場しのぎのデタラメ……

 「デタラメだとでも思ったか? ホントだよ。ホントの事なのさ。有名な広域暴力団だとか、国家規模の集団だとか、悪行の限りを尽くしてきた由緒ある血よりも濃い掟の者たち…………じゃあ、“無い”。表か裏かの世界の実権だとか、正義とか悪とか、でも無く、頭がイカレてるとか、ヤバいとか、そうじゃないとか、もうそんな次元じゃない」

 俺の血と悲鳴に反応するように、ゾンビ共がこちらへ向かってゆっくりと歩きだしているのが見えた。だが、剣の上にしゃがみ、俺にひっそりとでも重く伝えてくる男の話こそ恐怖であると感じていた。

 「ソドムに暮らしているからこそ、わかる。あそこの住人達なら誰だって感じてんだ。危険な場所のはずなのに、やけに悪質な淀みが少ないあの隔離区はなにかに守られて……いや、“囲まれてる”。守るように、観測されるように、ただ越えちゃいけない一線が“誰か達”によって作られてるってな」

 それが外国勢力がソドムに近づけない理由? 

 思い出すのは、自分が殺したオジキがいつも怯えるように口走っていた言葉。

 『ソドムには手を出すな。だすなら、俺がお前を殺して止める。わかれよ、豪? 俺が死にたくないだけじゃない』

 「俺はその一線に触れたことはない。いや、なにがその対象になるか明確にわかってるわけじゃないんだが、ただ一つわかっていることは、ソドム全体を汚染するような結果となるような行動、個人、団体、薬物などに対して奴らは“洗浄”を選択する。今まで、いくらかそんな事があったが、どれもこれもまるで無かったように消えるんだよ。風の噂もなければ、逆に不自然なくらいきれいさっぱり殲滅されるんだ」

 帰れば、どうにかなる。そのはずだった。

 別にこいつの言葉を鵜呑みにしなければいい。

 ……はずなのに

 「暗黙のルール。それがソドムの法みたいなもんさ。それに誰が付けたかしらんが、いつからか自然と名前が付いてた――――ソドムを守る、いや囲む、暴力の護法“四方結界(テトラゴン)”。どこの中二病が付けたんだろうな、オイ?」

 どこか遠くの方で何かが壊れる音がした。





  ――視点 変更3 ――





 「……こりゃぁ、酷いな」

 扉が開かれ、開口一番にその男はその現状を一言で表した。

 そりゃあそうだ。扉を開いた先には地獄が出来上がっていた。

 鼻に付く血液と内臓から飛び出た臓物と糞尿が混じり合った悪臭と、辺り一面に散らばる人間だったものの肉片とぬらぬらとテカる脂質が部屋に飾りつけられ、不気味な様相をていしている。

 衝撃を受け、壊れた電灯が辛うじてチカチカと明滅し、さらに雰囲気を落とす。

 赤黒と肌色と白に彩られた地獄絵図。それが此処だ。

 それは全て、私の手下で作り上げられたものだった。

 怒りも、恨みも、出てくるはずの感情が湧いてこない。自分が今まで作り上げてきたものが、一瞬で奪われたというのに。

 今の私には、ただ一つ。死にたくないという感情があるのみ。

 扉が開いた時、助けがきてくれたらと、どれだけ祈ったものか……

 だが、そこにいたのは初老の漢。会ったこともない赤の他人だった。

 「オオッ! 遅かったなぁッッッ、パド! それに、エイジのアニキまでいんのかウハハハッッッ……って、イワオは少し老けたか?」

 「永仕兄さん、久しぶり。巌は……少し老けたんじゃない?」

 お前たちに言われたくないわ、と返事をしたということは、この二人の側ということ。助けではなかった、もう絶望だけしかない。希望を捨てた目で、私はその不気味な死神たちの姿を捉えずらい明滅する視界の中で捉える

 太い筋肉質なシルエットの豪気そうな声の主は、葉巻を吸っているのだろう。濃厚な香りがここまで漂ってくる。目の錯覚だろうか? だがしかし、おかしいのだ。袖の無いジャケットを着ているその男に肘から右腕がなかった。

 なのに、笑いながら濃厚な香りを楽しむために“右手”で葉巻を持つ手を引いた。

 「……お前、その左足……」

 「ん? これか、イワオ? ダハハッ、図らずとも5年前ギルバートの奴に喧嘩売っちまってな。その時に撃たれて千切れた。マイッッッたぜ、ハッハッハッ!!」

 「銃聖……ギルバート・カーネル……」

 右腕に関して、周囲の彼らは言及しない。ということはあれは元からなのか?

 「君はツメが甘いんだよ。僕のようにしっかり計画的に生きなきゃダメってことさ」

 「ガハハハ、うるせぇやいッ!! 今にもポックリ逝きそうな姿してる奴に台詞かねっ?」

 「なに言ってる? 人間は80超えてから勝負さ? まぁ最近は祖国の雪風が辛くなる時もあるけどね」

 そう天真爛漫な声で言い切る“老人”は腰が前に折り、細い枯れ木のようなシルエットを支えるように杖をついていた。日本語にどこか外国語訛りがあるその、あの老人が羽織っている厚手の軍服はどこかでみたことがあるような……

 やつらは突然前触れもなく現れた。はじめは腕の無い男と杖をついた老人に誰も危険性など微塵も感じず、だたボケた老人がビルに迷い込んだだけだろうと、少しばかり教訓を教えてやってから追い払おうと思っていたんだ。

 それが間違いだった。

 見えない右腕が無造作に振られたと思えば、巨大な獣のツメで引き裂かれたように部下がまとめて引き千切られ。

 老人が杖を鳴らし、ゆっくりと歩むだけで突然周囲の人間が溶解した。

 悲鳴や、怒声はビル全体から響いたが、それも10秒もなかった。

 その数秒で、全6階立ての商社ビルに見立てて作った咲那会本部が、私が作り上げた咲那会という組織が破壊されたのだと理解した。

 「私の部下を手配したはずだが……なぜ君たちがいる? 二人が担当する場所は違うだろう?」

 そう質問するのはドアから入ってきた白いスーツの男。イタリア人だ、明かりが確かな廊下から入ってきたために確認ができた。

 怒ってはいないが、不機嫌さは感じられた。

 「まぁ、そう怒るなよ。お前らの部下の手間を省いてやっただけだろう?」

 「僕らの担当場所は、すでにクリアだ。掃除も済んでる。だから、まぁ……こんな下らないことにかりだされることになった現況に最後に挨拶を、と思ってね」

 そう言い切ると、私に向けて突き付けられるドデカい殺意。ナイフを突きつけられているようなチンケな感覚ではない。バズーカ、いや戦車砲を顔面に擦り付けられているような熱さが彼らから放たれている。

 死神だ。

 私の命だけではない。所持する、関係する、関心がある、などの関係する存在すべてを狩り殺す存在。

 どうして、こうなった。 

 「咲那会会長殿ですね? 貴方と貴方の部下たちは犯してはならない一線を越えた。なので我々は、強制的に貴方を、貴方方を抹消させていただく。……今回の件に関連性の低い関係者や財産に関してや、何もしらぬ関わりの薄いご家族親類縁者に対しては、最後の最後まで面倒をこちらでみる用意がありますのでご安心を」

 「お、お前らは……一体……」 

 「四方結界(テトラゴン)……ソドムを、かの地に審判の時が訪れるまで最悪の事態を防ぐ者たち……といってもわかりませんよね」

 て、てとら……なんだって? しらない、知らない、わからない。何を言ってるんだ、こいつは……

 「ソドム」

 伊達男は小さく、慈悲を与えるように一言、呟いた。

 「! っ、て、てめぇらっ! あそこのっ……ま、待て! わかった! 俺たちはあそこから手を引く!」

 物腰柔らかな優男に、どこか怯える心を緩和させた俺はやっと声が出せた。

 織部という若い幹部の進言だった。反対派の幹部の一人がいなくなり、誰もそれに反対はせず、ソドムという法の無い場所で、新たな事業の苗床を作ることは決定し、順調に進んでいるはずだった。一が月前の造反に対する疑心暗鬼による組織の崩壊を防ぐ、意識を逸らす好い目的だと思っていた。なのに……

 「元々、俺たちはあそこにそこまで執着がない! 詫びを入れるし。もし見せしめがほしいっていうんなら、この計画の責任者を……」

 「もう遅いのです。それに、この時をもって作戦行動は99パーセント進行し、結果の報告は受けてしまっている。残る1パーセントである貴方だけだ」

 「!!」

 優男の目には慈悲などなかった。腰が抜けたまま椅子に座り続ける俺を見下ろす瞳にあるのは無慈悲だけ。

 殺される? 俺が? まさか? そんな馬鹿な!! 

 「半生でここまでの組織を立ち上げた功績は称えるべきかもしれません。が、無作為に組織というものは大きくしてしまったのはいけなかった。それは巨大化ではなく、肥大化……部下の手綱をきちんと握るべきでしたね」

 「っ……、なにが、お前に私のなにがわか」

 「わかるよ、若僧。私もきみと同じ経営者だ」

 「ッッッ!!! 死にやがれ!!」

 それは最後の抵抗。あの化け物二人と比べたら、普通すぎる男に舐められたくないという浅はかな抵抗。

 机の下に隠していた護身用の拳銃。ただでは死なない。道連れにしてやる。俺だけが死ぬだなんて理不尽はゆるせなかった。

 撃鉄を上げ、標的である優男の額に向けて銃口を向け、引く。

 「……あなたの手腕は褒めるべきものだ。価値あるといってもいい……だから」

 ドォッッ!!

 (え?)

 「“その価値ある自分自身の手”で死を迎えるなら、本望だろう?」

 相手に向けていたはずの腕は自分のこめかみに狙いを定め、引き金はまるで他人に引かれるように簡単に自分の命を奪った。

 銃弾が脳に食い込む刹那の痛みを感じながら、俺は死n




 

 ――視点 変更4 ――





 「ゲヒッヒッヒ!! 相変わらずヒデぇなお前の“洗脳”は」

 「……洗脳まではしてないさ。ただ相手の認識を変えただけ。どっちにしても疲れるだよね、コレ」

 「精神操作能力。いつみても下種な能力だよね。これが無血統治の真相なんだから、笑っちゃうよ。僕の祖国はそんなことしなくても愛国精神で平和を体現できるよ」

 「ガハハッ、純血愛の間違いじゃねぇのか?」

 「黙りなよ、ア○公野郎」

 「言ったな、イ○ン野郎」

 「そこまでにしろ。お前らは昔っからそう」

 「「すっこんでろ、イエローモ○キーッッ!!」」

 「ぶっ殺されてぇのか、てめぇらッッ!!!」

 「いい加減にしろ」

 強く、俺の気持ちが響くように止めの声を吐き出す。

 「エ、エイジのアニキ?」

 「永仕兄さん、お、落ち着いて……」

 「俺は、冷静、だとも」

 「永君……顔が半分、獣化しているよ」

 ……体は正直か。正直、頭にきている。

 それと同時に感動している。

 彼らは未だあの組長(バカ)と音芽が屋敷にいた時、もっといえば音芽組全盛期のメンバーでもあるのだ。つまりは今あの墓場で戦っているであろう両の右腕と同期にあたる。みな、それぞれが巨大な裏組織の長たる者の子息や血縁者であり、かつては武者修行の名目で音芽組で勉強し、そして共に戦った戦友であり家族であった。

 年と実力をつけ、全員が己が守るべき本当の家族や組織に戻っていき、大成したと風の噂を耳にはしていたし、現在の彼らの年齢を考えて、次代に世代交代をしているだろうと思っていた。だというのに――

 「なぜだ……、なぜ今の今まで連絡一つ、顔を一つ、見せなかったんだ」

 怒りの中にある俺の悲しみを捉え、三人が顔をしかめ、罰の悪そうな目をして、顔をそらす。

 四方結界(テトラゴン)―――それはかつて、音芽組にて彼らを指す言葉だった。

 今、ここにはいないもう一人を含めた彼ら四人。その強さは両の右腕には及ばぬものの、此処が持つ強力な能力で戦うさまは、強く覚えていた。

 そう、彼らの協力があれば、あの時――あの忌々しい吸血鬼も、妹や撫子の事だってッ――

 「それは……」

 「僕らだって、皆を助けたかったさ。でも……」

 「……エイジ、イワヲ。これは僕らの“契約”なんだ。組長と奥方との、ね」

 「!? それはどういう意味ッーー」

 「その話は……まずここの処理が終わってから必ず、話すよ。我がオヴェストの名に誓ってもいい」

 「おい、パドっ!?」

 「いいの? それで?」

 他の二人が驚きを隠せず、うろたえる。なんだ? 一体彼らは何を隠しているんだ?

 「エイジ、ここは抑えてほしい」

 「永君……」

 「~~~ッッ……わかったよ。俺だって、大人だ。御預けができないわけじゃない」

 周りがホッとしたのがよく分かる。緩んだ空気に入ってくる風のように、パドの部下らしき黒の戦闘服に身を包んだ男性が、作戦完了と報告しにきてくれた。

 


 

 余談になるが、一週間後、このビルおよび咲那会所有のすべての建造物が謎の倒壊を“遂げていた”現場が発見されることになる。

 周囲の建物や住民に被害を一切出さず、しかも、彼らに“知られず”に。

 ―――気が付けば、壊れていた。

 ―――そういえば、こんな処あったな

 ―――此処、なにかありましたっけ?

 周囲の意識が、まるで操作されているかのように、そこにいたはずの組やその構成員も忘れ去られていくように、事件にもならず、事故として処理されてこの件は終わる。

 誰も疑問に思わず、なんの問題もなく咲那会は忘却されるように、闇に消された。




 

 ――視点 変更5 ――





 何、してる?

 次々と迫る拳がこちらを絶命させようと放たれる。

 (死ぬの? 嫌よ!)

 寸でのところでそれらを避けながら、思う。

 (痛い痛い痛いッッ!!)

 (やめてくれ)

 (どうして、私がこんな目にっ)

 (助けてくれ、金はいくらでも) 

 それは想い。

 戦いながらの無意識下で《 》は魂で知覚していた。

 生前で例えれば、頭の中で複数の声が響くようなものだ。それが数百、いや数千、もしくはもっと……か? 老若男女が入り混じるその“断末魔の叫び”、“死に際”の感情が《 》の中で渦を巻いている。《 》という存在を取り囲み押しつぶすように……

 (なんで助けてくれない、国は何をしてる!!)

 (だれか、俺の彼女を救ってくれよ)

 (この子だけは、夫のことなんてどうでもいいから!)

 (どけよ、どけって、おまえらが死ねよ! 俺は生きるんだ)

 正悪も問わず、人の強い感情が怒声となって交わりながら高速で駆け巡る。

 思考というには余りに単調。自分勝手なそれらを受けながら、同時に《 》は、目の前で絶技を編み出す男の静謐(せいひつ)でありながら苛烈な攻めと守りをギリギリのところで“対処”していた。

 縦横無尽に腕をしならせ、破壊力が伝達させた拳。それを刀で弾くような愚行はしない。すれば必ずそれに合わせたカウンターが唸りをあげて放たれることだろう。それは《 》も同じだが。

 それらの攻撃と相手を死に追い込む駆け引きを、必要最小限の体捌きと立ち位置の切り替えでしのぎ切――ッ!

 すりきり合うような工房の最中、それは偶然の結果だったのだろう。

 隙が、ある――

 針の穴ほどの、その隙を突くのは至難の域だろうが、《 》ならばッッ! 迷いは無用。刃を構えて、剣先を突き入れ―――

 (イヤアアアアアッ!!!)

 (ッッッ!)

 「くぅっ!!?」

 ライトフィストが身を捩りながら、うめきながらも、それを避けた。頭の中の騒めきに、躊躇するように身を固めてしまった結果だ!! しかもそれは逆に《 》を致命的な弱みを、体の軸を数ミリずらしてしまう隙を見せてしまう。

 「ッ! ォオウッ!!」

 それを見逃すような男では無いのは、《 》が一番よく知っている。呼吸器系に無理をさせてでも、ライトフィストはそのズレを逃がすまいと左拳を《 》の耳元へと叩きこませてきた。

 ゴォンッ!! と自動車事故にも似た衝突音が周囲に響く。

 それはこの死合いで初めて互いの武器同士がぶつかりあった音でもあった。

 武器で防ぐ、ということは恥ではない。だが、防ぎ方は最悪だった。拳を刀の側面で受けるしかなかったがために、青い幽鬼に包まれていた刀に折れそうなほどにしなる。

 そして、勢いを殺せなかった《 》は無様にも体を右方向に仰け反る形になってしまった。

 (誰か、だれか、誰でもいいから)

 (死にたくないよぉおお)

 絶対絶命の中であっても、“彼ら彼女らは”叫びを止めない。助けを求めて、すがりつき、《 》に体重をかけてくるように己の望みを、もう叶わない望みを受け入れてくれと駄々をこねる。

 (……かげんにしろよ)

 確かにあの時、《 》はお前らを受け入れた。

 (ダメだ。死ねない。なのに、なんでお前が生きてるんだ)

 (生きたいよぉ)

 その思い達に共感したわけではない。ただあの時すべてを受け入れるつもりであったがために《 》の周りに寄り付いた彼らに同情もした。別にイイと、その中心になった。

 もはやすべての“ ”受け入れていた自分だからこそだとも悟っていた。だが

 だが、今、その思いは、“重い”。

 体の動きを阻害してくるその感情たちが重し以外のなにもでもない。

 「―――五右衛門」

 決着をつけるように《 》の名を口にする。ふざけろ、慈悲のつもりか、似非牧師?

 (誰かぁ! 誰か! 誰で(……るぅせぇ)もいいから!)

 (お願い(こっちは聞き飽きてんだ)だから)

 (私だけを助け(邪魔を)てよ)

 「終」

 絶対絶命の中、極限に達しいた集中力が世界を遅くみせる。

 (痛い痛い痛いッッ!!)(やめてくれ)(どうして、私がこんな目にっ)(助けてくれ、金はいくらでも)

 拳が

 「わ」

 (なんで助けてくれない、国は何を!!)(だれか、俺の彼女を救ってくれよ)(この子だけは、夫のことなんてどうでもいいから!)(どけよ、どけって、おまえらが死ねよ! 俺は生きるんだ)

 迫る

 「り」

 (イヤアアアアアッ!!!)

 なんども見せつけられ、心奪われた必殺の拳が。

 「だ」

 (誰か、だれか、誰でもいいから)(死にたくないよぉおお)痛い痛い痛いッッ!!)(やめてくれ)(どうして、私がこんな目にっ)(助けてくれ、金はいくらでも)(なんで助けてくれない、国は何を!!)(だれか、俺の彼女を救ってくれよ)(この子だけは、夫のことなんてどうでもいいから!)(どけよ、どけって、おまえらが死ねよ! 俺は生きるんだ)(イヤアアアアアッ!!!)(痛い痛い痛いッー――

 目を塞ぐ断末魔たち。世界を黒く塗りつぶすほど視界の中の内に怨鎖が絡みつき《 》のすべてを奪い――

 




 「親友(とも)よッッ!」





 《 》は――――《俺》はッ!!

 痛い痛いッッ!!)(やめてくれ)(どうして、私がこんな目にっ)(助けてくれ、金はいくらでも)(なんで助けてくれない、国は何を!!)(だれか、俺――――《うるせぇ、こっちは聞き飽きてんだ、

 邪魔をするな!! 俺たちの戦い(やくそく)を邪魔するんじゃねェッ、“バッ野郎(キャロウ)”どもが!!!!》

 




 『―――“音芽式”身振り方、振動系魔術―――」

 「ッッッッッ!!!!!」




 その変化を感じ取ったライトフィストは、肘が脱臼するのも覚悟の無茶な急制動をかけて、自身の体を倒す。

 遅い。これなら当たる。だが―――どうせ、お前ならば――――

 “俺”は刀を“持たぬ”、左手を手刀の形に構え、腕を―――右斜めに一閃。

 「―――出力系変化圧縮気功“指切(ゆびきり)”……避けてみせろよ、悪友(とも)よ?」

 「!!? 五右――っ」

 指が宙を、“斬”る。

 スッと小気味好い音の後、指の流れた跡をなぞるように、視界の前方、何体もの腐って立つ死体どもがズルりと斜めに、胴を二つに分けていく。

 斬られた連中は何が起きたのかわからない、ような面して霧散して消えてった。

 俺自身もここまで上手くいくとは思わず、口元に笑みが浮かんだ。

 だが、本命には当たらなかった。地に無様に転がった後、すぐさま立ち上がったところからすると無傷のようだ。

 ―――まったく、お前ってやつはつくづく俺を楽しませてくれる……?

 「……残留思念(メッキ)が、剥がれだしましたね……」

 「?」

 見晴らしのよくなった視界の先、指切のギリギリ範囲外で、こちらを見つめる亜麻色の髪をなびかせた女が薄く微笑み、そう呟いた。

 

 


 

 ――視点 変更6 ――





 「ッ!! ……何かあったな?」

 「オイ!! クソガキっ!? いや、進・カーネル!!」

 「あぁん?」

 戦場の空気が変わったのに気がして振り返った俺の耳に、結局変わる事をしなかった耳障りな人間の声が入ってくる。

 「こ、交渉だ。俺と組まないか?」

 整えられた髪はボサボサ、上等な白のスーツは泥まみれ、顔は悪人ずらのままの織部は這いつくばりながら懇願するように自分の太ももを串刺しにしている大剣の柄に足をかけて座る俺を見上げている。

 憐れみすら感じるその落ちぶれた姿に、俺はほくそ笑んで

 「交渉? 俺と組む?」

 「そうだ! そうさ、お前ほどの実力があれば東京、日本で天辺をとることだって夢じゃない。俺がおぜん立てしてやるよ。俺は咲那だけじゃない。ほかの連中とも太いパイプを持っている。政界にもだ! お前だって、あんな小さな事務所で終わる気なんて無いんだろう? だから、さ。だからな!」

 「……別に、そこまで大した夢や野望は無いが……そうだな、美味しい話かもしれないな?」

 「!!! そうだろ! じゃあ、まず此処から……」

 「おおっと!? おいおい、織部の旦那ぁ……ダメじゃないか……俺とは別に、先に組んでるやつがいるなんて聞いてないぞ~?」

 「ハァ……? 何を……言って……ぇ?」

 俺と同じものを目撃したのか、織部が口を阿呆のようにパクパクと開閉しはじめた。信じられないとばかりに見開かれ、閉じることのできない目が捉えているのは、かつての“義兄弟”。

 「本城……」

 「なにも驚くことじゃない。核はあの右腕その一だろうが、起動原はアンタらだ。イメージが死に対する不安や恐怖だってんなら……アンタを恨んでると思いつく存在が化けてでたって不思議じゃない、だろ?」

 まぁ、姿形だけ似てるだけだろうがな……

 ゆっくりと、暗闇を手探りで進むような歩みでこちらへ近づいてくるゾンビ“たち”。だが、確実にこちらに向かってきているそれらに我欲の塊は叫ぶ。

 「ち、違うんだ本城! 俺はあの時、お前を見捨てたわけじゃ……! お前だって悪かったんだろうが! あの魔術師とかいう連中を引き入れてから、お前は考えなしの独断専行ばかりで! そんな奴を助けにいったら俺まで上の連中に目をつけられる! あの時はまだ時じゃなかったのによ! だから……だから……」

 懺悔のような言い訳を口にしても、意志のないゾンビは聞く耳を持たない。まぁ、もっていたとしても…

 『織ィ……部ェ』

 「ァ?」

 ……待て。今喋らなかったか?

 「お、オジキ……」

 オジキ―――。幽霊に殺された―――ということにして、織部が斬殺していたという彼の恩師。

 事の始まりである彼は、原型を留めていない見るも無残なゾンビとして、ゆっくりとこちらに歩んでくる。かつてはがっちりとした体格の男であったのであろうが、今は体の彼方此方が欠損していて見るに耐えなくなっている。

 『織部……娘は、私の娘を……返、せ』

 「ぅ、ぁ……」

 「娘? おい、テメェ?」

 なぜ慎重派らしいオジキ殿が信用に欠ける織部の犯行現場についていったのかが疑問だったが、こいつ肉親を人質にしてやがったのか。

 「し、しらねぇ! 俺はただ部下に、や、やらせただけで……後のことは、部下が! 部下連中がやりやがったんだ!!」

 ……たぶん、その娘さんはもうこの世にいないんだろう。この責任感皆無の外道の部下だ、相当理不尽な最後を迎えたはずだ。

 それにしても……

 (ゾンビがしゃべった? 集団催眠型の偶発的に発生した魔術で生まれたゾンビが?)

 基本とされるゾンビのイメージ像はヤクザ(こいつら)の負の記憶や感情であり、たしかに死に際の言葉や、想像の範疇をでない恨みつらみを口走る可能性はある。だが、これまで出現してきたゾンビたちが意志を示したことなどなかったはずだ。進化している? ……いや、違う。

 これは……思念がのり移っている。死に際の残留思念が。

 先ほど感じた戦場の気配と、ゾンビの変化―――たぶん両の右腕。“東条 五右衛門”の方が目覚めてきたか?

 「だとすると、マズいな……悪いが織部さん、ここいらでお別れだ。まぁ、あの世でたっぷり後悔するといい」

 「まて、待って! 待ってください!! あやまる! 謝りますから! お願い! 助けて!」

 「……オマエが謝るべき相手は、俺よりも先にいるだろう? ほぉら、もうすぐ、そこだ」

 往生際が胸糞悪い織部へ冷えた感情を込めた目と言葉を最後に、俺はイザナミを織部の足から引き抜くついでに、刀身にうまくひっかけて後方へと、ゾンビの波が迫る方へと持ち上げ、飛ばした。

 舞いとぶ織部はゾンビどもの中心へ。まるで胴上げをキャッチするかのようにゾンビたちは奴を捉え、群がり、彼の体を貪り喰っていく。

 「ぃひぃっ!! やだっ!! 痛ぇ! 噛むなっっ!! たす、けっ!! ごめ、ごめ…やめてあや、やめエガアガアアアアアアアアアアアアアアア゛ァァァ……っ……―――――」

 断末魔の叫びと、耳に不快な咀嚼音。自ら犯した罪と責任を他者に擦り付けつづけた性根腐った男は旨くなかったのか、今度は俺に熱い視線を送ってくる。やれやれ、大した食欲だ。俺も美味しくはないはずなんだが……

 「……戻るか。そろそろアイツらも脱出している頃のはずだろうしな……景気よく、高く跳ぼうか」

 三度後方へバックステップ。イザナミを背に戻し、クラウチングの構えをとってからの―――

 「ホップの……ステップでッ、ジャンプッッと!!!」

 軽やかに、そして最後は大地を最大限に踏みしめての、跳躍。

 獲物を逃がしたゾンビたちが恨めしそうにしている場所はもう遠く、放物線を描くように、夜空へと体を浮かす。俺の人並みをはずれた筋力で、あっという間に人垣は米粒と化した。

 気分は鳥というよりペットボトルロケットというところ。視界は開け、高層建築物の少ないこの地ではそれだけで辺りを一望できる。

 空はまだ八割ほど暗いが、地平線がうっすらと白んでいる。長い一日が終わろうとしているのだ。とっとと終わらせ、帰りたい。まず上空から確認すべきはゾンビの拡散範囲だが……うん、やはり墓場から外にはうごめく彼らの存在は見当たらない。むしろ墓場の中心、あの両の右腕たちに群がるように集まっている

 のだが……

 「! アイツら、なんでまだあんな所にノコノコとっ」

 下をみれば、想定でもとっくに墓場から脱出していたはずのアルバインたちがまだ墓場の中央で右往左往しているではないか。俺が離れてからほとんど進行していないに等しい。なにをしていたと、怒りを吐き出しかけ、気が付いた。

 墓場のゾンビどもの動きがオカシイ。上空から眺めてようやくそれに気が付いた。

 台風の目―――のような集まりが“二つ”ある。

 一つは、両の右腕たちが戦う戦闘に群がる集団。そして、もう一つは――――

 「ッ、マズい……」

 俺の予想では強い生命力がむき出しの右腕たちが戦えば、それにゾンビたちが群がり、周囲に逃げ出す隙ができるはずだったのだ。しかし

 (ミスった。残留思念が五右衛門から“流出れば”ば、今度は意志のないゾンビどもに乗り移るってか! 人間らしさが加わったせいで生きている人間なら見境い無しになるのか? だったらアイツらの周りだけじゃない人気のほうに向かう可能性も捨てきれない)

 ……もはや悠長に、あの二人の決着を待っている余裕もない。

 「悪いが、まとめて消し飛ばす」

 宙で体勢を変え、頭を下に、足を上に。真っ逆さまに地上へ急降下しながら、背からイザナミを引き抜く。 

 「――愛せ(呪え)、」

 魔術のみを打ち消す炎を生み出すために、お決まりの台詞を唱える。

 黒の大剣に縦に一筋、青白い線が灯る。

 あの不燃の炎ならば、ゾンビどもを構成している魔術を打ち消せるはず

 「イザな――」

 バシュンッ!

 「―――ハ?」

 まるで“炎が水をかぶって消火された”ような音の方、自分の握る剣に振り向けば

 「っ!? なん」

 イザナミが完全に沈黙していた。

 驚きのあまり一瞬、落下していることを忘れてしまう。タイミングがずれ、砂埃を立てて無様に着地。

 膝をついて悪態をつく暇もなく、ゾンビ共が口を開けて襲い掛かってくる。

 「っんでだッ、オイ!! なんでこのタイミングでッッ!!」

 憤りを叩きつけるようにゾンビ共へとイザナミを振り回す。重量に引き千切られる腐りかけの肉体の飛沫が飛び散り、あたりに臓物をばら撒きながら、肉片となったゾンビたちはすぐさま……“消滅”した。

 (よし! やっぱりイザナミならゾンビ共を“打ち消せる”。魔術的に生み出された存在だったてことの証明! あの生命力を吸い取られもしなくなった……ってのによッォ!)

 魔術を拒絶するように打ち消せる大剣(イザナミ)はゾンビたちに有効だという可能性はあった。それも実証できた。そして、イザナミには広範囲に亘って魔術構成を打ち消す術がある。それさえ使ってしまえばこのゾンビランドを一掃することも容易い。

 だが、その頼みの綱が沈黙している。今は時ではない、とでも踏ん反り返るように。

 「くそっ!」

 悪態をつきながら、焦りを隠せないまま、俺は走る。

 ミスッた。

 正直、イザナミがあればこの状況を打破できると確信していたのだ。だからこそ、織部なんぞの最後にまで関わる余裕があったわけで。剣の力を発動させられる自身もあって、俺は完全に事態を軽く見積もっていた。

 だから、今更ながら考え始めていた。

 空から見たゾンビ共の集まる部分は二つ。両の右腕とアルバインたちが――?

 (いや、“アルバインたち”、だと?)

 単調ながら意志を持ったゾンビたちが目指すは、動く生命力をもった存在だと仮説はたてていた。目につくすべてを追うならば、仲間割れをするような動きをするはず。だが、そんな行動をしていない時点でその仮説は正しいことになる。

 生命力を追うならば断然、派手なチャンバラをしながら存在感が溢れる両の右腕に目が奪われるはずだ。

 アルバインたちも馬鹿ではない。俺と同じ結論にたどり着き、気配を消しながら、かつゾンビどもの死角を移動していたはずである。

 なのに、何故あそこまで、“両の右腕よりも”巨大な渦になるまでにゾンビ共に囲まれているのか?

 単純に人数が多く固まって動いていたから? まさかローザが泣き叫びでもしてるのか?

 そんな思考がよぎるより先に――――

 (――――進―――)

 “アイツ”の顔が真っ先に浮かんだ。

 ブワっ、と汗が全身から噴き出てくる。

 そして、思い返せばおかしなことばかりだと気が付いた。

 『え…………、なんですか、コレ? あ、なんか泣きそう』

 思えば、あれは数百体以上の立って歩く腐乱死体どもに囲まれた状況で、アレの態度は正しい反応だっただろうか?

 それに、俺はアイツがゾンビどもを怖がっていたり、何かしらの興味を示したことを確認したことが一度たりとも無い。

 “九重 撫子”はこの状況を理解していながら、まるで恐れてはいなかっていなかったとしたら、それは……考えられるのは、一つ。

 (あのポンコツッ!! アイツの……“人間の定義”は視覚も狂わせんてのかッ!!?)

 どんな原理かまでは分らない。なぜ、どうしてなのかも分らない。

 だが、間違いなくゾンビ共はアレに吸い寄せられている。それに確信がないわけではない。

 なぜなら、真逆の反応だったとはいえ、ゾンビ共を一番反応させていたのアイツだったから。

 「ぇぇいっ!! 邪魔だ、どけ!」

 ゾンビの肉壁を薙ぎ払うように突き進む。が、無尽蔵に現れるゾンビどもに足を止められる。

 まるで樹海の地形と木々にも似た姿形がほぼ似通ったゾンビたちに、方向感覚まで失ってきた。

 早く早く早くッ!

 行かねばならない。

 アイツが、撫子が事実を理解する前に

 「撫子ォ!!」

 積りに積もるフラストレーションに当たり散らすように、俺は叫んだ。

 

  

 


 ――視点 変更7 ――




 

 「なんで、こっちにばかり、来るんダッ」

 息も絶え絶えに、私たちを背中で守るアルバインはそう愚痴をこぼした。

 進がアフターケアと言い残して跳んでいってから十数分後、気配と物音を押し殺しながら、“彼ら”の死角をとりながら、ゆっくりと墓地からの脱出を試みていた。

 初めは順調だったのだ。“彼ら”の殆どがライトフィストと五右衛門の戦いに目を奪われ、こちらには目もくれず、吸い寄せられていったため、ほとんど気も配らなくて済んだのだ。

 だが、突然状況は一転した。

 空気が変わったような感覚とともに、“彼ら”が豹変したように、こちらに寄ってきたのだ。

 両の腕を前に、何かを求めるように、または視界が真っ暗闇の世界を光を求めて歩くようにゆったり、ゆったりとゾロゾロ、ゾロゾロと、水の渇きを満たしたくてたまらないように口を開いて、近づいてきた。

 「セット、ウォーター。プラス、ウインド。キャバルリー・アーツ“ニードル”ッ」

 剣を絵筆のように、宙へと振るアルバイン。剣先に収束する水分が、風に導かれるままに研磨され太い針のようになるまで十秒かからない。

 スタートの合図をきるようにロングソードが振られ、20本程度の水の針が連続発射。

 鋭利さよりも、大きさを重視しているのか、叩きこまれた”彼ら”は針の直線軌道上にある後ろの仲間たちを巻き込むように、吹き飛ばされていく。

 倒すよりも、遠ざけることを主眼に置かれたその戦い方に疑問をもった。

 「アルバインさん、どうして、あのストームって全体攻撃を使わないんですか?」

 「……せめて、そこの錬金術師が使えればいいんだけどネ」

 いつも紳士的なアルバインが愚痴に珍しさを感じながら、彼が私たちを庇いながら戦っていることがわかった。あの風と炎の技は加減がうまく利かないのだろう。周囲を巻き込んで発動させる技なのだろうから一人を庇う程度の余裕なら発動させられるが、今は四人を守っている状態であって、最悪被害がでることを考慮しているらしい。

 たしかに、せめてローザが機能していればなんとかなったかもしれないが……

 「ふぐぅう……もう、ヤダ!! お家帰る!!」

 ……ダメだ。遂に幼児退行にまで突入しはじめた。

 (もう……何がそんなに怖いのかしら? いつもあんな人外たちと戦っているのに?)

 「撫子ちゃん……ごめんね。わたし、グスっ…私のせいだ」

 私の腕にしがみついていた優子が自責の念につぶれるように、地にペタリと座り込んでしまった。その細い体を支えなければと、私は彼女の肩を掴んだ。

 「優子ちゃんの、せいじゃありませんよ? 悪い偶然が重なっただけで……」

 「でも、私が肝試しなんて言い出さなきゃ、こんな、こんな怖いめに……」

 「災難でしたね。まさかヤクザさんに捕まっちゃうなんて、怖かったですよね。私もみんなを置いて飛び出して行ったのは軽率でした……ごめんなさい」

 「そ、それも怖かったけど、今だって……」

 「今? 大丈夫ですよ、アルバインさんや進もいますから」

 「そ、そうだけど……撫子ちゃん……怖くないの?」

 「怖いって、そりゃ危ないとは、みんなが傷つくのは怖いと思いますけど」

 優子の目が何かに気が付いてきたかのように、見開かれ始める。

 ――――まるで、もう一つ怖いものをみつけたように。

 「優子ちゃん?」

 「……な、撫子ちゃん……ねぇ?」

 聞くべきか、聞くべきでないのか迷う生徒のように、優子は私を瞳に捉えながらためらいがちに問う。

 「……あそこの……今、私たちに近寄ってくる……“人”たち、撫子ちゃんにはどう見える?」

 「どう? ……あの質問の意味がよく……、そうですね、私は“彼ら”は―――」

 「ナデシコっ!!」

 答えようとして、鋭いアルバインの声に顔をあげれば、優子の背後から伸びる腐った手。

 「優子ちゃん、立って!」

 「え? ひっ、イヤァアア!」

 抱きよせるように、私の方へ引っ張りあげると、優子が恐怖から叫んだ。

 「地面からっ」

 『アアァアアアア゛ッ!!』

 こんな数がどこから湧いて出てきているのかと思っていたら、下からだったとは……

 「ローザも、こっちに!」

 「ヤだやだやだぁ!?」

 「ああ、もウ!! めんどくさいな、まったクッ!!」

 すぐ近くにいた智子がついに腰が抜けてしまったローザを引きずるようにして逃げていたところを、見ていられなかったアルバインがすぐさま駆けつけ、二人を肩に担ぐように抱えて走る。

 「まずい、完全に囲まれタ……」

 そうして身を寄せ合うように一か所に固まり、見渡せば逃げ出すことができないほどみっちりと囲まれてしまっていた。

 事実を述べたアルバインも疲労感からか声が重く暗い。

 進はいまだ帰らず、ローザは遂に膝を抱えて泣き出しながら般若心経を唱えはじめた。

 残る私たち三人はただの女子高生だ。しかも、一人はかなりの不幸体質……わたし、ですけど。

 「……こうなったら、ボクが突っ込むからキミたちはその穴から脱出してくレ」

 「自暴自棄はやめてください、アルバインさん。それに生存率が低すぎるので、却下です」

 「ハハハ、手厳しいねナデシコ。でも、ちょっともう……それしか無さそうだよネ」

 本当は立っているのも辛いのだろう。だが、自分が倒れてしまえば敵が押し寄せてくるというより、私たちに対しての精神的ダメージを警戒して無理をしているらしい。

 正解だ。アルバインが倒れれば、こちらはただ無力な女子のみになり、精神不安定な彼女たちはどんな行動をとってしまうかは想像に難くない。

 「行くヨ。ナデシコ、キミが彼女たちを―――」

 「撫子ォ!!」

 その遠くから聞こえた一瞬の叫びはいきなり過ぎて

 「え?」

 「シン、か……」

 意味が追いつくよりも先に、進がこちらに向かっている事実は希望となり

 「アルバインさん!?」

 限界寸前疲労困憊であったアルバインの緊張の糸を切断した。

 膝から崩れ落ちた本人ですら驚愕の表情を浮かべ、私を含めた生きている人間は何が起きたかわからない表情のまま彼が地面に倒れこむのを止められなかった。

 だが、彼らにとってはスタートダッシュの合図。

 『『『『アアアアアアアアアア゛ッッッ』』』』

 我先に!! 飢餓に耐え兼ねた暴徒のように、限られた数しか用意されていないごちそうにありつかんと、貪欲なる叫びを放って襲い掛かってくる。

 「逃げ…ロ」

 アルバインはそんなことを立ち上がれないまま呟くが、一体これをどうしろと?

 遠くから聞こえた進の声はあれから無いため、ほぼ四面楚歌。戦力はなく、友人たちが怖がるようにこちらにしがみついてきた。

 逃げ出す場所もなければ、私には戦う力すらない。

 ならば、私がやるべきことは一つだけ。

 「私だけを喰らいなさい!!」

 両手を広げ、身を差し出すように声を荒げた。

 「撫子ちゃん!?」

 「もし、私の友人たちを喰らおうとするならば、私は絶対にあなた達を―――」

 そう言ったところで無駄なのはわかっている。でも、守れずにはいられなかった。

 だって、この人たちは大切だから。この人たちが誰か一人でも欠けた世界など考えられない、考えたくもない。

 彼らがいないそんな世界は、消えてしまえ。そう思えるほど、みんなが大切だった。

 自分の中に暗く歪んだ感情……その感情のままに、迫る“彼ら”を睨んで、吐き出す。

 「―――呪ってやる(ゆるさない)

 声は届かず、伸ばされる手が私の前髪に触れ―――





 ――視点 変更8 ――





 ローザ・E・レーリスはその瞬間だけ、“魔術師”として意識を取り戻した。

 「――――」

 動く屍たちが押し寄せ、撫子が身をていして庇おうと、両手を広げた。

 だが、やはり声は届かない。止まることなく対象の一人であった撫子へと掴みかかろうとする手が彼女に触れようとしてから一秒も満たない間のそれは起きた。

 (どうして……?)

 自分の無力さ、深刻化する状況、意識が正常になりかけたらまず考えねばならないことよりも先に、私はある疑念に思考を支配されてしまう。

 その光景に。

 どうして?

 この場にいるすべての人間が。私と同じことを考えているに違いない。

 一体なにが起きた?

 「と、止まった?」

 智子が地面にすがりつきながら、そんなありえない言葉を口にした。

 だが、事実。止まっている。

 撫子に触れかけたゾンビも。見渡す限りのすべてのゾンビが。

 我々と同じように、驚き、そして、

 「な、なにが―――」

 一体なにが起きたら、あの飢えた狼のように集まってきていたゾンビが一斉に動きを止めるというのか?

 その訳もわからない事態に撫子は疑問を口にしながら微かに動かした。

 『ぎヒィイィイ゛イッ!!?』

 それだけで撫子を喰らおうとしていた女型のゾンビが恐れるように手を引っ込め、後ろへ下がった。逃げ出すように下がったため、何体かを巻き込んだ。その個体は、まるで恐怖に怯える子供のように頭を抱えて、震るえ始めてしまう。

 『オ゛ぉァアア……』

 『うぅ゛ァアえ……』

 それだけではない。他の、周りの、ゾンビたちがまるで恐れを抱くように嗚咽とともに、遠巻きに崇めるように撫子を“悲しんだ”。

 『あ゛あ、ア゛あ……』

 これは嘆きだ。

 “なんてことだ”

 “かわいそうに”

 “なんで、どうしてこの娘は生きている?”

 言葉にならない感情が込められたそのゾンビたちの嘆きがはっきりと伝わってくるほど、彼らは咽び泣くような仕草には悲壮感が満ちていた。

 生きていることさえ、信じられない。

 そう物語るように、彼らは――――“撫子”を恐れていた。

 そう、撫子を、だ。

 戦闘力に長けたアルバインでも、私でも、進でもなく。撫子という一般人に彼らは目を奪われている。

 育ちの異常性を考えれば、撫子も常識では考えられないほど普通ではない。

 だが、それだけであって、能力が高いだけの普通の女子高校生であるはず。 

 (なにも、感じませんわ……)

 魔力を練って、使った形跡もない。

 なにかしらの法則性を味方に付けたわけでもない。

 この自分自身驚きを隠せない女子高校生はなにもしてない。

 なにもせず、奇跡を起こしてみせた。

 (奇跡? いいえ、これは“異常”ですわ)

 奇跡の技を振るう者である魔術師であっても、異常と感じるほどの“存在”を私は疑惑の眼差しで見つめる。

 (九重 撫子、貴女は……“何”ですの?)

 

 



 ――視点 変更9 ――




 (一体、なにが……?)

 私は何が起きたのか、自分自身でも理解ができずにいた。 

 そう自分自身でも、九重 撫子が状況を理解できていない。それはつまり、私がこの状況を生み出したことを理解しているということだけれども……

 (ダメ。頭がこんがらがってくる)

 自分はなにもしていない。

 ただ両手を広げて立っているだけだ。

 いきなり特殊な力に目覚めた? いや、なにも変わってなどいない。変化がなさすぎる。

 みんながなにかをした? いや、進を除いた全員がここにいるが何かができる状態ではない。ならば、進が? 両の右腕は? それ以外の誰かが?

 (それとも……彼らが……)

 群がるように囲む“彼ら”をみつめる。恐怖に震える彼らの濁った眼にうつるのは……私。

 (この怯え方……知ってる。私は知ってる。嫌というほど見せつけられてきたから)

 これは、死への恐怖。

 今は亡き養父が私に鑑賞させ続け見慣れてしまった、人が死に怯える瞬間にみせる震えと顔や仕草だった。

 可笑しいな。

 (変なの……だって貴方たちは死んで……っ)




 「え?」



 

 思わず、そんな自分に戦慄した。

 死んでいるのに、そう思いかけて、私は“薄く笑っていた”自分の顔が恐ろしくて抑えつけた。

 (―――私は、今、何を?)

 何が起こっているのか考え、客観的な思考が入りはじめたことが原因だろう。

 私は、私という存在を認識し易くなっていた。なってしまった。

 『……別に、彼らは無責任とか、無感動などではないんですのよ、撫子』

 まず思い出されたのは、意外と近い記憶。今日ここに来る前に、危機感の薄い人たちに嫌悪感を抱いていた自分を窘めてくれたローザの言葉が脳裏に浮かぶ。

 彼らは危機感に無頓着なだけ、そう私は断じた。では、私は? 私自身はどうだ? 全うな危機感を、生物として正しい基準であるだろうか? 

 失念していた。あまりに近すぎて思考から外れていた。灯台下暗しとはこのことだ。

 九重 撫子という自己の根本を初めて覗き込み。

 ドクン、ドクンッ

 思い返す。自分自身の言動と、対応。思い出される範囲をすべて、一般常識を当てた客観的な目線で、見渡し、そして―――ドクン、ドクンッ!

 心臓の音がウルサイ。

 私は

 『……あそこの……今、私たちに近寄ってくる……“人”たち、撫子ちゃんにはどう見える?』

 私は親友の言葉を、その意味と、彼女が本当に恐れた“者”を理解してしまった。

 灯台の根。私が、私である根本は、どす黒く汚されていた。

 「私は、私は、“彼ら”を……この“人”たちを、」

 自分でたどり着いてしまった事実に喉から水分が干上がったように酷く掠れた声で夢遊病患者みたいに今更、あの時の答えを絞り出す。

 



 「この“人”たちは、ただ“死んでいるだけ”で、―――生きている人間と何が違うっていうの?」




 怖がる要素がどこにある?

 呼吸して、食べて、動けていれば、生きていようが、死んでいようが人間と同じだろう?

 ただ平然と、この思考が異常であると頭でわかっているのに、心の底からそう思うことをやめれない。

 本心からの吐露。自分が自分自身の正気を疑うような、異常者の言葉が口から当然のように零れ落ちた。

 『あぁあああ゛ッ』

 !!

 状況が動いた。

 私を“恐れて”動けないのは、私が視界に入る範囲内でのことだったらしい。それより後方は謎の引力に引き込まれ続け、詰り、決壊した。

 ドミノ倒し、将棋倒しとも呼ばれる人の雪崩が平地で発生した。それにより、私たちの周りを囲むゾンビたちが強制的に一歩を、倒れる形で踏み込んできた。

 伸ばされる手。掴まれたのは―――

 「キャアアアアアッッ!!!」

 「優子ちゃんっっ!!」

 しまった。彼らを踏み留めていたのは私。私以外なら接触するのは可能だなんて分りきったことなのに!!

 優子の足を掴み、自分たちの群れの中に引きずりこんでいくゾンビの腕。

 不意をつくような行動にアルバインでさえ動くのが遅れた。間に合わない。間に合うのは―――っ

 「撫子ッ!!」

 一番近い、私だけだっ!

 プールに飛び込むように身を投げ、間一髪のところで引きずられる優子の体に抱きしめるように“かばう”

 すごい速度で元いた場所から離され、群れの中に。

 彼らが私を恐れていた理由は未だにわからない。だが、それも私を認識できる範囲に限るものであるのは確かだろう。でなければ、ゾンビたちは私たちから離れていくはずなのだから。

 つまり大勢で、一斉に、視界不明瞭な状態であるなら私は簡単に襲われてしまうだろう。

 『シャアアアアアアアア゛』

 事実そうなろうとしていた。牙を剥く腐乱死体たちの顔が無数に、地に倒れ逃げ場のない私たちへと向けられた。

 怖かった。怖かったので顔を逸らし、体を喰いちぎられる痛みに耐えるために歯を食いしばり、目をぎゅっと閉じた。胸の中で必死にもがく友人を抱きしめ、庇いながら。

 その最中であっても、私の頭は止まらない。

 過去にあった出来事が相馬灯のように駆け巡り、自己評価を繰り返す。

 自分が異常者だと理解しながら、死を待つ。頭がどうにかなりそうだ。

 いや、どうかしていたのだ。

 私は狂っている。 

 死というものに慣れ過ぎてしまった異常者だ。

 私は壊れている。

 今までどれだけの人に気味悪がられてきただろうか?

 それでも私は生きたいと思っている。

 それを自覚したにもかかわらず、私はその異常な思考を正すことができない。

 これは価値観のズレなどでは済まされない事だ。

 もし友が死に瀕している場合、見知らぬ他人から臓器などの提供を受ければ助かるような急を要するような状況下であったらな、私は迷わず見知らぬ他人の誰かをこの手で殺して臓器を奪い友人に渡してなんの曇りもない晴れた笑顔で「よかったね」と笑えるだろう。

 「撫子ちゃん! どいて! 逃げて!!!」

 その価値観をわかっていながら捨てられない。心の奥深く、芯の部分がそう“成って”いるのだ。

 私は完全に逃れたわけではなかったのだ。

 ドレイクが。あの養父の手から逃げきれていないその事実。どんなに時間が経とうとも、その爪痕は永遠に私に残るだろう。

 害ある存在の側として、私を私たらしめるんだろう。

 「やだぁよ!! 撫子ちゃん!」

 ――――それでも。

 私のような壊れた人間であるとわかっていながら、私の死を感じて泣いてくれる友がいる。

 だから、それでもと思うのだ。

 死に対する価値観が壊れた私でも

 (それでも、“大切”な事はきちんと、わかっていますッッ!!)

 抱きしめる力をさらに強くする。

 愛しむ力がどうか大切な友人を守ってくれますようにと願う。

 それは極限状態の集中力が、背後に迫る飢えた衝動をまじかに捉えたのとほぼ同時




 ――視点 変更10 ――




 ――――そういえば、オマエはそういう奴だった。

 (っ、キレが増して……戻ってきてるな)

 突如自身の通り名と同じ右拳と、肘の間にかけて薄皮一枚程度の深さに切り傷が走ったのだ。

 プツリ、プツリとじわじわ血の滴――――は浮き出るぐらいの損傷だが、幽霊の身である故か、出血がない。代わりに光の粒子がハラハラと傷口から多少零れてくる。……ずいぶん、変わった体になってしまったものだと顔を変えずにシニカルな気持ちで嘆息する。

 視線を逸らさず、体の感覚を頼りに確認してみれば、似たような切り傷が体の彼方此方にできている。

 ギリギリで避けていたはずだったが、届いていたらしい。

 (とっとと起きろ、と確かに怒鳴ったが、起きたら起きたで厄介だな、まったく)

 暗殺者にとって力の優劣とは力と力、技と技、の比べ合いよりも、いかに相手の裏を、隙を、意識の外側を突くかのせめぎ合いの方に重点がおかれる。

 つまりは気が付かれなっかった方が強いってことになる。

 いや、違うか

 (今、見くびっていた俺に隙があったってことだ。だから、まだ判断の段階じゃぁない)

 大事なのは気持ちでまず負けてはいけないこと。刀の到達範囲の再計算をしながら、さらに気負わず相手をじんわりと見据える。

 東条 五右衛門はどっしりと構えていた。

 足先の無い下半身を大きめに広げ、両の手で刀の刃を上に向けつつ相手に刃先を突き付けるように構える八双の構えで、こちらに鬼気を送り続けている。

 距離にして12、3メートルといったところか……

 小回りの利かない構えではあるが、ここが範囲一歩手前だろう。だぶん、あと一歩でも入り込めばバッサリと斬られ―――

 「撫子ちゃん! どいて! 逃げて!!!」

 (! 今のは、優子さんの声っ!?)

 今日に出会ったばかりの女子高校生の悲鳴。タイミングと角度が悪い。丁度、視界の反対側。動揺に揺らめき欠けるが現在相対している敵はその隙でも必殺になりうる実力者、目を離すなどできない。

 決着を急ぐ? 無理だ。五右衛門がこれから取るであろう行動の予想はほぼ完了しているが、優位に立てる勝ち目までは思い描けていない。最悪、こちらがやられる予想ばかりだ。組み立てが完結などと世迷言を吐くつもりはないが、これでは……

 「!!」

 動いた。五右衛門はこちらが予想していた2秒後の初動を完全に裏切って、視界から消え失せた。

 (ここで動く? そんな、まさか?)

 動揺に多少揺れていた思考が“収まる”。それがあまりに愚行だったからだ。

 そのタイミングで動けば戦いの手数が少なくとも数十無くなるだけでなく、こちらに有利な状況になるそんな悪手をとったのだ、奴は。

 (まさかさらに予想を裏切る手札がある? いや、無い。これは絶対にない)

 絶望的な落胆とともに迷い無く奴の命を奪う決意を一秒が立たぬ間に済ませ、右拳を構え、放った。

 (正面、真横、上、下からの攻撃は無い。やはり予想通り来るのは死角、刺突と見せかけての背後右斜め下からの切り上げっ) 

 死角から攻撃はそのまま必殺につながる攻撃だろうが、もはや此処に来るとわかってしまえば相手への必殺どころが自身への最大の弱点をさらしていると同義。そして、これで最後だと振られた一撃はどんな猛者であろうとも歓喜の感情を完全に抑えきれないものである。

 このまま、振り向きざまに拳を貫けば、すべてが終わる。ここまでの時間とかかわった者たちの数に見合わぬあっけなさで……。そこに思うところがない、わけではないが、結果に迷うことだけはない。

 やはりオマエは以前には戻り切っていなかったということなんだろう。

 「馬鹿野郎がっ!!」

 多くの意味を込めた罵倒とともに、拳を突き……出す…

 (………?)

 いない。

 どこにも。

 アイツの姿がなかった。やはり何か策があったというのか? だが、ならば俺はどうして無事なのだ? 俺の予想を上回る戦法があったというにはあまりにも何もおきて――――

 「――――、あ……」

 (そうか……馬鹿野郎は、俺の方か)

 ――――そういえば、オマエはそういう奴だった。

 馬鹿だったのは、お前という男を忘れていたのは俺の方。

 「まったく、オマエって奴は――――」




 ――視点 変更11 ――




 「!! なでっ――」 

 道を阻んでいたゾンビ共を斬り払い、ようやく辿りつこうかという寸前で俺が見たのは、ゾンビどもの腐った毒牙にかかる寸前の撫子の姿。

 友を抱き庇っているため動くこともできず、複数のゾンビたちに押し潰されていく撫子にまで、まだ数十メートルの距離がある。ゾンビの群れを蹴散らしきれない俺にはどうしようもできない。アルバインたちは助けるために動いてはいるが、なにかの原因で出遅れたか一歩出遅れている。あれでは間に合わない。

 (クソ!! ダメだ! イザナミ―――まだ無反応!! もっと、もっと速く、速く、こいつらを蹴散らすほどの速さの“入力”を―――)

 「――――邪魔だ、ジっとしてろ」

 突然の声と青白い閃光が俺の脇を駆け抜けたのはその時―――




 ――視点 変更12 ――




 

 上地 智子は引きずり込まれていく親友たちを助けるため動きだそうと、手を前に出しかけたその時、見た。

 それはまるで津波。青白い炎が一直線に、ゾンビを飲み込むように、瞬間的に駆け抜け、鋭角に倒れる友人たちへ向けて飛び出したのを。

 



 ――視点 変更13 ――




 星野 優子は撫子に庇われたままの仰向けになった姿勢から、迫りくるゾンビたちを涙をためた眼で力いっぱい睨みつけていた。

 だからこそ、もう息がかかるほどの迫った彼らの体が、目にも留まらぬ何かによって突き飛ばされたのを目撃できた。

 

 


 ――視点 変更14 ――




 アルバイン・セイクは見惚れ、動けなくなった。

 鋭角に跳びだした先、撫子たちに襲い掛かるゾンビたちの一歩手前に着地、同時に勢いと体の捻りとを完全に融合させた回し蹴りを放った青白い炎にまみれた男に。

 その彼が続けざまに脇に構えた刀を横一線―――いや、強化された自分の視力でさえ捉えきれない高速の切り返しによる斬撃で、ゾンビたちを木端微塵の肉片に変えた。

 




 ――視点 変更15 ――




 九重 撫子は自分の体が誰かに持ち上げられる感覚に驚き、瞼を見開いた。

 あの状況で、誰が―――

 「口は開くな。舌噛むぞ」

 (!! この声―――っ)

 脇に抱えるバッグのように抱えられた思いきや、思考がめぐる前のいきなりの急発進。

 女子高校生二人を抱えているとは思えないほどの身軽さで、鋭すぎるバックステップ。

 意識が持っていきかけた意識を無理やりに保ちながら、常人の数倍にいたる距離が瞬時に開いたことに驚かされる。

 その瞬く間の浮遊の最中に私たちが倒れていた場所に何体ものゾンビがなだれ込むのを目撃し、もしあと数秒遅れていたらと考えると汗が噴き出た。

 反対側で、同じように抱えられていた優子と目が合ったのはその時。共に似たことを考えていたらしく驚きに固まっている。

 助かった、という実感が遅れてやってきていた。

 「立てるな?」

 そんな私たちに、ぶっきらぼうにかけられたその声。

 その主を私は知っている。

 だが、何故だ?

 あなたは今、彼と……右腕を決めるための戦いをしていたはずではなかったのか?




  ――視点 変更16 ――





 「まったく、オマエって奴は――――」

 どんな時でも、それが例え自分の命をかけた決闘や決戦、己が危険に晒されようとも、いつもそうだった。

 目の前で他人の命が、戦いとは無関係な者や、仲間の命、敵であっても助ける価値あると判断した者が巻き込まれようとすればどんなに大切な瞬間だったとしても助けに駆けだしてしまうのだ。そのせいで幾度、命を落とす羽目になりかけたことか……

 「フッ」

 笑みがこぼれおちた。あぁ、そうなんだろうな―――

 オマエはいつだってそうだ、そうしてしまう、そうしてしまえるのだ。 

 「だから、私はオマエに。まったくオマエは――――」

 我が主である男は、アイツのそういう所をクケケと爆笑しながら、そこが面白いと笑ったものだ。

 だって暗殺剣の使い手のくせに―――

 「―――正義の味方(ヒーロー)みたい奴なんだから……」

 だから、私はオマエに憧れていたんだろうよ、“五右衛門”。

 

 

 

 ――視点 変更17 ――





 「東条 五右衛門……さん」

 「ん? 嬢ちゃん、どっかで会ったことあるか?」

 今までの狂人ぶりが嘘のように、青い燐光を完全に脱ぎ捨てたツンツン髪の和服姿の男は、足先が無いのに平然と、当たり前であるがの如く、堂々と眼前に立っていた。



 


                                   次話へ




 

なんか、すいません。

遅くて、すいません。

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