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con-tract  作者: 桐識 陽
5:果たされない約束の亡者
33/36

3、両の右腕

   



 俺は死んだ。

 体をバッサリと裂かれて、死んだ。 

 そのはず。

 「――――っ?」

 その、はずだったのに。

 命の息吹をとり戻す様に飛び起きる。

 目の前に広がっていたのは、

 「ぎぃひゃひゃひゃひゃひゃっっ!!」

 「……やべーよ、マジ、ヤベーよ」

 「ビールが、俺は、ビールが大好きだぁははははははっ!!!」

 「もうこんな世界耐えられない! わたしぅい……足と結婚するっ!」

 「ブギギギギギッw! このアバ〇レれどうやったら自分の脇と結婚できるっつぅんだよぉw」

 「…………」

 目が覚めたら、俺は酔いどれ共の中心に寝かされていた。

 鼻と目を焼きそうなほど強いアルコール臭。

 酒をまるでジュースのように飲み干しているのは、高揚してまるで火傷でもしているような顔や肌をみりゃわかる。それはまるで童話に出てくる赤鬼の様。

 ここは地獄か? 

 いや、日本の地獄はもっと硬派なイメージなはず。

 たが、こいつらは間違いなく“鬼”。

 (強い。此処に居る者たち“全員”)

 どいつもこいつも人の成りをしているが地獄の獄卒どもかと見紛う存在感と、回りすぎたアルコールの影響で気でも緩んでいるのか、魔物のように禍禍しい魔力が漏れ出ている。

 そして、なによりこいつ等遊んじゃいるが、俺から意識を離さない。暗殺を生業にしているんだ、視線以上に肌を突きさすような気配の視線というものは感じられる。

 (ここは、どこだ? なにが……)

 動揺を無理やりに押し込め、俺は記憶に探りをいれる。

 俺は……そう、殺しに来たのだ。メルなんとか言う胡散臭い男の依頼を受けて、極東で活動するという武装組織の長を殺すために己の体に流れる血筋の故郷たる地を初めて訪れ――




 

 「左端 堕落、永遠の17歳デスッ! ……緊張しますけどぉ、心をこめてぇ! 歌いぃまっすッ(ギラっ)――――“はじめてのプレイ”――――」

 宴会場の中央、この場にいる猛者すべてから視線を受ける収束点にいきなり現れ、胸やけするような新人アイドル風に媚び売るふざけた中年男が、その標的ではなかったか?




  

 「はじめてぇのぉプレェイぃぃ……はじめてぇのぉプレェェイ、ウフ、うぅふふふっfu!」

 それは心にへばりつく様なウザく汚ぇ替え歌。

 しかもなぜフルバリトンボイス。

 当然とばかりに巻き起こるブーイング。

 「耳障りだぁっ!! “組長”っ!」

 「ひっこめ!! “組長”!」

 「誰が17歳だぁっ! 〇〇子おねぇさん以外は認められねぇんだよ、この“組長”風情がぁ!」

 「ヤめてくれ組長ぉぉう! 俺の小説が消されてしまう!」

 「そうよ! あんな女と別れて私と結婚しなさいよ、組ちょグゥワバッ!!?」

 他にも、くたばれ、引退しろ、尻をほられろ、嫁をよこせ、など多くの罵詈雑言が様々な投擲物とともに“組長”に向かって投げ入れられる。(結婚を要求した女性だけは、どこからか飛来した熱線を帯びた一升瓶が顔面にめり込み、10メートルほど吹っ飛び、周囲に巻き込んだ挙句痙攣しているが)

 組の長(トップ)の姿とは畏怖に近い敬意をもって扱われるべき者のことをさす。

 そのはずなのだが。

 「ふふふんふんふんふ~ん…………わっちと音芽のはじめ~て~は~、河川敷での人目をきにしつつあオゴオォオオォオオぅアイアンフィンガァァァッァァアアアアッッッッ!?!?」

 組長の法律違反ワードをその口ごと顔面を鷲掴みするのは、鮮やかな白色の着物をきた、これまた似たような白色の長い髪が腰まで美しく垂れる女性。

 ここからでは離れ過ぎていて確かなことは言えないはずだが、美人だと断言できる。なぜかわからないが、そう思えるのだ。背後しかみえず、服とその淀みのない白い長髪しか確認できないが、雰囲気と、俺の周りにいる者ども老若男女とわず顔つきが緩んでいることで、そうとわかった。

 「音芽さん、カッコイイ!! そのまま組長を八つ裂きに!」

 「よっ、音芽さん!! そのまま握りつぶしちゃえ!!」

 「素敵ィい!!」

 「そうよ! そのまま離婚しなさい! そして私に組長ヲゴォボッ!!?!?」

 そして、組長よりも彼女の方が人望があるらしく周囲からエールが絶えることはない。

 あれが組長の妻……音芽(オトメ)と呼ばれている女性は、掴んでいた旦那を、さきほどから求婚を続けていた女に向けて投げつけた。これではどちらが組長なのか、わかったものではない。

 あれが、俺の標的? なんだか虚しくなってき…

 「どうよ? あれが、わっちの嫁。今度、お前さんにも紹介してやるよ?」

 「った!?」

 湧きあがる会場の歓声に混じって、背後から今さっき砲弾として使われたばかりの男の声がして悪寒がはしる。

 一体、どうやって? 

 距離的にはさほど離れてるとはいえない。だが、一瞬でここまでくるなど不可能だ。

 会場の誰もが、投げた音芽本人でさえ組長が俺の後ろにいることに気がついていない。こんなこと暗殺者(ほんぎょう)の俺でも出来ない。

 「動くなよ~、気付かれるから。さすがにやり過ぎた。お~イテテテっ、音芽の奴マジだったよ。危うく顔を無くすところじゃったね、この美ゥゥゥつくし~いィィイケメンを」

 顔に痛々しい赤い痕をつくっているだろう男は当然とばかりに俺に話しかけてくる。

 俺にはそれが信じられない。自分を殺そうとした人間とここまで自然と話しかけられる神経が。

 いや、それよりも。 

 「なぜ……」

 「ぬぅん?」 

 「なぜ、殺さない? 俺はあんたを殺すためにきたんだぞ」

 「いいじゃん、わっち生きとるし」

 「なぜ、俺は死んでいない? 俺はたしかにあんたに斬られたはず……」

 「ぅうん~? どこか斬れているのかい? きちんと“斬れていないはず”だよね?」

 クケケケケッ、と奇妙な笑い声をする男の言っている意味はわかる。

 俺はたしかにこの男、左端 堕落と戦い、手も足も出せずに無様な負けをし、斬り殺された……はずだ。

 だが、体を見ても切断痕はない。もちろん衣服にも。

 ただ感覚だけは確かに残っている。

 あの縦に割られた剣の軌跡の感触が。

 それが、俺を自然に納得させてくれた。

 「殺せ……俺は負けたんだ」

 敗北は死。それが自然の摂理にも似た戦の流れだ。

 敗者が生きているなどただの恥。

 未練はない。生涯の最後に自分などでは計り知れない強さを持った男と剣を交えられたのだから。

 俺は目を瞑り、介錯を頼むように首を下げる。

 「どったの? 背中が曲がり過ぎとるよっと!」

 「ぐびっ!?」 

 背に膝を当てられ、無理やりに背筋を仰け反らされる。骨が軋んでバキバキと痛々しい音が響く。

 「な、なにしやがるっ」

 「……まぁ、そう悲観しなさんなよ、お前さん。イイ線いっとったのに、そのまま死んじゃもったいないよ。こっちの外人さんも」

 「あ?」

 「ゥウン? ここはNEHANですか……?」

 「てめぇも……?」

 もしかしたらすでに俺は一回死んだんじゃないだろうか? 川の字に一緒にこの牧師服と寝かされていたことにすら気がついていなかったのだ。気が緩み過ぎている。間抜けもいいところだ。

 「クケケっ、二人とも起きたかい? おい、巌。こいつらにお茶か、水くれてやりな」

 「……水なら、ここに」

 呼ばれてすぐに表れたのは、俺たちとよりも少し年下だろう若い青年。

 白ブチ眼鏡をかけた、ビシッときめているスーツは俺でも知ってる高級ブランドを着こなすソイツは声は平坦なものだったが、目には明らかな怒りと殺意をもって俺“たち”を射抜く堅気ではない気配をその身に漂わせていた。

 「どうぞ」

 「……ああ、悪いな」

 だが、俺たちよりも弱い。それだけはわかる。コイツ自身もそれがわかっているのだろう。こちらには手を出してこないのがその証拠。

 分はわきまえているが、組長を暗殺しようとした相手に良い感情はもてない、か。目を見りゃわかる。今にも喰ってかかりたい気持ちがギラギラした光となって瞳に力を与えていやがる。

 それが当たり前。

 それでいいのだ。

 それが普通なのだ。この周囲の奴らが暗殺者そっちのけで遊び呆けている事が異常なだけだ。

 殺意を向けられて落ちつくのも変だが、まともな奴がいたと安堵する。ソイツから手渡されたのは水入りのペットボトル。当然、飲むわけがないが受け取っておく。それは牧師服の方も同じらしい。今は様子見といったところか。

 「…………」

 「…………なんだよ?」

 「ん? 気に障ったかい?」

 ジッ……と俺を見る組長の目。整えられていない無造作に伸ばし放題な前髪の奥に、日本人の色とは違う瞳がチラチラと垣間見える。

 好奇心の光がそこにはあって、俺はどうしても耐えられなくなった。

 ようは、イラついた。

 「俺を殺すつもりがないのか? 俺はあんたを殺す様に依頼された男だぞ。このまま帰してみろ、俺は必ずあんたをまた殺しにくるぜ」

 「貴様ッ! 慈悲を貰った身でありながら!」

 巌がついに堪忍袋の緒が切れたように膝をついて、こちらを罵倒する。

 俺は返す刀で(手元に刀はさすがにないので言葉で)、怒りを腹の底からぶちまける。

 「だったらとっとと殺しやがれッ! 生半可なお情けなんざイイ迷惑なんだよッ!! 屈辱以外の何物でもねぇんだ!!!」

 自暴自棄だって事は解ってる。巌と呼ばれていた男が放った怒りの意味も承知の上。だが、このままでは俺が、俺を許すことができない…………

 叫んだせいで、宴会場のほぼ全員がこちらに振り向いていた。

 嬉々溢れていた場に起きた無粋な雑音に顔をしかめている者ばかり。この猛者たちが牙が一斉に剥かれれば、俺など数分とたたずに引き千切られることは目に見えている。

 だが、それがどうした。

 牧師服の方も同じ気持ちなのか、瞳に戦う意思が灯っている…………いいぜ、やってやる。ハデに散ってやろう。

 気持ちの悪い静寂が訪れる中。二人同時に決死の意思を燃え上がらせて、片膝を突いて立ち上がろうとした

 「クッケッケッケッケッケッケッケッケッケッケッケッケッケッケッケッケッ!!!」

 パチパチパチ! と拍手の音と不快な気分にさせる笑い声が上がったのは、ほぼ同時。

 誰が? などと聞くまでもない。

 なにせ、ソイツは目の前にいる。

 楽しげに、本心から“いと可笑しと”爆笑している。

 「イィね! 実にあっぱれ!! やっぱり気にいったよ、お前さんら」

 「なにを言って……」

 会場の皆すべてが同じ気持ちなのか、またはこの場の全てを圧するような鬼気を笑いながら放つ男に言葉が続かないのか、静まり返っていた。この男の声が響いてしまうほどに。

 「丁度欲しいと思っていたところでね。いや、まさに運命だぁ~ね。ビビッときたね! フヒッヒッヒッヒ!! …………なぁ、お前さん“ら”」

 立ち上がろうとする俺たちは片膝立ちのままで、なぜか胡坐をかく男から目が離せない。 

 大いに隙だらけ。まるで腹を割って話そうと、すべてをさらけ出すような隙の作り方で、存在感を溢れさした男は大きく、一切の迷いのない笑みを浮かべていた。

 「わっちの右腕にならねぇかい?」




   

 3、両の右腕(ダブル・ライト)




 

 俺は死んだ。

 体をバッサリと縦に裂かれて死んだ。 

 そのはず。

 「――――っ?」

 その、はずだった。

 命の息吹をとり戻す様に目蓋を開けて先に映ったのは、木製と思われる天井。眼球の動きだけで確認できるのはここが和で統一された部屋であること。

 張り替えたばかりの畳独特の香りが近く、体にかけられた布団の温かさ。そして、衣服まで新品のものに変わられている。これは和服……いや、ジンベイってやつか?

 俺は知人に回収されたことを理解する。

 もし敵意ある人間ならばここまであついもてなしなどあるわけがない。

 「やぁ、おはよう。いや、今はまだ夜だからこんばんわ、かな?」

 聞こえてきたのは低音の落ちついた声。

 「…………永仕、か?」

 最近知り合った男の声は、俺の位置から少しばかり離れた右側。

 右に首を傾けて見れば部屋の端、和紙の扉障子を開けた縁に腰を掛けて風景の中に座っている若い男の姿があった。

 学生服の夏仕様を着た若者。学生が飲酒している姿にこの男の正体を知らない人間は怒鳴りつけるかもしれない。

 だが、俺は知っている。あれが俺よりも遥かな年月を生きた人外の存在であることを。

 畳の上に転がっている幾つもの中身が空になった徳利(とっくり)

 100年以上生きていれば禁酒法など遠い彼方。枡など使わずそのまま飲む様は、まるでやけ酒。しかし、様になっているのは重ね続けた年の功といったところか。

 「荒れてるな? なにかあったのか?」

 「ふぅ……そうだね。いい様な……悪い様な……事がね。ちなみに此処は音芽組の屋敷だ。安心してくれ」

 「そうか俺は……グっ!?」

 「無理に起きない方がいい。どこも怪我はないようだけど、倒れていたからな」

 「どこも? 怪我が無い?」

 そんなはずはない。信じられぬ思いで、先ほどの敗北の線を探るが、たしかに…………無い。傷跡などどこにも。

 あれほど、バッサリと両断されたはずなのに。体を真っ二つにされた感覚があったはずなのに。

 生きているからいいモノだが、ここまでくるとなぜ死んでいないのか疑問に思えて仕方がない。

 「夢だった? いや、たしかに俺はあの時に、あの時? ――――そうだ、アルバインの奴は!!?」

 「あぁ、お前さんの横で」

 ガシ! 

 ガシ? 左腕に絡みつく感覚につられ目を傾け




 「幸せそうな顔して一緒に寝てるだろ」

 「ウゥ~ン、そこはダメだよ、ロぉーザぁ……」

 どんな夢みてやがるのか、涎たらして女々しく喘ぐ男が腕に絡みついていました。

 



アナタなら、どうしますか?




 「(わたし)の場合は、無理やりに振りほどいて布団の上に戻した後、そのまま左ひじを尖らせてアルバインのこめかみに叩きつけます割と本気でぇ!」

 座位であれ、体重の上手く乗った半ば本気の一撃はこの死んでなかったクソ騎士野郎様の頭を貫通して音芽組の屋敷に小気味の良い振動を響かせる。

 「ヴぐぅぁっばア゛ッッ!?!?」

 俺と似たような白色のジンベイに着替えさせられていた馬鹿が絶叫を上げて痛みに悶え転げ回った。

 なお、これはアルバインのような物理防御力が高い奴にしか使えませんのであしからず。イイ子は真似しちゃいけないってのは解るだろ? だから俺みたいな本当のイイ子たちは決して日常的に使わずに胸糞悪い人間がいた場合のみ、迷わずにスカサズ使おう。お兄さんとの……約束だぞ?

 「イタイッ! イテェ!!? グゥアアア!? あたまぁあああア゛ッ!?」

 「……ヤメテくれ。家を壊す気か?」

 「ヤメテくれはこっちのセリフだ、永仕!! なんで当然のようにコイツと一緒の布団に入れらてんだ俺は!!? オマエは、俺とコイツをどんな風に見てやがんだ!!」

 「最近の流行りだろう」

 「流行りってなんだ!!? 流行ってねぇよ!! 俺には一生訪れない流行だよ!!!」

 「そうだな……俺もどうかしてたのかな。謝るよ、ゴメン」

 「わかりゃいいんだ。オマエと俺の仲じゃないかこのヤロウ、ハハハハ」

 「目がちっとも笑ってないじゃないかハハハハ」

 「ハハハ、じゃないだロ!! なにこの殺意溢れる和気アイアイ!? それに、なんでボクがこんな目に合わなきゃいけないんダ!! 死ぬかと思ったゾ」

 心温まる? 雰囲気に割って入ってくるアルバインは怒っているようだが、それは逆ギレというものだ。理不尽にさらされたのはこっちのほうだというのに。

 まぁ……そろそろ、真面目な話に戻していい頃合いか。このままズルズルと流されている暇は……ない。だから単刀直入に問う。

 「そうだな。なんで死んでない? あの時、たしかにオマエは幽霊に切り刻まれて死んだはずだろ」

 「? え、あ…………そ、そういえバ死んでないゾ、ボク!?」

 「…………」

 だから、それが聞きたいんじゃねぇかよ。

 俺と同じように体を触るアルバイン。だが、アレだけ斬り刻まれて、傷跡一つないことは驚き通り越して気持ちが悪い。

 これじゃまるで本当にあれが夢や幻だったのでは? と本気で疑い始めてしまいそうになる。

 が、あれはたしかにいた。圧倒的な強さをもって。

 「たしかにボクは、あの幽霊にやられたはずダ。憶えてるよ、アレは凄い剣士だっタ。結局、一度も触れられなかったしナ」

 「そうだな、この役立たず。信用してた俺が馬鹿だった。オマエ、一から修行し直しとけよ」

 「なんでそんなに上から目線!? キミなんてただブッ飛ばされてただけじゃなかっタ!?」

 「あれ? 逆ギレ? まったく最近の若い子はすぐ口答えする……」 

 「イラつク!! なに年上ぶってるノ!? あと、まったく別の話だけど、正直失敗に対して年配の人のほうが言い訳する気がするよ、この社会」

 「ぉ~い、お二人さん。話の主旨がズレてきているよ」

 さきほどからやけに静かな男に釘をさされると急に頭が冷めてくる。ついでに、あの幽霊以上に気になりはじめていたことなんだが……

 「それで、ボク達なんで永仕の家で寝かされているんだイ?」

 「…………」

 俺が聞こうとしていたことをよぉ……

 出鼻をくじかれた気分でアルバインを睨む。睨まれた男は、なんだヨ、と非難の目線を変えしてくる。 いいだろう。このまま睨みあいといこうか、あぁ、コラ?

 「お前さんら、ホント仲が良いな」

 突然湧いた笑い声に、おれたち二人は目を向けざろうえない。

 いままで何か深刻そうな顔をしていた人間がみせた喜の感情。その中にどこか遠くを見る様な、俺たちのやり取りを通じて、誰か別の人間たちを思い出している感情が詰まっているような気がした。

 「ははは…いや、すまない。え~、とアレだ。探しものをしていた時にね、偶然通りかかったらお前さんらが倒れていてさ。それで此処まで運んできたんだよ」

 「探しもの?」

 「ああ、友人を。古い……仲のよかった親友を、ね」

 「へぇ? それで、そいつには会えたのか?」

 「ああ、会えたよ。元気そうにしてた」

 「それはよかったネ」

 「ああ、ほんとに、ね」

 「「ハハハハ」」

 「ほんと、元気そうな“幽霊”になってたよ」

 「「ハハ……ハァ?」」

 摩訶不思議なキーワードに二人して上ずったハーモニーを奏でてしまった。

 そんな永仕と反対側にある障子が、失礼するよ、という前置きと共に開いた。

 「永くん、ちょっと良い……か…な……」

 ヌッと、自分の名前を体現するような巌のような巨漢が現れる。

 剃り込まれた頭に、仙人のように長い顎髭。五十代半ばだというにはあまりにも覇気に満ちた肉体と目の光をもつ貫禄ある男、音芽組組長代理、近衛 巌は目を満丸に見開いて俺を凝視してきた。

 「……く、組長……?」 

 「ハぁ?」

 なに俺を視てビビってんだ? いや、確かにcon-tractの社長ではあるけど……組長と呼ばれるのには違和感がある。

 「巌くん。彼は、進だ。代わりの服がなかったからアイツの服を着させているだけさ」

 「な!? ……し、失礼した……ゴホン! あぁ~え~進君、アルバイン君。どうかな、体の方は?」

 「……あ、いや問題はないみたいだ」

 「……助けていただいたようで、本当にありがとうございまス」

 「礼などいらないよ。君たちには返しきれないほどの恩義があるのだからね。傷が癒えるまで、ゆっくりしていってくれると嬉しい。で、永くん。パドの奴が君に報告したいことがあるらしくて呼んでいるんだけど?」

 「そうか。察しはつくけど……彼とも久しぶりだから長めに話てくるかな」

 「ちょっと待てオマエ! 幽霊がどうこうの話はどうなった!!」

 「お前さんには関係ない」

 ピシャリと、心と部屋の障子で拒絶された。

 頭にきた俺は首根っこをひっつかんで戻すつもりで勢いよく立ち上がり、部屋を出ようとした。

 「ぬぐぅ!?」

 したのだが、体が異様に重い。まるで全身がなまりに変じたようなダルさと、血が足りないような強烈な目まいに襲われ、無様に転倒しながら部屋の障子を突き破って廊下に出た。

 「ぐっ、痛ツツっ」

 「……なにやってんだ、魔王がいたらこんな奴……」

 「うるせぇ、犬ころ……って、なんだこりゃ?」

 白い目でこちらを見下ろす永仕と俺がいるのは日本屋敷特有の木製廊下。

 三人が横一列で歩いても余裕がある幅広い廊下は、両脇にびっしりと人間が寝かされていた。

 しかも日本人ではなく外国人、イタリア人だろうか? 堅気の雰囲気じゃないところはこの組の連中といい勝負だな、と思える強面たち。

 その全員が青白い、生気のない顔をしているのはなんとも不気味だった。

 「ボス……?」

 今度はボスときたか……と思いつつ苦虫噛み潰した顔して見上げれば、センスの良いスーツを着た初老の男が俺を驚いた顔で見下ろしている。

 でかい。トレードマークになりそうなスラリとした長身にハンサムな面をした白髪まじりのアッシュブロンドのイタリア人は、言った瞬間から否定するように、気障に頭をふった。

 「ん~? 違うな。ボスならもっと体中から怠惰なオーラが弾けているはずだ。エイジ? まさかとは思うけど彼はボスの……」

 「あぁ、違うと思うよ。あれの親族かもしれないけれど、あのダメ人間の息子で、この“紅い目はありえない”」

 イタリア人と永仕が、なんか好き勝手ブツクサ話している。妙に貶されている感じがあるが、俺にむけてではないようだ。

 ていうか、弾ける怠惰なオーラってどんなだ?

 いや、それよりも、だ。

 「なんだこのむさ苦しい廊下は、いつもに増して暑苦しい連中ばかりで息がしずらいな」

 「いつもに増して、とは何だコラ。たしかにうちの組は暑苦しい連中ばかりだけども、ほら見ろ、あそこに天使がいるじゃないか」

 「はぁ? 天使?」

 掌上にして示された方をみれば……まぁ、天使と例えられた少女がたしかにいる。

 それは小学生ほどの小さな少女。

 彼女専用に小さく作られたナース服を着てちょこまか一生懸命小さな手で包帯をグルグルと“傷一つない”患者たちに巻き付けている。

 あれはある種の迷惑行為ではないのか? まぁ、やられている方はなんか幸せそうなのでいいのかもしれない。

 その愛くるしい灰色の髪の少女には見憶えがある。

 「……あれ、オマエの妹じゃねぇか」

 「天使だろう」

 「天使だね、サヤ姉さんは」

 ドヤ顔で断言するシスコンと、同意するイタリア人。駄目だ。こいつらもうダメだ。

 サヤと呼ばれた少女はやけに手なれた手つきで怪我人は介抱しており、こちらに気が付かないほど集中している。その健気な姿を廊下のヤクザ共はだらけきった気色悪い笑みで鑑賞している。あぁ、どいつもこいつも。ここにはロリコンしか、いやシスコンしかいないのか?

 いや、待てよ? この伊達男、今なんて言った?

 「サヤ姉さん? ってことはあんたあの子の正体を知って?」 

 「ああ、もちろん。私は昔、この組でお世話になっていてね。ある程度の秘密なら知ってるよ」

 片目でウインクしながら返してきたイタリア人。年の割に陽気な雰囲気なのはやはりお国柄か? 

 などと断じる前に、イタリアの伊達男は急に顔に真剣な皺を寄せながら、重く口を開いた。

 「だからこそ、断言するよエイジ。見間違えじゃない。あれは、たしかに“ゴエモン”だった」

 「……そうか」

 聞き覚えのない男の名を聞いた瞬間、永仕の顔に悲嘆の影が落ちた。

 そのゴエモンというのが、あの幽霊なのだろうか?

 「おい、さっきから置いてけぼりなんだけどよ……」

 「だからお前さんには関係ない」

 「ねぇ、シン?」

 「関係ないはねぇだろう!? こっちはそのゴエモンとやらに…」 

 「いや、だから、シン?」

 「俺にも、お前にもどうすることもできない」

 「それはどういう意味で…」

 「おい、シン?」

 「なぁんだよ、アルバイン!? 今取り込み中…」

 「さっきからキミの携帯電話、鳴りっぱなしなんだけド?」

 「あ゛ぁッ? 誰だ、こんな時によ!」

 気だるげに立つアルバインの手から差し出されていた携帯をむしり取り、メールフォルダを展開してみて目を剥いた。

 なんとその数44件。多すぎる! そして、なんだか到着件数が怖い。

 送信者はすべて同じ。名前は、九重 なで―――




 そこで突然のフラッシュバック。

 脳裏に写されるのは、あの幽霊に真っ二つに斬られそうになった瞬間。

 

 ――――死の間際、鮮明に脳裏に浮かんだのは、アイツの笑顔。



 ((なで)――――)


 そんなことを瞬間的に思い出して――――


 


 「なァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアウウ!!!!!」

 ――――俺はその“事実”を否定するように叫んで、とりあえず廊下に取り合えずうずくまった。

 「どうしたの、シンっ!?」

 急にさけびだした俺に周囲の目が冷たく突き刺さる。そうだ! そのまま俺を凍て付かせろ! そうしてください、お願いします!

 「違ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアウウウ!!!!」

 「ついに壊れたのかい、お前さん?」

 体温が上がるのを感じて、それを誤魔化すように叫んで恥を受け入れる。

 なにかの気の迷いだったに違いない。

 そう思うためにとりあえず慌てて叫んだ。

 走馬灯見てんだ俺は!!? 俺は慌てて記憶をかき消すように叫んでいた。

 ただ、慌てすぎたせいで手元から携帯を落としたことは失敗だった。

 そして、拾った奴も悪かった。

 その極道もどきの人狼は、携帯が画面をみて笑った。

 「……ふぅぅん……進、お前さん……ふぅうん……」

 「ハッ!?」

 ガバリと顔を上げたが、もう遅い。俺の携帯をみて、驚異的な推理力を発揮して確信を得た面の永仕がニヤケ顔で仁王立ちしていた。

 直感がある。

 ヤバい、こいつ俺をおちょくる気満々だ。

 「へぇ……そうなの……まぁ、いいんじゃない。俺は、まぁ、応援してあげても……いいんだよ?」 

 「永仕……テメェ……」

 現代機器になれている狼は携帯を楽しげに操りながら、俺を強請り(?)にかかる。

 「まぁまぁ、いいじゃん? 青春はいいね。この甘酸っぱさはもう俺の年じゃ…………おい、進」

 「……なんだよ? べつに俺は、そういうんじゃねぇんだよ? ホントだぜ? あぁ、マジで……えぇ、ほんとだよ? 本当だかんね!」

 「そうじゃねぇ……|撫子≪あの子≫は今、どこにいる?」

 一変して廊下で横になっている奴ら以上に青ざめた表情で永仕は俺に届いていたメールの一通を見せつけてきた。

 内容は一言。

  

 


 今、目の前に幽霊がいます。どうしましょう?



 

 その簡素な、簡素過ぎて逆に不気味な内容に絶句した。





  ――視点変更 1――


 

 

 「は? 幽霊?」

 メールの内容に、緊張の糸が切れてしまった。

 そのことに機敏に感じ取った“上司”が俺をしかりつける。

 「こら、立花さん。自由にしていいとは言いましたが、集中力を切らしてはいけませんよ?」

 俺はしかられた……のだろうか?

 そう疑問に感じてしまうほど、落ちつきある滑らかな美声。その美声に相応しい美少女が、可愛い仕草と一緒に紡いだとなるとさらに怒られている印象が薄くなる。

 だけども彼女は、俺の上司にあたる。失礼のないように謝罪の気持ちを口にする。

 「ごめん、御園ちゃん。いや、学校の先輩から変なメールがあってさ……」

 失礼のないように謝罪を……ってアレ?

 「上司に対する敬意がまったくこもってませんね……まぁ、いいんですけどね。実際、まだ私は中学生ですから……しょせん、中学生ですよ!」

 不貞腐れた諦めの態度もまた、品を失わぬ可愛らしさがある。

 なんとなく同じ職場の先輩方の熱中ぶりも理解できる気がする。

 透き通るような白い肌と、艶のある黒髪をツインテールにまとめた美少女の名は、(スメラギ)御園(みその)。驚く事にこれが本名らしい少女は軍服風に改造された巫女服に身をつつみ、学校の教科書らしき大きな本を読んでいる。

 そんな少女らしさを残す年齢の彼女が所属しているここは、日本唯一の魔術やオカルトに対する国家公認の独立秘密機関。名を、外異管理対策部。

 公の機関ではないが、それなりに資金は回してもらえているようで新東京の都心にあるビルを丸ごと借りて本部としていた。

 その地下3階に設置された、それなりの広さをもつ白いコンクリートブロックで固められた部屋。その中央に俺、立花(たちばな) (マコト)は地面に座り込んでいる。

 半裸で。

 「あ、また集中力を切らしましたね? ダメですよ。これも立派な訓練だと思ってくださいね?」

 「訓練って……」

 いい加減気がめいってくる。

 なにせ、かれこれ3時間はこうしているのだ。集中力などとっくに切れていた。

 半裸で女子中学生に監視されている状況、には慣れてきた(いや、変態とかそういうんじゃなくて)が所属してからというもの雑務の手伝い以外は訓練と称したこの羞恥プレイもどきをさせられ続けているのだから困惑している。

 地面にチョークで書かれた人が三人は入れそうな円(完全な円ではなく、間隔をあけて空いてる)の中に俺はいて、その円の先に四方を囲むように市販で売られているような大き目の鏡が俺を常時写す形で配置されていた。

 皇が居るのは俺の斜め前方、配置された鏡の奥に座布団を敷いた上で正座している。

 驚くことはピシッとした正座のまま、三時間立ってもその見本のような姿が崩れないことだ。

 俺も当初は、新しい自分というものを探す決意と、その姿に触発されて真面目に訓練を重ねていたが、最近はさすがに飽きてきた。この方式を考えた男が、鏡の妨げにならない程度の雑貨類なら円の中になんでも持ち込んで構わないと前置きしてくれたため現在は携帯や漫画雑誌を始め色々な私物を持ち込んでいた。

 始めは確かな熱意があったのでなにもなかったが、今はごちゃごちゃと私室のような風を呈している。

 「しかも最近は体に変なペイント書かれるし」 

 不満を漏らす様に鏡を睨めば、胡坐をかいた半裸の体に眉間からへその辺りまで、捻じり輪のような線と、喉と心臓近く、へその上とへその中に点を墨で描かれた俺が映る。

 「インド哲学にある人間の生体エネルギーの流れであるプラーナの図ですね。たぶん、あなたの中にある力の流れを知覚しろ、と言いたいのではないでしょうか?」

 「俺の中……ミノタウロスの力を、か」

 俺、立花 信はただの人間ではなかった。

 体の内、魂にギリシャ神話の神ミノタウロスが宿っているらしい。

 かつては、その血と俺の憤りが破壊を望み暴走したこともあったが、今は安定していた。

 俺の体にペイントを施した男が調べた限り、俺の体に流れる精神エネルギーの流れである気道とやらは驚くほど静の流れをみせているとのこと……簡単に言うと、体内の荒ぶる神がスヤスヤ寝息を立てて熟睡しているらしい。

 それでなく、これまで制御できなかった怪力が今では容易く自分の意思で調節できる事や、破壊衝動の一切がなくなるなど、現在俺は快適な生活を送れている。

 これもすべて、あの人のおかげと言っても過言ではない。

 「不安ですか?」

 「え……」

 心を貫くように放たれた皇の言葉に、俺は動揺した。

 俺はもうあの事件以来、自分の中にあるものや、取り巻く現実から逃げないと誓い、この場所で本当の意味で力の使い方を模索することを望んでいる。

 それを引き出すような訓練ということは知らされていたし、同意の上だ。

 だが、やはり不安は……

 「不安なんて、ないって言いたいけど。もし、また暴走したらって思っちまうよ」

 この力でやさぐれていた時の俺を思い返して、罪悪感にも似た恥ずかしさに俯く俺に、それを察した御園は声を多少張り上げた。

 「暴走の不安は心配ないとは思いますよ。暴走は立花さんの精神状態からきている節がありましたし、それに……横路兄様が心配ないと断言したのですから」

 気をつかってくれたのは一目瞭然。中学生に気づかわれるというのは年上としてなんだが困ったので話題を変えようと思う。

 「そうか……だけどよ? それはそうと横路さんって何もんなんだよ?」

 前々から気になっていても聞きずらい雰囲気があったので、感情に押されている今ならとへタレ根性でついでに喰いつくように尋ねてみた。

 横路、とは皇の秘書官という立場で外異管理対策部の実質ナンバー2。俺にこの修行をさせている張本人は現在この部屋にいない。なので、この際だからと覗ってみた。本人に聞け、という結論にも到るが、俺……あの人苦手なんだよな……

 「横路兄様ですか? 兄様のことは私も詳しくお話することはできない、というより余り良く知らないんです……」

 「そうか? 対策部で一番仲が良さそうになのに」

 「そんな、そんな。それはたぶん私が未成年だからと、頼りないから親身に接していただいているだけですよ、きっと。それに、私が横路兄様と会話していただけるようになったのは最近のことですし」

 ふーん、と相づちを打つが、続きの話は一切ない。まだ俺には話せないのか、本当にないのか。まぁ、きっといつか話してくれるだろう。だから今日はここまでで――

 「あっ、でも、これだけ知ってます! 兄様は、あの“蒼塵(そうじん)”の右腕だったらしいんですよ!」

 「蒼塵(そうじん)?」

 急に湧いて出た聞きなれない二つ名の存在に、俺は首を傾げた。

 「はい! 第三次世界大戦の末期に戦場に現れ頭角を現した、蒼い暴風を生み出し、それを巧みに操った方でして!!」

 これまでの大人ぶった雰囲気とは打って変わり、快挙に興奮する子供じみた説明をする皇。まるで自分のことのように語る彼女に気圧されかけたその時、俺が背を向ける方にある扉が開かれる音がした。

 「あまり不吉な名前を口に出すものではありませんよ、御園」

 最愛の孫娘にでも声をかけているような慈愛に満ちた声色に振り返れば、そこにはブランドもののスーツを着た今話題の対象にしていた男が“いきなり”真後ろに立っていた。

 「横路さん!?」

 朗らかな笑顔は、その切れ目すぎる視線を俺に向けた瞬間消失した。

 「なんですか? 不服そうな顔をしているようですね信。きっとストレスが溜まっているかもしれない。なんなら今から一緒に実技訓練で汗でも流しましょうか?」

 丁寧語なのになぜか上から聞こえる言葉使いをする男にむけて俺は全力で顔を左右に振る。

 「いえっ! 結構です! 今絶好調です! 死にたくありません!」

 横路の訓練に付き合った人間は病院に搬送される……精神科に。

 先輩隊員が語っていた対策部でのタブーの一つ。最近調子にのった同い年くらいの新人隊員が遊び半分で横路と訓練をした結果、あまりにヘビーかつロングすぎる内容を経て、彼は未だに病院に搬送されてから帰ってきていない(辞職してしまったらしい)ことを知っている俺は全身で拒否を示す。

 「そうですか。まぁ……それはそうと御園、御友達がこられてエントランスでお待ちですよ」

 「もう来てくださったんですか!? そんな、まだ用意もなにも……すいません、立花さん。私はこれで」

 「お友達は大切になさい、いいですね?」

 「はい!!」

 言うなりすぐにうれしそうな顔して乱れない程度の早足で訓練場を後にする御園。

 それをおやごさんみたいな顔して見送る横路。はっきりと断言するが、彼がこんな顔をむけるのは世界で御園のみである。

 「お父さんみたいっスね、横路さん」

 「信、私はこれでも若いんですよ。あのぐらいの可愛過ぎる娘を持つには後十年早い。それよりも……ずいぶん元気が有り余っているようじゃないですか? ずいぶんと詮索していたようですが、直接私に聞いてもいいんですよ?」

 「あ、い、う、え~、と……その」

 「お、が抜けているぞ、若造? もうずいぶんと神も“落ち着いていただけた”ようだし……そろそろ訓練に入ってもいいでしょう」

 「ハァっ!? これが訓練じゃないの!?」

 「訓練は訓練。ただし意味合い的には祈祷(きとう)に近い」

 「き…なんですか、ソレ?」

 「貴方の神はやけに気分を害されて……いや、畏縮しておられたからな……まぁ知識云々は後々で構いません。最終目標は君の意志で力を操ることですが、まずは肉体からいきます」

 「に、肉体?」

 不吉な一言を聞いた気がして俺は喉を鳴らした

 「健全なる精神は、健全なるカラダに宿る……今は差別用語にも使われがちですが、事実の一つであることはたしか。なので君には、対策部の訓練、プラス……私の個人授業を受けていただきます」

 これほどの恐怖を感じたのは進の理解できないあの姿を垣間見た瞬間以来だった。

 逃げ出そう!

 そう決死の覚悟をもっての決意は……

 「では、まず軽いウォーミングアップをかねて汗でも流しにいきますよ」

 「ちょっ、待っ!! って体が動かない!?!」

 なんの技を使ったのか俺の意志と反して体は動かず、俺は首根っこを掴まれ引きずられていく。

 やばい。このままでは病院に! 精神科に!

 「よ、横路さん! 俺実はメールの返信がまだでして、ええ! 学校の先輩からの相談がありまして、はい!」

 「……どんな?」

 「幽霊を見つけたそうです!!」

 「あり得ません」

 「ぐぇっわ!?」

 さらに強く惹かれ、俺は潰れたカエルの鳴き声を真似てしまった。

 やっぱ……ダメか……明日、日曜なんだけど病院何時までかな……

 「……そうですね。万が一でも君たちが言う幽霊がいるのだとしたら」

 あり得ないと再びつなげた彼は可笑しがるように喉を鳴らした。

 「この世が無事である筈がないでしょう?」 

 「……それってどういう意、ミッ!?」

 「さぁ、無駄口叩いてないでさっさと行きますよ」

 せめて自分で歩かせて。

 初めは言葉の意味を知りたかったが、訓練が始まるとソレどころではなくなり、結局聞くことはなかった。

 そして、メールを返信している余裕もなかった。




 ――視点 変更 2――




 (今、目の前に幽霊がいます。どうしましょう? って言っても、まぁ誰も相手にしてくれませんよね……)

 なんとなくわかっていたが、それでも助舟がほしくて打ったメールの返事は今だ、無い。心の内と、体が一緒に溜息つくこと、早数回。携帯電話のデジタル時計は23時を過ぎようとしている。

 (なんでこんなことに……)

 静寂に包まれる教会内で、再び重い吐息をついた。

 始まりは些細な肝試し程度こと。しかし、現場についてみれば……

 「オォ……撫子さん? そんなに溜息を繰り返すと幸せが逃げちゃいますよ?」

 「大丈夫です。元々、不幸体質なんでご心配にはおよびません、ライトフィストさん」

 「そんなドヤ顔で、そこまで言い切らなくとも……まぁ、憂いを帯びた女性の溜息というのは嫌いではないんですけどね!」

 お茶目に片目ウインクするこの牧師服の人を私は嫌いになれなかった。

 40代らしいその灰色がかかった金髪の白人男性の名前はライトフィスト。あまり年を感じさせないフランクな雰囲気をもつ彼はこの女子だけの空間においても礼節を忘れず、なれた仕草で自然と紳士的に振舞っている。

 今も、彼が作ってくれたイタリアンを御馳走になっていたところで、その味と見た目はレストラン顔向けのものばかり。自然と量もそれなりにあったのに完食してしまっていたことに驚いた。

 「ん~、どうでしたか? 最近は人に作ってあげていなかったので、お口に合ったかどうか……」

 「すごくおいしかったです! お料理上手なんですね!」

 「……どうだったんでしょうね」

 「え?」

 「まぁ、撫子さん以外の方はあまり箸が進んでなかったみたいですし」

 「あぁ、それは……」

 「「「…………」」」

 ライトフィストから視線を外して彼女らの方をチラり。

 まだ食器が並ぶ円系の片足テーブルを囲むように座るのは三人。

 優子、智子、ローザの三人。 

 揃って美少女という奇跡みたいなテーブル。のはずなのだが、三人は揃いもそろって顔色が悪く美少女度三割減って感じだ。

 しかも、ローザと智子に到っては未知なる恐怖から体が小刻みに震えてしまっていて声が出せないでいる。もともと極度の怖がりである彼女たちでは無理からぬ反応なのだろう。

 「寒いのなら毛布をお持ちしましょう」

 「いえ、お構いなく。きっとそんなことしたら、あの二人は発狂します」

 「そんなに? たしかに私は死んでますけど、とって食べたりはしませんよ、HAHAHA!!」

 だから、とってきますね。と、脚から先のない足で毛布をとりに戻るライトフィストを私は止められなかった。きちんと歩いているが幽霊なので足音はないのがなんともソレっぽい。

 そう、彼はなんと幽霊。

 信じがたいことだが事実だとわかるのは、存在感の無さ故。そこにいるのに、いない。そんな虚無感に彼は満ちているのだ。

 「大丈夫ですか、みんな?」

 なんとなく平気な私はライトフィストが奥の部屋に消えていくと、テーブルを囲む彼女たちに声をかける。完全お通夜ムードだったため声をかけずらかった。

 一番に反応したのは優子だった。

 「私は大丈夫なんだけど……ね」

 しかし、彼女にいつもの明るさはなかった。たぶん罪悪感を感じているのだろう。

 「まさか、本物が出る……というか、いるなんて思わなかったし……」

 「それはまぁ、私もですけど」

 幽霊はいるか、いないか。それは科学に満ちたこの世界においても未だ存在の有無が完全に把握できない論議の一つ。証明する手立てがない以上、完全否定もできないことで議論はいまだにつづている……らしい存在のはずだったんですけど、親切にご飯を作って、夜は危ないからと親切心で教会に停めてくれるらしです、どうしましょう?

 明日は都合よく日曜。学校も休みで、それぞれのお家の人には私の家(学校に登録してあるダミーの住所)に泊るとメールしたので大丈夫。

 問題は……

 「問題は私達だろう、撫子?」

 「智子ちゃん……」

 心の中を読んだように、親友がいつもどおりの女子に評判の良いかっこいい笑顔を作っていた。

 「確かに私は怖がりだ。もう認めるよ。でも、彼はまるで人間のようじゃないか? あれは普通の人間と変わらないとも思える。だから、大丈夫さ。このまま彼のご厚意に甘えて泊まらしてもらうじゃないか。私だって夜のソドムが危ないことは想像できるからな」

 夜のソドムは危ない。たしかにそうだが、たぶん彼女が言う危険性は多少ずれている。

 無法地帯であるソドムが危険なのは当たり前だが、夜に起こる犯罪等は比較的“少ない”。

 その理由は、ここでは一端置いておくとして……本当に危険なのは街を照らす明かりがほぼ無いことなのだ。

 街の暗黙の掟を、決めるような組織は多くあれど、街を管理する行政関係機関がない。

 そのため戦後から隔離区に留まる、もしくは侵入してきた者たちが出来るかぎり街の修繕、建築がおこなわれたことになる。

 つまり修繕には限界があり、未だ戦場の傷痕が大きく残る場所や、足場の悪い場所や、落ちては命がないような大穴など幾つもまだ残っているのだ。月の明かりだけではどうしようもない暗闇の中、それを避けて歩くのは非情に困難だ。

 ソドムにいて実感するのが、街灯が当たり前のようにある隣国の安全性。あの明かりがどれだけ尊く、価値あるものなのかをソドムに暮らし、日本でも生活する私はしみじみ痛感していた。

 「私も智子と同じ意見ですわ。いくら|私≪わたくし≫が暴漢を退けられると言ってもやはりソドムの夜は足もとが危険。ここは朝までしのぐべき所ですわね」

 と、ローザが腕を組んで頷き、同調する。いつものクールさを取り戻している彼女。さすがに魔術師。あり得ないことに対する順応性は高いのかもしれない。

 「……それよりもだ、撫子」

 「なんですか、智子ちゃん?」

 「お花を摘みにいきたいんだけど、どこかな?」

 「おは……えと、あそこの扉から奥に進んで、ちょっと電灯がチカチカしている廊下を進んだ先にありましたよ」 

 先ほどのライトフィストに頼んで貸してもらったばかりの私は簡単な指さしまじりの説明を伝えた。

 「フッ。そうか……」

 なんだか気どった感じの爽やかな笑顔になった智子は


 


 「私じゃそこまでたどり着けそうもないな……すまないが、ここで漏らさしてくれ」

 とんでもねぇ、ことを言いだした。



 

 「ちょっと!! なに言ってるんですか! トイレはあっちにありますから早く行ってください!!」

 「フッ。怖がりの私にそんなちょっと電灯がチカチカしているいかにもお化けがでそうな道を歩いて行けって言うのかっ!! 見損なったぞ!!」

 「怒られた!? 私親切心で教えたのに、怒られた!?」

 「ちなみに|私≪わたくし≫さっきからトイレに行きたかったのですが、震えっぱなしで足が動かなくてずっと我慢してましたのよ? もしかしたらもう漏らしているかもしれませんが御免遊ばせ……」

 「いや、御免遊ばせ、じゃありませんよ、ローザ!! 行きたかったなら早く言ってもらえれば手伝いましたよ」

 「イヤです! 絶対行きません! そんなデソうな廊下なんて歩きたくないですわ! それなら漏らした方がマシですの!!」

 「そこまでっ!? あぁもう! 優子ちゃん、私はライトフィストさんをここで呼びとめておきますから、二人をトイレに連れて行ってあげてくれますか?」

 「うん、いいよ……ほ~ら、二人ともおねいさんが一緒についていってあげるからね」

 「「うん……」」

 怖くないよ……と手をつないでいく同級生二人の背中を、心配そうに見つめていると近寄ってくる気配が一つ。

 「ンン~、なにかあったんですか? 撫子さん」

 ライトフィストが毛布をもってきてくれていた。

 さすがに|幽霊≪あなた≫が怖くてトイレずっと我慢してたみたいです、とは伝えられない。なのでパッと閃いた言い訳を反射的にしてみよう。

 「連れションです」

 「ツ、ツレしょ…っ!? あ、いや、まぁ、いいんじゃないかなハハ」

 苦笑いするライトフィスト。

 うやむやにできたかな? 脳裏で、脳内進(たまに頭に現れる脳内精霊)に“思った事をそのまま口走るのはオマエの悪い癖だ”とツッコまれた気がする。

 「まぁ……最初は誰もでも幽霊をみたら怖いでしょうからね」

 だが、ごまかせられなかったらしい。

 「……あの、すみません。御不快におもわれましたよね?」

 「イエ、イエ。当然ですよ。貴方達に振るまった料理の食材も実はお隣さんたちに分けてもらったものなんですけど、その方たちも最初は私を怖がってましたよ」

 お隣さん、いたんだ。まわりは全部廃墟に思えたが、ソドムの住人は強い。地下に住んでいたのかも。

 「家の周りを直すのを手伝ったり、怪我をされたときに応急処置をしたり、ちょっとずつ仲良くなって、たまにお礼と代わりに親切にもわけてもらえたんですよ。ほんとに大したことはしたつもりはないんですけど」

 「そうだったんですか……」

 テレくさそうに話すライトフィスト。語る彼を私は幽霊などと思えなくなっていた。その表情は確かに生きている人間と大差がないからだ。

 だから思い切って聞いてみた。 

 「あの、ライトフィストさんは、その……本当に」

 「死んでいるのか、ですか? それは間違いありませんよ。私はあの時、あのすさまじい爆風に弾き飛ばされ、なにかに激突して死にました」

 ここまでサラっと簡単に言えるものなのだろうか、自分の死というものは?

 それを察してか、彼は頭を困ったように掻いた。

 「これが不思議なものでね、死んだことだけ強く覚えているんですよ。それ以外のことなんてなにも覚えていないのに。自分の出自、生き方、すべて、自分がどんな人間だったのかさえもね。料理なんかは覚えているというより体が感覚で動いているような感じですね」

 それは食事を出されているときに聞いていた。

 彼の意識の目覚めは、つい最近、夏の気配を感じ始めた頃だったらしい。気がついたら、この廃棄された教会の真ん中にポツンと牧師服を纏った姿で立っていたらしい……足がないのに。

 ただ自分が死んだこと。それだけ強く覚えていて、それを不思議と受け入れていたことが彼のすべてであった、と。

 「本当に、他に覚えていることはないんですか?」

 「ええ。完全には、なんとなく覚えているような……無いような感じ……でしょうかね」

 「そうですか……」

 なにか力になってあげたいが、情報が少な過ぎる。

 すさまじい爆風とは、きっとソドムが生まれた最大の原因である旧東京に落とされたという大量破壊兵器に違いないだろう。つまり18年以前にこの街に住んでいた、もしくは来ていたはず。

 だが、急過ぎる隔離政策のせいで過去の資料や、人間たちはどこにいるのか確かではない。

 (いや、音芽組……とくに永仕さんなどは戦前から音芽組としてあそこに住んでいるのではなかったか? 彼ならばもしかしたら)

 ならば光明がある。

 「あの! ライトフィストさん、実は―」

 「いえ、気になる記憶……曖昧な中にひとつだけ……なにか……大切な……約束があっ…たはず」

 息が止まるかと思った。

 顔の古傷でも抑えるように苦しげに、なにか大切なことを思い出そうとしている彼の姿に息をのんだ。

 “ソレ”に私は慣れていたはずなのに緊張する。

 普段から進や、彼と戦ってきたどの者たちよりも“|強い殺気≪ソレ≫”を放つ彼に私は恐怖し、額から汗が落ちた。

 一体どうしたというのか?

 約束?

 このままではいけない、そう思って躊躇い気味に声をかけた。

 「あ、あの」

 「ッ!? ア―……スイマセン。なんですか?」

 いきなり目が覚めたような反応を示し、紳士的な表情に戻った彼。

 「え? あの、その、そうだ! 実はやけに長生き…じゃない…知り合いに、戦前から住んでいる人がいるんです。よければ、ご紹介しましょうか?」

 「オゥ! そうなのですか!? ぜひ、おねがいします」

 今のは、なんだ?

 さきほどの鬼気迫る表情が嘘のような華くような笑顔に膝が抜けそうになった。

 この人、一体……

 「……それにしても、撫子さん。あなたは不思議な女性ですね?」

 出会う人のほとんどに言われるな、私。

 「幽霊に言われる日がこようとは思いもしませんでした。けど、人からよく言われますよ」

 この頭につけた白いカチューシャをくれた男は、ポンコツとバカにするけど。

 「ん~、それとは意味が違うかな~。そうじゃなくて」

 違う?

 「あなたは幽霊の私をまるで人間のように扱ってくれる」

 「そう言われてもライトフィストさんはやけに幽霊っぽくないんですもん」

 「それは私も言われるけどね……というより、まぁ、失礼な言い方かもしれないけど。撫子さんの目は他の子達となにか違う」

 怒らないでね、と言葉の前置きを入れた彼は、言ってもよいものか迷うように言葉を作りながら口を開いた。

 「人を、いや幽霊を……まるで生きている人間との区別がない、というより“正しく区別できてない”。なんといえばいいのかな……“死者”と“生者”を変わらない眼線で視ているとで言えばいいのかな? まるで――死という価値観の境界線がズレているというか」

 ドクンッ

 「なにを……言っている、の?」

 鼓動がやけに強く脈を打った。

 わけもわからぬ、理解できない彼の意味深な言葉に、なぜか私は心を突かれたような気がして、かけていた椅子を倒してしまうほど逃げだすように立ちあがってしまう。

 なにを私は焦っているの? 

 ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ!!

 心臓が血液を過剰に送りはじめる。否定しないといけない。そう強く、思う。

 そうしなければ、私はなにか……自分の中にある大切なモノを――

 『おい、ちっとは落ち着けっ!』

 ――――壊してしまう。そう脅迫されているかのような胸中に、どこか聞き覚えのある青年の声が、私の中を照らす光のように耳から入ってきた。

 「進……」

 そうこれは進の、進・カーネルの声だ。

 しかし、外から聞こえてくるの彼のものだけではない。

 『落ち着けだ!? お前さんマジでいってやがんのかいッ!!』

 『正気になれレ! エイジ、よく見ロ。この教会、やけに死角からの防犯対策がされ“過ぎていル”。これは戦場でよくあるプロの――』

 続いて科布 永仕、アルバイン・セイクの声。進とアルバインが、永仕を止めている印象をもつ会話に私はホッと胸を撫でおろした。

 次の瞬間、教会のドアが蹴り破られるまでは、な。

 「撫子ッ!! 無事か!!」

 切り込み隊長のように突入してきたのは、正気を失ったかのように顔を青ざめさせた永仕。

 私を目視で捕えると、安堵したように肺に溜まった二酸化炭素をすべて吐き出した。

 私はとりあえず、先ほどの自分を棚に上げてみる。

 「コラ。永仕さん、扉は足で開けてはいけませんよ? ねぇ……」

 ライトフィストさん? そうノリツッコミでももらって先ほどの会話を無しにしようと試みた。残念ながら私の今日において最大級の自虐ネタは無視されたが。

 そう私のなど眼中になかった。彼の視線は永仕にむけて固定されていたのだ。

 「……永仕……」

 「……ライトフィスト……やっぱり、お前さんも……」

 気がついた永仕もまた私から目を離し、驚きに目を見開いている。記憶があいまいのはずのライトフィストが彼の名を口にした。二人は知り合いだったのか。これなら話は早い……とは、いかない雰囲気を彼らは放っている。

 「ったくよ、人の話を聞けよ」

 うんざりしたような声とともに、和服姿の人が入ってきた。

 聞き覚えがある声なのに、きている服があまりにらしくないために、一瞬誰か判別できなかったが彼は間違いなく私の契約者兼大家さん、そして我が社con-tractの――

 「し…」

 「“組長”……」

 「そう、組ちょ……え? ライトフィストさん?」

 社長じゃなくて? いや、そもそも18年前に死んだ彼が、進の事を知るはずがない。

 見間違えている? 誰と? あんな魔王が二人も、三人もいたらこの世の終わりだ。

 ザッ、と床を擦る“音を立たせて”下がった“幽霊”は永仕と顔を合わせた時と比較ならないほどうろたえた表情になる。 

 その表情はまるで―――幽霊でも見ている様。

 それを無視し(あれ? なんか、私の方にも避けるように顔を背けてるような……)進は追撃するように彼へと尋ねる。

 「テメェも幽霊か? じゃぁ、此処にいやがるのか? さっきの奴も」

 「……私は……もう……」

 「聞いてやがるのか? こちとらテメェの仲間に散々…」

 「私は……もう、帰れない……だって、私は約束を」

 「?」

 さすがに進も異様な雰囲気に足をとめた。鬼気迫る……とは違う。暗く深い悲しみのオーラがライトフィストから滲み出る。

 まるで罪を悔やむ牢屋にでも閉じ込められた囚人。

 直視できないほどの懺悔の姿に一番に耐えられなくなったのは――

 「もういいッ!!」

 そう叫んだのは永仕だった。

 「もう帰ってこい。あいつも、お前さんも、どうしてそこまでっ! 組長(あのバカ)は、お前さんたちを争わせるために二人共を右腕にしたわけじゃないのはわかるだろう!?」

 バカ? 二人を、右腕?

 「駄目だ永仕。私は……私達は“右”を決めないといけない」

 「やはり約束ってのは……」

 約束?

 「……なくて、いけない……」

 小さく、そして、涙を流す様に零れた言葉を私は聞き逃した。

 「ライトフィストッ!」

 「だから私は……」



 

 ――XXXXXは見ていた。

 XXXXXは、聞いていた。

 ただ、それだけ。それだけでいい。

 いつも、は。

 ――けれど、これはキミが観なくていけない物語。

 互いを認め合うことができない“右腕”たちの物語。



 「っ!?」

 頭に響いた雑音。

 脳裏に焼きつくようなその“音”に私の視界は暗転した。





  ――視点去来 “2”――




 「ふざけんじゃねぇ!!!」

 『ひぅっ!!?』 

 いきなり沸点を越えた怒りにまかせた手とうが“虚空”を突いた。

 “彼”は顔を真っ赤にさせて、さけぶ。手とうをいれ損ねた相手へむけて。

 その怒気に“|私≪なでしこ≫”は喉から悲鳴をあげた。

 「なにが右腕だ、バッキャロウッ!!! てめぇを殺しにきた暗殺者へに言う言葉かよ、えぇっ!!」

 だ、誰? 手とうの指先が当りそうなほどの眼前に現れた浅葱色の和服を着た二十代半ばほどのツンツン頭の男性に怒鳴られた。

 いきなりのこと過ぎて私は混乱することを強いられる。

 さっきまで私は、あの教会にいたはず。

 なのに……ここははどこだ? 

 地形から察するに小高い丘に宴会場。

 しかも、夏から桜吹雪が舞う春に時間が遡っているではないか! 

 それに、なにか喧嘩の雰囲気で宴の席を邪魔されて冷ややかな視線がこちらに集まっている。それも不思議な集団だ。髪、肌、目の色がいろいろ違う人種たち。

 時間と場所がガラリといきなり変わり、私はあたふたする。

 「そんなに怒られるとさすがにわっち……涙がでちゃう」

 そりゃ、私のセリフだ! 冷静さを欠いたツッコミを、背後に……どこかふざけた調子の男性へと放つが……

 『あれ?』

 いない。たしかに声は私の後ろからしたはず……

 「いいじゃん、いいじゃん? 運命だって、コレ。皆に組の格のため~、とか組長の無茶ぶりの犠牲者をつくっとけ、とか散々言われてきて早三日。ちょうどいいタイミングでわっちを殺そうとしてくれる者が現れた。二人も」

 また後ろ。私は振り返ると、眼前によれよれのジンベイを着た男の背があった。

 「だから、なんで殺そうとするものを選ぶ!?」

 「いいじゃん、元気があって。それに、そんな者を選ぶ方が楽しいじゃん?」

 ツンツン頭の人が怖気を覚えてついに言葉を無くした。

 周りの、周囲の人間もまた、彼の言葉を理解できないのか絶句している。

 「ノー……楽しいから、私たちを片腕に? 理解できない」

 『あれ?』

 凍えるような世界で唯一、ジンベイの男に否と唱えた“牧師服”の男は―――

 『ライトフィスト……さん?』

 先ほどであった幽霊には、足がついている。つまり、これは……昔。

 私は過去を視ている? 気がついてみれば、その場にいる全員が私の存在を認知できていない。両の手を確認するとどこか空気のような存在感の体になっているような……

 「そうかい? 刺激的でナイスな人選だと思うんだけどねぇ……だが、一つ間違っているぜぇい? わっちはお前さんら二人とも欲しい。古今東西南北天国地獄、二人も右腕をもっている奴ぁ……いるかな? いないかな? いたかな? いないとわっちが初めて? ひゅぅ~、すっげぇじゃんクッケッケッケ!!」

 奇妙な笑い声をあげ、一人盛り上がりをみせるジンベイ男。

 一言で言うなら変人。個の図りしれない器の大きさか、はたまたタダの馬鹿か。

 ただ底が見えない、みつけられないこの男を……この男に似ている存在を私は知っている気がする。

 この人、本人を知っているわけではない。人柄も性格も全然ちがう。

 なのに、似ている。

 そう思う。

 今も背中ばかりで、顔もみえないこの人。纏うオーラが、雰囲気がまるで……

 『……進?』

 「それはまだ考えるべき事ではありません。今、あなたという存在が知るべきなのは別のこと。虚空素が知ってほしいのは、彼らのことなのでしょうから。余計なお世話でした? ですがワタシはあの馬鹿の妻である前に、“先生”ですので」

 『!?』

 つい聞き入ってしまうほど美しい女性の声に、“私”はまたも背後からした声に振り返ることが遅れてしまった。

 誰にも気が付かれないはずの自分にどうして声をかけられた?

 その疑問を解消する前に、光景がめまぐるしく変わり始める。

 

 

 

 「ほいっ、終了」

 夜。今度は秋の虫がさえずる気持ちのいい夜のこと。

 周囲が暗過ぎて完全に目視はできないが、月明りだけの濃い暗闇の中で、反りのない真っ直ぐな刀を片手で弄びながら、あのふざけた人が笑っていた。

 足元には二人。ツンツン頭の和服姿の男性と牧師服を着たライトフィストが倒れていた。

 二人とも血まみれだ。だが重症ではない。重要な部分以外を綺麗に斬られているだけのようだ。

 それよりも場所。ここに私は見覚えがある。

 よく手入れされた日本庭園さながらの広い庭。

 間違いない。ここは、音芽組の……

 「ねぇ? そろそろ、わっちの話聞く気になった? ねぇ? ねぇ? ねぇ?」

 「うる、せぇっ!!」

 「わ、私にもプライドは、ある!」

 ズタボロになり、膝をふるわせながら二人はそれでも立ちあがる。

 「おぉ、すごい、スゴイ、凄いな! それじゃ第二ラウンド、イッちゃうっ?」

 「その前に服を着ろ変態。汚ねぇもん、俺の妹にみせる気か?」

 「ねぇ、にい? なんで、だらくはお服を着てないの?」

 「駄目だよ、サヤ? あの馬鹿の裸は音芽以外の人が見ると眼が腐って落ちてしまうんだよ?」

 「ひぐぅ!? サヤみちゃったよ! このまえ、公園でお酒のんだ堕落がお腹に絵をかいておどってたの見ちゃったよぉ!」

 「堕落、てめぇっ!! なに俺の可愛い妹に汚物みせつけてんだだゴラァッ!! あと、この間交番から聞かれた変質者はお前さんかい!!!」

 「クッケッケ、やべ、三対一になっちったじゃん……って二人ともいないし。前より早いねぇ……こりゃやっぱり引き込みたいよ、クックック」 

 間違いない。姿かたちが変わらないが、永仕と彼の妹である|明≪サヤ≫だ。つまり、ここは音芽組。

 そして、闇の中で全裸らしい男は、前音芽組組長。いや巌は今も代理と前におくため、彼は今も“現”組長。

 話の中にだけ、これまで出てきた我が養父であり強力な吸血鬼ドレイクも恐れさせてた男……が、これかぁ……

 なんとなく脱力と失望に、私は肩を落とした

 「ま、いいや……さぁ、音芽? こっちも第二ラウンドといこうかい! 今度はどうする? 前からギュッと? それともワ・ン・ワ・ンすたいるぅでいっちゃゔぼっ!?」

 部屋に戻りかけた全裸の男が、ふすまの中から勢いよく飛び出した美しい美脚に腹を蹴られ、こっちにふっとんでき、きゃぁああああっっ!!?


 

 

 それから何度も過去が通り過ぎた。

 繰り返される暗殺。

 それを返り討ちにしては、勧誘を繰り返す組長。

 変わらぬ時は過ぎていき……




 「WHY? 私を助けるのです? 罠にはめられ、逆に命を狙われているマヌケな私を」

 「わっち言ってんじゃん? お前さんらがほしいって。それにもう、お前さんのその拳に意味をつけてやったほうがいい」

 「!!」




 「なんで妹を、サヤを助けてくれたんだ? 五右衛門」

 「……別に意味なんてない。ただ、メルルとかいう奴のやり方と目的が気にいらんだけだ」

 「…………」

 「なんだ? なにジッとみてる?」

 「ありがとう」

 「っ、もう行く。今度はもっと周りに警戒しておけ、今日みたいなことは無いと思うことだ!」

 捨てゼリフを残して去る和服姿の男。

 その影にもう一つ並ぶように影が加わった。

 「君は、どこに行くつもりだ?」

 「牧師に話すことなんぞねぇ。……ただ腐った探究者気どりに受けた依頼を破棄しにいくだけだ」

 「フフっ。そうか……なら私も行こう。あんな小さな女の子を研究材料なんていう奴の依頼はこちらから願い下げだからね」

 「……付いてくるのはいいが、邪魔はするなよ?」

 「オォ……こっちのセリフを取るんじゃないよ」

 喧嘩するように二つの影は歩き去って行く。




 さらに時は流れる。

 「左端 堕落ぅ!!! どこに居やがる!!」

 大柄で、お腹が出過ぎている男が|重火器≪ガトリング≫を振りまわして音芽組の屋敷を土足で踏み荒らしている

 その手下と思われる黒いスーツの男たちも屋敷を壊しながら、人の気配がない家を探し回るが……

 「リーダー! ひとっこ一人いませんぜ!!」

 「リーダー! これはひょっとして…」

 「ああ、部下たちよ! これはきっと……俺様が来るこがわかり、恐れをなして逃げだしたにちがい」

 「ただ、組員全員で海外旅行に行ってるだけだ。このデブ」

 「ア゛?」

 屋敷に影を縫うように、現れた影が黒いスーツたちを次々と斬って捨てていく。

 その流れるようでいて、怒涛の勢いを持った斬撃の濁流に彼らはわけも判らず命を落としていった。

 突然の事で過ぎて、現実を受け入れられない部下たちの上半身がズルリと落ちると、リーダー格らしい重火器の男は部下の、“嬉々”とした表情で構えた。

 「ついに出やがったな左端 堕落! 覚えておけぇい!! おめぇを殺す俺様の名はダ」

 「「知るか」」

 トリガーに力を入れる前に彼の腕は斬り裂かれ、ほぼ同時に真横から放たれた右拳が火炎放射機を半ばから吹き飛ばした。

 「ふ、二人!? まさか貴様らが音芽組の“|両の右腕≪ダブル・ライト≫”」

 「「こんな奴と一纏めにするんじゃねぇっ!!」」

 言葉と反して息ぴったりな二つの怒りと共に放たれた斬撃と拳撃は同時にリーダー格の男を断末魔の声すらあげさせず絶命させた。

 「なにが両の右腕だ? なんでこんなエセ牧師なんぞと一緒にされにゃあならん!」

 刀につく血を払いつつ、不機嫌そうに和服姿の男が叫ぶ。

 「オウ!? それはこちらのセリフです! あなたのような根暗な剣士とまるで同格とみなされていることには不服しかない!」

 それに喰ってかかるようにライトフィストが返すと、和服姿の男のこめかみに青筋が浮いた。

 「なんだぁ? いっそのことオメェさんもこの死体の一つにしてやってもいいんだぜ?」

 「それも……こちらのセリフ……」

 鬼気を纏う二人。共に狂眼を見開き、口元には歪んだ笑み。

 一触即発の雰囲気。

 その場に、なにかが、軽い小物のようなモノが落ちる音が、彼らに割って入るように響いた。

 その音が、彼らに周りを観察する冷静さを取り戻させたらしい。

 ついに名前すらいえずに絶命したリーダー格の男と、その部下たちと思われる死体の山。

 戦場となったボロボロの屋敷。

 床は泥のついた靴後だらけ。柱や障子はところどころ破壊されている。

 そして、音を立てて落ちたのは、女の子用と思われるぬいぐるみ人形。

 「…………」

 「…………」

 その光景をマジマジと見つめながら黙っていた二人。

 重苦しく、血生臭い屋敷内の緊張は高まり

 「じゃ、邪魔したな俺は帰る」

 「オォう!? ちょ、ちょと待てyo!」

 気まずい感じに急ぎ足で帰ろうとする和服の男をライトフィストが肩を無理やり掴んで押しとどめた。

 「なんだよ! 俺はただ通りがかったら物音がしたから来ただけで……つまり、後始末はお前だ……」

 「本気でいってませんよね? 私はあなたが屋敷に入ったのを視たから来たんですよ! つまり、この惨状の後始末はあなたで決まり!」

 「馬鹿言ってんな! おめぇさんがやりな!」

 「いや、そもそも! あなたがこんなに斬りまくらなきゃこんな血糊がべっとりにならなかったはずでしょうに! みてください、私の綺麗な仕事ぶり! 心臓だけを綺麗に潰しているでしょう? ほら!」

 「るっせぇな! つーか、居留守つかったあいつらが悪りぃんだ!」

 「……それはそうですが……あぁ、これ“あの子”が気にいってた人形……ボロボロで血まみれ……」

 「…………知るか!」

 和服の男は逃げだした。



 「で……罪悪感からお前さんらが破損部位を全部直してくれた、と」

 その変化に困り果てた声を出した“背中”が映った。

 「違ぇよ!」

 「違うの!?」

 なにが違うと言うのだろうか? 透明人間的存在である私の目からみてもその直り具合は相当手がこんでいた。

 もはや新品同然のようになった古屋敷の出来栄えに、バカンスから帰宅した音芽組全員がポカンと口を開き、目を丸くしている。

 早送りする情景のせいで過程は見ることは叶わなかったが、もはや職人技だ。なんで暗殺者をやってんのか疑問に思うほどに。

 「決して罪悪感からじゃねぇからな! これは、え~と、それだ!」

 「どれだ?」

 「え、えぇいっ! バッ野郎(キャロウ)! それぐらい判れぇい!」

 「無茶ぶりすぎないっ!?」

 大工が使うような工具一式を抱えるツンツン頭男と、いかにも南の国から帰ってきた風の男が言い争う? 中、呆然とする音芽組一同へと歩みよる牧師服の男。

 その手には両手でかかえるぐらいの包みがあった。

 その包みを、サヤの前に屈んで手渡すライトフィスト。

 「申し訳ない。賊を追い払ったときに、君がお気に入りだった人形を汚してしまってね。今、洗って…じゃなかった…遠くの温泉で入浴してしばらく帰ってこれないみたいなんだ。だから、それまでこの子を変わりに可愛がってほしいんだ」

 「っ! ウサさん!! 可愛いウサさん!!!」

 袋の中から出てきたのはすっごく派手なピンクのフリルに包まれたウサギの人形。

 「ン~、気にいってくれたかい?」

 「うん! うん!」

 「……なんだか、悪いね……」

 喜ぶ妹の顔をみたらなんとも罰の悪そうな礼を代わりに応えたのはサヤのとなりに立つ兄、永仕だった。

 予想外のプレゼントにはしゃぐサヤの前で、元とはいえ仕える組長を狙っていた暗殺者にどうすればしてよいものか考えているらしい。

 「これ……高かったろう? 話を聞く限りでは君らに非はない……むしろ、そこらじゅう痛んでいた屋敷を直してもらったぐらいだから……ほら、人形の値段くらいは出せるよ?」

 「あ、いいです。それ私の手作りです」

 「え゛っ?」

 「どうでもいいけど、とっとと中に入ろうぜ。なぁ、|両の右腕≪ダブル・ライト≫」

 「あぁ、確かに長旅だったから疲れたよ……。あ、土産あるよ|両の右腕≪ダブル・ライト≫?」

 「あ、肩揉んでよ? |両の右腕≪ダブル・ライト≫」

 「「だから、その呼び方はヤメロッ!!」」

 ギャアギャアと喚きながらも家へと入っていく音芽組の面々についていく二人。

 その姿はまるで……

 


 ここからいきなり過去が加速した。

 流れる四季を何度も繰り返し。

 幾度も襲いかかってくる困難。けれど、それを時に一人で、または二人で打ち砕き、二人でも乗り越えられなければさらに多くの志を共にする者たちと解決していく光景。

 時の流れはさらに早く―――

 (どこまで行くの……?)

 早送り映像の中心にいる感覚を味わいながら、コマ送りのように点々と過去の記憶の波に揺られながら私は探していた。

 (私がどうしてこの記憶を観せられているのかはわかりません。けど、ここが過去の日本だったのならライトフィストさんが口にしていた“約束”がわかるかも……)

 流れる奔流の中を耳を澄ませて、集中する。



 「組長……私を彼方の右腕に……」

 「そもそも、あの戦争は――」

 「誓う。俺はかならず―――」

 「サヤは定期的に長い眠りに入る。前回は10―――」

 「彼らはたぶん、あなたとわたしを―――」


 目を閉じる。

 ここで流れている情報の重要性はかなり高いことはわかっている。でも、まずは目的のものを探すのが先決。

 必要最低限の情報を得るため今ある五感のすべてを使い――




 「――約束しろ、ライトフィスト。かならず来い、あの場所に……あそこで“右”を決めよう」




 『あった!!』

 瞼をカッと見開き、世界を視た。

 眼前に広がったのは――

 

 

 

 視点去来 “3”



 

 その日はやけに変哲も何もない日だった。

 ただ二月の晴れた空と、穏やかな風と太陽の光が窓から春を告げようとする気配を連れ始めている。

 そう、ただそれだけの穏やかな日本の日常。外では第三次世界大戦など起きているなど信じられないほどの平和さ。

 街に流れる雰囲気はいつも通り――

 東京の道を隙間がないほど車が走り――

 桜の樹の枝にまたがる猫は欠伸しながら寝ころび――

 キチっとしたスーツの男女が入り乱れるように歩道を携帯を耳に当てながらアセアセと今日も明日と、または家族のために汗水たらして働いている。

 ぼんやりとした普通の日。

 そんな普通が

 「臨時ニゅ、ニュースです!!」



 


 次の瞬間終わりを迎える、など誰が予想出来るだろう?




 

 ただ何となくつけっぱなしにされていたテレビの中が急に慌ただしくなった。

 彼ははいつも冷静さを忘れないはずの国営のキャスター。

 焦るように、舌を噛んでしまったのか口元から血をこぼしながら泣き叫ぶように

 「緊急速報! 現在“弾道ミサイル”が発射されたと情報が入り――」

 ご家庭の液晶テレビが、携帯電話が、または街中の電光掲示板が語る人間を、情報媒体を変えながら“まったく同じ内容の絶望を叫びはじめた”。

 『今入った情報では――!!』

 『救うノだ』

 『お、落ち着いてシェルターに『あの子ヲ』』

 『現在政府から』

 『お近くの係員の指示に『必ず』』

 『発射されてからの時間は』

 『予測着弾地点ハ』

 切り替わるチャンネル。だが、ほぼ全て同じ内容に埋め尽くされるまで2分はかからなかった。




 『日本……その首都――――“東京”』

 ――次の瞬間、悲鳴と絶望が爆発した。




 「堕ァ落(だらァく)ッッっッッっ!!!!!!!!!」

 光を引き連れた一本の柱が、尾を爆発させながらこちらに向かい飛来している。

 それを睨みつけながら、永仕が屋敷の内庭に一振りの直刀が収めらた鞘を持って佇むジンベイ姿の男へと叫んだ。

 「永仕ィッ! 全員、絶対にこの家から離れさせるなァァよ!」

 力強く言い張り、腰を落として構えた姿から放たれる鬼気。青炎のような揺らめきが音芽組組長から発せられると、鍔なりとともに、上空から落下してくるミサイルを狙うように抜刀。

 『!?』

 抜刀の衝撃を表すように組長の足元が耐えきれないように陥没する。

 それはほんの一瞬の出来事。

 常人には何が起きたか、わからないだろう現象。

 だが、確実にわかる事が一つ。

 ミサイルがまるで見えない壁にでもぶつかったように空中で潰れ、“壊れた”こと。

 そして、東京の上空でミサイルが炸裂……太陽のような爆炎をまきちらし“迎撃”されたという事実の二つだけだろう。

 永仕はその光景にどこか顔をひきつらせながらも、ホッと息をつく。

 チンと鞘に戻った刀の音が、幕引きの鈴のように鳴る。




 だけど、私は知っている。

 だって、私はこの後必ず起きる絶望の世界から来ているのだから。

 



 「っ!!」

 炎が収まりつつある空から舞い落ちてくるものがあった。 

 キラキラと煌めき、まるでフィルムのような薄さの“ソレ”。永仕はゆっくり、ひらひらと落ちてくソレを手で掴む。

 「……消えた?」

 雪のようなそれは世界に溶けるように消えてしまう。ソレは次々と、それこそ東京上空を覆うように迎撃されたミサイルの辺りから放出されていた。

 観るに美しいその輝きに逃げまどう人々が、奇跡に魅入られたように立ち止まりはじめる。 

 助かったのだ。

 誰もがそう、思っていた。

 



 「まさか……」




 ただ、一人。

 この光が奇跡などではないと気がついた男を除いて。

 男はこれまで見た事がないほど血相を変えた動きで、己が立っている地面を刀で全体重を乗せて突き刺す。

 「なんてこった……まさか……まさか“人間”が、ついに領域(ここまで)きたってのか!」

 「なにを……言っているんだ、堕落?」

 「永仕……すまねぇ」

 「だから、なんで謝る」

 俯き嘆く組長に、永仕はこれから起きるであろう悲劇をどこか勘付いているのかもしれない。どこか力なく吼えるその姿が物語る。

 ハラハラ降る光が濃度を増していく。

 「あれは、ただのミサイルじゃねぇ」

 「なに?」

 「機械じかけの魔導具(ディバイド)……これがお前さんの望んだ進歩だってかい……“パラケルスス”?」

 ここにはいない誰かに語りかける組長の重い呟きと共に、光が地面に浸透して、消えた。

 「堕落(アナタ)っ!!」

 「わっちでも全部は無理だ! 伏せろ! 衝撃、くるぞォッッ!!!」

 なにかを諦めたように長ドスを引き抜くと、これから来るであろう衝撃に対するように上段に構え――――地面が

 




 ――――大地が爆ぜる。

 地から天へ、突き上げる衝撃はすべてを押し上げ粉砕しながら秒速の速さで中心点から広がり、周囲を飲み込む光の柱となって東京都の中心を“喰らい尽くす”

 巨大な化け物の絶叫にも似た炸裂音が耳を破き、網膜を一瞬で焦がす熱量と光、破壊の大波。

 ソレは、どこまでも伸びようとした……が、ある地点から先へ届こうとした時、まるで“拒絶”されるように――――いきなり、消失した。

 一分にも満たない間に起きた光景。

 東京都の東側はこうして―――地図から消滅した。

 




 ―――シクシクシク

 「そんな……」 

 巻き上げられた粉塵が雲を作り、雨を降らせていた。

 私は雨にうたれながら、その光景に絶望する。

 瓦礫だけの世界にただ一人。

 本当にただ一人。

 シェルターなどなんの意味も持たなかった下からの爆発。

 誰も、土地も、空気も、みんな、みんな、全部。 

 「死んでる……」

 声はない。誰かが動くかすかな音も、助けを求める声すらしない雨の静寂が星が泣いているような音を発てているだけ。

 第三次世界大戦の末期、日本に放たれた破壊兵器はなんだったのか。その道に詳しい者たちが論議しても未だに結論がでていない兵器。威力、範囲ともに現代兵器にしては低火力だと言われているようだが、とんでもない。“なんらかの力”が働かなければ、首都など、いや、日本全土が消し飛んでいたか、もしくはそれ以上の最悪な被害が出ていたと思う。

 この死に絶えた地をみれば、誰もそう結論づけるだろう。

 あの兵器は普通じゃない。あれは人を、土地を殲滅するためのものじゃない。

 たぶん、世界を、この地球の命を、星に流れる力を取り出し、その場で誘爆させる特別な兵器。連鎖的にいけばどこまでも破壊の手を伸びていくはずだったモノ。

 一体だれがあんな物を、なぜ、日本に撃ったのだろう? 自殺にも等しい行為をなぜ平然とやってのけた? 

 死だけしかない世界で、まるで当然の――

 「……おん……」

 頭の中から湧き出てくる疑問が止まらなくなりそうな私は、かすかに、その音を聞いた。

 「え?」

 「……ぎゃ~……」

 そんな馬鹿な、どうして……? 

 言葉にならない感情を吐き出すような、むき出しの感情。

 それは死んだ世界に似つかわしくない、生の雄たけび。

 「ぉんぎゃ~」

 間違いない、これは赤ん坊の声だ。

 私は走る。

 探す。

 この声を。 

 なぜか……探した。声のする方へ全力で走った。

 「おぶ、おぶ!」

 『近い!』

 もう少し。ここを曲がれば、すぐ……!!

 『あっ、い……た……?』

 結論を先に言えば、そこに赤ん坊はいなかった。だが、別の人間が……当然だが、死んでいた。

 『なん…で?』

 死んでいることに、驚きはない。私が信じられないのは、彼が……

 「おぎゃーー」 

 『あ!? い…』

 




 『駄目っスよ』





 赤ん坊は割と彼の死体の近くにいた。ちょっと右へ首をひねれば見える位地。だったのに、いきなりわいて出た声と、誰かの“右手”で両目を塞がれて、私は赤子の姿を捕えることができない。

 そして……なにもできなくなった。

 (動けない!? 声も……でない!?)

 『あなたは、見てはいけないっスよ~』

 それは女性の声。どこかの誰かと似た声色と喋り方をする彼女は一方的に告げてくる。

 『虚空素が見せたかったのは、“右腕たち”の~事。あなた達の時代に彼らが“出現”したのか? なぜ一方は荒ぶり、一方は普通なのか? そこらへんを知ってほしかったんじゃぁないっすか? だから、この赤ん坊の事はまだ知るべきじゃぁないっス』

 (なにをっ……言って!!)

 『いまだあなたが、その“段階”に到ってなくてもダ~メでやんす。なぁにが起こるかわかんないから……意地悪じゃないですよっ? 別に“あっし”があなたの事が“嫌い”でも意地悪じゃないっスからね?』

 珍しいことに、私は初めて心のそこから人が嫌いになれた。

 初見でいきなり嫌いだと言われたからではない。

 この可愛らしい声の主と私は、どこか似ている気がするからだ。

 見た事もない会ったばかりのこの人。

 同じ、に近い、が違うような言葉にできない、“なにか”が同族嫌悪に似た感情が胸の中から噴き上がっていた。

 『お…! な…しこ…………おい、撫子!!』

 (え!? 進の声!?)

 『あ、呼ばれてるっスね? お帰りのお時間ですよ、お姫様?』

 (ダメ! まだ私は確認しないといけないことが! なんで……なんで彼はココで死んでるの!? だって此処は……)

 『……結構、しつこいっスね……そんなんじゃ、意中の殿方に引かれちゃいますぅよ?』

 (うっ!? って、イヤイア、あれは別にいっ、意中の男性なんて、そんなのじゃ……って、あっ、しま―――)

 不意を突くような“精神攻撃”に、私は踏みとどまっていた心の軸足を離してしまったらしい。  

 意識が遠のいていく感覚が早まる。

 抗おうとするが、どうやっても、もう踏ん張れない。

 『うっへっへへ、いや~青いっすね。たぶぅんもう、直接会うことは絶対無いでしょう。では……バイバイ。妬ましくて、羨ましくて、イライラして、許せなくて、嫉妬さえしてしまう、大嫌いな、でも憎みきれない愛おしい“災過(サイカ)巫女(ミコ)”』

 災過の、巫女?

 『……あっ、やっぱちょっとだけお願い! もし(ソウ)君とあの人に会えたら、頑張ってるねって! えらいねっ! って伝えてね……』

 (待ってっ!! あなたは……!?)

 そこでもう、ダメだった。

 遠ざかる意識、霞む視界。最後に見えたのは赤子を隠すように抱える存在感が希薄な着物姿の女性が手を振る姿。

 そして、彼女の背後にある禍々しいほどに黒い“板”。

 大型の絵画ほどの大きさである“ソレ”。

 光の反射すら拒絶するような漆黒の物質を、私、見たことある……

 あれは間違いなく“彼”の武器の一つと同じ。

 いや、もしかしたら……あれが元々の形だったのではないかだろうか?

 (あれって―――イザナミ?)

 そこで、視界は黒に染まった。




   ――視点 回帰 1――




 「っ! 撫子っ!?」

 「ん……進?」

 目を開けると、見知った顔が映り込んでいた。

 「私……戻って……」

 どうやら私は倒れているらしい。抱きかかえられながらに周りを、状況を確認していく。

 場所はあの教会まま、私があの時間旅行をする前と、進を除いて、この場にいた人間(幽霊を含め)の立ち位地に変化はない。

 頭が痛い、意識がもうろうとする……あれだけの情報量を急に得たからか?

 「進……あれから、私が倒れてから……何分たってますか?」

 「……何言ってる? 一分もたっちゃいない。オマエは今倒れかけたばかりだろうが!?」

 「そん……なっ」

 驚きだ。信じられない。あれが……早送りのようだったとはいえ、あの何十年もの時間を一気に見せつけられたにも関わらず、たったの秒単位? 

 なんだか一気に老けこんだ気がする。浦島太郎にでもなった気分。

 実際体が衰弱しているのはわかるが、今は気にしてはいられない。

 今は、眼の前の……?

 いや、気になることがもう一つあった。それは、この抱きかかえてくれている人である進にだ。

 「あの、進?」

 「なんだ?」

 「あの、なんでさっきからずっと顔を(そむ)けてるんですか?」

 話辛くないですか? 抱きかかえてくれているのに、こちらを見ようとせずに私と会話する進は明らかに変だ。

 ライトフィストを警戒している? いや、顔の方向的には間逆。

 そして、後ろのほうでアルバインと永仕がなにかに耐えきれないように吹き出していた。肩を震わせ、さも面白げにクツクツと、笑いをこらえている姿が振り返ればある。

 なんだ、なんだ?

 この状況ばかりは、何が何だかわからず困り果てていると、この場の一人が後ろへ下がる音が響いた。

 下がったのは……

 「……ライトフィストさん」

 牧師姿の男は隠していた失敗がばれた児童のような反応をして、下がっていく。

 「私……私は……」

 ああ、このままでは“あの時”と一緒になってしまう。

 それは、それはきっと、ダメだ。

 「ダメですよ、ライトフィストさん……それじゃ、あの時と同じ……約束が果されない」

 「撫子?」

 無理やり自分を鼓舞し、進の助けを借りながら立ちあがり、真っ直ぐに今にも“あの時と同じ事を”しようとしている彼を見据え、彼を止めるために。

 「あの人は……五右衛門(ゴエモン)さんは待っていましたよ。あの時、あの場所で、最後まで。両の右腕(ダブル・ライト)の片方として、あの桜木並ぶ場所で」

 「っ!!!」

 「撫子……君が、なんで両の右腕の事を……?」

 驚いたのは、ライトフィストと永仕。事情を知らないアルバインと進は眉根を寄せただけ。

 私は知っている。あの破壊の嵐が吹き荒れた日。東京都の半分が消えた日。

 彼が、あの場所にいたことを。

 そして、眼の前の彼が居た場所を。

 「彼は、あなたを待っています。あの場所で、今も」

 「っっ、あ、かぁ?」

 そんな馬鹿な。そう言おうとして失敗した彼を視て確信を得る。

 彼は、ライトフィストは――――

 「私は――――」

 「ライトフィストさん」

 「私は――――」

 「あなたは」

 「私は、行けない――――」

 断腸の思いのように吐き出したのは、拒否と共にライトフィストは一瞬で、眼の前から“消えた”。

 「あの時の幽霊と同じ瞬間移動!?」

 「……“縮地(しゅくち)”。組長(バカ)の得意技だったな……」

 「待ってっ!!」

 「撫子!?」

 私は全速力をもってかけ出し、教会を飛び出した。ソドムの夜は危険とわかっていながら。

 “逃げた”場所の見当はついてる。道もわかる。ここからそう離れていない。たった“6キロ”程度だろう。

 彼をこのままにできない。してはいけない、と直感が警告してくる。

 このままにすれば何か大変なことが……って、アレ? 

 そこで気がついた。

 (そういえば、ローザたち……トイレに行ったまま帰ってこなかったな……)

 まぁ、進たちもも居たし大丈夫だろう。

 そう結論付けて、私は何の迷いもなく月明かりをだけの暗闇を突き進んだ。

 

 

 

  

 視点 変更 3





 「シン! ナデシコを追いかけないのカ!?」

 「…………いや、大丈夫だろう。行かせてやれ」

 飛び出していった撫子の背が闇にとけるように見えなくなる。俺はなんとなくいつもの事かと悟り、視線を外した。

 「あの牧師を追いかける、それがアイツの正念場って事なんだろ。なら止めるこたぁねぇ。それよりも…………そろそろ話してもらうぜ、永仕?」

 黙り込む学生服姿の人狼様を割と真面目に“睨みつける”。

 その視線を受け止めた狼は、瞼を強く閉じ、観念したように口を開いた。

 「…………君らが生まれる前、昔のことだ。ウチ……音芽組には二人の“右腕”がいた」

 「二人?」

 懐刀、右腕と称される最も信頼され、頼りにされる部下の存在はいつの時代も組織のトップに突き従っているものだ。

 が、二人というのは珍しい。前例がない、認められないというわけではなく影響力強過ぎる存在が二人もいれば組織を二分し、互いに対抗意識をもった派閥を作りやすい傾向にあることや、一方を贔屓にすれば軋轢が生まれるなどといった理由で複数もつことは推奨されない。

 それも長であるトップの力量によって変わってくるのだが。

 「身内びいき抜きにしても、当時の音芽組はそれなりに強くてね。その猛者共の中で、いや純粋な人間でありながら銀狼である俺に匹敵する強さを振るう二人を、運命のように“右”の名を持つ彼ら畏敬の念を込めてをこう呼んだ」

 昔を懐かしむ、などと生ぬるい口調ではなく、語る本人が本当に恐れている。

 これは、本物だ……そう、わかる。

 俺の知る銀の人狼、科布 永仕の実力は相当なものだ。あのドレイクすら凌駕し得る能力を除いても、その強さの底は見せてはいない。

 そんな男が心の底から恐れる二人。それが今、敵に――いや、敵か味方かもわからぬ状況に恐れを抱いている。

 「“両の右腕”――ダブル・ライト。我流暗殺剣術の使い手、東条(とうじょう) 五右衛門(ゴエモン)、拳一つで裏の世界で名を馳せた牧師服の男、ライトフィスト。

 18年前の東京を襲った、あの大災厄に巻き込まれて死んだと思われていた義兄弟たちが何の前触れもなく蘇った。いまさら……本当に……今更……なんで、別に一人でなくていいのに……どちらかが右腕なんてどうでもいい……幽霊になってまで争うことねぇのに…進、アルバイン教えてくれ……俺は……一体、どうしたらいいんだ」

 少なくとも百歳以上年上の男が、俯き、そして何もできない悔しさと、17年前の悲しみに耐えるように愚痴をこぼした。

 俺たち以外の“人気がない”薄汚れた教会の白い床に数滴滴る瞼から流れる水と一緒に、彼らに頼られず、そして、蚊帳の外にいるように何もできない自分を責めながら。

 




 ――視点 変更 4――

 

 

 

 

 この時私は、後悔していた。

 こんなことになるなんて思いもしなかった。

 ただ友人と肝試しをする、ただそれだけの遊びのはずだったのだ。危険な場所で、ちょっとしたスリルを得て、この心のモヤモヤを晴らすきっかけになればと。

 それだけのはずだったのに。

 無理に連れだしてごめんね、皆。

 私が、私はただちょっと嫉妬していたのだ。少し気になる年下の後輩君が、美少女がいるバイト先に喜んで行くのが、嫌だったの。

 そこを素直になれなくて、こんなことに……

 手と足を縛る太い縄と、猿ぐつわをかまされた上に顔にかぶせられた外が見えない袋の中で涙を流した。

 トイレに行く途中でいきなり何者かに襲われ、今無理やり車に乗せられどこかに向かっている。

 ごめんね、みんな。私のせいで……

 でも、求めずにいられない。こんな時だからこそ、彼に助けてもらいたいのだ。

 (助けて。みんなを、私を助けてマコッくん……ううん、信くん!!)

 届く、はずがないとわかりながらも少女はこの時切に願った。




 ――視点 変更 5――




 「ハッ!!?」

 「どうした、信くん」

 「今、先輩の声が……横路さん、俺行かないと……」

 「待ちなさい」

 ガシと腕を掴まれる。だが、しかし俺は挫けない!

 「離してください! 俺は! 俺はっ!!」

 「ダメです。せめて後10分いなさい。もう少し、だけ。その少しを越えれば君にもわかるはずだ。みえてくるはずなのだ。悟りの境地が……」

 「いやだ! そんなの、そんなの、こんな下町のサウナで見たくなーいッ!!」

 ここは加熱した石の熱と、その石に水をかけることで得られる水蒸気を密閉した部屋の中でわざと温度と湿度を高めたフィンランド風の蒸し風呂……まぁ、サウナである。

 激しい……一度は自害すら考えられたあの地獄のトレーニング後に、頑張ったからオゴリと言われて簡単についてきてしまった地元の温泉施設。数少ない趣味の一つだから付き合えと言われたサウナに入ってかれこれ、“二時間”。

 退出しようとすると何故か、なにか得体のしれない関節技を目にもとまらぬ速さでかけてくる、このなんか気持ち悪いぐらい密度の高い筋肉をつけている上司の魔の手が恐ろしくて、なかば意識を失いかけても必死に耐えていたが……もう、駄目だ。ていうか、よく頑張ったろ、俺。

 「無理です! 俺はもう限界です。それに先輩の声が聞こえました! 幻聴ですけど!」

 「幻聴じゃダメでしょう?」

 「幻聴でもいい! 俺は出る! てゆーか、なんでこんなに人口密度高くて、こんなにマッチョな黒テカリ男子ばっかなの!? なに、このサウナっ!!?? ゲ○なの! ここ、ゲ○専用なの!?」

 周りを見れば、ムッキッムキのナイスガイどもが暑苦しい汗と笑顔に磨きをかけ合うようにしている。つーか、なんで全員ポージングしてるの!? 怖いよ! 助けて!!

 「失礼だぞ、信? 彼らはこの温泉施設の近くにある純粋に己の体を鍛えることに全力をかけ、ピュアな筋肉をもつ男子しか入ることを許されない会員制クラブ“マッスルクラブ”の方たちだ」

 「なにその嫌なドリー○クラブっ!!? 嫌だ! 助けて! ホラレル!!」

 俺がなに叫ぶとなぜか呼応したように、ウホ!? とかいい合いながら頬赤らめさせ互いに顔を合わせはじめた。ヤメロ! サウナの熱で顔赤くなってる俺までホ○みてぇじゃねぇか!!!

 ………グスっ。なんで俺こんなとこに居るんだ? 数時間前まで学園が誇る美少女三人組に囲まれて下らない世間話なんか、していたはずなのに……

 ギャップが激し過ぎて、も、もう駄目だ……あぁ、涙……出てこねぇ!

 ムシムシしてムッキムキなサウナの熱が意識を蝕む。

 (すいまぜんでした、先輩! 俺、俺やっぱ先輩たちとあのままおしゃべりしていたかったです! 帰り際にムくれていた先輩可愛いなとか思ってました! だめだ、なに言ってんだかわかんねぇ……だから、だから……助けて。俺を筋肉から、助けて優子先輩……う、う~ん、あ、ガク……)

 「ふぅ~、もうイイでしょ……さぁ、次はスチームサウナに行きましょうか。皆さんもいかがですか? あの天井からポタリと落ちてくる熱い水滴が、マニアにはたまらんだろう?」

 「「「「ウゥホォオオオ!! マッスーーーールっっ!!!」」」」

 意識を手放す瞬間、なにか不吉な会話を聞いた気がした。

 あぁ、首の後ろ側を掴まれてズルズルと引きずられている様な……うぅ~ん、まっす~る……

 

 


 

 ――視点 変更 6――



 

 「シン、一体なにを探しているんだイ?」

 「うん? あぁ、まぁ……な」

 上の空な返事が返ってきたため、なんだか面白くなくてしかめっ面になる。

 (こんな、ことをしている場合じゃないだろうニ……)

 両の右腕にまつわる音芽組の話を、組の屋敷に戻る道中で泣き腫れる目元を必死に擦る永仕から聞かされた。

 現在、行方不明になっている音芽組組長と、二人の暗殺者にまつわる話を中心にした過去の話(なぜか大戦中の話題と同じく行方不明になっている組長の妻である音芽の事がやけに少なく、何か重要なことを隠されている気がするが)を聞いた自分たちは、永仕を組に送り届けるとすぐに、ここ……僕らが初めて幽霊となった東条 五右衛門と思われる存在と対敵したソドム第15区に“なぜか”戻ってきていた。

 なので服装は互いに和服を借りたまま。進はその上から自分の武装を装着している状態だ。ソドムの内なので隠す必要はないらしい。

 月明かりが雲に遮られ、視界が狭い。

 「そろそろ、教えてくれヨ? なんで此処に戻ってきたのサ?」

 「そうだな……」

 「オイ、真面目に答える気がないだロ?」

 「そうだな」

 マジで背後から切り裂いてやろうか? 半ば本気に思いながら、未だに何かを探す様に目を配る進の後ろ姿を不信感たっぷりに睨みつけ、最善策を提案する。

 「こんな所にいるより、二人が決闘の約束をしたってい桜並木の丘に向かった方がよくないカ? そこで待ち伏せしていたほうが…」

 「……本当にそこに行けば会えると思っているのか、アルバイン?」

 芯を突く様な鋭い返しに、僕は一瞬ビクリとする。その言葉にはなにか、僕を咎めるような感情が込められていたためだ。

 彼は会話をしながらも、何かを探す手と目を止めない。

 「考えてもみろよ。10年以上前の、それももう死んだ人間同士の話……なんで今更現れた? なによりなんでこんな場所に、約束云々以外の場所に現れてる? なんで約束の場所で待ってない? それこそ場所に未練があるなら地縛霊にでもなってそうな話なのに」

 「それは……」

 「そこまで考えてなかったか……この事件、噂が流れ始めた時期や目撃情報も含め情報がやけに曖昧なのに…やけに繋がっているように感じさせる。これは誰かに仕組まれてる……んじゃないかと思っていたが、永仕から話を聞いて違うと確信した。これはただ、特定の場所と条件がそろっただけの結果だ」

 イライラする。上から物を言われているという感覚と、なにか別の感情が自分の中で渦巻き始めていた。

 「だから、なんだって言うんダ? ようは幽霊と会わなきゃいけないんだろウ?」

 「そう焦るな。その幽霊の事だって、東条 五右衛門が悪霊みたいな姿なのに、ライトフィストはまるで生前と変わらない姿のままだ。この違いはこの事件に大きく関係し……まぁ、それは撫子の方がなんとかするだろう。俺たちがやらなきゃいけないのは……おっ、あった…………なるほど、ね。コレで決まった。嘘つきは“二人”だ」

 見つけたものを、瓦礫の中から引き抜く進。それは……僕の剣だった。

 「なんだ? 自分のえものが無いことにも気がついてなかったのか? ほらよ」

 放り投げられた武器を空中で掴み取ると、その状態を確認する前に月明かりが周囲を照らし、辺りの景色を鮮明に写して……絶句した。

 廃墟だ。

 たしかに15区は廃墟群が並び立つ、人が住みつかない区画だ。だけど、僕らが訪れた時より、もっとひどい様相を呈していた。

 まるでミサイルが落ちてきたかのようなクレーターとそこを埋める瓦礫の世界。これは……




 「あぁ、これか…………俺がやった」




 簡素に、当たり前のように放たれた一言の主を目を見開き視る。

 あまりに、あまりに当然のことのように言ってのける、振り返った進の顔は禍々しい笑みを作っていた。

 「あの幽霊に攻撃が当らねぇんでな……ムカついて、ここら辺一帯ごとぶっ壊してやった。なに“気にする”なよ」

 「やめロ、シン」

 これ以上、なにも言うな。

 「人が死んだかもしれないが……」

 口を、開くナ。

 「何人、死んだ所で“どうでもいい”だろう?」

 



 手にした剣が、僕の無意識に反応して、進の喉元をむけて横薙ぎに払われた。




 「おっと、あぶねぇ……」

 「シン・カーネル!!」

 まるで攻撃が来ることを知っていたように半歩下がって避ける進。

 剣を八双に構え、疑似異次元に格納されている片手盾を左腕に呼び寄せ、明確な敵意と殺意を乗せて、騎士として、“敵”へと宣言する。

 「騎士団、巡回騎士アルバイン・(フォン)・セイク!! 監視対象進・カーネルを……特一級殲滅指定因子と判断し――――これを断罪すル!!」

 あり得ないと思われていた自分がお題目として騎士団本部に申請していたソドム滞在の理由を口から出すことになると思っていなかった。だが、眼の前の奴はそうではないらしい。

 「やっと、本音を出しやがったな! えぇ!! 騎士様よぉ!! テメェがその気なら……いいぜ、そのまま殺意剥きだしでかかってこいよッッ!!!」

 狂気の笑みをさらに色濃くし、背の大剣を引き抜く進。

 ……僕は、僕はそれでも信じていたんだぞ……オマエに、オマエが例え化け物の力を秘めていようと、それに勝り制御する信念と心を持っているはずだって……なのに、なのにオマエはッッ!!!

 オマエが他者の命を何とも思わない化け物になり下がるならば、いっそのこと、ココで討つ!

 「シィンッ!!!」

 「後悔すんなよッ、アルバインッ!!!」

 本気で振り上げられた二つの剣が衝突し、轟音と衝撃を撒き散らす。

 これもまた約束された戦い。

 悪をする魔王と、正義を掲げる騎士は所詮ぶつかりあう定めなのだ





                                    次話へ




 

 

 


 本当にお久ぶりです、桐識 陽です。



 ……前回から4カ月あまり、もはや読んでくださっていた方々にも忘れ去られた可能性もありますが、戻ってきました。

 生活の状況から一度は止めようかと考えていましたが、やはり辞めるなどできるはずもありませんでした。 

 これからも未熟が多く目立つ私の物語ですが、どうかこれからも読んでくださると、本当にありがたいです。


 今日はここまでで、ここまで読んでくださった方々に感謝を



                        桐識 陽


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