6、雲晴らす咆哮(下)
6、雲晴らす咆哮(下)
天地が震えた。
「おわっ、何だよっ!?」
「何すか、この馬鹿でかい声!?」
「これは……」
近い。
先ほど進がいるかもしれないと感じていた廃棄された倉庫街の方向。
そこからだ。このやけに血を騒がせる“怒声”が聞こえるのは。
かなり距離があるのにも関わらず、鼓膜に直接叩き込まれているかのような叫びが、本能の部分を揺さぶる。そのため体が獣に変わり、人に戻るを繰り返してしまい、周りの音芽組の面々は心配そうに見ている。
(この声……危険だ)
野生の本能が告げてくる。高揚などではなく、遺伝子に刻まれた生存本能が該当する感覚を引き出すのだ。
(これは……恐怖か?)
そんな緊張の中。
「あ~、うるさいっすねっ、も~……」
そんな間延びした声がいきなり聞こえた、と思った時には――――
――――鈴の音ににも似た“鍔なり”と共に、ピタリと怒声が止まる。
音芽組の面々は不思議そうに顔を上げる。
一体なにが起こったのか、そんな表情。
この中で唯一“この男”との付き合いが長い俺だけは苦虫を噛みつぶした面になっている。濃厚な確信と共に、顔と目を背後へ振りむかせると、やはり居た。
(この空間を満ちる空気の振動を“斬って”、“整えた”のか……化物め)
俺以上のバケモノは、ニヘラと笑って、こちらへやってくる。
顔半分を隠す様に、何処にでも売ってそうな麦わら帽子かぶり、現れた男は……
「……ハジ。てめぇ、何しに来やがった」
「おぉっ、なんという冷たい目線と声! いやぁ~、さっすが、永くん。夏の暑さには、我が親友の冷やかな態度ッスな~」
なははは、と笑う藍色のジンベイにサンダルというラフすぎる格好の男、隔離区ソドムで情報屋なんて、とてつもなく似合わないことをしているハジは“手ぶら”でユラユラと近寄ってくる。
俺は警戒心をさらに“強め”て、身構えた。
「質問に答えろっ!!」
「永君、そんなに興奮しないでくださいよぉ~。もう若くないんだから、血圧あがっちゃいますよ」
「上がるかっ! そして、俺はまだまだ若い! それよりも……」
「此処に来た理由? アレですよ、アレ」
ハジは俺達が倒した妖樹の方を指差した。
「……そうだ、あの木は一体……」
「木? 違いますよぉ」
指さす方には木以外ない。それ以外にあるとしたら、部屋の“壁”。
「あれはただの“結果”。魔術を科学的に解明しようとした阿呆が生み出した妖樹の模造品ですよ。アッシが用があるのは、あの木を作り出した“|環境を作り出す機械仕掛けの魔導具”……この部屋全体です。――――“E”の代行者が命ず、“彼女”の手に戻るための形を取れ、エメラルド・タブレット“八日目からの栄光”」
ハジが言葉を紡いだ瞬間、部屋がきしみ、周りを包んでいた黒い壁が、連結を失ったかのように分裂した。
黒い板のように別れた壁は、ハジが開いた両の掌に吸い寄せられるように集まっていく。不思議なことに収束する際に立体物を検知する機能があるのか、押しよせてくる板は、俺達にぶつかることはなかった。
そして、出来あがったのは……
「箱?」
手のひらサイズのルービックキューブにも似た黒い箱があった。
「ここまでのサイズに収められるのか?」
「ええ。時代はより小さく、機能的にですからねぇ~」
この部屋全体を包んでいたはずの総量を無視するような形に目を疑ってしまう。だが、現に部屋は内装をガラリと変え、大きな吹き抜けが存在するデパートのロビーに変わっていた。
信じがたい光景に慣れているのはいえ、これはあまりにも……いや、それよりもハジは、あの箱をエメラルドタブレットと呼んだ。
現物を俺は初めてみる。これが……
「それがエメラルド・タブレットシリーズか?」
「そう。これが“第三次世界大戦を引き起こした”
『オオオォォォォォォォォオォォォォォッォッォォッ!!!!!!!!!!!!!!!』
ハジの言葉、主に後半の部分をかき消すように、また鼓膜を破壊しそうな怒鳴り声がきた。
耳を咄嗟に塞ぐが、声は体に浸透するように、頭痛を引き起こす。
「なっ!? また……なんなんだ、一体」
「あぁ、ミノタウロスですよ」
視点 継続
…………おい、こいつは今、何と言った?
あぁ、隣町にコンビニができました的な、割と自然に紡がれた言葉に俺の口が塞がらない。
放心する俺を差し置いて、組員達は疑問を投げ合う。
「え? ミノタウロス? って、なんだっけ?」
「ほら、あれだよ……あの、RPGとかにででてくる」
「あぁ、牛の化物!」
ミノタウロスは、RPGゲームなどで出てくる魔物の一種。牛の頭に人間の体をもつ化け者。
ダンテの地獄篇にもその姿は見られ、地獄の第六圏で、異端者を痛めつける役割を持つとされる。
ゲームなどではおなじみで、それほど強い存在とはいえない。いたとしても雑魚キャラ扱い。大ボスにはほど遠い存在で、割と簡単に倒せる――――
「そうですねぇ~。それに“近い”です」
俺は、その一言にブチ切れて、ハジの首を握り潰そうと手を伸ばしたが、ヒラリとかわされた。
「ふざけるなよっ!! お前、一体なにしてた!!!」
「あ、兄貴、落ち着いてください!」
「どうしたっていうんですか!!?」
今にも飛びかかりそうな俺を組員たちが体を掴んで引き止める。
彼らは何もわかっていない。この馬鹿が何を“見逃したのか”を。
俺は怒りにまかせて、目の前で距離を取って、頭をかいている男を殺したくなっていた。
「お前、今、“近い”って言ったな!! お前、どんな意味で近いと言った!?」
「そりゃ、“皆さんの”想像しているミノタウロスにですがぁ?」
「ぁあっ、だろうなッ!! この、畜生がっ!」
「何を怒っているんですか!?」
「ミノタウロスなんて、そんなに強くないでしょう!?」
普通に倒せる中級モブ敵。それが彼らの知るミノタウロスだ。それをハジは近いと言ってのけた。
つまり、違うのだ。彼らが考えるミノタウロスとは違う存在。
「強くない!? 馬鹿言うな!! あれは、ただの化物じゃない!!!」
ミノタウロスの語源は、ギリシア神話に出てくるある王の息子から取られたものである。
ミノス王が海の神ポセイドンとの契約によって、後で返す約束を前提に一匹の美しい白い雄牛を得たがそのあまりの美しさに返すことを惜しみ、そして 王は契約を破り、雄牛を自分の物にした。
ポセイドンはそれに怒り、王の后にある呪いをかけた。
その呪いは、后に白い雄牛への性的な欲望を抱かせた。
「ギリシャ神話に出てくるミノス王。その王の后が呪いを受けて、雄牛との獣姦の末生み落とした男の名はアステリオス。彼は生まれながらに人の体に全く別の生物の頭を持っていた。牛の頭をな」
王は何かを想ったのか、彼を育てた。だが、アステリオスは、成長にするに連れて凶暴性を増し、何処からともなく溢れる破壊衝動と怒りに暴力の限りを尽くした。それを危険と感じた王は、入れば二度と出れない迷宮ラビリントスを建造し、アステリオスを放り込んだ。
「アステリオスは本来は星、雷光を意味する名らしい。だが、彼の名は定着はしなかった。悲しいかな、彼はその姿から、こう呼ばれていた。ミノス王の牛“ミノタウロス”と」
これがミノタウロス伝説の始まり。彼は後に英雄に討伐されるまでの間も、暴虐の限りを迷宮の中で起こす。
「ミノタウロスはラビリントスという脱出不可能な迷宮に閉じ込められた。九年ごとに食料として人間を送り込んで飼い殺しにしたんだ。かつて自分が違えた契約の代償を今さら払う様に……まるで、自分が約束を違えた“同等の存在”に許しを請う様な“供物”を捧げているようだろう!」
そこまで語ると、組員たちは顔を青ざめさせ、何かに気が付きはじめた。それもそうだろう。なにせ、その“存在”と彼らは共に過ごしている。あの妹は生贄を欲したことは一度もないが、同じ高位存在には違いないのだ。
「神が寄こした白く美しい雄牛と、神の呪いを受けた王の后から生まれた異児。そもそもミノス王自身が、主神ゼウスの子――――」
俺の妹が、己の肉体を自在に変質させ永遠の命すら簡単に生成できる“生”の存在だとしたら、ミノタウロスは真逆。
「――――ミノタウロスは生まれ方はどうあれ、神格者……暴虐と暴力を司る“破”の神だっ!」
視点変更1
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッァァァッ――――」
暴虐と暴力の神となった立花 信は、地面にへたり込む私、九重 撫子の眼前で怒声を空へと放つ。
咆哮だけで周囲の造形物を破壊し尽くせそうなその化物。三メートルにまで届きそうな白い鋭角さを持つ筋肉隆々とした巨体、二本の曲がった角を生やした姿と、牛頭の口から人間の形をしていた頃とは似ても似つかない獣の声を出す彼はもはや立花 信では、ない。
「――――――ァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!」
求めるのは渇きにも似た破壊衝動を満たす暴力と破壊。凌辱と狂気。声が含む濃密なソレらを聴覚が容易く見抜けてしまう。
彼の面影をまったく残さぬソレはそう、ミノタウロス。生まれながらに罪を背負わされた悲しい神。
私は自然と一筋の涙を流していた。
だが、それは決してミノタウロスの姿を見たからではない。
その神の足に踏みつけにされている男、緩いクセをもつ黒髪の青年――――その“敗北”の姿から湧き出た涙の粒。
進・カーネルが倒れていた。あの進が。吸血鬼の長にも、魔剣にも、暗殺を得意とする狂気の魔術師にも、容易くではなくても勝ってきた男が敗北者の姿で、倒れている。
血に塗れ、左腕は完全に壊され、意識があるのかどうかも怪しい。
「進……」
弱弱しい呟きの声で、彼の名を口にした。
「ブルゥ……」
だが、その声に応えたのは彼ではなく、ミノタウロス。
ミノタウロスは、私の姿を目に捉えたらしく、ゆらりと、それでいても巨体の歩幅で、数歩の距離を近づいてくる。
私は動けない。頭の中と視覚のほとんどを進から離せない。なにより彼が負けたことが信じられず、それを認めてしまいたくない自分自身が体の動きを止めていた。
途端に彼の姿が見えなくなる。それはミノタウロスの巨体が視界のほとんどを埋め尽くしてしまったせいだ。私の目は、ミノタウロスが拳を振り上げ、私を圧死させる姿になるとやっと動き出した。
(あぁ……なんだろう、これ)
かつて私は死にたくなかった。死にたくないが故に、目の前で殺されゆく命を見捨て、殺される運命の時を出来るだけ遠くに先延ばしにしてきた。それがたまらなく嫌で、恥ずかしく、自分は早く死にたいににと偽りの感情を持って、さも自分は聖人だと言い訳をして生きていた。
(もう……どうでも、いい)
それなのに、今、私は死んでもいいと心から思っている。
私をあの死刑台の階段を一歩ずつ上がるような生活から救いだしてくれた人が、もういない。
それだけで、もう――――
(――――全部、どうでも、いいよ)
私はいま、どんな顔をしているだろう。どんな目で、迫りくる大きな拳を見ているのだろう。
それすら、もうどうでもよくなり、私は目を閉じ――――
「ざッ、けんじゃねぇぞォッ!!!!!!」
――――かけようとした直後、“私に向かって”放たれた罵声が、心を打った。
罵声の主は、いつの間にかにそこに現れており、ミノタウロスの体を横へ吹き飛ばそうと体当たりをしていた。
だが、重量に差があり過ぎてミノタウロスはよろめくだけ。私へ放たれた拳の軌道が逸れて、真横の地面を抉っただけであった。
「モォォォオッ!!」
暴虐の神は自分の破壊を妨げた存在へと紅い目を向ける。普通の人間ならば恐怖からのショックで自ら心臓を止めてしまうかもしれない、人を超える別格の殺意。
だが、彼はその目を見ていない。
彼、進・カーネルは、私を視ていた。横眼で睨めつけるような怒りの瞳で。
大きく息を荒げ、全身を血で濡らし、左腕など半ばから変な方向にねじ曲がってしまっている。立っているのがやっと。
外観からでも推察できる、それが進の現状。
だが、わかる。それでも、なのだと。
それでも目から力が落ちることはないのだと。それでも右手から戦う意思が手放すことはないのだと。
敵が神であろうと、しったことではないのだと。
目と口で彼は、私にわからせる。
「ソコで、“待ってろ”っ!!!」
強引な言葉。もっと言うべきことぐらいあるだろう。
ただ、その一言。たった一言だけ私に告げて、進は敵へと目をまともに向けた。
ミノタウロスの体に密着しながら前へと押す。溜められた力が気合いの声へ変わり、ミノタウロスの重心を崩す様にしがみつき、全身全霊で、“突貫”する。
視界が急にひらけた。耳には何かを引きずるような破壊音と、けたたましい叫び声。左へ目をむければ、倉庫を縦断するような痕跡が生々しく残り、その延長線上で、爆発のような粉塵が巻き上がっている。
私は、小さな息をつき、空を見上げる。
ミノタウロスの咆哮で、晴れた空があった。暗い雲が満ちていた空はほんのりと青さを増している気がする。今は何時だろうか? もうすぐ日が出る気配が近づいているようだ。
「ふ、ふふふ……」
長い夜が明けるのだと、考えながら、私は口元を緩ませて、彼を待つことに決めた。
視点変更 2
人のあたたかさを感じて私は目を覚ました。
体の前面に感じるためにおぶられているのだと気が付く。この温もりを感じるのは、何年ぶりだろう。そもそも、私は誰におぶられているのだろう?
「あ、気が付きましたのね?」
そのソプラノの美声と、白金のなめらで艶のある長い髪を、五感の半分に感じて、私がローザ・E・レーリスの背に乗っていることにようやく気が付いた。
「ぅっ!?」
驚きにバッと飛び起きようとしたが、酷い車酔いに似たダルさと、目まいが邪魔をして体を動かすに動かせない。
「無理なさらない方がいいですわよ。貴女の中にはまだ魔虫の集めた魔力が残存してますから。空槍は魔力までは討ち抜けませんから」
言っている意味はさっぱりだし、この気持ち悪さは半端ではない。でも、なにか嫌なワードを聞いた気がして、かなり気になったのが、自然と声へと変換されてしまっていた。
「魔……虫?」
「そう、魔虫。貴女が通販で買ってしまった人に寄生し、対象者の自我を乗っ取る過程で、貴女方の言う能力を発現させる幼虫ですわ」
「通販……そうだ、私」
思いだした。いや、なぜ忘れていたのだろう。自暴自棄の生活を送る私が見つけた、とあるネット広告。見つけた時にはなんだ、これはと思ったが、正常な思考能力を持たない自分はクリックを繰り返して注文をしてしまった。
五千円、という値段のタイトルは“目覚める飲料品”。
数日して届いた小さめのダンボール箱。どんなゲテモノ商品が入っているのか、と内心ワクワクしていた私が、ソレを開いた瞬間――――
「私、あの虫が飛び出してきて……私の、わたしのく、口に……」
「お、思い出してもいいんですが、口には出さなくてよろしくてよ……」
「そのまま、どんどん喉の奥にぅ!!」
「ヤメテくださらない!? 詳細に語らないでくださらないっ!?」
「あ、あの虫が、まだ体の中に……!?」
目に見えない恐怖に私が凍りついていると、顔半分こちらにむけるローザがニヤリと笑う。
「ご安心を。貴女の体内に寄生していた虫は私が滅殺してますわ」
どんな方法で? とは聞けなかった。きっとロクでもない方法に違いない。
「今度はこちらが質問してもよろしくて?」
少しためらいがちなローザがゆっくりとした歩みを止めずに聞いてくる。
「貴女、美しいモノが嫌いだと語られてましたが……私から見ても、貴女は十分に……美人さんですわよね?」
「…………」
「それなのに、どうして貴女は……」
……別に見られていたことに驚きはなかった。むしろ彼女がどうして敵である自分をこうして助けているのかに合点が言ったというべきだ。
自分の秘密に踏み込まれていることに怒りや不満はない。むしろ、私に気持ちをくんで、質問の最後に言葉を濁した彼女に好感が湧いているくらいだ。
「……私、大好きで……たまらなく好きだった人がいたのよ……」
だから、声はスラリと滑り出た。
「幼馴染で、昔からにつき合いがあってね……。背は私より大きかったけど、顔は、言っては悪いけどあんまり良くなかった。だけど、いつも誰かのために笑いをとって、みんなの中心にいるような人だった」
いつのころからだったろうか。友情が愛情に変わったのは。何年たっても変わらぬ彼にやりきれなくなり自分から告白して、恋人関係となった。彼は私の告白を嬉しいと言ってくれた。それだけで満足だったのだ。
「その人と付き合うようになってから私はもっと彼のために良い女になろうとしたのよ。彼が自慢できる彼女になろうとして……。私、昔から人から綺麗だって言われることが多くって、自分でもそう思ってたから、もっと、もっと自分を綺麗にしようとした」
昔は気にもしなかった化粧も勉強した。普段はあまり目立たない地味な服装を一心して、鮮やかな物に変えた。体の動きで客観的によく魅せる動きを、ショーモデルからを見て学んだ。
デートに行けば、行き交う誰もがこちらを一度は見てくるようになった頃、街で芸能プロダクションのスカウトを受けた。その話を私は彼にした。彼は笑って喜んでくれたのだ。
私も喜んだ。笑顔で、無邪気に、阿呆のように。彼の笑顔に暗い影部分があるのにすら気が付かずに。
「私、その人と別れたの。一方的にフラれたわ。……彼の最後の言葉、なんだと思う?」
「…………」
「俺、ブサイクって嫌いなんだよねっ、て言われたの。彼、泣きながら私に言ったの。悔しそうに、苦しそうに、お前といると自分が不細工に思えてしょうがないって。お前が綺麗になれば、なるほど、他人から釣り合わないって言われるのが辛いって」
雨の降る夜だった。偶然だったのだ。傘がごった返す街を一人で歩いていると、ショッピングを楽しむカップルの光景に、彼が混じっている。隣には私の知らない女の人。素直に美人とは言えない、普通の人。仲の良い友人には見えない。兄弟とも見えない。
あれは、誰の目から見ても、カップルの姿にしか視えなかった。
自然と出る涙がと同じように、自然と足が前に進んだ。傘を投げ捨て、彼に喰ってかかった。自分で何を言ったのかを憶えていない。それは感情のままに叫んだ結果。その結果があの彼からの言葉。
「彼はそれだけ言っていなくなったわ。私よりもずっと彼の心がわかる人に優しく慰められるように肩を抱かれながらね」
傘の中へ消えていく彼を放心して見送った後、私の真横にあったショーウィンドウに自分の顔を写すために近付いた。そこに映るのはいつもの綺麗な自分の顔――――
――――などではなく、嫉妬と怒りと絶望が交わることなく入り混じった醜女の顔。
雨の降りしきる中を駆け、家に帰ると自室に閉じこもった。
それからも引き籠り、毎日彼のためにとおこなっていた自己満足のすべてを辞めた結果、髪は荒れ果て、伸びきり、肌も荒れ放題になった。鏡を見るのが嫌になり、髪の毛で顔を隠した。
「もうどうしていいか、わからなかった。イイと思っていたことで、大事な人が傷つくの。わかる? 笑っちゃいたくなるほど、顔が引きつるのに……悲しくて涙があふれて、くやしくて過去の後悔ばかりになるのよ」
溜めていた貯金で、通販でご飯を食べるだけの生活を繰り返した。だが、貯金も底を尽きかけ、死ぬのを待つだけになり、あのネット広告を見つけた。自暴自棄だったのか、それとも自分を変えたくて、彼を忘れたくて、藁をも掴みたい気持ちで、何も考えずに、目覚める飲料品を注文したのだ。
「それが、貴女が美しさを嫌う理由ですの?」
「そう……かもしれない。ううん、違うわ……私が本当に嫌いだったのは自分の美しさばかり考えてた醜い自分なのよ、きっと」
彼のことを視ているつもりで、自分ばかり視ていた。それが私が捨てられた理由なのだ。きっと……
綺麗で、美しいものが嫌い。それはうぬぼれていた自分自身が嫌いなのだ、という意味――――
「そうですの。なら……」
何かを彼女が口にしようとした瞬間
「ォォラアァァァァァァァァァァアッッッ!!!!!!!」
「モォォオオオオオオオオオオオオッッッッ!!!!!!!!!!」
斜め横の壁を破壊して突き抜けてきた一匹の化物を、一人の男が押しのけながら絶叫し合い、現れた。
視点変更 3
「なんなんだよ、これ……」
俺が吐きだしたのは、気味の悪い虫。
耳が破裂しそうな怒鳴り声。
そして、負けている自分。
急速な事態の変化に、おれ、高橋 宗太には、頭が付いていけず投げやりに叫ぶ以外の選択肢はなかった。
「なんだってんだよ、ちくしょっ――」
そんな、おれを黒いコートの男にアルバインと呼ばれていた男が躊躇なく、俺の腹を蹴りつけた。
子供の体に、大人の配慮のない足蹴りが決まり、おれは宙を舞う。
「グバッ!? ゲホォ、ゲオボォ、くぅあ……」
浮遊感と嘔吐感を経て、地面に落ちたおれを、冷たい目線と有無を言わせぬ命令が突き刺さる。周囲を包んでいた炎は消えているが、多少残る陽炎がアルバインの体を包んでいる。その揺らめきのせいか、彼を先ほどのまでの彼でないように見せる。
「立テ。立つんダ、ソウタ」
最後通告の様に、剣をおれの喉元につきつけ、立つことを強要してくるアルバイン。
「ぅ……」
体が震えて仕方がない。目の前にいる存在がおれの中の何かを|挫いてくる。
「ヒーローなんだろウ? なら、立つんだ。勝てないヒーローに価値はなイ」
「ぅうぁ……」
声が震えて仕方がない。あの冷徹な目と同質の鈍い光がなぞる剣先に、恐怖を感じて体が竦みあがる。
「ソウタ、何をしてル?」
「ひっ、ぐぅ……」
雷がでない。さっきまで体の芯にあったはずのおれだけの特別な力が微塵も出てこない。そもそも、おれはどうやってあの力を使っていたのか……それすら、思い出すことができない。
「キミの力はもうないヨ。キミの力はあの魔虫が出していたに過ぎなイ。そんな仮初の力だったのサ」
「そ、そんな……」
そんなことない。そう言いたいが、心のどこかで、もう出せないとわかっていた。でも、認めたくない。これじゃ、“ぼく”は……
「ヒーローごっこは終わりダ」
「……っ!!」
「睨む力があるなら、立テ。ヒーローを自称するなら、まだオレはキミの敵ダ。敵を前にキミは這いつくばったままなのカ?」
「おれは……ぼく、はっ、ただ……」
「今さら泣きごとを吐けるなんて思うなヨ。言エ。キミがヒーローになりたかった理由はなんダッ!」
ッ!!! おれは……おれは……ッ
「キミは悪を“倒したいだけ”の、陳腐な正義になりたかったのカッ!? 違うだろウッ!? もう力に操られてないのなら、言って、立ち上がってみせろよ、|誰かのためになりたかった男ッッ!!!」
――――ぼくは、おれは……俺は、おかあさんをッ――――
「ぁぁっ、あぁあっ、アアアアアアアっ!!!!」
動きたくないと軋みを上げる四肢を意思だけで奮起させ、グググッと体を持ち上げた。
生まれたての小鹿のように、小刻みに震える体が徐々に二本の足で――――
――――立ち上がりかけたが、すぐに俺の体は、力尽きるように地面へと倒れる。
「うっぁぁぁ……」
震え。
敗北感。
再び地面の冷たさを感じながら、目から悔し涙が溢れ出る。
体を縛っていた恐怖で、立ち上がれなかった……のではない。
ただ、単純に立ち上がるだけの力がなかっただけ。
それだけで、俺は|どんな過酷な窮地でも立ち上がれる者ではなかったのだと、思い知るには十分だった。
そんな打ちひしがれる俺を、アルバインは不動の冷徹な目で見据える。
「立てなかったネ……これでキミがヒーローではないとわかっタ」
負けたのだ。俺はこの男に負けた。一切、自分でも否定できないほどの負け方で。
俺はヒーローではない。俺はただの……。そう思うだけで涙の湧き出る量が増え、嗚咽が漏れる口を塞げもしない。
そうさ、俺はただの、夢見るだけの、子供だ。
「キミはただの子供なんだよ、ソウタ」
(わかってる。わかってるから、もう黙ってくれ……)
変わりばえしない冷たい言葉が胸を抉る。
「今は、それで良いのサ。まだキミは子供でいいんだヨ、ソウタ」
それが急に温かみを持ったことに驚きを感じて、跳ね上げるように頭を上げた。
突き付けられていた剣がない。今、そこにあるのは、さしだされている右手のひら。
「キミはヒーローじゃなかっタ。それは確かサ」
ゆっくりと、諭すような言葉使い。優しげな頬笑みが、当たり前のようにあった。
「キミたち子供は、守られる立場にあル」
大人はそればっかりだった。子供だから、ガキのくせに……そういって俺達を馬鹿にする。できることもあるのに。できもしないと決めつけてくる、そんな認めてくれない大人たちが嫌いだった。
「そうやって誰かに守られることで生まれる、余裕ある時間をもっているんダ」
「余裕ある……時間?」
「そうだヨ。大人に……なりたい存在になるための準備時間をネ。ソウタ、キミは何がしたい?」
「おれは……俺は、ヒーローになりたい」
ヒーローになりたい。そう誰かに伝えると、誰もが指さして、ガキだと嘲笑う。だが、目の前にいるこの人は、別の笑みを浮かべている。
「違ウ。ボクが聞いているのはヒーローになって何をしたいか、じゃなイ。今のキミが何を成すのか、サ」
「何を、なす?」
「そうダ。ヒーローっはただの名称。何かを“成して”成功した者に与えられる一時的な栄誉賞。大衆の支持を得られれば勝手についてくる、駄菓子のオマケみたいなもんなんだヨ。そして、本物のヒーローはそれに固執しはしなイ」
愛と勇気と正義を信じて戦う者がヒーローなのだ、と俺はテレビの中に出てくるあからさまに悪そうな敵を倒すカッコイイ彼らをみて、そう結論付けていた。彼らのようにすれば、俺は認められる。お荷物でも、お母さんを苦しめるだけの存在ではなくなる。
そう思っていた。
「だって、彼らは知っているかラ。本当に大切で、重要なのは、自分が成した行動の結果だト」
正義とは、道理に・道徳にかなっていて正しいこと。
ヒーローとは、英雄。勇者。また、敬慕の的となる人間。華々しい活躍をした者。
辞書を開けば、ポン、と乗っている意味説明。でも、おれら子供は深く考えない。考えようとしない。なぜなら自分自身が持つカッコイイ姿こそがヒーローという言葉の意味だと信じているから。
「さぁ、ソウタ。もう一度、問おウ……キミは何がしたイ?」
今でもおれは、カッコイイのがヒーローだという理解を払拭することができないでいる。だが、関係ないのだとわかる。この人は、ヒーローなおれに聞いているのではない。
この人は、ただ、彼の目の前に居る“高橋 宗太”をしっかりと見据て、聞いていることがわかる。
きっと、この人は嘲笑わない。おれを、おれとして視ているから。一人の男としてくれているから。だから、少しの躊躇いだけで、想いを口にできる。
「お、おれは……おかあさんは大変な、んだ。だけど、おれはこどもで、ガキで、使えなくて、お荷物で……だから、だから…………強く、なりたかったんだ。おかあさんを苛める悪い奴らを倒せるくらい」 「でも、キミは弱イ。そして、ボクにも負けタ。悪い奴らも倒せないだろうネ」
「うぅっ」
「だからって、キミがなにもできない訳じゃないだろウ?」
アルバインが片膝をついて、おれの両肩を掴んで、やさしく持ち上げた。子供の背丈を軽々と持ち上げる力とは思えないほどの柔らかな力加減で立ち上がらされ、危うく地面を踏むことすら忘れかけてしまう。
(……あれ?)
地に足がついた後に気がついた。あれほどまで体に満ちていた震えがなくなっていた。
「おかあさんを守る力がないなら、手伝う思考を持ちなさイ。手に持つ荷物があれば、自分の持てる範囲で持ってあげなさイ。咳き込む姿を見たら、背中をさすってあげなさイ。悲しんで泣いているのを止められなければ、泣き終わった後に必死で笑顔をつくってあげればいイ」
片膝立ちの彼と、二本の足で立つおれの目線の高さは同じ。そこから見つめてくる力強い瞳。意思と言葉が自然と、そこから伝わってくる。
それが熱を持っているのか、自然と涙が、解けだす。
「おれ、してたよ……でも、でおさ……そえしかできなくて……ぐやしいんだ、くるしいんだ」
「ああ、わかル。その悔しさと苦しさを忘れるナ。それらを使って、強くあろうとしなさイ。そうすれば……」
「ヒーローに……グスッ、なれる?」
「それは確約できなイ。それに、キミの努力とやさしさが報われるとも限らなイ。キミがどうこうする前におかあさんは幸せになるかもしれないし、どうにもならないかもしれなイ。それはキミの選択云々より前の問題ダ。だが、もし、ソウタがその始まりの優しさと苦しさを忘れず、何かを成し続けたのならば、キミは、キミの強さを手に入れ――――」
おれは、たぶん忘れない。
子供心でどこかわかっている。生きていれば、多くの人と関わり合い、次第に心は形を変える。善意より悪意が多いことも。それにさらされ、自分の中の正義や優しい想いなど蹴り飛ばされ、馬鹿だと罵られ、いつかは消え去るのだと。
だけど、たぶんの副詞を抜いてしまえるほどの強い放心の想いで、この出来事を心に刻みつけられる。
「キミは、自分でも気がつかない内に、|誰かに優しくできる人間になっていル。それだけは約束しよウ」
きっと、この言葉と、おれに向けられた優しい満面の笑みだけは、おれは必ず忘れることはできない。
これはきっと憧れなのだと同時に感じ、気恥かしさを憶える敗北感から、目線を素早く逸らした。
その逸らした瞬間だった。
「ソウタッ!!」
「ぇ」
アルバインが急におれに跳びかかってきた。
「なっ、なんだ!?」
なにがなんだかわからなかったおれは、抱きかかえられた隙間から、いままで立っていた場所に鞭のようなモノが叩き付けられたのを見た。あのまま居たら地面がえぐるほどのそれが叩きつけられたに違いない。そこでようやくおれは助けられたということを理解した。
守るように抱きかかえられ、地面で一回転した感覚を味わう。衝撃は少なかったのは、すべてアルバインの成せる技か。
彼は素早く俺を解放し、淀みない動作で立ち上がる。
「遅かっタッ……」
後悔の声色で、アルバインは背後を振り返る。さすがに立ち上がるのには手を貸してはくれなかったので、地面に座ったままつられるようにおれも首を捻ると、そこには男が立っていた。
「ア、ァア……」
だらしなく開いた口。そこから溢れる唾液を気にもせず、白目を剥くその男に見憶がある。たしか、仲間の一人だった男。そこまで仲がよかったわけではないが、その変わり果てた姿は常軌を逸し――――
「アガガガガガガガ……」
――――肩に、気味の悪い触手が生えていた。
「ぃひっ!?」
おれは悲鳴を上げざるおえない。すぐに立ち上がり、アルバインの背に隠れたが、それは意味のないものだと気がつかされる。
彼だけではなかったのだ。そこらかしこに、共に能力を発言させたと信じていた仲間たちが苦しみ悶えているのだ。
数秒悶えた後、意識を失ったような状態でユラリと立ち上がり、体の各部を歪に変形させるか、もしくは新しい気色悪い触手じみた突起を体から飛び出させて、嗚咽を上げながら、こちらに近づいてくる。
「ど、どうしたんだよ……おまえら」
「種がミノタウロスの存在を感知して歪んで“発芽”したのサ。すまない、こうなる前になんとかできればよかったんだが……」
「種!? 発芽っ!? なに言ってんのさ!?」
ヒステリックな感情を抑えきれないおれは、アルバインに問いつめる。だが、彼は周囲の状況を冷静に観察しながら焦ることなく、淡々と告げてくる。
「時間がないから要点をまとめて説明するヨ。……いいかい? まず、キミたちが言う能力は、ただの副産物なのサ」
「副産物?」
「そうダ。キミが吐きだした虫……正確には、“虫のように見える木の種”が人間に寄生し、寄生部位から根を生やして、脳に至るまでに現れる前兆。植物が生えるのに純度が高い栄養素を求める様に、あの虫たちは宿主をある程度まで覚醒させル。それが能力の正体ダ。根が中枢神経に近付けば、近づくほどに能力はさらに覚醒され、強い力が行使できるようになるが……」
木なのに、虫が種なのか、そんな疑問を無視してしまうほどのショックと戦慄があった。
「じゃあ、さっき、おれの力が上がったのって……」
「キミの中枢神経部、いや、もっと脳の深い部分に枝が届きかけていたんだろウ。同時に、脳の機能を奪われ、植物に操られる人間。文字どうり“植物人間”になり、いつかは木へ成長する栄養素を奪い尽くされる苗床にされるか、もしくは近しい人や他の人間にも種を植え付けるために行動させられていたかもしれなイ」
「そ、そんな……」
能力が出た時、自分は選ばれた人間なのだと思っていた。神様が与えてくれたギフトが目覚めたのだと。それが、どこか心の拠り所になっていたのだ。それが、それが虫が寄生しやすくするための副産物? しかも、あのまま状態が続けば、自分の意思を奪われ、守りたかった母親まで危険にさらすところだった?
聞けば聞くほど、落ち込むおれを、アルバインは語りかけてくる。
「落ち込んでいる暇はないヨ、ソウタ。キミが見るべきは現状。ただいまボクらは、敵に囲まれているのだからネ」
そうだった。と現状を捉えても、もう遅い。四方を囲むように、ゾロゾロと現れる植物人間たち。
――――いや、それ以上に、なにかが引っかかり、アルバインの顔をそっと見
「アルバインッ」
なんなのか? を考える前に、俺を中心に右側の植物人間たちが、いきなりの爆風に吹っ飛ばされた。
アルバインの名を呼んだ綺麗な声の主は、白っぽい金髪の髪をなびかせて、着地した。
「ローザ……もっと、優しくしてあげたらどうだイ?」
「優しく? 阿呆ですの、貴方? あちらは、生命力の強い我々を襲い、同じ苗床にしてこようとする輩。そんな輩たちにする義理はどこにおあり? 殺さないだけマシだと思いなさい」
上から目線な態度。それでも許してしまえるのは美女だからか。子供ながら、女性を見る評価基準が上がることは避けらない美しさを持ったローザと呼ばれた人は、おれの良く知る女性を――――
「――――いや、誰?」
「……私よ、ソウタくん」
「ズゥエッ!? 水さん!?」
髪を上げ、素顔がさらけ出されているだけなのだが別人に見えた。そういえば、素顔を見たことがなかった。だとしてもまさか、こんな美人だとは想像してないかった。
「ローザ、彼女の虫は?」
「取り除きましたわ……チッ、そっちの坊やは後遺症一つ無し。払い技なら騎士様が上のようですわね……」
「ひがむなヨ、錬金術師」
「べつに~、ひがんでなんてませんもん」
口を尖らせるローザ。何処か勝ち誇っている気があるアルバイン。
この常軌を逸した空間でよくもまぁ、平常心を保っていられるものだ。
おれは、次の瞬間、壁をぶち抜いて現れた黒いコートの男と、彼を押しのけながら現れた鎧のように鋭利な白い肌の牛人間の出現に発狂しそうになっているのに。
「っ!!!!!」
なにがなんだかわからん。状況を説明しろといわれても無理だ。ただ、わかることとは、圧倒的に黒いコートの男は不利だということだけ。
男は身長と同じくらいありそうな黒い剣を水平に構えて、白い牛人間の拳を押さえている。だが、圧力は受け止めきれず、踏みしめているコンクリートは砕らしながら、後へ後へと押し負けていく。歯を食いしばりながら、反抗する力を加えているらしいが状況は一切一転せず、しまいには肩に傷があるのか、血の間欠泉が飛び出す。
「進っ!!」
「っよせ、ローザッ!」
その姿を見て、ローザがすかさず炎を生みだして、黒いコートの男、進を援護した。そんな彼女を、アルバインは何故か止めようとしたが、一直線に飛んでいった炎は、矢のように白い牛人間へ。
炎は生きているように動き、牛人間を覆い尽くそうと広がる。
「グゥラァッ!!」
その炎を牛人間は、空いていたもう一本の腕で“殴りつけ”。ゴッ、と強い力で、肉体を殴りつけるような音とともに、炎は“壊された”。
「え?」
おれは今の現象に放心する。炎が消されたのではなく、壊されたからだ。空気圧を変えてとか、消火剤で火を消す印象ではなく、ガラスを拳で砕くように、炎が壊れたように見えたのだ。
「くっ、やはり」
「ローザッ、避けロ!!」
そんな放心状態だったから何がなんだか、わからなかったのだが、急にどこからともなくコンクリートの塊が飛んできて、ローザの左手にぶつかったのだけはわかった。
「け、四大の慈悲がっ!?」
ケセド? は指輪の名前のようだ。今の衝撃で壊れてしまったようで、その破片が地面へとバラバラと散らばる。
牛人間はこちらに興味がないのか、進への攻撃を再開する。
そんな両者をながめ、アルバインは緊張感をもって呟く。
「これが……“暴力”の神威」
その戦慄を持って紡がれた言葉が、この場にやけに響いた。
視点変更 4
「ハジ、そこをどけ」
居ても立ってもいられなかった俺は躊躇なく前進する。
「どちらへ、永君?」
そんな俺を、阻むように真正面に立ちふさがるハジ。
「進たちに加勢しに行く。彼らだけでは無理だ。俺の」
「適応能力ですか? 同じ神格であるサヤちゃんならともかく、あなたの能力では足りませんよ」
「なら、なにもするなってかッ、アァっ!!? 馬鹿ぬかすなよっ、ハジ!!」
「馬鹿もぬかしてみせましょ。あなたが死ねば、サヤちゃんが悲しむ。それに、あなたの後の方々もね。それだけは避けたいんですよぉ」
痛いところをついてきやがる。昔っからそうだ。こいつは出会った時から変わらない。あの自らを“端”などと呼び始めたあの時から。
俺達を助けてくれた彼らの力になりたい。だが、俺が行こうと現状の打破に繋がらないことはわかってる。
「だが、このままじゃ……」
「このままも、何もないでしょぉ。オリジナルの能力に近い純粋な暴力の“神威”に適応できる自信でもあるんですかぃ?」
一番指摘されたくない所を、袈裟にバッサリ斬られた。
そんな中、俺の背後で、ざわめきが起こる。
「“神威”?」
「兄貴、神威ってなんですか?」
音芽組の面々は魔術についてある程度の知識を持っている。昔、魔術関連の厄介事に首をつっこむ組長……それに頑張ってついて行こうとする部下たち(組長は小童と呼んでた)が常に危険な目にあうので、その対応策として、彼の妻である音芽が実用的な教材や素材を屋敷に持ちみ、部下たちに専門的な知識を教え始めたのが始まり。
今現在は、主にソドムの治安維持や、サヤを狙う不逞の輩に対する対応策として、組長代理の巌など、魔術に精通する幹部たちが講師を務めて教えているが、神威に関しては教えていなかっのだろうか?
(……いや。巌たちが音芽から教えてもらっていないのか。彼女は、神話とかが嫌いだったから……)
「神威ってのは、日本の北海道を中心に住んでいた先住民族アイヌの言葉で神格を有する高位霊的存在のことですよぉ」
彼女の変わりのハジが音芽組の面々に流暢に語る。
「まぁ、この世界の魔術に精通する者たちが使う神威は、本筋の意から若干ズれるかもしれませんねぇ。神の威、いわゆる神様の力や威厳、それに関連する神話能力を指すことを重要視しているんですから」
「神話能力?」
「そぉ。なにせ、神族はこの世界にはほぼ居ないに等しい。だから多くの神々の語り話から推測するんですよ。それが“神話能力”。そこから計算した属性と副産物を、我々は総じて“神威”と呼びます」
「それって、神様の魔術ってことじゃ、ないんですか?」
確かに、それは端から聞けば魔術と言えよう。そもそも魔術は神話や聖書に語り継がれるような神秘や奇跡を人が行使する秘術。意味は同じといえる――――が。
「とんでもないぃ。魔術では、神格が有する神威の足元にも及びませんよぉ。生みだす威力と規模が違います。だって彼らは“純粋な魔術そのもの”なのだからねぇ」
そうなのだ。言ってしまえば、人が神のモノマネをするのが魔術。それも遥かに劣る模倣だ。
物理法則を捻じ曲げて生むのが魔術。
物理法則を捻じ曲げず、莫大で大規模な権能を、純粋に振るうのが神威。
この両方の奇跡にある溝はあまりにも大きい。だから、存在自体が奇跡である彼らの振るう固有能力を“神威”と呼んで区分けしたのだ。
神威に匹敵する魔術はない。あるとすれば、概念に干渉し、世界を捻じ曲げ、概念そのものとすることができる“魔法”だけだ。
「ミノタウロスの神威は、神話から見ても、“暴力”に属する神威。物理存在および魔術への問答無用な干渉と破壊。進の旦那が持っているイザナミの能力に似てますが違いますね。イザナミが虚空素を拒絶して、魔術を打ち消すなら、暴力の神威は構成や法則を無視して、根底から力でねじ伏せて叩き潰す存在粉砕です」
「それだけじゃない」
俺が悦に浸る様に語るハジから、言葉を奪う。ここからが重要なので軽口で語ってもらうわけにはいかない。
暴力的に魔術や攻撃を破壊するミノタウロスの神威。それはそれで厄介だが、もっと恐ろしく面倒な力を秘めているのだ。
「暴力は常に理不尽なもの、だろう?」
暴力に限らず、言葉が含む性質は一つに絞られるとは限らない。それすらも、神威は内包し、現実世界に体現させてしまう。
視点変更 5
突然、俺の足場が崩れた。
「くぅおっ!?」
排水用の導管でもあったのだろうか。目の前で拳を振り上げていたミノタウロスとの戦闘でコンクリートに亀裂でも入ったのか?
なんだとしてもこのタイミングは“理不尽”すぎる。俺はこの白い猛牛の一撃をイザナミを水平に構えて受けるしかなかった。
轟音と激震。
「ぬぁあがっ!!!!」
拳を剣で受け止めただけで、全身の骨格が軋んだ。全身の血管が千切れ飛んだかと思うほどの一撃に、体が後へと押し出される。
「進っ!!」
俺の名を呼ぶ声がしたと思ったら、炎が飛んでくるのが横眼で見えた。
(馬鹿が!! ローザ、何を聞いてやがった!?)
ミノタウロス一喝と共に、空いた片手で虫をはねのける様に炎を軽く振った。それだけで、魔術で作られたはずの炎は殴り壊された。その際に、体を殴りつけたかのような耳障りな音が響く。
それだけにとどまらず、俺の場所からやっと見えるような視覚から、魔虫に意識を乗っ取られた奴らの一人が無造作に掌サイズの瓦礫をローザへ向けて放り投げた。それは奇跡的な放物線を描き、ローザの左手に命中する。
「け、四大の慈悲がっ!?」
(……こいつが、暴力の神威。いや、“理不尽”の性質か)
暴力は常に理不尽なタイミングで襲いかかってくるものだ。聞いた当初は半身半疑だったが、ここまでくると信じるしかない。
「くぅらっ!!」
ローザの魔術を払った際にできた隙で、体を左回転させ、勢いをつけてイザナミで斬りつけてやる。
ミノタウロス自身の攻撃力を上乗せした感のある勢いある一撃が、奴の横っ腹に吸い込まれ――――
――――る直前に、握りしめていた手の皮がズリ剥け、指が若干離れたために威力が半減してしまった。
刃は皮まで到達したが、肉に食らいつくことはできない。
「んなぁ!?」
「ブゥラァァッ」
一撃もらったことに怒りでも憶えたのか、右足で横払いの軌道を取る形で蹴りが放たれようとした。
その直感に突き動かされるままに、体ごと地面に伏せ、その一瞬後に、頭上を新幹線でも通り過ぎたかのような豪風が駆け抜けたのを感じた。
迷ったら死ぬ。それが神格と戦う上での必須事項らしい。
『魔術の無効果は正直、どうでもいいんですよぉ』
蹴りが通りすぎた瞬間、バッと飛び起き距離を詰めるか、退くかを判断しながらも頭の中で此処に来る前に受けたハジのレクチャーを思い出す。
『警戒すべきは……っても警戒してもどうしようもないんですがぁ……暴力が持つ性質、“理不尽”です』
どうせ距離を取ろうが間髪で詰められる。ならばあの巨体の間合いに張り付いた方が攻撃力が体の旋回力で増さぬ分良い、と判断し、即座に懐に飛び込む。
『暴力の化身たるミノタウロスは、暴力そのもの。彼の行動は暴力。ならば彼の行動、それを妨げる者には彼の周囲が理不尽をもたらすのですぅ』
その兆候はあったのだ。信がミノタウロスに変じる前、絶好のタイミングで止めを入れられる瞬間があったが、いきなり頭上から鉄骨の一本が倒れてきたため阻止された。まるで世界が彼を守る様に。
今のローザもそうだ。攻撃を防がれた揚句、理不尽にも大事な魔具をピンポイントで壊されたではないか。
『まぁ、難しく考えなくてもいですよぉ。“体感”すればわかります』
(あぁ、わかったよ。コイツは最悪だ。ただでさえ、神格なんて化物の上に、周囲の状況がコイツを守る様に変化して、道理に合わない不利な方向へもっていきやがる……この破壊する力と、不意打つような状況悪化。これにどう勝てってんだ?)
『普通なら勝てないでしょうね。でも、この中で、いえ! 唯一、そう、ただ一人! ミノタウロスの暴力に対抗する力を持って、理不尽さをある程度まで“拒絶”する魔剣を持った男が、いるではあ~りませんかっ!!』
パンッ、タァンッ、と“何かを打ち消す音”が連続して何処で弾ける。それが理不尽を無効果している音なのだろう。ハジの言う通り、コイツに対抗できるのは俺だけなのだと、あたかも主人公気分に浸りかけた――――
――――瞬間、左足を挫いた。
間髪いれずに、絶妙に巨大な拳が顔面めがけて飛んでくる。
(っっっそタレがァッ)
言葉にならない怒りを脚力に変え、その拳へと、一歩踏み込む。だが、腕の内側に入り込むには一手足りない。
「もってけ、クソ牛ィッ!!」
俺は折れ曲がって使い物にならなくなった左腕を、拳の側面へ叩き付けて軌道を逸らす。
ガキッ、という粉砕音と共に、ミノタウロスの拳が外側へとズレ、地面へめり込んだ。腕は言うまでもないが言おう。もう治ることはないと自分でも理解できるほど骨と肉が断ち切れ、裂傷部から血が飛び出る。唯一の救いは半ばから千切れ飛ばなかったことだけだ。
拳が地面に突き刺さり、前のめりになるミノタウロス。完全な死に体状態。この結果を作れただけでも腕を無くした成果があったと思える。
イザナミを地から天へと駆け抜けるように振り抜く。黒い大剣が猛牛の頭を真っ二つに引き裂く様に走る。
やっと入った一撃。
その一撃で、ハジが言った“ある程度まで理不尽を無効にできる”の意味を体感するには十分だった。
「浅……い!!」
刃が削りとったのは顎先の一部のみ。
出血もダメージもゼロに等しい。きちんと狙ったはずだったのに、手ごたえに似た感覚すらあったのに。
幾つもの疑問が頭を駆け抜け、スローモーションになる視界。その視界の端に答えを見つけた。
俺が剣を振った時に踏みしめた足場。
その足場から亀裂が走り、ミノタウロスを一瞬でも拘束していた穴まで届いている。それが一瞬の拘束を解いたのだ。そして、拳が抜けた拍子にミノタウロスの上体が後へ傾き、刃が駆け抜ける位置からズレた?
(マジか――――)
青ざめる思考を刈り取るかのような、急加速。
掴まれ、振り回され、投げられたのだ、と理解したのは、壁に叩きつけられ、内臓から血を吐きだした後だった。
「ッゲボッ!!」
何処から溢れたのかわからない大量の血液を口から吐き出る感覚を気色悪く感じながら、ピントが会わない視線。その視界に、もはやワンパターンだと言ってしまいたい衝動に駆られる、しつこい右こぶしの一撃が迫るのを網膜のフレームが捉えた。
(……チートだろうよ、これ。ホントにある程度だけだぞ、無効果。しかも……勝ち時を分ける様な大事な場面に、理不尽が起きやがる)
これが神の理不尽というものか。
「まったくヤッテらんねぇよ……」
溜息ついでに呆れ果ててやる。人間が神様に日夜頭を下げる理由がわかったぜ。
視界を占領しようとする拳を見るのを飽きたので、視線を下げる。あたかも諦めたような、敗北者の頭を垂れる姿。まぁ、壁にめり込んでますがね。
つまり、投げやり気分な今の俺。
「まぁ、それでも適当に“置いときゃ”当たるだろ?」
言葉の通り、めり込んでいた右腕を軽く持ち上げ、無造作にイザナミの“柄”を壁に突き入れる。
拳が突き刺さる。
言葉通り、ミノタウロスの拳が、壁に突き立てられたイザナミの“剣先”に突き刺さった。
「グゥモォォォォォォオッッッ!!!!????」
「ハッ、ざまぁねぇなぁ、オイ……」
あんなにでかい拳だ。適当に置いたら突き刺さるだろう、その程度の考えだったんだが……
勢いを止められなかったのか、剣が深く突き刺さり、振り抜いてしまったが故にマグロを縦に解体するように、右拳が腕半ばまで裂けた。
初めて負った重傷にミノタウロスが泣き叫ぶ様は、なんとも晴れ晴れとした気持ちになる。
「ワンパターンだからだよ、馬鹿牛め。なるほどなぁ、ムカツク理不尽の中にでも、こういうサプライズがあるなら、テメェとの戦闘にも光明があるかもな……ク、ククカ、ヒハハハハハ」
力なく笑う俺に、踏みつぶすような前蹴りが飛んできた。
視点変更 6
「……そういうわけで、ボクらは彼に助勢できなイ。ただでさえ、暴力の神威で魔術は破壊され、理不尽の性質で、攻防に関わらず援護がすべて悪い結果になる可能性も捨てきれないからネ……もう一度、深く言おうか、ローザ? ミノタウロスに攻撃をしかけると、キミだけでなく、キミの回りにいるボクらも理不尽な被害が……」
「わかりましたわよ! もういいでしょ! 反省してますわ!」
壊れたディバイドの欠片をせっせと拾う私に、仁王立ちと呆れ顔を複合させて見降ろしながら、責める口調で説教してくるアルバインに投げやりに返事をする。
(だって、あんな一方的な場面を見せられたら……)
いてもたってもいられなかった、のだ。この感情がどこからくるものなのか、やんわりと判り始めた自分には抑えきれない衝動だったのだ。
それに反省なら本当にしている。ハジから事前受けていたレクチャーを忘れた結果、大切なディバイドが破壊されてしまったのだから。唯一の救いは、ここにくる前には四大の慈悲の術式展開方法を抽出できていたことだ……まぁ、その術式を展開できるすべは、今の私にはないのだが……
「反省しているならいイ。さぁ、ボクらはボクらの仕事をしよウ」
「……そうですわね」
全ての破片を拾い終わり、立ち上がり周囲を見渡せば、目に入るのは、異形化した人間たち。数は……いや、いい。多すぎて数える気になれない。百人ぐらい……いや、もっといるかもしれない。
魔虫に寄生され自我を奪われた彼らが狙うのは強い生命力をもつ人間。この場においては私とアルバイン、そして、背後で怯えるミズさんと呼ばれている女性と、ソウタという子供だろう。
「二人を連れて逃走……する気はあるかイ?」
「何を馬鹿なことを……私は進から、このザコ共をどうにかしろと言いつかってますのよ? それに、この者たちを放っておけば、周囲に拡散して、住民たちを襲いに動きだしますわよ?」
ここは人気の少ない廃港で、周囲に住民は住んでいないが、数キロ先には大きな都市がある。そこまで彼らの到着を許せばどうなるか……
私がそんな懸念が現実となった場合の想定を頭でイメージしてると、ふと目を満丸に見開いて驚くアルバインがいた。正直、ウザい。
「……なんですの?」
「正直、驚いてるんだヨ。あの……二年前に、ロンドン市民が全滅していたかもしれない化学兵器テロを未然に止められる立場にいながら、自分が探すディバイドのために、それを完全に無視したキミとは思えないからネ」
「なんですの? 此処で嫌み?」
「嫌みも言うサ。あの事件でボクらは大切な仲間を失っタ」
「…………」
アルバインはこちらを一切見ずに、怒りだけをこちらに突きさしてくる。彼が言ったことは真実だ。私はあの事件、たしかに何百、何千の人を見捨てて、自分勝手を選んだ。
それが彼が私を魔女と軽蔑する理由。
「だから、私にどうしろと?」
過去は変えられない。変えるつもりもない。あの日、あの時、アルバインが知る事件の中には、彼の知らないもっと語るべき人の思いと感情があった。それを知れば、私を許す人間は増えるかもしれない。だが――――
「――――あの事件における、貴方に言うべき贖罪も、真実を語る資格も私の中にはありませんわ」
ここで言うべきことは何もない。そんな泣き言を言える訳がないのだ。
そんな私に返ってきたのは簡素な答え。
「……そうカ」
正直、こちらもビックリだった。
「いいんですの?」
「良いか、悪いか、なんてボクにだって決められないサ。ボクだってキミと同じように権利なんてもってないからネ……なら、別提案ダ」
未だ、アルバインは振り返ろうとしない。そこに一抹の不安を憶える。
「キミは、二人を連れて港の出入り口を死守してくレ。一体でも逃がすことができない“大役”ダ」
「そんなのココで、全員……」
「彼らは操られているとはいえ一般人ダ。ハジが連れてくると言った“専門家”たちがなんとか彼らを救ってくれる可能性も残ってル」
「アルバイン、貴方……彼らは撫子を連れさった下郎共ですのよ?」
「それでも、こんな死に方は彼らも嫌なはずサ……さぁ、ローザ、行ってくレ。彼らも、何時までも待ってはくれないだろうからネ」
なんとなく言いくるめられているのは、癪にさわるのだが……
「……わかりましたわ。行きますわよ、二人とも」
え、きゃ、とそれぞれ小さな悲鳴を上げて、私に担がれ、空を跳ぶ。
魔力で強化した跳躍から、眼下を盗み見れば、周囲を異形化した者たちに囲まれ、中央に佇む、一人の男の姿。
「心配……?」
両肩に担がれる二人の内、左に担がれているミズサンが呟く。
心配? ……ええ。
「……彼らが、ね」
アルバインは終始、こちらに顔を見せなかった。だが、私たちが跳んだ直後一瞬かけ、見えた彼の顔は―――――
視点変更 7
「行ったカ……じゃぁ、ボクらも始めようカ」
剣を右手に握り直し、一歩踏み出す。そうしただけで、状況が一気に転がる。
「ぅぅぅろっ」
覇気のない唸り声を上げ、腕が巨大化した寄生体の一体が跳びかかってきたので、踏み込みを強め、左から回り込むように一閃、彼の背中に生えていた細い木を幹から切り取る。
のしかかる様に現れた影、を視界に入れたため、そりあげる様な回し蹴りで放ち、顎を捉えた感触。蹴りを入れた対象を見ようと蹴りの流れで上体をおこすと左右からカブトムシのような角を生やした二体が挟み込むように現れ、僕はしゃがむ。
二体はそのまま重なる様に互いの角をぶつけ合い、短い悲鳴を出そうとしたようだが、その前に足のバネを引き絞った力を解き放ち、上に掲げた拳でアッパー。角を破壊し、意識を失った彼らの胸倉を掴んで豪快に円を描く様に振り回して、周囲で未だ安穏としているスロースターター共に投げつける。
強い衝撃音と人垣が崩れる様を、剣を肩に担ぎながらに見る。
「何をやっているんダ? 遅い、おそイ」
ボクを囲んでいた連中が、一歩退き下がった気がした。
意識のないはずの彼らがなぜ、下がったのか、僕には見当もつかない。最初の一体目は背中に木を生やしていたので、一番最初に試したかった“木に関連する変化部位を破壊すれば元に戻るのか?”を試してみたが、結果は無駄。うずくまり痙攣する男の背中で木はすぐに回復の兆しを見せ始めている。
変化部位を壊せばある程度、動きが止まる“ツマラナイ事実”だけはわかった。
「何をモタモタしているんだ……来るんダ……こないなら、コッチから行くヨ」
自分から敵陣に突っ込むことを選択する。
口元が自然と持ちあがる顔など、見たくもなかった。
視点変更 8
痛覚が消えてきた。
倉庫の外壁を貫通すること数回、ようや辿り着いた地面を前に跳ぶように蹴りつけて、前方へ無様に転がる。その最中に痛みが感じなくなっていたことに気がついた。
この無痛現象は、体に受けたダメージ量が多すぎて、神経が過負荷の末に変調をし始めたサインだろう。
視界が瞬く前にブラックアウトするのが良い証拠だ。限界は近い、いや、もうとっくに――――
――――限界だ、なんて自認しようものなら、上空から落下してきた牛男に立ち向かう気力を無くすから思考を早めに切り替えよう。
俺は、限界を振り払うように叫び、丁度ミノタウロスの背後から斬りつける。先手は取った。
はずなのに、ミノタウロスは俺の居場所を、あらかじめ理解していたかのように裏拳で弾く。
驚きはない。もう、この程度の理不尽には慣れた。
次の一撃が来るのを感覚で計り、体をくの字に曲げて後へ跳んだ。
(コイツの攻撃事態は本能で暴れてる奴だから単調明快だ。次は剣を振り払った手で、もう一度薙ぎ払……)
足が伸びてきた。
「ハァッ!?」
かなり強引な体さばきで出された前蹴り。ミノタウロスは上半身が肥大化している印象があるのだが、足の長さは見た目以上に長い。未だ跳んでいる最中で、逃げ場がない俺の腹部へと槍の一突きの如く飛び迫る。
俺はすぐにイザナミを縦に振る。無論、迎撃のためなどではない。イザナミの柄を、伸びてきた足へ叩きつけ、それを起点に、上へと体をさらに無理に体を跳ね上げる。
その無理やりな回避の中で、紅の眼光が、“俺”を見たのを感じた。
俺は確信を持って体を空中で捻じり、体の場所を入れ替える。一瞬でも遅れようものなら五指で握りつぶされていた。
腕を上げ空気を握りつぶすミノタウロス。その隙だらけの腹を攻撃するのが、戦場の鉄則。誰でもわかるそれを“未然に防ぐ”ように、ミノタウロスは体を退いた。
その仕草はまるで人の意思で動いているようではないか。
元々、牛の視力は弱い。今は世間から評価が悪い闘牛で、闘牛士が赤い布を牛にチラつかせる行為があるが、あれは実際、布をなびかせることで興奮を煽っている意味合いの方が強く、色彩を掴む力はほとんどないと言われている。
ミノタウロスを普通の牛と同様に扱えはしないだろうが、俺の紅色の瞳を直視してくるアレの目から、目線から次の一手を探ろうとする喧嘩慣れした者の意思を感じる。
(戦いの中で、意識が覚醒している? おい、おい……はじめから、話しあってればよかった、なんて落ちじゃ――――)
「……モォォォォォオオオオ……」
そんな平和じみた落ちじゃないらしい。
なにかを溜める様に、息を整え、四肢を地面に突き刺すように踏ん張るミノタウロス。それに共鳴するように、頭部の二本の角が、歪に曲がり、三股の槍先へと変形する。
一本の矢先と化した角を中心に、見えない力場が形成されていく。歪みとして視覚が捉えられるまでになるのは10秒もかからなかった。
危機感を感じるソレを止められなかったのが痛手だった。絶望に近い状況、肉体の限界と、明滅する思考が、その溜めを作る時間を許してしまった。
アレは、受けてはいけない。そう直感せずとも答えは出ていた。俺はマタドール的な思考でかわそうとミノタウロスの出方を、瞳から得ようとし――――
――――奴が笑った――――
漠然とした、その事実を感じ取った。
汗が頬をつたった。
目線などから行動を予測することからでは、そこまで詳しい情報は得られない。精々、右か左か、程度だ。
そのはずなのに、奴が笑ったのを、確信できた。
なぜ? 思考が一瞬、白紙になる
(なんだ? アイツ、なんで笑っ…!!)
気がつく。第三者的な視点から理解する。自分たちが居る場所から。否、奴が見ている方向のまま突き進めば、海へ、あの海が見える廃港に行き着く結果を。
正確には、アイツが待っている倉庫を直撃するだろう結果を。
「チッ、クショッッッォがァァァァァアッァァァァァッァッァアアアアッッ!!!!!」
「モオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ」
光速の突貫を、俺は受ける。それしかない。
イザナミが折れるの覚悟で横に剣身を横に、できるだけ多く面積を確保するために構えて抑え込もうとした。
しかし、無駄。
バリバリバリバリッ、とイザナミが力場を打ち消そうとしている音を響きわたらせながら、俺の体は後へ押される。
押されると言うより、押しつぶされながら轢かれている、という表現が適切だと、背中に幾度も壁を突き抜けて行く衝撃を受けながら、それでも体を押し付け、軌道を何とかズラすことに全神経全筋肉を全力で働かせる。
「ガァアアアアアアアアアアアアアアッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
血反吐を吐き流すように叫びを上げ、ミノタウロスをアイツに近づぬように、力を捻りだす。
余裕のない思考の中、一瞬どういう訳か、自問自答が駆け抜けた。
(どうして俺は、こんなにもアイツを守ろうとするんだ?)
だが、今の俺には、明確な応えを出す余裕など、ない。
視点変更 9
着ぐるみの中に居る気分だった。
自分の思考が目覚め始め、まず始めに進・カーネルの死にかけの様が見えた。
体が動いている。自分の意志とは関係なく動く。目が“敵”を探す。これだけは、自分の意思があった。
体の自由はなくとも、立花 信の意思で、俺はアイツを殺そうとしている。
『なんで、アンタはそこまでして戦うんだ?』
声は出せるが、着ぐるみの口は開かない。夢を見ている様に、俺の意思とは関係なくただ、進を殺そうとするだけ。
コワセ、コロセ、クダケ、ヒキチギレ……そればかりの破壊思考ばかりを着ぐるみは体現しようと動き出す。
進は瀕死の重傷だった。立っているだけでも奇跡だ、と誰もが口を開いてしまうであろうその姿は、どこか絵本の英雄を思わせる。
だが、俺はそれが腹立たしくて仕方がない。怒りの源泉から、熱湯の様な激情が湧きあがる。
『どうして、アンタは……』
俺と同じような力を……常人とは違う、“人と相容れないモノを持ちながら”……
化物、キモチワルイ、なんなんだ、アレ……そう言われながらに育ったはずなのに、何であんたは、アンタハ――――何かを、誰かを守れる!? この冷たいだけの世界で、戦える? 生きているッ!?
『ナンデ! アンタハ! オレと! チガウッ!!!』
『コワシテヤル、コンナ、リフジン』
俺が口元が笑みを作ると、着ぐるみの口も薄く裂け、瞳に意思が宿る。
『アノヒトヲ、ウシナエ』
失わせてやる。オマエのメノマエで、撫子の腹を裂いてやる。
俺と同じにしてやる。俺と同じバケモノに。ただの、必要とされない存在に。
俺は、着ぐるみを動かし、進へと突撃した。押しのける引きずり、あの女の下へ連れて行く。俺は答えを求めに行く。
答えを、知るために。
視点変更 10
「ダメッすよぉ、永君? 隙見て行こうとしちゃぁ」
「チッ……」
刻々と無駄な時間は過ぎていく。ハジの隙を見て……などと甘い考えから、体を動かそうとして数百回
目。筋肉の動きではなく、心臓の音で動きを察知できるハジは、俺が動こうとするたびに、ダメだと忠告する。
「ハイハイ、皆さんが方には他に仕事があるでしょ? 妖樹に囚われていた被害者様方を、外で待ってる専門家様たちに届けてあげましょぉ~。あ、永君だけは此処で、sit down」
手を叩いて急かすと、俺の背後で、魔樹の被害者たちを抱えた音芽組員たちが対応に困っている気配があったので、無言で頷く。
俺の合図を受けて、滑らかな対応で動き始める組員たち。立ち止まっている俺とハジの横を通り移移動する際、被害者たちを丁寧に運ぶ彼らは軽い会釈と共に、ハジへの緊張感と警戒心を微かに臭わせ、部屋を出て行く。……あのやんちゃ坊主たちが成長した者だと、孫の成長を見て感動する面持ちで見送る。
「……と、見せかけて逃げる、なんて選択肢はないっすから」
「……もう諦めたよ……」
嘘だったが、まぁ、嘘とバレているんだろうから、嘘とは言えない気がするが。しかし……
「なぜ、そこまで俺を行かせたくない?」
「なぜですってぇ!? そ、そんなのトモダチだからに決まってるじゃなぁ~いっ!?」
「嘘つけよ」
コイツが俺の心配などするはずがない。せいぜい、妹のサヤが悲しむから、ぐらいだろう。
「イヒヒヒヒ、まぁ、半分ぐらい嘘じゃないんですけどね。……でも実際のところ、永君じゃ、ミノタウロスの足止めは出来ても、打ち倒すことはできない」
俺の能力、高速順応は一定時間一種類の外力に対し、体を順化させて、攻撃などを完全防御する能力だ。それは単純な衝撃から、化学、細菌兵器まで適応できるが、神の放つ神威まで例に当てはまるか定かではないのだ。
ソレに金狼という神の卷族である俺は、神に近い立場であるが故に、戦闘に参加できても、神には勝てないという理不尽が適応される可能性もある。
「まぁ、いいじゃないですか、永君? 此処でのんびり事態を、進の旦那が解決してくれることを祈りましょ?」
「…………」
まただ。
コイツなんで……ここまで。
「ハジ。なぜ、お前は進をそこまで信用……違うな。彼を“試そう”とする?」
思えば、ドレイクの時もそうだ。撫子が殺されようとしてると、俺に真っ先に教えれば、奴を俺は命がけで殺しに行っただろう。魔剣の時、金狼の事件、そのすべてをハジは自分の力で無くともソドムの力を使えばなんとかできたはずなのだ。
進・カーネル。紅玉を想わせる瞳を持つ、大人びた風格をもつ少年は、人知を上回る身体能力の持ち主だ。だが、神格に挑むなどと馬鹿げたことをさせるには、あまりに貧弱。そもそも、それは全人類、全生物にも当てはまる。誰もが神格と比べられれば貧弱の一言だ。
なのに、ハジは、彼一人を任せ、試す行動が多い。
「アッシが旦那を試す? ッハハ、永君? 馬鹿言っちゃ、いけませんよ」
軽快に笑いながら、ハジはトレードマークの帽子、今回は麦わら帽子を外す。
そこには別人が居た。軽薄な存在がいた地点には、俺すら圧倒する重厚な存在感を放つ黒髪をオールバックに整えた、オッドアイの美青年が現れた。
「“俺”はな、“永仕”。あの旦那を“鍛えているだけ”なんだよ。試すなんて、甘さじゃ、いけねぇ。もっと死地を、血闘を、進化を引き出す限界を、彼は経験し、打破していかねばならない」
日本人の肌に不釣り合いな緑柱玉の輝きをも片方の瞳が、使命感を持って、俺を射抜く。
「彼が迎え撃たねばならないのはもっと過酷な戦いだ。だから、こそ……このままミノタウロス程度に勝てなければ、あの旦那はソコで死んだ方がいい」
視点変更 11
待っていろ、と言われて待っていた。
彼は確かに表れた。
牛の頭を持った巨体の男を抑え、しかし、押されるように彼は現れた。
私が居る地点からさほど離れていない眼前。朝日が昇れば、絶景であろう海の見える港。その潮騒が聞こえていいはずの場所は、獣の唸り声と、息を乱す血まみれの男が吐く息の音だけがあった。
使われていない倉庫を幾つ破壊して此処に行き着いたのか、粉塵が立ち込める世界の中、二人の人外の力を持った化物たちはにらみ合う。
その睨み合いは長く続かなかった。一方が視線をそらして、別を見据えたのだ。
その一方、ミノタウロスが、彼の視界で右に映るであろう人――――私、九重 撫子を。
「え、私?」
「ブゥオオオ」
見つけた、とでも言わんばかりの鼻息を唸らせて、人間の足で一歩踏み出すミノタウロス。
「ゼェア……ハァ、ハァ……」
ザン、と黒い大剣イザナミを地に突き刺して、膝をつく進・カーネルは、息も絶え絶えの瀕死の重傷。
このままいけば、私はミノタウロスに殺されるだろう。理由はわからないが、私はあの神格に狙われているらしい。
私は、“冷静”に現状をまっすぐに見据えようとする。進が血まみれで現れた時など、泣きかけたが、我慢しているのだ。どうだ、偉いだろう?
「――――なぁ、おい?」
睨む目に涙が溜り始めた私になどにはやはり怯みやしないミノタウロスに、投げかけられる声。
その声の主は、イザナミを杖代わりに立ち上がった進・カーネル。
「ミノタウロス……いや、立花 信よぉ。テメェ、答えが知りたいなんぞぬかしてたなぁ、オイ? 教えてやるよ」
駆け出せば、千の兵器、万の軍団でも軽々と踏みつぶし、破壊の限りを尽くせそうな牛の化物は、そんな一言でピタリと足を止めた。
「オマエは俺と同じだよ。人とは違う馬鹿力。人とは異なる違った世界が見える目。そんでもって破壊衝動……最後のに関しては俺はわからんがな、言いたいことはわかっちまう。簡単だ。この力の存在価値だろう」
ミノタウロスの首が回り、紅色の目が進を映した。
「この力には、人とは違うことには何か意味があるのか? 悩んで、悩んで、悩み続けて、答えはでない。他人に聞いてもわからない、どうせ自分と同じ立場ではないのだから? 結論? 述べてやろうか?簡単だ―――――意味なんて、そもそも、無い――――それが答えだ。ただ、そんな力を持って生まれただけ。神話のミノタウロス同様、自ら望んでもなく、生まれた瞬間から得ていた呪いと同じさ。意味や必要性が求められる答えなんて、無い」
心臓が軋んだ。関係ないはずの自分が、二人の気持ちを感知したかのように酷く痛んだ。
誰もが、一度は自身の特別性を求めてしまう。誰かに、好きなあの子に、世界に、自分だけにしかできない、自分だけの役割と能力があるのだと無意識に信じてやまない気持ちを持つ。
彼らはそれに手が届くかもしれない力を持って生まれた。だが、それは自分の意に沿わぬ力。求めた力の形ではなかっ
「そんなことは始めからわかってたんだろ? オマエの本当に求めていたのは、答えじゃない。問い、そのものだ」
「え?」
問い、そのもの?
ミノタウロスが俯く。落ち込んでいるのではない。熱気が白い肌から噴き上がり、周囲に黒いオーラを含んだ揺らめきを生じさせる。
やっと、二本の足だけで立つことを、かろうじて出来てるように見える進は、イザナミを肩に担いで、見下す様にミノタウロスを睨む。
「思えば始めから変だった。存在価値を計るのに、暴力はまず要らない。お茶を交えて話す程度でよかったはずだ。必ずしも喧嘩が絡むとはかぎらない。出会い方も最悪だったが、俺を見つけてケンカを売るほどじゃない。なのにオマエは拳を握ることを選択した」
荒い鼻息が連続する。ヤメロ、ウルサイ、ソノサキヲツヅケルナ、と呻いているようである。
「破壊衝動云々を抜きにしても、バトルでは答えを得るには情報量が少なすぎる手段だ。それに、オマエの行動や言葉は全部が全部、答えを出す式がない。理屈を抜きにしても答えを求めてる奴じゃない。まるで、答えじゃなくて、“問い”を欲しがってるみたいに見えて仕方がねぇ」
その場、その場にコロコロと変わるわけではないが、答えが明確に見えない信の行動。
目的がある、と言っているが、答えを自分で考えていない。誰か、という第三者に全て聞こうとする姿勢がやけに目立つ。自分の知りたいことより、他のことに興味が湧けば、これまでの疑問から、どうでもいいと、離れて、新しい疑問や行為に飛びつく。
それは、どこか、答えのすべてを親や学校の先生に求める子供のよう。進が、信のことを無意識でもガキと呼んでいた理由はこれだったのか。
「オマエは頭は良かった。でも、ガキだった。答えを理解しながらも、それを認めることを良しとできず、だったとしても自分でどうすることもできない。だから、自分で考えるのを、いや、答えを得ることを止め、答えの過程である問いだけを欲しがった」
聞いてしまうと、あの巨体がやけに縮んで見えた。どうすることも出来なかったのは確かだろう。だから、絶望的な答えしか出ない問いの式を、自分を傷つけることと同意だと無意識に理解し、解くのを止めた。神の力を持った、ただの少年だった。
そんな彼が出会ったのは、自分と同じレベルの力を持った存在。自分の暴力性でも壊れぬ、同種の異端者に彼は希望を持ったのだろう。
「俺に喧嘩吹っ掛けたのも、言ってみりゃ、八つ当たりだ。自分の力を知りたい、どこまでヤレるかのな。撫子をさらったのは、オマエの意思じゃないな。やり方がらしくねぇ。だが、結果オーライって、気分で俺がアイツにどうして執着するのかを新しい疑問にしただろ? さぞかし楽しかっただろうな。過程で悩むってのは、かなり楽しい。頭の中だけで答えを巡らせるのは快楽の一種。それにオマエは力に悩む悲劇を背負う存在。どうだったよ、悩めるダークヒーロー気分は?」
「グルルルルルル……」
低い唸り声がミノタウロスの喉元から湧く。元から恐怖を憶える牛の形相が、さらに強まり、見ていると体が震えあがる。その顔が私へ向けられ――――
「どこ見てやがる、クソガキ!! ソイツを殺した所で意味なんて見えねぇよっ。とっとと、俺を見ろ!! いつまで現実から逃げようとしてやがる。そのデケェ図体は飾りかっ!? それとも、か弱い奴しか甚振れねぇ、ザコかよ、なぁっ!?」
――――ようとしたが、進の罵声に引かれるように、体ごと進へ向き直る。
彼から進はどう見えるのだろう? 未だ世が開けない暗い海を背景に、イザナミを片手で担ぐように構える姿は、見るに堪えぬほどの敗北寸前の姿。コートは原型をとどめぬほど引き千切れ、ジーンズも藍色の生地が変色するほど血が染み込み、なにより、左腕がもうダメだ。アレはもう元に戻らない。
それでも、この場の誰より、生きていた。眩しいほどの生命の力強さを秘めた目をしていた。
諦めなどない。この絶望的な状況で、勝利へのプロセスを考え、行動する男。
(―――――ああ、そうだ。そうだった――――)
アレが、進・カーネルだ。“私の”進・カーネルだ。
あの時の様な、“今にも泣きだしてしまいそうだった”進じゃない。これは、進だ。
これが、進・カーネルなのだ。
彼は、彼らしく、挑発を続ける。
「来いよ、クソガキ。赤ん坊だって自分のやってほしいことがある時は、わめき散らしてアマッタレるぜ。俺の胸を貸してやるよ。ただし、一回きりの最初で最後。……疑問だけに頭悩ます素敵なお時間はお終いだ、きっちり勝負をあわせようぜ?」
凶悪な笑みを浮かべる進へと、ミノタウロスは突進の姿勢を取る。怒りが力に変わるように、角が変形し、前方に目に見えるほどの力場が発生する。
見た目と、この肌で感じられるほどの威圧感。マズイ。アレは受けていけない攻撃の類であることは明白。
だけど、進は避けようとしていない。そもそも、あの様では一歩踏み出すだけでも死力を尽くさねばならないはず。
つまり、あえて受けるということ。両者の間に緊張感と死の恐怖が満ちる。互いに決着を付けることを前提とした一撃必殺の力を込め合う。
この戦いの口火を切れ、と言われたら、私は全力で逃げ出してでも、断るだろう。それほどの重圧があり、言葉を放つことすら躊躇われるが――――
「こちとら、制限時間付きの仕事で来てんだっ! マイテこいや! 手早く後悔させてやっから、こいよっ、クソガキィィイ!!!」
「ゥモオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッ!!!!!!」
――――社会人は時間に敏感でなければ、いけないのだ。
二人の間を占める29メートルの距離にならぬ距離は一瞬の間で無くなり、世界を呪った女神の名を冠する黒い大剣と、暴力の神格が生みだした力場の矛が激突する。
目をつぶるしかない衝撃の暴風と、周囲を破壊する音色だけが、この世界のすべてになった。
視点変更 12
「……もう限界です。出してください」
「了解」
簡潔な肯定の声を受けて、車は動きだす。
緩い振動が腰を落ち着かせている椅子に伝わる。薄暗闇の車内に緊張が渦巻く。慣れっこになった緊張感の感じながら、対面するように座る黒ずくめの男たちと共に、目的地を目指す。
一見、険悪なムードに思える車内であるが、彼ら一同に言わせればリラックスムードらしい。
彼らほど死地を経験していない自分には未だ到達できない自然体なのだろう。
それに……今回は、別の意味での緊張が私の中にはある。
「今、会いに行きます。進“お兄様”」
想い人の名を呟く様な、私のささやきに、車内のムードはさらなる険悪さを……増した気がしたが……気のせいだろう。
視点変更 13
持ってくれ。
剣と角の衝突。勝者は決まらないが、まず始めに足場が負けた。
「ぐっっがぁッ!!!」
自分たちを中心に、本来なら陸地よりも頑丈かつ柔軟な構造をしているはずの港のコンクリートに亀裂が走り、そこに海水が入り込んでいく。
イザナミがミノタウロスの力場を砕こうとするが、角が生み出す力場は吸血鬼の心臓と同じらしい。表面上は切り裂いているが、力を生みだす芯の部分にまで届かないために、力場そのものを拒絶できない。
マズイ。
ひたすらにマズイ。
俺の手が押されて行く。震える様な押し合いに周囲に災害を巻き起こし、理不尽な方向にもっていこうとする。
その上、腕一本と体重で押す俺に対し、ミノタウロスは全体を使う突進攻撃。
どちらが劣勢か、など第三者視点からでも明らか。
「っ!?」
歯を食いしばる口から血反吐が湧きあがる。内臓も限界をとっくに迎えているようだ。
膝が崩れたいと、痙攣し始める。
イザナミを握る手の指が一本、また一本と感覚を失っていく。
そのイザナミも、俺の力とミノタウロスの力場に挟まれ、メキメキと、悲鳴のような音を放ち始めた。
負ける。
そんでもって死ぬ。
そんなプロセスは始めから目に見えていた。なのに、俺は――――
俺は――――どうして、ここまで――――
俺は、自身に問う様に、目を閉じ――――
「進ッッ!!」
視点変更 14
「だったら、なぜ撫子を巻き込んだ!? ハジ!!」
俺は、彼が戦っているであろう港の方向で、破壊を招く衝撃を肌で感じながら、焦燥感から目の前にいる男を問いつめずにはいられない。
「なぜ、あの娘なんだっ!?」
「永仕。オマエも彼が何なのか薄々気がついているはずだろう? “彼ら”には“契約者”が必要だ。どこの時代で、語り話の中でも、“彼ら”の傍らには“契約”があった」
どこまでも平坦な声でハジは語る。それが、俺には許せず、怒りの感情にのせ、声を吐きだす。
「撫子は、ただの女の子だ!! 偶然、父と母を吸血鬼に殺されただけの人間じゃないか!? これ以上、彼女を俺達の世界に引き込むな!!! それに、これ以上、この上に、巻き込まれ続ければ……」
「“巫女”に変じる可能性、か? だがな、永仕。もう彼らは出会った。出会い、無意識なままに契約を結んでしまった。始まってしまったモノは止められない。お前や俺であっても、な」
どうにもできない。それは俺にもわかっている。改めて認識させられた絶望感に感情が落ち込んでいく。
「でも……俺は……」
「諦めろ。どうしようもないなら、お前がいつも通りに守ってやればいい。それに……それに“ね”、永君?」
再びむぎわら帽子を目深くかぶり直したハジが、港の方向を見つめて、笑う。
「アッシは、彼らなら、“アッシとあいつ”とは違う未来が作れる気がするんですよぉ。“端ッこ”から、見ていることしかできなかったアッシとは違うね」
「ハジ……お前」
俺はそれ以上の追及を止め、俺もハジに倣い、未だに力のぶつかり合いを感じる方を見た。
「それと、もうひとつ。永君は忘れてることがあると思いやせんか?」
視点変更 15
「し……ぃぃ…ン」
声。
「進ィィィンッ!!!」
声があった。
ハッ、と閉じかけた目を開きなおす。目を剥き、眼球を左に向ければ、そこには撫子がいた。
此処から離れた倉庫だった場所。俺達の競合いによって周囲は劇的な破壊による変化を余儀なくされていた。
その一部、元は壁だった場所にしがみつき、強風に吹きとばされぬように耐える非力な女がいる。
女は尻餅をつきながらも、頻りに、名を叫ぶ。
風圧と、時折飛んでくる細かい破片を体に受けながらも懸命に、俺の名を叫んでいた。
剣が押され、俺の肩にめり込む。刃が肉へ食い込み、血が滴る。
衝突から生まれる嵐は未だ止まらない。
そんな中――――
「進ぃぃぃんッ!!」
今にも“泣きそうな”面で、アイツは俺へと叫んでいる。
俺は顔を俯かせた。
それを見るのが嫌で、目を伏せた。
アイツは今も叫ぶ。叫んでいる。なに対してかなど、明白だった。いや、あの時だって、わかっていたはずだ。
――――九重 撫子は俺が敗北しかけていることに対し、涙を流そうとしている。
視点変更 16
シネ、キエロ、ウザイ、ウルセェ、ダマレ、コロシテヤル
ミノタウロスの内部で、立花 信は叫ぶ。
力場を盾に、矛のような角による突貫をしながら、子供のようにわめき散らす。
『最初からわかっていたんだ。答えなんて、全てッ!! でも、どうしろってんだっ!!!」
大人なら言うだろう。成長しろ、自分を変えろ、ガンバレ……適当もいいところだ。自分たちは出来ていると豪語する彼らに問いたい。具体的にどうしろと? ご高説は垂れるのに、馬鹿正直でウンザリするほど中身のない、うんちく騙られても迷惑なだけだ!!
『答えなんてわかってる!! でも、何をどうすれば、俺は救われる!? どうやったら、どうしたら、“死んで生まれ変わる”以外の選択肢が生まれンだ、アァ!!?』
生まれた瞬間から、得ていた力と不幸。俺を取り巻く社会は変われというのに、社会事態は何も変わろうとしない。馬鹿馬鹿しくなってくるんだよ。生きてること自体が嫌になる。
怒りしか出てこない。それしかない。そう思う以外に、精神の均衡を保つことができなかった。
『こんなクソだらけの世界のために死ぬなんてまっぴらだ!! だから、社会を壊して、殺して、奪い尽くして、俺が生きれる世界にしてやる!!』
眼前とも言える場所で、こちらの攻撃を黒い大剣で何とか凌いでいる進・カーネルへさらなる力を込めていく。
『……あんたがいけないんだ。あんたが撫子のために戦っているなら……俺も同じように、なにかのために戦える理由を、作れると思ったんだ。でも、見たって何もなかった!! 俺には理解ができなかった! あんたがボロボロになってまであの人を守る姿を見てもなにも
「知ったことか」
『ッッ!!!!!』
ミノタウロスの中にいる俺は、言ってしまえば心のような存在。俺の声は外には出ていないはず!?
俯き、次第に押し負けていく男は、それでも呟く。
「答えなんて見つからねぇ。俺もテメェと同じだ。なにかのため、とかそんなの……わかるはずもねぇ」
『なにを……』
言っているんだ? そう伝わらないはずの問い、をかける俺に、次第に圧力が加わりはじめる。
圧力は前方。剣が、ミノタウロスの力場に食い込んでいく。
『な、なんだ、なんなんだ!?』
情報屋がイザナミと言っていた黒い剣が震えている。進の手が震えている。だが、刀身自体が“脈動”していることをミノタウロスの感覚が伝えてくる。
あの黒い、黒過ぎる刀身の中。真っ黒な底から、何かの湧きあがりを感じる。
これはなんだ? 喜び? いや、歓喜だ! この剣は、“生きている”とでもいうのか!!?
そんな気味が悪い剣は歓喜し続ける。その進の言葉が聞きたかったとでも言い放ちそうなほど、イザナミは“脈打つ”。
「わかるもんかよ。たかが十数年の人生、その中の二週間悩んだ程度で、それだけで、完結的な答えなんて求めたこと自体が間違いだったんだ」
困惑をさらに助長するように、進の腕が、伸びてくる。押されはじめている!?
「わかった事実は、ただ一つ。答えなんてとても言えないモンだけは、わかった。いや、わかってたんだ!」
意識が、進の意識が、別の方へと向けられるのを感じた。方向は横。数十メートルほど離れた、いまだ破壊の風が渦巻く場所の近くで、半壊した倉庫の一部にしがみつき、こちらへ果敢に進の名を叫ぶ女性がいた。
『……九重、撫子』
今にも泣きだしてしまいそうな顔で、必死に彼の名を叫ぶ彼女に、俺は一度興味を持った。この人に進がこだわる理由を知りたかった。それが愛という感情なら、俺はそれを求め、大事な人をつくることに必死になっていただろう。
でも、違うと本能で理解していた。こいつらは、そこまで至る以前に、何か別の何かで、関係を築いているのだ、と。
「あの面は……アイツの涙はウザッてぇッ!!」
地に吐き出すように、俯いたままで罵倒にも似た告白だった。
「俺はアレをもう見たくねェっ。俺はもう、アイツを泣かせねぇッ! 誰かのために、そして、俺のせいで泣かせるものかよっ!!」
『だからっ、なんだってんだ!!』
叫ぶ。理解した。あんたを探し、喧嘩を吹っ掛けた理由を根っこから理解した!
『俺は、あんたに嫉妬したんだ!!』
俺と同じクセに、あんたの周りには人が……あんたを信じてくれる笑顔と、あの人がいた。
『俺に無いものを、あんたは持ってた! だから、羨ましくで、ぶっこわしてやりたくなったんだ!』
俺の吐き出したどこまでも意地汚く、子供じみた本当の気持ち。
それと何処か似て、されど、もっと強い意思のある感情を、同じ紅色の瞳を持つはずの進は叫ぶ。
「負けられねェ……。アイツがいる以上! 俺は負けちゃいけねぇんだよ!!」
前を見るため、顔を上げた進。その表情は若干の怒りを含んだ、決意に満ち溢れ、その瞳も――――
視点変更 17
「それと、もうひとつ。永君は忘れてることがあると思いやせんか?」
そう言われてもピンとこなかった。
「なんだ? お前が呼んだ別勢力のことか?」
「いやいや、彼らは今回の件を後始末してくれるだけです。アッシが言ってるのは、暴力の神威、理不尽の特性ですよ」
「……なんだと?」
周囲の状況を理不尽に変化させ、悪影響を生じさせるミノタウロスの持つ能力。それがなんだっ……て……ッ!!
「……まさか、お前」
「ニャッハハハハハ」
やっと、わかったか。そう言いたげな笑い声に、本気でイラっとした。
「そうですよぉ、永君。暴力は理不尽を生みだし周りに被害をだしますが、それは、暴力を行使した者だって、対象となる」
暴力は暴力を生みだす。その無限連鎖で生み出され、反復作用の末にできた極大の理不尽は、誰にむかっても不思議ではなくなる。だが、確立で言うとしたら。
「いや、一番キツイ理不尽を受けるのは、加害者かもしれませんねぇ」
きっと、一番初めに暴力を行使した者に、向かう確率は、高い。
その最大級の理不尽。それは進・カーネルという個体に眠る、理不尽極まりない存在の片鱗を呼び醒ますには十分のはずだ。
視点変更 18
その瞳は――――
『……あんた、そんな』
進・カーネルの瞳は――――
『――――あんた、そんな赤白緑黄金銀黒白茶青ghigopsopggposkspokgpsogspぎじkないmしvこしgpgじぇえぺjgヴぉヴぉじぇぺおjヴぉみhふぃへねにえkfmねいふぇぽ色してた――――』
か? そう言い切り終えて、今まで感じたことの無い悪寒とともに、脳髄が握りつぶされたと感じるほどの頭痛に襲われ
『ギイヒィギャアアアアアアア!?! あぁぁあああぁああア゛ッ!!????』
目が、焼ける!! 視神経を無理やりに引き抜かれた。
内臓全てに鉛が流し込まれ、全感覚を無くされ、殺され。
引きちぎられ、食いつぶされて、凌辱され、踏みつぶされ、とにかく殺される。
一秒間と未たない刹那に痛みが死という概念に変化し、“魂”にねじ込まれた。
それらがすべて、進の“瞳の色”を脳が処理しきれないために起こった過負荷だと理解する。
俺は、あの色をなんと言っていいかわからない。言語化できない色だった。思い出したくもない瞳を全人類、いや、宇宙外生命体であっても、あの色を表現することはできないと確信が持てる。
「ウモオッォォオォォォォォオオォォォオ!!!」
それでも“ミノタウロス”の力は緩まない。俺とは独立した存在であると主張するように、ミノタウロスは自分を侵すに足る害悪を除去すべく、これまで以上の力をさらに注ぐ。
押し戻す。この未知なる恐怖を内に秘める男を殺すために。目ざわり過ぎる、この男を。
視点変更 19
負けらねぇんだ。
押し戻されていく。
負けられねェんだよ。
腕にさらなる力は期待できない。
負けてなるものかよ。
踏ん張る足にも、腰にも、足場にも、これ以上の力の出力は不可能だろう。
負けちゃいけねぇんだ。
剣の刀身の中心を、縦に裂く様な蒼い一筋の光がはしる。
アイツはまた泣くのだろうか?
それだけは、絶対に嫌だ。
どこか、どこでもいいんだ。
概念など要らない。どこでもいい。無いなら別の何かから、出力を算出しろ。そのためなら既存の常識など吐き捨てろ。
俺は、俺という名の既存概念に、無意識的に“単純な”足し算をする。
俺は、負けない。答えなど、それだけで――――
ブツッ――――――
視点変更 20
朝日が昇ろうとしていた。
海を横一文字にはしる太陽の光が、こんなに綺麗だと思えたのは生まれて初めてだった。
その美しい景観故か、ゆっくりと過ぎる時間の中。景色以外に、俺の視界に映るのは―――――
「――――ッ!!!!!!」
――――地球上の言葉では説明ができない色をした瞳を見開いた男が、叫ぶ瞬間。
――――男の持つ剣が、その刀身を縦に裂くような一筋の光を剣の内部にはしらせた瞬間。
――――そして
『なにが、同じ力だよ……』
――――そして、進・カーネルという人間の背中から“噴出”した巨大な“二対の翼”が、出現と同程度の速度、光の速度で羽ばたき、背後の空を叩いた瞬間。
力の拮抗など、まるでなかったかのようではないか。
一瞬でミノタウロスの“暴力”を“理不尽に”消し去るほどの力が乗せられたイザナミの刃が、力場を引き千切り、角をへし折り――――
『……あんた、何だよ?』
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!」
雲を晴らすほどの咆哮が、夜明ようとする空に轟く。
――――そのまま、溜息気味な愚痴をつく俺ごと、ミノタウロスの体は、イザナミで袈裟に切り裂かれた。
次話へ
おはようございます。桐識 陽です。
早いモノでもう、三年目。自身の予定ではすでに、二部に入っているはずなのに……人生、上手くいかぬものです。