5、雲晴らす咆哮(上)
この物語はフィクションです。
5、雲晴らす咆哮(上)
(……早く帰りたいな……)
静か過ぎる空気漂う濃い闇の中で、一人佇む俺は心の中で現在の欲求を呟く。
物語の始めにうんざりした態度というのは、どんなものかという方々もいる。たが、実際キツイ。早くベットに潜りたい。いや、その前に風呂だ。この“汚れ”を落とさず家へと上がりたくはない。
現在、俺の周囲はとても臭い。
……別に俺が臭いを発しているわけではない。断じて違う。ここは重要だよ、いいかな?
臭いの原因は目の前の廃墟から。それが俺の衣服についてしまっただけだ。
そのひどい“青臭さ”は、感情を逆なでするようなほど、濃い。
神奈川の湾岸辺りに位置するこの場所は、戦後にできてしまった廃屋は多く存在し、いくつか閉鎖されたレジャー施設のような場所は幾つもある。
特に臭いの発生源と思しきココは、元はデパートであるらしく、何かを思惑ある行動や本拠地を置くとしたら絶好の広さを持っている。
その一角、閉鎖を強調するように張られたフェンスに寄りかかり、潜入した第一偵察班からの報告を待っていた。
夜風の風が運んでくる悪臭に耐えながら、無線の受信機を背負う待機班のメンバーの一人が暇すぎて眠くなったのか、あくびをついた。
「ふぅわぁ~……永仕の兄貴? 本当にここなんですか?」
「佐々木君。緊張感をもたないか?」
あくびした佐々木はイケメンなのだが、現在は顔を覆う防護マスクのおかげで、ただの変態と化している。
「なんかここ……さっきから甘ったるいイイ臭いしかしませんよ?」
「イイ? あぁ、なるほど。人間の嗅覚にはそう感じ“させる”のか……」
俺は一人頷き、佐々木は途端に頭を下げた。
「兄貴は、臭く感じるんでしたね。すいません、失言を許してください」
マスクの下から聞こえる感情を受けながら、この臭いは危険だと警戒心をさらに強くした。
人に対する甘い誘惑の臭い。嗅いでしまった者に、なぜか“良い”と確信させてしまうらしい。
人間は、特に理由もないのに何故かイイと思ったモノには警戒心が薄れる。
ただ在るがままに吹く風は、この臭いをさらに拡大させていたにも関わらず、誰も気がつかない。
それは“良い”からなのだろう。人は、良い匂いというものに邪悪さを感じられない生き物故か。
だが、人に適応した狼であるが故なのか、気がついた俺とサヤは、この臭いの悪意を感じた。
純粋とも言っていい、食虫植物がフェロモンで捕食対象生物を引き寄せるような純粋な生命維持的本能が、この臭いにはあった。
事態の深刻さを感じていた俺は、佐々木が素早い対応で、無線機から仲間の報告を受けたのを見た。
「こちら、本隊……熊谷さん? どうしたんですか? 兄貴に? わ、わかりました。兄貴、熊谷さんが呼んでます」
「熊谷が?」
熊谷とは、音芽組の中でも一番の穏健さを持つ男で有名だった。名前のとおりクマの様な巨体が擬態ではないかと思わせるほどの物腰の柔らかさと、柔術で培った精神的な強さを持った30代の男で、彼を慕う者も多い。
そんな彼が、どうだ。
「兄貴……俺に、彼らの捕縛命令を頂きたい……」
凄まじい怒気を、歯を食いしばり耐えている彼が目に浮かぶような声色が受信機から聞こえてきたのだ。
「待つんだ、熊谷。君たちは偵察部隊。本体である強襲班を突入させるまで後……」
「お願いです兄貴……捕縛命令を。でないと、でないと……俺達は、アイツらを殺したくて、仕方ないんだ……」
「……すぐに行く。だから、早まるなよ」
返事を待たずに通信を切る。切迫した状況だと言うことを理解した面持ちの佐々木が俺がどう出るのかを判断したらしく、他の班にも至急の号令を回し始める。
熊谷の状況を聞いている暇はなかった。その時間を与えたら、きっと彼らは殺人衝動のままに目標を皆殺しにしてしまう、そんな予感があった。
潜入用の黒いジャケットを羽織り、何も告げずに駆け出す。
夜の風を感じながら、ふとこの付近にあるという捨てられた廃港の方を見る。
目視できないほどの距離のはずなのに、何故かそこに彼が居る、と思えた。
視点変更 1
端的に言って、それはいとも容易く見つけられた。
「撫子……」
横眼で見なくても視界に入る海から吹く潮風を肌で感じながら、目線の先にある倉庫の中に、一人の少女を確認した。
日本人には珍しい茶色の地毛、シミ一つない肌と、もう見慣れた学生服。見る者すべてに美少女と頷かせるだけの容姿。いつも律義につけていたカチューシャはないが、見間違いようもなかった。
間違いなく、それは九重 撫子であった。
「進……」
距離にして100メートルほど。
俺の名を呟き、目を見開いて驚く表情が、はっきり見えた。
歩きでも一分とかからず、到達できる距離。
「待ってたぜ」
中間に邪魔な障害物がなければな。
開けた湾口に仁王立ちする長身の男が居た。
緑色のタンクトップに、迷彩色のズボンとスニーカ姿の、やや筋肉質な体つき。
そして、不揃いな黒髪から覗く紅い瞳。
「……テメぇだったか」
「九重さんを、誘拐したのは別の奴だよ、って言ったところでしょうがないか……そこに関しては悪かった。謝るし、無傷で返すつもりさ。だけどな……あんたには用があるんだよ」
「一度、オマエが負かした相手だ。用もなにもねぇだろう」
「あるんだよ。できたんだよ」
海風が強くなるのを感じながら、俺は無関心を装いながら、ガキの口元がひん曲がっていくのを見つめていた。
空気が変わっていく。なんの変哲もない月明りすらない曇った夜空と同じように、暗い俺達の世界に、血のにおいを欲する獣が放つようなねっとりとした空気が蔓延し始める。
何を言い出すかと思いきや――――
「あんた、どうして九重さんに関わるんだ?」
「……あ?」
予想外すぎて、口が開いた。質問の内容がわからない訳ではない。ただ、単純に予想外だったのだ。
俺は眉をひそめながら、逆に問う。
「なんでそんなこと聞く?」
「あの人は、壊れてる」
「…………」
質問の意味が、何故だか良く判った。
だぶん、このガキも見たのだ。何を見たのかは、わからないが、撫子の中にある歪んだ本質の一端を垣間見たのだろう。
死という概念の認識崩壊。ドレイクの仕打ちにより出来上がった撫子の歪み。
普段通りの生活をしていれば、それに気が付く人間は少ないだろう。誰にだって日夜報道されるマスメディアからの死亡事件のすべてを悼んで涙しろ、と言っても無理な話だ。
だが、普通の生活から離れている俺達には、その歪さが目にやけに写る。
命を殺めることで壊れていくプロセスを踏むことなく、人生の経験から生まれた危険因子がアイツの中にはある。
「なんで、あんたはあの人と一緒にいるんだ?」
「…………」
言われてなくてもアイツというメリットなどない事などわかっている。そもそも聞かれても困る。なにせ、アイツと一緒に暮らしているのだって、なし崩し的にそうなっただけなのだから。
「なにか利益があるのか? それとも弱みでも握られてるのか? それか……」
「もういいだろ」
うんざりした訳ではないが、ただ、この先の問いかけの内容は不味い気がしたのでピシャリと言葉で止めさせた。
それに、だ。
「それを聞いて、オマエになんの得がある? そもそもオマエは一体、何がしたいんだ?」
「…………」
だんまりが入った。
このガキが何かを求めているのは解った。だが、見えない。こいつは何かを隠している。
たぶん、他人以上に、“自分”に隠し事をしている。
「オマエの悩みなんて知ったことじゃない。俺に何か聞きたいなら答えてやる。だが、今のオマエに答えるつもりなんぞ、無い。……良いこと教えてやるよ、クソガキ。働く男からの忠告だ」
気に入らない。このガキは気に入らない。
まるで、“昔の自分”が目の前にいるようで、気色が悪かった。
「人に質問するなら、その体に直接聞いてやる気満々の凶悪な面は止めろ。社会の常識だぜ?」
「……フハッ」
クソガキが合図もなく、地を蹴って前へと出る。
俺も倣うように前へと足を出した。
凶暴な面をした悪童と交錯するには、瞬きすら必要なかった。
視点変更 2
心が踊る、と言う表現は変だと、常々思っていた。
期待や喜びで心がわくわくする、という意味はわかる。
だが、心などというあいまいな、形が見えない存在が踊るという表現が気に食わない、そう頭の固い私はくだらない考えをしていた。この言葉を使う人間は見たことあるのか、心の乱舞?
まぁ、それは一分前ぐらい前の私、ローザ・E・レーリスだったわけで……
(これが、心が躍るというものかっ!!)
理解できない言葉の意味なんていうものは、体が実感してしまえば、もう何も言うことはないのだ。
口をニヤケているのを実感しながら、私は夜の闇を跳んだ。
人の限界を超えた跳躍で、倉庫の屋根へと着地する。その直後に、無数の火球が私へと襲い掛かる。
それを容易く避け、屋根の上を走る。背後から何人もの気配が迫ってくるのを背で感じ、高らかに“挑発するように”声をかける。
あぁ、世界は今、輝いている!!
「オホホホッ!! 鬼さん、こちらですわよっ!!」
「ま、待ちなさいっ!」
井戸の底から這いずるような女の声が私を静止させようとするが、止まってやるつもりはない。
止まらない。
体が、足が、心が、止まる気配を見せてくれない。
他人が聞けば、理解できないかもしれない理由。
たった一言、謝ってくれた。
それだけのこと。ただ、それだけのことで、今の私は有頂天だった。
この心を弾ませる感情の正体。それはもう、わかりかけている。
……まぁ、それを理解する前にやらねばならないことがある。
彼から頼まれた仕事を、こなしてみせなくてはね。
「とまれっ!!」
背後でうるさいわめき声と怒声、そして無数の火から水やら雷の弾丸が飛んでくる。それを直感だけで避けながら、弾む心のままに肺から声を出す。
「さぁ、こんなものですのっ!? さぁ、さぁっ!! こんなものではありませんわよねっ!!」
迫る気配が増えてくる。そのまま、増えろ、増えろ。
増えて、大きくなり、私を“追いつめろ”。
夜を駆ける。
自分が“好む”数になるまで。
(……?)
ふと、何かを忘れている気がして元居た倉庫の方を見る。
私が出した火がまだ残っているため、暗い倉庫街で、あの一角だけが明るい。
なんだったか……まぁ、いいか。
(どうせ、忘れるくらいですから、どうでもいいことでしょう)
そう結論付けて、恋する乙女の思考回路に戻っていった。
視点変更 3
どうせ、どうでもいいこと、などと結論付けているに違いない。
彼女が残し、“なぜか”僕を囲んで、行く手を塞いでしまった火の壁。
その中心で腕を組んで、しかめ面で立つ僕、アルバイン・セイクは容易く、遠ざかっていくローザの思考を見抜いた。
現在、僕を取り巻く状況は最悪の一言。
仲間だと思っていた錬金術師が出した魔術で身動きができず、その間に四方を囲む敵対勢力の厚みが増してしまった。それから、暑い。
あと、火の外を囲む連中の顔が見えているのだが、その全員、僕を不憫な目で見てくるのがつらい。
うわ、かなしー。ナニアレ、泣きたくなるんですけど~、可哀想に、捨てられたんだな……など、多数の不憫な声が聞こえてくる。
「……オジサン」
「なにも言うなヨ、少年。これ以上はボクだって悲しくなル」
数メートルの先、目の前にいるジャージ上下の少年は僕に気を使ってくれたらしく、口を閉じて、目を閉じてくれた。
なんだ、良い子じゃないか……
と、その少年の口がニヤリと釣り上がるまでは、そんな事を考えかけてしまった。
少年が火の壁へと突っ込んでくる。
そんな自殺行為にギョッとしたが、彼の体が発光するのと同時に、それが攻撃なのだと理解し、左足を前にだし、半身の姿勢へとなる。
「くらえっ!!」
全身に鎧の如く展開された雷を纏い、少年は――――
「アルティメットアンリミデットスーパーハイパーナックルッッ!!!!!!!!」
「長くなイッ!?」
不意の攻撃。名はナックル。だが、それはタックル。げんこつなのに体当たりとは何事か。
ちなみに、人間でいえば、指関節(ゆびの付け根)の意味だが、四足動物の場合は膝関節部や膝の肉をさすので注意……
そうこうしていたら、背中を擦るように少年が通り過ぎる。
「グゥッ!?」
直撃しなかったが、背中をバチバチとした痛覚が襲ってくる。纏った雷は伊達ではないらしい。
焦臭さで、洋服が摩擦で焼けたのだと理解する。買ったばかりの服がすぐに台無しになるのはこの職業の悪いところだ。
が、そんな愚痴を言っている暇はない。炎の揺らめき方が変わったと肌で感じ、左腕のシールドを体ごと背後へと振り抜く。
「バーストウルトラキィィックッッ!!!!!」
シールドが確かな手ごたえを捉えた。だが、攻撃が決まった手ごたえがまったくない。逆に、衝撃で押し戻されると途中で判断し、真っすぐにきた“タックル”をいなすようにシールドを傾ける。
キィキィ、と鋼の盾を削り、後つけのように、電気的なしびれが腕を襲う。
歯を食いしばり、電撃の槍と化した少年の攻撃を耐え――――
――――いや、待て。今のは。
「キックじゃないだロッ!!」
突撃の勢いのままに炎の外へと消えた少年へと叫んだが、返答はない。あれぐらいの子にはただカッコイイ名前が言えればいいのかもしれない。
「まいったナ……」
表情をできるだけ変えないように、状況を簡単にまとめる。
ローザが残して行った火は、未だ残り敵の一斉攻撃を防いでくれているが、同時に僕の逃げ道をなくしてしまっている。しかも、僕には攻撃の手段がないが、敵である少年にはこの炎を耐え、かつ僕に致命傷を与えることができる攻撃がある。
完全に相手のペース。ずっと相手のターン状態。受け身のみのデスリングが今ある僕の戦場。
炎が消えるのを待つの一番だが、この炎は何故か消える気配の方が消え、少年の攻撃が入るたびに勢いが増している。きっと魔術的な要素が取り入れられているに違いない。あの貧乏錬金術師、なんてものを残してくれたんだ!
それに、このまま炎の勢いが強まれば、酸素は薄くなり、最悪、僕を焼死させるだろう。
「みんなは手をだすなよ!! オジサンはおれがしとめるんだ!!」
達が悪いこの現状でも、少年は稲妻として攻撃の手を緩めることはないらしい。彼の仲間たちも楽をしたいのか、少年が僕を消耗させるか、打ち倒す寸前まで待ちの姿勢を取り始める空気を見せ始めた。
今も火の手はさらに強まってきている。
制限時間、攻撃制限付きの戦闘状況。
「まったく……本当に儘ならないネ」
泣いて逃げだすこともできない死の淵とも取れる現状。
もし、彼だったらどうするのか、とふと疑問に思った。
そのせいか――――
「――――全く、困ったもんだヨ」
自分の口元が片側だけ釣り上がるのを抑えられなかった。
写ってしまったかな、彼のクセが。
視点変更 4
その男が、片側だけ口を釣り上げた瞬間を目撃したのと、突然浮遊感に包まれたのはほぼ同時だった。
「っァ!!?」
視界が百八十度変わり、全身の毛と言う毛の穴が総毛立って、危機を告げてくる。
一体、何をされたのかも解らない。あまりの突然さにスローモションの世界に叩き込まれてしまったほどだ。
ただ、自分が何かの技で投げ飛ばされたこと。そして――――
――――俺、立花 信はこのまま、無様に地面に背中を叩きつけてしまった瞬間、頭蓋を踏み砕かれるという未来が、頭の中に確かなイメージとして確立された。
「くぅぁっ!!」
肺に残った空気を全て消費し、全身の筋肉を無理やり動かす。脳の処理速度をそのまま末端機関に伝えた代償に、酷い耳鳴りまでしたが、結果として、地面へと辿りつくまでに体を振り回し、獣のように手と足をつける姿勢で着地。
そのまま間髪いれずに後方へと全力で低く跳んだ。
次の瞬間、ブーツの靴底が顔面スレスレを通過し、コンクリートの地面を易々と粉々にした。
「スゥッ」
全身から汗が噴き出す、その瞬間より先に聴覚に届いた短く鋭い息を吸う音が、五感に危険のシグナルを鳴らす。
だが、遅かった。
シグナルが全身へ届ききる前に、跳んだ姿勢が戻り切るきる前に、俺の左腕が掴まれ、強引に引かれた。
ジェットコースターが頂上から急下降するような感覚。それを生んだ相手の右腕が視界に収まり、次に赤色を見た。
その夕焼けの色にも似た赤色の瞳。赤と表現するよりも“紅”と言った方がしっくりとくる色彩を秘めた目があった。
それを目撃した瞬間、右胸に衝撃が走った。
眼球が反射反応だけで動くと、そこには紅い瞳の男の左掌があるのを確認した。
引力と斥力、そして体で生み出した螺旋力が加わった掌底。
それがバキバキと胸骨から肋骨を引き剥がし、砕く音が体内から聞こえた。
「がぁぁッアッ!!!?!」
「フゥ、スゥッ」
俺が激痛から悲鳴を上げ、紅色の瞳の男、進・カーネルが、鋭い呼吸で状態を整えた。
痛みと、不公平さに怒りの感情が爆発するが、声をあげる暇はない。
一歩足を出した進が追撃をかけようとしてくる。
俺は、突き放す様に全力で左足での前蹴りを放つ。
くらえばトラックが吹っ飛ぶレベルの攻撃だ。
タイミングも合っている。吸い込まれるように進へ靴底に近付いていく。
そのはずだった。
「フゥッ」
溜息のような息を吐く音と共に、進の体が回る。蹴りだされた足の内側に入り込む様な、それでいてゆっくりとした捻りの運動。蹴りの側面をなぞるかのように密着し、左足を左腕で抱え込むように掴みかかり、空いた右腕を折りたたんで肘を突き出す形にし、俺の顎を殴りつけた。
グガ、と嫌な音がし、視界がぶれる。意識が無くなりかけた瞬間、首に重たく硬い何かが撃ちつけられ、呼吸がおかしくなる。握り拳を首筋に叩きつけられるとこんな痛みになるかもしれない。
血反吐を吐きだしたい気分にさせれるも、さらに左右鎖骨の中心部に尖った何がか叩きつけられて、そんな暇もない。肘が振り落とされたのだと、理解した時、突然足が離された。
苦痛の連続が終わったのか?
そう思うには早すぎた。
「寝るなよ。夜はまだ始まったばかりだ」
そっと呟かれた言葉の後に、鳩尾に勢いをつけた拳がねじ込まれる。
「カァッ!!!?」
体がくの字に折れ曲がり、肺から空気が物理的に根こそぎ奪われた。初体験だった。痛みなど無縁だと思ってきた自分が経験した確実に人生内のトラウマになるであろう苦痛の連続。
だが、まだまだ終わらない。
体の動きが苦痛で止まった一瞬で、首に蛇でも巻き付いたかのような感覚に襲われる。
見ればいつの間にかに背後に回った進の腕が首を、頸動脈を締めつけていた。
何度か裸絞め、チュークスリパーを受けたことはあったが、俺の場合は容易く力技で解いてしまえた。だが、この男のその力では離せなかった。むしろ喰いつき方が尋常ではない。そもそも締め方が何か違う……っ!!?
直感がとんでもない恐怖を感じた。
こいつ、首を圧し折ろうとしてるっ!!??
「アアアアアアアアアアアアアアァァァッッッ!!!!」
だから、全力で吼えて力ずくで体を曲げる。
恐怖は直感に強く働きかけた。自分でも出したことがほとんどない全力に、奇跡的と言っていいほど体は答えてくれる。
進の体が宙へと飛んだ。
なのに、俺の視界が反転する。
首元に手を見た。
進の手が服の首根っこを掴んでいる。
服を視点に投げ飛ばされる先は――――
――――地面。
「ァッガアアアアゥッ!!」
地面に頭が叩きつけられるのを阻止するために両手で逆立ちするように腕を突き出した。とんでもない衝撃が腕を曲げさせる。それでも地面へ頭が陥没することだけは防ぐ。だが、思考が安堵させることができない。すぐに上着を自分で破き、進の束縛から外す。腕の力だけで、逆さに跳び上がり、距離を取る。 そうしなければ、生きた心地がしなかったのだ。
「ハァッ、ハァッ……」
着地後、やっと少しでもできた安心感から這いつくばる姿勢となっていても、視線だけは進から外せなかった。目を一瞬、逸らしたその時、殺される。
「なんだ? その得体の知れないもんを見る目は?」
得体のしれないもん、だと? ふざけるな、完全に理解不能の地球外生命体を見る目を俺はしている。
朝とは別人……そんな、ものではない。そんなレベルのものではない。
口元は笑っているのに、目が冷静そのもので、感情が見えない。
何処までも静かで、芯がある光を秘める紅の瞳。クセを持つ黒髪と、同じ色をしたロングコートが海風を受けて揺れる。
(何が俺と闘う資格があるかもしれない、だ……)
俺の認識の甘さを指摘するように、何時のまにやら顔を出していた月の光が柱を作り、進を背後から照らす。
人とは違う別次元の存在が死へとつながる攻撃の数々を練っている気配をビリビリと絶え間なく送られてくる殺意に乗せて、堂々と立つその姿は――――
「――――魔王」
言葉にして、意味を理解する。
この男がなぜ、ソドムでそう呼ばれているのかを。
死の恐怖と言う形のないモノが、確かに俺の中に生まれていた。
視点変更 5
私は、美しさを嫌悪する。
ぐっ、と奥歯を噛締めて歯ぎしりする。ゴリゴリとした感覚と音が口に広がるのを感じながら、目の前を華麗に飛ぶように動きまわる金色の輝きを追いかけ、憎々しいと心からか憎悪する。
「………しい」
オホホホ、とやけに嬉しそうな声が聞こえてくるたびに、自分を含め、彼女を追う三十名ほどの人間たちの目が怒りにつり上がる。
「…た…しい」
自分がもう完全に包囲されていると見えてもいいはずの倉庫の屋根を疾走しながらも、彼女の歓喜がこちらに伝わってくる。
「…たましい」
あの派手な金髪の女が、あの黒いコートの男、進・カーネルに何かを言われて上機嫌になったのを見ていたので、今の彼女の感情が手に取る様にわかる。
「ねたましい」
こうなのだ。
世界はいつも、こうなのだ。
美しい者たちが、“持っている”者たちが全部を持っていくと、この世界は決まっている。
私のような、持てない者にはどこまでも残酷で、どこまでも理不尽。
かつて、私も持っていた者だった。
いや、持っていると勘違いしていた者だった。
(俺、ブサイクって嫌いなんだよね)
好きで、とにかく愛して、愛し抜いた男からの、最後の言葉が、胸を抉りとるように頭の中に響く。
冬の寒さから大事な物を守るかのように腕の中に、私より遥かに美しいのであろう女を抱きかかえた愛しい人から言われた呪言。
歯を噛締める。
ギリギリと、腐りきった思い出を噛みちぎるように。
(俺、ブスって嫌いなんだよね)
あぁ、頭の中で腐敗臭が漂って消えない。
頭の中で膿が広がるような感覚が止まらない。
どうすれば止まる?
どうすれば、いいの?
どうすれば、よかったんだっ!!?
―――――そう、すればいいんだ。
感情の爆発が目に宿るのと同時に、いきなり頭の方へ声がする……気がした。
「……妬ましい」
妙に頭が鮮明になる。答えを見つけたからか? いや、答えなんて“なくてもいい”。
過去は消せない。どこまでも私を追って、嘲笑うだけだ。
なら、いっそのこと。
「綺麗なものなど、無くなってしまえ」
壊して、潰して、どこまでも醜い世界引きずりこんでしまえ。
そう――――
私には力がある。
あの時得た力が、あのダンボールの中にあった“gはいhふぁき”がくれたがある。
権利があるのだ。だから、私、水城 静流は容易く決断する。
「……妬ましいなら、殺して醜い死体に変えればいいじゃない」
どこまでも端的になった自分の思考に何の疑問もなく、解を出す。
もうすぐだ。
もうすぐ、あの白金は逃げきれなくなる。
そして、汚すのだ。
あの憎たらしい美しさを、どこまでも汚れさせた時、きっと至福は訪れるはずだ
――――と、“私”は言った。
視点変更 6
おれは、カッコよくなりたかった。
息を吸うだけで肺が焦げ付きそうな炎の中を、それを弾くほどの雷を全身から放出させながら突っ込む。
炎のなかで咳き込んでいる悪者を倒すために。
テレビの中のヒーローのように攻撃する自分がどこまでもカッコイイと感じながら、パワーアップした自分の力を相手へとぶつけていく。
悪者は金髪のカッコイイ男で、右手に剣を、左手に盾を持ってなんどもぼくの攻撃を防御する。その姿はアニメに出てくる騎士の様だが、関係ない。
おれの敵なら、みんな悪者だ。
そうさ、全員悪者だ。
「ねぇっ、ちょっとキミ!?」
少し片言な日本語で、キミと呼ばれてカチンとした。
「キミじゃねぇよ!! 高橋 宗太って名前があるっての!!」
怒りにまかせて、なんでも炎の中から外へと行き来をし、幾度も攻撃をぶつけるヒットアンドランを繰り返す。
だけども、器用に攻撃を防御や回避を繰り返すために、悪者はなかなか倒れない。
おれの速度を受けてこんなに倒れない奴は信さんぐらいだと思ってた。
つよいこうてきしゅが現れたのだと、思った。
「ソウタっ、もうやめるんダ!」
と思ったら、なにを言い出すんだ。
「なんでやめるんだよっ!? いいところだろ!」
「聞くんだ、ソウタっ。キミたちの力は――――」
「ウッさいよ! 悪者はだまってヒーローに倒されろ!」
そうさ。早く倒されろ。おれは早く、あんたを倒して、ヒーローになりたいんだ。
おかあさんとおれをいじめる悪人を、無償で助けてくれた信さんみたいなヒーローに。
――――本当のヒーローなんていないと思ってたんだ。
だって、この世界はいつでも僕とおかあさんに酷い事ばかりするのに、ヒーローはやってきくれなかった。いつも来るのは、おかあさんを殴りつける父親や借金取りばかり。
奪うだけ奪っていなくなるアイツらは絶対に言うのだ。
『そんなガキがいなきゃ、あんたも楽なのにな』
おかあさんは、なんども言うのだ。
『ゴメンね』
どうして世界にはテレビの中のようにヒーローがいないのだろう?
そんなおれは一か月前、とうとう本物のヒーローに会ったのだ。
あの雨が強い夜。おれとおかあさんを苛めてきた悪者たちが、おれからお母さんを奪おうとしてきた夜だった。悪者の隙をついて、奴の頭にガラス瓶を叩きつけて、家から逃げ出した。
おれとお母さんはひっしで逃げたけど、すぐに捕まってしまった。
お母さんが泣きながら許してくれと言ったけれど、あいつはおれを殺そうとした。
何度も何度もおれを殴りつけたその男は、唐突に真横にふらりとやってきた別の男に殴られ、吹っ飛んで動かなくなった。
殴り倒した男は、紅い目を見られて、“シン”と呼ばれた。
彼は一言、違う、と否定していたけれど、おれはシンの方がよかった。テレビの時代劇に出てくる主人公のようでかっこよかったからだ。
その強い力に憧れた。でも、もっと別の所にひかれたのだ。
『お前が頑張ったから、お前の母ちゃんは無事だったんだ』
初めて認められた気がしたのだ。いつもいらない価値が無いとされていた自分を、この人は認めてくれた。
だから、おれはこの人のようになりたいと思った。
だから――――
――――“だったら”勝たなきゃいけない――――
「そうだっ! ヒーローは絶対勝たなきゃいけないんだ! 悪者を倒して、カッコイイ俺になる!!」 「ソウタっ!!」
纏う雷が威力を増す。きっと、おれの中の何かが覚醒したに違いない!!
敵を倒せと言っているに違いない!
「これでおわりだっ!」
でっかい雷弾を瞬時に作り上げ、おれは“敵”へと放り投げた。
視点変更 7
自分自身のルーツを知っている、ということは実に贅沢なことである。
そんな言葉を使う奴はきっと、生まれも育ちも全部に満足できてる人間なんだろう。
『怖がることはないよ』
記憶の中で唯一信頼できた孤児院の園長はいつもの笑顔でそう語っていた。
俺は自分の生まれを知らない孤児だった。
赤ん坊のころに、新潟にある孤児院の前に捨てられていたらしい。
それだけが自分の始まりだった。はっきり言えば大きな戦後でもあったために俺と同じような子供はニュースが取り上げるのを止めるぐらい事例があったし、特別でもなんでもなかった。
ただし、俺には他の子供とは一線を引いてしまうほどの“違い”があった。
5歳の頃、孤児院の仲間を苛めにきた近所の悪ガキを殺しかけた。
『子供の腕力でか? 偶然だろう?』
近所の大人たちは笑ってそう言っていた。
9歳の時、引き取られていった一番仲の良かった友達が酷いあざを作って帰ってきた時、怒りにまかせてその里親の家族、住んでいた家を殴り“壊した”。
『あの子、一体なんなの?』
孤児院のパートのおばさんが、こちらを得体の知れないモノを見るかのような目で呟いた。
14の時、どうしようもない破壊衝動を抑えるのも困難になってきていた。通う中学のガラの悪い奴らが一斉に俺へと暴力を振るってくるのをまったく次元の違う力で打ち払っていた。
『近づくなバケモノッ!!』
同じ孤児院に住む8歳の男の子がそう言って、俺へ石つぶてを投げてきた。どうやら俺が壊してしまった奴の中に、仲のいい友人の兄が混ざっていたようで、その子に嫌われてしまったらしい。
俺はその時に決意した。
ここから出て行こうと。
その子に嫌われたからではない。
その石を投げてきた子供を、本気で殺そうと思った自分が、己の心に存在していたからだ。
『遠くがいい……』
できるだけ遠くがいい。離れるだけ離れたい。その一心で、受験勉強へ打ち込んだ。できれば人の少ない所がよかったが、自分が望む条件で受かったのが新東京都にある進学校だけだった。
『君は、親御さんに愛されていたよ』
東京に向かう新幹線に乗りこむ直前に、園長は唐突にやさしげに言った。長年の苦労がたたったのか、杖をついて歩く園長は、俺のせいでどれだけ回りから非難されようと、守ってくれた唯一の人。
だけど、俺はその言葉だけは信じられずに突き放した。
『俺の親が俺を捨てたのはこの力があるとわかっていたせいだ』
『きっと、親も俺を捨てて安心しているに違いないないさ』
そう言い放って出てきて、俺は園長とそれ以来会っていない。新潟にも帰っていない。
どうせ、どこでも同じだ。
俺はこの衝動を抑えられない。新潟でも、この東京でも。変わることのないこの“怒り”が無くならない。
俺は孤独だ。この力を理解できないだろうし、理解してくれる者など居るはずない。
――――そう思っていた。
「なんだぁ、その面は?」
いた。目の前に。月を背負い、紅い目に敵意にも似た力を秘め、堂々と立つ男が。
季節外れのロングコート、そのコートと同じい色をした黒髪を夜の海風になびかるその姿に、魔王のような男と呼ばれる訳を理解できてしまいそうになる。
俺と同じとは限らないが、同等の力を持った男、進・カーネルは確かに目の前にいる。
圧倒的な暴力をものともせず、その力を肉体へ上手く変換していた。
力を己のモノとしている。そこだけは俺と違う。
「よく腕がへし折れてる状態で笑えるもんだ」
淡々と言い放つ進の言う通り、俺の左腕は半ばからくの字にへし折れている。
あれから数度、向かっていくが機械的ともいえる進の動きに翻弄されてこのザマだ。
「バカ言えよ。これでも痛くてしょうがねぇんだ……」
「じゃあ、もうやめるか? 俺は始めからお前に用はねぇ。用があるのはアイツなんでな」
クイっ、と指さした先に居るのは、なんのカセもつけてはいないはずなのに逃げもせず、ただ冷静な瞳でこちらを見つめる女子高校生。
九重 撫子。
あの壊れてしまっている女を、この魔王は求めている。
それがどうしてなのか、俺には解らない。利益か、趣味か、それとも愛か。それが気になって俺はあの人をこの場に連れてきた。
――――だけど、もういい。
「やめる? 馬鹿言えよ」
俺は壊れた存在と知りながら、それを求める気持ちという解が欲しかった。それがわかれば、俺の壊れた力に、意味がが作れるかもしれないと。
けれど、もういい。
「やっと“楽しく”なってきたじゃないか」
「オマエ……」
進の顔つきが警戒心に変わる。
そうだとも、なんでやめなきゃいけない。俺はずっとこの衝動を抑えてきた。それは周りを傷つけたくなかったからじゃない。
ただ無意味だと思っていたからだ。意味のないことをしても何にもならない。ただただ単純に純粋に思っていた。
それが今、意味がある。ここに全力で戦える相手がいる。意味があるのだ。
もう気持ちや価値観をつくることはない。だって、楽しいから。この衝動を肯定できる対象が目の前にある!!
衝動に突き動かされるように地を蹴る。距離はもうゼロ。
「っ!?」
「アハァッ!!」
一瞬、驚愕に歪んだ進の顔面へと“折れている左腕で”殴りつける。
反応が遅れたのか、もしくはインパクトの薄い打撃になるのだろうとふんだ進は腕を交差させて防御の形をとる。
それは間違いだ。くの字に曲がった腕を“膨張した”かのような筋肉が無理やりに真っすぐな正常な形に戻し、家の壁程度なら木っ端みじんに砕く“正常な”ストレートの威力を生む。
結果、そこにいたはずの進がフッと消え、背後にあった倉庫に外壁をぶち抜いて消えて行った。
「スゲェッ!!」
歓喜に震える。インパクトの直前、反射反応で自分から後へ跳んで攻撃を流しやがった!
「アハハ、ハハハッ!!!」
もっとだ。もっと見たい。もっと、もっと、全力で戦いたい。
心が歓喜で湧きたつ。衝動が体に力をくれる。人の姿では扱えきれない力が溢れてくる。
貫通した倉庫の穴の中は粉塵がモクモクと舞い上がっている。その中をのそりと立ち上がる影を見つけて歓喜の咆哮を想わずあげてしまうほどに、感情が高ぶってくる。
「さぁ! 俺にもっと意味をくれっ、進・カーネル!!」
視点変更 8
知人が目の前でアサルトライフルの銃口を、見知らぬ相手の口の中に突っ込んで、今にも射殺しそうな眼光を秘めていたらどうする?
――――そう誰かに問われた時はきっと何かもっともらしい正論を並べて安全に対処するよ……なんて言うかもしれない。
「熊谷っ!!」
そうも言って居られなかったので、駆け抜けた速度のまま、さらう様に相手をもぎ取った。
サプレッサーを通して放たれた弾丸の音がそれに遅れて聞こえてきたが、あの音が聞こえた瞬間から逆算してもあと刹那でも遅ければ、さらった男の脳天を突き抜けていたのは明白だった。
「アガッ、ハヒィィィ……っ」
無理やりにさらった結果として、口が裂けて、痛々しい量の血液がドバドバと流れてしまったが……。 助けた? 研究者風の中年男は悲鳴をあげてその場でうずくまってしまう。仕方ないとはいえ、申し訳ない気持ちになったが、それを振り払って、彼へと向き直る。
「……熊谷、待てと言ったはずだじゃなかったかな?」
目の前で、未だに目を危ない色でギラつかせたクマのような巨体が立っていた。彼が熊谷だ。
「兄貴、邪魔をしないでください……」
「君らしくないね。それとも……みんな、そうなのかな?」
そう、と言ったと同時に彼の背後から人影がゾロゾロと現れてきた。後に階段でもあるのか地面から湧きあがる様に出てきた彼ら――――
「ぅッ!?」
思わず、吐き気を憶えてしまった。だが“彼ら”は口から洩れた俺の侮蔑にも等しい痴態を気にもしてい様だった。
いや、もしくは何も考えられないのかもしれない。
「これは……彼らは一体?」
「潜入した地下で発見しました……独断ではありましたが……俺達全員、見ているだけなんて、できなかったんです」
合点がいった、と言うべきか。優しさに定評がある熊谷であればこそ、怒り、そして、怒りに身を任せてしまったのかもしれない。
熊谷たちが命令を無視してでも助けた彼ら――――皆一様に、痩せこけ、それでいて腐りかけの様な色をした体になってしまっている男女総勢20名程度がゾロゾロと、熊谷の隊のメンバーに支えられるように出てくる。
「しっかり。もう少しだ」
「ァ……ァア……あた…しを、かえして――――」
「ああ、家にはすぐ戻れるよ」
「ちが……う」
一人の隊員に背負われて、体中にミドリ色のコケがついてしまっている若い女性が出てきた。
「ちがう……ちがうの…」
あろうことか女性は元の道を帰ろうとする。それを隊員は必死で止めた。
「ダメだって! あんなとこにいたら死んじまうって……げっ、兄貴!?」
「俺は、げっ兄貴、なんて名前じゃない。それよりも……」
熊谷たちが救出したという者たちの姿はあれど、出てきた隊のメンバーの数があまりにも少ない。残りの隊員は何所に? と聞こうとしたが、それよりも先に、階段の奥からけたたましい銃声が響いてくる。
俺は熊谷を問いつめるように見据えた。
「一体、どういう状況なのかな?」
「それは……」
「あ、あひゃりまえだ! なんれことをひてくれたんらぁっ!」
熊谷に問うたつもりが、意外な所から回答が飛んできた。呂律が回っていないのは口が裂けているせいだろうか? 研究員風の男が怒りと痛みをまぜこぜにした口調で感情をぶつけてくる。
「あれわぁ、もういっろの生命なんら! こどもの“ようぶん”をとられれ、いかり狂っているんら! やっとわれわれがうみだした成果をどうひてくれる! くだらん正義感でわれわれ科学者のゆめを…」
「黙れ! この外道!!」
おれに掴みかかってきそうな勢いを見せ始めていた研究員風を、それを上回る怒りの罵声をあげた熊谷が、アサルトライフルのストック部分で殴りつけて黙らせた。そのまま数度殴りそうな彼を、俺は肩を掴んで静止させる。
「やるんだ、熊谷」
「でも! でもっ!!」
「誰かに死を与えたら、その死を背負え、と俺は君たちに教えたね。……こんな奴を殺して君が汚れることはないんだよ、熊谷」
「……はい」
「我慢をしなさい。それはきっと君の力になるからね」
歯を食いしばり、銃を納める熊谷。彼はもう心配はなさそうだ。……それよりも、銃声が大きくなっている。それよりもサイレンサー抜きの音になっていることがかなり気になる。
「要救護者たちの護衛と先導はまかせる。今から君が指示をだせ、熊谷」
「えぇ!? 自分がっ!?」
「そうだ。そろそろ君も弟分への指示に慣れろ」
やさしいことが原因なのか、熊谷は誰かに指示を出すのが下手であった。ここで慣らしておくのも良い経験になるだろう。
「兄貴はどうなさるんですかっ!?」
「自分の目で確かめてくる」
言うと同時に階段へと駆け出す。人の隙間をスルスルと抜けると、そこにはトンネルがあった。奥が見えないトンネルの中には人が案の定、隙間がほとんどない人の流れがあった。
(ここまで、人が……奥で一体なにが……それに“なんだ”これ?)
人の流れがやけに遅い。彼らは皆、長時間拘束されていたことが見て取れる。だというのに、逃げる速度があまりに遅い。中には後を何度も振り返る者すらいる。
それに違和感を憶えるが、答えはすぐ先にあるはず。
そう考えながら黒のジャケットを脱ぐ。
別に趣味とかじゃない。ただ、邪魔なのだ。
駆け出す。ただし、人垣に突っ込むように、ではない。
壁を駆け抜ける。
道が込んでいるから壁を走る。そんな常軌を逸した行動をとってもゾロゾロと人々は見向きもしない。精神が病んでいるのだろう。一体、彼らは何をされ、何をしていたのだろう。
その答えを元めて、“銀色”の光を纏いながら、壁を駆ける。そして、地獄の入り口とは思えぬほどの光に満ちた出口へと辿り着く。
迷いはない。姿を人間の下半身と狼の上半身に変えた俺は、一気に飛び込む。
そこには……
「……なんだ、これ」
とても広い。巨大なエントランスだったのだろう拾い空間が無骨な黒色の鉄板で包まれていた。
なにより、この場の環境は異常だ。なにせ夏真っ盛りにこの空調が全くない設備だといういことは想定報告からあがっていた。
なのに、ここは過ごしやすい。まるで生命の溢れる春のようだと、人は言うだろう。だが、百年と少し生きている人外の生命体である自分にはわかる。
気圧調整性が施されたこの空間内は、明らかに不自然な不純物質が漂っている。
その中央に一本。一本巨大な、それでいて不快感が湧きあがる気色の悪い形状をした巨木が立っていた。
ここまで木が育つ環境とは思えない不気味な空間に立つ緑色の葉をつけた木。その根元で、木を倒壊させるように銃を放つ集団がいた。
その中の一人がこちらに気が付く。
「あ、兄貴」
「何をしている、これは……」
次の瞬間、鞭の様に飛んできた“木の枝”が彼らを薙ぎ払った。
それが彼らを数メートル吹き飛ばしてしまう。
瞬間的に俺は、怒りに身を任せることを選んだ。
「っ!! 何してくれてんだっ、コラァ!!!」
伸ばした爪を薙ぎ、伸びていた枝を輪切りにする。そこから弾ける様に出た樹液の色は赤色。
すぐさま別の枝が伸び、今度はこちらを攻撃してくる。
しなって飛んでくる枝を、獣のようにかわし、吹き飛ばされた隊員たちの元まで駆け寄り、担いで逃げる。だが、一度に4人は重いっ。速度が格段に下がる。
枝のしなりは続く。逃がすまいとする枝の手管に、ねっとりとした感情を肌で感じた。
(この木は生きている。それもかなり貪欲な……っ!?)
ちらりと見た。軌道を予測するためだけの行動だったが、それ以上のモノを見てしまった。
木の根元にゾッとするモノがあった。まるでそこから栄えましたと言わんばかりの根元が……
「おいおい、勘弁してくれよ……!!」
さすがに退いてしまったためにできた隙を見つけたかのように枝が降ってきた。俺一人なら避けられる速度と距離だが、今現在はムサイ男4人と合体中だ。とても避けれる状況じゃない。
「ふぅんぬぅあっ!!!」
だから、とりあえず、俺は全力で前へと飛んだ。
同時に、枝が俺の靴の底を抉った感触がする。
「あぶぅ…なぁっぁぁらぁ!?」
何も考えず跳んだもんだから、背負っていた隊員たち共々、床へとバラバラに転がる。
どうやら枝はこれ以上は伸ばせない様で、木は荒ぶるように枝は振り回す。
その光景をシュールだと思いながら、気絶する隊員たちの安否を確認する。どうやら全員無事のようだ。日々の訓練の賜物だろう。
「おい、起きるんだ」
「ぁ……兄貴」
「無事だね。そのまま無事でいたいなら早く起きるんだ」
「りょ、了解ッス!」
「で? あれは、なんだ? わかっていることを簡潔に頼みたいかな?」
「じ、自分らもくわしいことは……でも、アイツらが、あの白衣の奴らが。奴らのやってることを俺等、見てらんなくて……」
簡潔、と言ったのに……。まぁ、吐き出したい感情を時に聞くのも必要だ。そのまま、木の行動を視界の端に捉えつつ、無言で耳を傾ける。
「アイツら……木に人を……人を喰わせてて……」
「木が? ……あれか」
先ほど目が捉えた不気味な木の根元を改めて目視する。
そこには人がいる。横たわる、という表現では生易しい。あれは、完全に取り込んでいる。血管のように脈動する太い根が絡みつき、その根が彼らから“なにか”を吸い上げている。
人の生き血をすする妖樹。根元に囚われた人々はやはり痩せこけ、瞼を動かす力もないのか半眼、そこから覗く瞳に生気はない。
だというのに……
木が彼らから何かを吸い上げるように蠢く。
「あぁ~……」
囚われた人々の顔が“幸せの色”に満たされる。やせ細った大地のような頬をヒビ割らせて笑う姿は、端から見ていて気分のいいものではない。まるで薬物中毒者の、それだ。
(なるほどな、まんま麻薬だな)
あのトンネルで感じた違和感を完全に理解した。
あの時、彼らがモタモタしていた理由。
彼らはただ溜めらっていたのだ。帰ることを。この代償の代りに“幸せ”を寄こす妖樹から離れることから。
あの木は取り込んだ相手から生命力を吸う際に、対象物の快楽神経を刺激する脳内麻薬を多量に散布させる刺激を与えるのだろう。
テレビなどで、よく目にすることがあるだろう。過酷な環境下、たとえば自分の天敵が常にくる自然界で生命の防衛本能が機能化した生物の話を見たことを。これはそれと似ている。
「命を対価に、快楽を与えて、人と共存……いや、人を捕食する木か」
熊谷らが見ていたという木が人を喰う、という表現は取り込まれていた彼らこれだろう。彼らはもっと多くの被害者達がこの場に捉えられ、木に良い様に弄ばれ、養分になっていた人々と、それを見つめて自分たちの“成果”に誇るように笑みを浮かべてる白衣たちを見てしまったのだろう。正常な感性をもつ人間には動くなといわれても耐えられる訳がない。
辺りを見れば千切られている根の木片が散らばっているのがその証拠。散々暴れて助けたようだ。そのため木もお怒りだ。
人から養分を得て、不気味なほど緑色な葉を夏草が生い茂るが如く増やして“威嚇”する妖樹。
中国の“山椒”をはじめ、イスラムの聖典“コーラン”にみうけられる地獄の木“ザックーム”など世界に伝わる妖樹は数ある。その中の一つか……その中の亜種か。しかし、地獄や魔界にあるような木がなぜこんなところに?
まぁ、それはひとまず置いておこう。
「君等はトンネルにまだ残ってるかもしれない人たちを連れて逃げろ。誰一人、退き返らせるな」
「兄貴は?」
「……売られた喧嘩は買わない主義なんだけどね」
不毛な喧嘩をしたがる年でもない。だが――――
「あの“威嚇”が気に入らないのさ。ありゃ、完全に人間舐めてるね……それ以前に極道が舐められちゃお終いだろ……」
隊員たちを振り返ると、彼らは何かに押されたように一歩後退する。
「返事はけっこう。すぐさま実行すること。いいかな?」
「「「「ハイっ!!」」」」
バッ、と隊員たちは動きだす。イイね。非常に迅速な行動は見ていてスッキリする。
「さて……待たせたね。返してもらう、だけで済むとは思うなよ」
木がざわめく。木の葉をザワザワと音立ててくる。
俺の口が横に裂け、ドスを利かせた声が空間に轟く。
「音芽組に喧嘩売った当然の結末をくれてやる」
指の先から大ぶりのナイフの刃サイズの爪刃を立て、犬歯を剥きだす。
「タダで往生“させや”しねぇ。来世へ飛ばさねぇように魂ごと、ここで引き裂く」
さぁ、人間側の反撃だ。
視点変更 9
――――私は何時からそうなったのか、憶えていない。
「ハァッ、ハァ、ハァ……」
呼吸が自分の意志と反して荒くなる。
「ハァッ、ハァ、ハァ……ハァッ、ハァ、ハ」
バタンッ、と突然隣にいた男が何の前触れもなく倒れた。
「ヒィッ!?」
私は恐怖で声を引きつらせる。回りの残った者たちもまた、同じように引きつった声をあげた。
――――私は何時からそうなったのか、憶えていない。
空を見れば、月が顔を再び出し始めているようだが、ここには光が一切届かない。
ここは、倉庫の倉庫の間、光が届かぬ場所。
そもそも何で私たちはこんな場所にきてしまったのか?
あの派手な金髪の女を追い掛けていたはずだ。数で勝っていた私たちから“逃げ惑って”いたはずの女をこの場所に、あと一歩で追い込めたはずだったろう!?
追い詰め、数での暴力を放ち、身ぐるみを剥ぎ取り、あの憎たらしい美しさを汚すことができたのだ。
――――だが、実際、ここにきて追い込まれたのは、こちらの方。
一人、また一人と“なにもされていないのに”バタバタと倒れる者達。
――――私は何時からそうなったのか、憶えていない。
「いやだ、いやだ、いぁ―――」
バタンと事切れたように騒ぎだしかけた男が白目を剥いて倒れた。それを契機にして何人もの浮足立った男どもが逃げだす。
彼らが混乱に陥る中、私だけはその場で塊のように動けなくなっていた。
(見てる……あいつは、私を見ている……)
強烈な視線が、周りの暗闇の何処かから一直線に向けられているのがわかる。未だ自分の何処かにある野生の本能が告げてくるのだ。恐怖におののき、冷静な判断を失った“獲物”を、あの女は狙っているのだと。
だから、行動が起こせない。起こしてしまえば、きっと私は本能のままに無様に逃げだすからだ。
背中を向ければ、確実にやられる。この惨めな失神状態となり果てるだろう。
――――私はいつから、こんなにも惨めな存在になっていたのだろう?
恐怖と心拍数の増加がもたらす影響か、それとも逃げ出したいが故の現実逃避からかは定かではないが、今現在と過去が頭の中にひしめき、思考がだぶる。
一目見た時から私はあの美しさが憎かった。
(俺、ブスって嫌いなんだよね)
かつて愛した、心から愛した男からもらった最後の言葉。尽くして、尽くして、尽くした男から受けた捨てゼリフ。
――――私は何時からそうなったのか、憶えていない。
「ッ!! 馬鹿にして!! いつまで隠れているつもりなのっ!? 無くした私に対する当てつけ!? 出てきなさいよ!! 綺麗なクセに! 私を憐れんでいるつもり!! どこまでもコケにするのね、“持っている人間って、いうのは!?」
精神的ストレスと、やりきれない感情が、私をヒステリックに叫ばせる。意味もまったく考えていなかった。ただ思いつく限りの言葉を並べ立てた言葉にならない羅列。
「綺麗? 憐れむ? よくわかりませんけれど……」
それに答える様に、目の前にヌルりと闇の中から美しい白金の女が出てきた。距離にして数歩の距離。まるで始めからそこに居たといわんばかりに、その女は立っていた。
「貴女……美しい、のですわね」
そんな憐れみを通り越して、激怒をもたらすのに十分な侮蔑の言葉と一緒に現れた。
「ふざ……ふざけんなっ!!!」
怒りに呼応した速度で集めた水塊を、投げつけた。
真面目な表情をしたムカつく顔面へと真っすぐ投げたが、それはあっさり避けられる。女はまるで野生の猿のような身のこなしで跳びはね、倉庫の脇に積み重なっていた廃材の上へと座り、こちらを見下す。
「なにが、なにが美しいっていうのよ!! 馬鹿にして、馬鹿にして、馬鹿にするな!!」
「“相手を評価し、屈辱をわざわざ口から吐いてまで、美しさを求めるのは、美しさの原石をもつ証”というのが私の師が持つ自論の一つでしたわ」
「美しさを……求める?」
「貴女は綺麗な、美しい存在になりたいのでしょう? 貴女の言葉の端々に、その感情がありましたもの」
なにを言ってるの、この女?
「わ、私はただ嫉妬しているだけよ! どうせ持てないのなら、醜く壊してしまえばいいと……」
「本当にそうですの? それが貴女の気持ち? ……それとも、その“仮初の美しさ”がそうしろと言っていますの?」
仮初の美しさ?
「うっ!?」
頭の中が割れそうに痛む。仮初などではない。これは私の“力”だ! 誰にも奪わせないと“私”が言っている!!
――――あれ? “私”って、誰?
「私は……わた、わた……し、わたしわたしわたしはわたしわたしでわたしはっっ!!!!!」
「……それに貴女は一つ、間違っていますわ」
スタッ、と女が私の前に下りてくる。長い白金の髪を引き連れるその姿から“美しさ”を感じて仕方がない。
美しいものなど、滅べ、キエロ。滅ぼせ、消すんだ。この美しさは“私”を殺す。
「美しさは持つ物でも、なるものでもありません……己で認知て、確立するアイデンティティの形ですわ。……さぁローザ・E・レーリスがここで命じるっ!」
女、ローザは左腕を天へとかざす。その左人差し指にはまっていた飾り気のない指輪が発光し、宙に文字を浮かび上がらせ、手を包む。
大気が震える。その場にある邪悪を払うかのような不可視の力が巻き起こった。
「美を汚す、巣食う醜悪を、討ち砕け。大いなる道の通過点・ディバイド、“四大の慈悲 ”」
私は息を呑まずにいられない。
私は、その強さを秘めた美しさを憧れずにはいられない。
「さぁ、貴女の本当の美しさに巣食う不純物、取り除いてさしあげますわ」
視点変更 10
――――良い年になった上で、告白する。実は僕もヒーローに憧れているんだ。
燃え盛る炎の中、雷を纏って突進を繰り返す少年がさらなる力を“魂”から引き出し、感情のままにこちらを殺さんとしてくる。
(力がさらに上がっタ。マズイなこっちの酸素もほとんど残っていなイ)
炎の檻に閉じ込められ焼き殺されそうな背水の陣の中、攻撃を幾度となく回避してきたが、もう避ける隙間もなくなった。というか、熱イ!
「そうだっ! ヒーローは絶対勝たなきゃいけないんだ! 悪者を倒して、カッコイイ俺にならなきゃ!!」
ソウタが何かに切羽つまったような声をあげる。
彼も何か強い気持ちがあったのだろう。会って間もない僕には詳しくはわからないが、それが彼の力の源、その力を、命と引き換えに魔術を発動させている存在はそれに付け込んでいる。
「ソウタっ!!」
「これでおわりだっ!」
僕の声は届かない。どころか、この場の炎の壁ごと吹き飛ばせるサイズの雷球を作り出し、こちらへ落とそうとしてくる。
舌打ちしている暇もなく、身を守るように盾を構える。騎士の流技は騎士の武器へ魔術属性を付加させる術式だ。防具だけは術者の使う付随品としてある程度の加護は受けられるが、本人の肉体は対象に入ることはできない。どころか肉体を傷つける代償が強いのが特徴。
だから、僕は盾には別の術式を刻みつけている。
放電する雷の球が衝突する。
閃光と衝撃音。
周囲を巻きこんで放たれた力の被害は凄まじい。
周囲には未だ放電現象が残り、地面は黒く焼き焦がし、押しつぶされた。
そして、僕の盾は、僕の無傷と引き換えに、粉々に砕け散った。
「なんであれをくらっていきてんだよっ!?」
甲高い苛立つ声をした方を見れば、わけのわからなそうな表情をした宗太がいた。
「……日ごろの行いがいいからネ」
取り合えず誤魔かしておこう。別に敵対する相手に全部話す必要性はない。
盾に付加させておいた魔術は“ゲルマンの羞恥”。
所属する騎士団のオリジナル術式で、タキトゥスの『ゲルマニア』に描かれたゲルマン人は盾を無くすことをもっとも恥とするいわれを使い、盾を手放す代わりに、一度だけ強固な守護防壁を作り出すというものだ。防壁の厚さは、術式使用者の騎士としての誇りから盾を手放す羞恥を引いて算出されるらしく、多用すればそれだけ誇りは失われ、羞恥が強くなるので、防御力が薄くなっていく。そのため使用するタイミングが難しい術なのだ。
「なんでだよっ!!」
宗太が顔を真っ赤にして叫ぶ。自分勝手に。それこそ、駄々をこねる子供のように。
「なんでっ!? たおれないんだっ! おれはヒーローだぞ! 強い俺になんでたおされないんだ!」
「……それは、今のキミがヒーローなんかじゃないからサ」
癇癪を起した子供を叱るように僕は、人生の先輩から助言しよう。だが、やはり駄々っ子は反論する。
「ヒーローじゃない!? ふざけんな、凄い力をもって悪人を倒すのが、ヒーローじゃないか!!」
「そんなものはヒーローじゃない。強い力で、力のない人々を苦しめる悪モノとなんの違いがあル」
「っ!? おれは悪モノなんかじゃない!」
「そうだネ。キミは悪人じゃなイ。それでいて、正義のヒーローでも、断じてなイ」
「うるさいよ……もう、ころす……。おれは、ヒーローなんだ。お母さんを、じぶんの力でまもるんだ!!」
否定の言葉が尽きたのか、自分を否定する存在を消すことで、肯定を得ようとする事にしたらしい。
もう聞く耳はもってくれないらしい。
「力ずく、それはヒーローらしからぬ行動だろうニ……。そうだネ……正義の味方でも、悪の手先でもないキミが何と言う存在なのか、僕にも上手く言えないが……ボクの知るシンなら、こう言うだろうね」
宗太は、怒りを電撃に変える様に、小さな体にさらなる力を溜めこみ始める。彼はわかってない。その力をひきだすたびに、キミの体が本当に侵食されていることに。
君の先輩、騎士に憧れ、そして先日、憧れていた男に、お前は騎士になれない、と言われた哀れな男でもキミに伝えられる思いはある。
だが、今のキミには届かないだろう。
「……責任を背負いもしない、ただのクソガキだ、ってネ」
意思を汚された、と思い込むヒーローもどきが、喰ってかかってくる。最後の一撃を叩き込むために。
今のキミにはボクの言葉は届かないというのなら。
「なら、キミの力を全部、吐き出させる」
それでも理想の騎士への憧れを捨てることができない男なりに、キミの言う悪になり、キミを負かして、上から目線で救ってみせよう。
視点変更 11
「さぁ! 俺に意味をくれっ、進・カーネル!!」
それが答えを聞きたい奴の礼儀か、と心の中で怒りつつ、視界がぼやけるほどの粉塵が立ち込める倉庫の中で立ち上がる。
(腕が、前腕が折れてやがる……)
左腕は見ただけで完全にボッキリ折れているのがわかる。利き腕である右腕は何とか無事の形を保っているが未だにシビレが取れない。
(後へ跳んで力を逃がした手ごたえがあったのに、これかよ……恐ろしいね、これがアイツの言ってたぼ)
ここに来る前、ハジができるだけ集めたという事前情報の中にあったクソガキ、立花 信の情報を事前に得ていた。
その中にあったアイツの能力の事を考えようとした瞬間、右目の端が紅い光を捉え、全力で反応した。
その瞬間と言ってもいいタイミングで、頭のあった場所を、足が横殴りに通った。
「チッ!」
舌を打ち、背負っていたイザナミを真正面に抜き打つ。ハジの情報が確かなら、“覚醒した”信を相手に手加減などしようものなら、こちらが死ぬ。
ガンッ、と甲高い音を立てて、地面に突き刺さるイザナミ。だが、何かを切った感触は一切ない。
切りそこなった忌々しさを噛締める前に、俺の足が掴まれる感触が――――
――――あったと同時に、俺は宙を舞っていた。
倉庫の天井を突き破った際の痛みを感じる前に、浮遊感を自覚する俺は前をみる。
そこには完全な破壊衝動から生まれる満面の笑みを浮かべた信が拳を振り上げていた。
(こんなところでッ……)
宙にいるというやわらかな浮遊感を吹き飛ばす様に、俺の全神経を足に向かわせ、信の股間を蹴り潰す気満々で右足を股の間に捻じ込む。
(やってられるかっ!!)
人間は人間らしく地面で戦え。そういう気持ちで、空中で体を後転させ、信の体を地面へ叩き戻そうとする。それは成功し、信の体は地面への下降軌道に入る。
俺の髪を咄嗟に掴んで、俺ごと地面へ、と。
「なっ、がっ!?」
「オオオオオオオオァッ」
下降軌道中に、信は獣のような叫びをあげて、俺を下へと投げつける。その際にアイツが掴んでいた髪の毛の一部が頭皮ごとむしられる。
投擲された先は、隣接する別の廃倉庫。一直線に叩きつけらた俺は屋根を突き抜け、硬い地面……ではなく、放棄された資材、頑丈そうな四角形の箱の縁に背をぶつける。
「~~~~ッ!?」
俺も常日頃からバケモノ扱いされることが多いが、痛覚ぐらいある。今朝もタンスの角に小指をぶつけて、泣きそうになった。
ドシンッと、続いて倉庫の中央に何かが落下する。言うまでもないが、信だ。
信は、“一回り大きくなった体”にすら気がついていない目で、俺を見る。
その瞳にはきっと、投げつけられた四角形の箱がドアップに映ったことだろう。
箱はバキンッと、砕けて、割れる。信は仰け反る。
「痛ってぇだろうがっ!! ちゃんと片付けろっ!!」
抗議しつつ、俺は跳びかかって、剣を縦に切りつける。狙いは胴。信は腕で庇うが、しったことか。腕ごと叩き切ろうと、力をこめた。
刃は容易く腕へと届く。
攻撃に込めた力が信の体を通じて、地面へとへこませる。
「ぐっ!?」
だというのに、苦悶の声をあげたのは、俺。
何製だか定かでないイザナミ。だが、鋼くらいの硬度と、普通の剣以上の性能はあるはずの大剣は、たった一本の腕で受け止められていた。
(硬ってぇっ!? くそ、鋼か、コイツのき)
まさに鋼の筋肉、と表現した最中に、防いだ手と逆の手が俺の体を横へ叩き落とす。
その際、少しは腕に刃が立っていたらしいイザナミを残し、俺の体だけが真横へ弾き飛ぶ。
数度のリバウンド、数度の意識の点滅、そして、一度の背面への衝撃。倉庫の壁にめり込み、俺は腹へ受けた衝撃から血反吐を地面へぶちまける。
「っべッハっ!!」
血反吐をまき散らした地面へ意識がむきつつも、カンカンと金属が硬いコンクリートを叩く音がなり続いている。
(今の……衝撃に建物が……)
もう朽ちたも同然の建物だ。大型トラックの追突ぐらいの衝撃は、さすがに堪えられなかったらしい。
逃げないと、やばいかもな。と思いつつ、ふらつきながらも顔をあげると。
ガンッ、と大きく太い鉄骨の一つが信の頭に落下したのを目撃した。
「――――あ、アアアアアアアッ!!!」
今しかないと、そう直感した。その上での咆哮だった。
明滅する視界でも、内臓に損傷がある体でも、腕が折れていて激痛が走ろうとも。
ココが決め場だと、直感した俺という総体が、全力で地面を蹴りつけ駆けださせる。
ガンッ!
鉄骨が真横をスレスレに落ちる。
ガンッ! ガンッ!
俺の行く手を遮るように二本の鉄骨が突き立つ。
ガンガンガンガンガンガンッ!!!!
耳障りな音と一緒に、何本もの鉄骨が天井から、そして、崩れつつある倉庫全体から降り注いでくる。
細かい鋭利な部品が俺の体と顔にぶつかるが、関係ない。
すべては目標地点へ。それだけを頭の中へ入れ、それ以外は考えない。
そんな鉄の嵐の中を突き抜け、目標地点へと辿りつき―――――
「オォラァァァっ!!」
近くに落ちてた太く長い鉄骨を引き抜き、未だ立ち尽くしていた信の体めがけてフルスイングした。
衝撃で失神状態だったのか、それとも混乱していたのかは定かではないが、そのまま突っ立ていた信は、倉庫の外へと弾きだされる。
ほぼ同時に、倉庫は限界を迎え、崩れ落ちるようにぺしゃんこになる。
その崩壊の場から飛び出た俺は、衝撃で剥がれ落ちたのであろうイザナミを宙で掴みとり、勢いのままに、弾き飛んだ信へと突貫した。
驚くべきことに、信の体は倒れず、立ったまま。
それでも、未だに死に体状態。
(ここで、決めるっ)
それだけ頭に入れ、剣を腰溜めに構え――――
(くらいやがれッ!!!)
――――気合いと共に剣を隙だらけの胴体めがけて、突き出す。
視点変更 11
「美に巣食い汚す、醜悪を討ち砕け。大いなる道の通過点・ディバイド、“四大の慈悲 ”」
左の指にはめた指輪から、複雑怪奇の術式が展開され、手首まで覆う。
その様は、まるで輝く手袋。
これは二週間前に、八島という男が使っていたディバイドの“在るべき”形だ。
あの時、この“四大の慈悲 ”はランドセルにも似た機械がむき出しになった背負うタイプのカバンの形をしていた。
だが、実際は余計な機械部分を取り除けば、コアはこの、簡素な指輪。
制作者である我が尊敬する人を良く知る私の師匠から、ある程度の話は聞いていたので驚きはしない。
『アレが作ったディバイドは多くあるけど、エメラルド・タブレットシリーズだけは特別製なのよ。外の機械はほとんどが付属品。中に隠されているコアに使われているモノが、本体のようなものなの』
なぜ、そんな無駄な手間を?
そう師匠に聞くと、師匠は家にある家具という家具や食器、果てには自分が作った価値ある芸術品の数々をこちらへ投げつけて怒り狂った。ついには投げるものがなくなると、優雅さを意識する師匠に似合わない荒い息で、『思い出すだけで怖気が走るっ』と言って、部屋に閉じこもって一日出てこなかったので理由はわからない。
なので、そこらへんのことは考えても仕方がないとしても、この指輪は、あの時八島が使っていた同じ機能を有している。近くに倒れている不良たちの酸素不足で気絶させることはできたのは指輪の力。
――――しかし、それは本来の機能の一端に過ぎない。本当の力はそんな程度ではないのだ。
「さぁ、行きますわよ」
持ち上げていた腕に力を込めて、手で“掴む”。
「っ!!」
目の前で、“彼女”が新たな水を魂を削るように生みだし、展開。
「……そういえば、貴女のお名前をお聞きしてませんでしたわね」
水は何層も重なり、彼女を、いや、彼女の中に潜む“私”という存在を守ろうとする。
話ながらも魔力を練り上げて“四大の慈悲 ”へと流す。これはこのシリーズ共通のものだが、かなりの魔力を消費する。その魔力消費を抑えるのが外装の目的だったようだ。そのまま使うのもよかったが、実際あのままでは持ち運び難いし、まず美しくない。
「これが終わったらお聞きしますわね、かならず」
掴んだ、“存在”へ意思を“伝える”。
「我が前に立つ本当の敵を打ち貫く槍を、我は欲す」
何も握らぬ手の中に槍があると空想し、さばき、振り回し、脇に構え、そして、“本当に敵”へと“穂先をむける。
手は空を掴んでいる。
そう、無色の槍を。不可視ではなく“無色”の槍を。誰にも見えない、そして私にも見えない槍。
だが、しっかりと重みを感じる。そこに集まっている実感が確かにある。
「抉り“貫”け、空槍・一文字」
彗星の名を冠する槍は、私の意思とは関係なく、ジリジリと穂先を動かし、“敵”の位置を探りはじめる。
「“四大の慈悲 ”は、酸素や気体といった見えない元素レベルの存在に干渉するディバイド……ではありませんわ」
その間にも敵は、水の城塞を築きあげ続け、たかが槍一本では貫けぬ厚さに達していた。
敵に魔力を生み出す機関として使われる彼女は、肉体の限界が来たのか気絶しているようだ。白目を剥いて、口からダラダラ涎をこぼして、私の話を聞いてもいない。
別にそれでもいい。なにせ、私は“敵”に語っているのですから。
「目に見えない存在という点では誤りではありませんわ。でも元素とは別。非金属性元素に近く、そして虚空素の隣人とされる彼らは目に見えない存在にして自然の摂理に干渉する存在――――」
実際には、その存在が確認された例はない。だが、彼らと交信し、力を借り受ける魔術師がいる。
太古から存在する彼らの王と契約し、自然の摂理に干渉し、四大属性を操る彼らを“精霊”術師と呼んだ。
「――――“精霊”。四大の慈悲 は、その精霊との対話と祈祷を行う魔導機械機構」
相手は驚愕もなにもない。私はそれでも語る。
“お前のやっている抗いは無意味だ”と、語るために。
「精霊魔術は、意思をそのままダイレクトに精霊に干渉させ、事象を起こす魔術。それ故に、ある性質があると聞いてます。それは、自然法則への意識干渉。言ってしまえば、物理法則を自分の意思のみで捻じ曲げられるのですわ」
この世界での魔術は、すべて世界の法則を捻じ曲げ、引き起こすものだが、それには準備と、かつそれに見合う、もしくはそれ以上の鍛練と技量が問われてくる。精霊術は、法則とも近しい精霊に願い、発動させるものなので、それが比較的安易で発動にも時間はかからない。と、理論ではわかっていたつもりだった。なので昔は、なんてお手頃なのかしらと、他人事のように考えていた。
だが、実際はかなりしんどい。ケセドの発動に使う魔力を含め、できるだけ多くの精霊に“願う”のにさらに魔力を消費し、意思での物理法則干渉をするために吐き気がするほどの精神力がもっていかれた。たぶん、この後すぐにでも倒れる。いや、倒れて寝たい。
その結果から生まれた“敵のみを貫く槍”は、完全に敵を捉えたと手ごたえで伝えてくる。
さぁ、茶番は終わりだ。
「今の説明、理解できましたかしら? 存分に、抵抗を。できれば、ですが」
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!」
彼女が絶叫した。いや、敵が吠えたのだ。自分を殺すにたる武器が来る前に、相手を殺さなければと、水の槍を一本、壁から生やすように射出する。
私は一歩、踏み出す。
若干、斜めに、だが、前に。避けるようにだが、後、横には逃げない。その方向に逃げたくない。時に現実から、別の道や後ろへ逃げたくなる時は必ずあった。だが、何時までも逃げていては、どこにも行けない、ただ世間の風に流され、風化した風景に辿り着くのだけはイヤだ。
だから、前だ。水の槍が頬を裂き、血がしぶこうとも、この一歩を乗せて、槍を突く。
槍が向かう先には重なる滝のような水の壁。どんな槍であろうと壁の先の対象に届く前に水圧で潰されるだろう。
水の向こうで彼女を介して敵が笑う。
そんな敵を私は嘲笑う。
「ハッ。笑ってる暇がおあり? 言ったはずですわ、この槍は精霊の槍。加えた意思を物理法則を超え体現させるのだと」
敵の笑みが消える前に、水の壁を“まったく介さず”に、彼女の体が突き飛ばされる。
手ごたえが、あるイメージとなって頭の中を駆け巡る。彼女の体内を細胞をまったく傷つけることなく、突き進み、頸椎の裏側に隠れるようにいた“ソレ”を見つけ、吸い込まれるように突き刺さる。
「ヒット、ですわ」
“ソレ”は呆気なく、悲鳴すら上げずに、刺し貫かれ、体内に残ることを許さぬように分子レベルにまで分解され砕けて消えていった。
彼女が気絶し、地面へ倒れる。
展開されていた水の壁は、重力にコントロールを奪われたかのように流れて崩れはじめる。量が量だったのか、朝霧のような霧が周囲を包み、私の体と髪をしっとりと濡らす。
「……あら?」
水の中に倒れた彼女をふと見た。あのホラー映画のように顔を覆い隠していた長い黒髪が水で持ちあがり、隠れていた顔が露出している。
その調った顔立ちと、童顔と言ってもいい位置の低い目、長いまつ毛と、スラリとした眉――――
彼女は自分が醜いと言ってたはずだが……
「……どゆこと、ですの?」
私は一人で、キョトン、と首を捻った。
――――もっと単純に言えば、彼女は美人だった。
視点変更 12
雷を討つ。
そんな気分だ、と考えると、割とシニカルな笑みが薄く浮かんだ。
「ガアアアアアア――――」
宗太、雷の方は怒り全開にして突っ込んでくる。もう必殺技名をつけもしない。もしくはできないぐらい“侵蝕”されたか……
(結局、できなかったカ……)
宗太にダメージがあまりないように、“敵”の位置を戦いながら調べようとしていたのだが、結構ピンチだったので、そんなことしてる余裕はなかった。
そして、今現在も後悔している暇もなさそうだ。
「――――アアアアアアアアアアアッ!!」
先ほどの雷球など児戯だと思わせるほどの雷の太陽を纏う宗太が接近する。
速度は先ほどの特攻を幾度となく見て、目が慣れてしまった自分には遅く見える。いや、事実遅い。
あの攻撃は感情のままに力を放出しているだけの、暴走だ。
だが、暴走だろうとなかろうと、力は力らしく。周囲に巻き散らかす放電現象がパリパリと身を焼き、鋭利さを増す電気は、僕の右まぶたを焼き切り、右の視界が赤く染まる。未だ距離がありコレなのだ。直撃すれば防御など無意味。
「ふぅぅぅ」
動揺を体からぬく様に、小さく息を長く吐く。落ちつく心とともに、剣を構えを“解き”――――
――――剣を、地面へ突き刺して、武器を持つことを止めた。
「ッ!! ふざっけんなぅ!!!」
大抵の場合、戦意を喪失したと思われ、攻撃を止めてくれるが、宗太にはナメられたとでも勘違いしたようだ。攻撃の威力を増すだけ増して、足を止めることはない。
別に舐めている訳でもないし、ましてや戦意喪失などあるわけない。
ただ、ふと思い出してはいた。
この“技”を教えてもらった時のことだ。
『ダルイよ、自習でもしてな』
ぶっきらぼう過ぎる若いシスターがいた。
僕が所属する騎士団には、教会があった。元々、修道会と密接に関わっていた騎士は多く、かつての騎士修道会の流れもくんでいたとかで、形だけの教会が本部の中にはある。
ただ、祭る神はなく、とりあえず信じる宗教があれば祈ってもいい、という本場の聖職者なら問答無用で異端扱いしそうなほど適当な場所。
そんないい加減でも内装はしっかりとした神聖さを何故かもっている不思議な場所で、僕はエクソシズムについて教授してもらいたく願ったのだが……
『アルバイン、あんたは巡回騎士になりたいからエクソシストの技でも知りたいんだろうけどね、あたしにはまっったく、どうでもいいんだ。わかるね? わかれよ? じゃあ、エロ本でも読みながら、子種無駄に吐き出して、そのまま気絶するように寝な』
なんて不良シスターだ、と思ったが口には出さない。余計な災厄を生まないように言葉を考えて使うことを知っていた12歳の夏。
僕は希望していた巡回騎士の認定試験に苦手なエクソシズムがあるため、なんか教えを誰かに請いたかった。そこで彼女が対魔に関しての技術がズバ抜けていると養父がよく口にしていたことだけに、僕は喰い下がり、スライムも同族と認めてくれるかもしれないレベルの粘着質で三日付きまとった。
結果――――
『わかったよ、クソ野郎。……ったく、執着してくるレベルがシルバと似るんじゃないよ、まったく……』
なんとか了解を得たが、10分後に彼女はある解を出した。
『あんたに悪魔払いは無理。やめときな』
諦められてしまったのだ。だが、巡回騎士には悪魔払いの技術は必須であり、試験に実技をやらねばならない。そう言ってさらに1日、スライムすら嫌悪を抱くであろうレベルでつきまとい……
『……わかった。もういい。教えるから、離れろ! ……いいかいっ!! あんたが憶えられる唯一の悪魔払いの術は一つだよ!」
ある、技を得た。
宗太の攻撃が近づいている。まずは――――
――――最近、ムカついたことを思い返す。
シスターの言葉が頭に響く。
『大抵の悪魔払いは、その悪魔に対応した聖書の一節を解く事で、相手の正体を暴き、宿主から追い出す技だ。とりあえず、これは頭に“入れないでいい”。流派なんかも今は色々あってね。めんどうなんだよ』
最近、いろんなことがあった。
撫子は家出。
ローザは、自覚のない恋の病。
進は、自暴自棄ぎみ。
ボクは、自分の中には、殺人鬼の才能があると通告。アッハハ! マジかよ。hahaha! 信じられネ!
『おっ、今変じゃないかって思ったね? 正解だよ。なんで悪魔を、そんな言葉で追い出せるのはオカシイとおもったんだろ?』
とりあえず、どれでもいい。
『そもそも言語の違う魔界の生き物に、語りかけても、騙られるだけなんだ。でも、悪魔払いは成功する。……どうしてか、わかるか?』
“怒り”に変えろ。
『言葉じゃないからさ。悪魔、憑依型魔族を追い出す力は言葉じゃなくて、“感情”なんだよ』
最近……
『言葉と、それにのせた感情で対象者を揺さぶり、精神と肉体の不安定を生み出す。そこを一気にシンクロ状態から引き剥がすか。もしくは揺さぶり続けて、魔族が逃げだすまで言葉を放ち続けるんだ。二週間ぐらい訳のわからん言葉攻めを受ければ、さすがの悪魔も逃げだすか、嫌気がさすんじゃない?』
最近ッ……!!
『アルバイン。あんたに言葉責めは無理だよ。なにせ、あんたは騎士。言葉より剣で語りな。言葉ばっかの男なんて気持ち悪いんだよ』
最近ッ……!!!!
『そんなお前に合ったやり方を教えてやる。いいかい、まず――――』
最近っ!! っというか、今さっき!!
『歯ぁ、噛締めて、その時に一番強いと思う感情を……そうだね、怒りとかなら割と簡単に溜まりやすいね。その感情を――――』
「しねっ!! この悪役っ!!!」
宗太の声がもう近い。そもそも、いつまでコイツはヒーロー気どりなんだ。
ヒーローなんだろ? だったら、歯を噛締めろ。怒れる男の言葉を受け止める度量があるよナッ!!
――――その感情を込めた魔力を、握りしめた拳に集中!!
『自分の不満を込めた言葉と一緒に、聞く耳持たずに相手にぶちかませっ!! あんま力はいれるなよ、最悪、殺人になるから』
狙うは、的が多い腹!!
「|ボクの前で、恋心に浮かれんなっ! あと、自分の撒いた火を消し忘れてますよ、錬金娘ェェェッッ!!」
下から抉り込むように、拳をすくい上げる。
体が近づくたびに体に電気が走り、火傷を生むが……知ったことかっ!
「我が感情に、ぶちまけロっ! 棲なる一撃ォッォォォォォォッ!!!!!」
痛恨のカウンターボディーブローに、宗太の体がくの字に折れ曲がる。
「ッッ――――」
入った。キモチガイイほど、ズドンと、完璧に。込めた魔力を打ちこんだ衝撃が空気を伝わり、炎をかき消す烈風を生みだす。
「ッッカハァ!?」
振り上げたアッパーの威力を受け、そのまま宗太の体は放物線を描くように、宙を逆走して、地面へと倒れてガクガクと痙攣し始める。
棲なる一撃は、もともと複雑な技ではない。単純に感情が乗った自分の魔力を相手に叩き込み、一種の“魔力酔い”を引き起こす打撃技だ。
「っっぁぁ、オォエェェ―――」
魔力は毒素の様なものなのだ。世界の現象を捻じ曲げる力を秘めた力の流れは、体内にあるだけで世界を汚染する呪詛にも似た呪いを発生させ、体を蝕む。魔力酔いはその一種で、無駄に多くの魔力を錬成したり、濃い濃度の魔力が満ちる空間に長く居続ける、もしくは、自分の魔力の波長と全く別の波長をぶつけられるなどして起こる車酔いに似た現象だ。
僕がしたのは一番最後、別種の波長を打ち込む手法。これなら対象者へのリスクは少なくてすむ。ただ、寄生体の場所を的確に打てば、さらにリスクは減ったはずだったのだが……
「おぉあ……ゲェェェ……」
宗太は口から嘔吐を続ける。炎の周囲で見物を決めこんでいた連中は、吐き気を貰った様で、何人か気持ち悪そうにその光景から目を逸らした。
僕だけが、真っすぐに見つめる。嘔吐物の中にあるはずの“アレ”を。
「――――姿を見せロ、“敵”」
「おオぉぉぉぉっぉエえぇぁぁ……」
デボデボと、吐き散らかされる中、これまで以上に大きな声をあげて、“ソレ”が出てきた。
「これが……」
その異物を見た周囲の連中は怖気を憶えて血の気を引かし、吐きだした本人である宗太は、それを見て、さらに大きく嘔吐した。事実をしらされていた僕ですら、その姿に吐き気をもようした。
視点変更 13
「オオオオオラッ!!」
雄たけびを上げ、科布 永仕は突貫する。
その声に反応し、木が“しなり”、長い枝を鞭のようにさせ、叩き潰そうとしてくる。
左右前後にステップを踏みつつ、獲物の喉元に着実に近づいていく。
だが、木のひねりはさらに加速ししていく。
(生きるのに、必死か……)
どんな生物だろうと、まず生命の継続を最優先とするものだ。
それは自然の摂理にも等しい、真理でもあるし、それを否定するつもりもない。
だが、やり過ぎた。純粋な悪意をもつ人間によって生み出されたとはいえ、お前は自分らの生命の領域へ、踏み込み過ぎた。
他者が、自身の生を得るがために命を奪うことは食物連鎖の必要悪だ。人間も自分たちの存続のために家畜や魚を殺して食らう。オマエも同じだというのかもしれない。
だが、オマエはやり過ぎたのだ。人は食らった命に感謝を述べる。それが気持ちを込めぬ合図になろうとも、その言葉の意味は今でも継承されている。だが、お前は何をしている。
糧だといわんばかりに人に絡みつき、養分を得ながら生殺し、礼だと言わんばかりに脳内麻薬を過剰に分泌させ、偽りの幸せを与える。それは魂の汚染。生命の尊厳を踏みにじる醜悪なる行為。
木よ、悪意の概念すら持たぬかもしれぬ生よ。かつて悪意ある人間たちの領分へ引きずりこまれ、尊厳を奪われた銀狼が教えてやる。生命を自分勝手に弄んだ者の末路を。
(しかし、だ……)
気になるのは、木の根元に囚われるている数名のこと。
あの木を切り裂く事はできる。あの太さでも、何十回と裂けば、切り倒せる自信があるが……
6メートル近くある木が倒れれば、押し潰されて彼らが死ぬかもしれない。それ以上に、感覚の共有がなさえている可能性も考えられる。それではいけない。死なせてしまえば、本末転倒もいいところだ。
その点も踏まえて出せる答えは一つ。
(一撃で木を破壊する。それも根元に近くから、先まで一気にッ!)
答えが決まれば、即行動。かすり傷は許容する覚悟で、乱打される枝の鞭の領域に踏み出す。
一歩、二歩、三歩目で腕がもぎ取れるかのような衝撃が走るが、奥歯を噛締めて、さらに一歩。
誰かが言うかもしれない。
囚われている者を見捨てれば、今の痛みはなかったかもしれないぞ、と。
誰かを救うをということは、その者が受けるはずだった痛みを負う可能性があるということだ。
誰かを助けるということは、手を伸ばして救う単純なものでない。自分の責任に、相手の責任を背負うということなのだ。
誰にだって、ましてや見も知らぬ他人のために、それをおこなうことは、相当の覚悟を必要とする。
俺にはその覚悟があるか? そう問われれば――――
「――――ある、なしじゃ、ダメなんだよ、俺は」
俺はかつて一つの家族と、一人の少女を見捨てた。その後悔が今でも胸を焼き続けている。
そんな俺は二週間前に、その少女に逆に救われた。
未来を大切にしてほしい、そう彼女は、俺達に願ってくれたのだ。
そんな俺が、目の前で人外に凌辱される人々を見捨てるという事は、彼女がくれた救いへ侮辱に等しいではないか。
だから、こんな痛みは苦ではない。こんな痛み程度で、立ち止まってはいけない男なのだ。
「スゥ……」
跳び抜けながら、息を吸い込み、“溜める”。
一撃で仕留める。
喉笛を噛み切り、獲物を仕留めるのは狼の専売特許だ。
だが、あの木の太さでは自慢の歯並びでも噛み切れん。
ならば。
「ゥォォォォォォオオオオンッ」
犬の雄たけびにも似た吸音を轟かせ、俺の口の中に、魔力で変質させた空気を溜めこみ、増幅。
この技を暇つぶしで俺に作らせた男は、この偶然、犬の声に似てしまった吸気音に爆笑し、ふざけた名を付けた。
距離が足りない。もっと。
もっと近くに。
近づくたびに増える傷。
近くづくたびに、増す木の殺気。
残り、3メートル。
残像を生むかのような回避を経て、一気に飛び込み、木の根に爪をたて、ガッシリと掴む。
掴んだ手の下から木の枝がもり上がり、手の平を貫く。
痛みが酷いが、丁度いい。これで、もうお前から離れることはない。皮肉下に口元を曲げた後、口を大きく開いて、呼吸器に満ちる空気を吐きだす。
食らうがいい。我が友が作り、名付けた。言の葉の打撃。
「オオォォォォッォォォォンッ!!!」
振動系魔術“犬砲”。
衝撃とは別の、高周波に似た咆哮が分子結合に喰らいつき、破壊する振動波が直接、木の幹に“響き”渡る。
部屋の中が震える。部屋に溜っていたである埃や、壁の表面が削られ、粉塵をまき散らす。
「……ふぅ」
手を木から離す。突き刺さっていた枝から抜き取った傷口が開いたが、まぁいい。
スタッ、と着地し、木を見上げる。
木は、真ん中から先は健在。いまだミドリの葉を生い茂らせている。
その部分だけは。
「終ぇだ」
真ん中に出来た大穴の周りが、ブチブチと、それでいてゆっくりと、真ん中から折れ、倒れていく。
大きな音を上げ、木は倒壊した。
その音を木の断末魔のように感じながら、さらに粉塵が巻き上がる部屋の中を歩く。
根元まで近き、中を覗きこむと囚われていた人々が、みな憔悴しきった顔ではあるが息をしていた。
安堵の溜息をする俺の背後から数名がかけ足する音。音芽組の連中だろう。
「兄貴~!! ご無事で!?」
「ああ、俺はね。中の人たちは…」
「あっ、ああっ!!」
無事だ、と言おうと背後を振り返った瞬間のこと、根の中にいた女性が一人、苦しみに声を上げ、這い出てきた。
彼女のお腹は、大きく膨れていた。
「妊婦っ!?」
「ああああっ!!」
ジョバジョバと小水を出しながら、彼女の下部から何かが出てくる。
「まさか、赤ん坊が……!?」
「いや、これは……」
部下たちは出産のやり方など知らぬ童貞男共。彼らはたじろぎ、オロオロするばかり。
だが、俺だけは別の戦慄にたじろいでいた。彼女から出ようとする新たな生命は衣服に隠れて見えない。が、臭いだけする。非常に“青臭い”、醜悪の元凶のかおりだった。
「あっ……」
女性の緊迫した表情が、緩む。出た、合図だ。もぞもぞと衣服の中から“自分”で蠢き出てきたソレは――――
「えっ!?」
「な、なんだこりゃ!?」
「……そういうことか」
動揺の走る中、俺だけは納得した。あの木の威嚇と、この存在が合致したのだ。
今思えば、あれは繁殖期のメスが見せる行動。“子”を必死に守ろうとする母の姿そのものだったではないか。
「ど、どいうことでしょう、兄貴……」
「俺にも、“これ”の正体はわからない。見たとおりにことしかね」
口に出すのも嫌だったが、言わねば、皆信じられぬ光景から立ち直れない気がする。
「あの木は、人に……いや人の体に、虫の子を孕ませていた。という事実だけだ」
目を下に落とすと、地面に這いつくばる“幼虫”が、緑色の体から奇妙な生の産声をあげた。
視点変更 14
暗雲がまた月を隠した。
私がいる倉庫は屋根がない。そこから空を見上げた頃には、もう倉庫街のあちこちで起きていた騒音の数々は無くなろうとしていた。
決着がついたか、どうかすら、この場を動けない私にはわからない。
「……どうして動かないの、九重 撫子?」
自問自答しても答えは出ない。
別に私は鎖に繋がれているわけでもない。すぐにでもここから逃げ出せる状態。
なのに、足が、体が動こうとしない。私自身、どうしていいのか、わからないのだ。
進に会えばわかると、思いこんでた。
自分がどうしたいのか、なのだ実際。だが、どうしても、それがわからない。
そんなたった一つの答えを求めて、見上げた空から、何かが落ちてきた。
「え?」
ベチョッ、と黒い何かが、倉庫の外、ひらけた湾口の中央に、それは何所からともなく落下してきたのだ。
「え? あれ?」
それは、人の形をしていた。白いワイシャツとジーンズを着ているようだが、赤黒く変色していた。
季節外れの黒いロングコートはズタズタに破れてしまっている。
「なんで?」
自分の思考が信じられない予測を立ててしまったせいで、ノロマになる思考だったが、目をかき開くとともに、答えを導きだす。
「どうして……?」
あの全身血まみれの黒髪の男は、進・カーネルという存在ではなかったか?
「し、進っ!!」
悲鳴を上げて、駆け寄るために立ちあがる私。
その直後、同じく空から落ちてきた人型の存在が、凄まじい音と共に、未だ倒れる進をそのまま踏み潰した。
世界の動きが鈍くなったように見えた。
――目を見開いて事態を理解できない私は動きを止めてしまい。
――――腹部と右腕を踏みつけられ、体をくの字に曲げた進の体を突き抜けた衝撃が下へ伝わり、コンクリートの湾口を砕き。
―――――亀裂が海まで達したのか、砕かれた地面の隙間から水飛沫が飛び散る。
その中央に、立つ巨体。
進の体を踏みつけながら二メートル近くにまで達した体を誇示するように、立花 信は、叫ぶ
「ああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!」
耳を塞ぎたくなるような轟音。悲鳴にも似た怒りの感情を叫ぶ信。
それに呼応するかのように、彼の体が“もり上がっていく”。
細胞が暴走したかのような、変身。
怒りが具現化したかのような尖った、変容。
「信、くん……」
私は目の前の光景が信じられない。吸血鬼、魔剣、金狼……人外と出会った数はあれど、これは受け入れられなかった。
3メートルは超えているかもしれない白い肌の巨体、全身を隆々とした筋肉の鎧で多い、どこか鋭角な印象を強く持たせるフォルム。
そして、その体の上に乗る頭は、“牛の頭”。
狂気と怒りに染め上げられた紅い瞳を爛爛とさせ、牛頭人身の怪物は人ならざる声で咆哮する。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」
スローな世界を破壊するかのような声は、空を突き、天を裂いて、暗雲を払う。
かつて、海の神との約束を、ある王が違えたがために、神の呪いを受けた王の后が、ある怪物を生んだ。
怪物の名は、アステリオス。
だが、牛の頭を持ち、生まれてしまったが故に、彼はこう呼ばれた。
ミーノース王の牛、“ミノタウロス”。
“下”へ
お久ぶりです。桐織 陽です。
お待ちいただけた方がいるなら(チラッ)……
本当にもうしわけありませんでした!!
ここまで読んでいただけた方々に感謝を。
最近、友人に貸してもらった『巨悪学園』にハマった 桐織 陽より
あと、作中に出てくるアルバインの技は危険です。絶対にマネしちゃだめだす(エクソシズムの理論もオリジナルです。本家の方が読んでいたんら、スイマセン)。