2、彼女の暗雲
この物語はフィクションです。作中に登場する団体名・作品名・登場人物は別の世界のものであり、一切現実と関係ありません。
人によっては残酷描写等々と感じる場面もありますので苦手な方やそれらに嫌悪感がある方は注意してください。
2、彼女の暗雲
日本人には珍しい艶のある亜麻色の地毛が腰まで流れ、体つきは柔らなバランスの取れたライン。調った顔立ちは現在――――
「「「「撫子さん、おはようごさいますっ!!」」」」
朝の虚ろな目覚めなど一瞬で吹き飛ぶほどの総勢20名ほどから向けられる気合いの入った挨拶が、軽い衝撃波となって私へ向けて叩きつけられた。
「お、おはようございます」
――――調った顔立ちは、無理やりに笑顔を作ったせいで若干、崩れている。
来客の際に使う大広間は、質の良い藁でさし固められた畳が使われたお座敷であった。
庭先が見える広いこの空間には現在、威圧感の塊のような屈強なる漢たちが礼儀正しく鎮座し、一方向――――部屋の奥に相当する場所に座る私を凝視している。
緋色の和服に身を包んだ、九重 撫子をまるで威嚇するかの如く、見つめていた。
「お前ら、女性をそんな射殺すような目で見るんじゃない……すみませんね、九重さん」
「い、いえ」
私の一番近く、男達の先頭に座っていた岩のような巨漢の男、近衛 巌はたしなめるように背後に言い渡す。その言葉を受けて一同、困った表情になった所をみると、別に威嚇していた訳ではないらしい。
しょうがない奴らだと感じたのか巌が苦笑すると、スッと真剣身に表情を切り替え、正座のまま畳に擦りつける様に頭を下げた。
「九重 撫子さん、貴方の御父上と御母上を見殺しにしてしまったのは我々です……本当に申し訳ありませんっ」
それは俗に土下座という名の格好であった。
巌に続いて一斉に土下座をする男たち。
形式的だけと彼らは言うだろうが、看板を掲げ、かつ戦闘単位が多く在籍する時点で、この方たちは極道なのだ。
決して、軽々しく頭を下げることをしてはいけない人たちが、深い謝罪の念を込めて頭を下げている。
ここはソドム第17区にある音芽組の屋敷。
いつもと違う朝を迎え、いつもと違う空気を吸う。
そう、ここはあの事務所じゃない。
なにもかもが違う朝。
朝、目を覚ますと出会えるいつもの面々はここにはいない。
まったく違う朝。
あの白いカチューシャを付けていない、朝を私はこうして迎えた。
時は過ぎて夕暮れ時。
未だに私は音芽組邸にお世話になっていた。
「……ああ、心配いらないかな。それで、撫子の着替えをまとめて……」
木製の廊下を歩いていると、聞き覚えのある声が聞こえてきたのでそちらへと向う。
歩いても軋み一つ起きない廊下の曲がり角に彼はいた。
時代を感じさせる黒電話を耳に当て、壁に寄りかかりながら受話器でつながった相手と話していた彼は私の姿に気が付くと、空いた片手をそっと持ち上げ軽い挨拶をしてくれる。
180センチはあろう高い身長と、それが栄える長い足はさながら男性のショーモデル。温和さよりも野性味を感じさせる顔立ちの彼は、“ある事情”から長く伸びてしまったのであろう黒髪の半ば当たりを輪ゴムでまとめている。
彼の名前は、科布 永仕。この家、つまり音芽組の一員にしてこの組一番の“年長者”であり、なにより私の通う高校の同級生にして次期生徒会長である。
「では、すぐにそちらに伺うよ。え? そっちから? いや、“お前さん”に用もあるから。……うん、ではまた後で」
チンッ、という音を立てて受話器を元に戻すと、永仕は私の元へと歩いてくる。
「お待たせ、撫子。すまないね、朝は挨拶ができなくて」
「御気になさらないでください。……どこかにお出掛けだったんですか?」
「ああ。事件の後処理なんかをね。散髪にも行こうと思ったんだけど……たまにはイメージチェンジもいいかな、と思って行かなかったよ」
「ふふっ、似合っていますよ」
「ありがとう……それで、みんなとの話はついたのかな?」
「はい……」
音芽組の方々と私の間には浅からぬ縁がある。死んだ父がここにある養護施設出身であること。父と母の大学の先生が、音芽組組長代理の巌であること。
そして、後に私の養父となった吸血鬼ドレイクの策謀により、永仕の妹であるサヤに組の方々と、私の実の母と父がの命を天秤にかけられ、結果的に私たち家族を見殺しにしてしまったことだ。
組の人達、そしてこの永仕はそれを今でも心の傷として抱え込んで生きていたことを知ったのは、昨日のこと。
10年以上の長い時間を悔やみ、人質に握られたモノの大きさから私を助けることすら許されず、ただ耐えるだけしか許されなかった彼ら。
だから、彼らは頭を下げた。今はもう過去のことになってしまった罪に安易に下げては無いらない頭を地べたに擦りつけたのだ。
そんな彼らを私は簡単に許せてしまう。本心から気にしてない。
それが問題だった。
彼らの抱えた者を一瞬でなくせると言うことは、つまりその感情を無視し、軽々と蹴りつけてなかったことにしてしまうのと同義だ。
それはダメだ。なによりそんな失礼なことできない。
だから、私は……
「“私への罪悪感は持ってくれてかまわないけど、それを理由に自分たちの幸せを無くさないでほしい”と、お願いしました」
一瞬で苦悩を軽くしてしまうのではなく、徐徐に重しを取っていこうと決めた。
それが私にできること。最善ではないとわかっている。だが、怨むことで相手を楽にすることができない私にできることがあの答えであったはずだと信じる。
あの時、あの月の下。たった一人で強大な吸血鬼に立ち向かい、死んですべてから逃げようとした私に見殺しにした人間たちの怨みを受けながらでも、それでも笑って生きる生き方をしてみせろと暴力的な言葉で教えてくれた男もきっと、きっと……そうするのがいいと言ってくれるはずだ。
「――――――」
その……はずなのだ。
「―――――こ」
でも……あの時の彼と、昨日の屋上にいた彼は同じなのだろうか?
「しこ……撫子!」
「ッ!? は、はい!?」
「どうしたのかな? 急に返事がなくなったからビックリしたよ……」
「す、すいません。考え事をして、いまして」
「? うん、まぁ大丈夫ならいいんだ。それで、あいつら何て返事したのかな?」
私が上記した言葉を伝えると同時に、その場の全員が一度俯き、間髪入れずに顔をあげたら号泣していた。
『お嬢さん……いえ! 姉御ぉぉ!!』
『え、あの私、皆さんより年下……』
『そうだぞ、テメェら! お嬢……わぁ、もういるな……じゃぁ女王様!』
『私、庶民ですよ!?』
『じゃぁ、どうする、お前ら?』
『『『女帝とかどうだっ!』』』
『あの、せめて“ちゃん”とかでお願いします……』
『それだっ!! 撫子ちゃんさん! 俺は、俺達はこんな良い子を不幸にしていたのかっ!』
『語呂悪っ!? さん、はいりません! って、きゃぁぁ!!?』
『お前ら撫子さんに飛びつくな。泣きつくな! セクハラだぞ! やめねぇか!』
『助けてぇぇ! 巌さん!』
私の悲鳴は数十名の男達の波に打ち消された。
「……ありがとう、と……飛びつきながら、みんな言ってくれました」
「……ずいぶん、揉みくちゃにされたらしいね。あとで注意しておくよ」
注意なんていらない。なによりこの組の人達が父の兄弟に等しいというのなら、私の家族、親戚に近い人たちなのだ。そんな人たちがいてくれたというだけで感激であり、私の存在を嫌がらず、迎えてくれた彼らに感謝したいくらいだ。
まぁ、あの手厚過ぎる歓迎で頭をぶつけもしたので、注意ぐらいしておいてくれるとうれしい気もするので黙っておく。
「それで、今の電話は?」
「ああ、進のところにだよ」
「!!」
ドクンっ、とその名前を聞かされた瞬間に心臓が跳ね上がった。
後ずさってしまった私を怪訝な、それでいて何かを見定めようとする目で永仕がこちらを見つめる。
「…………今から、君の衣服を取りに行こうかと思ってね。それに、夏休みの中日には登校日もあるからね。今の内に取ってくるよ」
「そんな……ここにお世話になる……ことは……」
「じゃあ、君は“今の”彼と会えるのかな?」
「っ!! そ、それは……」
「嫌だろ?」
「嫌なんてっ!! ……す、すいません大声を出してしまって」
「すまない、俺も間違ってた。撫子、君は――――」
永仕は、間をおいて集中を言葉へと向けさせる。これは重要な事だと意味合いをつけるように。
「君は、自分がどうしてあの時の彼を否定したのか、わかっていないんだろう?」
「……え?」
その言葉の意味がわからなかった。
私が進を否定した?
「私、は別に否定、なんて……」
「それにも気がついてなかったか……まぁ、いいさ。別に音芽組が嫌ってわけじゃないだろう? ここならゆっくりできるし、君があの時の彼になにを感じて、君がどうしたかったのかを考えてみるといいよ」
そう言って、玄関の方へと歩いて行ってしまった永仕を私は止めることができなかった。言葉を返すことも、反論することも。
(私が……私はあの時、なにを?)
あの時、新東京のビルで、なぜか進が危ないと感じて私は彼の元へ走った。
そして、行き着いた屋上で見た彼は無事だった。
そう、怪我ひとつなく。ただ敵でコートを血で染め上げ、狂気の笑みを浮かべていた“だけ”だ。
そんな進を見た私は――――なにを思った?
わからない。
ただ、涙が溢れて、あの時感じていたはずの心のままに言葉を紡いだ。だが、自分が言ったはずの言葉なのに、思いだすことが――――できない。
悲しかったのか、嬉しかったのか、怒ったのか、それすらも、わからない。
私は一体、なにを否定して――――
「おや、撫子ちゃん。どうしたのかね?」
「あ、いえ、巌さん。なんでもないんです」
廊下で棒立ちしていた私に心配そうな声をかけてくれたのは近衛 巌であった。今まで、“さん”付けであったのが、“ちゃん”に変わり、口調もだいぶ硬さが無くなったのは先ほどの私の答えの成果だろう。
「? 今まで永君がここにいませんでしかたかな?」
永君とは、永仕のことだ。この音芽組の者でも彼を君付けで呼ぶのは彼だけだ。永仕の正体はおよそ二百年ほどを生きた人狼。見た目は私と同年代の若者でも音芽組創設から今日まで組を支え続ける男である。
それを永君と呼ぶことを許しているということは彼らの間には深い絆の様なものがあることが感じられた。
「ええ、さっきまでここに。これから私の服を取ってきてくれる、と」
「あぁ、そういえば行くと言ってましたな。それにしても……」
「? なにか気になることが?」
「いえ、ね。永君が“お前さん”と誰かを呼ぶのは久しぶりでしてね」
「お前、さん?」
「この家と私は魔術的に契約関係にある。家の物音やれ、電話の声なんてものが結構、聞こえてしまうんですよ。言ってませんでしたか?」
「はい、たしかに電話をしていて、お前さん、と言ってました。それがなにか?」
「お前さんと彼が呼んだのは、私が知る限りたった一人。彼が信頼した男、先代音芽組組長だけでしたので」
「先代……」
会ったことはないけれえど相当人望の厚い人物であったのだろうと、語る巌の懐かしむ声でわかった。
永仕がお前さんと呼んだ男はきっと、あの紅の瞳をした男だろう。
永仕が認めた男の呼称として使う名にふさわしいかどうかは、迷いの中にいる自分には判断ができない。
「しかし……なるほど。うむ。進君なら、きっと永君の良い友達になってくれるはずだ」
「進が……ですか? 進は……」
「? どうかしたのかね、撫子ちゃん?」
「んん~、シン?」
私の棘が生えた言葉に疑問を持った巌の背後から、目覚めたばかりのような柔らかな半覚醒状態の声が聞こえた。
巌の体に隠れてしまっていたのでのぞき見ると、そこには小さな女の子がお昼寝でもしていたのだろう、眠い目を擦りながら壁際に体を擦りつけながら歩いてくる姿があった。
ツヤのある灰色の髪を背中まで流した小柄な体格、くりくりと大きな目に調った顔だちの美少女。見るからに抱きしめたくなる衝動を引き起こす可愛らしいこの娘の名は科布 サヤ。
先ほどまでいた科布 永仕の妹にして、彼と同じ人狼。彼らの種族が持つ固有能力の完成系にして始祖の力をその身に宿した、神様に等しい存在である……らしい。私にはよくわからないが、ローザが熱心に説明してくれたので、きっと凄いのだろう。
それに、この愛らしい彼女を見て誰もが神様云々の前に、一人の可愛い女の子として愛してしまうだろう。
彼女はポテポテと体を揺らしながら、巌と私の元へと近寄ってくる。その姿、まさに生後一か月程度の犬か猫。
「イワオ、イワオ。シン、いるの?」
「え? いや、いないよ、サヤ。でも、撫子ちゃんが今日から泊まってくれるそうだよ」
「っ! ホントっ! ほんとっ!? 本当っ!」
今までの眠気たっぷりの顔がパッと消え去り、明るく幼い笑顔が花咲く。
だが、私はそこまでお世話になるわけには……
「……あの巌さん、私は……」
「えっ、なでしこおねえちゃん帰っちゃうの?」
「そんなことないよ、サヤ。……撫子ちゃん、今の君はまだ帰らないほうがいいのかもしれない」
私がここにる経緯を聞いたのだろう、断言する巌にそれでもと私は拒否しようとしたが……
「巌さん……でも」
「今のあなたが帰ったところで、嘘の表情を張り付けて秒数刻みの悩みに苦しむだけかもしれないよ。少し離れて考えるのもいいと思うし……話を聞く限り、きっと答えは彼のそばにいては見つからない。いや、同じ状況でもない限り見つかりっこない」
「同じ状況?」
「そんな状況を彼は望まないでしょう。あなたも見たくないはずだ。ならば視点を変えるか、他の方法しかない。誰かに聞くなんてのも意味がない。状況と客観からの視点でわかることは、その感情の欠片だけだ。他人もその瞬間の九重 撫子の感情などわかるはずないのですから」
なら一体――――
「私、どうしたら……」
「それがわかるまで此処に居ていいんですよ」
巌は私に孫の影を重ねているかのような優しくほほ笑んだ。
道に迷う少女に答えを導くための問題を出すように。
「けれど、此処にいる間は悩む時間ではなく、彼のことを、進・カーネルという男を思う時間にしなさい」
「え?」
「きっと、それが近道だよ。……さぁ、二人とも今日はゆっくり休むといい。後、着替えは当分安心していい。身の回りの世話やなんかも組にいる女性たちに頼んであるからね」
そう言って巌はサヤを連れて去っていった。
暗さが増す廊下に一人、取り残されるように立ち尽くした私は、数秒間の思考の後に貸された部屋へと向かって歩く。
答えはすぐにでない。
あの時の感情はどんどん薄れていく。
部屋についた瞬間、急激に襲い掛かってきた睡魔に逆らえず、一人で使うには割と広く、美しい部屋に寝転がり、寝息を立てていた。
夢に落ちる寸前、一人の男の事を思った。
少し癖のある黒髪、二枚目な顔立ちだが、目つきの鋭さで半減した三枚目。体は割とスリムであんな巨大な大剣を持っているとはにわかに思えない引き締まった体つきの男。
吸血鬼に育てられ、喰われるだけだった私に人生の起点をくれた、意思と力に満ちた男。
そのはずの男。
今は断言ができない。
あの時の彼は、まるで……
(まるで……なんだった?)
睡魔がこちらに呟く。どうせわかりはしない。今は寝てしまえ、と。
私はそれに従って、おちた。
視点変更 1
「たっ、助けてくれっ!!」
暗闇が支配する路地裏に引き込まれた男性の絶叫が響いた。
酒が入った頭で、一緒に飲み屋をハシゴしていた同僚が消えたことに気がついたのは、その数十秒後。
終電の出発が近いと、頭がロクに回らなくなった俺を担いでくれた同僚といきなり強引に引きはがされたために俺は地面に倒れるはめになった。
文句の一つでも言ってやろう、そう思って辺りを見回した後に、同僚のと思わしき悲鳴が新東京の夜に響き渡ったのだ。
俺は一瞬、受け入れがたい事実に思考を止めてしまった。
俺達はフツーのサラリーマンだ。朝の満員電車に揺られ、上司の辛辣な部下潰しに耐え、ノルマをこなすかして、残業やりきって家へと帰っていただけなのだ。
デジタル放送の波が伝えてくる傷害事件など、まさに画面の奥の別世界での出来事のはずだ。
そんな泣きごとの間にすごい風が辺り一帯を薙いだ。
倒れ込んだ俺は、夢から覚めたように道のすぐ近くにあった同僚が引き込まれたはずの路地裏へと急いだ。
そこには……
「ぅぅっ、うぅぅぁああああああっ!!?」
視点変更 2
「……で、真っ二つになっていた友人の姿がそこにあったてか、青リンゴ共」
「はい。死体を見た俺らから言わせてもらえば、腹を抉り取られた、でしたが」
時は深夜。針が二時を指している真夜中。薄暗いフロアの奥に居座る老人と、ついさっきに起きた事件を報告する男が二人。
報告する一人、童顔の男が溜息を付きかけ、止めた。不謹慎であり、なにより自分たちが何とかできる立場にいるために悔しさもあったのだろう。重い声をあげる。
「これで、7件目……しかも、今回は完全に殺人事件です。犯行はエスカレートしてます。なんとか、しないと」
「金田一、気持ちはわかるが、そう自分を責めるな」
「でも……先輩……今日、俺が巡回してたのに……」
童顔の男、金田一 次郎は元、俺の部下であり、現在は同僚なのだが、刑事時代の名残で、俺の事を先輩と呼んでくれている。
俺、鷲鼻の男にして元刑事、明智 草十朗は心の中で溜息をつく。とてもじゃないが、今は肺から溜息つくことはできない。
現在、俺達は最近多発している連続殺傷事件を追っていた。もう刑事部でない俺が調査しているのは、今回の案件は新たに配属された部署の管轄内であるためだ。
外異管理対策部。それが今、俺がいる部署の名だ。
常識が通じぬ事件を受け持つ、独立した公営対魔機関だ。
自分で言ってても恥ずかしくなる時があるが、実際にお伽話のような魔法や化物がこの世界には溢れている。それは人目を避けて、だが確実に人間社会に溶け込んでいた。
普通の人生を歩んでいた俺もついに今年の春、ある事件でそんな摩訶不思議な世界へと足を踏み入れるはめになり、刑事人生を強制退場させられた……まぁ、無職にならなかったのが唯一の救いであるとして理不尽に耐えたがな。
この部署の仕事はやはり少なく、一年に小さな事件が何件か程度だと、先輩にあたる若者から言われていた。
配属されてもう3か月。だが、まさかこんなに早くデカイ事件に出くわすことになるとは思ってもみなかった。
そんな事件の始まりは二週間前、廃線した路線の高架線が何者かにより破壊されたことから始った。
老朽化と耐震性に問題があった場所ではあったこともあるが、現場に残されたメッセージにより事件性ありと警察は判断し、調査を始めた。
その二日後、類似したメッセージが残された傷害事件が起きた。被害者は三十代の会社員の男性。深夜に帰宅途中に鋭利な“何か”で腕を切り裂かれた。
その三日後にも犯行は違えど類似した事件が発生。警察は大掛かりな人員を投入し、深夜の帰宅規制等をかけた。しかし、事件は続いた。止めることすらできず、異常なほど犯人は証拠などを残ず、未だに凶器すら断定できていない。
その後は間隔を開けつつ事件が多発、連続傷害事件として正式な報道がなされ、情報を募った。
ただし、報道で残されたメッセージが世間に広がるいことは奇跡的になかった。
しかし、事件は一変した。完全な殺人へと、だ。
「このままじゃ、警察上層部も情報提供のために、“彼”の名前を世間に出すことになるかも……」
「その情報提供が、犯人の死亡届にならないことを祈るよ……」
俺は冗談を言うように言ったが、実際は本当にそうなりそうだったので、この事件の早期解決を望んだのだ。
「まったく、どうしてアイツなんだ?」
現場に残されたメッセージ。それはある人物の名だけが共通して残されていた。
始めは探し求めるかのようなメッセージだった。それが事件が進むうちにまるで犯人だとでも言うようなメッセージに変化して言った。
「その彼……進・カーネルなんじゃがの、近いうちに容疑者として“指名手配”される予定らしい」
「指名手配!? どうしてなんです?」
「なにもかもが不明の若者なんじゃ、仕方ないじゃろ? それに、タレコミがあったそうじゃよ。咲那ビル事件の犯人が彼だという情報が」
「不味いな……」
咲那ビル事件とは、現在の事件と重なるように起きたヤクザ同士の抗争と思われる大量の死者を出した事件である。
火災事故という連絡を受けた消防がビルに向かうと、多数の“焼死体”として発見されたことで火事と報道されたが、死体の欠損具合と大量の薬莢、不自然な破壊痕が現場に残っていたために、事件性ありと判断され、今なお一課が追ってる事件である。
だが、俺の懸念はそこではない。
「おい、ゲンさん? “御姫様”とあの“変態紳士”にその情報を伝えてないだろうな? あの二人が聞いたら絶対暴れ回るぞ」
先ほどから俺達の報告を聞く立場にある外異管理対策部室長、腰が曲がり始めた初老の男、大場 源氏が困ったような面をした。
我ら外異管理対策部の戦闘力とも言うべき二人は話題の男、進と面識があり、どちらも深い感情を持っている。ただし、一方は深い嫉妬と憎しみの念であるが……
「もう遅いぞい。あの娘は、怒って手がつけられなくなるしの~。あのバカにおいては狂喜して武器庫からありったけのRPG-7を持ち出したから鎖につないで牢屋にぶち込むハメになったわ」
「…………」
頭が痛くなった。我ら外異管理対策部の戦闘力とも言うべき二人にもそうだが、今回の事件にもだ。
この事件どうしても単純な話ではないと、元刑事の感が告げてくる。
「ゲンさん、アンタは今回の事件をどう思う?」
「お前さんが考えている通り、類似した事件の割には複数の思惑が絡んでおるように見える、じゃろうな」
この人も同じ考えか。ならば……
「ならば、警察より先に進・カーネルを確保する必要がある」
「ええ、自分もそう考……」
「だから、二人で行って来い」
「え? ……ちょっ! ちょっと待ってくれ、ゲンさん!! 俺達二人で!? せめて、あの二人のどっちかを連れていかせてくれよ!」
「無理じゃ。二人には休暇を与えた。休暇と言う名の自宅待機を。バカの方は対策部が誇る封印の間に閉じ込めてあるから無理じゃ」
「……マジかよ」
「マジじゃ。さ、行って来い。ワシは帰る」
そう言い終わると、椅子に取り付けられたボタンを押し、どこぞの秘密基地よろしく椅子の下に入り口が開き、そこへとゆっくりと椅子が下へ向かって下がっていった。……アンタ、昔からそんなの好きだったな。
呆れてなにも言えなくなった俺に、金田一が疲れ果てた声で語りかける。
「どうします? 絶対殺人の容疑者として呼んだら進君、怒りますよ」
「わかってるよ……」
なんでこんなことになっちまったんだよ、と天を仰いで見ても天井があるだけ。
もの言わぬ天井を三秒見つめて覚悟を決める。
やるしかない。それがサラリーマンだ、と。
二週間。
あのビルの事件から二週間が経過していた。
この二人はしらない。
進・カーネルのところに、未だ彼女が戻っていないことを――――
次話へ
ジメジメとした夏、いかがお過ごしでしょうか? 桐織 陽です。
今回、最後の方に出てきた人達は、短編に方に出てくるキャラクターであります。こいつ誰ぞ、と思われた方、よろしければご覧になってください。
何人か未登場キャラの名前も出てきましたが、こちらも近いうちに出てくる予定でござんす。
此処までご覧になられた方々に感謝を。
最近、図書館にハマりだした桐織 陽より