1、雨後の暗雲
――――視点去来
その男の上には、いつも蒼い空が広がっていた。
『なーに辛気臭い顔してんだよ』
俺は目の前の海も、悪戯っ子のごとくわざとらしく向かってきた男にも目を向けず、ムカつくぐらい蒼い空を見上げて視線を外さないようにしていた。
なのに目線を逸す事のない俺の背を、バシンと叩き、許可もとらずに隣に座り込む。
この男のこんな所が俺は嫌いだった。
『ハッ、たった一つの失敗で何しょぼくれてんだよ。こんな世界だ、失敗して人が死ぬなんてザラだろう?』
この時、俺がどう返事をしたのかはよく覚えていない。
ただ、何かを言い返した記憶がある。
でも、思い出せない。
この時は俺が小さなミスをした、それだけを憶えている。
それだけ昔の、遠くもない記憶なのに。
ただ、何かの一悶着の後に男がいつも乗っている大型のバイクからソレを持ってきたことはよく覚えている。
『そういうときは、コイツだ』
ソレとはシンプルな円柱状の金属に黒いラベルが貼られた、俗に缶コーヒーと呼ばれるモノだった。
しかも、俺の様なガキには良さなどわからない無糖のブラックだ。
オヤジの奴が日本の会社が出している缶ジュースをどういう訳か好んでおり、施設の中で自動販売機がフル稼働している。その中の一つだろう。この男が売り切れになるまでまとめ買いをして、姉さんに怒られていたところを視たことがあった。
男はカシュッ、という小気味良い音をたててプルタブをつまみ上げ、一気に飲み干すように缶と頭を仰け反らせる。
ゴク、ゴク、ゴクと喉に流しこんだ――――
『ブゥゥッファッ!! 苦ぁっ!!?』
と、思いきや俺の顔面向けて吹き出した。
飲めないなら飲むなよ、と言う前にこの男がこの前、コーヒーに大量の砂糖とミルクを流し込まないと飲めない奴であったことを知っていたのに止めなかった自分にも非があるなと思ったので何も言わずに立ち上がって帰ろうとした。
『待て、待て! 悪かったって! 俺が何を言いたいかって言うとだな――――って聞けよ!』
後ろで逆に怒りだした俺より年齢を重ねているはずの馬鹿を放っておいて歩き出す。背後でわめく男は置いてあったバイクを取りに戻ったのか声が遠くなる。
再び、空をあおいだ。
自然と自分の中の後悔や悔しさが無くなっていると気がつく。
その事実に少し腹が立ち、口の中に入ってしまったコーヒーの苦さが原因なのだと決めつけた。
それほど、俺はあの男が嫌いだった。
それだけ、俺にとってあの人は――――
1、雨後の暗雲
ザーーーーと、激しい雨音が部屋の外から中へと侵入してくる。
そんな耳障りな音を、俺は部屋唯一のデスクに頬づえついて聞きいいっている。
一瞬、光が窓の外から入り、薄暗い部屋の中を照らす。
部屋の中には俺を含めて3人いた。
一人はデスクの椅子に座る俺、進・カーネル。
後の二人はデスクの前で立ち尽くしている、男女。
ローザ・E・レーリスとアルバイン・セイクだ。
二人はボロボロの衣服を着たままであった。
あの高層ビルから出てからは一時間ほど経過しているが何もない。明日のニュースの一面に嫌なニュースでも流れるかもしれないが、俺たちに何かが来ることはないだろう。
ヤクザ同士の抗争、そんな隠蔽工作がなされているはずだ。
二人は脱出するなり、アイツを追いかけたようだが……俺はそのまま家路へとついた。
俺は先に帰るなり、血まみれの体をシャワーで洗い流させてもらったので、真っ白なTシャツとハーフパンツの軽装だった。……血の染み込みすぎた衣服は残念ながら廃棄することにしてある。
「お前ら、そのままじゃ冷えるぞ。早くシャワーでも……」
「……シン。ナデシコはエイジの所で預かってもらっているヨ」
ザァンッ、と割と近い場所に落雷が降りたのか、唸るような轟音が響いた。
「……そうか」
「そうカ? それだけかイ?」
「……何が言いてぇ」
「迎えにいかなくていいのカッ、て言いたいんだヨ」
「アイツが勝手に出てったんだ。俺が行く道理があるかよ」
「ッ! キミはなんで彼女が出ていったかわからないのカ?」
「知ったことかよ」
「っ! キミがッ…!!」
「ま、まぁっ。落ち着きになって二人とも」
今まで怒りでも抑えていたのか、カッと目を開いたアルバインを静止するように体を支えるローザが明らかに無理をしている笑顔でこれ以上の混乱を抑えるように止めに入る。
「撫子の方は気持ちの整理ができていないだけで……数日もしないうちに帰ってきますわよ。だから、今は現状整理と……あと、壊れてしまった銃の……」
銃と発言して、デスクの上にまとめられた部品をみる。それは俺がいつも使っていた銀色の銃、デザートイーグルの変わり果てた姿だった。
パーツの一つ一つに欠損が視られ、明らかにいくつかの部品が見当たらない。
素人が視たってわかる。
もう元どうりには戻せない。
あの人と共にあった銃は、二度と。
その銃の破片にローザが手を伸ばしてくのを見て――――
「それに触るんじゃねぇっ!」
俺が急に怒鳴り散らしたことで、ビクッと熱いモノを触ったようにローザが手をひっこめた。
それが逆鱗に触れたかのように今度こそアルバインが怒りを露わにする。
「シンッ!」
「い、いいんですの、アルバイン! 私がその、悪いんですから……」
「良いわけあるカッ!! シン! オマエはッ――――」
「ハァァッ~イ!! そこまっですよぉ、アルさんっ!」
怒鳴り声が響くその瞬間に、アルバインの“折れている”腕が急に持ち上げられた。
「ッッッッ!!!? ひぁぁッ!??」
今まで怒りに痛みを忘れていたのを急に思い出させられ、スッとんキョンな悲鳴を上げるアルバイン。
それよりも、何時の間にいたのかハジの奴が居た。
まるでずっといましたよ、とでもいうように色々なことを無視して二人の腕を(アルバインに至っては折れた腕をそのまま)掴み、引きずるようにドアへと連れ去っていく。
「ギィァァァッ!? ハ、ハジ! 待ってくれボクはまだッ」
「はいはい、こんな重症患者的な折れ方している人間はすぐさま病院に行きですよぉ~。骨折舐めてます? ダメっしょぉ。端から見たってわからないぐらいの骨折片が作る傷があることもあんですからぁ。そこから細菌が入り込んだら、大変なことになりますよぉ」
「わっ、私は関係ないでしょう!?」
「ローザ嬢もです。酸素中毒舐めてます? 舐めてますよね? ならば、いざ行かんっ! 注射のパラダイスへっ!」
「いやぁぁぁっ!! 注射イヤァァァァァァ!!」
いや、注射は無いだろう。
刑務所にでも引きずられるかのようにハジに連れて行かれる二人から俺は目線を外した。
窓と呼ぶには小さなガラスには水滴がバチバチと当たる。外は未だに大雨、落雷もある。
ゴウォ、と風が唸る音と共に出口のドアが開く。
観念したのか二人の声はなく、しぶしぶと外へと出た。。
だが……
「旦那ぁ」
コイツが、ハジだけがドアの前で残っていた。
俺は視線をそのままに、耳だけ傾けた。
「だから、言ったでしょう?」
「……なにがだ」
ドォォンッと、雷音と光が瞬間的に響き渡り部屋を照らす。
だから、ハジの言葉に不覚にもチラリと見てしまった。
いつもどうりにニット帽を深くかぶり顔を半分隠す男が口元に笑みを張り付け――――
「あんまり泣かしてしまうと、“旦那”が後悔しますよ、って」
その瞬間に怒りが湧き上がり、“銃”へと手を伸ばすが――――
あるわけない。だって銃はもう……
その不覚を突くように、ハジの姿は無くなっていた。
再び、落雷が世界を揺るがす。
部屋の中には俺だけ。もう誰もいない。
まるで廃墟のような空間に、虚無感を感じてしまう。
いや、二か月ほど前に戻っただけだ。なにが虚無感だ。
そう、ただ元に戻っただけ……
『……じゃない……こ、んな進……わ……じ………じゃ、ない』
「ッ!!」
頭の中にあの瞬間が再生さて、それをかき消すように歯を食いしばり、窓へと目を凝らす。
そうすることで、どうにかしてこの感覚を消そうとした。
それにどうしたっていうんだ。
こんなことなどいくらでもあった。
それにそもそも、アイツはこちら側にいるべき人間ではないんだ。
これで……
『……じゃない……こ、んな進……わ……じ………じゃ、ない』
これで、いいじゃねぇか。
このまま帰れば……
このまま普通の日常に帰ればいい。
俺も元に、元の日常に戻ればいい。
『……じゃない……こ、んな進……わ……じ………じゃ、ない』
目を閉じれば、終わりだ。
そうさ。明日になれば終わっているもんだ
明日になれば、あの泣き顔も、あの完全に聞きとることができなかった声も全部、全部。
頭の中から無くなっているはず、だ。
だから、俺はそのまま目を閉じた。
目を閉じれば時間がすぎる。
そうすれば、もう過去のこと。ただの思い出程度に変わっているだろう。
その、はず。
そのまま、雨と一緒に流してしまえばいい。
ザァアアア――――
目を閉じ、意識が消えるまで耳障りな雨音と雷音は消えることはなかった。
視点変更 1
耳障りな雨が止んだのは朝方のこと。
されど黒く暗い雨雲が未だ上空を徘徊し、鼻につく湿気の香りに満ちていた。
未だ人が寝静まる時間帯。朝日が出始めた肌寒い空気が新東京の街に流れはじめた朝に。
ドゴッ
それは起きていた。
「ひぃがぁぁああっ。ゆるし、許してくれよぉ!?」
始発電車が動き始めたらしく、その二人がいる電車の高架線下にある空間にガタガタガタと煩い騒音がなり響く。
男二人が高架線下で言い争いを始めた。揉み合いや怒鳴り声などはぼなかった。なにせ、片方の男の圧倒的な暴力でなにもかも、かたがついてしまったのだから。
勝者と敗者の違いは、前者が立って見下しているか、後者が線路を支える太い柱を背に凭れかかっているか。後者の男は打撲痕や口元と鼻から溢れる血が痛々しい。
その最中に何かの会話がおこなわれていたが、電車の通過音でほとんど聞き取れない。
ただ、痛めつけられた男が哀れなまでに恐怖で顔を固め、痛めつけた男が表情を怒りに変えたことのを見た。
勝者が拳を無言で振り上げた。
敗者が身をすくめて、体を丸めた。
鋭い拳が咆哮とともに壁に叩きつけられる。
電車が去った。遠ざかる音が聞こえ始める。
そこには嫌なぐらいの静けさが残った。
その静寂の世界が安全かどうか確かめるために体を丸めて暴力から身を守ろうとした男がゆっくりと顔をあげ――――
プシュー
「ヒィッ!!」
突然の鋭い噴出音に身をさらに固め戻した。
その音が連続で、まるで何かを描くようにきこえてくる。
数秒間聞こえたそれが沈黙してからさらに数秒間の後、やっと男が顔を上げた。
そこには暴力のかぎりをつくした男の姿はなかった。
その場に残るは自分のみ。
いや、違う。
破壊の跡がたしかに残されている。それを確認した敗者の男は顔を青くして逃げだす。
ついに人がいなくなった高架線下は朝の静寂をとり戻す。
かに見えたが――――
――――その瞬間に個所の線路が崩れ落ち、轟音が世界を支配した。
それとも老朽化によるものでも、廃線まじかの路線が起こした事故でもない。
線路を支えるはずの柱が丸ごと一本、粉々に砕かれてたという事実が起こした必然であった。
残されたのは粉塵が広がる世界と砕かれた柱に混ざる線路の残骸。
そして、それが残っていた。
視点変更 2
事件にたかる蠅のような野次馬をかき分け、刑事らしき二人が現れる。
一人は外国人のような鷲鼻と鋭く細められた目と白髪まじりのオールバックが特徴的な渋い男の刑事。
もう一人は、やけに童顔な刑事。
現場の検証をおこなっていた調査班の人間から話を聞いた二人はすぐさま、それを見せられる。
残骸の中でかろうじて残っていた柱の一つ。それにスプレーで殴りかかれたのは人名。
それは彼らが最近出会い、自分たちに非現実の世界を見せつけた一人の青年の名であった。
「……先輩、これ」
「あぁ、参った……おい、金田一。後で俺の愚痴を聞け」
「愚痴聞いてたほうが楽そうっすよね。このまま一課扱いになってほしいんすけど……」
「まぁ、たぶん。いや、確実に俺達の担当になるだろうよ」
「……そうっすよね」
最近転属になった部署のハードワークに疲れ果てていた彼らは、溜息をついて再び、そのスプレー文字を視る。
そこには、
“進・カーネル”は、どこにいる。
とたしかに描かれていた。
その、姿を見ていた。
XXXXXらは。
XXXXXらは、見ていただけ。
それだけ。
今は。
次話へ
こんにちは、桐織 陽にございます。
新章に入ります。
あらすじ的な物は活動報告の方に掲載しようと思いますので、よろしければそちらもご覧ください。
あと、ブラックコーヒーの一気飲みは止めましょう。